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2011年 11月 01日 ( 1 )


昔の手紙より

 古い手紙を読み返していてでてきました。私が子どもに対応する基本姿勢です。

*****

 私の職場ではみんな(=大人)が“仲良しごっこ”をやってます。表面的に波風を立てず、スムーズに人間関係を流していくために、自分の本当に思うことを見ようとせず、そのために人間らしさが失われています。私はそんな人たちと自分との間に“ガラス”があることを感じています。みんなと仲良くやるために人間として本当に大切なことを見失うことだけはしたくない。でも、大多数の人たちはつまらない表面的な“うまくやる”関係だけに目を奪われ、大切なことをないがしろにし、ますます自分を、人間を卑屈にし、自由とは全く逆の方向に流されていきます。なんということでしょうね。

 そう“卑屈”なのです。なんで本当のことを言わないの? 私たちはもっともっと求めていい。自由になりたい。自分の好きなことを思いっきりやりたいって。こんな世の中おかしいって。なんで本当のことを言えないの? 弱すぎるよ、あんたなんて! (この「あんた」はうちの職場の人とか大多数のそういう大人のこと)。

 ちょっと長くなるけど学童クラブであったことを書きます。

 今、4年生の男の子にHという子がいます。3年まで学童クラブに入っていました。4年になってクラブをやめましたが、毎日のように児童館に来ていました。児童館というのは子どもが自由に遊びに来るところで、私の学童クラブはその一室にあります。

 Hはあばれんぼうで乱暴な子で、母子家庭、お母さんは仕事で帰りが遅く、6年生のお姉ちゃんが夕食を作ったりしています。

 4月の中頃、Hたちはふざけて追いかけっこをしていて、中から窓のカギを閉められ、Hは外から窓ガラスを蹴って割りました。そのとき、私はHに「お母さんはHのために一生けんめいがんばっているんだから、あなたももうお母さんに心配かけないように自分のことは自分でやらなくちゃいけない」という話をし、その前から手の爪をすごくのばしていたことについて「危ないから自分で爪を切ってきなさい」と言いました。この爪については、職員がみんなで「切りなさい」と言っていたのですが、切らなかったのです。

 私は「子どもが爪をのばすのには心が不安定だったり、何かモヤモヤがあったり理由があり、それは大人が切れなどと言えば反発して切らなくなるだけだ」と言っていたのですが、他の職員は「理由なんかない。不潔なんだ。普通は大人に言われれば切るもんだ」と言って、子どもの気持ちをわかろうとしませんでした。

 私はガラスのことでHに話をした時も、はたしてこんな言い方で切ってくるかどうか全くわからなかったのですが、次の日、来た彼に「手は?」と聞いたら、きれいに爪を切った手をみせてにっこり笑ったので、「えらい!」と言って頭をこづいてやりました。

 それなのに他の職員たちは、ガラスの件とその子がいつも児童館のきまりを守らないことについて、母親と話す必要があると言い、しかし私は爪を切ってきた子どもの気持ちを大切にしたかったので反対しました。でも私の意見は通らず・・・私は子ども自身から母に話すために猶予期間がほしいと言い、子どもに事情を説明し、「あさって私がお母さんに電話するから、それまでにガラスのことを自分から言うように。正直に言った方がおこられないんだから」と言いました。その時、子どもは「わかった」と言ったのですが、結局は言わず。そして子どもに「お母さんに言うことになった」と知らせると、子どもの言ったことは「どうせ(自分から言っても言わなくても)おこられる」。

 私がお母さんに話したことは「爪を切ってきたことをほめてほしい」ということと、「もっと子どもと接してほしい」ということ。他の職員は「児童館のきまりを守るようにお母さんからも話してほしいと言ってくれた?」と聞いてましたが・・・へーンだ! “きまり”“きまり”ってうるせえな!

 Hは乱暴な子で私の言うことなんかちっともきかず、叱ろうとすると逃げたり、かみつたり、あばれたりするのですが、前にHを叱ろうとして逃げられた時、近くにいた女の子(Hのカノジョ)に「どうしてこうなんだろう?」と言ったら、その子は「Hはナベセン(私のこと)が好きなんだよ」と言いました。それで私はうれしかったのですが、いつもそんな乱暴ばかりするので、もっとすなおになってほしいと願っていました。そこに爪を切ってきたということがあって“関係が作れた”と思い、うれしかったのです。

 ところがその後Hは他の職員に「ババア」と言い、ひどく叱られました。この時彼はものすごくあばれ、職員は「どんなにあばれたって大人の方が絶対強いんだから」と言い、彼を押さえつけました。彼はおとなしくなってじーっとすわりつづけ、結局「失礼なことを言ってごめんなさい」と謝りました。その後、一度も児童館に来ません。

 職員は「たとえ80歳のおばあさんにだって“ババア”なんて言うのは失礼なことだ」という言い方をしていましたが、80歳のおばあさんにそう言うのと私たちに言うのとは質が違うと私は思います。私は子どもが“ババア”と言うのを叱りません。“ジジイ”と言い返したりしています。というのは、子どもがそういう憎まれ口をきくのは、親愛の情の表現という一面もあることがわかるからです。

 今、子どものことばは“冗談”“ゲーム”として使われることが多くて、そのなかには人を傷つける場合もあり、叱らなければならないこともあります。でも、私はある時点から、なにしろ子どもを受け入れることを第一に考えてきたので、“ババア”程度のことは許しています。そこまで叱ってしまうと、そういうことばは今の子どもたちのなかにあまりに多く氾濫しているのできりがないのです。

 子どもが「ナベセン、ナベセン、それはババア」とふしをつけて歌ったり、中学生(クラブと関係ない児童館に来る子)が、友だちに「このばあちゃん、生意気なんだぜ」と紹介したりすると、私はうれしくなってしまいます。児童館に来る子も、来れば「ワタナベ!」と呼んで、私だけにあいさつしたり、中学生になってまでなぐるまねをしてちょっかいをかけてくるのは、やはり私がどこか自分たちを受け入れてくれると思っているからなのでしょう。そういうことは子どもは敏感に感じ取ります。

 私は「どんなにあばれたって大人の方が絶対強いんだから」ということばを憎みます。大人は絶大なる権力を子どもに対して持っています。でも人間として子どもと対等であろうとする私は、いつもその大人の権力だけは行使すまいとしています。大人の方が強いなんて当たり前のことだ。だからこそ私たち大人はそのことを忘れずに、いつも弱い子どもの声を聞きとらなければならないのではないか。

 子どもにだって言い分はあります。“ババア”ということばを使った、その理由がある。子どもは幼いゆえにそのことをことばで説明できないならば、大人は子どもの気持ちを想像してやらなければならないと思う。大人なのだから。

 でもそうしようとする大人はほとんどいません。

 大人がいつも正しいわけではない。子どもが正しいこともある。こんな社会を容認している大人が正しいはずないもんね。

 私は大人の権力を行使してではなく、関係を作ることによって子どもと話し合いたいし、私の言うことを聞いてほしいと思っています。でも、子どもは私に「おまえの言うことなんかきかない。他の先生の言うことなら聞く」と言います。大人の権力に従わせられることに慣らされてきたからでしょう。私のような大人には初めて出会ったからでしょう。でも私はあきらめません。現に他の職員が誰も切らせることができなかった爪を、彼は自分で切ってきました。

 私は子どもに“なめられている”ことを誇りに思います。誰も私の言うことをきいてくれません。一緒にあばれる仲間だと思っているのです。仲間だと思ってくれることが私はうれしいです。ここから始めたいと思います。

 1989.7.8
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by lumokurago | 2011-11-01 19:00 | 昔のミニコミ誌より