暗川  


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子どもたちと関わって・2 1977年頃のこと

1977年は今からちょうど30年前です。私が就職した年の4年生(学童クラブの最上級生)は今、40歳か・・・あの頃は楽しかったなあ。大変な子どもも少数いたけれど、彼らの抱えている問題は家庭的なものでわかりやすく、親と話し合うことによって改善を目指すことができました。

子どもたちはしっかりしていて、お弁当もおやつも自分たちだけで食べて片付け、職員は職員の部屋(なんと炬燵のある4畳半の畳の部屋)で、のんびりと別々に食べていました。子どもたちだけで食べることができるなんて、今となっては信じられません!!! 席に座ってお弁当やおやつを食べさせるのがいかに大変なことか!





塾やお稽古に行く子どもは今よりずっとずっと少なく、学校からの帰りもずっとずっと早く(「ゆとりの教育」になってから学校からの帰りがどんどん遅くなりました。つまり「ゆとり」とは「障害者自立支援法」など今の法律の名前と同じように反対の意味だったのです)、放課後は長く、いっぱい遊ぶ時間がありました。子どもの心は満たされていて、表情豊かな絵を描いたり、自分から作文を書いたりもしていました。(クラブだよりを作っていたので、そこに載せるからと頼むと書いてくれたのです)。

今の子どもは絵を描くとしても、非常に雑な絵かキャラクターの絵か塗り絵しかしません。作文なんてとんでもない!!!忙しすぎて心が落ち着かないので、授業以外で書くなんて無理なのです。それに自分は絵が下手だと1年生で思い込んでいます! 私が「絵が下手な人なんていないよ」と言ってもだめです。

4年生ともなれば、下級生をひきつれてリーダーとして子どもたちをまとめ、大人がいなくても、子どもたちだけで十分に遊ぶことができました。職員にも遊びに入ってほしい時は、自分からおやつの皿洗いなどを手伝ったりもしました。あの頃の4年生は今の大学生以上の力があったと思います。(ボランティアの大学生と比べて)。いつもおやつの時間に今日は何をして遊ぶかを決め、みんなでドッジボールやラケットベースをやっていました。(やりたくない子はやらなくてかまいません)。

子どもたちは職員にお世話してもらっているのだという意識があり、「先生、私たちのためにありがとう」とよく言ってくれました。クラブでは子どもの誕生日のお祝いはやっていませんでしたが(子どもが自主的にお祝いなどを作ってあげることはありました)、子どもたちが職員の誕生日を覚えていて毎年祝ってくれました。

今の子どもは職員と一緒に遊んでいると、同等だと思っており、職員が片付けないことを「先生は片づけなくていいなんてずるい」と言います。

あの頃の親は自分の子どもがけがをすると、「うちの子どもが不注意(わんぱく)なのです。先生にご心配をおかけしてすみませんでした」と言いました。医者に連れて行こうとしても「この位大丈夫です」と言っていました。

今の親の中には「後遺症が出たら訴える」という親もいます。ちょっと頭を打っただけで脳神経外科に連れて行ってCTです。

あの頃の親たちは、自分の子どもだけではなく、クラブの子どもたち全体を職員と協力しながらみんなで育てるという意識を持っていました。今の親は自分の家庭中心です。

子どもが一番変わったと私が思うのは、あの頃の子どもたちは「自主管理」に近い形で、自分たちで学童クラブを運営していたと言ってもいい位だったことです。問題が起きれば、子どもたちの中から「この頃ちょっと変だよ」という意見が出て、子どもたちだけで話し合いをして、解決することができました。

今の子どもたちは・・・できるわけがありません。全然違います。自分一人のことさえ面倒を見れません。

あの頃、高井戸学童クラブは高井戸小学校の中にあり、子どもは自由に校庭で遊べました。職員は約40人の子どもたちを3日間までは一人で見ていました(職員は2人だったが、一人が長期休暇を取った場合、4日目からは代替職員が来る)。それでも平気でした。(何かあった時のために、組合は人員要求していました。事故があったら困りますから。でも事故もありませんでした)。

今だったら考えられません。子どもが2人以上いれば職員は絶対に2人以上必要です。

30年前のこととはいえ、その30年前とはそんなに変わっていないでしょう。たぶん、その前の100年とも子どもの様子そのものはそんなに変わらなかったのではないでしょうか。それなのにこの30年で一体何がどう変わったのでしょう?
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by lumokurago | 2007-12-21 21:43 | 子ども・教育
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