暗川  


写真日記
by lumokurago
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
検索
リンク
ご感想をお寄せ下さいmailto:lumokurago@yahoo.co.jp

嫌がらせコメントは削除させていただきます。

必ずしもリンクするHPの意見、すべてに同調するわけではありません。ご自分で情報を選んでください。

原子力資料情報室

小出裕章非公式まとめ

沖縄タイムス

暗川メインページ
私の下手な絵などを載せています。

杉並裁判の会
私たちの裁判の会です

ポケットに教育基本法の会

「つくる会」教科書裁判支援ネットワーク

もぐのにじいろえにっき
もぐちゃんのページ

プロテア
リリコおばさんの杉並区政ウォッチング

鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
松田まゆみさんのページ

熊野古道の路沿い
鈴さんのページ

風に吹かれてちゅちゃわんじゃ
小笠原父島で農業をやっているサエちゃんのブログ

三宅勝久さんのブログ
杉並区在住のジャーナリスト

カテゴリ
以前の記事
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

カテゴリ:昔のミニコミ誌より( 77 )


昔の手紙より

 古い手紙を読み返していてでてきました。私が子どもに対応する基本姿勢です。

*****

 私の職場ではみんな(=大人)が“仲良しごっこ”をやってます。表面的に波風を立てず、スムーズに人間関係を流していくために、自分の本当に思うことを見ようとせず、そのために人間らしさが失われています。私はそんな人たちと自分との間に“ガラス”があることを感じています。みんなと仲良くやるために人間として本当に大切なことを見失うことだけはしたくない。でも、大多数の人たちはつまらない表面的な“うまくやる”関係だけに目を奪われ、大切なことをないがしろにし、ますます自分を、人間を卑屈にし、自由とは全く逆の方向に流されていきます。なんということでしょうね。

 そう“卑屈”なのです。なんで本当のことを言わないの? 私たちはもっともっと求めていい。自由になりたい。自分の好きなことを思いっきりやりたいって。こんな世の中おかしいって。なんで本当のことを言えないの? 弱すぎるよ、あんたなんて! (この「あんた」はうちの職場の人とか大多数のそういう大人のこと)。

 ちょっと長くなるけど学童クラブであったことを書きます。

 今、4年生の男の子にHという子がいます。3年まで学童クラブに入っていました。4年になってクラブをやめましたが、毎日のように児童館に来ていました。児童館というのは子どもが自由に遊びに来るところで、私の学童クラブはその一室にあります。

 Hはあばれんぼうで乱暴な子で、母子家庭、お母さんは仕事で帰りが遅く、6年生のお姉ちゃんが夕食を作ったりしています。

 4月の中頃、Hたちはふざけて追いかけっこをしていて、中から窓のカギを閉められ、Hは外から窓ガラスを蹴って割りました。そのとき、私はHに「お母さんはHのために一生けんめいがんばっているんだから、あなたももうお母さんに心配かけないように自分のことは自分でやらなくちゃいけない」という話をし、その前から手の爪をすごくのばしていたことについて「危ないから自分で爪を切ってきなさい」と言いました。この爪については、職員がみんなで「切りなさい」と言っていたのですが、切らなかったのです。

 私は「子どもが爪をのばすのには心が不安定だったり、何かモヤモヤがあったり理由があり、それは大人が切れなどと言えば反発して切らなくなるだけだ」と言っていたのですが、他の職員は「理由なんかない。不潔なんだ。普通は大人に言われれば切るもんだ」と言って、子どもの気持ちをわかろうとしませんでした。

 私はガラスのことでHに話をした時も、はたしてこんな言い方で切ってくるかどうか全くわからなかったのですが、次の日、来た彼に「手は?」と聞いたら、きれいに爪を切った手をみせてにっこり笑ったので、「えらい!」と言って頭をこづいてやりました。

 それなのに他の職員たちは、ガラスの件とその子がいつも児童館のきまりを守らないことについて、母親と話す必要があると言い、しかし私は爪を切ってきた子どもの気持ちを大切にしたかったので反対しました。でも私の意見は通らず・・・私は子ども自身から母に話すために猶予期間がほしいと言い、子どもに事情を説明し、「あさって私がお母さんに電話するから、それまでにガラスのことを自分から言うように。正直に言った方がおこられないんだから」と言いました。その時、子どもは「わかった」と言ったのですが、結局は言わず。そして子どもに「お母さんに言うことになった」と知らせると、子どもの言ったことは「どうせ(自分から言っても言わなくても)おこられる」。

 私がお母さんに話したことは「爪を切ってきたことをほめてほしい」ということと、「もっと子どもと接してほしい」ということ。他の職員は「児童館のきまりを守るようにお母さんからも話してほしいと言ってくれた?」と聞いてましたが・・・へーンだ! “きまり”“きまり”ってうるせえな!

 Hは乱暴な子で私の言うことなんかちっともきかず、叱ろうとすると逃げたり、かみつたり、あばれたりするのですが、前にHを叱ろうとして逃げられた時、近くにいた女の子(Hのカノジョ)に「どうしてこうなんだろう?」と言ったら、その子は「Hはナベセン(私のこと)が好きなんだよ」と言いました。それで私はうれしかったのですが、いつもそんな乱暴ばかりするので、もっとすなおになってほしいと願っていました。そこに爪を切ってきたということがあって“関係が作れた”と思い、うれしかったのです。

 ところがその後Hは他の職員に「ババア」と言い、ひどく叱られました。この時彼はものすごくあばれ、職員は「どんなにあばれたって大人の方が絶対強いんだから」と言い、彼を押さえつけました。彼はおとなしくなってじーっとすわりつづけ、結局「失礼なことを言ってごめんなさい」と謝りました。その後、一度も児童館に来ません。

 職員は「たとえ80歳のおばあさんにだって“ババア”なんて言うのは失礼なことだ」という言い方をしていましたが、80歳のおばあさんにそう言うのと私たちに言うのとは質が違うと私は思います。私は子どもが“ババア”と言うのを叱りません。“ジジイ”と言い返したりしています。というのは、子どもがそういう憎まれ口をきくのは、親愛の情の表現という一面もあることがわかるからです。

 今、子どものことばは“冗談”“ゲーム”として使われることが多くて、そのなかには人を傷つける場合もあり、叱らなければならないこともあります。でも、私はある時点から、なにしろ子どもを受け入れることを第一に考えてきたので、“ババア”程度のことは許しています。そこまで叱ってしまうと、そういうことばは今の子どもたちのなかにあまりに多く氾濫しているのできりがないのです。

 子どもが「ナベセン、ナベセン、それはババア」とふしをつけて歌ったり、中学生(クラブと関係ない児童館に来る子)が、友だちに「このばあちゃん、生意気なんだぜ」と紹介したりすると、私はうれしくなってしまいます。児童館に来る子も、来れば「ワタナベ!」と呼んで、私だけにあいさつしたり、中学生になってまでなぐるまねをしてちょっかいをかけてくるのは、やはり私がどこか自分たちを受け入れてくれると思っているからなのでしょう。そういうことは子どもは敏感に感じ取ります。

 私は「どんなにあばれたって大人の方が絶対強いんだから」ということばを憎みます。大人は絶大なる権力を子どもに対して持っています。でも人間として子どもと対等であろうとする私は、いつもその大人の権力だけは行使すまいとしています。大人の方が強いなんて当たり前のことだ。だからこそ私たち大人はそのことを忘れずに、いつも弱い子どもの声を聞きとらなければならないのではないか。

 子どもにだって言い分はあります。“ババア”ということばを使った、その理由がある。子どもは幼いゆえにそのことをことばで説明できないならば、大人は子どもの気持ちを想像してやらなければならないと思う。大人なのだから。

 でもそうしようとする大人はほとんどいません。

 大人がいつも正しいわけではない。子どもが正しいこともある。こんな社会を容認している大人が正しいはずないもんね。

 私は大人の権力を行使してではなく、関係を作ることによって子どもと話し合いたいし、私の言うことを聞いてほしいと思っています。でも、子どもは私に「おまえの言うことなんかきかない。他の先生の言うことなら聞く」と言います。大人の権力に従わせられることに慣らされてきたからでしょう。私のような大人には初めて出会ったからでしょう。でも私はあきらめません。現に他の職員が誰も切らせることができなかった爪を、彼は自分で切ってきました。

 私は子どもに“なめられている”ことを誇りに思います。誰も私の言うことをきいてくれません。一緒にあばれる仲間だと思っているのです。仲間だと思ってくれることが私はうれしいです。ここから始めたいと思います。

 1989.7.8
[PR]

by lumokurago | 2011-11-01 19:00 | 昔のミニコミ誌より

『80年代』に山田真さんの名前が

c0006568_17583753.jpg
 『80年代』(野草社1982.1.1発行)13号の目次です。片づけをしていたら押し入れのなかからでてきました。『80年代』を全冊段ボールの箱に入れてとってあったのです。私の文章が載っていたはず、とみてみたら、なんと目次の私の名前の隣りに山田真さんのお名前がありました。わお!

 「にわか障害者の思ったこと」はこちらです。

 スリーマイル島の原発事故が1979年ですから『80年代』ははじめから反原発、「くらしをかえよう」というテーマではじまっています。私が参加した福島原発見学会も野草社の関係で行われたものでした。1980年、私は26歳でしたが、野草図鑑という読者からの投稿欄は10代、20代の若者からの投稿で埋め尽くされていました。野草社は私より7、8歳年上の全共闘世代の2人(IさんとOさん)が中心になってつくった出版社で、いま読むと『80年代』は学生運動が挫折したあと、「からだ」「くらし」「はたけ」などのやわらかい方向に目が向けられていった様子がよくわかります。政治的なテーマはほとんどありません。(チェルノブイリの後は懐かしい高木仁三郎さんの文章がでてきます)。

 それでも「くらし」派のIさんと政治的要素も持ち合わせていたOさんのバランスでつくっていたのですが、何年後かにIさんが共同体に入る決心をして、Oさんと決別し、「田舎暮らし」のテーマが多くなっていきました。これも偶然なのですが、山田さんのお話にお名前がでてきた高橋晄正さんがDr.Kとの対談で、学生運動が田舎暮らし(この言葉ではなかったが)の方向に流れて行ったことを批判しています。

*****

近藤:市民運動が自然食運動に食われてということは、どんな意味ですか?

高橋:市民運動が素朴自然主義に食われていったんです。例えばいまのパック入り牛乳はほとんど120度で2秒とかで殺菌(超高温瞬間殺菌)している。しかしそれではタンパク質が変性するから、やっぱり65度で30分の熱処理でやったほうが安全だという運動があって、その運動は昔ながらの殺菌法をする企業と結びついていたりもした。結局、半年かけて世界中の文献を調べたんですけれども、やはりヨーロッパではそれ(超高温瞬間殺菌)の安全性を確認している。牛乳はヨーロッパ人にとって日本人の味噌汁と同じように大事なものですから。

 それと、素朴自然主義のもう一つのグループは反近代という形で、殺菌法そのものを批判している。こうした議論をする中で、私の会を支援してくれていた自然主義グループが離れて行いったという経緯があります。

近藤 それは、ありがちな話ですね。不幸な話ですよ。

高橋 そうなんです。加藤登紀子のダンナ(藤本敏夫さん。いわゆる新左翼の元リーダー)も、自然食農場ですね。結局、全共闘も科学との対決がなかったために「自然」にのめり込んだ。

近藤:科学との取り組みを回避したんでしょうね。

高橋:そうでしょうね。そういう形で素朴自然主義に入ってしまった。

近藤:市民運動みたいなものが、反近代を掲げて自然回帰になっていく問題については、がん治療にもおなじような問題があります。ぼくががん治療には危険性が伴い、必ずしも生存率を改善しないと言うと、「それは分かった」となって、今度は自然食だ民間療法だなんてほうに行きがちなんですね。こういうことって、どうしたらいいんだろうって思ってしまう。そこで自分の論理を貫けば、どうしても彼らを批判せざるをえない。。。・

高橋:それはやっぱり、科学にゆだねるという発想がないんですよね。ヨーロッパ人やアメリカ人は、科学にゆだねるという発想があると思うんですよ。科学を作った民族だから。だけど日本人の場合、市民も、官僚も曖昧にして通れるという発想がある。そう言う点は、儒教文化圏が持っている宿命ではないのかな。フランス革命で女王の首を切ったのがよかったかどうかは分からないけれど、日本は戦争の処理も曖昧ですから。

(「がんと闘うな」論争集 265ページ)

*****

 私も反近代を掲げることが科学的に証明されていない民間療法やスピリチュアル系に吸い寄せられていくことを、おかしいと思っている一人です。
[PR]

by lumokurago | 2011-10-25 18:41 | 昔のミニコミ誌より

おびただしい便りの拡がり その2

渡辺からNさんへ  1986.6.25

 (前略)

 はじめに、「手紙」について

 去年の1月頃から半年位の間、私はOさんやMさん宛てにたくさんの手紙を書いていました。もともと私が≪あうら≫(読書会の名まえ)に関わるようになったきっかけは、私が一昨年の9月に出した『暗川』という個人通信に、Oさんが便りをくれ、私がそれに答えてOさん宛てに書いた手紙をOさんが≪あうら≫のメンバーに拡げたことにあります。

 Oさんは<O⇔渡辺>の便りのやりとりを≪あうら≫の中でも考えたいと言い、私も賛成し、それから私のOさんや他の人宛の手紙は≪あうら≫のメンバープラス私が読んでもらいたい人に送っています。去年のある時期にはみんながそうやって誰か宛ての手紙をコピーして送り合っていたから、たくさんの、いろんな人宛ての手紙が飛び交っていたことがあります。私たちはその現象を「おびただしい便りの拡がり」と呼んでいました。

 「手紙」は確かに、ある特定の相手を想定して、その人に語りかけるという形式をとっています。でも、そこに書かれた内容はその相手以外の人とも<共有>できるのではないかと、私は思っています。その理由を書いてみます。

 私にとって「手紙」というものは次の二つの意味を持っています。

 ① ある特定の相手(一人ではないこともある)を想定して、その相手に思いを届かせたいと願って書いていると同時に、また、そのことが同じ重さで自分に対して自分を語るという要素を合わせ持ったもの。

 ② 私はいつも<出会い>を求め、そして<出会い>を深めたいと思って生きているので、生きていく中での作業である「手紙を書くこと」もいつもそのなかにあり、特定の相手に向けて書いている手紙であっても、未知なる人にも思いを拡げる可能性を秘めたものとして考えていること。


 ①について
 自分にたいして自分を語るということでいえば、「日記」という形式があります。でも「日記」は「ひとり遊び」で、そのなかで自己完結してしまいます。「手紙」という形式が「日記」よりもいいと私が思っているのは、「手紙」は相手との関係性の中で動いていく可能性を持っているからです。交流できるからです。人間は、なぜこうも他者との交流を求めるのでしょうか? 他者に自分を知ってほしいと思い、そして他者を知りたいと思うのでしょうか? その答えは簡単ではありませんが、そういう気持ちはとても大切なものだと思います。交流を求めるから私たちは手紙を書きます。

 「手紙」という形式は心情を吐露しやすい形式です。かと言って「日記」と違い、相手に伝えたいと思って書いていますから、ひとりよがりになる面を極力排して、わかりやすく説明しなければなりません。手紙は特定の筆者によって信頼できる相手に向けて書かれたものだから、他の形式と比較して、筆者の素直な気持ちがそのまま表現される可能性が大です。その上、読まれることを前提に書かれているから、一定程度の客観性もあり、その2つのことで「文学」に近いと思います(おおげさですが)。

 「文学であること」の第一条件は「普遍性」を有していることだと私は思っています。作家は「普遍性」を持たせようとして、現実をろ過して虚構の世界を作り上げますが、手紙はそれと全く逆にその人の現実をなまのまま表わすものであることが、逆説的ですが、「普遍性」を逆の形で表わしていると思うのです。

 私は人間の悩みや苦しみ(逆に喜びも)などは、一人ひとりが重く背負っているけれど、けっこう「ありふれたもの」だと思っています。一人が感じるようなことはたいてい、他の誰もが感じる(或いは想像できる)ことだと思っています。人間は一人ひとり違っているけれど、案外、どこかで似ているところがあって、悩みや苦しみの質の中身を手に取るように感じることは無理にしても、その重さはその人の今までの経験から想像できて、共感することができると思っています。

 上記の二つのこと、「手紙は文学に近い」「人間は共感し合うことができる」ことから、私は手紙は誰にでも見せていいものだと思っています(おのずから制約はありますが)。

 乱暴ですか? 一般的には「信書の秘密」と言って私信は他人に見せてはいけないことになっているのに、まったく逆のことを言っていますね。

 ②について

 私は<関係性>というのはオープンなのに越したことはないし、どんどん拡げていければとってもすてきだと思っています。OさんがNさんの手紙をMさんと私に見せたのも、上記の私と同じように考えたからだと思います。Oさんが拡げたことで、Nさんが私に手紙をくれたり、私がこの手紙を書いているということはいいことだと思いませんか? 私はすてきなことだと思います。

 私はどんどんすてきな人と出会います。そのことをある人に話したら、その人は「それは渡辺さんがそれだけの表現をしているからだ」と言いました。私はすてきな人と出会いたいから、そして出会いを深めたいから、個人通信をだしたり、手紙をたくさんの人に見せたりしています(その前にどうしても書かずにいられないことがたくさんあるのですが)。

 「手紙」のことで、もう一つ言いたいのは、この間、私がNさん宛てに書いた手紙は、形としてもOさんの文章を引用したのでそう言えると思いますが、Oさん(ひいてはMさん)との共同作業であったということです。以前Oさんは、私のFさん宛ての手紙に、彼が“P.S.”をつけることによって「手紙」を共同作業化しようとしたことがあります。一人の便りが困難にぶつかっているとしたら、それは「ひとり」で書いているせいなのではないか、その便りに他の誰かが“P.S.”をつけたらどうなのかとOさんは言っていました。

 この手紙も多分にOさん(ひいてはMさん)との共同作業的な面を持っています。というのは、彼らと接することによって深められた部分が私のなかにたくさんあり、この手紙で使っている言葉も、彼らの使っている言葉の影響を受けているからです。

 この手紙の内容について彼らと話し合ったわけでもないのに「共同作業的な面がある」なんてずいぶん安易な言い方かもしれません。こういうのを「幻想」と言うのかもしれません。が、彼らは別に反対しないと思います。むしろ喜ぶと思います。人間はまったく違うのに、こういう<出会い>というのは<出会い>によって、私が相手の中に、相手が私の中に溶け込んでしまう、という気がします。ずいぶん心情的すぎますね。

 Nさんは3人に対して別々の手紙を書くかもしれないけれど、それに対する返信は3人の共同作業としてあるかもしれません。(後略)


おまけ 渡辺よりNさんへ 1986.8.1

 (前略―「結婚」「恋愛」についていろいろ書いたあとで)

 私は離婚していることと、私が好きになる男性はみんなすでに結婚しているので、出会った男性と「別れないようにしよう」ということを最大の目標にしています。だからまわりの状況や自分の気持ちをみて、うまくコントロールしています。一人の人に「会えなくてせつない」という気持ちにならないようにしていて、誰かに会えば会うたびに元気になるようにしています。そういう友人というか恋人というかが何人かいます。私は自分の感じたこと、うれしかったことや怒ったことなどを、すぐに人に話してしまいます。その人が、私が話すことを共に喜んでくれたり、怒ってくれたり、または意見を言ってくれたりすることがわかっているからです。

 私は傲慢なのか自信過剰なのかわかりませんが、私が好きになるような人は、向こうも私を好きになるとわかっています。なーんて断定するのは間違いかもしれないけれど、少なくとも、私が自分をだした時、なんやかや文句を言う人はいたとしても、わかってくれる人は絶対にいると思っています。だからその他の圧倒的多数がなんと言おうと全く気になりません。(中略)

 私は自分が「内向的」なのか「外向的」なのかわかりません。まあ、こんな分類自体不自然なんだけど。性格としてはもともと「内向的」なのに、いつも思いきったことや目立つことばかりやって、私をよく知らない人にはこわがられている。「外向的」ではなく「行動的」なのだと思います。(中略)

 これからもたぶん男女を問わず「好きな人」に出会い続けていくと思います。だから好きな人がどんどん増えていくと思います。病院に(注:この時入院中だった)ビッグ・コミックがあって、読んでいたら『はぐれ雲』に「神様は人を好きになるようにって、心をくださったんだね」という言葉がありました。(後略)


*****

 この後は以前掲載した次の記事へとつながります。

 恋文1

 恋文2

 左手請求権
[PR]

by lumokurago | 2011-10-09 17:14 | 昔のミニコミ誌より

負けた日に

負けた日に  1986.2.14


負けた日に
ころげるように笑った

こころがぽっかりして
サーッとやってきた冷たい白い霧にまかれて
消えていくような
かたくて比重の大きな黒いかたまりが
またひとつ沈んでいくような

「ずうん」という音がする

みんなといて、たのしかったよ
さいこうに

だから笑ったんだよ
声をたてて

ねえ、いったいどこに戻ればいいのだろう

風景が色あせてみえる

ほんとうはもうそんなものはないのかもしれない

戻れない
戻りたくない
戻らなくていい
戻れるはずもない

前進あるのみ
なんちゃって
ふふふ

みんな だいすき


友だちの詩を読んでいたら
彼も「青」にこだわっていて

昔の『クリーム』のロックが
“Strange Blue”とくりかえして

高校生の頃
春の八が岳に行って
歩きながら 雪にピッケルをつきさすと
その細い穴が
のぞきこむと 不思議な水色で
その水色は透明というよりも 不透明な水色だったことを
ふと 思いだす

海の波に洗われた
水色のまあるいガラス玉のような

きっとそれはビンのかけらかなにかだった

まあるい不透明な
きれいな水色の
そこに空全部をひきうけてしまったような

きれいな不透明な水色のブランデー・グラス がほしい
それを手にとって
手のなかで
力まかせに割ったら

赤い血が流れる

そして
水色のかけらがずっときれいになっていく

空だけじゃなくて
海全部もひきうけてしまったように


雲は
もともとひとひらのちいさな結晶にすぎないのに
空は
あとからあとから何千何万何億何兆・・・
いつまでもいつまでもおとしてくるから
つもる つもる つもる
いつのまにかまっ白に
みえるかぎりのすべてのものをおおいつくし

ひとひらひとひらが舞いながら
音という音を
すいとる

とおくで
耳ざわりなかん高い金属音が
キーンキーンと響いているのに
雪の日にはそれも消えている

雪はただ音をすいとり 白く静かに拒絶する

昼は
音がキラキラと光る

雪は音をすいとるから美しい

春がくれば その音は
ポトポトと
サラサラと
ゴーゴーと
力となってあふれ出す
[PR]

by lumokurago | 2011-10-08 17:12 | 昔のミニコミ誌より

おびただしい便りの拡がり

 これまでに掲載した手紙を何人かの人に送ったところ、ある人(Kさんとします)からいただいた手紙の最後に次のような文章がありました。

――「そこに帰れば自分を必要とする人がいて、安心できる場所というもの。私にとってはそれは自分しかない・・・自分をつよくしなければならないと思う」という所、私自身にとっての生きている限りの課題でもあります。好きな人(恋人、友人、家族・・・)がいて、大いに励まされ、生きる喜びを感じていても、でも、やはり私は私なのです。


渡辺よりKさんへ  1986.1.7

 (前略―OさんにKさんの手紙を見せたら喜んでいたという内容)

 ただ、お手紙の最後にあった「私は私」というところは違っていると言っていました。「私は私」と言ってしまうと、“私”は“私”のなかで完結すると認識していることになるが、それはまだ“自分”というものを知らないのではないか、人間は自己完結できないものであり、そこに“共同性”の問題があるというのです。

 私も「私は私」とだけ言い切ってしまうことには違和感があります。Mさん宛て手紙に書いたのですが、私はこの間、自分が話すことが苦手ということにすごいコンプレックスを持っていて、Yさんなどに憧れを持っています。彼女はとても生き生きと話すので。私は書くことに対してはかなり自信を持っているけれど、それだけでは対処できない場面が多いので、「話せなくても書けばいいんだ」とも思えず、自己嫌悪に陥っていました。

 12.28にMさん、Oさん、私で忘年会をやった時、そのことについてOさんが「象徴的なことだが、Yさんは『渡辺さんはすごい』と言っている」という話をしました。『共犯幻想』というマンガに「自分の体温を知るためにも他者の左手が必要」というテーマがあります。その通りだと思います。

 Mさんは“役割分担”という話をして、「“自分”がたくさんいる」と言いました。私は“役割分担”と言ってしまっていいのかはちょっとわからないけれど、「“自分”がたくさんいる」という感覚には同感です。“共同性”とは「“自分”がたくさんいる」ことの自覚なのでしょう。

 山口泉さんの『吹雪の星の子どもたち』(径書房)に「吹雪の星」に生まれた子どもたちには“星外脳”という欠損した部分があり、それを求めて宇宙に旅立つというテーマがあります。Aさんという人がこの本への感想に「みんな私の“星外脳”なんだな」と書いています。私もそう思います。他者とは自分の欠損した部分を埋めてくれるものに違いありません。

 だから「私は私」と言い切ってしまうことには「違う」と思うのです。私の“星外脳”はOさんであり、Mさんであり、Kさんであり・・・etc.の人たちなのです。

 “星外脳”とは、人と人との“出会い”のことでしょうか?


渡辺よりMさんへ  1986.1.17

 (前略)

 “選択”ということは、単に二つの、あるいはいくつかの道のうちから1本を選ぶということではなく・・・1本の道を選んだ私は、選ばなかったもう1本の道、あるいはその他のすべての道をひっかかえて、背負いこんで生きているのだという気がします。うまく表現できないのだけれど・・・。
 
 どっちの道を行った方が“幸せ”なのかわからない、ということはある。それに“幸せ”が“不幸”になったり、また、その反対だったりすることはよくあることだから、ほんとに何がいいかなんてわからない。(中略)

 私は元夫が地元(名古屋)に就職して実家に帰ったとき、ついていかなかった。その理由は名古屋に仕事がみつからなかったから。それは「“愛”か、仕事か?」という二者択一問題では、私にとってはなかった。私は物心ついて以来「一生仕事をしていく」ことは当たり前だと思っていたから、まったく迷わずに東京に残った。それでよかったと心から思っているけれど、「あの時、ついていったらどうなっていたか」とは思うことがある。

 今頃は小学校にあがる位の子がいたかもしれない。それはそれで“幸せ”だったかもしれない。でも、今、私のまわりにいてくれる人たちとは出会わなかっただろう。別の人たちと出会ったかもしれないけれど、今の“私”とはかなり違った人間になっていたと思う。あの時、名古屋に行かなかったことが(これがすべてではないが、きっかけとして)私をこれほど世間から見れば変わった考えの持ち主にしてしまったとは、おそろしいものだなあ。

 もっと昔の話で、今思いだしたんだけど、高校時代の先輩が私に言ってくれたことがある。私はお茶大(お茶の水女子大学)の、今は亡くなった周郷博という先生が好きで、お茶大の児童学科を受験した。けど、試験当日熱がでて落ちた。受かったのが早稲田の一文(第一文学部)だったので、そこに入学したんだけど、早稲田の一文を受験した理由というのが、私はなぜか数学ができた(他の科目よりましだった)ので、私立の文系で数学が選択できる唯一の学部だったからなわけ。それで先輩に自分には他にやりたいこと(児童学)があるのに不純な動機で入学してしまったというようなことを話した。そしたら、その先輩は「たとえ希望の大学に入ったって、しっかりとやりたいことを持っている人なんていない。やりたいことがあるんならどこでもできる」と助言してくれたのです。この場合は自分で選んだというわけではないけれど、同じことだと思う(実際には私の大学時代は内ゲバに翻弄されてしまったが)。

 “選択”ということは、その言葉一つで括れないものを含んでいると思います。一方の道を選んだ私は、選ばなかったもう一方の道を引き連れていると思います。選ばなかった道のすべてを、カッコよく言えば“止揚”した形で、今、この道を歩いていると思います。(後略)
[PR]

by lumokurago | 2011-10-07 17:12 | 昔のミニコミ誌より

Oさんとの対話より その3

 まだ説明していなかったのですが、Oさんとは児童館の同僚たちの読書会《あうら》のなかでつきあっており、Oさん⇔渡辺の<便り>を4、5人で共有していました(その後、人数はもっと増えていきます)。そのため、宛名は象徴という意味で< >に入れられていました(<渡辺容子>様というように)。が、この頃から私はもう宛名を「みんなへ」に変えていました(特別な場合は除く)。「<便り>の共有~おびただしい拡がり」については今後テーマとして出てきます。

*****

渡辺よりみんなへ  1985.10.30.

ときどき、自分で自分を励ませなくなる
この先、生きていくことにとっても不安になる
ぽっかり空いた時間に、隠されていた心の空洞がみえてしまう
たぶんそれは、人間なら誰でももっている、生まれながらの「欠損した部分」
・・・一般的に言いかえるなら「孤独感」というもの
一方では「<名まえ>の渇望感」と呼ばれ、「希求性」を生み出す原動力になっているもの
もう一方では、ただただ「さびしさ」に突き落とすもの

「たったひとり」であること
そのことが力を呼び起こす
誇りを呼び起こす
と同時に、深いかなしみが流れる
それは底流だ

「欠損した部分」は誰もが生まれ落ちたときからもっている

私たちは「欠損した部分」を埋めようと他者との出会いを求める
しかしそれが埋まることはない
だから永遠に「たったひとり」なのだ
「たったひとり」であることの強さと弱さを常に抱えている
いつも綱渡りをしているような危うさのなかで

さびしいときには、好きな人の顔を思い浮かべよう
その人たちが、みんなそれぞれの場所で生きていること
ひとりひとりが、泣いたり笑ったりしながら
「たったひとり」であることの誇りとさびしさを抱え込んで生きていること
自分で自分を励ませないときは、そのことだけが私を励ます

私が「たったひとり」であること
みんなが「たったひとり」であること
「たったひとり」・・・地球上に後にも先にも「たったひとり」・・・


Oさんより<渡辺>へ  1985.12.31

 (前略・中略)

 さて、10.30付の<便り>を痛切に受けとっています。その痛切さは特に≪一方では・・・≫というコトバの繰り返しのなかから浮かび上がってきます。

 ≪一方では・・・≫というコトバは、自分の意志の志向の強さは(それが強ければ強いほどなおさら)、同時にそれとは逆の方向に引き裂かれる――ということを指し貫いていると思います。そのことについて、ぼくはこう思っています。どのようなものごとも、そのほんとうの意味は、いま当面している問題やテーマそれ自体のなかにあるのではなくて、むしろその陰にあって、まだコトバにのぼってこないところにこそ隠されている、というように。だから、また、あらゆる全てのことにおいては、いま取り組もうとしていることと同時に、そこから引き裂かれていくような力を想定して、両者を抱え込まなければだめだろうとも考えています。特に<運動>および<表現>の世界においては(もっと正確には並列ではなく、<運動>を<表現>としてあるいは<表現>を<運動>として志向する<運動>⇔<表現>の世界においては)――。

 例えば女性問題を追求しようとするとき<男性>問題を、インターナショナル性を問題にしようとするとき<ナショナリズム>を、前衛を問題にするとき<民衆>を、他者としての権力を問題とするとき<自己>を、固有性を追求しようとするとき<無名性>を・・・というように。もちろん、両者の間の、容易にまたぎ越せない困難な条件のようなものを見落としてしまうことはいけないと思いますが、対極にあるものを抱え込めない志向性は、致命的ともいえるようなおおきな脆さをつきまとわせることになることは間違いありません。

(中略)

 あることに直面したとき、判断や行動を支え~持続させていく力になっているのは、自信たっぷりのじぶんの実力なのではなくて、実はむしろいま直面している問題には一見とおく無関係に思えるものまでをも覆ってしまう拡がりが孕まれているのかもしれないという畏怖感なのではないかということです。つまり、そうした畏怖感を通して自己を切り開きつづけていこうとしない限り、直面している問題のなかに自己が縮小されて閉じ込められてしまったり、直面している問題自体の流動性によって、知らず知らずのうちに自己のあり方が歪んでいってしまったり、ということがあるのではないかと思えるのです。(後略)

渡辺よりみんなへ  1986.1.7

 (前略・中略)

 高校生の頃、リルケの『若き詩人への手紙』が好きでたくさん写していました。いまの私を励ましてくれそうな気がして読み返していました。写したものを(他の日記などと共に)私は焼いちゃったらしいけど、写した箇所はいまでもよく覚えていて、同じ箇所に感動する自分に「成長がないなあ」と思ったりして。それは例えば次のような一文です。

――私はできるだけあなたにお願いしておきたいのです。あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを、そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように愛されることを。今すぐ答えを捜さないで下さい。あなたはまだそれを自ら生きておいでにならないのだから、今与えられることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです。
 今はあなたは問いを生きて下さい。そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、ある遙かな日に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。

 生きること、なにがなんでも生きること。まず、生きること。生きることそのものにこんな励ましが必要なんて、なんて人間て“自然”から遠いのでしょう。海も木々も動物たちも、淡々と自らの生を充足しているのに。

 再びリルケより

――孤独であることはいいことです。というのは、孤独は困難だからです。ある事が困難だということは、一層それをなす理由であらねばなりません。
 愛することもまたいいことです。なぜなら愛は困難だからです。

 困難な道をこそ選びたいと思います。なぜなら、困難な中でこそ真剣に打開の道を捜さなければならず、悩みも多く、たくさんのことを考えるからです。安易な道は堕落の道でしょう。

 生きている限り、いつも自分を問い、問いを生き、細い1本のこみちを捜していく者でありたいと思います。
[PR]

by lumokurago | 2011-10-04 20:37 | 昔のミニコミ誌より

Oさんとの対話より その2

Oさんより渡辺へ  1985.4.24

 はじめにちょっと書いてみると、実はぼくも便りという形式はとても好きです。それと関連して“下書き”という習慣もありません。渡辺さんと似ていますね。これは好みと言われてもしかたない面もありますが、ぼくはそうした好みを越えたところでこのことを捉えています。

 ぼくはただ他の形式に比べて便りという形式がいいということでなくて、書かれたものの極限は意外と恋文(ラブレター)だろうと思っているのです。つまり、もしかしたら相手のこころに届かないのではないかという思いを抱きながらも、たったひとり~のために必死でじぶんを届けようとする、そのことはどこか表現の本質をついていると思います。(・・・だからいわゆるベストセラーや煽情的なアジビラ、それから一転した自己陶酔型の作品表現――などはにんげんにとってそれほど必要不可欠なものではないのだろうとぼくは思っています)。

 さらにいえば、あて先の書かれていない恋文もあるし、むしろそれだから一層切実な恋文だということもあります。便りをもらってくれそうなひとがいるから恋文を書くのではなく、もらってくれるひとを探して恋文を書きつづけるということがあるからです。空白のままになっているあて先をうずめる<名まえ>を求めて・・・。ぼくが≪読書会≫へ届け続けている≪ノート≫もやはりメンバーへの(不可視のメンバー~)を含めて)恋文のつもりなのです。

 また、下書きなしの表現をぼくは勝手に「囚人書き」などと呼んでいます。届くかどうかもわからない恋文を書き続けているすがたは、書き直す時間も、それから紙の余裕もないままに囚人が孤独に誰かに便りをしている光景にどこか似ていると思いませんか?

 渡辺さんの便りを“長い”“言い方がストレート”ということでどちらかというと否定的にみているひとが多いとのことで、渡辺さん自身もそうした意見をのみ込んで(だからといって“長い”“言い方がストレート”をやめる気もなく)いるところもあるようですが、“長い”“言い方がストレート”ということも、恋文からみた場合否定すべきものどころか、むしろ訴えかけるところのあるいい恋文の可能性を感じさせるものです。“長い”“言い方がストレート”ということを否定的にみるひとには、どれだけ書いたら、またどのように書いたら自分がうまく表現でき、そしてそれがうまく他の存在に伝わっていくのだろうという思いに迫られ続けながら書くしかない恋文の切実さがどこか欠けていると、ぼくは思わないわけにはいきません。
 
 今回の便りで触れたいのは、渡辺さんが便り(3.10)のなかで、じぶんの他者との関係の基本的視点だといっていた≪①人に誠実であるということは、その時その時の自分を正直に語っていくということ ②苦しい時、悩んでいる時、ひとりで耐えることはつよさなんかではなく、自分をさらけ出すことこそがつよさであること≫――などについてです。

(中略)

 この辺のことは渡辺さんが他者との関係の基本的視点だと考える①の問題とも対応すると思います。人間関係というのは何も理想的なにんげんの組み合わせなどではありません。先ほどぼくが言った≪働きかけ≫ということも、直接的な他者への≪働きかけ≫という狭い範囲に限定されたところで問題にしたいわけではありません。まず、他者と出会えるような自らへの≪働きかけ≫というものが不可欠だと思います。いつでも自らの歩みの過程を確かめられるほど(渡辺さんのコトバで言えば≪その時その時の自分を正直に語っていくということ))、淡々とひたすらじぶんを追求することができなくて、どうして他者を撃つことなどがありえるでしょうか。
(中略)

 再び渡辺さんが他者との関係の基本的視点だと考えるものに戻って、②の問題について言うと、まず、苦しさや悩みに直面しているとき、どうして≪ひとりで耐え≫てはならず≪自分をさらけ出≫していかなくてはならないのか――という疑問に答えなくてはならないでしょう。渡辺さんは≪ひとり≫では弱いから救いを求めて・・・などと言っているわけでは決してないでしょう。渡辺さんが≪つよさ≫というコトバを使っていることがそのことを示しています。

 そのことについてぼくはこう思っています。確かに≪ひとり≫がどうしようもないような苦しさや悩みを負ってしまうことはあります。こうした苦しさや悩みはその≪ひとり≫が徹底して負うべきだと思います。と同時にぼくには、そうした苦しさや悩みを負わされるのは、ほんの偶然にしかすぎないという思いがあります。苦しさや悩みが個人にまとわりつく不幸だというのは、絶対に間違いだとぼくは思います。苦しさや悩みというのは<時代>のほうからやってきており、そうした意味ではそれらは誰が負ってもほんとうはいいものです。ただ、その負い方や重さが異なっているだけです。

 だから、いまじぶんが苦しさや悩みに直面しているということは、<時代>が病んでいるということの予感として受け止めていいはずです。このことは同時に、他者の苦しさや悩みに直面するすがたは、自らの影だということにもなります。より苛酷さに直面している影のほうが、ほんとうはじぶんなのかもしれません。≪自分をさらけ出す≫とはつまり、じぶんがいま直面している苦しさや悩みは単なる不幸なのではなく<はじまり>として捉えるのだという意志を表しているといえます。≪ひとりで耐える≫とは渡辺さんが言うように、ほんとうは≪つよさ≫でもなんでもありません。≪ひとりで耐え≫ているのは、苦しさや悩みに対してではなく、ほんとうは<はじまり>の怖しさのほうに耐えているだけだからです。


渡辺よりOさんへ  1985.4.25

 昨日の話のなかで、今の私にとって最も関心のあるテーマは「表現を伝える際の受け手の側の必然性」ということです。(中略)

 人間が開放されていく過程とは、幼い頃から両親や学校などから「こう感じなさい」と教え込まれ、刷り込まれてきたことを、一つひとつ検証し、否定していく過程であると思います。人はそうやって「自分の感受性」を獲得していくのではないでしょうか。もともと感受性の鋭い人、豊かな人ももちろんいるでしょうが、凡人はかなり与えられた(強制された)感受性から抜けきれなくて、それを捨てて枠の外に飛び出すには、感受性をひらき、磨く作業を不断に行なう必要があるという気がしています。普通にしていれば、秩序的な感受性に大きくおかされていて、それに支配されてしまう。だって、その方が“楽”ですものね。その“楽”な場所から抜け出して反秩序の世界を遠く見据え、求めていくようになるためには、自分を投げうつ覚悟をさせてくれるようなエポックがあるのだと思います。(少なくとも私の場合はそうでした)。それはこの間使っている言葉で言えば、「<名まえの>渇望感」の求める意志とも言えると思います。

 私は人に対して、またひとりの人の表現に対して「こたえなくちゃ」という思いが強いです。なぜって、私自身がそうであるように、人はギリギリのところで生きているし、ギリギリのところで表現していると思うからです。だから私も、ギリギリのところでそれにこたえたいと思います。

 「受け手の側の必然性」とは何なのでしょう。以前ある人に(ミニコミに)「障害児」について何か書いてと言ったら、「でも、自分のクラブに障害児が入会するとか、自分に障害児が生まれるとかでなければ、障害児のことなんか考えない」と言われました。彼女には必然性がなかったのです。なぜ、自分から遠い世界のことも感じてしまう人とそうでない人がいるのでしょう。「自分から遠い世界」と言っても、それは決して「遠い世界」ではない。「遠い世界」でのできごとが、結局、今の時代の差別や何かを作りだしている。そこには自分自身も密接にかかわっている。ただ、それがみんなには見えないだけ。一人ひとりの抱えている病は、結局<時代>の病なのであること。忘れてはいけない。

 (中略)

 Oさんは「書かれたものの本質は恋文だ」と書いていましたが、私も手紙というものはすべてラブレターだと前々から思っています。手紙というものは一応、語りかける相手を想定していて、書いている間、その相手と向かい合っているような気分になるということがあると思います。読む方も読んでいる間は相手と向かい合っているような気になると思いますが、書くために費やされる時間の方が圧倒的に長いので、どうしても書き手の思い入れの方が大きいと思います。それもなんだか“恋文”らしいところだという気がします。

 (中略)

 「あて先の書かれていない恋文」というのは、私の『暗川』などもそうです。何か言ってきてくれる人は「あて先をうずめる<名まえ>」に名乗りをあげてきてくれた私の恋人です。やっぱり『暗川』も恋文なんですよね。
 
 「囚人書き」という表現はおもしろいですね。Oさんは“思想犯”で刑は禁錮だからピッタリ。例えて言えば私たちはひとりひとりが独房にいるのと同じです。高い窓から差し込んでくる一筋の光が、一日が流れていくのに従って移っていくのを感じながら、光になって飛び出したいと思い、自由を渇望する。そして、届くあてのない恋文をひっそりと書いている。私なんかが、壁を叩く暗号でほんの少しコミュニケートしたりして。目に見えるようだ。(後略)
[PR]

by lumokurago | 2011-10-03 17:41 | 昔のミニコミ誌より

Oさんとの対話より 【「つづき」を加えました】

 昔の手紙を読み返していたら、ここに掲載して残しておきたいものをまた発見しました(いま、読み返してはかたっぱしから処分しています)。

映画『シベールの日曜日』をめぐって

Oさんへ     渡辺容子  1985.1.29

 (前略)

 『シベールの日曜日』をみました。秩序からはみ出した者たちは「掟に従って追放される」(吉本隆明)ことを、こうまで美しい映像でまざまざと見せつけられると、もう本当にまいってしまう思いです。かなしみが深く心に突き刺さり、新宿の雑踏のなかを歩きながら、どうしようもないいたみと、やりばのないせつなさに、ようやく涙をこらえていました。

 そして「(ピエールがシベールを)殺してしまえばよかったのに・・・」とつぶやきながら、シベールがシベールであり、ピエールがピエールであった日曜日の時間は、どうしてあんなに美しいのだろう、どうしてあんなにはかなく消し去られてしまわなければならないのだろうと、あらためて彼らを消し去った“秩序”という巨大な力に静かな、しかし荒々しい怒りが湧き上がってくるのでした。

 『俺たちに明日はない』『ひとりぼっちの青春』でも、『シベールの日曜日』でも、そしてより露骨な形での『カッコーの巣の上』でも、私たちが与えられた仮の<名まえ>を放棄して、本当の<名まえ>を得たとき、得ようとするとき、私たちは必ず“秩序”によって抹殺される。

 『シベールの日曜日』は特に、本当の<名まえ>が“愛”を媒介として得られるものと描かれているから、せつなさが一層深い。そして、シベールを<子ども>として設定させているために、その言葉がストレートで“愛”を凝縮させているから、よけいに深く伝わってくる。そういう意味で非常にすぐれた作品だと思います。

 一方、ピエールは大人ですが、しかし、記憶喪失という、今のところ本当の<名まえ>も仮の<名まえ>ももたない、というか、本当のにしろ仮のにしろ<名まえ>というものを捜さざるを得ない状況にあるため、非常に感受性が鋭く、しかもやわらかくなっている存在として設定されていて、だからこそ、シベールと共感し合えたというところに、象徴的な意味があると思います。仮の<名まえ>の世界に安住している世の大人たちにはわかり得ないものであるということに。でも、ピエールを理解する(しようとする)恋人と友人(彫刻家)には、ピエールとシベールの世界がわかるのです。自分たちは彼らとは違うにせよ。そのことが救いといえば救いでした。

 秩序に抹殺される者たちの世界を、このように透明な美しい世界として描いていると、秩序に対する怒りもせつないまでの切実さをもって、心の底からふくれあがってくるので、本当に胸を打つものになり得ていると思います。

 ≪ノートその11≫(注:≪ノート≫はOさんが書きつづけていた文章)は、Oさんの文体に慣れたためか、非常に読みやすく、一言一句がスーッと心に入ってくるものでした。

――にんげんはただ、与えられた仮の<名まえ>と、それはほんとうの自分の<名まえ>ではないというかすかな思いに引き裂かれて生きつづけている存在であること
――反秩序の世界というものは、秩序の世界に被われて、秩序の世界から視えなくなっているものを視ることのできる、想像力とでもいっていいような<眼>の彼方にはじめてあるものだと思える。
――自己は大切にされたり、守られたりすることによっては、何らにんげんへの重い<問い>の契機には決してなりえない。自己は<時代>の病がのぞける裂け目として、ただいつもひっそり息づいているだけである。
――<伝達>の領域では、ひとりの存在の孤立からあふれてくるものが、病んだ<時代>性と共鳴して、個別性を越えて他の同様に孤立を強いられている存在を撃ち、また結合することがあるのだということだけが、切迫した唯一の問題なのであるということだろう。

 Oさんの言うところの“仮の<名まえ>”とは、私が『BURST』(注:私のはじめての個人通信)の初期に使っていた<役割>という言葉と共通するものだと思います。私たちは、いろいろな場でその場その場での<役割>を与えられ、それを演じることを要求されています。そして、その<役割>をこなしていれば、事は無事に過ぎていく。でも、そのどれもが本当の自分(<名まえ>)とは違うような気がする。「引き裂かれて」いる。その「引き裂かれ」た自己が、遠くこの秩序の世界からはなれたところにある、本当の自分(<名まえ>)を見つめようとしている。そこに秩序の世界に生きていながら、そこからあふれだしてしまう存在が生まれるのだと思います。

 私は以前、高井戸学童クラブで出していた保護者向け通信『ユーカリ』で、「ひとりの人間として」という言葉を多用していました。「ひとりの人間として」とは、「学童クラブ職員として」「公務員として」「大人として」ではない、本当の<名まえ>を見通す者として、という意味にここではおきかえられると思います。(余談ですが、私は去年組んでいた相手(同僚)に「『ユーカリ』のような通信をだすなんて、公務員として『政治的中立』を守っていないと言われたのですよ。『ユーカリ』には『政治』などいっさい出てこなかったのに。つまり彼女にとって自分の意見を表明することは『中立』ではないのでしょう)。

 <名まえ>ということで思い出すのは『ゲド戦機』です。第一部『影との戦い』でゲドは「引き裂かれた」自己を統一します。第二部『こわれた指輪』でテナーという少女が本当の<名まえ>をとりもどします。もし、まだおよみになっていらっしゃらないなら、ご一読を。岩波少年少女の本です。

 
Oさんより渡辺へ 1985.2.8

 先月の3通の便りをありがたく受けとっています。正確には便りを受けとる一般的なうれしさを越えて、感謝のきもちなしでは受けとれないものとして、ぼくにつきささってきているといわなくてはならないのかもしれません。

 それは、渡辺さんの3通の便りがぼくの≪ノート≫と交差する位相で対話しはじめようとしているからだと思えています。もちろん≪ノート≫のことなどはどうでもよいことで、重要なのはその位相だと思います。つまり渡辺さんは≪ノート≫と交差することで、実は≪ノート≫を押し出しているぼくの捉われる存在の<不安>性と交差しようとしていると思うのです。

 ≪ノート≫でも繰り返し、いろいろなかたちで言ってきたことですが(誤解を恐れずに言えば)、ぼくは完結した個人の営み(さらにいえば、ほんとうはそうしたものがありうるのかさえ疑問ですが)には関心がありません。それは、その営みがいくら苛酷に満ちていたとしても、他者(のここと~意識の根底)を撃つことはありえないからです。完結した個人の営みがどうして他者を撃つことがないのかを考えると、それは、例え楽しみに被われていたとしても、逆に苛酷さに被われていたとしても、そこには<じぶん>への全面的な信用~疑いのなさ、があるからではないでしょうか。守ろうとするところには、ほんとうは個人性の問題など一片もありません。このように言ってみることはできないでしょうか――もしかすると、ほんとうには<じぶん>自身を撃っていないから、他者が視野に入ってくることもないのではないかと。

 <じぶん>を切実に捉えたいと思いはじめたとき、誰もが次のことに気づかざるをえないと思います。<じぶん>は強いられた<時代>の一断面にしかすぎないと。だから<じぶん>とは<時代>との最も切実な闘いを探りつづける不確定な存在であること――。

 ぼくのいう存在の<不安>性とはそういうことです。他者との思いがけない交差にしても、それは一見具体的な相手を問題にしているようでありながら、実はひとりの存在を通して視えてくる<時代>の病の深さから受ける衝撃だけが問題にされているのだと思います。同じ<時代>に生きる者としての交差は、お互いの存在を根底から揺り動かさざるをえません。そうした意味で、渡辺さんが自らの必然を辿るようにして、ぼくの視野に交差してきてくれたことは、ぼくがいま抱える存在の<不安>性を運動化させていってくれるだろうと、衝撃をもって期待しています。

 ところで、渡辺さんが短時間のぼくとの対話から≪シベールの日曜日≫を観に行ってくれて、それへの感想を1.29の便りに書いてくれたことは、渡辺さんとぼくとの存在の<不安>性の交差をより深いものにさせていく予感を運んできてくれます。詳しくはまた書きますが、≪シベールの日曜日≫という映画が美しいのは、<シベール>と<ピエール>とがはかないほどの必然の<出会い>をもつからではないでしょうか。そうした<出会い>が秩序からは見えないからこそ、ふたりは追放されざるをえなかったと考えます。逆に言えば、秩序から対極的に遠いところでふたりの<出会い>はあったといえます。(後略)

 
【つづきを加えました】

Oさんより渡辺へ  1985.4.24

 便りします。映画≪シベールの日曜日≫を借りて語りはじめると、渡辺さんもきっと感じたに違いないと思いますが、この映画でもっとも美しいのは<名まえ>というコトバの響きであり、そのコトバを発するときの<シベール>や<ピエール>の表情やしぐさ・・・であると、ぼくは思っています。

 そして響きが美しいのは<名まえ>というコトバに、存在するということ自体がまとわりつかせている<あやうさ>という意味が込められているからに違いありません。<シベール>は周囲の善意を装った保護者達から<フランソワーズ>と呼ばれ、認められているにもかかわらず、こう言ってしまいます・・・≪わたしには名まえがないの≫。一少女のこの魂の叫びには、ただ胸がしめつけられます。それは、そうした透徹した眼を不幸と感じるのではなく、むしろ当然のこととして信じているあどけなさのためだと思います。

 ≪わたしには名まえがないの≫という<シベール>の叫びは、実に深い象徴的意味をもっているとぼくは考えます。<シベール。は≪名まえがない≫と叫ぶことによって、かろうじて与えられていた呼称<フランソワーズ>を喪うことになります。これは存在する価値などない者、存在していないも同然な者ということが意味されています。けれども、ほんとうにそうでしょうか?

 ぼくは<シベール>は、存在する価値などない者、存在していないも同然な者――どころか、むしろ全く逆に≪名まえがない≫と自らに叫びかけることによって<フランソワーズ>などという仮着に閉じ込められることから脱して、存在するということへのとおい実感へ向けてはじめて歩み出せていると思うのです。つまり≪名まえがない≫とは、秩序から与えられた呼称からは全くみえないところで、あらゆる<名まえ>をもつ可能性の前に佇んでいること――というふうにもいえると思います。じぶんの<名まえ>というものは、きっと本来そうしたものです。もともと自分の<名まえ>が決まっているなどということはないのです。<名まえ>とは切実さの代名詞であって、そうした意味で一つの<名まえ>はより深い切実さに吸い寄せられるように、新たな<名まえ>へ向かういわば永久運動であると思えます。(一方で、ひとつの<名まえ>だって重すぎてうまく負いきれないということだってありますが――)。≪名まえがない≫とは、だから<名まえ>が「まだ」ないということです。

 そうしたことを考えるとき、思い浮かぶことがあります。それは<シベール>という<名まえ>とは何なのかということです。≪シベールの日曜日≫のラスト近くで、実にささやかだがこころあたたまるクリスマス自体をクリスマスプレゼントにした<ピエール>に対して、これ以上ないだろうと思われる美しいプレゼントを<シベール>が用意していたのを憶えています。そのプレゼントとは、幼い字で≪シベール≫と書かれた粗末なちいさい紙切れだったわけですが、ぼくはどうしてこの一枚の紙片が美しいのか、別の言い方をするとどうしてこの一枚の紙片がこんなにもかけがえのない切実さを孕んでいるのだろう――と思わないわけにはいきません。<シベール>は自らの本名を大切にしていたといえます。でも、それは<フランソワーズ>などという与えられた呼称を一見引き受けてまで、本名をかたくなに隠し、明かそうとしなかったのかは説明できません。そんな<名まえ>の捉え方などは、とうてい秩序的な世界(のひとびと)からはみえるはずはなく、またそうした世界に同化させてはならないことを<シベール>は実によく知っていたに違いありません。

 ぼくが重要だと思うのは、<シベール>がそのようにちいさな手のなかで育んでいた<名まえ>が、必然的に<出会い>(の要素)をも孕んでいたということです。だから<シベール>と<ピエール>が出会ったことはあながち偶然とはいえず、ましてや<シベール>と<ピエール>の<出会い>が透明感をもっているといっていいくらい静かで美しいのは、まったくの必然性に支えられているといえます。

 <シベール>と<ピエール>とがあんなにも深く交差しえたのは、<シベール>の、そして<ピエール>の渇望感の深さのためだと思います。この渇望感とは<名まえ>の渇望感とでもいえるでしょうか。文字通り<ピエール>は記憶喪失であり、じぶんの<名まえ>が何なのかを探し求めることが生きることそのものだというのはとても象徴的です。<シベール>も<ピエール>も周囲の世界がじぶんに与えてくる呼称になじめないで、つまり≪名まえがない≫と思うしかなかったため、自らのほんとうの<名まえ>を探し求めてさまよわざるをえません。そして、このときの<名まえ>とは、前にもいったように切実さの代名詞ですから、切実さに吸い寄せられるように引っ張られていくことが、生きていくことの一つひとつの実感になっているといえます。別の言い方をすれば、切実さにみつめられて歩む、というふうにいえるでしょうか。

 そうしたなかでの他者との<出会い>はきわめて貴重なものだと思います。他者との<出会い>もまた、切実さのひとつの形だからです。ただ、さらにいうなら、切実さの深さを通してもうひとつの切実さの過程と交差しえたのだというようにいえます。そうした意味で、他者とはもっとも異質な(もっとも見知らぬ)切実さのことだ――といえるように思います。みつめることが同時にみつめられることであり、みつめられることが同時にみつめることである――ということが可能になるところで、自ら歩んできた切実さと目の前にしているひとの歩んできた切実さを全く同じ重さで思わず捉えてしまうということが、とりあえず視線のぬくもりを生み出しているといえます。でも、さらには目の前にしているひととの<出会い>に込められている切実さによって、じぶんがどこに運ばれていくかわからないことをも厭わない、ということがほんとうのぬくもりを生じさせていると思うのです。

 (長い中略)

 ぼくが恐ろしく思うのは、ひとが“何も話したくない。何も聞きたくない。身近なところから発せられる切実かもしれない声にも関心がもてない”というふうに自らの内に閉じこもったとき、ほんとうにそのひとは全てに対して口を閉ざし、耳を閉ざしていくことを貫けるのだろうかという点です。切実な声とはつぶやきに近いものですから、あえて耳をすまさなければ何も伝わってはこないと思います。ですが、あえて耳をすまさないですむ、つまり<伝達>へ向かう姿勢の安易さが作ってしまう空洞には、一挙にあたかもそれが先験的なものであるかのような無意識の強制力をもった秩序的な声や発言への秩序的な強制が、なだれ込んでくるしかありません。“何も話したくない。何も聞きたくない”ということはあたかも空白であるかのようですが、実はそこには秩序が発したり秩序がかき集めた声がぎっしり詰まっていると思います。切実性への空白と秩序的な侵入とのバランスがうまくとれているため、それが空白のように思えるだけです。

 前にも言ったことはありましたが、ぼくはこれが実は秩序発生の基盤だと考えています。秩序は最終的には存在を押しつぶすだろうけれども、そこに至るまでは感性をマヒさせたまま徹底して生きさせ続けるだろうからです。(後略)
[PR]

by lumokurago | 2011-10-01 15:11 | 昔のミニコミ誌より

Y氏への便り 1988.9.21

 これは特に工房うむきさんに読んでほしくて掲載します。

 (前略・中略)

 児童館で今度「秋まつり」というのをやることになっていて、そこには子どもたちが自分で作った物をお店の品物としてだすのです。その中に紙粘土で作るグループがあり、児童館の職員がかわいい(?)ネコやイヌの型を買ってきて、「これで作ればいい」と言い、クラブの私の相手の職員も何の疑問も持たず、それでいいと信じきって、子どもたちにただ、紙粘土の型抜きをさせています。私は鳥肌が立ったけど、彼女たちがそれでいいと信じきっているので、口が出せず・・・今頃頭に来ているわけです。

 どんなに下手でも子どもが自分で作った物の方がいい!

 みんな同じ型抜きだなんて。なんてバカにした話なんだ。「ダンゴ」でも作った方がまだいい。ダンゴだってその子によって大きさも形も違うはずだから。その子の表情が出るはずだから。

 うちの両親がこの話を聞いたら、怒るだろうな。私はぬりえが好きだったのに、うちの父は断固としてぬりえを禁止していたのです。どんなに下手でも自分で描けと言って。

 児童館や学童クラブでは、おたよりに市販のカット集からそれらしいかわいらしいカットを写して載せることが普通になっています。私はそういうのは好きではありません。オリジナルを描くことができないなら、カットなんていらないと思います。

 だから絵の下手な私の作る通信は字ばかり。でも<関係>のおかげで、子どもが原稿を読んでくれてカットを描いてくれます。その絵を通信に載せています。

 「本」ってそうやって作るものですよね? (後略)

 山口泉様     渡辺容子  1988.9.21

 
[PR]

by lumokurago | 2011-09-28 18:58 | 昔のミニコミ誌より

Y氏への便り 1987.12.20

 このころ(1987年)、『負けるな子どもたち』を執筆しており、Y氏が相談に乗ってくれていたため、子どものことを書いています。

*****
 
 (前略) 
 
 私はたまに勤めている学童クラブの子どもの写真を撮ることがあります。写真はまったくの素人ですが、子どもたちの姿が美しいなと思ったとき、「写真家だったら、きっとこれを写すんじゃないかしら」と思い、撮ってみることがあるのです。

 最近、ひさしぶりに子どもたちの写真を撮りたいと思ったことがありました。それは、あばれんぼうの男の子たちが「馬乗り」という遊びをしていたときのことです。「馬乗り」という遊び、ご存じですよね。私の通っていた小学校では危ないからという理由で禁止になった記憶があります。

 その遊びをしているあばれんぼうたちは、体ごと解放された楽しくてたまらないという表情で、見ているだけで血が騒ぐのでした。しかし、そのように痛快なほど明るく遊んでいたのは、馬乗りがはやり始めた初めの数日間だけで、それはやがて「いじめ」に近いような形に変わっていき、私は写真を撮る機会を失ってしまいました。

 Yさんも書かれていたように、アジアやアフリカの子どもたちの表情の豊かさに通ずる<契機>(それは月並みなことばでいえば「いのちの美しさ」と言えるでしょう)は、日本の子どもたちのなかにも必ず存在するはずのものであるのに、やはり日本の子どもたちは、数々の抑圧を受けるなかで、その<契機>はどこか奥深くに閉じ込められ、息もつけない状態にさせられているのだと思わずにいられません。

 長谷川龍生の詩についてのYさんの感想も、よくわかります。――「悲しみ」という個個の側に還元される感情の問題としてではなく、ある種の自明の現実として互いに支え合っていこうという呼びかけを感じるのですが――というところ。

 私は「かなしみ」ということばを、ひらがなまたは「哀しみ」という漢字を使って多用していた時期があります。「かなしみ」ということばで私が表現しようとしていたものが何なのか、それは、自分が抱える、どこか満たされない感じから、私には絶対にまちがっていると感じられる社会に対して、自分が何もできないのだという無力感と怒りまで・・・さまざまな感情をひっくるめてしまったことばだったのですが、そんなわかったようなわからないような感傷とは無縁なつよさが、この詩には確かにあると思います。

 (中略)

 去年まで、毎年年度末に、学童クラブで文集を作っていました。冬休み明けから3月初め頃までの間に、子どもたちに作文を書いてもらうのですが、ただ書くのではなく、一人ひとりの子どもと話をしながら、普段は表現していない「見えないもの」を引き出していました。それがうまくいったと思える年も、うまくいかなかったと思う年もありました。写真家だったら、子どもたちの美しい姿をシャッターを押すことで捉えるところ、私は文章(作文)を書くという作業を通じて、子どもたちの心をとらえたいと思ったのです。

 しかしこの作業は、年々困難さを増しています。子どもたちがより長時間学校に拘束されるようになり、遊ぶ時間が足りないので、落ち着いて作文など書く余裕がないのです。また、まじめになって自分の心をみつめて表現するということができにくくなっています。今年はあまりに落ち着かないし、頼んでも書かないだろうと思うので、文集作りは断念するつもりです。

 私たちくらいより上の世代が昔、体制に異議申し立てをしていた時には、基本的には、ことばで表現する術を心得ていたと思います。それがどんどん失われて、暴力とか違う形になっていきました。私の見ている範囲内の子どもたちもそうなのです。

 最近、暴力とは何なのか、表現の一種と言えるのかと考えています。表現ではあるのでしょう。暴力を使えばおこられたり、止められたり、必ず相手を振り向かせるから。その意味ではせっぱつまった過激な表現と言えるのかもしれません。しかし、それだけ切実であるにもかかわらず、中身は何も伝わってこないのです。どう考えても子どもたちの中には、おこられること覚悟で、それでも振り向いてほしいというギリギリの気持ちがあって、暴力をふるっていると思います。おそらく無意識でしょうが。

 しかし暴力では人とコミュニケートすることはできません。子どもたちは自分でもことばにできないモヤモヤした気持ちを暴力で表現し、でも、大人はその気持ちをくみ取ってくれないのでますますイライラしてエスカレートするのかもしれません。コミュニケートするためには、子どもが自分のことばを探す作業を手助けしてやる必要があるのでしょう。それをどうやってやればいいのでしょうか・・・。

 これからまたいろいろなことを考えて原稿を書き直すのかと思うと、頭が痛くなってきます。でも第1稿を書きあげたことで、自分は大きく変わることができたので、今、考えているゴタゴタをなんとかまとめることができれば、またひとつ何かを乗り越えることができる、と信じてがんばることにします。  

 山口泉様                  1987.12.20  渡辺容子
  
[PR]

by lumokurago | 2011-09-27 12:01 | 昔のミニコミ誌より