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2012年 01月 17日 ( 1 )


『邪宗門』 高橋和巳

 以下の感想は1週間以上かかって、少しずつ書き進めたものです。長いですが、お読みいただければうれしいです。

*****

 分厚い文庫本、上下2冊、読むのが大変でした。あまりにも暗く重く、悲惨な物語だからです。2000年に乳がんの初回治療をして仕事を休んでいたとき、本をほとんど処分してしまったのですが、そのときに残した本のなかに入っていました。いま、また本を処分するにあたって、1回は読みなおそうと思ったのも、内容の記憶は薄れていたものの、強い印象が残っていたからです。奥付は初版「昭和」46年、手元にある本は「昭和」51年7刷です。私は22歳でした。なぜ感動したのかは忘却の彼方ですが、今回読み返して、若かったあの頃、こんな悲惨な物語を読んで感動した自分がかわいそうになってしまいました。

  明治時代に一人の貧しい女性が興したひのもと救霊会という新興宗教団体が、昭和初期には全国に100万の信徒を誇るようになった。しかし戦争の時代となって、不敬罪と治安維持法違反で徹底的に弾圧された。そして戦後、少数の信者で復活し、順調に信徒を増やしつづけたが、無視できない存在になりつつあったことが、国家・進駐軍には脅威と感じられたのだろうか。再び弾圧。万に一つの望みをかけて武装蜂起するが、三日天下で鎮圧され、本部は壊滅。残った幹部は食事を絶って餓死した。 『邪宗門』は、弾圧と戦争、武装蜂起の悲惨さをこれでもかというほど書きこんだ重くて暗い小説である。

 厖大な内容なので、特に印象に残ったところだけ記します。

 ★ この本にも「性悪説」(性善説の否定)がでてきます。因縁なのでしょうか。引用します。

 ――一つの理想を制度として、あるいは目標として設定するためには、人と人とが信じあえる存在であるという大前提がいる。すべての共同作業、すべての道徳、すべての美が、ほとんど感傷的な人間信頼の上にでなければ成立しない。どんな心の歪みも辛抱づよい教育によって教化でき、窮地に立っても人は他者のことを心慮するという性善説。他者の犠牲にはならぬまでも、他者の苦悶を自分の心の痛みとして意識する存在でなければ、あらゆる理想主義的な計画は無意味なのだ。そして千葉潔(のちに第3代教主となる人物)は窮極のところ、それを信じることができなかったのだ。

 誰かに騙され欺かれて、人間信頼の気持ちを失ったというのではない。生れた環境や育った条件があまりにも恵まれなさすぎたからでもない。むしろ恵まれぬ状況の中にも、宝石のように光る真実と善意のあることを、恵まれなかった故にこそ彼は人並み以上に知っていた。だがまた、人間を信頼するにはあまりに恐ろしいものが、当の自分の中にあることをも、千葉潔は知っていた。心中の血をしたたらせた悪魔に気付かずにすごせる人は幸せである。それを無智と罵(のの)しろうとは思わない。だが万物は自己にそなわる。その自己の内部に巣くう恐ろしい悪の存在を知って、所詮は自己の影にすぎぬ他者を信することは出来ない。坐禅も心頭の滅却も、遂にその心中の悪魔を滅しえなかった。何故ならその悪は自らの生きようとする本能そのものに連なっていたからだった。

 彼は彼の母をーー(渡辺注:戦前の東北の貧困のなか母親は餓死し、子どもだった彼は母親に自分の肉を食べるように言われ、それを食べて生きのびた)、いや戦争中にも、窮極には信じがたい戦友たちの行為と自己の心とを見ていた。とりわけ自己の内部の暗黒は、神は知らずとも自己自身が見ている。補給の見込みのない食糧の減少を少しでも緩和するために、隊長の命令とはいえ、もはや抵抗できぬ捕虜を、玉砕命令が伝えられた直後に、彼は橋爪進らの隊員たちとともに惨殺していた。サイパンはすでに陥ちパラオも陥ち、迫ってくる敵の上陸を前にして誰しもが正常ではなく、生きて帰れる望みもなかった。だが、それにもかかわらず、当時の状況をあげつらうことによっては弁明しえない悪しき心の動きというものもまた確かに存在した。

*****ここまで引用
 

 ★ 不敬罪、治安維持法で取り調べられた磊落な教主行徳仁二郎が、拷問に耐えかねて、開祖の「お筆先」の不敬とされた文言を削除すると言いだした。信徒は信じられないのだが、人間はそのように「弱い」。私はそれでいいと思う。第二次弾圧でも刑務所で、人間的魅力あふれる教主は「今後宗教活動にかかわらない」旨を何度も申し出るが、三木清と同様に(ここだけモデルにしているのか)8月15日以降も解放されず、疥癬で死亡するのだ。いのちあってのモノダネとよく言うではないか。高橋には教主を殺してほしくなかった。『邪宗門』において教主は弾圧され、弱さをさらけだし、殺される役をやるためにでてきたようなものなのだ。戦争に翻弄されたと言えばそうなのだが、あまりにも気の毒だった。が、私は窮極の生きるか死ぬかのときに、金儲けのためではなく、自分のいのちのためにこのように弱くなれる(いのちを大切にできる)人間が好きである。

 ★ 「国には国のおきてがあるが、われらにはまたわれらの道」という教義をもっており、不敬罪で教主を官憲に奪われ、徹底的に弾圧された救霊会の人びとが、1941年12月8日の例の放送を聞いて、国民の大多数と同じように、「天皇陛下万歳」を三唱したこと。その章のタイトルは「総転向」(だったと思う)。べつに彼らはまわりの目を気にして、そうせざるを得なかったわけではない。そこには信徒だけしかいなかったのだ。それなのになぜ? ここを読んで、日本人の本質をよく描いていると思った。流されやすい。雰囲気に飲まれやすい。確たる「個」がない。群集心理に追従してしまう・・・。「いのち」のためではないのに、自分の行為の意味も考えず、信念を捨ててしまう人間。たぶん信念を捨てたことにも気付かずに。

 ★ 戦後、「宗教裁判」を行い、弾圧の中心だった官憲、戦争責任のある軍人らに自らの手で刑を与えるという幹部の意見に対して、教主の次女である「継主(教主亡き後、次の教主が決まるまでの代行)」は次のように考える。

 ――悪は人の心の中にこそある。その悪を特定の者に代表させて肉体もろとも火あぶりにして滅ぼす魔女裁判よりも、心中の悪がすべての者にそなわることを認め、それを牛馬のように飼い馴らそうとするのが東洋の智慧(ちえ)のはずだった。いや論理よりも、感覚的に阿貴(継主)はそういうこと(宗教裁判)をしてはいけないと感じたのだ。彼女も今度の戦争、流血そして民衆の飢餓に、誰も責任はないとは思っていなかった。しかし同胞の誰かを血祭りにあげて、教団の勢力を拡張するのは、また別な形で戦いを継続することのような気がする。痛めつけられたから相手を痛めつける。それではことは永遠の繰り返しにすぎない。何か別の、よくは解らないけれども何か別の価値が今必要なのだ。そしてそれは宗教の根本、その存在理由にかかわることのような気がする。――

 本部で決定されぬまま、一人の幹部が独断で宗教裁判を決行する。場所は皇居前広場。雨のそぼ降る日で信徒の姿もまばらだった。しかし幹部の「何々をした誰誰。有罪か無罪か。その処刑は? 火あぶりか、吊るし首か、斬刑か、石責めか?」という声が響くと、なんの関係もない野次馬が集まってきて、興奮しはじめる。腹をへらして気分は苛立ち、もって行きようのない憤懣(ふんまん)をこめて、人々は叫ぶ。「有罪、有罪」と。

 悪魔は一人の心の中には住まず、群衆の中にいる。無責任という、悪魔のもっとも好む装いのもとにーー。幹部は悪魔たちが飛び交い、火あぶり台が置かれ、処刑囚が脂をたらしながら火あぶりにされ、群衆が生血を飲み、死刑囚の尻や胸の肉にむしゃぶりついているのをみたのだった。群衆はみな、人間からこの世のものとも思われぬ姿に変わり、幹部自身も自分がその姿であるのを悟る。

 ★ 話は前後するが、戦争中の救霊会の人びとを追いかけた物語は一読の価値があると思う。ある人びとは満州開拓団となってひのもと村をつくり、途中までは満人とも仲良く希望をもって開拓する姿が伝えられる。しかしソ連侵攻後は一転、満人にも裏切られ、南へ向かう逃避行。動けなくなった子どもや老人を捨て、阿修羅のように泥沼のなかを進むが、ソ連軍の攻撃を受け、奇跡的に助かった少年2人を除き、全滅。

 ほかに、南洋、筑豊、大阪の貧民窟などの様子が人間の善をも悪をも重厚な筆で描かれている。読むのが苦痛な場面ももちろんあるが、これが「平和」で衣食住に満たされた人間からは信じがたい人間の本質というものであろう。

 ★ 教主の長女阿礼は教主が第一次弾圧で投獄されて以来、「教主代理」として8年間、教団をきりもりしていた。美しく才気にあふれるが、自分中心で(信徒に対してはそうではない。うちと外をわきまえている)、気分に波のあるきむずかしい性格である。

 教団は弾圧以来、転向、分派していく支部があり、そのなかに、九州の皇国救世軍があった。教義を捨て、時流に乗るために、軍国主義、戦意高揚を目的として転向、独立したのである。その集団のトップは救霊会時代は教主となってもおかしくないほどの人物だった。彼は救霊会を救世軍に合併しようとし、教主代理の阿礼を次男の嫁にほしいと申し出てくる。悩んだ阿礼は追いつめられて自暴自棄になり、何日も絶食するに至るが、父の教主行徳仁二郎が夢枕に立つ。仁二郎は阿礼にこう語るのである。

 ――「私は今まで一列平等を説き、距て(へだて)のない愛を全世界に及ぼすべきこと、この世界の人びとを兄弟にし姉妹にし、政治家のいう八紘為宇(はっこういう)ではなく、真に全世界を一つの家族のようにしようと考えていた。だが、それは偽りだった。いや少なくとも間違っていた。人はすべてを平等には愛しえない。父の我が子、とりわけ娘への愛は、やはりほかの者への愛情とは区別されるべきものだ。愛は差別ある愛ゆえに、愛する者にとっても愛される者にとっても尊い。親が我が子を差別的に愛し、友が親友を差別的に信頼し、身近なものを遠いものよりより強く愛する人間の本性を、私は率直に認めようと思う。

 何かの苦しみがあって、救霊会の門を敲いた(たたいた)人々も、もとはといえばすべて自分や身近の人々の苦しみが動機になっている。見も聞きもせぬアフリカや南米の騒動や火山の爆発、地球の裏側に住んで自分が寝ている時に争っているかもしれぬ人々の争いのゆえに苦しんで、入信したのではない。人間はしょせん自分の生活圏、自分の社会圏の事どもにしか反応しえぬ。であるならば、愛情に位階のあることを万人がはっきり認識したうえで、ことを始めるほうがより正直であり、より正しい。肉親を愛し、配偶者を愛するがごとく、万人を愛することは不可能だ。その愛の幾分かを分かつことのできるよう自分を訓練せよと言うことができるにすぎぬ。

 そして私にとって、お前がかけがえのない者であるゆえに、より疎遠な人々を裏切ろう。より疎遠な人々に説いてきた教義を翻そうと思う。それでよい。万人のために一人を見棄てるか。一人のために他のすべての人々と敵対するか。量からいえば前者が正しいが、愛の論理じゃ量には叶わぬ。いや、お前は私にたいして何の負担も感ずる必要はない。なぜならば愛は元来無償のものだからだ。お前がやがて、この人と思い定めた者のために他の万人と敵対する時、その敵対する者の一人に私が含まれていてもよい。阿礼よ、人はそのようにしか生きられぬ。私はその人間の運命に従おうと思う」

 「お父さま」と阿礼は言った。「私は苦渋のうちにも別のことを考えておりました。人は差別的に愛するその愛を、永遠に伏せつづけるべく定められた存在なのではないかと。お父さま、私はそう考えました。父母の愛から生まれ、父母の肉によって受肉した存在は、父母のもとへ帰ってはなりませぬ。いつまでもその無限の愛に包まれていることも許されませぬ。強いてでも裏切らねばならないのです、お父さま。同じように、全き同じ信念をもちえた者同士が互いをかばいあうことのみに、人は安住してはならないのです。お父さま、また、その一つの信念だけで全世界を覆おうとしてもならないのです」

 「・・・・・・」

 「私たちは懸命に耐えてまいりました。でも、その間に、私たちの宗教的信念に新しい何かが加わったということはありません。もちろん稲を刈るも米をつくもすべて信心の道。日々生きていくことをはずして思想もありませぬ以上、私たちも生きること自体によって考えるつづけてはおりました。でも、開祖の時代には開祖の教義、お父さまの時代には社会の改変や事業経営の、新しい開拓がございました。代理とはいえ、阿礼は8年ものあいだ教団をおあずかりしながら、一つの新しい指針、1冊の著述すら、この世のために造ることができませんでした。でも今、私はその行為において、人々の悲哀の鏡となり、人々のくやしき指針となることができるのです。

 阿礼は一つのことを悟りました。それは、その本性を異にする男と女の結びつきによってしか新しい生命は生れ出ませぬように、異なった信念の血なまぐさい結びつきによってしか、新しい信念も生れないということなのです。世界の言葉を一つにしようという試みは、バベルの塔のように空しく崩れます。山も谷もなく平坦な沃野に、季節の変化もなく、人がすべて同じ考えをもって、珍宝に囲まれて生きるという弥勒世は、救済の世であるよりもむしろ死の世界ではないでしょうか。

 お父さま。考えの違った人々との妥協をおそれて、この世に力あるたった一つの運動も成立ちえませぬ。しょせんはどちらかがどちらかを圧倒し、どちらかがどちらかを征服するものであっても、長い時間を費やす日々の抗争のうちに一つの生命を生み育むことができるはずなのです。阿礼は身をもって、そのことを行おうと思います。阿礼は何としても女、大勢の人をひきつけ、自分の考えを声高く人にすすめるのは苦手でございます。お父さま、阿礼のことを思いやってくださるなら、神は身近の山や森に居て私たちを見守るだけはでなく、<時間>の流れの中にこそいて、争いのうちからも生れくる生命を見守るものであることを、人々にお教えくださいませ・・・」

 「お前は私を追いぬいたのかもしれぬ。お前の信仰はおそらく私より美しい。しかし阿礼よ、人はお前の行為をそのようには見ぬ。一つの行いがその本来の意味通り理解されるためには、条件がいる・・・私が、その条件、いやその礎石になれる日まで・・・」

 阿礼は悩んだ末に教団のために皇国救世軍に身を売る。弾圧で停止させられていた織物工場に仕事をまわしてもらうという暗黙の約束で。しかし、政府の方針の変更でその約束は守られなかった。傷心の阿礼は母行徳八重が特赦で釈放され、病気が重いことをきっかけに、一人息子を連れて教団に帰る。

 阿礼は自分の犠牲が教団にとって無に帰したこと、救世軍の夫が離婚を許さないため、「行徳阿礼」に戻ることもできず、父母の死後は妹阿貴が「継主」となり、教団に自分の居場所がなくなってしまったことで、「苦い薬(アルコール)に身をやつすようになってしまう。

 ★ 戦後、生き残った数少ない幹部と、子どものころ、母親の遺言で救霊会本部に遺骨を埋葬にやってきた千葉潔を中心に、彼の連れてきた第三高等学校出身の青年たち(千葉の友人)が企画院となって、教団の復興をめざす。しかし農地改革のやり方一つとっても、政府+進駐軍の政策は中途半端であり、彼らは早いうちから武装蜂起をめざし、旧日本軍の遺した武器を収集するようになる。

 継主は教主の次女阿貴であるが、姉の阿礼と千葉潔ら幹部は阿貴が教団が供出米をださないかどで(地元の組合にまわしていた)警察の取り調べをうけ、本部を離れているあいだに、阿貴の名前で第三代教主を千葉潔にする旨の手紙を偽造し、信徒をだまして決めてしまった。

 そして進駐軍が本部を見学?に来たとき、突発的な事件(誤解から信徒が黒人兵を殺してしまう)が起こり、家宅捜査で武器が発見されることを防ぐために、突然蜂起することになる。各地でも連動して小さな蜂起が起こるのだが、所詮国家には勝てない。日本の警察にはまかせておけない進駐軍が攻めてきて、多くの犠牲者をだし、三日天下で壊滅させられる。

 私はこの武装蜂起を許すことができない。なぜならば、彼らに理想があったことは否定し得ないが、中心人物のみなが、この世に絶望し、死に場所を求めていたからだ。万に一つの可能性を求めたと彼らは言う。しかし客観的にみて、万に一つも希望はなかったのである。弾圧されつづけてきて、敵の大きさがいやというほどわかっているはずの彼らに、そのことがわからぬわけがない。

 彼ら(主に千葉潔と阿礼と満州で妻を失った足利正・彼は宗教裁判も行って失敗した)は死に場所を求めていたのだから、それでもいいだろう。しかし、武装蜂起の意味もわからず、何の罪もない一般信徒たちまで道連れにしたのだ。彼らにそんな権利はない。

 指導者(前衛党でもいいが)が民衆を利用し、犠牲にするなど、絶対に許すことはできない。私たちはどうしても一人ひとりが自分の頭で考えることをはじめなければならないのだ。
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by lumokurago | 2012-01-17 20:13 | 本(book)