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カテゴリ:子ども・教育( 104 )


『負けるな子どもたち』の感想 その1

『負けるな子どもたち』 切れ切れの<感想>  山岸光人 1990年5月

 何年かまえ、夏休みあけに子どもたちがつぎつぎと自殺したことがあった。マスコミは連日この問題をとりあげ、自殺の原因やら背景やらをそのすじの専門家や教育関係者のコメントとともに特集したりしていたのですが・・・そのなかで稲村なにがしという某大学の教授(「登校拒否」だとか「子どもの自殺」だとかの本がある)が、「どうしようもなくなったら、身近な大人にでも電話するようにすればいい」(正確ではないけどこんな内容)と発言していた。ぼくはこれを読んで「ドーゾ、ワタクシニデンワシテクダサイ」というある健康器具の宣伝を思い出した。

 稲村なにがしは自身が、電話をとおした「子どもとの相談」みたいなことをやっているから、コメントを求められてこういう発言になったのだと思うが、子どもたちが「死」へと自分を押しやっていかざるをえない<切実さ>に<死>を内化してしまった子どもは、電話などをそういう大人にするのだろうか? という疑問がいまでも離れない。おそらく、<子どもの変貌>―校内暴力・登校拒否・子どもの死など―に対する現実的な社会の対応力というのは、この程度のものになっているのだと思う。

 さて、『負けるな子どもたち』を読んでいて思ったのは、こういう<子どもの変貌>と<社会の対応力の無化>のなかで、とまどい、あせり、いらつき、しかしなおも子どもにまっすぐに関わっていこうという渡辺さん(というか、学校、教育関係の現場のガンバッテイル人たち)の大変さと子どもたちの「もうひとつの顔」というもののナゾであった。

 ――(引用)初めて「オニ」といわれた時は、正直いって驚いた。だって、私は前にいたクラブでは「やさしい」としか言われたことがなかったし、そんなにおそろしくおこっているという自覚もなかった。(略)なんでそんなにこわがられるのか不思議であったが、そんなことを気にするたちでもなく(略)適当にふざけて「オニ」の役をやってみせてきた。/ でも、おやつや弁当の時、私がひとつのテーブルにすわるとそのテーブルの子が「オニが来た」と言って、私から体を遠ざけたり、「あっちへ行ってよ」などと言った時はまいった。だけどこれは<ゲーム>なのだろうか?

 その後、異動したもうひとつの学童クラブで、私は「ルンペン」というあだ名をつけられ「オニ」の時とそっくりな体験をした。/ なぜ「ルンペン」なのかというと、私がよく子どもたちに「食べ物を大切に」「物を大切に」と言っていて、私がそういうと子どもは「ビンボー」と言ってはやしたて、「ビンボー」が「ルンペン」のイメージに結びついたため(略)と思われる。/ 「オニ」「ルンペン」には、排除すべき要素と、こわいもの見たさでこころひかれる要素とが両方備わっていて、自分の都合のよいように、その時々で使い分けられる。それは人との<関係>をも<ゲーム>にしてしまう今の子どもにとって、ぴったりのキャラクターである。――

 新聞や雑誌の、この本の紹介には、この「オニ」「ルンペン」の話がよくとりあげられていたから、簡単に抜き書きしてみた。渡辺さんも言っているように「オニ」「ルンペン」には、子どものなかで両義的な意味で無意識に使われている。ぼくも、学童の子どもと接したとき、「このトンマなおっさんヨー」と無前提に呼びかけられたことがある。「コノヤロー」と思ったが、「トンマなんていっちゃだめだよ」と軽くたしなめた。こんな言葉づかいを、ぼくも子どもの頃していたのであろうか? 先生や大人や目上の人にこんな感じで接していたであろうか? どうも違うような気がする。仲間同士ではそういうことがあっただろうけど、先生や大人や目上の人には、どんなに親しくなってもこういう感じではなかった。

 ここが、今の子どもたちをみていて「ナゾ」と浮き上がってくるところである。ぼくの子どもの頃は、目に見えない<社会性>というか、「社会的な規制力」というか「社会的な抑止力」というのがどこかで働いていた。いい、悪いは抜きにして「社会道徳」というもので、それは公的に存在していた。「目上の人には言葉づかいは丁寧に」とか「物は大切に」とか「お年寄りにはやさしく」とか・・・もろもろの生活のなかで無意識に受容していったのだと思う。だがこのごろはそういう<社会性>というものは、いいものも、悪いものもすべてひっくるめてどこかへ押しやられてしまったような気がする。ぼくは道徳主義者じゃないから、それはそれでしかたがないかなとも思うけど、そう思うこころのどこかでどす黒い不安がある。
 
 たとえば、渡辺さんは、べつのところでこういうことも言っている。

――今の子どもたちは、「みんな」とほんの少しでも違うところのある者を見つけて「仲間はずれ」とからかったり、排除することによって、自分は「みんな」の側に属しているのだということを確かめて安心するという傾向が強い。人間はひとりひとり違うもので、その違いこそが尊重されるべきであるはずなのに、きっと今の子どもたちは、みんなそれぞれ違う価値をもつ存在なのだということが認められる場がないのだろう。かわりに、みんなと同じであることをよしとする社会や教育によって、みんなと違う者を排除することに敏感になってしまっている。――

 今の子どもたちは「戦後民主主義」の、まるごとの受容者である。生まれたときから<平等>というもので縛られて育つ。一方、学校教育は「試験―成績―評価」というもので、強固な価値の画一化と序列化を完成させてしまった。このふたつが結びつけば、「試験―成績―評価」というものが<平等>というものの最低ラインにすえられてしまうだろう。「頭は悪いけど、体育はすごい」とか「学校ではダメだけど、帰って遊びになると天才的だ」とかは、昔のように価値としては子どもたちも社会も<受け入れ>なくなっている。「教育の機会均等」という「戦後民主主義」の崇高な概念は、子どもの道筋を細かい網の目のような価値(「試験―成績―評価」)に押しやってしまっているのかもしれない。そのなかで子どもたちは、渡辺さんのいうように「みんなと違う者を排除することに敏感に」ならざるをえないのかもしれない。『負けるな子どもたち』を読んで、こんなことを漠然と考えたのでした。ハイ。

 参考 「オニ」のつぶやき
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by lumokurago | 2011-08-08 17:04 | 子ども・教育

『負けるな子どもたち』

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 1989年に出版した『負けるな子どもたち』(径書房)です。残念ながら売り切れてしまいました。この本にDr.A宛てのメールに書いたようなことが詳しく書いてあります。

 この本をだしたあと、いくつかの保護者グループから話をしてほしいという申し出を受けました。久しぶりに手紙を読み返して破棄する作業をしていたところ、あるグループの方々からの手紙や感想を発見しました。そのなかから掲載します。許可を得ていませんがもう時効でしょう。

*****

 もし「お話」していただけるとしたら――。 1990.5.23 

 まだ話にきていただけるかどうかわからないので、こういうものを書くのもなんだかおかしいような思いもあるのですが、とりあえずイメージしているのを走り書きしてみます。個人的なイメージですが―

 渡辺さんの『負けるな! 子どもたち』を読んで、とくに「あ! 同じだな」と感じたのが、80年ぐらいから子どもたちがよく見えない。うまくつかめない、という感覚です。校内暴力、登校拒否、いじめ、自殺etc. 子どもの問題が社会の前面にでてきたのもこの頃のような気がします。

 渡辺さんはこのあたりのことを「家庭環境」からだけではとらえきれない、もっと広範囲な、普遍的なもの、<時代>から来る<不安>と言っています。こういうのは確かに、渡辺さんも指摘しているように、子どもばかりでなく、大人にも同じようにあらわれているものだと思います。

 渡辺さんは、本を読んでのかぎりですが、こういった感覚を出発に、子どもとの関係、親との関係、同僚との関係を、つまり人と人との<関係>を現実の学童クラブでの様々の事件やできごとを通して探っていった、というように思えます。

 実は、こういう<関係>というのを、ぼく(たち)親もうまくつかめず(もちろんぼくたち個々の働きかけの不足などもありますが)、ただウロウロしているばかりです。親も子も、指導員も、どこかでバラバラにされているという実感です。こういうことは子どもにモロに敏感に反応します。学校ばかりでなく、学童クラブにも「行きたくない」などと言われると「オッと、どうしたんだろ」とうろたえてしまいます。ぼくなどは―。そしてそれはうちの子ばかりではないんだろうなあと思います。

 よく考えてみると、子どもは学校や学童クラブでどのような生活をしているのか、本当のところよくわかりません。親や指導員や先生の働きかけがないと、学校や学童クラブというのはいつも閉じられているのでしょうか? そこでは何もおこらず、平穏に一日が過ぎているのでしょうか? そうではないと思います。子どもにとっての切実な事件がきっと毎日のようにあるのでしょう。

 渡辺さんの本を読んで、こういう普段ボヤーっとしていて深く考えないところをはっきりと自覚させられました。親それぞれ、家庭それぞれに個々の悩みや疑問がありますが、子どもが見えないというところから出発した、渡辺さんの疑問や悩みはきっと共通なものだと思います。そして、学童クラブでおきる様々なできごとも。こういったことを本で書かれていることにそって話していただけたらと思います。もちろんこういった話し合いなどはぼくたち独自でもやっていきべきものだとはっきり自覚したうえで―。お願いします。

*****

 松田まゆみさんが『負けるな 子どもたち』の感想を書いてくださいました。こちらをどうぞ。
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by lumokurago | 2011-08-07 17:33 | 子ども・教育

教科書展示会

 8月に中学校の教科書採択があるので、図書館で教科書展示会をやっていました。火曜日に西荻図書館に行ってきました。部屋が冷房で寒かったし(節電モードになっているのだが、私はいつも冷房なしの部屋にいるので敏感になっている)、長い間座っていられないので、1時間くらいしかいられませんでした。歴史だけで9社(大阪書籍がつぶれたがどこかの出版社で引き受けたと思う?)。育鵬社と自由社(2005年には扶桑社だったが、その後「つくる会」が分裂し、2つの会社からだしている)と清水書院と帝国書院をぱらぱらとめくっただけ。(注:「3学年ある」と書いたのは誤りです。歴史・公民は学年別ではありませんでした。国語、数学、英語は学年別ですね)。

 教科はほかに、国語、数学、地理、理科、英語、音楽、美術、体育、家庭、書写、地図・・・?? 全部で何冊あるのか? 何百冊です。

 もともと「新しい歴史教科書をつくる会」が登場するまで、教育委員は現場の教員がよいという教科書を選んでいた。そのやりかたではとてもとても「つくる会」が採択される可能性はないので、「つくる会」はありとあらゆるところに圧力をかけて、自分たちの教科書が採択されやすいように制度を変えてしまった。

 もっともわかりやすい例として、教員の意見は形式的に調査するが、教育委員は自分の判断で教科書を選ぶことにした。だから、その採択地区の教育委員の過半数を「つくる会」支持の教育委員に入れ替えれば、教員がどんなに反対していようが、「つくる会」が採択される。教育委員を任命するのは自治体の首長なので、首長が前杉並区長山田宏のように極右であれば、教育委員会は「つくる会」で占められてしまう。石原知事が極右なので東京都教育委員会が極右になってしまったのもこの原理による(東京都教育委員会はなんでこんな奴を教育委員にするのかというようなまったくの素人ばかり)。

 47年教育基本法第10条は戦前の国家主義の教育を反省し、「(国家や政治の)教育への不当な支配」を禁じていた。上記の改変は教育基本法が改悪されるまえにすでに行われたので、47年教育基本法違反である。私たちはこのことの象徴として、安倍晋三を提訴したのである。

 話を戻すと、教育委員が自分の判断で教科書を選ぶといっても、あらゆる教科の何百冊に及ぶ教科書を全部読んで各社比較するなど、神でない限り不可能である。全科目が専門である教育委員などいないだろうし、だいたい全部読むだけの時間がないと思う。

 どの教科書が教えやすいかを一番よく知っているのは、当たり前だが、日々教科書を使っている教員なのである。なぜ生徒を教えることもない教育委員の選んだ教科書を使わなければならないのか。実際、杉並区では歴史のみならず、数学までも教育委員の気まぐれで、いままで使いなれていた教科書を突然使いにくい教科書に変えられて、大変な苦労をしたと聞いている。

 だいたいいまどき「教科書検定」があるのは日本ぐらいなのでは? 欧米では公立学校においても教員が自分の使いやすい教材を選んでいるそうだ。ユネスコ憲章は教員が教科書を選ぶ権利をうたっている。

 ていねいに比較する時間がなかったので、アンケートには「教育委員は何百冊を読み比べることはできない。教科書を選ぶのにふさわしいのは教員。教員の意見を尊重した採択を」と書いてきた。

 むかし養護施設の中3の子どもにおもに数学と英語を教えていたので、いまはどうなっているかとちょっとみてみたら、驚き! 英語の教科書はマンガ、イラストだらけで文章は各ページの4分の1~3分の1。これは2、3歳の幼児向けなのか? 中3をばかにしきっている。むかしの教科書はまだ字が多かったような気がするのだが・・・。

 
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by lumokurago | 2011-06-30 17:44 | 子ども・教育

横浜からの緊急のおねがい

「育鵬社」「自由社」の教科書を採択させないための20万署名のおねがい

****************
今、横浜がSOSです。

現在、全国の教育委員会では、来春から4年間、中学校で使用する教科書を選ぶ採択手続きを行っています。

採択の対象となっている中学校用歴史と公民の教科書の中に、まるで戦前の国定教科書のように戦争を賛美し、国への忠誠を求める「育鵬社」や「自由社」の教科書が、登場しています。

この2社の教科書は、特殊な価値観で書かれているだけでなく、事実の誤りや盗用疑惑などもあり、これからの国際社会で生きる子どもたちにふさわしいとはいえません。

横浜市では、2009年、全国の公立中学校で唯一、「自由社」の歴史教科書が採択されてしまい、現在横浜市内8区で約13000人の子どもたちが使用しています。

そして現在、前回「自由社」を選んだ教育委員が、まだ3分の2残っています。このままでは、横浜の教科書採択は、大変危険な事態を迎えることになります。

私たちは、「自由社」を採択させない!「育鵬社」も採択させない!という決意で、今、20万人署名に懸命に取り組んでいます。

8月上旬には、採択が行われると思います。従って7月上旬までという大変緊急な署名の取り組みですが、「横浜教科書採択連絡会」を中心に、総力を挙げて取り組んでおります。

全国のみなさんには緊急なお願いですが、ぜひ20万署名に、お力を貸してください。

署名用紙による署名だけでなく、ネット署名も可能です(用紙とネットいずれかでお願いします)。

●ネット署名は以下をクリックしてください。
 転載・転送・リンクも可
 
http://sites.google.com/site/ykshimin/

●署名用紙による署名問い合わせは以下にお願いします。

携帯:080-1151-0943
Fax:045-761-3388
メール:eiko.niji@jcom.home.ne.jp
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by lumokurago | 2011-06-15 09:59 | 子ども・教育

南葛飾高校定時制の実践

 社説:君が代起立判決 現場での運用は柔軟に (毎日新聞)

 学校行事の君が代斉唱時に起立を命じた校長の職務命令は、「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないと、最高裁が初めての判断を示した。卒業式の君が代斉唱で起立しなかったことを理由に、定年後の再雇用を拒否された東京都立高校の元教諭が損害賠償などを求め訴えていた裁判だ。

 公立学校の教職員に対する君が代斉唱・起立をめぐっては、基本的人権としての19条と、「全体の奉仕者」として上司の命令に従わなければならない地方公務員の立場のどちらに重きを置くかにより、司法判断が分かれてきた。

 今回の裁判も1審の東京地裁は09年1月、職務命令は合憲としながら、定年前の一時期は命令に従っていたことから「裁量権の逸脱」として都に約210万円の支払いを命じた。だが、東京高裁は同10月、「都には広い裁量権がある」として元教諭の訴えを退けていた。

 元教諭は、「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたと主張した。最高裁は「国歌の起立・斉唱行為は、式典における儀礼的な所作であり、職務命令は、元教諭の歴史観、世界観それ自体を否定するものではない」と、判断した。

 ただし、最高裁は「君が代の起立・斉唱行為には、敬意の表明の要素を含み、思想・良心の自由に対する間接的な制約となる面があることは否定し難い」との考え方を初めて示した。その上で、職務命令をする場合は、その制約が許される程度の必要性や合理性があるかの観点から判断すべきだと述べた。

 命令の目的や内容、制約のあり方によっては、認められない場合もあり得ることを示したものだ。

 須藤正彦裁判官は、補足意見で「本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせ、活力をそぎ萎縮させるということであれば、かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきだ」と述べた。

 同感である。99年に国旗・国歌法が成立した際、過去の歴史に配慮して国旗・国歌の尊重を義務づける規定は盛り込まれなかった。教育現場の自治や裁量に委ねることが本来、望ましい姿ではないか。

 大阪府では、公立学校の式典で君が代を斉唱する際、教職員に起立・斉唱を義務づける全国初の条例案が府議会に提出された。今後、違反した教職員の処分基準も定める方針という。最高裁判決は、過度のペナルティーを認めたものではない。その点を踏まえた議論が必要だ。

毎日新聞 2011年5月31日 2時30分

*****

 この「元教諭」申谷(さるや)雄二さんは都立南葛飾高校定時制(南葛)で長年に渡り、いろいろな事情で定時制に来た高校生と文字通り格闘してきた。在日の生徒が多いため朝鮮語の授業もある(李政美=イ・ジョンミさんはここの出身)。林竹二さんも竹内敏晴さんも授業をした。その実践は『授業による救い』(林竹二著・径書房)などに詳しい。

 私が面倒をみていた養護施設出身のKは中卒で施設をでて、寮つきの就職先に就職した。いまから思えば彼が定時制に通うなど土台無理な話だったのだが、そのころの私は希望に燃えていたので(?!)、どうしても彼を高校に入れたかった。(私が泊りボランティアをしていた)自立援助ホーム・憩いの家の寮母さんも「たとえ中退したとしても高校生活を少しでも経験しているとしていないじゃ全然違う」と言っていたし。

 それで南葛の申谷さんを訪ね、Kを入学させたのである。そのころの南葛には申谷さんだけでなく、すぐれた実践を行っている教員が集まっていた。彼らがKの面倒を見てくれた。

 しかしとても、とても、Kは定時制に通えるようなタマではなかった。仕事だって親切な社長さんや先輩に起こされ(朝、起きられない)、実の母親が給料日に来て給料を全額持っていってしまえば、前借りさせてもらい、ご飯をおごってもらって・・・ようやく仕事に行っていたのだから。

 思いだすといろいろなことがあった。申谷さんと一緒にKの部屋を訪ねたこともあった。でも無理なものは無理なんだよね。どんなにまわりが一生懸命になっても、本人に生きる力が育っていないのだもの。

 申谷さんにはほんとうにお世話になった。こんな力のある教員を再雇用しないなんて、いまはますます増えているであろう大変な境遇にある定時制高校生のためにものすごい損失である。

 都教委は日の丸君が代に頭を下げていれば、生徒を教育する力などどうでもいいのか。力のある教員ほど抵抗すると思うよ。

 大阪の橋下知事も日の丸君が代に頭を下げなければ即クビ! 管理強化するばかりで、生徒を育てる力のある教員はいらないらしい。そういう教員がいなくなれば、お上にへーこらする教員ばかりになり、お上は気持ちがいいだろうが、子どもたちはどうなるの? 子どもの教育なんかどうでもいい=見捨てるってことだぜ。
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by lumokurago | 2011-05-31 15:11 | 子ども・教育

橋下知事の暴挙に反対する署名賛同願い

「大阪府議会・『君が代』起立条例に反対するアピール」への賛同のお願い

 突然のお願い文の送付、失礼いたします。急なお願いではありますが、大阪府議会で起っている事態に対して、標記のアピールを緊急に公表する予定です。

ついては、お名前の公表を前提として、標記アピールへの賛同をお願いできないでしょうか。アピール文は、次ページの内容です。こちらよりご連絡させていただきたいと考えておりますので、ご検討いただけると幸いです。どうかよろしくお願いいたします。

橋下大阪府知事は、この卒業式・入学式での状況を口実に、今行われている大阪府議会5月議会において、卒業式や入学式の「君が代」斉唱時に教員の起立を義務づける条例案を持ち出し、「大阪維新の会」(代表:橋下徹大阪府知事)の一時的な単独過半数という「数の力」によって強行に成立させようとしています。5月27日か6月3日の本会議が山場となる見込みです。

橋下知事は、教育の現場においても民間企業においても、「上司」の命令に従うことがあらゆる人権に優先する絶対的な使命であると考えています。知事は「大阪府教育委員会で、起立斉唱を決めたのだから、その下で働くのであれば、決定に従う。嫌なら辞めれば良い。」として、9月議会には、複数回「不起立」を行った教職員を懲戒免職にするルールを条例化するとまで言っています。

教職員に一律に強制することは、今度は教職員がその先頭に立って、多様な考えを持つ子どもたちに強制することを意味します。橋下知事は、「もし、学校現場において自分の頭で考え、君が代斉唱時に起立したくないと言う生徒がいたとする。それこそ教育ですよ。生徒の考えを聞いて、教師が何を語るか。これこそ教員の腕の見せ所。」と、教員がまず従うこと、その上で子どもたちをいかに説得できるかが教員の「腕の見せ所」だと主張しています。今、大阪で進行している事態は、まさに戦前の教育への逆戻りの道です。

今期府議会の閉会まで多くの時間は残されていませんが、大阪府議会各会派、教育委員会に対して、条例反対の声を集中したいと考えています。


「日の丸・君が代」強制反対ホットライン・大阪 事務局

代表:黒田伊彦

HP:http://www7a.biglobe.ne.jp/~hotline-osk/
E-Mail:hinokimiosk@yahoo.co.jp

(アピール文)

「君が代」起立条例に反対しよう!

2011年5月

 橋下徹大阪府知事と大阪維新の会は、開会中の大阪府議会に「君が代」起立条例を提出し、卒業式・入学式において教職員に「君が代」斉唱時の起立を義務化しようとしています。さらに、9月府議会には「複数回の不起立で懲戒免職」を含むと言われている教職員処分条例を提出し、大阪維新の会の多数の力で、強引に成立させようとしています。加えて、不起立者の氏名、所属校を公表することも検討するとしています。

 「起立条例」や「処分条例」は、あの石原都政や東京都教委ですら行っていない暴挙であり、何としてもやめさせなければなりません。

 こうした動きの直接きっかけは、入学式での不起立教員2名に対して、職務命令違反であるとして5月6日に戒告処分が出され、その新聞報道の中で不起立者のいる府立高校は他に26校あると報じられたことにあると言われています。橋下知事は、「君が代」斉唱時に起立しない教職員を自分に対する反逆であるととらえ、我慢ならなかったのでしょう。

 橋下知事は、5月7日と8日に府幹部などに出したメールの中で、「論理的な問題ではなく、社会常識の問題ですから、最後は政治が決することです、(中略)何が社会常識かは、価値判断にかかわること。意見が割れたときには、最後は公選職が決めることです。組織のルールに従えないなら、教員を辞めてもらいます。」などと述べて、起立強制の条例と処分のルールつくりを打ち出しました。

 橋下知事は、「起立は社会常識」「ルール違反」などと問題をすり替え、「君が代」強制の歴史的、現在的問題点を一切捨象して、何が何でも教職員に起立を強制しようとしているのです。そこには、悩みながらも不起立を選択せざるを得なかった教職員の心情はあえて無視し、ひたすら自分に逆らっている者へのあからさまな敵意があるだけです。

 そもそも「君が代」斉唱は、侵略戦争を担ってきたその役割や信仰上の理由などから、きわめて個人の思想・良心の自由にかかわる問題です。教職員への起立強制は、多様な考えを持つ子どもたちへの起立・斉唱強制へとつながることは明らかでしょう。

 今回の動きの背景には、「大阪都構想」をめぐる橋下知事の政治的戦略があるとする新聞報道もありました。実際に、記者会見では「(教育行政についての)問題提起のネタを探していた」と発言しています。

 大阪、そして全国の人々に訴えます。このまま条例の制定を許してしまうならば、将来にわたって大きな禍根を残すことになります。橋下知事によるこの歴史的な暴挙に対して、今こそ反対の声を上げていこうではありませんか。

呼びかけ 「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪

「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪 事務局 井前弘幸

賛同送付先: imae@shore.ocn.ne.jp FAX: 072-250-3139
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by lumokurago | 2011-05-23 11:02 | 子ども・教育

日韓市民友好のための共同アピール

日韓市民友好のための共同アピール
日韓友好のかけはしとなる教科書を子どもたちに渡しましょう!

今年、2011年は中学校教科書採択の年です。

今、日本の文部科学省によって中学校教科書の検定が行なわれています。3月末には検定結果が公表され、8月中には全国500あまりの採択地区で、来年度から使用される教科書が決定されます。
今回の検定と採択は、「愛国心教育」を盛り込むように改悪された新教育基本法と、新学習指導要領にもとづいて行なわれます。そのため、これまで以上に偏狭で、自国中心主義的な内容の教科書が、教育現場で使用されるようになることを、日韓の真の友好を願う私たちは強く懸念しています。

2001年に「新しい歴史教科書をつくる会」(「つくる会」)が、「これまでの教科書は自虐的だ」「日本の歴史に誇りを持たせる歴史教育が必要だ」と叫び、侵略戦争と加害の歴史を正当化する歴史・公民教科書(扶桑社版)を発行しました。この歴史教科書は「日清・日露戦争」や「韓国併合」を「自衛のためのやむをえない戦争、併合だった」と記述しています。また、公民教科書では「竹島/独島」について「韓国が不法占拠している」と書き、両国民の対立を煽りました。

その後、「つくる会」は分裂し、2009年には侵略を正当化する教科書が2社(扶桑社、自由社)から発行されました。横浜市の一部で自由社発行の教科書が採択されたことから、今や、全国の中学生の60人に一人が偏った自国中心主義的な歴史教科書で学習させられています。

対立を増幅させるナショナリズムを子どもたちに植え付けてはなりません。

しかし、懸念されるのはそれだけではありません。文部科学省が中学校学習指導要領の解説書において、「竹島」について「北方領土と同様に」扱えと、日本国内の領土ナショナリズムを煽るかのような指導をした結果、今年度発行される8社の社会科教科書には「竹島/独島」に関して、日韓両国民が鋭く対立せざるをえないような記述がなされていることが予想されるからです。

すでに、2010年に発行された小学校教科書では、「島根県に属する竹島を韓国が不法に占きょしている」と記述した教科書(日本文教出版発行・旧大阪書籍版)が出てきています。このことによって作られた日韓両国の間の緊張と対立の火種が、これ以上燃え広がることがあってはなりません。

そもそも「竹島/独島」は、1904年から始まった日露戦争の真っ只中で、ロシア艦隊を監視するための望楼を建設するという軍事的目的から、1905年1月に日本政府が島根県への編入を急きょ閣議決定したものです。それは、日本が朝鮮を軍事占領し、実質的な支配下に置いていく状況のもとで、朝鮮全土の植民地化に先駆けて行なったものでした。そのため韓国では、「竹島/独島」問題は単なる両国の領有権の対立の問題としてではなく、日本が朝鮮を植民地化していった一連の歴史的過程で生み出された問題として認識されています。つまり「竹島/独島」問題は、日韓両国民にとって、侵略戦争と植民地支配の清算にかかわる問題でもあるといえましょう。

このような歴史的経過のある問題であるがゆえに、従来の日本の教科書では、「竹島/独島」についてはまったく記述しないか、または「日韓両国が領有権を主張している」といった記述にとどめていました。それをあえて今、文部科学省は扶桑社の公民教科書と同様の記述を、他社にも求めているのです。

私たちは、このような記述は日韓の友好にとって百害あって一利なしと考えます。両国の政府間の冷静な話し合いによって解決すべき問題を、「韓国が不法に占拠している」と一方的な記述をすることにより、日本の子どもたちに友好国への悪感情と排外主義的なナショナリズムを植え付けることは、断じて許されることではありません。

「近隣諸国条項」を尊重した教科書を子どもたちへ

文部科学省は、社会科教科書の検定基準のひとつに「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」をあげています。これがいわゆる「近隣諸国条項」と呼ばれているものです。

これは1982年に、「侵略」から「進出」への書き換えをめぐって教科書問題が起こった際に、過去の日本のアジア諸国への侵略・加害行為の反省を教科書の記述に反映させるために、日本政府が自ら設けた項目です。アジア諸国からの信頼を回復するための措置として、この検定基準が設けられたという背景を考えるなら、「近隣諸国条項」は国際社会に向けて日本政府が行なった“約束”ともいえるものです。

にもかかわらず「つくる会」の運動が始まると、2001年以降、文部科学省はこの条項を事実上反故(ほご)にし、同会系の教科書を検定に合格させ、日本軍「慰安婦」に関する記述も後退させてきました。現時点ではまだ検定結果は公表されていませんが、文部科学省は育鵬社版(これまでの扶桑社版)、自由社版ともに検定に合格させることが予想されます。

国際社会においては、2010年6月に国連子どもの権利委員会が「日本の歴史教科書においては、歴史的出来事に対する日本側の解釈しか記述していないため、地域の異なる国々出身の子どもの相互理解が増進されていない」との勧告を出しました。これまで教科書問題が発生するたびに、日本政府が「近隣諸国条項」をもって“近隣諸国に配慮している”と説明してきたことと、現状とが矛盾することを国連が指摘したのです。このような国際社会の声を日本政府・文部科学省がどのように受け止め、検定に生かすのかが国際社会からも注目されています。

おりしも、昨年「韓国併合百年」にあたって、日本の菅直人首相は談話を発表しました。菅首相は、韓国・朝鮮の人々の「意に反して行なわれた植民地支配」を「自らの過ち」として認め、「省みることに率直でありたい」と述べました。そしてその上で、「両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意」を表明しました。

私たちは、この菅談話の立場が検定においても貫かれるべきだと考えます。菅談話と「近隣諸国条項」にもとづき、日韓の友好を壊すような記述を厳しく精査し検定を行なうよう文部科学省に強く求めます。それこそが日本が国際社会、とりわけアジア諸国の人々からの信頼を取り戻す道ではないでしょうか。

絡まった日韓の糸を解きほぐし、平和な東アジアを構築する主体を育てましょう。

私たちは、日本の中学生たちが歴史を偏った形で学び、歪んだ自国中心主義に陥って、アジアの人々との友好関係を自ら壊す結果になることを危惧しています。20世紀は「戦争の世紀」と呼ばれてきました。21世紀に入ってもいまだ人類は戦争を克服できていません。21世紀を真に「平和の世紀」にするためには、「平和を創造する主体」を育てなければなりません。そのためにも社会科教育は極めて重要です。子どもたちにもっとも適切な教科書を渡せるよう、日韓の市民が今回の検定と採択に注目し、ともに声をあげていきましょう。
                               2011年3月21日

賛同団体

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by lumokurago | 2011-03-23 10:07 | 子ども・教育

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