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2011年 08月 06日 ( 2 )


Dr.Aの子猫の死から考えたこと

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 うちにいたときのチビちゃんです。


こんばんは。
その後、猫ちゃんの様子はいかがですか。
当院、二階の3匹は元気です。一匹のメスは
相変わらず心を閉ざしていますが。
裏の駐車場の残りの一匹が昨日、医院前の
道路を横切ろうとして車に轢かれてしまいました。
いつでも捕まえられる情況ではあったのですが、
母猫のためにそのままにしておいたのです。
母猫は死んだ子猫のそばを離れようとせず、
区の係が運んでいった後も、子猫を呼び続けて
います。こんなことになるのなら捕まえておけば
よかったと思うわけですが。これも野良猫の宿命でrしょう。
仕方ありません。
ベランダの子猫の巣にその親猫が食事にくるのですが、
二階の子猫は母猫を見てもわからない様子です。母猫
にとっては、轢かれた子猫だけが子供なので、二階の子猫には
興味を示しません。
網野  8.1


 おはようございます。それはかわいそうでしたね。せつないです。が、運命でしょう。

 先日、ある友人と話していたら、突然「子どもが死ぬことは仕方がないのではないか」と言い出しました。そのときはため池で遊んでいた子どもがおぼれ死んだときでした。そういえば、子猫をもらった友人もよく「戦争中用賀に住んでいたが、子どもだけで多摩川に遊びに行き、よく子どもが死んだ」と言っていました。べつな友人は息子が種子島で子育てしているのですが、学校から「5時以降は子どもだけで外にでないように」と言われているそうです。でも自然のなかで子育てしたくて種子島に来たのだからと、なにがあっても学校の責任は問わないということで5時以降も子どもだけで海であそばせているそうです。ほかの子どもたちはみな家でゲームをしているのでしょう。せっかく種子島に住んでいるのに。

 30年ほどまえ、勤めていた学童クラブで障害児も差別なく受け入れようと、自閉症の子どもを付き添いなしで遠足に連れていこうとしたら、お母さんが話にみえて、「付き添いなしで遠足に連れて行ってもらうのははじめてです。死んでもいいです」とおっしゃいました。お母さんは万一事故が起こったときのことを心配されてそんなことをおっしゃったのでしょうが、子どもが障害児であるゆえの「子育ての覚悟」のようなものが感じられて、感動しました。子どもが健常だと、覚悟などもつこともなく、子どもにとって重荷になると思われるほど期待し、コントロールする親がほとんどです。むかしの親は子どもがけがをすると、「うちの子どもが悪いんです」と言いましたが、いまの親は職員の責任を問います。死ななければ、ちょっとしたケガぐらいしたほうがいいと思うのに。

 「子どもが死んでも仕方がない」というのは、子どもを管理せず、子どもの力を信じて子どもの自己決定権を尊重し、少しぐらい危ないことでもやらせるという、親のものすごい覚悟です。むかしの親がそこまで覚悟をもっていたのかどうかはわかりませんが(たぶんいまとは違った意味で忙しくてたんにほったらかしだったのかもしれません)、いまのようにがんじがらめに管理することはなかったので、子どもは生きる力を身につけることができました。いまの子どもは死ぬことは減ったかもしれないけれど、生きる力を身につけることができません。

 猫の交通事故からずいぶん話が離れてしまいましたが、本質的には同じだと思います。 猫も室内飼いにする時代ですが、過保護ですよね。長生きして猫の痴呆症になるまで室内で生きるのと、短くとも外にでて遊ぶのと、どちらがよいのかわかりません。

 チビちゃんは元気にしています。お医者さんに行ったら注射され、粉薬を飲んでいます。この猫は洋猫の血が混じっていて美猫になると言われました。

 野良猫は来ないのですが、妹がとても心配して外にエサをおいていて、なくなっているようです。


 書こうと思っていて忘れてしまいました。追伸です。

 先生にとってはあまり興味がないかもしれませんが、30年前は子どもがしっかりしていたので、付き添いなしで自閉症児を遠足に連れて行けましたが、いまとなってはとんでもありません。健常児と言われている子どもたちが自閉症児よりも手がかかり、いうことをきかないので、野外の遠足が少なくなっているほどです(遠足で科学博物館とか室内に行く。野外だとどこへ行ってしまうかわからない)。

 近藤先生が子どもがおかしくなったのはCTのせいだよと言っていましたが、ほかにも子どもの頭をおかしくする原因があるのでしょう。しつけのせいだけではなく。

 渡辺容子 8.2


こんにちは。
結局、母猫は子供の死んだのを分かったらしく、
当院二階のベランダに陣取っております。昨年、産んだ
成長した子猫と一緒にいます。どうも当院の飼い猫
になるつもりのようです。
二階書斎の子猫3匹は自由に遊ぶようになりました。
メスだけは私が怖いみたいですが。
おかしな子供の件ですが、私は自由奔放に親が育て、社会も
それを容認する全般的に抑制が効かなくなっている一つの社会現象かと考えています。
昔は、いろんな制約が家庭や社会にあり、自由を求めて子供たちは成長していったのではないでしょうか。
その反対に現代社会はなってきていると思います。
おそらく自由過剰状態でしょうから、この反対に振れるのが恐いですね。
自由の有り難さが分からず、自由から逃走するという。エーリヒ・フロムですね。
子供時代は不自由である必要がありそうですね。
ノラちゃんが戻ってこないと心配ですね。
網野 8.2


 こんばんは。妹が野良猫を心配しているので、チビちゃんは一時友人宅(1匹もらってくれた人)に預けてきました。これで野良が帰ってこなければ妹もあきらめがつくと思います。
 チビちゃんとお姉ちゃんは最初こそ警戒しあっていましたが、すぐに思いだしたらしく、プロセスに追いかけっこ、そして最後には一緒に寝ていました。かわいかったですよ。やっぱり猫は2匹以上飼わなくちゃね。先生のところには結局何匹いるのですか?

 子ども自由説について、明日反論します。(往復メールは終わりにしたのにどうしても言いたいので)。

 渡辺容子  8.3


 こんにちは。先生の現代の子ども自由説に反論します。私の専門(仕事)だったので言わずにおれず、ちょっと聞いてください。

 先生のおっしゃる、むかしは社会や家庭にいろんな制約があったということはその通りだと思います。しかし、現代が「自由」かというとそうではなく、子どもは不自由そのものだと思います。ただ、「わがまま」が許されるのですね。

 子どもが不自由だというのは、幼児からの早期教育にはじまり、塾の低年齢化(中学受験のためにむかしは5、6年生からだったのにいまでは小学校2年生くらいから塾通い)とおけいこごとの増大、学校の管理強化、土日も子どもだけの遊びではなく、大人に管理された少年野球やサッカークラブなどなど、ほとんどの時間を大人に管理され、子ども同士で自由に遊べる時間はないと言っても過言ではありません。塾やおけいこごとの合間にはゲームをしています。

 子どもが少ないので親は子どもに期待し、「いい学校」に入れようという傾向が強まっていると思います、学歴信仰はなくなるどころではないと思います。一方で、過保護、まるで「王様」のようにわがままいっぱいに育てます。これはある意味、自由過剰状態ともいえるのですが、本質的な自由ではありません。自分勝手なだけです。

 私は職場で子どもの自主性を大事にしたいと思い、大人がおぜん立てすることはせず、子どもが自分で遊びを作っていくことを援助するという立場に立っていました。この立場ですと、仕事はおもに子どもをよくみることとなります。よくみていて自分の感じたことを伝えていくのです。

 しかし若い職員は自分たちがすでに大人におぜん立てされた教育を受けてきたので、自分の仕事は子どもに遊びをおぜん立てしてやることだと思い込んでいます。私のようにみているだけ(たまに助言する)では給料泥棒のような感覚があると思います。つまり、若い職員はすでに「自由からの逃走」状態なのですね。たとえば、遠足に行くとすれば私なら郊外の公園を選び、プログラムは組まず、自由遊びにします。それに対して若い職員はなんと都心の建物の中を選び、半日外の公園で遊ぶにしてもプログラムを組み(課題を与え)、自由には遊ばせません。

 子どもが遊べなくなったと言われて久しいですが、だからと言って対症療法的に大人がおぜん立てして遊ばせるのでは、子どもに遊ぶ力はつきません。おぜん立てしたところで遊ぶだけなので、「指示待ち人間」などと呼ばれる状態になってしまうのです。

 だから話を戻すと、子どもだけで川や海に遊びに行き、たまにはだれかが命を落とすような状態が一番子どもを育てる力をもっていると思います。むかしは普通にそうなっていました。いま、その状態に戻ることはできないので、人間の生きる力は弱くなる一方だと思います。それは仕方がありません。しかしこのことを自覚しているのか、それとも小さなケガもさせまいと管理するのかではまったく違うと思います。

 すみません。子どものことでまた1冊、本が書けそうです。先生に差し上げた『負けるな子どもたち』を書いたとき、私が子どもの悪い点ばかり書くので、編集者に「希望がないと本にならない」と言われました。子どもに関してはいつも希望が必要です(皮肉)。でも、どう考えてもあの本を書いたころ(20数年前)より、ますます子どもは救いようがなくわがままで生きる力がなくなっています。しかし赤ちゃんが生まれた瞬間からどうかなっているはずがないので、やっぱり大人や社会の影響でこんなに悪くなっているのでしょう。私はもう仕事も辞めてしまったし、子どもから離れてしまったのでどうこう言う資格もないのですが、ほんとにほんとに大変な状態だと思います。いまほど子どもを育てるのが大変な時代もなかったと思います。この子ども大好きな私が、自分の子どもや孫がいなくてよかったと思うくらいのことなのです。大人や社会には危機感があまりにもなさすぎだと思います(いつも子どもとかかわっている教員などはよくわかっているのですが、マスコミが教員を叩くので教員も言えなくなっています)。

 あまり子どもと関係ない先生に読んでいただいてすみませんでした。
 
 渡辺容子  8.4


こんばんは。
お説ごもっともなので、反論はしません。
当院にはベランダに2匹、書斎に3匹の
猫がおります。それと、居間に1匹の犬
がいます。みな可愛いです。
網野  8.4

*****

 みなさまへ(言い訳)

 こんなことを書いていますが、私はほんとうに子どもが好きです。子どもは希望だと思いたいです。でもそうなるためには、大人が今の自分を、そして社会をなんとかしなければならないと思います。

 まずは原発の廃止ですね!
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by lumokurago | 2011-08-06 18:06 | Dr.Aとの往復メール

チャーちゃんの写真

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 妹と話しているのですが、まえにマロンが部屋の模様替えをしたら(母の介護ベッドを入れたため、お気に入りの椅子の場所が移動したり)、部屋に入るにも警戒するようになり、家出してしまったように、チャーちゃんも子猫が来たことよりも、いきなり部屋に大きなケージがあったことで自分の慣れ親しんだ部屋かどうかがわからなくなったのかもしれません。マロンのことを獣医さんに聞いたところ、そういう神経質な猫がたまにいるとおっしゃっていました。チャーちゃんは野良猫なのでよけいに警戒心が強いのかもしれません。

 とにかく子猫が来た日に、子猫orケージをみてさっとでていき、翌々日、妹が帰ってきたときに偶然外にいたので一緒に入って来てご飯を食べてすぐに出て行って以来10日間、顔を見せません。心配しているのですが、とにかく出口がないと不安な猫でした。人間と比べるのはなんだけど、亡くなった井の頭公園のホームレスのおじさんも元大学の先生であり、家があるにもかかわらず、なぜか公園での生活を好んで家には帰らなかったので、そういう人(猫)もいるのだなあと思います。

 いまは私が1日中部屋にいて、チャーちゃんが来て窓辺で「アオ」と鳴けばすぐに窓を開け、寒ければいったん閉め、でるときに開けてあげているので、やっていられるのですが、普通の人にはとても無理なことです。

 ギャラリーOPPOの元獣医さんも「野良猫は野良の生活を楽しんでいるのよ。飼い猫とはべつ。かわいがるなら飼い猫を飼ったほうがいい」とおっしゃっていました。

 なんだかんだ理由をつけて、チャーちゃんをあきらめようとしているのです。
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by lumokurago | 2011-08-06 17:55 | ねこと鳥 (cats&birds)