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カテゴリ:父・母・介護( 148 )


長続きするケアの方法

 網野晧之医師の仲間、長野県武石村で長年地域医療を行ってきた矢嶋嶺医師の著作『医者が介護の邪魔をする!』を読みました。そのなかに次のような記述がありました。このブログの読者には介護をなさっているかたが多いようなので、ご紹介します。「わかってくれるのか」と救われる気分になりますよ。

*****

長続きするケアの方法

・老親を施設へ入れる

 なにがなんでも自宅で老親をケアする、などと考えないことだ。自分の人生がなくなってしまう。とくに動き回る認知症老人は、自宅でのケアは絶対無理だ。進行の度合いをみて自宅に連れ戻し、それから親孝行しても遅くない。

 認知症老人は愛を必要としている。そして、施設のプロのほうがずっと愛情を持ってケアできる。一定期間を置いて家族が訪問できるよう、施設が自分の住む地域内にあることは、必要不可欠な条件だ。

・自分が家を飛び出せ

 精神的なストレスは、肉体的ストレスよりダメージが大きい。ヘルパーでも親戚でも近所の人でもよいから、老親の面倒を頼んで、1週間に1日は家を飛び出すこと。そんなことはちっとも親不孝じゃない。そのほうが老親に対する思いやりは深くなる。好きなことをやってストレス発散をするのだ。介護を24時間続けるのは止めよう。介護が生活のすべてというのは間違っている。介護は生活のすべてでなく一部にしよう。そのために工夫すべきである。

・介護労働を賃金化しよう

 病院に入院していれば1年間に数百万円、老人保健施設では、たとえば要介護3で280万円、老人ホームでは250万円の保険給付がある。ところが、家に帰ったとたん、デイケア週3回で3万円ほどとなる。在宅ケアを厚生労働省がすすめる理由がわかる。

 だったら、主婦が自分の老親をケアして、賃金をもらえばよい。場合によっては折り合いの悪い姑の介護はよその主婦に任せて、自分は相性のよい老人の介護を行なう。そして政府から賃金をもらうのだ。そのような制度があってもよいのだが、いまの相場なら1時間1000円ぐらいはもらってもよいのではないか。そうすれば主婦も労働者だ。納税者にだってなれる。内需の拡大にもなる。もちろん自分の老親をケアしたときも、ケア料金は政府からもらう。これくらいの制度があってもよいではないか。

・子どもは心の交流をしよう

 先頃、岡本祐三先生の講演で、デンマークのスライドを見せてもらった。

 ヘルパーが老親の着替えをしているそばで、娘がポケットに手を入れたまま見ている。介護労働はプロがやっているのだ。日本だったら、「この親不孝娘が! そばにいて手も出さない」ということになろう。肉親でも2~3日の間ならいざ知らず、1ヶ月過ぎると負担になるのが普通だ。必要不可欠なのは世話をすることではなく、親子の心の交流なのである。

・女性が家庭外で働く

 私は形式的な女権拡張論者ではないが、「女性は家庭で」というのは、男性のノスタルジック(郷愁)な願望ではないかと思う。しかし、家庭から外へ出てもらわなければ、近代化は成立しないのではないか。

 夫婦単位の家庭生活と、女が外で働くことが当たり前の社会では、女性に高齢者の介護労働を任すことはできない。ドイツを視察したとき、「女性は家庭で年寄りを世話したもんだ。それがいまは老人病院などへ押し込んで困ったもんだ」と施設の医者がぼやいていた。日本とて同じだ。「女性よ、外に出よ。老人は社会的にケアせよ。そして老親を大切に」これがいまのテーマではないか。後略。

*****

 いちいちもっともだなあと思います。ただ、受け入れてくれる施設が少なすぎる。動きの激しい問題老人はどこも受け入れてくれない。特養は独居老人や同居の子どもが乳がん末期というような特殊な事情がなければほとんど入れないし、老人保健施設は費用が高いうえ、3ヵ月でたらいまわし。療養病床も高いし、第一削減されている。有料老人ホームとなれば目玉の飛び出るようなお金がかかる。思いやり予算など早くやめて、老人福祉に使わなければ、もうすぐ痴呆老人があふれ、どうしようもなくなります。そのときになってからでは遅い。(今も十二分に困っているのです)。

 でも、お医者がこう言ってくれているだけで、心理的にほっとできますよね。介護で大変なかたがたへ。
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by lumokurago | 2011-02-06 20:31 | 父・母・介護

母の写真

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 桜の花びらで真っ白の神田川
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 神田川にかかる橋。母はなにを撮ろうと思ったのでしょう? 鳩かカラスか?
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by lumokurago | 2011-01-28 18:06 | 父・母・介護

母の写真

 母は長年人形作りをしていましたが、60代後半に黄斑円孔と黄斑変性症という眼の病気にかかり、眼がよく見えなくなって断念。その後、もっぱらコンサートにでかけることを楽しみにしていました。ところが痴呆がすすみ、場所がわからなくなってこれも無理となり、最後は近所を散歩しながら使い捨てカメラで写真を撮ることを唯一の趣味としていました。大量の写真が残っていましたが、なかにはおもしろいものがありますのでご覧ください。母には失礼かもしれないけど、本人が意図したものではない偶然と痴呆症からくる子どものもつような好奇心がおもしろさをだしています。
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by lumokurago | 2011-01-26 20:19 | 父・母・介護

おばの死

 従姉からの手紙を少し変えてあります。天寿をまっとうしたおば(89歳)の死についてお読みください。尚、従姉はキリスト者ですが、私は無神論者です。

*****

 昨年は私の母とワキ子おばさんと・・・自然体で死を全うされ、私としましては母にとっても私たちにとってもよかったのではと思い、感謝しております。

 私の母の場合、食欲がなくフラフラしてきていると、弟(福島県南会津郡)から電話があり、兄と妹との3人でかけつけ、病院に入れて検査しても本人がつらいだけだから、自然の状態にまかせようと、4月10日に私の家(東京都)に引き取りました。

 日々食欲がなくなり、おかゆを2、3口飲みこむのがやっとで、トイレにも歩いて行けなくなり、オムツに・・・。往診もぎりぎりまで待ち、亡くなる2週間位前に来ていただき、脱水とのことで点滴をゆっくり始めました。

 そんななか、毎週水曜日は私の家で婦人の聖書の学び会をしていましたので、皆に祈っていただき、牧師の話も聞いて、イエス・キリストを心に迎えることができました。そして洗礼式のときに、「先生、こんな状態でどうして生きなきゃなんないだべ」と質問。牧師は「人間を創られた神様が目的を持って生かしておられるので、命のある間はがんばって行きましょう」と。また「洗礼式ってなんですか?」と質問。牧師が「イエス様との結婚式です。そして信じた人は必ず天国に入ることができるんですよ」と。すると「「はい、わかりました。よろしくお願いします」と洗礼を受けました。

 うとうとしているときが多くなってきていた母でしたので、こんなにはっきりとした質問をするとは少しびっくりしました。

 「おーい、おーい」と昼夜、大きな声で呼んでいたときもありました。夜中に「どうしたの?」と声をかけ、足をさすってあげても止まらないのです。マンションですから、両隣りに聞こえるのではと心配したりしました。

 そして6月5日(土)、兄弟たちも全員集合し、宇都宮の従姉妹もちょうど来てくれ、母は意識もうすらぐなか、従姉妹に対してうなずいていました。

 私たちも母の死に対する心構えもでき、母の長寿を祝ってビールを開け、乾杯して昼食を食べ始めたとたんに呼吸がおかしくなり、往診の先生が来る少し前に息を引き取りました。1時35分でした。本当に静かな平安な死でした。3日前から大量の下血もあったりして、おそらく消化器にがんがあったのだろうと思います。私の家に来る前までフラフラしながらも近くのコンビニへ買い物にも行っていたようです。自然体の良き死であったと思っています。

*****

 従姉は看護師でしたので、89歳という高齢で入院・検査しても苦しめるだけだということを熟知しており、自然にまかせたのだと思います。ほんとうはそういう知識がもっと広まらなければならないと思います。知識がないと、高齢であっても最期に救急車を呼んで病院に運び、延命治療を受け、かえって苦しむことになってしまいます。

 従姉は往診もぎりぎりまで待ったと書いていますが、この往診によって行われた点滴もよかったのかどうか疑っていました。なぜならば点滴後、下血したからです。点滴はやはり生体に対してなんらかの作用があるそうです。ほんとうは何もしないほうがよかったのかもしれないと言っていました。

 このおばの死について従姉から聞いていたので、母の死のお手本にすることができました。母も安らかに死ぬことができて、ほんとうにありがたいことだったと思っています。
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by lumokurago | 2011-01-08 16:21 | 父・母・介護

葛飾の介護殺人 抱え込み「疲れた」

 東京新聞2010.12.20より

 清水宏之被告(52)=殺人罪で起訴=は花が好きで、近所では「優しいおじさん」として知られていた。次第に過酷さを増す母親=当時(80)=の介護を八年間、一人で続け、追い詰められた。

 近所の人らの話によると、母親は老人ホームに入所していた約八年前に脳梗塞で倒れ、寝たきりになった。二十四時間看護が必要だったが、看護師が足りなかった老人ホーム側から「面倒をみることができなくなった」と告げられた。

 四人きょうだいで話し合った結果、独身で次男の清水被告が母親の介護を引き受けることに。清水被告は電気工事などの仕事を辞めざるを得なかった。母親の容体は悪く、当初は一年ほどの介護のつもりだったという。

 近所では、熱心な介護ぶりが話題になっていた。都営住宅の前で母親の車いすを押し、日なたぼっこをさせる姿が頻繁に目撃された。母親には床擦れ一つなかった。

 介護の合間に楽しみにしていたのが、草花の手入れだ。都営住宅の周囲にある庭にチューリップの球根などを植え、ペットボトルで水やりをした。同じ都営住宅の女性は、腕時計を気にしていた清水被告の姿を覚えている。「時間だから」と、自宅がある四階まで階段を駆け上がった。

 同じ階に住む別の女性は、小学一年の息子(6つ)が入学前、清水被告からお下がりの机をもらった。「介護で大変なのに、子どものことをとてもかわいがってくれた。優しい人でした」と話す。

 母親は事件の約二年前からたんの吸引が必要になっていた。訪問看護師が週二回ほど訪れていたが、吸引の間隔は短くなる一方で、最後は十五分間隔になっていたという。

 「介護に疲れた。苦しむ母がかわいそうだったから楽にしてやろうと思った」。捜査関係者によると、清水被告はこう話している。なぜここまで、一人で抱え込んでしまったのか。もし周囲が手を差し伸べることができたなら、最悪の事態は回避できたのではないか。 (警視庁担当・佐藤大)

<葛飾区の介護殺人> 6月28日夜、区内の都営住宅に住む無職清水宏之被告(52)が、寝たきりの母親=当時(80)=の首をベルトで絞めて殺害したと訪問看護師に電話。駆け付けた亀有署員に殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。清水被告は大量の酒を飲み、暴れていたという。母親は3日後に死亡。清水被告は鑑定留置された後、刑事責任能力があるとして10月、殺人罪で起訴された。事件は裁判員裁判で審理される。

*****

 お母さんを8年間もひとりで介護した清水さんは、ほんとうにやさしく忍耐強い人だと思います。私だったらもっと早くに殺していたか、あるいは自分が精神的な病気になっていたと思います。ここには2つ問題があって、一つはいつ終わるともしれぬ介護の大変さで、もう一つは苦しんでいる様子をみているつらさ。どちらも人間を精神的に追い詰めると思います。

 先日、読売新聞記者とも話したのですが、オランダなどには安楽死を認める法律があります。介護に対する社会的支援も必要だけれど、こんなケースを知ると本人の意志があれば(ぼける前にリビングウィルを書いておく)安楽死も認めたほうがいいと思います。ただでさえ苦しい痰の吸引です。それを15分おきにやらなければならないなんてかわいそうすぎます。そこまでして生かしておかなければならないのでしょうか。

 延命治療を拒否すると言っても、どこからを延命治療とするのかの基準はありません。私は食べられなくなれば死ぬのが自然なことなので、食べられなくなった人を無理に生かそうとするのも延命治療に入ると考えます。読売新聞記者に「胃ろう」なんて考えつかないほうがよかったと言ったら、同感だとおっしゃっていました。

 みなさま、歳をとるということはたいへんなことです。みんなが80歳90歳までぼけもせず元気でいられるわけではありません。自分の死に方について(延命治療を受けるかどうかなど)、介護問題について、考えておいて損はありません。
 
 それから「余命1年」と言われた私がのんびりしている間に、友人の友人に突然の交通事故や心臓病で亡くなられたかたがいらっしゃいます。元気な人にとっても死について考えておくことは大切なことなのではないでしょうか。
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by lumokurago | 2010-12-26 14:51 | 父・母・介護

新年のご挨拶をご遠慮します

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 母の作った人形の並ぶ飾棚(私のベッドの横)。左の猫の彫刻は別荘の玄関ドアの猫のレリーフを作ってくれた彫刻家の作品でシーザー(以前飼っていた猫)です。以下は喪中のお知らせです。このブログをみてくださっていそうな方には葉書は省略させていただきます。

*****

 秋も深まってまいりました。母・ワキ子は1年前のちょうど今頃、11月29日に近所で転び、右大腿骨頚部を骨折。入院して手術しましたが、歩けるようにはならず、同じ頃、容子の乳がん骨転移が進行し、自宅での介護は限界で、施設に預けました。

 今年6月23日に腸閉そくで入院。検査の結果、大腸がんの末期で卵巣に転移もありました。外科医は根治的手術をすすめましたが、本人は「手術したくない。長生きしたくない」と言い、高齢でもあり無謀な手術より無治療を選択し、泊まり込みのヘルパーさんをお願いして8月11日自宅に戻りました。

 9月中旬、あきらめていた特別養護老人ホームより声がかかり、本人も納得して10月9日に入所。数日後に発熱し、誤嚥性肺炎の疑いでした。10月18日、容子が昼食を食べさせに行きました。手を握り、「眠った」と思ったらそれは意識不明ということだったのです。ちょうど医師の診察日で、あれよあれよという間に呼吸が停止して亡くなりました。苦しみのまったくない安らかな最期でした。82歳でした。死亡診断書の死因は「老衰」。私の在宅医、網野晧之医師に「満足死でしたね」と言っていただきました。さびしくなりましたが、私としては自分が先に死んで悲しませることがなくなったのでほっとしています。というわけで新年のご挨拶はご遠慮申し上げます。

 最後に容子の病状ですが、ホルモン剤がよく効いてとても元気です。主治医の近藤誠医師が3月にだした「余命1年」を撤回しました。いつまで生きられるかわかりませんが、毎日を楽しく大切に過ごしています。
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by lumokurago | 2010-11-26 18:19 | 父・母・介護

無事お骨になって帰宅しました

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デイサービスで撮っていただいた写真。去年の敬老の日のもので、最も新しい写真です。
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 ミャーちゃんのお骨も隣に置きました。ミャーちゃんの写真のほうが大きいんだけど(笑)。母はミャーちゃんを覚えていて、うちに帰ってきたら「ミャー子」と言っていたんですよ。
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 介護ベッドの横の棚。母の人形が飾ってあります。「雪だるま」は去年の書き初め。いつもこれを読んで「雪だるま」と繰り返していました。暑い暑い夏だったのに(笑)。
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 今日、猫の代わりに庭に来た山鳩。

 今日来てくれた従弟(うちに下宿していた)の話では、去年大腿骨頚部を骨折した11月末に病院にお見舞いに行ったときは、私と妹のことをまだ心配していたそうですが、夏に病院にお見舞いに行ったときはそんな言葉はなくなっていたそうです。

 去年は私がいつも病院にばかり行っていたので、(乳がんのことを覚えていて)「悪くなっていないんでしょ?」と心配していましたが、夏に『乳がん 後悔しない治療』を見せたときは、もう忘れていて「容子さん、乳がんだったの?」と言っていました。

 昨日、書き忘れたのですが、母は身体に触られることが嫌いで、手や足に触れても「触らないで」と言っていました。ところが亡くなった日は、自分から手をだしてきて、ずっと握られていて、私が飲み物を飲むために離すと、すぐに握ってもらいたそうにしていたので、1時間くらい、手を握りっぱなしだったのです。不思議ですね。母自身も自分が死ぬことがわかっていたのでしょうか。暖かい手を握りつづけたことは子どもとき以来です。

 みなさま、ありがとうございました。
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by lumokurago | 2010-10-20 19:59 | 父・母・介護

お悔みありがとうございました

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 近所に住む親しい父の友人、近所でお世話になった方、母の手作りのアイスクリームがおいしかったという妹の同級生らがお別れに来てくださいました。また、メールなどでお悔みの言葉をくださった方、どうもありがとうございました。

 明日、火葬します。お葬式はせずに、うちに住んでいたいとこや父の友人ら数人で見送ります。父のときはお別れ会をしましたが、母の友人らは東京に住んでいても、皆、高齢で行き来も大変なので、何もしません。高齢になるとみんな亡くなってさびしくなると、故郷に一人生き残った父の友人が言っていました。やはり先に逝った方が幸せなのかもしれません。
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by lumokurago | 2010-10-19 21:17 | 父・母・介護

母が亡くなりました

 6月23日、腸閉塞にて入院。大腸がん末期で無治療を選択。余命1年と言われる。
 8月11日、退院して自宅へ。
 10月9日、特養へ。
 そして、今日、10月18日、母が亡くなりました。この数日、熱がでていて誤嚥性肺炎の疑いということで抗生剤を飲み、昨日から痰の吸引が始まりました。昨日妹が行ったとき、入院させるかこのままここで様子をみるか決めてほしいと言われました。もちろん入院はできるだけさせないでほしいと答えました。

 今日、お昼に行ったら痰がからんでぜいぜいいっていました。1時に医師がみえたときは、「肺炎をおこしかけている」とのことで、話し合うから待っているように言われました。待っている間、ずっと手を握っていたら、ぜいぜいが止まって眠ったように見えました。(ほんとうは意識を失っていた)。

 看護師さんがきたところ、母の様子がおかしいことに気づき、医師を呼んできました。その時は「一両日中」かもしれないということで、妹に連絡しなくちゃとか言っている間に、呼吸が止まり、あれよあれよと言う間に亡くなりました。あっというまのできごとでした。

 特養に入ってはじめての医師との話し合いでは、今後大腸がんが大きくなって腸閉塞を起こしたら、吐いたり痛がったり苦しむことになると言われ、そうなったときどうしようかと網野先生に相談したりしていました。しかし、そんな症状がでるまえに、このように苦しまずに逝ったのでよかったと思います。順番も守ってくれました。正直なところほっとしました。私は妹のためにも長生きしなくちゃ、ですね。

【追記】お昼に私がパンを食べ、紅茶を飲んでいたら、OS1のゼリー(脱水症状のとき飲むもの)を「おいしくない」と言い、「それ、なーに?」と聞いていました。最期に甘いエンシュアを一口飲ませてあげられればもっとよかったな。(でもその時は最期とは思わなかったので仕方ありませんね)。

 看護師さんに私がゼリーをあげていたための「窒息ですか?」と聞いたら、「液体では窒息はない」とのこと。医師は死亡診断書に「老衰」と書きますよ、と言ってくださいました。80歳以上の死はすべて「老衰」と書くという網野先生と同じです。そうですね。液体しか摂取できなくなってから、身体のすべてが弱って来ていたのでしょう。死を知らせた友人が「大往生だね」と言ってくれました。「よく看たね。できる限りのことはやってあげたね」とも。確かにそうですね。子ども孝行の母でした。
 
 今日も「早く寝かせて」「早く」と言っていました。やはり早く死にたかったんじゃないかな? 起きてるのはつらかったと思います。眠れてよかったね、お母さん。産んでくれてありがとうございました。隣りの部屋で眠っていますが、明日になったら起きそうな穏やかな寝顔です。
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by lumokurago | 2010-10-18 21:19 | 父・母・介護

母、特養へ

 とうとう母が特養に入所しました。早く着きすぎて30分ほど相談室で職員を待ったのですが、そのときは「早くうちに帰ろう」を繰り返していました。しかし、部屋のベッドに横になり、担当の職員の方が挨拶すると、「お世話になります」「よろしく」と言っていましたので、状況はわかったようで、「うちに帰ろう」とは言わなくなりました。

 職員さんも看護師さんもリハビリ担当の方も、みんな親切で雰囲気がよく、「安心して任せてください」と言っていただき、ほっとしました。

 お昼を食べさせるところまで一緒にいました。別れるとき、送って来てくれたこのかんお世話になったヘルパーさんに、「おねえちゃん(と呼んでいた)、今度いつ来るの?」と聞いていました。

 9月3日からひと月と1週間、家族の一員として過ごしたヘルパーさんは、今日でお別れです。母もヘルパーさんもいなくなって、しばらくの間さびしいと思います。
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by lumokurago | 2010-10-09 17:49 | 父・母・介護