暗川  


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ビキニの被災者たちは日本の原子力発電の人柱だった

JANJAN記事「第五福竜丸」の航海は続く 核のない世界を目指して」(ひらのゆきこ)のコメント欄にコメントしたものを転載します。(ブログになるまえのJANJANの記事は消されてしまいました)。

私が去年の11月に書いた記事(「ビキニ事件の真実」)は途中になってしまいましたが、その続きのようなものです。

********
第五福竜丸乗組員だった大石又七さんの本「ビキニ事件の真実」(みすず書房)の中に、驚くべき事実が書かれています。

**「ビキニ事件の真実」82ページより引用
俺たちの苦しむ外側で、日米政府はビキニ事件をうまく利用して、水面下でもう一つの外交取引をしていた。ビキニ事件が起こったとき、外務省は「損害賠償を請求できる」と外交文書の中では言っている。なのに、なぜ日本政府は損害賠償の請求もしないで一気に政治決着させたのか。その答えは、1994年3月、NHKが放送した現代史スクープ・ドキュメント「原発導入のシナリオ」という番組の中にあった。(引用終わり)

詳しくは本を読んでいただくとして、つまり、アメリカの「濃縮ウランを外交カードとして西側同盟国を勢力下におき、核の軍事ブロックを作ろう(84ページ)」という方針と、日本側の「アメリカの言うとおりに太平洋の核実験には反対しない。(ビキニ事件の)被害に対する膨大な賠償金もわずかな見舞金でいい。その代わりに原子力技術と原子炉の要求を早く進めてもらおう(同)」という思惑が一致し、アメリカは7億2千万円というわずかな見舞金を支出するのみで、ビキニ事件が決着した年(1955年)日米原子力協定が仮調印、翌年には原子炉が茨城県東海村に送られてきたのである。

もう一度大石さんの本に戻る。「番組を見てもう一つ驚かされたのは、(ビキニ事件をきっかけに)日本中が「核アレルギー」となって反米感情が激化していくことを防ぐため、裏で誘導工作をしていた人たちがいることだ(85ページ)」。

**85ページより引用
番組「原発導入のシナリオ」によれば、この人たちは、日米政府の中枢とつながっていて、アメリカ側からは身分や所属機関を絶対に明かさなかった(D・Sワトソン)。日本側は、吉田総理大臣など政財界の上層部に通じていた柴田秀利という日本テレビの重役。柴田氏の上司には、内務省・警察官僚出身で、読売新聞社社主の正力松太郎氏がいた。・・・(中略・以下同じ)柴田氏はワトソンに、「日本には毒は毒をもって制するという諺がある。原子力は両刃の剣だ。原爆反対を潰すには原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、希望を与える他はない」と語ったという。・・・

ワトソンはインタビューでこう答えている。「日本では新聞を抑えることが必要だ」・・・

当時の読売の紙面には「明日では遅すぎる」「火に代わる新しき熱源」「原子力発電で解決」「疑問の不安もない」「野獣も飼いならせば家畜」などといった見出しが躍っている。・・・

柴田氏が残した当時の資料には、警察庁と公安調査庁が学術会議の主要メンバーの思想傾向を調べ、共産党寄りとみなされたがくしゃに赤丸印をつけたものもあった。ワトソンは「特に日本の科学者たちは、地位を失うことをおそれて協力を断りきれなかったように見えました」と証言している。・・・

アメリカから東海村に原子炉が送られてきてからは、読売新聞と日本テレビは、プロレスなど盛んだった娯楽番組の時間をさいて、「原子力の平和利用、原子力時代到来」という大キャンペーンを始めている。・・・庶民もまた、見えない放射能や、遠くで行われる地下核実験よりも、利便さを与えてくれる目先の原子力平和利用のほうに引かれていった。そして、盛り上がっていたビキニ事件に対する関心や、核実験反対の声も潮が引くように消えていった。柴田氏は手記の中で、「こうして原爆におびえ、憎み、反対ののろしばかりを上げ続けてきた日本に、初めて『毒は毒を持って制す』、平和利用へ目を開かせる掛け声が、全国にこだましたのだ。舞台裏に身をひそめながら、喜びと感動に打ち震えていた」と書き残している。(引用終わり)

私たちは支配者に文字通り「民草」(戦争中に使われた言葉で、民は草のようになびくという意味だそうです)として繰られているのですね。しかし1994年といえば、今から13年前、NHKはまだこんな番組を放送することができたのだということが驚きです。その後の右傾化はあまりにもひどいですね。
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by lumokurago | 2007-08-23 13:31 | 平和
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