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「ドンベク・アガシ(椿娘)」 痛みと差別 心に寄り添い

 教科書採択の時、取材してくれた韓国の朴貞淑監督の作品の紹介です。

 「ドンベク・アガシ(椿娘)」 痛みと差別 心に寄り添い

 韓国の元ハンセン病患者の女性の人生を追ったドキュメンタリー映画「ドンベク・アガシ(椿娘)」の試写会が2月16日、東京・新宿角筈区民ホールでありました。監督の朴貞淑(パク・ジョンスク)さんは、韓国女性鉄道労働者を取材したドキュメンタリー映画「ソグム(塩)」や、「新しい歴史教科書をつくる会」主導の扶桑社版歴史教科書の採択に反対する日韓市民を取材したドキュメンタリー映画「平和に向けた連帯」を作った方です。

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「ドンベク・アガシ(椿娘)」 

 パク監督は旅行で訪れた韓国のソロクトで偶然、元ハンセン病患者である李幸心(イ・ヘンシム)さんと出会いました。ソロクトは、植民地時代に日本がハンセン病患者を強制収容したソロクト更生園のあるところで、ヘンシムさんは現在もソロクトの定着村(ハンセン病患者らが集まって暮らしている集落)に暮らしています。「ドンベク・アガシ」は監督がソロクトに通い、ヘンシムさんの心の扉を開いて語ってもらった人生の記録です。彼女の人生は両親が日本によって強制収容されたことで大きく狂わされ、解放後(戦後)も韓国政府によって差別抑圧されて苦しみ続けてきました。しかしヘンシムさんは運命に決して負けずに、「ドンベク・アガシ(椿娘)」の歌を歌います。そんな彼女から私たちは大きな勇気をいただくのです。

 試写会の後、監督挨拶と質疑応答がありました。その中から紹介します。

 ──この映画を作ってよかったこと、大変だったことをお聞きします。

 監督:作品自体できがよいとは思っていません。難しかったことは、ヘンシムさんは長い間、差別・偏見で苦しめられているので、歩み寄るまでに時間がかかったことです。個人的に苦しかったのは妊娠していた時期。ソウルからソロクトまでは8時間かかるので、そこまで行って撮影するのは苦しかったです。

 去年、韓国国内で10回上映会を開きました。最初はハンセン病の後遺症の姿を見て目をそらしたり、近寄れない感じの人も、観終わった後は親しみを感じたという人が多く、考えが変わったとか、ボランティアに行きたいという人が出てきたので喜ばしいと思っています。

 ──ハンセン病をテーマに選んだ理由は? 監督の信念は何ですか?

 監督:私は今まで、労働運動や女性運動のドキュメンタリーを作ってきました。たまたまソロクトに行って、知り合いの案内で車で一周していたら、手の指のないおばあさんが洗濯しているところを見かけてショックを受けました。ハンセン病のことを知らなかったからです。歴史記念館に行ってソロクト更生園が日本の植民地時代にできたものであることや虐殺について知り、今までこのようなことをまったく知らなかった自分が恥ずかしくなりました。

 ソウルに戻って、ソロクトの歴史を残そうか、やろうかやるまいかと迷って、1年の間、ヘンシムさんが夢に出てきました。そして若いから無謀かもしれないけれど、作品を作ることを決心しソロクトに通いました。

 撮りながら考えていたのは、戦後独立後の韓国国民による差別、偏見、それに基づくリンチのことで、それを中心に撮りたいと思いました。戦後のことを撮りたいと思った根拠は、ヘンシムさんの息子さんと対話したいためです。息子さんはこの映画が上映されることを気に入ってはおらず、半分反対しています。私は息子さんと孫娘のためにも、必ず上映したいと思っていました。これからの韓国のことを考えてです。ハンセン病の病歴者がいることを隠そうとすると、その存在自体が消えてしまうと思います。親を否定することは大変悲しいことです。

 ──ヘンシムさんが監督に心を開いてくれたのは、監督が妊娠中だったからではないでしょうか? 映画の中で使われている絵が、失われた時間のつらさを教えてくれます。絵について聞きたいです。

 監督:最初に会った時、妊娠7か月でした。妊娠しながらソロクトまで来て話を聞こうとしたことは、昔ヘンシムさんが子どもを産んだ時のことを思い出し、役に立ったと思います。

 絵についてですが、ヘンシムさんは若い頃、丸顔でかわいい顔だったそうです。ところがある時期に顔が崩れてしまったので、若い頃の写真を見るのがいやで破いてしまったそうです。写真がないので再現しようがなく、絵を描く人に「こういう感じの顔」と頼んで描いてもらいました。釜山国際映画祭などではアニメーションだと思って観に来た人がたくさんいました。
 
 ヘンシムさんは体が痛く、長い間鎮痛剤を飲んでいたので胃をこわして、1月から入院していますが、治療によってよくなってきています。来日することを伝えたら支援の人に会いたい、感謝していると伝えてほしいとおっしゃっていました。映画を撮っている間に、苦しい時期がありましたが、まだ若いのに苦しいなどと言えないと思います。この映画を観る人もヘンシムさんから勇気をもらってほしいと思います。

by lumokurago | 2008-02-22 14:53 | JANJAN記事
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