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2010年 11月 27日 ( 1 )


「癒し」という言葉は大嫌いです

 突然ですが、私は「癒し」という言葉が大嫌いです。「癒し」ときくたびになにがなんでも反発したくなってしまいます。それはなぜか? 印刷版暗川に載せたときから数えてこれで4回目の鵜飼正樹さんの文章(1997年のもの)をぜひお読みください。

無邪気な「癒し」ブーム (1997年7月の朝日新聞「店頭拝見」より)

 今、もっとも嫌な言葉は「癒(いや)し」である。まず、語感が悪い。とっても「いやしく」「いやらしい」感じがする。それに、字が悪い。ごちゃごちゃした画数の多さが、気色悪い。近ごろやたらと目や耳にする機会が多く、気分がめいる。「癒し」は私を癒さないのである。

 現代社会が病んでいるから癒しが必要だというより、あまりに多くの人が「癒されたがり」病にかかっているだけではないかと勘ぐりたくもなる。

 書店に並ぶ本のタイトルを見ても、徐錦泉『癒しの水』(現代書林)をはじめ、『癒しの××』の中に入るのが道、森、島々、パフォーマンス、メッセージなど。ほかに、月、愛、音楽なども私たちを癒してくれるらしい。そのうちにタクアンやゴキブリや原発だって癒してくれるようになるかもしれない。

 上田紀行『癒しの時代をひらく』(法蔵館)はこの癒しブームの火付け役の最新作。癒しの可能性を切りひらく注目の書らしい。

 中略・・・

 著者の癒し論が無意味だとまではいわない。だけどそれが意味をもつのは、ふとしたことで迷ったり挫折した偏差値高めの善男善女どまりで、たとえば飢餓に苦しむアフリカの人たちを前にしてはまったく無力だ。

 世界中に多くの癒されない人びとを作り出すことによってはじめて、私たちは今、この国で「癒し」をことあげできるのだという事実から目をそらしてはならない。私たちに求められているのは、癒されないままにこの時代を生き抜くことではないか。

(鵜飼 正樹・社会学者)

*****ここまで引用

・2006年11月14日の記事でこの引用文に付け足した文章

 私はこの人のこの感覚が好きだ。

 日本人は、「便利」「快適」などという言葉にだまされ、過剰な「物」に囲まれ、「自由」を失い、息苦しく、身動きもできず、「自殺」や「病気」が増え、「癒されたがる」生活を自分で選び取ったのだ。

 「便利」「快適」「過剰」な生活は、例えばアマゾンや東南アジアなどなどの木々を滅多切りにし、現地の人々の生活を破壊し、「自分さえよければ」を徹底させた結果である(これはほんの一例)。

 自業自得・・・

 子どもたちがほんとにほんとに生きるのがしんどい状況にあるのは、かわいそうでしかたないけど、それも大人たちの「自業自得」の結果です。

 同じ地球に戦争で苦しんでいる人や餓死している子どもたち(大人も)がいるのに、どうして自分だけ飽食している上に、不必要なより「便利」なものや「快適」なものを求めることができるの? 気が知れない。

 私はずっとずっと「日本人にバチが当たればいい」と思ってきたけど、その「バチ」が子どもの自殺や虐待であるなら、あまりにもかなしい。

 大人の責任なのに、影響は弱い子どもに先に出てしまうのだ。

 日本は完全におかしい。「愛国心」を持つためには変革が必要だ。

・2009年10月9日に引用文を再掲し、さらに付け足した文章

 上記(2行上まで)は2006年11月14日の記事の再掲です。のんきなノーベル平和賞に頭にきてついつい再掲しました。そのまた元記事は印刷版『暗川』№53(1997年7.25発行)です。

 13年前のこの記事を計3回も載せて、私はよほどこれが気に入っているようです。日本が今でも第三世界を侵略しているのだという自覚がなく、ぬくぬくと暮らしていることには本当に頭に来ているし、みんなに気づいてほしいと思っています。

*****

 第三世界を侵略していることについては「景気回復のためには第三世界を喰うしかない」という記事を2009年4月10日に書きました。以下再掲します。

 日本政府と企業は景気回復のためにODAに頼ろうとしているようです。どこまで自分勝手なのでしょうか!!

 悪名高きODA。ODAは「発展途上国」のためになるどころか、「発展途上国」の自然と暮らしを破壊し、人々から搾取し、日本国の企業に儲けさせ、日本人の飽食を増進、「過剰」な「もの」をますます過剰にしているのです。あるのは企業の儲けだけ。

 1月に高岩仁監督の「教えられなかった戦争」フィリピン編を見ました。日本企業はフィリピンの美しい浜を埋め、マグロ港とし、缶詰工場を作り、日本向けに輸送するための空港を作り、現地の人々の漁業を破壊、住居を破壊、つまり暮らせなくしました。彼らを暴力的に排除し、住まいを破壊するのは、日本政府とつるんでいる開発独裁政権のフィリピン軍やフィリピン警察です。

 バタンガス港には58億円をかけ、ODAで日本企業の工場群を作りました。10万世帯が強制排除され、農地を奪われ、暮らして行けなくなった人々は工場で働くしかなくなりました。日給はたった600円です。労働条件のひどさに組合を作れば、フィリピン政府が弾圧します。フィリピン軍や警察に殺されている活動家がたくさんいます。この映画を作っている間にも、協力してくれた現地の人が何人も殺されました。

 他にもバナナ園を作ったり、エビの養殖場を作ったり、熱帯雨林を根こそぎ切り倒したり、書ききれません。

 「発展途上国」などという名称も「先進国」が勝手につけたものです。食べ物がなくて餓死する状態はともかく、フィリピンの田舎のように、自給自足で幸せに暮らしている人々を無理やり「発展」させる必要があるのか? 否です。彼らが本当に「発展」を望んでいるのか? 大いに疑問です。ミンダナオ島のモロ民族の人々が望んでいるものはコンクリートではなく、カラバオ(水牛)と鋤だそうです。

 「先進国」が「発展途上国」を「発展」させようとしているのは、その国のためを思ってのことでは全くなく、自国の儲けのためだと断言できます。ODAなんてまやかしです。

 そして、今、不景気のため、また企業は魔手を伸ばし、第三世界を侵略しようとしています。

*****吠えついでにもうひとつ。長くなってすみません。

 教え子にもひきこもっている人たち(もう子どもとはいえない)がいます。そのうちの一人のお母さんに相談されたとき、「ご両親で思い切って家をでれば、残された彼は自分でどうにかすると思う」と言いました。母子家庭で立派に子どもを育て、来春の就職が決まったという人とひきこもりの話になったら、彼女は「ひきこもっていても食べられるんですね」と言いました。そうなんです。第三世界に「ひきこもり」はいないのではないでしょうか? 人間、食べられなくなればなんでもするんですね。「ひきこもり」は飽食の日本に顕著な人種ではないでしょうか? (一方的に「ひきこもり」を非難しているわけではありません。「ひきこもり」は自己責任のみならず、彼らを産み出してしまった日本社会の責任もあると思うからです)。
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by lumokurago | 2010-11-27 17:56 | 社会(society)