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現実離れする「平和学習」(沖縄タイムス記事)

記事の紹介です。

時代生き抜く「学び」に (沖縄タイムス2008.6.13)  
新垣誠(沖縄キリスト教学院大学准教授)

「さあ、感想を作文にまとめなさい」

今年もまたこれかと舌打ちし、渋々鉛筆を取り出しては、今テレビのなかに見た光景を思い出す。爆風のなか、腹の破れた死体が転がり落ち、恐怖に怯える少女が全身を振るわせながらこっちを見ている。この世の物とは思えない惨劇が、モノクロの画面を何度も覆い尽くす。

予定調和的

「慰霊の日」は、学校が休みになるという以外、幼少期の私にとって特別な意味を持たなかった。6月23日が近づくと、「平和学習」と称して、よく沖縄戦の実録フィルムを授業で見せられ、感想を書かされたものだ。小学生のころ、初めて観たその残酷な映像は、トラウマになるほど衝撃的で、しばらくは先生を初め、まわりの大人が怖く思えた。しかし毎年同じフィルムを観ているうちに、まるでアニメの再放送でも観ているような気持になった。そのうち米兵や老人など、登場人物の顔まで覚えてしまい、頭の中で次のシーンまで予想する余裕までできてしまった。




それにしても梅雨の時期、ただでさえ気持ちが塞ぎ込みがちなのに、沖縄戦の映像はさらに気分を重く暗くさせる。感想を書けと言われても、どんよりと淀んだ精神状態からは、「怖かった」、「戦争は残酷だと思った」、「二度と戦争をしてはいけないと思った」、「平和が一番だと思った」など、ありきたりで予定調和的な感想しかでてこない。それを毎年繰り返すうちに、「どうだ、戦争は恐ろしいだろ」、と脅されている気持になり、慰霊の日の平和学習は、精神的に苦痛なものとなっていった。

集団的記憶

さすがに高校生くらいになってくると、感受性の豊かさも手伝って、社会の矛盾が鼻につくようになってくる。学校の平和学習は、「戦争は悪」と説きながら、軍事基地との懇ろな関係を苦し紛れに「ベターな選択」と開き直る沖縄の大人たちの現実については、なぜか沈黙。理想論では飯は喰えぬという沖縄社会の日和見主義や、沖縄戦を美化する軍国主義に向き合おうともせずに、過去の戦争の悲惨さのみを語る授業の時間が、学生にとって茶番に見えても仕方がない。

「自らの歴史を知らない人間は、動物と変わりない」とマルコムXが言ったように、コミュニティーの集団的記憶を語り伝えることは重要である。また、自らの歴史を自らが語ることは、政治にかかわることでもある。チベット自治区ではその権利がはく奪されているし、歴史教科書問題を考えると、沖縄にとっても深刻な問題だ。しかし、多くの平和学習が、色あせカビ臭くなる原因は、その過去の大切な記憶が、今日、目の前で繰り広げられている現実と切り離されているからではないか。沖縄戦の記憶は、博物館のショーケースに陳列される古びた展示物ではないはずだ。

私たちはしばしば過去の出来事を想起する。人間の精神は、防衛機能としてつらい記憶を中和もしくは消していく。ただいたずらに辛い過去を思い出し、くり返し悲壮感に浸ろうとする人は、あまりいないはずだ。しかし、時として辛い過去を思い出さずにはいられない時がある。それは、その過去を思い出させる現実が、いま目の前に存在する時である。

軍靴の響き

沖縄線のモノクロフィルムが、鮮やかなカラーとなって甦るような今日を、私たちは生きている。教育三法や歴史教科書問題、平和憲法改悪や有事法制成立の動き、これら一覧の政治的「改革」から、私たちは軍靴の響きを聞きとらなければならない。国体強化のため、私たち国民の行く先には、再び戦場が準備されているかもしれない、また、朝鮮戦争から今日のイラク侵攻に至るまで、米軍基地を通し私たちは世界の戦争と寄り添うように生きてきた。あの沖縄戦の惨事が、今現在も世界では続いているのだ。沖縄戦を今の時代に再文脈化し、その教訓を今の生活に甦らせてはじめて、平和の学習は、時代をともに生き抜くための学びとなるはずだ。

残虐な沖縄の過去と、絶望的な世界の現実を知ったところで、その学びに意味はあるだろうか。人間不信と危機的未来観を若い世代に抱かせて、それで放置するのではあまりにも残酷である。やはり学びは変化を生まなければ意味がない。持続可能な生活を目指し、世界の貧困を考えて物を買い、軍事に加担しない日々の選択が、実際に平和を創り上げているのだという、喜ばしい実感につながるような行動の回路を持たなければならない。平和は不断の営みにおいてのみ保証されるのだ。

インドの思想家クリシュナムルティは、現在世界が暴力に満ちあふれているのは、教育者の失敗だ、と言い切った。一向に止まぬ暴力の現実が証言するように、世界には、そして沖縄にも、真の平和の学びはいまだ存在しないのかもしれない。そんな暗黒の時代においても、沖縄戦の体験は、時を越えて私たちに多くのことを語りかけ続けている。私たちはその悲惨な過去を変えることはできない。しかし、その教訓を活かして現在や未来を変えることはできるはずだ。そのための学びは、常に今にある。

*****ここまで引用。
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by lumokurago | 2008-07-17 23:19 | 沖縄
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