暗川  


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山田泉さんのお話から

山ちゃんが話してくださったお話からいくつかのエピソードをご紹介したいと思います。

*保健室に長くいると同性愛、性同一障害の子などに会います。悩みを誰にも話せず、自殺した子もいます。今日の講演会の主催者の虎井まさ衛さんが来てくれて、セクシャルマイノリティの子どもたちを救ってくれました。目の前にいる子どもたちを救ってくれたので虎井さんにはちょっと恩返ししたいと思って、今日来ました。

*永六輔さんが好きでずっと追っかけのように講演を聞いていました。「こんなに素敵な授業ができたら!」「学びたい!」と思って、永さんから授業のやり方を学びました。永さんのこんな詩があります。聞いてください。

 生きているということは誰かに借りを作ること
 生きていくということは
 その借りを返していくこと
 誰かに借りたら
 誰かに返そう
 誰かにそうしてもらったように
 誰かにそうしてあげよう



*誰のことを伝えたいかといえば、教頭のことです。教頭は肺がんで手術して7年目で、今は酸素ボンベを使っています。ほぼ歩けない状態です。「わしなあ、このまま病院に行って戻れんかも・・・あんたの顔、見にきた」と言って会いに来てくれました。あの教頭に出会わなければ、「いのちの授業」はありませんでした。私は今乳がんが転移していて、治らないと言われました。胸壁と皮膚に転移しています。担当医は「山田さん、今治療しても生きてる長さは変わらん。好きなことをやった方がいい」と言いました。セカンドオピニオンを取ると、医師の言うことは二つに分かれました。一つは「こんなに重篤なのだから、今日入院してすぐ手術しましょう」というもの、もう一つは「あなたの人生観だ」というものです。
私は「好きなことをしよう」を選びました。

*7年前、乳がんが発見された時のことです。叔母が乳がんで、半年で肝転移し、半年でなくなりました。そのことがあって、自分の胸を触ってみたら、何かあるのです。学校の子どもにさわってもらっても「何かある」と言われました。それで病院に行くとすぐ手術と言われたのです。(自分の)子どもに「お母さん、死ぬん?」と聞かれて、「すぐには死なん」と答えたことをよく覚えています。夫がショックを受けていました。叔母のことがあったので、「自分は1年後、この世にいないんだ」と思って、眠れなくて友だちに電話しました。脳腫瘍の友だちは「泣きたい時は泣くがいいんじゃ」と言ってくれました。泣いたらさっぱりしました。薬害エイズの友だちは「わからん病気は不安じゃろう、調べてみい」と言ってくれたので、乳がんに関する本を50冊位読みました。

乳がんのことを告げた日、校長は「すぐ帰っちょくれ」と言いました。報告書やら片付けやらをやろうとしていたら「全部わしがやる」と言ってくれました。休職中に私が患者会の活動などでテレビや新聞に出た時、教育委員会がいろいろと言ってきたらしいのですが、校長は「生きるための治療だと思います」と言ってくれました。私が学校に戻った時は「異動せずに待っちょったで」と言ってくれました。保健室のボードに書いた「すぐ帰ってくるからね」という文字は休職して2年後に戻ってくるまでそのままでした。生徒に聞いたら、「先輩が消すな」と言ったということでした。

*学校に戻ったら、障害児のことを「ガイジ」と呼んだり、生徒の言葉がきつく、聞いているのがつらくて、もう仕事を辞めようと思いました。そのことを生徒に相談したら、「きついのは山ちゃんだけじゃない。私もきつい。自分の命も大事だけど、人の命も大事だという授業をしてほしい」と言われました。このことを教頭に言ったら、「一緒にやろう」と言ってくれました。そして「いのちの授業」が始まったのです。2年間で40人の人を招いて授業を行いました。来ていただくまでに事前学習をたっぷりやります。自分で表現することを大切に考えています。そして一人一人が気づくまで待つということをやっています。

******お話はもっともっと続きました。もっと聞きたい方は山ちゃんの「『いのちの授業」をもう一度」という本をどうぞ。(高文研)

それにしても私は自分が乳がんだとわかった時、そんなにショックでもなく、一度も泣きませんでした。(だいたい6年も平気で放っていたのだしね。冷静すぎ!? 参照)どうしてなんだろう? 命の大切さをわかってないのかなあ? 「失うものが何もない」せいなのか!
私ってほんとこの世に未練がないのです・・・今はちょっとあるかも・・・どうかな?
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by lumokurago | 2007-10-08 23:29 | 子ども・教育
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