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2011年 09月 21日 ( 3 )


ちがう人間ですよ 長谷川龍生

 印刷版暗川では毎号、巻頭に詩を載せていました。本文をワープロで打つようになってからも、これだけは手書きで書いていました。下は第4号(1985.3.29-私の31歳の誕生日)の巻頭詩です。



 ちがう人間ですよ    長谷川龍生


 ぼくがあなたと
 親しく話をしているとき
 ぼく自身は あなた自身と
 まったく ちがう人間ですよと
 始めから終りまで
 主張しているのです
 あなたがぼくを理解したとき
 あなたがぼくを確認し
 あなたと ぼくが相互に
 大きく重なりながら離れようとしているのです
 言語というものは
 まったく ちがう人間ですよと
 始めから終りまで
 主張しあっているのです
 同じ言語を話しても
 ちがう人間だということを
 忘れたばっかりに恐怖がおこるのです
 ぼくは 隣人とは
 決して 目的はちがうのです
 同じ居住地に籍を置いていても
 人間がちがうのですよと
 言語は主張しているのです
 どうして 共同墓地の平和を求めるのですか
 言語は おうむがえしの 思想ではなく
 言語の背後にあるちがいを認めることです
 ぼくはあなたと
 ときどき話をしていますが
 べつな 人間で在ることを主張しているのです
 それが判れば
 殺意は おこらないのです
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by lumokurago | 2011-09-21 17:33 | 昔のミニコミ誌より

おたよりから 

 おたよりから K.K   暗川第5号(1985.7.1)より

 (前略)

 さて、暗川というタイトルですが、「よくぞつけたり!」という感じでした。渡辺さんもお書きになられた通り、以前「暗河」という雑誌があり(注:石牟礼道子さんらが作っていた水俣関連の雑誌)、私も何冊か読ませてもらっていました。ある懐かしさとともに、「暗川」というものに対する渡辺さんのある強い思いを感じました。「暗川」という文字ですが、もっと目立ってもよいのではないですか? いまの時代、目立つことも大切だと思います。この辺は渡辺さんと意見が違うかもしれませんが。

 ノンタイトルの1号ですが、原発を見学しての記述、おもしろく読ませていただきました。「私は悲しい」と書いておられますが、その一言に今の世の中、あるいは人のありように対する渡辺さんの思いを知るようです。ただ私は、誇ってよい悲しみもあるのではないかと思っています。もっと居直って生きてもよいのではないですか。

 第2号の『学童クラブにおける「障害児」問題を考える・・・(注:未掲のため省略・中略) 近くにいる太いきずなで結ばれている人々の関係も大切だと思うのですが、私のような、いってみれば部外者との細い、いまにもきれそうなきずな、それを保っていくことも大切だと思っています。そこのところを少し考えていただけたらなと思っています。

 第3号の「モノローグ’84」もおもしろく読ませていただきました。なるほどと思いながら、自分にも××的なところがあるなと思いました。その××的なところを失ってしまう必要はないのではないかとも思っています。私は現実主義者ですし、現場主義者です。私は自分を特異化するのが不得手なのです。その場にあって、せこさにまみれながら、そのせこさを受けとめ、そのせこさを多くの人々が受けとめていることから物事を考えた糸思っています。あえてせこさにまみれること、そのなかから何かをつかむこと、私の考えていることはこういうことです。

 第4号、長谷川龍生の詩は心にひびくものがあります。渡辺さんは、「ちがう人間だからこそ話をするのだ」「ちがうからこそ出会いを求め、対話を求め、共闘を求める」というように書いておられます。私もそれに異議はありません。ただ、私のこの詩から受ける印象は少し違っています。人間なんてお互いに永遠にわかりあえないかもしれない。わかりあえないことによってしかわからない私とあなた。その悲しみ。そうすることによってわかる私とあなた。共闘とかそういったものではなく、わからない、違うこと、そのことしかわからない悲しみ、そしてそれは誇ってよい悲しみなのだということ。私の受ける印象です。

 (中略)

 最後に「□□(権力者)が一番こわいものって何かわかりましたか」の問いに、私なりの答をしたおきたいと思います。私が考え、行動することです。私の勤務地は新宿ですが、高層ビルを見上げながら、あるいは見下ろされながら、資本主義日本のせこさにまみれながら生きています。その、せこさにまみれている、××的なところも捨てきれない私のような人間が考え、行動すること。ふつうでしかない、権力者にとってもっとも御しやすい私のような人間が考え、行動すること。

 (後略)  1985年5月4日  K.K


 Kさんへの返信

 Kさん、おたよりありがたく拝見させていただきました。最近、友人と<「民衆」の立場と「運動者」の立場>ということについて話すことがあったのですが、もし、そんなふうに類型化することが許されるとして、Kさんは「民衆」の達がに堂々と経っておられ、私はそのKさんの姿に底知れぬ物凄さを感じるのです。私ももちろん「民衆」のひとりですが、日常的にいろいろなところで「みんな」との違いを強く感じてしまうので、Kさんのように堂々と「民衆」の立場に立てず、変に頭で考えて<「民衆」の立場と「運動者」の立場>がどうのとか、本当なそんなふうに分けること自体おかしいのかもしれないのに、考えてしまうのです。

 Kさんも、「みんな」との違いを強く感じていらっしゃるでしょうに(私とそっくり同じではもちろんなくても)、どうしてこういう違いが出るのかなあと思います。「風のたより」(Kさんのだしていた通信)9号でにしがやさんが“「問いつづけて」を問う”(「問いつづけて」は林竹二著径書房刊)という文章を載せていて、私はこの文章に大筋において共感できるのですが、林竹二氏が授業に対して、「非本質的なものがすてられて、本質的なものだけがのこる」と言っていることに、にしがやさんは「本質ってなんでしょう?」と言っています。ここで出てくる「非本質的なもの」をKさんのことば「せこさ」とか「手垢にまみれたもの」と結びつけて考えるのは的外れなことでしょうか? 

 「せこさ」とか「手垢にまみれたもの」が、具体的にどんなことを言っているのかについては、Kさんは触れていないので、私は想像するしかないのですが、人間が理想を求めつつも現実との葛藤のなかで捨てきれずにいる「しがらみ」のようなものでしょうか? 人間は誰でも形は違っても「しがらみ」をかかえて生きていると思います。例えば、簡単な例では、私は学童クラブに勤めていますが、私は本質的に学童クラブという存在は放課後の子どもを管理するものであり、必要悪だと思っています(本当はこのことについて詳述する必要がありますが、いまは省きます)。それにもかかわらず、学童クラブ職員という仕事で飯を食っている私は、「資本主義日本のせこさにまみれ」ています。

 「せこさ」にまみれていない人間は、本当はひとりもいないと思います。だからその「せこさ」とどうつき合っていくのかが大事だし、「せこさ」にまみれながら、一人ひとりが考え、行動することが大事に違いありません。世の中には、林竹二氏の言う「本質的なもの」より「非本質的なもの」の方が圧倒的に多いから、それらWを「本質的でない」として無視したり、切り捨てたりしてしまうのでなく、逆に上手に扱うことによって自分のものとして止揚していく方向で考えたいと思います。

 「□□(権力者)が一番こわいものって何かわかりましたか」の質問にKさんが答えてこださった内容は、「これしかない」という感じで、とてもうれしかったです。

 次に、第4号の長谷川龍生の詩に触れて、Kさんは「わからないこと、違うことしかわからない悲しみは、誇ってよい悲しみ」だとおっしゃっていますが、私は「悲しみ」が「誇ってよい悲しみ」になるためには、長い手続きが必要だと思っています。Kさんはもちろん「長い手続き」を前提としてこうおっしゃっていると思いますが、私にとって「長い手続き」を踏むことはたいへんなことなので、なかなか「悲しみ」が「誇ってよい悲しみ」にならず、それで私は「居直って」生きられないし、一つ一つの「悲しみ」にこだわり続けています。逆に言えば、「こだわり続けることが「悲しみ」を「誇ってよい悲しみ」にするための「長い手続き」の過程なのかもしれません。

 (後略)

 
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by lumokurago | 2011-09-21 17:24 | 昔のミニコミ誌より

命より大事なものはあるのか!~国内最大規模の6万人脱原発集会


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by lumokurago | 2011-09-21 13:48 | 原発