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森口豁さんの「ミーニシ吹く島から」もうひとつ

沖縄は日本の一地域であり、ここに生を営む約百万の人たちも日本人にちがいないのだが、両者の生的感情や境遇、そしてそこから生まれ来る意識には、ある確かな隔たりがあるのだ。それを的確にいい当てることはいまの私にはできないのだが、ともかく訪れ来る<復帰>という名の同条件生活への機械的な結合は、その隔たりや感覚や意識のちがいを克明に浮かびあがらせるにちがいない。

そして<復帰>しても、その生が終わるのではなく、永劫につづくものである以上、ことの深さを再確認し、また新たな苦闘をつづけなければならない側は<沖縄>にちがいないのだ。

本土と沖縄の意識の断層を埋める作業は、本来、双方が、少なくとも等しくおこなうべき責務を、ひとしく持ちあわすべきことだと私は考えるが、いま、それを本土に求めることがいかに困難なことであるかを、沖縄の人びとは長く重かった時間的経過と、冷酷な本土の現実をみつめつつ知っている。

沖縄は、その抱えた問題の深さと重さからくる困難性を、切り拓き、解決しようとすればするほどに、つぎつぎと湧きでてくる矛盾に押しつぶされながら歩きつづけてきたが、その、少なくとも敗戦後二十数年の歴史は同時に沖縄の人たちに強靭で、きわだって誇り高い魂をつくりあげた歴史でもある。その歩みは敗戦から数年の本土の歩みに同質なものがあろうけれども、その重さと、きびしさから生まれた意識は太平ムードへと途中で転じた本土とは同列におくことはできない。

<復帰><戦争><平和><暮らし>・・・・・あらゆるものへの見方がこの島では痛烈に現実的である。六十になるという老女は、自分の家の井戸に米軍基地からの航空燃料が地下を伝わって流れ込み、炎をあげたとき、「これは基地から流れ込んだのではない」との基地司令官の、強情な回答に「ワタシの家は飛行機が持てるほど豊かだと思いますか」との言葉を発したのだが、この確かさは普通ではない。

こうした確かな人たちの集団が<復帰>を<第三の琉球処分>ととらえることをはね返す、より確かな言葉と自信を、本土は、持ち合わせているであろうか。
(1971年)

by lumokurago | 2007-10-24 18:17 | 沖縄
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