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誇り高き教育基本法

ここ3日に渡り、裁判の準備書面を書いています。
「教科書採択権は教育委員会にはない」という内容です。

根拠法はやはり、教育基本法第10条です。準備書面の冒頭を少し引用します。

教育基本法成立の際、その立案の任にあたった文部官僚たちが書き、立法者意思を明らかにした『教育基本法の解説』(1947年)は、第10条についての記述の中で、戦前教育の精神及び制度について、次のように述べている。

戦前の教育は「教育行政が教育内容の面にまで立ち入った干渉をなすことを可能にし、遂に時代の政治力に屈して、極端な国家主義的又は軍国主義的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行なわれるに至らしめた制度であった。更に、地方教育制度は、一般内務行政の一部として、教育に関して十分な経験と理解のない内務系統の官吏によって指導させられてきたのである。このような教育行政が行なわれるところには、はつらつたる生命をもつ、自由で自治的な教育が生まれることはきわめて困難であった。」(文部省教育法令研究会『教育基本法の解説』126~127頁)【証拠 甲  号証】

「『教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立』というのは、先に述べた教育行政の特殊性からして、それは教育内容に介入すべきものではなく、教育の外にあって、教育を守り育てるための諸条件を整えることにその目標を置くべきだというのである。『教師の最善の能力は、自由の空気の中においてのみ十分に現される。この空気をつくり出すことが行政官の仕事なのであって、その反対の空気をつくり出すことではない。』(米国教育使節団報告書)」(同書p.131)

こうして、制定された教育基本法を具現化するために教育委員会法が公布(1948年)された。この教育委員会法は1条に、目的を以下のように明記している。

「この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする。」

文部省が作成した『教育委員会法のしおり』(1948年)【証拠 甲  号証】には、教育委員会制度の基本的な考え方として、次の3点が述べられている。

① 憲法や教育基本法の思想である民主主義を生かすこと
② 細かいことまで国がきめて監督していた強い中央集権をゆるめて、教育行政の地方分権を行うこと
③ 教育の自主性を確保すること

『教育委員会法のしおり』は、「5、教育委員会はどうやって仕事をするか」として教科書採択について以下のように述べている。
「教科内容の決定や教科書の選択などについては、現職の学校の先生が、教育長を中心にして相談に参加します。会議できめたことは、教育長が、その通りに実行してゆくのです。」

ここで言う教育長は、同法「41条2項 教育長は、別に教育職員の免許に関して規定する法律の定める教育職員の免許状を有する者のうちから、教育委員会が、これを任命する。」に規定されているように戦前の反省(教育に関して十分な経験と理解のない内務系統の官吏によって指導させられてきた)から、教育の専門職がその任につくようになった。

*戦後の教育はこういうところから始まったのです。ところが・・・

このような戦後教育改革の理念も長くは続かなかった。1951年サンフランシスコ条約締結前の交渉で、吉田茂首相と米代表ダレスとの間で日本の再軍備が密約として交わされた。

その密約を受けて、1953年、池田・ロバートソン会談が行われた。そこで再軍備の障害は1に憲法9条、2に平和教育とされた。平和教育を受けた若者は軍隊に入ってもつかいものにならない、国民の防衛意識を拡大することが重要で、愛国心教育をしなければならないと日本はアメリカに約束している。

翌1954年、改憲をうたう自民党が結成された。

教育委員会法は1956年に廃止され、代わりに「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が制定された。ここで教育委員の公選制は廃止されて任命制となり、教育長は教員免許を持つものという枠も取り払われた。1957年には文部省は「採択権限は教育委員会にある」という通達を出した。

戦前の国家主義的教育を反省し、教育基本法の理念のもとに教育改革を行ってからわずか10年足らずで、再び教育の国家統制への道を歩み始めたのであった。
(ここまで引用)

その後のことはみなさま、ご存知の通りです。

この誇り高き教育基本法が今、風前の灯です。
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by lumokurago | 2006-12-03 21:42 | 子ども・教育
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