暗川  


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2011年 08月 09日 ( 2 )


お兄ちゃんです

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 チビちゃんの従兄のお兄ちゃんです。美猫ですね。今日、もらってきました。チビの実の兄は貰い手が決まったため、2週ほど早く生まれた父親は同じで違う母猫の子どもです。チビ(この名前になりそう)よりずっと大きいのですが、母猫から離す時期が遅れたため、人間に慣れるのが遅く、でも最近慣れて、従姉妹と一緒に遊ぶようになっていました。

 網野先生のところから連れてこようとしていたときに、かぼそい声で鳴きました。なんと捕まえたとき(1ヶ月と少し前)以来、はじめて鳴いたそうです。きっとお別れとお礼を言ったのでしょう。

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 チビも預けていた先から連れて帰りました。また部屋の探検からやり直しです。兄ちゃんは人見知りで、うちに着いてもかごからでず、しばらくしてやっとでたと思ったらすぐにカーテンの陰に隠れてしまいました。チビはフーっと脅していました。忘れかけていた家ですが、自分が先猫だという自覚が芽生えたのでしょうか。

 結局、チャー吉は夜のほんの15分しか来ないので、夜になったらチビ猫たちは隣りの部屋におくことにしたのです。1匹だとかわいそうなので2匹一緒ならいいかと思い、もう1匹もらってきたのです。

 さあ、うまくいきますかどうか・・・。

 追伸:網野先生のところは残り1匹となり、さびしくなったのですが、なんとまた2匹みつけたそうです(未保護)。これじゃあ猫の里親探しの家になっちゃうなあ。

【追記】チャーちゃん、来ました。いま、眠っています。午後10時です。
 
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by lumokurago | 2011-08-09 20:28 | ねこと鳥 (cats&birds)

『負けるな子どもたち』の感想 その2

渡辺さんの『負けるな子どもたち』を読んで  橋本幸雄 1990年5月

 今、日野で「荒れてる中学校」の一つと言われるA中に、今春赴任したベテラン女教師Bさんの呟きを、人づてに知りました。Bさんは、子どもたちにより添うことができ、自分をそのままに表現できる、私の知る限りでの稀な教員です。

 前任校で10年間、Bさんが働きかけ培った人間関係は、A中には未だありません。生徒、殊に3年生にとってはBさんは侵入者だったと思えます。Bさんの人間性と、生徒の「しょせん先生でしょ。しょせん大人でしょ」と不信感との間の壁は、美談で越えることができるとは思えません。A中職員(或いは人間)としてのBさんの苦しみも、教員に暴力的に対する生徒たちのこの数年間の苦しみも、どちらも想像を絶するものです。

 どうして? 何故? と理由を詮索しても、その苦しみが減少するわけでも、無論解決するわけでもない。彼らには途方もない時間をかけて、<対等な人間として>なんて思いあがりでなく、彼らをここまで追い詰めた責任を負うべき大人としてのこころを、彼らの前に置くしかないと思えます。

 体力教師の権威が、管理技術が、隔離・差別が、役者のようなパフォーマンスが、圧倒的な暴力が、一見功を奏することがあるかもしれません。母親の涙が彼らの心をほぐすかもしれません。でも大切なのは、彼らとともに育つことではないかと思います。「荒れてる君たちも悪いだろ」というところからは、何も生まれないです。

 渡辺さんの、学童保育の子どもたちとのとっくみあいを読みながら、今、ここにある問題から離れられません。「荒れてる彼ら」と肩を組んで歩きたい。

 私には、感性とかとっくみあう体験の貧しさが大きな理由だと思いますが、「解放されている子どもたち」とか「生き生きとしている子どもたち」が見えません。決して卑下して言っているのではないのです。ただひたすら貧しいのです、見えないのです。

 愛知の岡崎勝さんとか、神奈川の名取弘文さんなんかが「なあに、子どもなんて教室授業をドッジボールに変更すれば、すぐ輝くよ」と簡単に言い切るのとは、ちょっと違うんだけど、でもそれも輝きには違いないなあと思うのです。この手の輝きなら、もちろん別に珍しくはない。

 林竹二さんの授業で(写真集の中でのことだけど)表情が変化していくゴンタの生徒たちが「輝き」を得たことは確信できるし、感動します。

 そして私は、こんな輝きの場に立ち会う機会がなかっただけなのか、それとも立ちあっても気づけないような感性しか持ち合わせていないのか、不安なのです。

 さらに、その林さんを小浜逸郎さんなんかは「非日常性」とか「アニメを見れば輝くさ」などと批判する。子どもの輝きっていったい何なんだろう?

 渡辺さんの頼りは、目の前の子どもたちが自由になり、伸びやかに自分を表し、輝く可能性を持っていることを確信していることだと思うのです。そして渡辺さん自身がその可能性を持っていることを、いつのまにか確信できるようになったのだと思うのです。

 肩を組んで歩ける仲間のないままに15歳になってしまった彼ら。

*****

 20年前の大人たち、こんなに悩んでいたのですね。子どもたちはこの大人の悩みを知っていたのか? 子どもは子どもで大変で、自分たちにできるやり方で、大人に気づいてもらいたいと必死だったんですよね。

 仕事を辞めて7年目ですが、おそらくいまの子どもたちのほうが幼く、自分勝手度はすごいけど、ずっとおとなしいだろうと思います。(妹が小学校内の学童クラブに勤めており、授業が成り立っていない様子がよくわかると言っている)学級崩壊は校内暴力とはまたちょっと性質が違うと思います。

 子どもが大人(先生を含む)と「ため口」を聞くようになって久しいですが、子どもが大人に求めていることはほんとは何なのか? 娘が統合失調症になり、悩みに悩んだ友人が、「結局は娘をよく見ることでどのように対応したらよいのかがわかるようになった」と言います。答は子どもが教えてくれるのです。
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by lumokurago | 2011-08-09 16:53 | 子ども・教育