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立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う

立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う~失われたメディアの自負

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 講演会での佐野眞一氏

 水俣フォーラム主催の「第83回水俣セミナー」が27日に開かれ、佐野眞一さんの講演会が行われました。

 佐野さんは、水俣の写真を見て、「立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う」というジャーナリズムの基本が失われ、報道が薄っぺらで歴史観がなくなっていること、また、日本人には活字ばかりではなく広い意味での「読む力」が最も欠けていることを指摘され、「過去・現在・未来」を見据えたジャーナリズムの必要性を訴えられました。それはジャーナリズムに限らず、日本人の生き方全体に求められるものではないでしょうか。以下、メモを元に佐野さん(以下「私」)のお話の概略をご報告します。

1.ジャーナリズムの責任と「水俣」の風化――西日本新聞社『水俣病50年』が浮き彫りにしたもの

 私は石牟礼道子さんの『不知火』の解説を書きましたが、水俣病そのものについての著作はありません。早稲田大学石橋湛山記念ジャーナリズム大賞の選考委員です。昨年『水俣病50年』が大賞となった時に、受賞者から「光栄ではあるが、認定から半世紀たっても(これは違うが)、キャンペーンをやり続けなければならないというのはジャーナリズムの退廃です」という言葉があり、鋭い指摘だと思いました。アスベスト、事故問題等様々あるが、今のジャーナリズムはどういう状態にあるのでしょうか。

 直近の話です。先週の今日、横浜刑務所に行ってきました。その建物は刑務所とは思えない白亜の真新しいきれいな建物です。敷地にごく一部高い塀があります。一見すると暗いイメージはありませんが、ここは横浜事件の獄死の舞台で、血塗られた歴史を持った刑務所なのです。

 ここを訪ねたのはあるネパール人、ゴビンダから手紙をもらったからです。ゴビンダは1997年3月8日に起きた東電OL殺人事件の犯人とされ、横浜刑務所に服役中で、久しぶりに会いに行きましたが、元気でした。彼は絶対にやっていないと再審を要求しています。今回は娘が来るので一緒に会ってほしいとのことでした。花祭りの4月8日に妻と娘2人が来日しました。事件当時、上の子は3歳、下の子は生まれたばかりでした。2人に日本の印象を聞いたら、長女は「清潔で美しいすてきな国」と言っていました。次女は「こんなにすてきな国がなぜ無実のお父さんを捕まえたの?」と言っていました。

 新聞、テレビの退廃が横浜事件と同じ冤罪を許しています。この事件は東京地裁では無罪でしたが、高裁で有罪と逆転されました。東京地裁で無罪判決を出した裁判官はすぐに広島に飛ばされ、それ以来ずっと地方回りです。それに対して、高裁で有罪判決を出した裁判官はすぐに退官して、何かと評判の悪い帝京大教授、その後、法学では有名な中央大学法科大学院教授です。日本の司法って何かと思わされることです。

 ゴビンダは「強盗殺人は死刑だが、殺人のみなら刑が軽くなる」ということで、「強盗は降ろしてもいいから、殺人だけ認めろよ」と取引を求められました。しかしゴビンダは応ぜず、自分は無罪だ、闘うんだと言っています。こういうことをマスコミは報道しません。その時だけエキセントリックな報道をして、その後のことは何も報道しないのです。死んだ被害者の渡辺泰子はまつられましたが、生きて獄につながれている冤罪の被害者に対しては想像力のかけらも持たないのがマスコミです。10年かけなければわからない問題があるのです。

 地裁で無罪になれば、ゴビンダは即強制送還されるはずでしたが、再拘留が行われました。それも少女売春(買春)をやった裁判官によってです。この事件には司法のグロテスクな構造が全部関わっています。2年前に再審請求をしましたが、いつまでかかることか……。司法は一度烙印を押したら、覆すことをしません。横浜事件しかり、石川さんしかり……罪を負わせたまま向こうに送りたいのです。

 水俣の写真を見て立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う、それがジャーナリズムの基本です。それが失われてしまいました。

 小泉の5年間はとんでもない時代でした。あの人はたじろがない。メディアはたじろがないからすごいというバカな伝説をばらまきました。改革、改革と言っているだけなのに、ぶれないからすばらしいとし、強いリーダーシップを持っていると言いましたが、それは欺瞞にすぎません。小泉の5年5ヶ月を維持したのはメディアで、メディアには相当な責任があります。これを総括する作業は大変です。

 小泉家から出てくる冷たさというものはグロテスクなほどです。小泉の義兄(長姉の夫)を怪しいと踏んだので、いろんな話を聞きました。彼は前科16犯の大泥棒です。彼は、「小泉家の冷え冷えとした空気は今でもはっきり覚えているよ。体温がマイナスなんだよ。そういう家だよ」と言っていました。メディアは“人権”を盾にとってそういう取材はやりませんが、私は「おまえら、人間より“人権”の方が大切なんだよな」と言ってやります。

 JR福知山線の事故では、ジャーナリズムの責任がものすごく大きいのです。あの事故の前に、1991年のJRと第3セクター信楽高原鉄道の正面衝突事故がありました。正面衝突という絶対にあってはならない事故だったので、不思議に思い、背景には何かがあると調べたところ、JRが信楽高原鉄道に黙って(国交省にも黙って)「優先てこ」を設置したことがわかりました。

 JRは殺人罪です。あの時、すべてのメディアが「JRは殺人罪」と書けば、福知山線の事故は起こらなかったのです。“JRの天皇”と言われる井手正敬の圧力ですべてはもみ消されました。事故はまた繰り返されると思います。ジャーナリズムは今日起きたできごとをぽんぽんと並べるだけで、薄っぺらで歴史観がない。人々はそのことを感じていると思います。子供だましではだまされないということで、新聞、テレビ離れが進んでいるのです。

 石原慎太郎が早々と当選を決めました。それについての論評が薄っぺらで、乱暴な物言いを引っ込め、ねこをかぶっていたなど、わかりやすい言葉しか出てきませんでしたが、そうではないと思います。石原は自分の老いが一番こわかった。「都知事の椅子は石原にとって生命維持装置である、あさましい、痛ましい」という言説がふさわしいのです。それが出てこず、薄っぺらな言葉だけでした。

 今後、社会的な犯罪が起きた時、怒り、はたまた愛情を持って伝える人間がはたしているのでしょうか。ジャーナリズムは「立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う」ことがなく、“立て板に水”です。「雨が降るから天気が悪い」、そのレベル。怒りを感じることや共感を覚えることがますます少なくなってくると思います。

 吉本興業の内紛についてですが、吉本のタレントは1日200時間テレビに出ている。島田伸介というのは大変な才能だが、ある卑しさを感じます。子分を使い走りにした芸で、芸に格段の差があるから、こいつらは踏んづけてもいいと思っているようです。説教をするつもりは毛頭ありませんが、1日200時間そういうものを見せられて、子どもにとってよい影響はないでしょう。私が書くならそのことを書くでしょう。

2.マスメディアを覆う歴史観の欠如――中内功・ダイエー問題を通じて検証する

 私は中内を取材して「カリスマ」という本を書きました。中内のような男は二度と出てこないでしょう。「歴史観」ということでいろいろと教わりました。シャイな男でしたが、ぽつぽつと話すようになってくれました。

 中内は戦争中ルソン島の守備隊にいました。それは100人中73人が死亡した隊で、そのほとんどが餓死でした。私が中内に「戦争で一番恐ろしいものは?」と聞いたことがあります。「敵の鉄砲の弾」かと思っていましたが、中内の答えは「隣の日本兵」でした。眠るといつ殺されるかわからないというのです。この人が殺したかどうかはわからないが、人肉を食べただろうなと感じました。

 また、フィリピンで捕虜になったが、中内は珍しい姓だったから生き残ったと言っていました。捕虜に対して人民裁判が行われました。現地人がうろおぼえの日本語で「スズキ」「ヤマダ」「サトウ」と言って、言われた奴はすぐにデス・バイ・ハンギングです。「戦争っていうのはそういうことなのか」というものです。

 中内は復員にあたって牛缶1個と全国どこにでも行ける国鉄のパス、現金40円をもらったそうです。4年間外地にいたので貨幣価値がわからなかったが、豆腐を買ったら1丁5円で、命をかけて戦った代償が40円、俺の身体は豆腐8丁かと言っていました。中内のすごいところだと思いました。

 中内は1日1億返しても72年かかる借金を抱え、すっからかんの無一文で霊安室から即火葬場に運ばれるような死に方でした。中内にとって2度目の敗戦だったでしょう。NHKに「その時歴史が動いた」という番組があり、私も時々見ますが、「その時歴史が動いた」は我々のことです。我々は歴史が動いていることを目撃しているのです。ダイエーの経営の失敗についてはどうでもいいことで、その問題が起きた歴史観を考えなければならないと思います。

 トヨタの奥田、ソニーの出井が亡くなっても、騒がないと思います。彼らには指定席があるからです。中内には指定席はないのです。私たちが、奥田とは車でつながっている、出井とは音楽などでつながっているとすれば、中内とは大根1本、豚肉1切れでつながっているのです。なぜこの取材をやるのか? それは水俣ともつながっています。どんなものを媒体にしてもかまわないが、そこから汲み取ることは歴史観でなければならないのです。それがメディアの責任です。

3.「満州」という時間軸と「沖縄」という空間軸――日本列島の「立ち位置」

 「阿片王」では里見甫について書きました。とてつもなくわかりにくい、とてつもなく大きい、日本人ではない、中国人よりも中国人と言ってもいいようなわかりにくい人物です。甘粕正彦も書きました。甘粕は大杉栄、伊藤野枝らを虐殺したとされている。甘粕が目立ち、他の4人は忘れられていますが、下手人は甘粕でないことがわかりました。その時の日本が、2重3重の防衛によって甘粕に罪を着せたのです。

 私は昭和22年生まれの団塊の世代ですが、この言い方は好きではありません。高度経済成長期に思春期を送り、高度成長とは一体なんだろう、どうしてこんなことが達成できたのだろうということがずっと気にかかっていました。

 「満州」というのは広大な空き地に作ったとんでもない実験国家だったわけですが、たった13年で消滅し、日本は広大な土地を一瞬で失いました。高度成長というのは失われた満州を日本の国内に取り戻すというのが、中核にあったパッションではないかと思っています。満州の高級官僚、岸信介は、満州を「自分の最高傑作」と言っていました。権力者にとってのみでなく、民衆にとっても満州の夢を国内で何とかして取り戻したいという思いがあったのだと思います。

 戦後の人間が「満州」をどう伝えるか、責任があると思います。今、月刊『プレイボーイ』に「沖縄コンフィデンシャル」を連載しています。もうすぐ終わりますが、日本は失われた「満州」を取り戻すという時間軸と「沖縄」という空間軸のクロスしたところに、今いるんだということです。この位置に立てばすっとわかることが何回もありました。

4.語られてこなかった「沖縄」の戦後史――「沖縄コンフィデンシャル」の取材から

 「沖縄」というと唯一の地上戦の行われた場所ですが、それのみでよいのかという問題意識があります。沖縄の人に「ほめ殺しはいい加減にしてほしい」と言われたことがあります。沖縄には魅力的な人がたくさんおり、語られてこなかった沖縄の戦後史を取材したいという思いです。

 沖縄はいつも被害者の文脈で語られてきましたが、奄美との関係では加害者です。奄美は米軍が占領したが、山国で無用の長物だったため、昭和28年に「くれてやるわ」と返還されました。非常に貧しいところで、復帰しても食えないので、多くの人が沖縄に基地労働に来ていました。沖縄には奄美差別があります。奄美出身者は全て公職追放され、沖縄はそういう面ではすごくいやしいのです。沖縄のヤクザのルーツは奄美ヤクザです。たくましく生きざるを得ない奄美人にはとてもおもしろい人がいます。早くしないと戦争中の話や戦後の話をしてくれる人はどんどん亡くなってしまいます。

 奄美からは神戸に出てきた人も多いのですが、クボタのアスベスト被害にあっている人には奄美人が多いのです。最も弱いところに被害は行くという例がここにもあります。

5.「記録」されたものしか「記憶」されない――宮本常一の写真、「読む力」の復活

 宮本常一は優れた記録者でありノンフィクション書きであり……いい言葉をたくさん残していますが、その一つに「『記録』されたものしか『記憶』されない」という言葉があります。「記録」するということはそういうことなんですね。

 彼には10万点もの写真がありますが、おびただしいことを教えられるのです。宮本は誰もが通り過ぎ、見過ごしてしまうものを撮っています。

 例えば、杉皮を干している写真がある。これはすぐそばに裸にした杉があり、杉皮を敷いて杉を滑らせて川に運び、杉は比重が軽いからそのまま筏になるんですね。それに対して松は比重が重いから、松だけでは筏にできない。松林の隣には竹林があって、松の間に竹を入れて筏を組むのです。1枚の写真からそこまで読ませる。

 また、別の写真では流木の上に石があるのです。この石というのはこの流木の第一発見者の印なんですね。丸い石はだれそれのもの、三角の石はだれそれ、四角い石はだれそれと決まっている、それがあれば他の誰もこの流木に手をつけない。つまりそういう共同体が残っているということなのです。

 インターネットの普及によって「読む力」が減退しました。「読む力」というのは活字を読む力ばかりではありません。人間というものは人の力を読む、相手を読む、不吉な兆候を読む……人間にはそういう身体的な「読む力」が備わっていたのです。それがいつの間にかなくなりつつある。日本人に最も欠けているものは、何かを「読む力」ではないでしょうか。それは教育に欠けているものでもあります。「読む力」さえあれば、どんな苦境に立ってもやっていけるのです。これは学校の勉強ができるということとは逆比例する力です。

 私がものを書く時に「金科玉条」としているのは、柳田国男が「民俗学とは?」という問いに答えた言葉で、「かつてこの国土に生まれた者、今生きている者、未来の者」つまり、「過去・現在・未来」をみすえた学問ということです。ジャーナリズムに求められているのも同じものだと思います。

筆者の感想

 「立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う」ことは「表現する」際にはマイナスであるかのような社会になってしまいました。筆者は佐野さんに全面的に共感します。「表現する」ためには、その前に「感じる」ことが必要だからです。「感じる」ということと「表現する」ということの間には、「感じた」衝撃を受け止めて咀嚼し、自分の言葉で表現するための時間が必要だと思います。「立て板に水」のように表現できるということは、逆に言えばそれほど感じなかったということの証明なのでしょう。つまり、現在の日本のジャーナリズムは「感じる」ことなしに、できごとの上っ面だけを報道しているのではないでしょうか。

 日本人に最も欠けているのは「読む力」だという指摘にも共感します。多くの人が権力者(為政者)にだまされていると筆者は思っています。介護保険も医療も改悪に次ぐ改悪で、そればかりでなく日本国中のすべてが改悪されているのに、いまだ政府与党に投票する過半数を超す人たち……近い将来自分が困るのに……それどころか子どもたち、孫たちの命さえ危ないのに……。

 「読む力」が完全に失われています。日本はこのまま「感じる」こともなく、「読む」こともなく、ただ流されていくのでしょうか?

*****

 この報告に付け足して、佐野さんは質問に答えて次のようなことをおっしゃっていました。

 個人情報保護条例は新しい形の治安維持法であるとして反対していた。取材していると個人情報保護を理由に取材拒否される方が多い。今後、「名無しのゴンベエ」の記事が出てくるだろう。死んでいった人間、生身の人間からしか担保しないものがある。それを表現するには<名まえ>が欠かせないと思っている。『東電OL殺人事件』では『渡辺泰子』という実名を出した。その訳は彼女の手紙を見たことがあるのだが、彼女の「渡辺」の「なべ」はむずかしい「なべ」(字は不明)で、麗しい筆跡で書いてあり、彼女が名まえに誇りを持っていたことがわかったからである。親族から訴えられてもかまわないと思った。

 ジャーナリストは自分で自分の首を絞めている。自分はよほどのことがない限り個人名をあげている。(ここまで)

 私も「個人情報保護条例」は「人民分断条例」だと常々思っていましたので、溜飲が下がりました。私も「学童クラブ便り」に子どもの名前を出していました。今では考えられませんが、当時は文句を言う親もいませんでした。学童クラブには誰ちゃんと誰ちゃんと誰ちゃんがいて、その子どもたちを職員も親もみんなで育てていくんだという共通の思いが確かにあったのです。

 今は子どもの誕生表(名まえが書いてある)さえ、保育室に貼れなくなったという保育園の話を聞きました。

 学童クラブでは子どもの名簿を作らなくなって久しいです。親たちは学童クラブに自分以外に誰がいるのかさえわからないのです。親たちが知り合う方法は非常に限られてしまいました。「人民分断」そのものです。

 そして大多数の人がこのことを当然だと思って、疑うこともありません。みんな、だまされ、繰られています。
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by lumokurago | 2007-04-30 14:13 | JANJAN記事
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