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今日薄れているのは記憶よりも、私たちの理性と意志(高村薫)

昨日、戦後63年たって、戦争に対する日本人の意識は衰退に衰退を重ねていると書きました。

高村薫さんが東京新聞8.12付社会時評に以下のように書いておられます(最後の段落)。

*****

戦争も核兵器も、私たちはいまのところ直接に体験することができないし、人は体験しないものを身心に刻むことはできない。体験のない戦争について考えるのはどこまでも理性であり、理性を発動させる意志である。今日薄れているのは記憶よりも、私たちの理性と意志だと思う。

*****ここまで引用。

全文はMOREへ。



戦争を遠い記憶にしない  思考停止やめて理性発動する時

8月は、この国ではいまの太平洋戦争と原爆の犠牲者を悼む月である。そこに使者を迎えるお盆も重なって、ふだんは生活に追われるだけの人も、この季節は少しばかり内省的になる。しかし、この日本人の8月の心象風景も、今夏で63年目。さすがに戦争は遠くなったというのが、多くの実感ではあろう。

この夏はとくに、景気後退に入って生活は厳しさをましている上に、あまりに長すぎた自民党政治は誰の目にも終りに近づいていていて社会は完全に停滞している。そこにはなやかな北京五輪が重なれば、過去の歴史などはますます薄れるほかはない。〇八年を生きる私たちにとって、かの戦争と原爆はいよいよ、記憶し続けることを自らに強制しなければならないものになっているということである。

こうして戦争の記憶が自然に遠くなってゆくのは平和のあかしだし、ほんとうなら望ましいことである。しかし今日の世界は平和どころか、アメリカの退潮と新興国の台頭という世界秩序の激変を迎えており、そこに核拡散と、食糧・エネルギー資源の争奪が加わって、20世紀には想像できなかった不安定の時代が来ている。グローバルマネーの暴走を誰も止めることができない世界で、逆に国家と国境が再び目覚め、力にまかせたふるまいが広がっているのである。貿易でも安全保障でも、世界的な枠組み合意よりも自国の国益が堂々と優先され、資源の囲い込みはもちろん、武力介入も先制攻撃も実効支配も何でもありの世界が、いま、そこにある。

いまも昔も、平和は政治的につくりだされる力の平衡状態にすぎない。それがたまたま63年間続いてきたのは、日本の好運にすぎない。この間、日本を除くほとんどの国が常にどこかで武力を行使し、核兵器の新たな保有国が生まれ続けていることを考えると、私たちはたぶん、こんなふうに過去の記憶を薄れさせている場合ではなかったのだと言うほうが正しい。

私たちにとって過去の戦争が遠くなったのは、もはや思い出す必要がなかったのではなく、たんに考えるのをやめたということにすぎない。島国であることや、アメリカの核の傘の下にあることなどで、あれから一度も絶えたことがない世界各地の緊張を、私たちは自分の問題として一度も身近に捉えられなかったのだが、経済的な成功と安定の一方で、そんな思考停止を続けてきた自分たちへのあいまいな懐疑が、私たちをしてされに過去に背を向けさせてきたようにも思う。

けれども、こうして私たちが思考停止している間に、昨年から今年にかけて海の向こうでは驚くべき潮流が生まれつつある。核大国あめりかの元高官たちが核廃絶の声を上げ、それにイギリスやNATO(北大西洋条約機構)の元高官たちが賛同し、次期アメリカ大統領を目指すオバマ上院議員が、これに前向きな姿勢を見せているのである。これこそ世界の誰も想像しなかった出来事だろう。裏返せば、世界の安定がそれだけ危機にあるということで、日本人もこのまま原爆の経験を遠いものにしてよいわけがない。

戦争があったことも知らない若い世代には、平和は退屈なものであるらしい。彼らは未来の殲滅戦争と廃墟を描くアニメーションで非日常の夢を代弁させ、日常の厳しい社会生活には「希望は戦争」という虚無で相対し、それもできなければ、ネットの掲示板に「殺す」「破壊する」と書き連ねる。63年間も続く平和はm戦争がつくりだす本ものの破壊と死のかわりに、架空の暴力を用意して、人間の破壊願望を満たしているのである。そして私たち社会もそれを黙認する。

戦争も核兵器も、私たちはいまのところ直接に体験することができないし、人は体験しないものを身心に刻むことはできない。体験のない戦争について考えるのはどこまでも理性であり、理性を発動させる意志である。今日薄れているのは記憶よりも、私たちの理性と意志だと思う。

*****

東京新聞2008.8.12  「社会時評」高村薫

by lumokurago | 2008-09-09 22:27 | 平和
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