暗川  


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by lumokurago
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「もっこ橋」第9号 1980.6.25より

はらっぱ・はらっぱ・はらっぱ 2

「はらっぱに行ってくるよ」と母に叫んで、毎日飽きずにかけていったはらっぱは、私の家のはす向かいの、昔はどこにでもあった、何の変哲もない、適度に雑草が生えた空き地でした。現在はアパートと駐車場になっているその場所は、今見るとこんなに狭かったのかと思うのですが、私たち近所の子どもたちにとってはアフリカの大草原にも匹敵する魅力的な遊び場でした。また、季節になると、レンゲ草、シロツメクサ、ツクシ、スミレなどの咲くとっておきのはらっぱ(それぞれ違う場所の)に遠出して、腕いっぱいに摘んできたものです。それはいくら摘んでもなくなるような量ではありませんでした。ところが現在では子どもたちが日常的に遊べるようなはらっぱはほとんど姿を消し、シロツメクサなどが咲くはらっぱは、それはもうすごい希少価値で、子どもたちを草摘みに連れて行っても「あーっ、そんなに取ったらなくなっちゃうよ」という言葉を飲み込んでひやひやしているのです。そして、学校の花壇から花を折ってきた子がいると、野の草花を夢中になって気のすむまで摘んだ経験のない子に、花壇の花は取ってはいけないなんて酷なことを言えるものかと自分に腹を立て、子どもに八つ当たりしているかのようにきつく言う私。「学校の花は取っちゃだめよっ」

そんな私が普段クラブでしていることといえば、自分が子どもだった頃は全然しなかった手の込んだ折り紙や子どもの遊びとして好ましいとされている「手作り」と称するこまごまとしたものです。それらは技術こそ数段上ではありますが、太陽の下、草のにおいのするはらっぱでのびのびとした遊びの代わりとしては、ずいぶん貧弱に感じられます。やはり、はらっぱでの遊びは子どもたちにとってかけがえのないものなのではないでしょうか。

日本がこれほど物質的に「豊か」になる前、りっぱなビルもなく貧乏だった頃には、なにしろりっぱな施設をどんどん増やすのが文化的なことであるとされ、今でもそういう考え方は受け継がれていると思います。60年代からの高度経済成長によってそれが実現可能なこととなり、たくさんのりっぱな施設ができました。超高層ビルも高速道路も新幹線もでき、家庭には電気製品が揃っています。ここ20年ほどの間、ただがむしゃらに先進諸国に追いつけとわき目もふらずに来てしまったと思います。けれども今、ふりかえってみてどうでしょうか。生活は便利になったけれど、決して以前よりもすみやすい世の中とは言えないという感想を持たれる方が少なくないと思います。空も海も汚染され、人間と共存していた動物たち、植物たちがどんどん減っていきます。子どもたちについて言えば、学校も児童館も図書館もりっぱになったのに、自殺、家庭内暴力、からだの異常など重大な問題がマスコミに取り上げられています。何かが間違っているのでしょう。だから今、考える視点を転換する時が来ているのではないでしょうか。

ところで、児童館や学童クラブの仕事が成り立つことの前提として、子どもの遊び場が少なくなってきたから、地域の子どもたちのつながりができにくくなってきたから、遊びを知らない子どもが増えてきたからetc.児童館やクラブに子どもを集めて仲間作りをしよう、遊び場を提供しようということがあると思います。けれども私がいつも感じているのは、遊び場がなくなったなど、子どもを取り巻く社会の状況が変わったからといって、その対策として公園を作ったり児童館を建てたりするのは、本末転倒ではないかということです。社会状況の変化に応じて物事への対処の仕方を工夫していくことも大事だとは思いますが、その前に変化の実態を見極め、それがどういう意味をもつものなのか明らかにしておかなければならないと思います。そしてそれがマイナスの方向へ行く変化なれば、歯止めをかける必要があると思います。目先の解決方法を考えるよりも問題の本質を捉えようとする姿勢を忘れてはならないと思います。

私は子どもたちにとってはりっぱな児童館や公園よりも何もないただのはらっぱの方がふさわしいのだと信じています。子どもたちがはらっぱで遊べないとしたら、それは遊びを教えるとかそんなことで解決する問題ではなく、根はもっともっと深いところにあるのだと思います。私たちは今、その根元のところから問い直していかなければならないのではないでしょうか。

 
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by lumokurago | 2007-09-17 22:24 | 昔のミニコミ誌より
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