「ほっ」と。キャンペーン

暗川  


写真日記
by lumokurago
検索
リンク
ご感想をお寄せ下さいmailto:lumokurago@yahoo.co.jp

嫌がらせコメントは削除させていただきます。

必ずしもリンクするHPの意見、すべてに同調するわけではありません。ご自分で情報を選んでください。

原子力資料情報室

小出裕章非公式まとめ

沖縄タイムス

暗川メインページ
私の下手な絵などを載せています。

杉並裁判の会
私たちの裁判の会です

ポケットに教育基本法の会

「つくる会」教科書裁判支援ネットワーク

もぐのにじいろえにっき
もぐちゃんのページ

プロテア
リリコおばさんの杉並区政ウォッチング

鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
松田まゆみさんのページ

熊野古道の路沿い
鈴さんのページ

風に吹かれてちゅちゃわんじゃ
小笠原父島で農業をやっているサエちゃんのブログ

三宅勝久さんのブログ
杉並区在住のジャーナリスト

カテゴリ
以前の記事
ライフログ
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

2011年 10月 07日 ( 2 )


本日ニイニイ脱走

c0006568_20151972.jpg

c0006568_20155710.jpg

c0006568_20161577.jpg
 チビちゃんの勇気はすごいです。台所の高い戸棚の上に登り、さらにその上の棚の上、天井とのすきまに登りました。(写真添付)。兄ちゃんはあっけにとられて見ていましたが、まねして登りました。でも天井とのすきまには行かれず、チビが登っているところを見ています。(これも写真あり)。兄ちゃん、がんばれ。 9.29

c0006568_2017333.jpg
 チビちゃんは最近かなり落ち着いてきました。いままでは起きているときは動き回るのに忙しく甘えたりしなかったのに、ひざに乗って甘えてくるようになりました。寝るときは2匹が布団の上に乗って重しになっているので、身動きするのが大変です。チャー吉とは仲がよいとまではいきませんが、共生しています。 10.3

c0006568_20181974.jpg
 ところで、ゆうべ、大変なことがありました。兄ちゃんは9時頃から私と一緒に寝ていたのですが、チビがおらず、最初は心配していなかったのですが、やがて兄ちゃんが心配そうに声をだしたり、うろうろと探したりしはじめました。私は「どこかにいるだろう」と思っていたのですが、12時頃、窓辺で「ガタガタ」という音。野良猫が来たのかと思い、見に行ったら、チビが中に入ろうと窓をガタガタさせていたのです。驚いて窓を開けたらすぐに入ってきました。今朝、妹に話したら、11時頃、2階のベランダにでて遊んでいたので、ベランダから屋根→ひさしにでて、下まで落ちた(飛び降りた)のだろうとのことでした。前の猫も落ちた(飛び降りた)ことがあります。猫でもケガすることがあるようですが、ケガがなくてなによりでした。兄ちゃんは「よかったね」というようににおいをかいでいました。
 朝6時にチャー吉が来て、みんな起きました。チャー吉用のミルクを兄ちゃんが飲もうとしたら、チャー吉は譲っていました。子猫はこの家の猫で、自分は外猫なのだという自覚があるのかなあ? チビはチャー吉のしっぽにもじゃれついています。チャー吉が穏やかな猫でよかったです。と言っても百戦錬磨の跡があるとてもでかいオス猫なので、喧嘩は強いでしょうね。(去勢手術の件は検討中です)。 10.5

c0006568_201852100.jpg
 こんばんは。もういちいち猫のことを報告されるのも面倒かもしれませんが・・・。ごめんなさい。今日はチャー吉が3時半頃来て、ご飯を食べて、眠っていました。4時からヘルパーで、私はお風呂に入りました。そのとき、チャー吉が「ヒーヒー」と鳴いている声が聞こえたので、でたいのだろうと思いましたが、お風呂からあがってからと思っていました。あがってみると、チャー吉はもういません。どこかから出たなと思っていたら、兄ちゃんも庭にでていました! この間留守にしたときと同じく、窓がきちんと閉まっていなかったので、すきまから手を入れて開けたのでした。チャー吉につづいて兄ちゃんもでたのでしょう。チビは眠っていたので、何も知らず。
 庭にでてつかまえようとしたのですが、私が素早く動けないので逃げられてしまい、捕まえるのは無理だとあきらめました。
 絶対戻ってくるとは思ったのですが、心配で、心配で・・・。明日からの旅行も取り止めようかと思うほどでした。結局、真っ暗になって、何も見えなくなり・・・7時を過ぎてから窓のところに戻ってきました。チビを別室に閉じ込めて窓を開けましたが、兄ちゃんはすぐには入ってこず、一度逃げました! 知らんふりしていたら、やっと入ってきました。まったくなんて心配させられたのでしょう。
 前の猫が母を在宅で引き取るときに部屋の模様替えをしたら、自分の家と認識できなくなって帰ってこられなくなった(獣医さんの分析)ので、建て替えの片づけのためしょっちゅう家具が入れ替わっているいま、心配で外に出せません。
 ま、妹は私ほど心配性ではないので、まかせて旅行に行ってきます。 10.7

*****

 記事が予約投稿できるようになったので、留守の間の分をそうしてみました。では、行ってきます。
[PR]

by lumokurago | 2011-10-07 20:21 | ねこと鳥 (cats&birds)

おびただしい便りの拡がり

 これまでに掲載した手紙を何人かの人に送ったところ、ある人(Kさんとします)からいただいた手紙の最後に次のような文章がありました。

――「そこに帰れば自分を必要とする人がいて、安心できる場所というもの。私にとってはそれは自分しかない・・・自分をつよくしなければならないと思う」という所、私自身にとっての生きている限りの課題でもあります。好きな人(恋人、友人、家族・・・)がいて、大いに励まされ、生きる喜びを感じていても、でも、やはり私は私なのです。


渡辺よりKさんへ  1986.1.7

 (前略―OさんにKさんの手紙を見せたら喜んでいたという内容)

 ただ、お手紙の最後にあった「私は私」というところは違っていると言っていました。「私は私」と言ってしまうと、“私”は“私”のなかで完結すると認識していることになるが、それはまだ“自分”というものを知らないのではないか、人間は自己完結できないものであり、そこに“共同性”の問題があるというのです。

 私も「私は私」とだけ言い切ってしまうことには違和感があります。Mさん宛て手紙に書いたのですが、私はこの間、自分が話すことが苦手ということにすごいコンプレックスを持っていて、Yさんなどに憧れを持っています。彼女はとても生き生きと話すので。私は書くことに対してはかなり自信を持っているけれど、それだけでは対処できない場面が多いので、「話せなくても書けばいいんだ」とも思えず、自己嫌悪に陥っていました。

 12.28にMさん、Oさん、私で忘年会をやった時、そのことについてOさんが「象徴的なことだが、Yさんは『渡辺さんはすごい』と言っている」という話をしました。『共犯幻想』というマンガに「自分の体温を知るためにも他者の左手が必要」というテーマがあります。その通りだと思います。

 Mさんは“役割分担”という話をして、「“自分”がたくさんいる」と言いました。私は“役割分担”と言ってしまっていいのかはちょっとわからないけれど、「“自分”がたくさんいる」という感覚には同感です。“共同性”とは「“自分”がたくさんいる」ことの自覚なのでしょう。

 山口泉さんの『吹雪の星の子どもたち』(径書房)に「吹雪の星」に生まれた子どもたちには“星外脳”という欠損した部分があり、それを求めて宇宙に旅立つというテーマがあります。Aさんという人がこの本への感想に「みんな私の“星外脳”なんだな」と書いています。私もそう思います。他者とは自分の欠損した部分を埋めてくれるものに違いありません。

 だから「私は私」と言い切ってしまうことには「違う」と思うのです。私の“星外脳”はOさんであり、Mさんであり、Kさんであり・・・etc.の人たちなのです。

 “星外脳”とは、人と人との“出会い”のことでしょうか?


渡辺よりMさんへ  1986.1.17

 (前略)

 “選択”ということは、単に二つの、あるいはいくつかの道のうちから1本を選ぶということではなく・・・1本の道を選んだ私は、選ばなかったもう1本の道、あるいはその他のすべての道をひっかかえて、背負いこんで生きているのだという気がします。うまく表現できないのだけれど・・・。
 
 どっちの道を行った方が“幸せ”なのかわからない、ということはある。それに“幸せ”が“不幸”になったり、また、その反対だったりすることはよくあることだから、ほんとに何がいいかなんてわからない。(中略)

 私は元夫が地元(名古屋)に就職して実家に帰ったとき、ついていかなかった。その理由は名古屋に仕事がみつからなかったから。それは「“愛”か、仕事か?」という二者択一問題では、私にとってはなかった。私は物心ついて以来「一生仕事をしていく」ことは当たり前だと思っていたから、まったく迷わずに東京に残った。それでよかったと心から思っているけれど、「あの時、ついていったらどうなっていたか」とは思うことがある。

 今頃は小学校にあがる位の子がいたかもしれない。それはそれで“幸せ”だったかもしれない。でも、今、私のまわりにいてくれる人たちとは出会わなかっただろう。別の人たちと出会ったかもしれないけれど、今の“私”とはかなり違った人間になっていたと思う。あの時、名古屋に行かなかったことが(これがすべてではないが、きっかけとして)私をこれほど世間から見れば変わった考えの持ち主にしてしまったとは、おそろしいものだなあ。

 もっと昔の話で、今思いだしたんだけど、高校時代の先輩が私に言ってくれたことがある。私はお茶大(お茶の水女子大学)の、今は亡くなった周郷博という先生が好きで、お茶大の児童学科を受験した。けど、試験当日熱がでて落ちた。受かったのが早稲田の一文(第一文学部)だったので、そこに入学したんだけど、早稲田の一文を受験した理由というのが、私はなぜか数学ができた(他の科目よりましだった)ので、私立の文系で数学が選択できる唯一の学部だったからなわけ。それで先輩に自分には他にやりたいこと(児童学)があるのに不純な動機で入学してしまったというようなことを話した。そしたら、その先輩は「たとえ希望の大学に入ったって、しっかりとやりたいことを持っている人なんていない。やりたいことがあるんならどこでもできる」と助言してくれたのです。この場合は自分で選んだというわけではないけれど、同じことだと思う(実際には私の大学時代は内ゲバに翻弄されてしまったが)。

 “選択”ということは、その言葉一つで括れないものを含んでいると思います。一方の道を選んだ私は、選ばなかったもう一方の道を引き連れていると思います。選ばなかった道のすべてを、カッコよく言えば“止揚”した形で、今、この道を歩いていると思います。(後略)
[PR]

by lumokurago | 2011-10-07 17:12 | 昔のミニコミ誌より