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愛媛「つくる会」教科書 “元祖・本人訴訟”の最終弁論

愛媛「つくる会」教科書 “元祖・本人訴訟”の最終弁論

 6月19日午後3時から松山地方裁判所で、「つくる会」教科書採択取り消し訴訟の最終弁論がありました。愛媛では2001年の採択後から今まで、約20件の裁判を起こしました。弁護士の引き受け手がなく、やむなく本人訴訟で始めましたが、見るに見かねて香川県高松市在住の生田暉雄弁護士が協力して下さり、現在は本人訴訟原告5人と全国及び中国・韓国などの原告の代理人である生田弁護士との共同原告で行っています。生田弁護士はこの裁判の体験から「主権実現の手段としての裁判」を提唱しています(関連記事:主権の実現は“等身大”の裁判で~日本は裁判“後進国”)。

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 松山地方裁判所 

 筆者は愛媛の裁判を傍聴し、「百聞は一見にしかず」でその面白さのとりことなり、今、東京都杉並区で同様の裁判を行っています。今回は筆者も原告として2回意見陳述した裁判の最終弁論。取るものもとりあえず駆けつけました。

 松山地裁には日本庭園風の庭があり、法廷には広い窓があって、緑が鮮やかです。なんとウグイスも鳴いているというのどかさで、東京地裁とは大違いです。荷物検査もありません。口頭弁論の時間は毎回1時間取ってくれています。しかし裁判官は残念なことにやはり(上の顔色ばかりうかがう)「ヒラメ」です。

開廷前に傍聴者もリラックス

 さて、最終弁論の様子をご報告します。始まる前に原告のOさんが傍聴者に対して今日の裁判の説明を行いました。裁判所職員からは「拍手しないように。大声を出さないように」という注意がありましたが、愛媛らしく、傍聴者が「約束できんよ」と言っていました。Oさんが話し始め、最終弁論にあたって映像を使って説明したいと要望。書記官は努力してくれたが、裁判官の独断で拒否されたとの報告がありました。ドイツの裁判所は市民が参加しやすいように配慮しているのに対し、日本の裁判所は閉鎖的であるそうです。Oさんのお話で傍聴席にはリラックスした雰囲気が満ち、筆者は「これで裁判所の注意は守られないだろうな」と思いました(元々守られるはずもないのですが)。

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裁判官(左の三人)と書記官(右)。左から二人目が高橋正裁判長

映像による説明、録音テープの公開は認められない

 裁判官が入廷し、事務職員が「起立願います」と言っても、本人訴訟原告は起立しません。裁判官と主権者は対等であるからです。裁判が始まるとすぐにOさんから、映像による説明がなぜだめなのかについて、根拠を問いただす発言がありました。裁判長は言い逃れに終始し、法的根拠を示すことができませんでした。左陪席の若い裁判官が民訴法150条の訴訟指揮は裁判官が行うという条文を、裁判長に見せていましたが、それはなぜ映像による説明がだめなのかの根拠ではありません。Oさんはまた、裁判所が開かれているかどうかが判決に結びつく1つの要素であり、公正な裁判のためには録音テープの公開が欠かせないことも訴えましたが、裁判長は「録音テープは書記官個人のもので、調書ができあがれば消去するものだ」と述べました。

 さらに原告は教科書採択手続が非常に複雑なもので、裁判官に分かってもらうために自分たちは映像による説明をサービスするのだ、認めないなら、教科書採択手続が分かっているかどうかテストをしてもいいかと聞きましたが、裁判長は最後まで認めませんでした。

原告たちの思い

 結局原告は「ぬかにクギ」であるとし、内容に入りました。初めに筆者が6月1日の安倍裁判における強制退去について述べ(関連記事:強制退去~「杉並の不当な教科書採択取り消し裁判」第3回口頭弁論)、日本はすでに法治国家でも民主主義国家でもなく、現在は「戦時中」であること、子どもたちの命を守るために裁判官は大人としての責任を果たしてもらいたい、それは公正な裁判を行うことであると訴えました。傍聴席からは大きな拍手が沸き起こり、裁判長はそれを制止することができませんでした。

 それから原告のYさんが、「つくる会」と扶桑社の絶縁に触れ、発行元である扶桑社自らが「右翼的」とした教科書をベストとし、それを強引に採択した加戸愛媛県知事を追及しました。そしてこのような欠陥教科書を採択した教育委員会は、この教科書を使用させられている子どもたちに対する責任があると述べ、自分はアジア太平洋戦争に対して、なぜその時の大人は止めなかったのかと思ったが、今そうなっている、裁判官は公正な裁判をお願いしたいと訴えました。またもや大きな拍手が沸き起こり、裁判長は制止しませんでした。この後、原告のすべての発言に拍手がありましたので、いちいち述べることはしません。

 次にMさんが、最近判決が出たもう1つの裁判で、「まず判決ありき」だったことを述べ、裁判所の意義がなくなり、裁判所の存在そのものが危うくなっていると指摘しました。Mさんは最後に「裁判所、頑張ってください」と裁判官を励ましました。

 Tさんは、現在は企業の会議でもどこでも、ビジュアルなプレゼンテーションがされており、録画・録音され、活用されていくことは当然となっているのに、裁判所だけが旧態依然としている、高橋さん(裁判長)自らこれを打ち破って、先駆者となってほしいと述べました。

 Nさんは小泉前首相の就任直後までハンセン病患者差別は当たり前で、司法も一緒になって患者の訴えを抑える役割を果たしていたことを指摘。3人の裁判官は早く1時間が過ぎないか位しか考えていないのだろうと厳しく詰め寄りました。そして法律家の職業病として、先例がないと一歩も前に進めない臆病さ、時代や社会の生の現実に対する無知、不勉強を挙げ、原告らが今こもごも発言したことを、裁判への国民の期待として受け止め、心があるなら考えてほしいと訴えました。前回の(別の裁判の)判決で「どうせ裁判所はこういうところなんだよ」と言ってくれたが、私たちはあきらめない。愛媛県教育委員会は全国に名だたるひどい組織であるので、少しでもブレーキをかける判断をお願いしたいと述べました。

最終準備書面陳述

 それからOさんが最終準備書面の要旨を陳述しました。

 まず、裁判官に対して、日本国憲法は絶大な公権力(国)を法でしばることによって、人々の人権や自由、平和のうちに生きる権利などを保障するもので(立憲主義)、憲法76条3項の定めに基づき、裁判官は憲法を守る番人として良心に従い、公正な裁判を行う責務を課せられていると述べました。それから、教科書裁判の家永三郎さんが76条3項の「すべて裁判官はその良心に従い」の意味は、積極的に良心的な裁判をすることであると述べていることに触れ、一人ひとりの裁判官が本来心の片隅に残っているはずの良心を目覚めさせて、便宜的・恣意的な法律解釈をせずに原点に立ち返った判断をするよう求めました。

 次に本件訴訟の意義として、侵略戦争の反省から生まれた教育への国の介入の排除という教育基本法第10条の理念から、本件を理解する必要があると述べました。戦後の教育改革も、1956年に教育委員の公選制が廃止され、教育委員は知事の意向が反映する人事となり、形骸化、その中で加戸知事は「つくる会」教科書がベストだという発言をし、大きな圧力を加えたのです。

 Oさんは教科書採択制度とは国が買う物(教科書)を決める公共入札であり、国と教育委員会が共同で当たる「採択」は処分行為に該当し、採択は落札行為に該当すると述べました。このことを理解すれば、加戸知事の発言は独禁法違反であり、公正確保義務違反となります。「つくる会」教科書は現場での評判の悪い、間違いの多い、他国を誹謗している教科書であり、こんな欠陥商品を採択するためには様々な画策が行われたのです。知事の圧力の下、県教委が画策し、全国でほとんど採択されていない評価の低い教科書を全会一致で採択するという異常事態となってしまった、それは加戸知事に任命された教育委員が会議を非公開で行い、不透明にし、数々の違法を重ねてやっとできたことなのです。このような違法行為を重ねて採択された教科書を誰が使うのか? 使うのは子どもたちである。裁判官は澄んだ目で判断してほしいと訴えました。

 次に生田弁護士が最近の行政事件訴訟法改正の趣旨は、行政をチェックしなければならない、訴えの門をひろげようという意味である。原告らはそれに則ってやってきた、改正法は原告適格、被告適格、処分性も枠が広げられている。以前とは異なる裁判を期待していると述べました。

 最後にOさんは高橋さん(裁判長)への言葉として以下のようなことを述べました。

 自分は天理教の幹部の家に生まれ、天理教徒として戦争に協力した親を問い詰めてきた。宗教家というものは葬儀とかかわる機会が多く、父について病院に見舞いにもよく行った。死を直前にすると、人間というものは自分の人生を振り返り、良心が顔を出すものだ。その場でうろたえる人も何人も見てきた。高橋さんもそう長くはない。そのような最期を迎えないためにもがんばってほしい。あなたの良心が試されている。今の司法では厳しいが期待します。

 そして裁判長が口頭弁論は終結するとし、判決言い渡しは8月28日午後4時半に行うということで、閉廷されました。

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 報告会の様子

報告会の様子

 1人ずつ感想を述べました。

 ・被告が聞いとらんのははっきりしとるが、裁判官も聞いとらんようだった。
 ・劇(「なんちゃって教科書裁判」という寸劇)で被告になるんで、被告をよく観察したが、ほとんど聞いとらんかった。目線が下で、頭いじったり、鼻をこすったり、鉛筆をクルクルしたり、ページをめくったり、口をへの字にしてメモしたり、手帳に何かを書いたり……手遊びが多い。何もしないでいるんかと思ったら大違い。原告がよく聞いとるのと対照的だった。眠っとる人もいた。被告の人間ウォッチングは楽しかった。

 ・中学生の時、校内暴動が起きそうになった。男子が丸刈り廃止を訴えていたが、先生は聞かなかった。それなのに数年後、文部省が丸刈り廃止としたら、すぐに廃止になった。今日の裁判を傍聴してこのことを思い出した。同じだと思う。裁判官は高いところに座っているので、下からの訴えを聞かない。同じことを上から言われればあっという間に覆す。
 ・何回もこういう裁判に出てると、新鮮な発見が少ない。こちらが慣れてきてるということは裁判官も慣れてきている。原告がいいこと言ってるのに、裁判所の職員が寝ていた。後ろからボールペンで突いてやろうかと思ったけど……。

 ・裁判官は目をあけとるか、まじめに聞いとるかをチェックせな。
 ・こっちが主導権を握っとるけん、眠とうてたまらんかった。
 ・非公開の裁判(教育委員会を非公開とするのは違法とする裁判)を一生懸命やり、当然勝つと思っていた。生田さんも可能性はあると言っていた。それなのに門前払いだった。家永さんは「裁判のプロセスに意味がある」と言ったが、この裁判も過程に意味がある。裁判では負けたが、教育委員会は公開になった。2005年の採択では、県教委以外では採択を止めた。裁判は確実に効果がある。

 ・裁判所いうたら、原告・被告両方の言うことを聞いて公正にやっていると思っていた。今日の事情を知った人が広く流してほしい。被告は何も言わなかったが、言っちゃいけないのか?
 ・(生田)そんなことはない。裁判所が行政寄りなので被告は何もしなくていいのだ。準備書面も原告の10分の1以下で証拠もほとんどない。原告が圧倒的に勝っているのに、行政を勝たせるのが日本の裁判。

 ・被告に直接聞けないのか?
 ・(生田)「裁判所を通しなさい」と訴訟指揮される。
 ・裁判所職員が開廷前に「拍手をしないで」と言ったのは初めて。裁判長の指示であろう。しかし裁判長は拍手を止めなかった。1人目の陳述がよかったので、拍手を止められず、1度止めなかったもんは途中からは止められんかった。

 ・止められたので、僕はようせんかった。
 ・拍手を止められたら足踏みするとか……。それも止められたらなんかな? じきに「来ないで下さい」と言われるやろなあ。
 ・これは行政裁判なんやから、県の公報に載せるべきやないか。傍聴人が多くなれば県民会館でやればよい。
 ・(生田)傍聴人に対してこんなに厳しくなったのは、1965年頃。それまでは座席は固定されておらず、大勢入れたし、立ち見もできた。傍聴席から発言も求めていた。学園闘争で荒れる法廷が続いて、椅子が固定され、座席が少なくなって、立見席もなくなった。明治前位の時代錯誤。たくさんの人に知らせるためにはテレビカメラを入れる必要がある。映像を使った説明についてだが、証拠としての映像ならOKだが、説明のためは認めていない。

筆者の感想

 筆者は裁判長に「鍋奉行じゃないんだから」と言われましたが、この裁判では原告がすっかり訴訟指揮権を握っていました。1時間の弁論時間を有効に使い、映像での説明を求めるなどの内容以前の問題から、原告一人ひとりの思い、最終準備書面の解説と、非常に分かりやすい裁判でした。“ヒラメ”裁判官なので、判決は期待できませんが、裁判の内容は充実したものでした。東京地裁でもここまで持って行きたいと思いました。このような裁判が全国に広まり、みんなで公正な裁判を求めていけば、やがて判決も変わっていくのではないだろうかとの期待を持ちました。
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 松山地裁の庭
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by lumokurago | 2007-06-28 20:15 | JANJAN記事
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