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日本の根本問題を発信 自国の無知に安住させず

沖縄タイムス記事の紹介です。大賛成です!! 沖縄と本土の差を「温度差」とよく言いますが、失礼な話です。沖縄の問題は本土が押し付けた結果で、本土に責任があるのに、自分に火の粉がかからないとその責任をすっかり忘れている。本土は早い話が「自分さえよければ」ということだ。早くそう認めたらいい。

日本の根本問題を発信 自国の無知に安住させず 
(沖縄メディアの役割―その位置と可能性― 2)

西谷修(東京外語大教授)

沖縄で何かあったときなどに東京で沖縄の二紙を見ると、まるで違う国の新聞のように感じることがある。全国紙がごく小さくしか扱わないことがいつも大きく取り上げられる。地方紙だからだというわけではない。エイサー祭りが「地域特産」だとしても、米軍基地関係の出来事はそうではない。それは日本の国レベルの問題だし、さらには世界情勢にもかかわる話題である。ところがこの大事なことを、本土の全国紙は一地方の出来事だというかのように軽視する傾向がある。




「パンとサーカス」

話は新聞だけではない。今でもよく覚えているのは、2004年8月、沖縄国際大に米軍ヘリが墜落したときのことだ。その日の夜、NHKニュースでは始まったばかりのアテネオリンピックがトップで報じられ、日米関係の実相を露呈させたこの事件はやっと4番目だった。これは重要度の判断によるというより、むしろ大きく扱いたくないという配慮の結果だろう。

つい最近の普天間飛行場代替施設に関する沖縄県議会の議決も、全国紙では2面の小さな使いだ。そのようなメディアの姿勢が、日米安保体制や日本の国際的立場についての国民の無知と無関心を育ててきた。そこには「密約」に示されるような政府の思惑も反省されているだろうが、メディアはメディアで、視聴者は米軍ヘリ墜落のニュースより、スポーツの「がんばれ、ニッポン」に関心があるとたかを括っているようだ。毎日のBS放送でも、世界のニュースよりアメリカ大リーグの野球のほうが優先的に放映されている。

ローマ帝国の統治術を表す「パンとサーカス」という言葉がある。民衆は飢えさせず、あとは気晴らしの娯楽を与えておけば、支配に文句はいわないということだ。グローバル化した世界で、オリンピックはこの「サーカス」の最たるものになっている。北京五輪も開催中だが、それを世界最大の見せ場として競って供給するのは全国メディアなのである。

横並びのメディア

とりわけ9.11同時多発テロ以後、ナショナルなメディアの世論先導的な傾向が目立っている。メディアの役割は、時の権力の意向とは独立して出来事を報道し、批判が可能なように多様な情報を提供することにあった。ところが「テロとの戦闘」の体制は、「万人の敵テロリスト」という類型を作り出し、その「敵」と戦うためにメディアも協力するのが当然だという空気を作り出した。

そのためにアメリカのメディアはブッシュ政権の戦争PR機関のようになったが、この傾向はチョー親米的な首相の下にあった日本にも伝染し、とくに北朝鮮絡みの「拉致」や「核」の報道を通じて、日本のメディアも横並びになっている。

沖縄のメディアがそんな全国メディアと違う姿勢をみせるのは当然である。もともと、沖縄は日本で唯一、本土とは違う歴史を語りうる地域である、そのうえ日本に統合されてからも、沖縄戦、米軍占領と、日本の他の地域とはまったく違う運命を歩んできた。そして現在のグローバル世界秩序のもとでも、アジア最大の米軍基地があり、沖縄は本土に代わって米軍の世界戦略のもとつねに世界の戦争につながれている。「平和ボケ」という便利な言葉があるが、沖縄にはボケさせてくれる平和などなかったのだ。

全国標準との軋み

だから沖縄のメディアには、この独自の位置と状況から情報を発信し続けるという独自の役割がある。沖縄のメディアが全国メディアや他の地方紙と同じようなものになってしまったら、日本が根本で抱える問題やその日常的な影響を恒常的に伝えるメディアはなくなってしまう。沖縄からの発信は、たんに沖縄の自己主張というにとどまらず、日本全体が自国についての無知に安住しないためにも必要なことなのだ。

最近では、沖縄メディアの自主性を「不快」とみなして批判する動きがあるという、ということは、沖縄メディアはその役割を果たしているということでもある。沖縄と「全国標準」との間にきしみが起こるたびに、本土は日本という国がどういう状況にあるのかを改めて考えることになる。そういう意味で沖縄のメディアの役割は重要なのだ。

小池百合子元防衛庁長官が、沖縄にはアルジャジーラのようなメディアしかない、といった意味のことを言ったというが、これは名誉なことである。アルジャジーラなしに、世界はアフガニスタンやイラクで何が起こっているのか、ほとんど実情を知りえなかった。アルジャジーラが世界の世論を目覚めさせたために、ブッシュ大統領は本気になってドーハのアルジャジーラ本部を爆撃しようとしたほどである(カブール支局とバグダッド支局はともに米軍の攻撃を受け、記者が犠牲になっている)。

沖縄のメディアに「本土並み」が要求されるとしたら、むしろ沖縄にも本土で受信できるテレビ局ができて、琉球芸能や島々の「癒やし」に満ちた日常だけでなく、「今日の米軍基地」とか「沖縄の経済」といった番組を流し、東京でも視聴されるようになったらいいと思う。

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by lumokurago | 2008-08-16 21:26 | 沖縄タイムス
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