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2011年 10月 09日 ( 1 )


おびただしい便りの拡がり その2

渡辺からNさんへ  1986.6.25

 (前略)

 はじめに、「手紙」について

 去年の1月頃から半年位の間、私はOさんやMさん宛てにたくさんの手紙を書いていました。もともと私が≪あうら≫(読書会の名まえ)に関わるようになったきっかけは、私が一昨年の9月に出した『暗川』という個人通信に、Oさんが便りをくれ、私がそれに答えてOさん宛てに書いた手紙をOさんが≪あうら≫のメンバーに拡げたことにあります。

 Oさんは<O⇔渡辺>の便りのやりとりを≪あうら≫の中でも考えたいと言い、私も賛成し、それから私のOさんや他の人宛の手紙は≪あうら≫のメンバープラス私が読んでもらいたい人に送っています。去年のある時期にはみんながそうやって誰か宛ての手紙をコピーして送り合っていたから、たくさんの、いろんな人宛ての手紙が飛び交っていたことがあります。私たちはその現象を「おびただしい便りの拡がり」と呼んでいました。

 「手紙」は確かに、ある特定の相手を想定して、その人に語りかけるという形式をとっています。でも、そこに書かれた内容はその相手以外の人とも<共有>できるのではないかと、私は思っています。その理由を書いてみます。

 私にとって「手紙」というものは次の二つの意味を持っています。

 ① ある特定の相手(一人ではないこともある)を想定して、その相手に思いを届かせたいと願って書いていると同時に、また、そのことが同じ重さで自分に対して自分を語るという要素を合わせ持ったもの。

 ② 私はいつも<出会い>を求め、そして<出会い>を深めたいと思って生きているので、生きていく中での作業である「手紙を書くこと」もいつもそのなかにあり、特定の相手に向けて書いている手紙であっても、未知なる人にも思いを拡げる可能性を秘めたものとして考えていること。


 ①について
 自分にたいして自分を語るということでいえば、「日記」という形式があります。でも「日記」は「ひとり遊び」で、そのなかで自己完結してしまいます。「手紙」という形式が「日記」よりもいいと私が思っているのは、「手紙」は相手との関係性の中で動いていく可能性を持っているからです。交流できるからです。人間は、なぜこうも他者との交流を求めるのでしょうか? 他者に自分を知ってほしいと思い、そして他者を知りたいと思うのでしょうか? その答えは簡単ではありませんが、そういう気持ちはとても大切なものだと思います。交流を求めるから私たちは手紙を書きます。

 「手紙」という形式は心情を吐露しやすい形式です。かと言って「日記」と違い、相手に伝えたいと思って書いていますから、ひとりよがりになる面を極力排して、わかりやすく説明しなければなりません。手紙は特定の筆者によって信頼できる相手に向けて書かれたものだから、他の形式と比較して、筆者の素直な気持ちがそのまま表現される可能性が大です。その上、読まれることを前提に書かれているから、一定程度の客観性もあり、その2つのことで「文学」に近いと思います(おおげさですが)。

 「文学であること」の第一条件は「普遍性」を有していることだと私は思っています。作家は「普遍性」を持たせようとして、現実をろ過して虚構の世界を作り上げますが、手紙はそれと全く逆にその人の現実をなまのまま表わすものであることが、逆説的ですが、「普遍性」を逆の形で表わしていると思うのです。

 私は人間の悩みや苦しみ(逆に喜びも)などは、一人ひとりが重く背負っているけれど、けっこう「ありふれたもの」だと思っています。一人が感じるようなことはたいてい、他の誰もが感じる(或いは想像できる)ことだと思っています。人間は一人ひとり違っているけれど、案外、どこかで似ているところがあって、悩みや苦しみの質の中身を手に取るように感じることは無理にしても、その重さはその人の今までの経験から想像できて、共感することができると思っています。

 上記の二つのこと、「手紙は文学に近い」「人間は共感し合うことができる」ことから、私は手紙は誰にでも見せていいものだと思っています(おのずから制約はありますが)。

 乱暴ですか? 一般的には「信書の秘密」と言って私信は他人に見せてはいけないことになっているのに、まったく逆のことを言っていますね。

 ②について

 私は<関係性>というのはオープンなのに越したことはないし、どんどん拡げていければとってもすてきだと思っています。OさんがNさんの手紙をMさんと私に見せたのも、上記の私と同じように考えたからだと思います。Oさんが拡げたことで、Nさんが私に手紙をくれたり、私がこの手紙を書いているということはいいことだと思いませんか? 私はすてきなことだと思います。

 私はどんどんすてきな人と出会います。そのことをある人に話したら、その人は「それは渡辺さんがそれだけの表現をしているからだ」と言いました。私はすてきな人と出会いたいから、そして出会いを深めたいから、個人通信をだしたり、手紙をたくさんの人に見せたりしています(その前にどうしても書かずにいられないことがたくさんあるのですが)。

 「手紙」のことで、もう一つ言いたいのは、この間、私がNさん宛てに書いた手紙は、形としてもOさんの文章を引用したのでそう言えると思いますが、Oさん(ひいてはMさん)との共同作業であったということです。以前Oさんは、私のFさん宛ての手紙に、彼が“P.S.”をつけることによって「手紙」を共同作業化しようとしたことがあります。一人の便りが困難にぶつかっているとしたら、それは「ひとり」で書いているせいなのではないか、その便りに他の誰かが“P.S.”をつけたらどうなのかとOさんは言っていました。

 この手紙も多分にOさん(ひいてはMさん)との共同作業的な面を持っています。というのは、彼らと接することによって深められた部分が私のなかにたくさんあり、この手紙で使っている言葉も、彼らの使っている言葉の影響を受けているからです。

 この手紙の内容について彼らと話し合ったわけでもないのに「共同作業的な面がある」なんてずいぶん安易な言い方かもしれません。こういうのを「幻想」と言うのかもしれません。が、彼らは別に反対しないと思います。むしろ喜ぶと思います。人間はまったく違うのに、こういう<出会い>というのは<出会い>によって、私が相手の中に、相手が私の中に溶け込んでしまう、という気がします。ずいぶん心情的すぎますね。

 Nさんは3人に対して別々の手紙を書くかもしれないけれど、それに対する返信は3人の共同作業としてあるかもしれません。(後略)


おまけ 渡辺よりNさんへ 1986.8.1

 (前略―「結婚」「恋愛」についていろいろ書いたあとで)

 私は離婚していることと、私が好きになる男性はみんなすでに結婚しているので、出会った男性と「別れないようにしよう」ということを最大の目標にしています。だからまわりの状況や自分の気持ちをみて、うまくコントロールしています。一人の人に「会えなくてせつない」という気持ちにならないようにしていて、誰かに会えば会うたびに元気になるようにしています。そういう友人というか恋人というかが何人かいます。私は自分の感じたこと、うれしかったことや怒ったことなどを、すぐに人に話してしまいます。その人が、私が話すことを共に喜んでくれたり、怒ってくれたり、または意見を言ってくれたりすることがわかっているからです。

 私は傲慢なのか自信過剰なのかわかりませんが、私が好きになるような人は、向こうも私を好きになるとわかっています。なーんて断定するのは間違いかもしれないけれど、少なくとも、私が自分をだした時、なんやかや文句を言う人はいたとしても、わかってくれる人は絶対にいると思っています。だからその他の圧倒的多数がなんと言おうと全く気になりません。(中略)

 私は自分が「内向的」なのか「外向的」なのかわかりません。まあ、こんな分類自体不自然なんだけど。性格としてはもともと「内向的」なのに、いつも思いきったことや目立つことばかりやって、私をよく知らない人にはこわがられている。「外向的」ではなく「行動的」なのだと思います。(中略)

 これからもたぶん男女を問わず「好きな人」に出会い続けていくと思います。だから好きな人がどんどん増えていくと思います。病院に(注:この時入院中だった)ビッグ・コミックがあって、読んでいたら『はぐれ雲』に「神様は人を好きになるようにって、心をくださったんだね」という言葉がありました。(後略)


*****

 この後は以前掲載した次の記事へとつながります。

 恋文1

 恋文2

 左手請求権
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by lumokurago | 2011-10-09 17:14 | 昔のミニコミ誌より