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ペシャワール会中村医師「丸腰だから現地の人に伝わるものがある」

JANJAN編集部にもう1本あってもいいので是非書いてと誘われて、中村哲さんの講演の記事を書きました。どうぞ。

ペシャワール会中村医師「丸腰だから現地の人に伝わるものがある」

 5月29日、東京・小平市の「ルネこだいら」で「九条の会・小平三周年のつどい」として、「ペシャワール会」中村哲氏の講演がありました。「1週間前まで土木作業現場におりました。医師がなぜ土木工事をやらなければならないのか、憲法9条とアフガンと土木工事の関係は? ということを24年間現地でやって、見てきたことを紹介します」と写真を見せながら、中村医師は語り始めました。(以下に「私」とあるのは、中村医師のことです。)
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 講演後、本にサインする中村医師

アフガンとはどんな国?

 ペシャワールはパキスタン北部にある町の名前です。アフガン東部とパキスタン北西部には同じ民族が住んでいて、事実上国境はありません。
 
 アフガンについてお話しします。面積は日本の1.7倍、人口は約3,000万人で、ヒマラヤから連続した標高6,000m~7,000mの世界の屋根ヒンズークシ山脈のある山の国です。

 アフガンの人たちがなぜ食って行けるかというと、その山の雪があるからです。氷河が溶け出し、豊かな緑を作り出すのです。保守的な農業国で、谷が深く、容易に行き来できず、30以上の言葉があり、谷ごとに違った民族・部族が住み、自治を守っています。

 政府はありますが、戦国時代の京都のようなもので、みんな「うちには影響ない」という感じなのです。ほぼ100%の人が最も保守的、古典的なイスラム教徒です。米軍が攻めてきたらどうするかも各地域で決めるという完全な自治を持っており、イスラム教は個人的な宗教ではなく、地域を束ね、社会を結ぶきずななのです。

 干ばつで貧富の差がますます激しくなり、病気になると(治療を受けに)簡単にロンドンや東京に飛んでいく人がいる一方、99.99%の人は数百円どころか数十円がなくて死んでいきます。だからいかに少ない金で多くの人を救えるかが求められています。

日本人は不撓不屈?!

 私は1984年5月、ハンセン病コントロール5カ年計画で入りましたが、ハンセン病だけ診ているのでは成り立ちませんでした。というのは、ハンセン病のあるところにはあらゆる感染症があるからです。ハンセン病は貧しい山の中に多く、パキスタンから無数にある間道を抜けてアフガンに入り、アフガン山村部の医療確立をめざしました。

 当時で1週間以上歩いていくような村が普通にあります。外国人が来たのは初めてで、村長が知っていた外国が唯一フランスだったので「フランス人か?」と聞かれたこともあります。日本人というとそれだけで、みんな協力的になりました。

 現地の人が日本について連想するのは、日露戦争とヒロシマ・ナガサキです。あの廃墟から技術立国で繁栄し、一度も海外に出兵したことがないという美しい誤解を抱いているのです。100年前、アジアは日本、アフガン、タイ以外はヨーロッパに支配されており、ロシアを撃退したことがアジアの人にとって励ましになっています。不撓不屈だという誤解です。今は、強いアメリカにペコペコし、化けの皮がはがれつつありますね。

世紀の大干ばつで数か月の間に砂漠化

 1979年12月から1989年までなんと10年間も、ソ連侵攻によるアフガン戦争がありました。死者は200万人以上で、アフガンの10人に1人の割合です。600万人が難民となり、300万人がペシャワールに来ました。あれから私は評論家を信じなくなりました。評論家は「ソ連はアフガンを手放さない」と言っていたのに、ソ連は完全撤退したからです。1992年4月に共産政権が倒れました。

 タリバン政権の初期にはアメリカがテコ入れしていました。1万数千名のタリバン兵で95%の国土が統一されました。そこに世紀の大干ばつがあり、わずか数カ月の間に1木1草生えない砂漠になってしまいました。

 WHOは2005年5月、ユーラシア中央部の大干ばつは人類が体験したことのないもので、アフガンでは1,200万人が被災し、100万人が餓死線上だとしました。犠牲者の大半は子どもです。栄養失調の上、汚い水を飲んで赤痢、下痢、脱水状態で亡くなっていきます。

 若い母親が何日もかけて子どもを連れてきますが、待っている間に死んでいくということが普通に見られたのです。清潔な飲料水と食べ物がありさえすれば病気にはかからずに済むので、医療より先に「生きること」そのもののために、井戸掘りと灌漑用水(カレーズ)作りに力を注ぐことになりました。

 2007年から干上がった井戸を再生する作業を始めました。2008年5月現在、井戸は1,500ヶ所となり、数10ヶ村、40数万人が村を離れずに済んでいます。飲み水があるだけだと父親は働きに出なければならないので、農地で農産物を作るため、灌漑用水に力を注ぐようになりました。これは診療所前ですが、砂漠だったところが7ヶ月後に緑になりました。小麦です。うわさを聞いて人々が帰ってきています。

9・11後の無差別報復爆撃で数万人が死亡

 2001年1月に国連による制裁がありました。理由は2000年10月に米軍の駆逐艦を自爆攻撃で大破させたアルカイダをアフガン政府がかばったからというのです。しかしタリバンといっても、その地域の価値観を代表する人たちにすぎず、餓死者が100万人以上出ているのに、その上経済制裁までされ、アフガンの人々は外国人不信となっています。ブッシュは世界には2つの立場しかないとして、報復爆撃を行いました。私がアフガンに必要なのはパンと水だと言ったら、中村はタリバンの味方だと脅迫されました。

 あの時、世界中が何かに取りつかれていたと思います。戦争の実態が忘れ去られ、ゲーム感覚になっていました。攻撃する側の映像のみが流され、攻撃される側の映像はありませんでした。米軍の1撃で何百人死んだということを、日本人は想像もしなかったでしょう。

 しかし、わずか数カ月で6億円の募金が集まりました。アフガン人20人の配給部隊に輸送してもらい、食糧1,800tをカブール市民15万人に届けました。20人を3つに分け、1つやられても残りを届けようとしました。アフガン人というのは同胞のためには命を顧みない勇敢な人々なのです。ピンポイント爆撃でテロリストだけをやっつけると言いますが、実際は無差別爆撃で数万人が死亡しました。

 数が問題なのではありません。ニューヨークで亡くなった2千数百名には世界中から悼みの声があがったにもかかわらず、アフガンの犠牲者数万人には悼みの声がない。あまりに想像力に欠けていると思います。

 「絶対の正義と自由の国」アメリカによってタリバンは打倒され、ブルカを脱ぎ棄てて喜ぶ女性の映像が繰り返し流されましたが、今は日本人の記憶の中から忘れ去られています。その後、どうなったか? ケシ畑が復活し、世界中の非合法の麻薬の93%をアフガンで作るようになりました。女性の売春の自由、乞食をする自由、餓死する自由が認められました。

丸腰だから現地の人に伝わるものがある

 我々は乾燥に強い作付けを工夫し、サツマイモを作っています。同じ面積で米の5倍のカロリーが摂れます。最近サツマイモが盗まれるようになったので、サツマイモは茎でも増えるといううわさを流したら、茎を折っていくようになりました。地球温暖化が続く限り、干ばつはなくならないでしょう。山々の雪線(万年雪の最下線)が上昇しています。雪がどっと溶けると洪水になります。

 農業用に無数のため池を作り、クナール川から用水路を引いています。コンクリートで固めると洪水が増え、水が汚くなるので、「蛇籠(じゃかご)」と言って、針金の籠に石を入れ、それを積み重ねて水路を作っています。蛇籠に柳を植えれば、根がびっしりと張って、針金が切れても根っこが支えるのです。これなら現地の人でも修繕できます。

 水の取入口は九州の山田堰をモデルにしました。江戸時代から明治時代の人々の知恵というものはすごいものです。今までに300tのワイヤーで2mの蛇籠を16,000個作り、灌漑用水路32kmを完成させました。砂漠化から17年目に水が来て、3,000haの土地が潤いました。

 ペシャワール会が灌漑用水を作っているすぐ脇で、トルコ軍が道路を作っていたら、何人も(トルコ兵)が誘拐されました。その後インドに変わったが、(インド兵の)誘拐は続いています。ペシャワール会は丸腰で現地のために本気でやっています。(被害を受けないのは)何か伝わるものがあるのです。銃剣に守られた復興支援はありえないのです。

 平和とは武器によって作り出すものではなく、水と緑によって人々の生活を保障することです。3度3度ご飯が食べられること、家族が一緒に暮らせること、それ以上を望む人はいません。日本に帰ってくると人々の表情が暗いですね。人間、物を持てば持つほど顔が暗くなるんですね。アフガンの子どもたちは生きることさえ大変だが、笑顔はすばらしい。日本の子どもはどうですか?

 私も初めのころ、思い上がった気持ちがなかったわけではありませんが、「情けは人のためならず」で、この仕事で助かってきたのは自分だと思います。人間にとって最後の最後まで必要なものはなんでしょうか? 日本のみなさんに考えていただきたいと思います。
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by lumokurago | 2008-06-05 17:21 | JANJAN記事
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