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カテゴリ:子ども・教育( 104 )


「負けるな子どもたち」

「つくる会」教科書採択反対運動の中で知り合った新しい友人が、私の古い(1989年)著書「負けるな子どもたち」を読んでくださり、「ここには本質的なことが書いてある。本質的なことを書く(話す)人は少ない。感銘を受けた所に線を引いていくと真っ黒になってしまう」と言ってくださいました。

それで一体どんなことを書いたのかと自分の著書を読み返しました。自画自賛ですが、すっごくよかったです!!斎藤貴男氏にも比するほど(ほんとかね?)。

この本を読んだのは何年ぶりかな?? 私は今の子どもに関して自分が何ができるかに、すっかり諦めていましたので・・・自分の過去の実践を忘れてしまうほど・・・

仕事を辞める前に自分の書いたこの本を読み返していれば、辞めなかったかもね!

今、振り返ればほんとに“奇跡”だけど、私と同じような実践があの頃はどこの学校にも、子どもとつきあうどこの現場にもあったはず。

昨日のNHK「クローズアップ現代」はひどかったです。子どもをダメにしているのは今の日本社会全体なのに、その責任をすべて教師に押し付けていた。しかもダメになった子どもを逆効果の“対症療法”(と信じ込んでいるもの)で、ますます悪くしようとしていた。

このままではまさに破滅しかない。ほんとですよ!(29年に渡り、日々子どもを見てきた者より)

「負けるな子どもたち」は今でも販売しています。よろしかったらどうぞ。
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by lumokurago | 2006-06-23 00:13 | 子ども・教育

子どもの問題

10日の「クローズアップ現代・切れない子どもを育てるには」のことを何人かの人に話しました。ごく「普通」のおばあちゃんである方は、「お母さんの笑顔が一番なんて当たり前だよね。それに“自然”がないことが子どもにとって絶対によくない」とおっしゃっていました。その通り!

小学校の教員をしている方は、「前いた学校では、家庭の生活基盤が危うくてそれが大変だった。今の学校はお屋敷町で、生活は安定しているが、子どもたちはいい子ぶっていて大人が期待する“枠”にはまった反応しかしない。・・・子どもはどんどん悪くなっている。でもそれを統制できないと“指導力不足教員”のレッテルを貼られる」とおっしゃっていました。

私は長年、学童クラブで子どもたちを見てきました。子どもたちが荒れるのは学校が悪いとマスコミで宣伝されてきましたが、それは完全な間違いです。というのは、子どもは学校に上がる前の段階で、つまり小学校入学式前の4月1日(学童クラブ入会初日)にすでにおかしくなっているからです。

子どものことを悪く言うのは、タブーとされています。子どもには無限の可能性があるとみんな信じたいのです。もちろん「無限の可能性」はあるに違いありません。生まれたての赤ちゃんがもうおかしくなっているなどということはないのですから。

子どもたちがおかしくなってきたのは、子ども自身の責任ではありません。大人たちと社会全体の責任です。子どもたちがおかしくなってきたことをつぶさに見ているのは、学校の教員、保育園、児童館、学童クラブの職員など、大勢の子どもたちと日々接している大人たちです。しかし、これらの人々は子どもがおかしくなってきたとは言いにくい状況におかれています。なぜならば、「あなたたちのやり方がおかしいからだ(指導力不足)」と言われるからです。

私は昔、本を書きました。その時も子どもがおかしくなったことを書いたら、編集者に「希望がない」と言われました。「希望」があるものでなければ本にできないというのです。でも、一体どこに「希望」があるのでしょう? 「希望」は他人が書いた本などの中に求めるのではなく、一人ひとりが必死になって自分で求めていかなければならないのではないでしょうか。

その時、私は本を出したい一心で、いわばこじつけで「希望」もどきを書いてしまいました。今、痛切に反省します。そんなものはなかったのです。或いは弁解かもしれませんが、私も子どもの中にたとえ幻だとわかっていても、「希望」を見たかったのでしょう。

子どもがおかしくなってきた、年々悪くなる一方だなどと言うと、袋叩きに会います。(同業者からは共感されますが)。しかし、子どもたちは確実におかしくなってきているのです。指導力不足のためだけではないと思います。子どもは大人社会を写す鏡です。大人たちがこのことから目をそらさず、日頃子どもたちに接している人たちの声に耳を傾け、子どもたちはなぜそうなってしまったのか(現在進行形で悪くなる一方)を考えなければ、この国の未来はないでしょう。
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by lumokurago | 2006-05-14 23:46 | 子ども・教育

NHKクローズアップ現代「切れない子どもを育てるには」

「切れない子どもを育てるには」(このタイトルは正確ではないかも)、というテーマで、脳科学者が脳を研究し、いろいろとわかってきたという内容を報告していました。

唖然!!!です。

なぜならば、ここで報告した内容
1.脳の中で豊かな感情を持つ部分(あまりに怒っていたため、名まえ失念)を育てるためには、親しい人の笑顔を見るのが有効。(怒った顔や知らない人の笑顔ではなく「親しい」人の「笑顔」)
2.脳の中で感情を抑える部分(前頭前野のある部分)を育てるためには、同じオセロをやるにしても、ゲーム機で遊ぶのではなく、人間と遊ぶことが有効。

は、脳の研究などしなくても、人間としてごくごく当たり前で自然なことだからです。それなのに、最新の研究の結果、初めてわかったことのように、「大事なことがわかった」などと放送している。その感覚がすでに人間の末期症状です。

なぜ国谷裕子さんは、少なくとも「感覚的に当たり前だと思っていたことが、科学的にもやはりそうだったのですね」などと感想を述べないのでしょう? へんだ、へんだ。

そして、研究結果として「切れない子どもを育てる」ためには、ある幼稚園で実施している「じゃれつきごっこ」が有効だそうです。この幼稚園では30分と時間を限って、お母さんや保育者と子どもたちが体をつかって思い切り感情を表現し、笑い、声を出して「じゃれあう」遊びをしているそうです。これが豊かな感情を育てるとのこと。

また、この遊びは30分たったらきっぱり終わりとし、子どもたちで静かに片付けるそうです。これが感情を抑制する訓練になるとのこと。

自然なスキンシップがなかなかできない今、「訓練」として(とは言っていませんでしたが同じ意味です)、こういう遊びが大事だそうです!!!

こんなことをテレビでやっているとは世も末じゃ・・・

しかし、若いお母さんたちを見ていると、こんなふうに「子どもの感情を育てよ」と教えなければならない状況になっているのかも・・・とも思ってしまいます。自然なスキンシップができなくなっている人も見かけるので・・・
でもでも、スキンシップは強制するものではなく、内側から沸き起こってくるものでしょう?
そうでないお母さんがいること自体末期症状です。できないからといって教えれば解決する問題ではない。

このことだけでなく、子どもの問題はもうよじれよじれて、こんがらがって、複雑で・・・どこからほどきにかかればいいのかもわからない。
この日本はいったいどこから狂いだしてしまったのだろう??
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by lumokurago | 2006-05-10 20:38 | 子ども・教育

私の「子ども論」について

 仕事を辞めたので最後の(?)「子ども論」を書こうとして、昔書いたものを少し読み返していました。

 「暗川」に引用した“巻頭詩”はすばらしい!我ながらなんていい詩ばかりなんだろうと感動してしまいました。アンソロジーを編みたいです。(ご希望の方はご注文下さい。無料です)
 ウェブサイトに引用するのは著作権侵害になるのかもしれないけれど、見つからないと思うので、茨木のり子さんの詩を載せさせていただきました。(茨木さんは許してくれると思います)。

 ところで1986年度に作っていた宮前学童クラブの「もうひとつのページ」はすばらしかった。職員とお母さん方が共に子どもを育てる者として、子どもたちについて必死になって考えています。(あの時も館長に「学童クラブのお便りという“公文書”に渡辺さんの個人的な意見を載せてはいけない」と言われましたが、無視しました)。
 今ではいろいろな意味で、とてもできないでしょう。第一、クラブの子どもたちの様子を文書で保護者に知らせることすら、匿名であっても「個人情報保護条例」に違反するということで頭から「禁止」されるでしょう。
 あれは19年前・・・すごいすごい昔ですね。でも今の子どもの“問題”の本質は、あの頃から全然変わっていないと思います。日本の大人たちは19年間も放っておいたのですね。(いや、ほとんどの人は気づいていないのか)。私の「子ども論」はあの頃書いたもので十分だという気がします。でもあの後まとめた「本」(「負けるな子どもたち」・1989年径書房刊)は、一番大切な「希望」の部分で古くなってしまいました。今、「希望」を語るとすれば、どの部分で可能なのか・・・むずかしいけれど考えてみたいです。
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by lumokurago | 2005-06-05 21:19 | 子ども・教育