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「緑の革命」から“ノヤクリシ”へ バングラから学ぶ“農”

宮崎県土呂久で農業を営んでいる佐藤マリ子さんと知り合ったのはいつのことだったか? 先日、初めて会ったマリ子さんに聞いたら、今、16歳の瑞穂ちゃんが4歳の頃だったとのこと。マリ子さんが作っている通信に「農村には本が少ないので寄付してほしい」と書いたのに対して、私が自分の読んだ児童書を送ったことが始まりでした。当時、マリ子さんと文通し、その後一度遊びに行こうと計画したことがあったのですが、何かが起きて行かれませんでした。マリ子さんからはいつも「土呂久季節便」を送ってもらい、おいしい山の幸や無農薬のお茶、ラッキョウ、父の好きだった柚子味噌などを楽しんでいました。

そのマリ子さんがバングラデシュを訪れた時の報告会に行ってきました。JANJANに書きましたのでどうぞご覧下さい。

バングラデシュから学ぶ農民の暮らしと文化ー土呂久とバングラをつなぐもの

 8月24日、アジア砒素ネットワーク主催による、「バングラデシュから学ぶ農民の暮らしと文化」という報告会が行われました。アジア砒素ネットワーク(略称AAN)とは、宮崎県高千穂町の旧土呂久鉱山、木城町の旧松尾鉱山(土呂久・松尾)周辺で慢性砒素中毒に苦しんでいる人々を支援することから始まった「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」を母体とし、20年間培った砒素に対する経験や人脈を、アジア各地の砒素汚染解決にいかそうと1994年、誕生したものです。

(アジアの砒素汚染については下記のHPを参照してください)
芸術工学研究院・谷正和助教授 「南アジアの砒素汚染農村における人類学的調査」

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 報告者は土呂久で農業を営む佐藤マリ子さんです。

●佐藤さん(以下私)のお話

 土呂久はその昔銀山のあったところで、宮崎県高千穂町岩戸にあり、大分、熊本、宮崎の県境です。天照大神の天岩戸です。1920年から亜砒酸の製造が始まり、砒素汚染のため、草木も生えなくなり、大気も水も汚染され、農作物もできなくなり、牛や馬もバタバタ死んで、人体にも影響が出て、ひどい時は平均寿命が39歳でした。

 私は農家出身ではありません。私の父が土呂久の支援をしていました。父はがんで手術して、苦しい思いをしたことが土呂久と重なって、突き動かされたように運動していました。父は外ではリベラルなのですが、家庭では独裁で、家族も協力しなければならず、子どもの時に、無理やりやらされていました。大人になってからは支援しようという気は特になかったのですが、大学生の時に住友金属の前で座り込み、その時夫と知り合って結婚しました。夫の家族は砒素中毒で亡くなっています。自分たちが被害を受けたので、人に与えてはいけないという考えで、無農薬の農業をやり、裁判、子育て、農業の3本柱でやってきました。

 バングラデシュ(以下バングラ)では1970年代から「緑の革命」が進められた結果、農薬で痛めつけられ、作物ができなくなっています。砒素中毒の患者として、同じ農民同士として交流しようと、2年前にバングラを訪れました。「緑の革命」という近代農法によって農業が大変なことになっているため、ノヤクリシというNGOが自然農法を復活させようという活動をしています。ノヤクリシはベンガル語で「新しい農業」という意味です。「緑の革命」によって導入された収穫量の多い高収量品種は農薬や化学肥料をたくさん必要とするため、農民は豊かになれるどころか、種や農薬、肥料を買うために借金し、土壌が汚染して作物が取れなくなり、更に借金を重ねるという悪循環を招いています。

 ノヤクリシは、1.農薬、化学肥料を使わない。段階的に減らしていく。2.効率を狙った単作ではなく、1つの畑にいろんな作物を植える。輪作、多毛作をして、自給自足する。3.魚をよく食べる。在来の魚を池に養殖する。(栄養状態がよい方が砒素中毒になりにくい)4.在来の種を使う。5.乾季には米は作らない(乾季に米を作るためには地下水をくみ上げなければならず、砒素汚染を進めることになる)。という方針でやっています。

 ここからはスライドを使いながら説明していきます。

1.麦畑です。小麦の足元にサトイモが植えられています。収穫時期が違うので可能なのですが、もう一つ手作業で刈り取りを行っているからできることでもあります。私のところは機械で刈り取っているので、これはできません。畑のまわりにベニバナを植えているところもあります。ベニバナのトゲで牛やヤギが畑に入るのを防いでいます。ベニバナも油が絞れるので、作物になりますし、虫が集まるので中の野菜を守っています。また、大根、ナス、唐辛子、ウリ、菜っ葉をひとつの畑で作っています。植える時期をずらし、一つ終わればもう一つと収穫できます。災害の時、同じ作物なら全部ダメになるので、危険回避のためです。

2.雑草、つまり野草でも食べられるものがあります。工夫して食べなさいと指導しています。

3.マンゴーの苗畑です。427種類が植えられており、5種類が在来種です。虫がついたら農薬でなく水スプレーで追い出します。農薬というのは消費者にも害がありますが、散布する時にもろにかぶることになるので、まず農民にとって害となります。

4.ノヤクリシ発祥の地、タンガイルです。大洪水の被害の時、NGOがどんな支援がほしいかと住民に聞いたら、男性は「お金や物」と言ったのに、女性は「種がほしい」と言ったそうです。女性には先を見通した先見の明があるのです。

5.種センターです。在来の種を最も重視し2000種類を越える種を保管しています。ここで種を借りて倍にして返します。どこの農家でも種を保存していて、お互いに貸し借りし、助け合っているそうです。種の保存は女性の仕事だったが、種を買うようになって、女性の地位が低下してしまったそうです。土呂久でも農民同士の種の貸し借りを行っています。倍返ししていますが、できが悪い時は次にしてもらったり、別の種と交換しています。お年よりは「種は人に貸さねばならん。貸していれば貸してもらえる」と言っています。種の貸し借りで村の在来種を守っています。バングラの種センターと同じでうれしかったです。

6.米の種の保存所です。2000種類の種が素焼きの壺に入っています。人気のある品種とない品種があるので、人気のある品種ばかりが植えられるのではないかと思いがちですが、土地によって適した品種があるし、用途によっていろんな品種が必要なので、偏ることはないそうです。

7.ノヤクリシの研修に参加した人たちです。みんな夫婦とか親子で来ています。バングラでは旅行することはほとんどないそうですが、5日間もここに参加しているということはみんな、とても興味があるということでしょう。ここで習ったことは、農薬は益虫まで殺すことや、有機肥料の作り方などで、「昔やってた農業が大切」だと年配の方がおっしゃっていました。一方、「在来種は残っていない。種は買うものだ」という人もいました。農薬の使用状況ですが、裸でマスクも何もせずに散布しているので、散布中に失神する人もいるようです。1日に3回も4回も農薬を撒いています。農薬のかかった野菜は味が違うとか、食べたらすぐに胃が痛くなったとかがあるそうで、日本よりずっと強い薬を使っていることがわかります。農薬はかけている人間に被害が出るもので、土呂久でも夫の同級生がハウスの中でキンカンを作っているのですが、キンカンをきれいに作るためには農薬をたくさん使わなければならず、彼はハウスの中で血を吐いて死にました。そんな危険を冒して農薬を使っても、実際に悪さをする虫は3%から5%で、益虫まで殺してしまいます。

 土呂久には夏、たくさんのウスバキトンボが飛びます。土地の言葉でショロサマトンボと言います。「ショロサマ」は精霊のことです。このトンボはお盆をすぎるとぱったりと見なくなるので、ご先祖様と言われています。迷信といえば迷信ですが、トンボのためには田んぼの水を絶やしちゃいけないといっていて、農薬を使えばトンボもいなくなるのですから、生態系を守ってくれていると言えます。

8.牛糞を拾っているところです。牛糞は乾燥させて燃料にしますが、堆肥の材料がなくなってしまいます。ここでぐったりした子牛を見ました。母牛が4日前に死んだそうです。エサの中にたくさんの窒素肥料を混ぜて食べさせていたそうです。子牛がぐったりしているのは、窒素の量が多すぎたのを乳を通して影響を受けたせいではないかと思います。何日かしたら死ぬのではないかと思いました。魚の養殖にも窒素肥料を撒いている人がいました。経済効率だけ考えていると大きなしっぺ返しが来ます。

9.土呂久には十連寺柿という樹齢200年と言われている柿の木があります。とてもおいしい柿ですが、植えてから50年経たないと甘くなりません。だから植えた人は自分のためでなく、子どものためでもなく、子孫のために植えたのですね。田んぼの石垣も手作りで、次の世代に残すことを考えて作られたものです。亜砒酸は人がどうなろうと、自然がどうなろうと、その時儲ければいいという考えで作られました。バングラにも共通点があります。それに対して、その時よければいいではなく、子孫に伝えていくのが農業です。十連寺柿はそういう大事なことを教えてくれています。
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 十連寺柿
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by lumokurago | 2007-08-27 19:38 | JANJAN記事
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