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「護憲運動の重要性と限界」 C.ダグラス・ラミスさん講演会

 大好きなラミスさんの講演会行ってきました。お勧め記事です。ぜひお読みください。

「護憲運動の重要性と限界」 C.ダグラス・ラミスさん講演会

 11月4日、午後2時から、神奈川県相模原市のソレイユ相模にて、C.ダグラス・ラミスさんの講演が行われました(主催:「さがみ9条の会」)。お忙しいラミスさんはたまたまこの日が空いたということで、沖縄から日帰りでした。演題は「護憲運動の重要性と限界」です。筆者はラミスさん(以下、私)の大ファンなので、楽しみに駆けつけました。

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 講演するダグラス・ラミスさん

『憲法は政府に対する命令である』(ラミスさんに同名の著書あり)

 日本国憲法で最も大事な言葉は「われら」です。「われら」は文法的に憲法全体の主語です。どれだけ重要かは明治憲法と比較するとよくわかります。明治憲法は「天皇」で始まります。構造として天皇の命令となっていて、臣民の権利は天皇から与えられた恵みと考えられます。それに対して日本国憲法の「われら」は180度違います。憲法は文法的構造として政府に対する命令なのです。政府はこういうことをやっていいよ、悪いよ、と書いてあります。主権在民とはそういうものです。形としては明治憲法の改正手続きで今の憲法になりましたが、正反対の原理を入れたのですから、中身は改正ではなく、新憲法です。

 国は新憲法を作った場合、国民も作り直します。国民のアイデンティティの政治的側面は憲法によって決まります。明治憲法における「臣民」は政府のいうことを聞き、国に尽し、玉砕するものでしたが、日本国憲法では「臣民」は「国民」となり、その中身は人権条項によって定められています。「国民」は「市民」であり、積極的に政治に参加し、自分の言葉で判断し、活動すると描かれています。つまり、永田町のやり方が変わっただけでなく、国民自身がまったく別の姿に作り直されたということです。市民社会は憲法あってのもので、今日の集会も言論の自由、集会の自由がなければ開けませんでした。

 新憲法を作りたい人たちからは、今の憲法は「押し付け憲法」だという言い方がされています。それに対して、憲法草案を作る過程で日本国民が参加した、日本のアイデアを取り入れたから「押し付け」ではないという反論があります。しかし、私から言えば「押し付け」を完全に否定するものではないと思います。というよりも、主権在民の憲法はすべて押し付けで、政府の権力を制限するものです。絶対王の時代は、顔が嫌いだから死刑とか歌が下手だから死刑、気に入らない手紙を持ってきたから死刑などということがまかり通っていました。イギリスの大憲章は1215年ですね、そういうことはまずいと、ジョン国王に下から押し付けたのです。憲法とは押し付けるものです。誰が誰に押し付けたのかが大事です。

「われら」が政府に憲法を押し付けた

 憲法を改正したい人はアメリカが日本に押し付けたと言っています。そう言われればいやな気持になりますが、この言い方は乱暴すぎで、実際はもっと複雑でした。戦争直後、GHQは日本国民を仲間と考えていて、憲法はGHQと国民とが一緒に政府に押し付けたのです。政府は押し付けられたと思って当然です。当時、GHQと国民のほとんどはこの政府は権力が大きすぎる、減らさなければと思っていました。両者の結論は同じでした、だから非常に珍しい立派な憲法ができたのです。

 この憲法は1条から40条までは、政府の権力を減らす条項です。1条では神様だった天皇が象徴になりました。その後40条までは人権条項で政府がやってはいけないことがずっと書いてあります。政府にとって気に入らない結社が集会を開く権利も保障されています。41条から政府がやっていいことのリストです。政府の権力を減らす勢いが激しい憲法です。政府に押し付けられたのは9条だけではありません。主権在民も人権条項も押し付けられました。

 憲法改正草案要綱ができたのは1946年3月6日、その2ヵ月後の5月には、冷戦による「逆コース」が始まり、GHQ=アメリカ政府は考えが変わりました。もし、GHQだけに押し付けられたものだったならば、数ヶ月間でなくなったはずです。どうしてなくならなかったのか? アメリカが「変えたい」と言っているのに、どうしていまだにできないのか? その答えは護憲運動があったからです。「われら」は押し付け続けている。今日も押し付けに参加している、そう考えると元気が出ますね。

闘って闘って憲法を自分のものにした沖縄

 「われら」という言葉の中身は2つあります。1つは先ほど申しましたように、「臣民」が「国民」になり、さらに「市民」になったという政治的アイデンティティ。もう1つは「われら」の人口がぐっと減ったということです。つまり、「臣民」の中には朝鮮、台湾、樺太南、琉球などの人々が入っていましたが、日本がポツダム宣言を飲んだ段階でその人たちは「臣民」ではなくなりました。このことは朝鮮や台湾の人々にとっては「解放」です。

 沖縄にとっては簡単に一言では言えません。「解放」と言う人もいたが、そうでない人もいました。その後、米軍政府になって「解放」でないとわかりました。日本国憲法の「われら」に沖縄は入っていませんでした。沖縄に行って意見を聞いたりもしませんでした。憲法草案はチラシの形で回されたと聞いたことがありますが、とにかく「われら」に沖縄は入っていませんでした。沖縄はだから、その後、闘って闘ってやっと自分のものにしたのです。つまり復帰運動によって。闘って憲法を自分のものにしたのは日本中で沖縄だけです。沖縄は大和民族が大好きというよりは憲法がほしかったのです。復帰の日、憲法全文が新聞に載りました。だから、もしこの憲法がなくなったら、沖縄は日本と付き合い続ける理由があるでしょうか? 経済とかありますが、どうでしょうか? 明治憲法から今の憲法に変わった時、「臣民」が変わり、日本はどこまで日本なのかということが抜本的に変わったのです。

 自民党の新憲法草案は自民党自身が「新憲法」だと言っています。つまり国、国民を作り直すものです。沖縄始め、他の地域も、あの憲法になるならどうしてあの国と付き合い続けるのかという疑問が出るでしょう。特に沖縄ですが、多くの地域から出てもおかしくないと思います。

自民党はどういう日本を作りたいか

 自民党の案を今の憲法と比較してよく読んでほしいと思います。自民党がどういう日本を作りたいかがよくわかります。私は憲法の専門家ではありませんが、かなり抜本的な変化が5つあります。

1.前文から「平和」が減り、「天皇」が入りました。天皇の国となっています。「われら」が消え、「日本国民」という言葉になりました。これは私の考えすぎかもしれませんが、国民を「われら」ではなく、「彼ら」と感じます。自分で確かめてみてください。

2.9条と自衛隊の矛盾が悪化します。1項では「戦争はしません」と言い、2項で「自衛軍を作ります」と言う。1と2は矛盾しています。今の9条で守られているところがひとつあります。それは「国の交戦権を認めない」というところです。「交戦権」というのは、兵隊は国の代表として戦場に行けば、人を殺していいという権利です。普通やれば逮捕されるところ、兵隊はやれば勲章をもらえます。憲法は政府に対して「交戦権はない」と命令しており、人を殺せば殺人犯になるので、自衛隊は私の知る限り1人も殺したことはありません。つまり憲法は生きているのです。新憲法は交戦権についてはっきり書いていません。自衛軍については法律によって定めるとなっています。憲法レベルから国会レベルに降ろしています。国会で交戦権の復活ができるようになっています。

3.人権条項についてです。明治憲法では人権は秩序、法律に反しない限りという条件付きで認められています。条件付きの権利は、権利ではなく、「恵み」でしかありません。政府の邪魔にならなければここまでやっていいということです。新憲法草案では「公益および公の秩序に反しない限り」となっています。「公益」とは「国益」であり、これは人権ではありません。人権はなくなります。

4.靖国神社の参拝はやっていいということです。このことについては新聞などに詳しいので、今日は省略します。

5.地方自治については議論になっていないが、かなり書き直されています。自民党が興味のないところは書き直していないので、政治的な興味のある部分なのでしょう。「住民に身近な行政」「適切な役割分担」「相互に協力」という新しい言葉が入っています。日本の政治のおもしろいところは、地方自治のうるさいことで、地方がよく国に口を出します。非核宣言とか軍艦を寄港させないとか、永田町で決めたいことを地方が決めています。最もうるさいのは沖縄で、自民党の知事も政府に対して怒ることがあります。

 95条に1つの地方公共団体のみに適用される特別法は、その地方公共団体の住民の過半数の同意を得なければ、国会は制定できないとありますが、これが削除されています。どの地域に特別法を作りたいんだろうと考えると、答えは沖縄です。ご存じだと思いますが、沖縄には今も外務省の代表である沖縄大使がいます。沖縄は歴史的に植民地なのです。

 これは自民党が正直に教えてくれる通り、「新憲法」なのであって、新しい日本を作りたいという意思表示です。目的は海外で戦争をやりたいというよりも、日本国民を作り直したいという国内向けのものだと思います。今の憲法の下で、日本人は堕落した、女は強すぎ、子どもはわがままになったと自民党は言っています。明治憲法時代の日本が懐かしくて、その方向に行きたいのでしょう。愛国心のある、いうことを聞く臣民に作り直したいのでしょう。教育基本法が「改正」されたことも偶然ではなく、その一環です。

護憲運動の限界は安保条約に触れないこと

 時間がなくなってきましたので、今日のもう一つのテーマである「限界」の話をしましょう。1年近く前、おもしろい若いイギリス人が北海道から沖縄まで自転車でやってきて、私に「話したい」と電話してきました。彼は「9ちゃん」という愛称で、途中途中で護憲の運動に加わり、折り紙の鶴を配ってきたそうです。彼が九州の護憲のシンポジウムで平良夏目牧師に会った時、平良牧師が「9条は沖縄に一度も来たことがない」と言ったそうで、彼は私に「どういう意味ですか」と聞いてきました。私は日本の領土の0.6%の沖縄に75%の米軍基地が集中していることへの怒りの比喩的な言い方だと答えました。私が安保条約のことを言ったら、「なにそれ?」と聞くのです。9条の運動をやりながら、彼は安保条約のことを知りませんでした。

 これには2つの問題があります。1つは彼の個人的な問題で、他人の国に行って憲法についてお説教するなら、もっと勉強しなさいということです。彼にそう言いました。わかったと思います。2つ目は、彼は45位の平和団体と会い、新聞記者のインタビューを受け、テレビにも出たそうですが、それらの誰一人として安保のことを口にしなかったそうです。30、40年前なら考えられないことです。平和運動をする際の最初の言葉が安保反対でした。デモがあれば安保粉砕でした。日本の政治を理解しようと思えば、必ず最初が安保だったのです。ベ平連の雑誌も「週刊アンポ」でした。現在、9条の運動はかなりさかんで、安倍政権がつぶれたのもそれだけじゃないが、それも影響があったと思います。勝っているかもしれません。9条の運動はさまざまあります。しかし、安保反対運動はどうでしょう? 存在はしていますが、あまりありません。9条を語る中で安保を口にしないことが多いと思います。

 半年程前、国連大学のシンポジウムに出た時、終わってから女性が近づいてきて、「9条を世界遺産にすることは可能でしょうか?」と質問されました。私は「安保が続いている限り無理じゃないか。アメリカの軍事力によって守ってもらっているから、世界遺産にするほどの平和状況ではない」と答えました。すると、女性たちは「え! 武器がないと危ないんじゃないですか?」と言ったのです。最初の発言から30秒も経っていません。

 これは極端な例ですが、日本人の過半数は9条支持でかつ安保支持でしょう。よしんば、安保を支持していなくても行動する人はいません。9条を守るほどの反対運動はありません。この女性たちはどうやったらこんな意識が持てるのでしょうか? 頭の中にこの部屋とこの部屋があって、その間にはドアがないのです。部屋と部屋の連絡を取れないのはなぜでしょうか? その答えの大きな部分は沖縄にあると思います。多くの人にとって米軍基地は遠い沖縄にあり、その問題を「沖縄問題」と名づけ、ここは平和憲法の日本だと思っているのです。そういう構造ができているのではないでしょうか? 

「あんなところには住めない」

 ある若い東京の女性が沖縄にやってきて、米軍基地のフェンスのすぐ外に住宅街があるところを通っている間に、興味深い発言をしました。「私はあんな所に住めない」というのです。この言葉で何を伝えたいのでしょう? 1つは繊細な敏感な平和主義者だと褒めてほしいのです。もう1つは「この人たちはどうしてここに住めるのかわからない」という軽蔑です。「私はできない、不思議だ」という、ここに沖縄差別があります。微妙なところに差別が出るのです。沖縄に米軍基地がある法的根拠は安保条約です。安保条約は沖縄が結んだわけではありません。60年安保も70年安保も復帰前でした。東京で結んだのです。基地はすぐそばにあるとうるさいし、怖いし、時々犯罪は起こるし、忘れることができないものです。遠いか近いかはもちろん大きいですが、外国の軍隊の基地があるという恥はどこにいても同じはずです。東京も同じです。「東京は平和憲法、沖縄は違う、あんなところには住めない」とはどういうことでしょう。

 沖縄には年間どのくらいの観光客が来ると思いますか? 500万人です。沖縄の人口の3.5倍以上です。この人たちは全部が全部遊びに来るわけではありません。かなり多くの人が平和ツアーで平和ガイドの話を聞きながら、戦跡や基地を見るのです。では反基地=反安保運動は毎年500万規模で増えているでしょうか? そうではありませんね。逆に減っています。どうしてでしょう? 沖縄に行って何を学んでくるのでしょう? 「あんなところには住めない」「基地は沖縄に置いてよかった」という人が多いのではないでしょうか? 相模原や横須賀にも基地があるのに、修学旅行も来ないでしょう。こんな近くにあるのに。わざわざ沖縄まで行って、沖縄にあるのを確認してくるのではないでしょうか?

9条と基地は表裏一体

 1948年にジョージ・ケナンが東京に来て、マッカーサーと会いました。ジョージ・ケナンは冷戦時代に「封じ込め政策」を考えた人です。彼は「国務省は9条に不満である。軍隊を作らないのは間違いだ、早く作れ」というメッセージを持ってきました。しかし、マッカーサーは断りました。「公約を破るし、180度の変換だから恥をかく。今作ろうとしても国民が反対するし、金もない。役に立つ位の軍隊はできない。強制すべきでない」と言いました。しかしマッカーサーは「でも大丈夫です」と言いました。「もちろん日本を軍事力によって守らなければならないが、沖縄があるから大丈夫。沖縄に基地をたくさん作れば、戦争は飛行機中心だから沖縄で大丈夫」と答えました。その時まで砂利の空港でしたが、半永久的に使える基地を作ろうということで、それが通ったのです。

 つまり9条と基地は同じ政策の裏表です。問題は日本国内にも同じ思想があることです。両方ほしいのです。その物の考え方はわかりますが、自分は戦争はいやだから別の人にやってもらおう、という考えはどうなのでしょう? ある意味で賢いかもしれないが、反戦平和運動とは呼べません。国連大学で会った女性は9条をほめてほしいと思いつつ、米軍に守ってもらいたいと思っています。それに対してブッシュなどは自分はやりたくなくて他の人にやらせているが、平和賞をもらいたいとは言っていません。

 世界の中でなんでもかんでもアメリカ支持は日本だけです。それでうまくいっていると思っているようですが、アメリカのことを理解していません。理解していないからずっと付き合っているとも言えると思います。アメリカは人類の歴史上最高の軍隊を持っています。アメリカを除く世界全体の軍隊よりも大きいのです。そのような軍事力を持ってして、なぜ戦争に勝てないのかを考えた方がいいでしょう。アメリカは第2次世界大戦以来、大きな戦争に勝ったことがありません。朝鮮戦争は引き分け、ベトナム戦争は負け、湾岸戦争にも勝ったとは言えず、イラク戦争には負け、アフガニスタンでも戦争は終わっていません。日本には「長いものには巻かれろ」という諺がありますが、アメリカは本当に長いのでしょうか? 戦争に負ける国と付き合わない方がいいのではないでしょうか。

 日本国憲法は1、2年かけて書こうと思えば、冷戦が始まり、今の憲法はできませんでした。戦争が終わった瞬間にできた未来への贈り物なのです。
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by lumokurago | 2007-11-07 11:36 | JANJAN記事
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