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・遠足で郊外に行くのではなく、地下鉄に乗って都心の博物館などに行くようになった。(安全管理のため? こんなの「遠足」じゃない)
・遠足の時、自由遊びではなく、プログラムを用意するようになった。(私は全部自由遊びがよいと思う。また、遠足の場所は自然の中ならば、毎年違うところにしなくてもよいと思う) ・なんでも大人がお膳立てし、材料も用意して、子どもはそれをこなすだけになった。(これは子どもの力がなくなったから仕方がない面もあるが、だったら昔と同じことをするのではなく、何か工夫できるのではないか)。 ・「おまつり」などで心をこめて一つの物を作るのではなく、簡単にできるものの雑な大量生産が多くなった。(これまた子どもの力がなくなったことと子どもが超忙しいので仕方のない面もあるが、それなら昔と同じ行事をやる必要はないと思う)。 ・ただでさえ、子どもはゲームをしている時間が長いのに、児童館で行事としてゲームをやるようになった。(私のいた児童館の話) ・それでなくても物が過剰なのに、さらに物を与えることが多くなった。しかもその「物」はもらっても大事にするような「物」ではない。(「おまつり」の景品など)。 ・ものすごい量の落し物の衣類や傘などを捨てなければならなかった。(ほとんどは探しにも来ない。冬のジャンパーなど、なくなったら困るような衣類も探さない。つまりなくなっても困らないのである。自分の物かどうかもわからない子どもが多い。学校の落し物もものすごい) ・昔は保護者と一緒に子どもを育てているという感覚だったのに、今は保護者も子どもも「お客様」になった。 ・いつもいつも何か子どもに「サービス」しなければ、給料泥棒のように見られ、子どもとじっくりつきあって、子どもの力を引き出すような地道な活動ができない。 ・児童館でまですべての事務などをパソコンを使わなければならなくなった。 ・職員同士で子どもの話をしたり、本質的な話をする時間さえほとんどない。 児童館全部が同じ状況というわけではないと思います。私のいた児童館が特に若い人が多かったせいもあると思います。若い人たちは自分が育った時がすでにすべてをお膳立てされていたのかもしれませんが、特に「何かしなければいけない」という強迫観念にかられているように感じました。「なにもせずにじっと子どもを見て、子どもの持つ内面の力を引き出す」という、この仕事においてもっとも大切な資質がすでに失われているように思いました。若い人とこんな話をしても、わかってもらえず、私は途中からあきらめてしまいました。そしてもう若い人に任せた方がいいのかなとも思いました。 とにかくストレスでいっぱいで生きるのが大変な子どもたちを見ているのがつらかったです。 今でも子どもが大好きですが、仕事として児童館に戻りたいとは思いません。「しょうがいじ」のデイケアの方が幸せでいられます。私が児童館の仕事を続けていたとして、何ができるというわけでもなかったし・・・ それより、裁判をやる方がほんの少しでも崖を落ちる時間を遅くできるのではないかと、今は思っています。 それにしても私がこの仕事についた1976年から1980年頃までのわずかな間は、この仕事は楽しくて楽しくてたまらなかったです。その後、子どもたちは変わり始めましたが、それでも基本的には楽しかったです。つらさの方が大きくなったのは、やはり小泉内閣になってからかも!! おそろしや、小泉!!!
by lumokurago
| 2007-01-04 21:25
| 子ども・教育
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