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森達也氏語る(光市母子殺害死刑判決)

以下は沖縄タイムス記事です。森達也氏が光市母子殺害死刑判決について語っています。

****

死刑ありきに民意変化

僕は自宅でニュースを見ていた。判決は予想通り死刑。その後はワイドショー。「もっと早く死刑判決を出していれば、本村さんもこれほどにつらい思いはしなかっただろうに」。女性コメンテーターが言う。「本村さんの胸のうちを思うと言葉がないですね」。別のゲストのコメントに、司会者は深くうなずいている。

見ながらふと気がついた。ここには自分という一人称単数の主語がない。スタジオに並ぶ全員の主語に、いつのまにか「本村さん」が憑依している。死刑判決を受けた元少年の存在すらも消えている。

メールのやりとりではあるけれど、本村洋さんとは多少の付き合いがある。聡明で高潔な人だ。死刑制度を推進するかのような立場に自分が置かれていることに、内心では強く葛藤もしている。 

でもほとんどのメディアにおいては、そんな煩悶は、当然のように捨象されている。

昨年の死刑判決総数は46人(共同通信社調べ)。戦後最多数を記録した。

司法は民意に大きな影響を受ける。特に近年はその傾向が強い。転回点になったのは地下鉄サリン事件だ。他者への不安と恐怖を大きく刺激された日本社会は、危機管理意識を激しく高揚させた。帰結として善悪二分化が促進され、厳罰化が加速した。

高揚した危機管理意識は共同体における同調圧力を強化する。特に若い世代の間に、近年「KY(空気が読めない)」なる言葉が流行する背景には、このセキュリティーへの希求が働いている。

街行く人に治安状況について尋ねれば、たぶん10人中9人は「物騒な世の中になってきたねえ」とか「凶悪な事件が増えてきたなあ」などと答えるだろう。民意に背中を押されながら、刑事司法が大きく変わりつつある。

ならば考えねば。本当に治安は悪化しているのだろうか。

実のところ昨年の殺人事件の認知件数は、戦後最低を記録している。最も多かった1954年の三分の一だ。つまり治安は圧倒的に良くなっている。

でも警察はこれを大きくはアナウンスしない。危機をあおる方が視聴率や部数が伸びるメディアも同様だ。

こうして治安悪化の幻想は肥大して、この社会の内枠を少しずつ変えてゆく。

今回の裁判で弁護団が主張する母胎回帰ストーリーに対しては、確かに若干の違和感を僕は抱いている。でも検察が主張する計画的な犯行説に対しては、その違和感はもっと強い。

もしも計画的な犯行なら、自分の家族が暮らす家の近所を標的にするだろうか。就職したばかりの水道設備工事会社のネーム入り制服を着たそのままで犯行に及ぶだろうか。何よりもそれまで女性体験がまったくない少年が、いきなりレイプと殺害とを計画して、さらには遂行できるものなのだろうか。

いずれにせよこれで、死刑判決の基準は大きく転換した。判決の文脈を読めば、永山基準における「死刑はやむをえない」場合が、「死刑を回避する事情を見いだせない」場合に変化した。

つまり前提が、まずは「死刑ありき」に転換している。

その善しあしについては、今はもう触れない。悪いことをしたのだから死刑で当然だ。そう主張する人に対しても言葉はない。今はただ、自分の無力さに吐息をつくばかりだ。

*****ここまで引用。

私は光市母子殺人事件についてはほとんど何も知らないも同然であり、この事件に関するテレビも1回も見たことがありません。しかし森達也氏については氏の感性を信用しており、この記事を読んで、今回の死刑判決の意味を言い当てていると思いました。

私は昔、家裁のお世話になったり、少年院のお世話になったりした子どもの自立の援助をする「自立援助ホーム」で泊まりボランティアをやっていたことがあります。そこで子どもたちと話した経験から、少年法の厳罰化には反対です(少年法はすでに改悪されてしまいました)。彼らと日常的に接したこともない裁判官や大人たちによって今回の判決が出され、これからは18歳1か月でも「死刑ありき」が前提となることに、大人たちの無知と傲慢さを感じ、怒りを禁じえません。

話は変わりますが、学習指導要領の「改訂」に伴い、小学校の授業が週1時間増えました。これも子どもたちに対してまたもやひどい打撃を与えることになります。今でさえほとんどない自由時間がますます減ってしまうからです。

少年事件の裁判や学習指導要領策定に際して、どうして日々子どもたちと接して子どもたちのことが最もよくわかり、改善するためにはどうすればよいかを最もよく知っている現場の職員や教員の意見を聞かないのでしょうか? 裁判所や文科省が聞くはずないけど、国民が声を大にして「現場の意見を聞け」と言えば、少しは聞かざるを得ないのではないでしょうか? 

これは医療の現場においても、介護の現場においても、同じことです。現場を何も知らず、政府が経費削減のために勝手に決めることが国民にとっていいことであるはずがありません。

日本は今、すべての分野で音を立てて崩れ始めています。

by lumokurago | 2008-04-27 21:33 | 社会(society)
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