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2011年 09月 23日 ( 2 )


Y氏の便りより その2

Y氏より渡辺へ 1987.12.2

 (前略)
 そうですね。私も、日本以外のアジアやアフリカの子どもたちの姿を見るとき、あなたが書かれていたのとまったく同じ感じをもちます。いままでのところ私は、ごく限られた範囲でしか、そうした子どもたちに触れる直接体験をもってこなかったし、それ以外は映像や文章という二次的な手段を通じてしか、知っていないのですが――。そしてまた、私がそう感じたような契機は、必ず日本の子どもたちのなかにも存在しているはずだとは思うのですが――。

 私の机の周囲に貼ってある何枚かの図版類のなかに、2点、子どもの写真があります。チベットの大平原で、寒風のなかを寄り添い、彼方を見つめているまだ10歳前後と思われる姉妹の写真と、ネパールの子どもの写真です。

 チベットの姉妹の写真は、しばらくまえある週刊誌から見つけて切り抜いたものですが、その完結篇の方をながく中断中の私の作品――『吹雪の星の子どもたち』『翡翠の天の子どもたち』ニ部作の世界を現実の風土に移したら、たぶんこんな感じではないかと考えていた、そのイメージにごく近い思いがします。小さな切り抜き写真からさえまぎれもなく伝わってくる、その息を呑むばかりの美しさ・気高さ・・・。人間とは、こんなにも美しい存在だったのかと、改めて茫然とするような素晴らしさに、この子どもたち当人にはもちろん永久に出会うことはないはずなのに、眺めるたび、私は希望と励ましを受けるような思いがします。ただ、このしゃしんについていたキャプションのように「この世のものとも思われない」とか「まさに天使だった」(!)とかいう言い方に関しては、私は慎重にそれを排除したい気持ちがありますが――。

 これは、現代の日本に生きていてアジアの問題や戦争の問題を考えようとするときにも、私が放棄したくない、あるポイントです。さらには、技術や産業の問題一般にもかかわってくるかもしれません。

 先ごろの第1信では、もっぱらK書簡の問題にだけ話題が集中してしまった感がありますので、ここでもう少しまとまった形で、いただいた《暗川》についての感想を書かせていただきます。

第1号――私が目にしたなかでも、原子力発電所、というより科学技術の問題について書かれた批判のなかで、最も美しいもの、深く静かな痛みを伝えてくれるもののひとつです。原子力発電の危険性の問題よりも、ここではそれらが人間によって、人間相互の力関係や立場の違いといった視点から追求されていますが、こうした考察が、とても巨きな問題への入り口になっていることは明らかです。そうです。あなたが感じ取ったように、この世には人を人とも思わない人たちがいるし、人間にはそれができて、しかもそのことに対するほんとうの罰は、たぶんないのでしょう。そのなかで、その人たちが、あなたによって「悲しい」と感じられたことが、実はやがて、遠い回路を経て、それらの過ちに対する最も深い罰を与えられたのだと気づくまでは、少なくとも――。

第2号――略

第3号――(前略) 『モノローグ’84』は、あなたが「書く」ことがほんとうに好きなのだということがよく分かる作品のひとつでした。こうした主題で、こうした方法で書こうとするとき、誰しも“定型”から完全に脱却することは難しい要素があると思うのですが、現実の細部を丹念に拾ってゆくことと、あなたの思いを表白したいという意志とを結ぶ想像力は、じゅうぶんに見てとることができます。

第4号――この長谷川龍生の詩については、あなたの感想にも、それからあとで出てくるKの解釈にも、それぞれ共感する部分がありますが、私が人から求められて自分の意見を述べるとしたら、そのいずれともちょっと違ったものになるような気がします。説明しようとするとくどくなるのですが、もう少し醒めた、したたかな態度が、作者にはあるような気がします。人が人と出会い話さなければならないこと、それは別に自分と相手が違った存在であるからこそするものだとかではなくて、もっと全然べつの必然に迫られてどうしてもしなくてはならないものです。そして、別の意味でしなければならないそれらに絶えず介入しようとしてくる、ある幻想に対してきっぱり拒絶しようとする厳しさを、たとえば「悲しみ」という個個の側に還元される感情の問題としてではなく、ある種の自明の現実として互いに支えあっていこうという呼びかけを感じるのですが――。

 『学童クラブにおける「障害児」問題を考える』(その2)(注:すみませんが未掲です)は、前回にも増して実践者としてのあなたの営みのさまざまな重みがはっきりと伝わってくる文章だと感じました。この現在の社会状況のなかで、個人の存在はますます矮小化され、ひとりひとりができることは徹底して削られ滅ぼされつつあるのですが、あなたがあなたの現場でしておられることは、私が拝察するかぎり、現実の可能性ぎりぎりのところまで近づいた、大変なことだと思います。はるかに離れて、しかもまったく位相の違うかに見える私の営みが、どこか遠い延長上の一点で交叉する瞬間がくれば・・・と思います。

第5号――(前略) 『Yちゃんの笑顔から』――私も犬が大好きです。犬の好きな子どもも好きです。ここでの養護学校義務化の問題は、私も自分の知っている範囲で考えてもき、また周囲の人びとと話し合ったりもしてきたことで、あなたの姿勢には全面的に賛意を表します。それと“障害”や“障害者”の問題は資本主義の問題であるというのは、とても重要なことです。ただし社会主義に対しても、それが現在のように資本主義に対する補完勢力としての、しかも甚だしい《国家》意識をともなったイデオロギーであるかぎり、なんの希望もありません。この問題をほんとうの生命の次元で考えられるのは、もっとまったく別の社会像のなかでしかありえないと思います。ところで、ある人に対し、複数の好きなものについて、そのどっちがより好きかを訊くのは、実は私はあまり好きではないのですが・・・。

 (後略)  山口泉  1987.12.2
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by lumokurago | 2011-09-23 18:56 | 昔のミニコミ誌より

蟲展のお知らせ

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「蟲展」9月12日(月)~23日(祝)
am11:00~pm7:00・日曜休廊最終日pm5:00まで
荒井康子・大豆生田綾子・川上きのぶ・武山忠道・長井一馬・馬場恒司・皆川禎子・吉田正樹・米田文
ギャラリー晩紅舎・Tel.03-3357-7480
新宿区四谷1-4 綿半ビル1F (JR・地下鉄四谷駅四谷口より徒歩1分)
作者在廊日は9月12日(月)・16日(金)・17日(土)・19日(祝)・20日(火)・21日(水)・最終日は午後4時以降。
なお、献花・お供物の儀は固くご辞退申し上げます。

 作家ブログ  工房うむきの「今日も駄作じゃ~!!」

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 友人は陶芸作品を出品しています。「蟲」をテーマにした作品展、おもしろそうです。いらっしゃれる方はご連絡いただければご一緒できるかもしれません。
 lumokurago@yahoo.co.jp
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by lumokurago | 2011-09-23 11:35 | 未分類