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カテゴリ:父・母・介護( 148 )


ターミナル(終末期)に輸液は必要なのか

 母を在宅で引き受けてくださるという在宅医は「高カロリー輸液(IVH)を行えば1年は生きられる」と言っており、IVHは当然行うものとしていました。いまの病院では在宅でIVHを行うために「ポート」を入れると言うので、考えさせてくださいと言って、Dr.A(在宅医)にメールで相談しました。次は回答です。

 「ターミナルケアにおける輸液ですが、賛否両論があります。脱水もある意味では緩和に貢献するのでやらなくてもよいという意見がある一方、これに反対する意見もあります。この場合は皮下輸液でもよいとされています。Vポートがあると輸液をするのでしたら便利ですね。この場合もカロリーは入れずに水の補給だけにするとよいと思います。このことについて以前ある本にまとめましたのでコピーをお送りしたいと存じます」

 と、コピーを送っていただきましたが、経験がないので判断はむずかしいです。

 「在宅医療でIVHを行うことは、比較的まれである。患者の多くとは長年のつきあいであり、彼が自然な死を望んでいることを在宅医は知っているのである。家族もまた無意味な延命を望まないのは、患者の気持ちを察してのことであろう。末期の患者に関して、IVHが寿命を延長させたという研究結果はない。また諸症状を改善したという実証的研究結果もないのである。したがって、在宅ではIVHは行われ難いと言える」

「ところで日本では、死に赴く患者の家族の90%以上が輸液すべきかどうかの決定過程に参加し、患者の53%もこの決定に加わるといわれる。これに対しイスラエルでは、家族の15%、患者の3%しか関係しないという。アメリカ合衆国はこれらの中間とのことである。大変興味深い文化の違いがあるように思われる。
 日本における疾病末期患者への輸液施行がなぜ多いのか、原因の一つはこのようなところにあるのかもしれない。日本では一見、患者や家族の自主性が重んじられているようではある。しかし、現実には医療への信仰心あるいは依頼心が強いことが疑われるのである。宗教心を失った日本人は、死を受容できず医療にすがりたいのかもしれない。また医療側からの誘導も否定できないようである」

「最後に再び、在宅医療は老人医療であり、終末期医療であることがほとんどであるということを強調しておきたい。そこでは、延命至上主義のもと治癒を目指す医療は無力であるといわざるを得ない。その自覚が在宅医療を行う医療者にとって重要である。また、老人や終末期の患者は、ホームという老いの施設や病院という死の施設に、隔離され管理されることを望んでいないという事実を知らなければならない。彼らは地域でそして家で老い死んでゆく自由を求めている。われわれは彼らの願いに応えるべく在宅医療に携わっているのである。そこにおいては、看護や介護が主要な役割を担っているのである。医師も当然のことながら、看護師やホームヘルパーなどと協力して、患者の生を充実させるための世話(ケア)に全力を傾けるべきである。それは患者に安らかな貴い死を迎えてもらうことにほかならない。この観点から輸液を考えていただきたいと切に願う次第である」(網野晧之)

 いまの病院の医者もただポートを入れると言うだけでなく、ポートを入れるとどうなるのか、入れないとどうなるのかの2つの選択肢を示して、双方のよい点、悪い点を説明して、患者に決めさせてくれればいいのにと思います。
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by lumokurago | 2010-07-05 21:06 | 父・母・介護

無治療に決めました

 Dr.Kの診察でした。母の手術のことでDr.Kが電話してくれた村山医師は、私の電話相談の内容についてDr.Kにちゃんとお返事を下さっていました。誠実な方ですね。

 Dr.Kは、D3までかくせいするのをガイドラインで標準治療にしていることについて「ハルステッド手術(乳房温存療法がでてくる前に標準治療とされていた胸筋まで切り取ってしまう残酷な拡大手術)と同じだ」と。「何も話を聞いてくれないんです。在宅でみたいと言ったら、『在宅は絶対に無理だ』と言うし」。「『絶対無理』と決めつけるのはおかしい。人手があればできるからね。河北病院はむかし、『死に北』と呼ばれていたんだよ(「知ってます」)。理事長は経営感覚もすばらしいらしいね(よく知ってるなあ)」

 「手術したら後悔する場合もあるだろうけど、無治療なら後悔することはないよ。閉塞をおこしたときは腸が腫れているけど、いまは腫れが引いているだろうから、繊維質のものを避ければ食べられるよ」etc・・・とにかく「本人の意志」が大事だと言うので、私が「長生きしたくないと言っているんです」と言ったら、「それじゃ、もう答えはでてるじゃない」。

 私:でも私も母も死んだら妹が一人になっちゃうし・・・。
 Dr.K:それは本人以外の「都合」でしょ。
 私:うーん・・・そうですよね。

 「無治療でもいい」とわざわざ言いに来てくれた看護師さんの話をしたら、笑っていました。「じゃあ、管(イレウス管とIVH)は2本とももう取っちゃうんだね」

 母のところに行って・・・

 私:お母さんは大腸がんで腸が詰まってるんだけど、手術しますか? 手術すれば長生きできる。 母:手術したくない。
 私:うちに帰りたい?
 母:帰りたくない。
 私:じゃあ、どこにいるの?
 母:病院。
 私:うちに帰ったほうがいいよ。
 母:でももうしばらく帰っていないから忘れちゃった。
 私:帰れば思いだすよ。帰ろうね。
 母:どうやって帰るの?
 私:タクシーで。
 母:ふうん。

 父も完全にぼけてから、「私は仕事に戻らなくちゃならないから、お父さんは老人ホームに入ってもいいですか?」と聞いたら、「いいよ」と答えていました。痴呆症の老人でも大事なことはよくわかっているのです。 
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by lumokurago | 2010-07-02 22:46 | 父・母・介護

決定したつもりでしたが・・・。

 がん友に母のことを話したら、大腸がんで手術した70代の近所の方が術後すぐに亡くなったとのこと。「手術しないほうがいいんじゃない?」と言われました。それで一応近所の在宅医(網野先生との話で候補にあがっていたところ)を訪ねて、母の状態で無治療で在宅でみてくださるかどうかを尋ねたところ、「積極的な治療をしないと決心されたならみます」と。ここで断られたら手術することに決めようと思っていたのですが、引き受けてくれるということなので、また迷うことになりました。

 いまの病院のこのあいだの説明のときはDr.Kのセカンドオピニオンのことで少しやりあってしまったので、今日は神妙に「迷っているのでご相談したい」という態度で話しました。

 私:術後すぐに亡くなった方がいると知り合いに聞いた。高齢なので手術が負担になることが心配。痴呆症が進んでしまうかもしれない。父は意識のないような状態になってからも長生きしたが、それはそれで大変なことだった。それよりは命が短くなっても無治療で自然に亡くなるほうがいいかとも思う。迷っている。

 医師:こちらは手術をおすすめしたが、無治療がいいということであれば、療養病床のある病院に移っていただく。方針が決まればお手伝いはする。

 私:D3までかくせいすると書いてあったが、手術する場合はリンパ節を取らないでほしい。

 医師:(急に声を荒げて)そんなことはできない。手術するなら治癒をめざす。リンパ節転移があれば取るし、なくても状態をみてとることになる。

 私:だいたい転移しているのだし、リンパ節を取る意味はない。

 医師:バイパス手術をお望みだったが、それだと中途半端になる。リンパ節を取らないのも中途半端。手術するなら治すことを第一に考える。

 私:高齢なのでそこまで考える必要はない。D3は拡大手術である。意味がなく、体への負担を増やすだけ。

 医師:D3まで取る。(と言い争いになる。Dr.Kのなまえに拒否反応を示しているのか? 私の写真がでた朝日新聞の記事を見たのか? とにかく「素人が何を!」という居丈高な態度)。

 私が手術するかしないかをいつまでに決めればいいかを聞いて話し合いを終える。今週中にとのこと。

 私たちがお礼を言って母の病室に引き上げたら、若い医師が「D3まで取るのが標準治療なのです。2009年のガイドラインに書いてあります。全国、どこの病院に行ってもこの治療なのです」とガイドラインのその頁を開いて見せながら言いに来た。

 Dr.Kが私の本の「標準治療」の「注」になんて書いたか教えてあげたかったけれど、面倒なのでそのことは言わず、「そうですね」とあいまいに言ってわかったふりをした。

 標準治療:多数派の行っている治療。エヴィデンスの有無には関係ない。乳がんのハルステッド手術もかつては絶対の標準治療でした。(by Dr.K)

 いつもDr.K、網野先生(昨日は+村山先生)としか話していないので、もう驚き! 医者は横暴すぎる。患者が「切らないで」と言っているのに、まったく聞こうとしない。村山先生は「希望を言えば聞いてくれる」と言っていたが、とんでもなかった。日本中捜したとして、村山先生のような外科医はほかに何人いるのだろうか?

 若い医師がガイドラインを持って帰ったら、看護師さんが来た。曰く、「外科医は手術しようと言うけれど、無治療でもいいんですよ。手術はやってみなければわからない。死にそうだった人が奇跡的に回復して元の施設に戻った例もあるけれど、認知症が進んでしまう人もいる。先のことはわからないのでどちらかに決めてそれでいくしかない。本人の気持ちが一番」

 とてもいい看護師さんで、10分くらいのあいだ、話し相手になってくれた。わざわざ「無治療でいい」と言いに来てくれたということは、手術して悲惨だった例をたくさん知っているのでしょう。

 医者と話すまえに、母に「手術して長生きしたいですか?」と聞いたら、「長生きしたくない」と答えていました。大変だった父のようすをみていたので、元気なころ、いつも「長生きしたくない」と言っていたのです。でも、いまは元気で話もできるので、無治療で死に向かわせることにはやはりほんの少し躊躇があるのです。それに母も私も死んだら、妹が一人になってしまいます。妹が望むなら手術を受けて母に長生きしてもらうのもいいかなとも思います。ただ、介護が大変だけど。

 母に「少し命が短くなってもうちに帰りたいですか?」と聞いたら、「帰りたい」と言っていました。でも話しているうちに「ふれあいの家(それまで入所していた老健施設のことをデイケアのふれあいの家だと思っていた)とうちとどちらがいいですか?」という問いに「わからない」と言い出しました。「ふれあいの家はさびしいんじゃないですか?」「そうでもない」「ふれあいの家でもいいんですか?」「いいよ」

 うちに帰ると大変になると思って遠慮しているのです。まだまだいろんなことがよくわかっているのです。

 でも心臓病とか脳梗塞などで元気な人が突然死ぬこともあるのだし・・・。私は無治療でいいと思いますが、あとに残される妹次第です。

 明日またDr.Kのところに行くので(自分の診察)、この話をしてこようっと。なんて言うかなあ? 「自分で決める」はずなのに、怒って「そんなとこで手術を受けることない」と言いそう・・・。
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by lumokurago | 2010-07-01 22:08 | 父・母・介護

母の治療方針決定

★ 慶応病院に行ってきました。

 Dr.Kは開口一番、「ぼくは本人以外の人が来ても相談には乗らないよ。前に九州から家族の人が来たときも『本人でないと』と言って帰ってもらった」と。はるばる九州から来たのに帰ってもらったなんて潔癖なDr.Kらしいですが、よく考えてみれば当然のことだと思います。「自分で決める」が合言葉ですからね。

 でも、うちの母については認知症があるので家族の相談もOKということで、相談に乗ってくださいました。診療情報提供書を見て、「D3までかくせいするなんて」とあきれ顔。

 リンパ節の切除範囲はD1からD3まであり、D3というのはリンパ節をねこそぎ取ってしまうもので「拡大手術」と言われています。乳がん、胃がんなどではリンパ節を広くかくせいする手術とそうでない手術のくじ引き試験が行われており、世界的には拡大手術は否定されています。大腸がんでもリンパ節をかくせいした場合の成績がよいという証拠はありません。だいたい、昨日の医師の説明では卵巣にできたがんは転移かどうかわからないとのことでしたが、診療情報提供書には「転移性卵巣腫瘍の可能性が高い」と書いてありました(真実を知らせるのは医師の義務です)。転移があるならリンパ節かくせいの意味はさらにまったくありません。

 昨日の説明ではリンパ節をどうするかについては何の説明もありませんでした。切除する必要がないので切らないのだろうと勝手に思っていましたが、何も説明せずにD3までかくせいするつもりだったなんてあんまりです。リンパ節のまわりにはいろいろな神経がからみついているため、かくせいすると神経を傷つけ、排尿障害などの後遺症が残る可能性が高いのです。リンパ液の流れが悪くなるため、リンパ浮腫がおこる可能性もあります。(追記)妹によれば、月曜日の説明は手術を受けるかどうかであり、詳しい手術の内容の説明は別の日にあるはずとのことでした。しかし、乳がんでも手術の前日に「全摘する」などの説明があり、「明日ならしょうがないか」と思ってあきらめてしまう人がいました。手術内容の説明はもっと前にやるべきです。
 
 Dr.K:それで質問は?
 私:無治療で看取りたいのですが?
 Dr.K:液体ならば通ると思うので、おかゆなどを食べさせて、そのうち食べられなくなるけれど、食べられなくなってやせて亡くなるのが一番自然な死に方。手術する場合は高齢なので全身麻酔が負担になる。これはできるかどうか外科医に聞かないとわからないけど・・・腰椎麻酔でバイパス手術がいいと思う。(と私もかかっていた村山医師に電話してくれる。村山先生は「できる」とのお答えでした)。
 私:リンパ節については何の説明もありませんでした。切らないでと言えば切らないでくれるでしょうか?
 Dr.K:切らないでと言っても外科医は何するかわからないよ。(Dr.Kの外科医不信は根深いがその気持ちもわかりますーこれも『乳がん後悔しない選択』参照してください)。
 私:卵巣腫瘍は切ったほうがいいんですか?
 Dr.K:それは簡単だからついでに切ったほうがいい。
 私:いい在宅医がいれば無治療で家でみたいんですけど、網野先生が入院してるし・・・。
 Dr.K:どんな具合なの?
 私:落ち着いていらっしゃるそうです。あとで電話してみます。それと、昨日栄養状態が悪くて手術に耐えられないからと、IVHにされちゃったんですけど、どうなんでしょうか?
 Dr.K:IVHでは感染して敗血症を起こして年間何万人も死んでいる。できるだけやらないほうがいい。
 私:やっぱりそうなんだ。とにかく医者が信用できないし、こっちは素人だしわからないことばかりでほんとうに困ります。etc・・・

★ 慶応病院の公衆電話から網野先生の携帯に電話したところ・・・

 まずご容態ですが、「歩けるようになった」とのことで土曜日に退院されるとのことでした。まずはよかったです。ところが脳の「いろいろなところが壊れちゃって」左の空間認識がむずかしいとのことで、「運転したら人を引いちゃう」とのこと。「ぼくが診てあげられたらいいんだけど無理」。

 私:いい在宅医はご存じありませんか?
 Dr.A:それがいないんだよ。若い人は時間が来たら終わりで。(つまり休日なしで24時間対応してないという意味)。
 私:父が以前中野共立病院にお世話になったことがあって、いい病院だと思いました。あの病院の付属の診療所が近所にあるので、そこに行ってみようかと思っています。
 Dr.A:中野共立病院は知ってるよ。知ってる内科医がいる。信頼できる医者だ。
 私:そうですか。全然知らないところに行くよりいいですよね?
 Dr.A:うん。会ってみて決めたら? 相性もあるし、会ってみなければわからないから。
 私:はい。手術はしたほうがいいとお思いになりますか?
 Dr.A:そうだね。手術しないとまた詰まっちゃうからね。バイパス手術がいいと思う。etc・・・

★ 妹と話し合いの結果、老人をおおぜい看取っている網野先生が「また詰まっちゃう」とおっしゃるので、手術は受けようということになりました。ただ、村山先生の病院は遠い(川崎)なので、中野共立病院に聞いてみたところ、相談は現在入院している病院の相談員を通してしか受けられないというので、それでは時間がかかってしまい面倒なのであきらめました。そして村山先生に電話したところ、電話口に出てくださって・・・。

★ 村山医師の話

 自分の病院は遠いし、手術の予定が詰まっており、転院して手術するとなるとさ来週になってしまう。この状態なら早く手術したほうがよいし(また詰まってしまう可能性がある)、移動するのも患者にとって負担になる。バイパス手術のことを最初から説明したなら、無理な手術はしないと思われる。希望をよく説明して今の病院で手術したほうがよいと思う。

 がんを取って大腸をつなぐのとバイパス手術は同じくらいのむずかしさなので、がんを取れるならば取ったほうがベター。無理ならバイパス手術。リンパ節は取らない。(Dr.Kが麻酔のことを心配していたが)今の薬はよくなっているので1、2時間の手術なら全身麻酔でもすぐ覚めるから大丈夫。

★ ということで、結局、明日いまの病院の医師に希望を伝えに行くことになりました。先生方、ありがとうございました。これで納得して手術が受けられます。
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by lumokurago | 2010-06-30 18:31 | 父・母・介護

IVH(中心静脈栄養)

 母の病院から電話があり、栄養状態が悪くこれでは手術に耐えられないので、すぐにIVHを入れたいというのです。昨日の話では「木曜日に手術できない場合」ということだったのですが・・・?? 仕方ないのでOKしましたが、行ってみたら、母のベッドのまわりに10人ほどの医師、看護師らが集まってなにやらがやがややっていました。こんなに大勢で集まって何をしているのか? 練習台なのでは? 母は手がかかるためか病室ではなく看護師詰所の一角にいるのですが、私が行ってのぞいたらすぐにカーテンを閉めてしまいました。思わず「なんで隠すの?」という言葉がでてしまいました。

 私は今、Dr.Kと網野先生以外の医者をまったく信用していませんが(『乳がん後悔しない治療』参照)、医者をまったく信用できないというのはほんとうに困ったことです。今日もはたしていま、IVHにしていいのか、素人には判断できません。私にはDr.Kがいるからまだいいようなものの、普通の人はどうするのでしょう? ってか、普通の人は医者のいいなりなんだよね。

 みなさん、医者というものは信用できないのでご注意ください。と言われても困ると思うけど、医者の言うことをうのみにはしないほうがいいですよ。と言われても、だれなら信用できるのか、どうやって勉強したらいいのか、素人にはわからないのでほんとうに困りますよね。

 そのうえ、母の入院している河北病院(杉並区阿佐谷北)はなんとあの悪名高い元杉並区長山田宏氏の息のかかった病院で、山田氏に迂回献金していました。これは証拠もあるのですが、なぜか闇に葬られました。

 山田氏が新党を立ち上げて区長をやめたため、7月11日に区長選が行われます。区長に立候補する千葉なおこ氏(医師)は山田区政を継承するとし、山田氏、杉並区医師会会長らと立候補の記者会見を行いました。この会見で司会を務めた河北病院の理事長と千葉氏の関係は?

 また、もう一人の有力区長候補は都議会議長の田中良氏(民主党)ですが、田中氏と千葉氏は元夫婦でした。区長選が元夫婦の対決だなんて、ローカルすぎる。

 さらに看護師をしている従姉の話では、河北病院は金儲けと手術をしたがることで有名だそうです。
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by lumokurago | 2010-06-29 21:46 | 父・母・介護

大腸がん

 母の病院に検査結果などの説明を聞きに行きました。入院の際、アンケートがあり「病名を本人に知らせますか?」という質問に「はい」と(妹が)答えたせいか、母も車いすに乗せられて説明を聞きました。母は思いのほかしっかりしていて「お医者さんが自分の病状について説明している」ことはわかり、お礼を言ったり、「娘にまかせます」と言ったりしていました。

 大腸と小腸との境目にがんがあって腸閉塞を起こしたとのこと。左の卵巣のあたりにもがんがあるが転移かどうかはわからないとのこと。治療方針としてはがんを切除して大腸をつなぎあわせる、卵巣あたりのがんもできれば切除するとのことでした。高齢なので危険はないのかと聞いたところ、大丈夫だと判断しているが、開けてみて切除が無理ならば食べ物が通るバイパスを作るとのことでした。(普通は)術後4、5日で流動食が食べられるようになる、2週間くらいで退院できるとのことでした。

 友人のお父さんが肝臓がんで手術したら、1カ月後くらいに亡くなり、友人は手術しない方が長生きできたと思うと言っていました。肝臓がんとか肺がんなら手術しない方がいいと思いますが、母の場合は手術しないと食べられないので、どうしたらいいのか迷います。

 勝手な言い分かもしれないけれど、手術して食べられるようになると、今後ぼけが進み、父のように意識もないような状態になってまで長生きすることになります。それよりは短い時間ではあっても家に戻って(期間が限られていれば家でみることができるので)、デイケアにも通って好きな手芸などを楽しんで自然に亡くなるのがいいなあと思います。(おーい、網野先生、早くよくなってください!)

 説明してくれた医師にセカンドオピニオンを聞きに行きたい旨を話し、データを貸してくれるように頼みました。Dr.Kの名前を出したら、消化器外科は専門じゃないでしょうみたいに言われ、食べられるようになるためにはと再度手術を勧められました。でも若い人なら迷わないけれど、なにぶん高齢だから心配なのだと言って、あさって(水曜日)Dr.Kのところに行くことを納得してもらいました。

 手術予定日は木曜日なので、水曜日中に手術と決められるならば電話してもらえばその日にできる。迷うようならば、手術が遅れ、食べられない期間が延びるのでIVH(中心静脈栄養)を行うとのことでした。
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by lumokurago | 2010-06-28 22:23 | 父・母・介護

母入院

 母が腸閉塞を起こし、大腸がんの疑いで入院したため、急きょ帰宅しました。手術などするとぼけがすすみ、寝たきりになってしまうので、無治療で私より先に逝ってくれればと思います。28日に検査結果の説明を聞きにいくということなので、それから対応を考えます。

 いろいろなことがつぎつぎに起こり、小笠原で曜日もわからなくなった頭には現実に適応するまでが大変です。ミャーちゃんがいないということも信じられません。
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by lumokurago | 2010-06-25 21:29 | 父・母・介護

母に会いました

 昨日、従弟が来てくれたので私の車いすを押してもらい、母に会いに行きました。退院直後に行ったきりなので、二ヵ月半ぶりくらいでしょうか。妹の話では「容子は何の病気だっけ?」と心配しているとのことでしたが、会ってみると「容子さん、変なとこで会うね」と言っただけで、病気のことは言いませんでした。車いすに乗っていることも変とも思っていないのか、気付かないのか何も言いませんでした。うちにいたころはいつも「悪くなってないんでしょ?」と心配していたのですが、ぼけが少し進んだようです。従弟のことは「わかる?」と聞いたら「わかる」と答えていましたが、どうもその様子からすると、「わからない」と答えるのが恥ずかしくて「わかる」と答えたのではないかという気がしました。

 母は幼い子どものようになっていて、なにしろ「待つ」ことがまったくできません。毎週土曜日にはコンサートがあるのですが、あんなに音楽が好きだったのに、一度も聞きにいこうとせず、みなさんが集まってテレビを見ている場にも行こうとしません。何かを作る場にはなんとか出ているようです。

 夜は「不穏」(大声をあげたり、自分で起きようとして動いたりする:老人介護用語)で困っていましたが、精神安定剤によって今は落ち着いて眠っているようです。老人の場合、薬の副作用が強くでてADLが低下したり、昼間も傾眠状態になり問題になることがありますが、幸いなことにそれはないようです。

 それにしてもまだうちで暮らすことができれば、昼間はデイサービスに通って何かを作ったり歌を歌ったり、楽しく過ごせるのですが、老人保健施設ではデイサービスほどは行事を行っていないので、やることがなく、部屋に閉じこもることが多くなってしまいます。「何したらいいのかわからない」が口癖になってしまいました。もっとぼけて作業ができなくなってしまえば、それはまた仕方ないのですが、母位の場合が一番困ります。何もできない家族もしんどいです。

 年老いてぼけた親を見ているのは非常につらいことです。自宅介護していれば、それはそれでストレスがたまり、施設に預けてしまえば罪悪感から逃れらません。妹はこの間、週に1,2度会いにいってくれていますが、どんなにつらいことでしょう。会わなければつらい思いも忘れてしまうので、私は今、非常に楽です。妹には本当に申し訳なく思っています。

 この施設に入ったのは1月22日です。老人保健施設はリハビリをして自宅に戻るという建前なので、3か月という期限が決められています。今は、特養が満杯なので、老人保健施設が特養の代わりに近い役割を担っているということで、期限早々に追い出されるということはないようです。しかし次を探さなければならず、そこも3カ月ですから、結局たらいまわしになり、大変なことです。

 母の場合、特養には申し込んでいますが、特養は今、独居でお金のない人のみで満杯らしく、状況が厳しい順に入所となるので、待っていても母に順番がまわってくるかどうかはわかりません。老人保健施設ではたらいまわし。それなら、有料老人ホームはどうかという話になるのですが、金額が非常に高いのです。老人保健施設も金額は高く、母で月35万程度かかっていますが、そのうち特養に入れるかもしれない(?)ので、有料老人ホームを選択するには決心がいるのです。

 ちなみに特養も父が最初に入ったころは月7万ほどでしたが、介護保険が改悪されて部屋代をとるようになり、二人部屋で月14万ほどかかっていました。特養だって決して安いというわけではありません。

 老人介護は自分にふりかかってこないと、何もわからないと思いますが(何事もそうですが)、信じられないほど悲惨な状態になっているので、無関心でいるといざというときに大変な目にあいますよ! 政府は国民に何の相談もなしにどんどん介護保険を改悪しています(自民党政府)。こんな政府でいいのか、よくよく考えてみましょう。国民のためになる介護保険制度を作るにはどうしたらいいのか考えてみましょう。現場の意見をまとめて政府に要求していくしかないと私は思います。そのためにはいったいどうすればいいのでしょうか?
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by lumokurago | 2010-05-02 18:01 | 父・母・介護

鈴さん、記事をありがとう

奥ちゃんのノウトパソコンで鈴さんのブログをさかのぼって読んでいたところ、こんな記事を書いて下さっていました。
http://blog.murablo.jp/kumanomiti/kiji/144039.html

ちなみに鈴さんの読んで下さった父の介護記録はこちらです。
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by lumokurago | 2010-02-24 11:37 | 父・母・介護

母に会う

 母のいる老人保健施設までタクシーで行き、ほぼ1ヶ月半ぶりに母に会いました。私のことは覚えていました。11月末に骨折するまで元気でデイケアに通い、いろいろなものを作ったり、歌を歌っていたことを思えば、何もすることがなくなって衰えていくのがかわいそうですが、自分も行動を制限されているので、あきらめがつきやすく、母はもう80歳を超えているのだし、仕方がないのだと自分に言い聞かせています。

 幼児が落ち着きなく探索行動を繰り返すような感じで、施設の中を妹の押す車椅子でぐるぐるまわっていました。その間私は母のベッドで休んでいました。
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by lumokurago | 2010-02-21 20:41 | 父・母・介護