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カテゴリ:昔のミニコミ誌より( 77 )


宮崎勤君の事件をめぐって その2

 今日はきのうの続きでOさんからの手紙を載せます。暗川28号(1990.3.20)より。

*****

 ぼくも幼児誘拐事件の犯人らしい男が逮捕されてからの“その後”は予想通り(?)の最悪のコースを辿っていると思えています。このままでは殺された4人のちいさなひとたちの意味の重さは無化されていってしまう、踏みにじられてしまうと思います。場所柄(注:Oさんは入間市在住でした)、通勤の電車の中で時折、今野真理ちゃんの父親らしきひとを見ます(以前ニュースで見ただけなので確かではありませんけれど)、年齢の割に白髪のまじった中年の男性である他は、特に目立たないただの満員電車のひとりの乗客にすぎません。けれども、駅の明るい構内を抜けて夜道へと向かううしろ姿を見たとき、あらためて事件の残酷さを感じました。世間の喧騒からはじき出されたところで、ほんとうのせつなさは潜行していくのだと思わないわけにはいきませんでした。

 渡辺さんの文章に関していえば、ぼくは《全体を把握》しなくてもよいから(まだ誰にもできていない!)、《社会の問題を語ること》あるいは、この事件からより多くのことを語ることをしてもよいと思うのです。でなければ、この事件(のその後)が最悪のコースを辿っているということもよく視えてこないと思います。

 たとえば、ぼくは8月24日付の朝日新聞は読んでいませんが、そうした“良心的な”というか一見的を得たようなマスコミ報道のあり方にも疑問を持ちます。以前、読売新聞に容疑者の男の犯行の中心となったらしいアジトが発見されたという1面トップのスクープ記事がありました。“警察の捜査で続々と新証拠が出そうだという”様子や、アジト近くの目撃者の“容疑者の男が出入りしているのを見た”という証言を織りまぜながらーー。けれども、その翌日には“そんなアジトはなかった”という小さな訂正文が載っていました。マスコミ報道はさかんに容疑者の男を“現実とフィクションとの境目を喪失している”ともっともらしく指摘していますが、実在もしない“アジト”をいま見てきたように記事にするマスコミの方が、よほど“現実とフィクションの境目を喪失している”と思えます。ひとびとの“排除”の姿勢を批判する前にというか、ほんとうに批判しようと考えるなら、まず、この事件の衝撃の本質が視えずうろたえるひとびとの志向を、興味本位や事件の本質をねじまげた方向へ引っぱっていったマスコミ報道を自己批判しなくてはならないのではないかと思います。そのことなしに、ひとびとの“排除”の姿勢を批判するのは自分で焚きつけておいてそれを責めるというずいぶんひどい話だと思います。

 ではこの事件を捉える視点みたいなものは何なのかと思ってみます。この事件に限らず、犯行手口の問題や犯人の側からだけ事件を捉えていこうということにはぼくは疑問を感じます。ぼくには犯人と被害者(犠牲者といっても同じかもしれません。直接の犠牲者となったひとの家族らを含めて)との<関係>からしか、事件の本質は浮かび上がってこない気がしてくるのです。この事件の容疑者の男が《他者と関係を作ることが苦手》だったかもしれない、ということも、犯人と被害者との関係ということをくぐってみなくてはならないと思います。

 続々と明らかにされていく、ちいさなひとたちの誘拐の手口、その後の扱われ方にはぼくも目を覆います。ですが、やはり『告白文』や『犯行声明』文の方にこの事件に迫るキーワードみたいなものがあるような気がします。確かに容疑者の男は“さびしさ”として自己形成していったことは感じます。けれども『告白文』や『犯行声明』文から伺えるのは<関係>への嘲りのようなものです。他者との<関係>は、荒々しさと同時に静かな安心感をもってやってくるものです。これは充実した快さといえます。しかし、『告白文』や『犯行声明』文は<関係>をこつこつと積み上げていくことを打ち砕くことに快楽を求めているところから生まれていると思えます。今野真理ちゃんの場合、事故ではなく事件だということがはっきりした直後、インタビューされて犯人をどうしたいかと問われ、両親は「自首してほしい」と答え、また別の機会の「犯人に言いたいことは?」というインタビューでは「なぜ娘をこんな目にあわせなくてはならなかったのか、その訳を聞きたい」と答えていたように記憶しています。ここのところで通常だったら「早く警察は捕まえてほしい」「死刑にしてほしい」と親は答えてしまうと思います。ところが、今野真理ちゃんの両親は、こんな凄惨な事件の渦中でも、一貫して犯人と<対等>に<対話>しようとしています。このことにぼくはとても驚きます。そして、この両親がちいさなひとである今野真理ちゃんという娘をどんなにだいじにしていたかを伺うことができる気がしてしまうのです。容疑者の男の快楽の代償はあまりに大きかったし、代償の前でその快楽はあまりにもちっぽけな快楽にしかすぎなかったといえます。

 この事件が核心へ迫りえず、ひとびともその反応で愚行を繰り返しているのも、異端者を理解しようとしていない、排除しようとしている、というよりも、結局中途半端だからと思えます。つまり、犯人の快楽に対する捉え方への怒りが、大騒ぎの割には希薄でちゃらんぽらんだからだと思います。もし、ほんとうにその怒りが強ければ、一容疑者の存在を突き抜けて、<関係>への嘲りがどんなに許せない者であり、惨たらしいものであるのか、というところに行きつくはずです。

 最悪のコースを辿るかにみえるこの事件で、もしそれをかろうじて阻止する道があるとすれば、それはそれこそ狂気とも思える大騒ぎからはすくいとれず、こぼれおちていってしまう今野真理ちゃんの両親の、強引なインタビューに対するつぶやきみたいなものではないかと思えます。

 今野真理ちゃんと同じく犠牲者となった難波絵里香ちゃんの父親だったと思いますが、自宅近くで現場検証があり、犯人が目と鼻の先にいることをインタビューされて、「ひとつでもいいですから、犯人をなぐりたいです」と答えるせつなさの中に、非常にたくさんの意味が込められていること、言い換えれば、怒りが込められていること、それと同時に<関係>への切なさも込められていることを感じずにはいられません・・・。  S.O.  1989.9.27
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by lumokurago | 2011-03-07 18:37 | 昔のミニコミ誌より

宮崎勤君の事件をめぐって その1

 暗川28号(1990.3.20)より転載します。

*****

 宮崎君が幼女誘拐殺害事件の容疑者として逮捕されてから半年が過ぎ、めまぐるしく目先の物事に振り回される私たちは、。もうすでにそれを忘れ去ろうとしている。しかしそんな中で、文通している中学2年生の女の子が、次のような手紙をくれた。私は中学2年生がこんなに一生懸命考えていることに励まされ、私が宮崎君について書いた文章が載っている径通信を送った。それに対する彼女の感想と、9月に友人のOさんがくれた手紙を読んでほしい。(径通信を同封します)。

 (注:このころ、私は径書房刊『ロックよ静かに流れよ』に手紙をくれたおおぜいの子どもたち&少数の大人たちと文通していた)。

 C.Yさん(中学2年)より 
 
 前略・・・。今の若い人は人を殺すことなんて、なんとも思っていないとか言うんです。確かに若い人は今、たくさんの人が罪をおかしているけど、なんとも思ってないわけないんです。ちゃんと自分自身でキズついているんですよね。それなのにマヒしてるとか勝手に言って・・・。

 あの宮崎さんだって人を殺したことに対して、一番キズついてると思うんです。なのにマヒしてる!!って。異常だ!!って。それって一人の人間としても人権が守られていないって思うんです。この大人の言葉を、しっかり子どもは聞いてるんです。今の若者の動きは大人の言ってることの生き写しなんです。

 渡辺さんみたいに子どものことをわかってくれてる人から、わかってくれてない人までさまざまいるけど、だれがどっちだ!!なんてキメつけられません。だから大人みんなに問いかけてみたいんです。そこで、どれだけの人が心をひらいて聞いてくれるか・・・。もちろん子どもにも・・・。どうして大人と子どもはそれぞれに壁を作ってしまって、お互い心を開きあわないのか・・・。

 私の考えはちがってるかもしれないけど、私はこう思うんです。勝手なことばかり書いてスイマセン。けど、自分の気持ちぶつけて、ちゃんと言えたことだけでもうれしいです。  1990.1.15

 ★ この手紙をもらったので、径通信を彼女に送りました。

 2通目

 径通信、読ませていただきました。私もほんとに渡辺さんの言ってることと同じです。宮崎さんに対するマスコミの人たちの「異常者」あつかいはやめてほしい。それにこの事件が起こった時は騒ぐだけ騒いでおいて、しずまるともう知らんぷり。次の事件を追いかけて、また事件が起きると騒ぎ立てる。もう見てる方がうんざりしてきます。

 宮崎さんの事件の時、もし私が宮崎さんの身近にいる人物だとしたら、何かしてやりたいって、やれないのに思ってしまう。なぜやれないかというと、やっぱり世間の目でしょうね。そうゆうゆうに世間の目を気にして、何かをやるとか、言うとか、するとか、そういう時の自分の態度がいちばんきらいです。結局は世間を気にしてやらなきゃ自分は駄目なんだって思っているみたいで・・・。言ってることと行動とが全然違ってるんですよね。(後略)  1990.1.27

 3通目

 前略・・・。話は変わりますが、この前部活が終わった後、部室で着替えをしていたら、あるSさんが宮崎さんの話をもち出してきました。するとみんなが「きもちわるいからやめて!!」とか「異常者のはなしげなせんで!!」とか、他いろいろあの事件のことを話してました。私はそんなこと言うのイヤだから部室から出ていったんですね。すると別の人が私の所にきたんです。そして「ほんと宮崎って最悪やと思わん?」って言ってきたので、私が「そんなこと言うもんじゃないよ」って言ったんだけど、相手には通じなくて・・・それでその子と交換日記やってるから、日記に書きました。

 --なぜ私が宮崎さんのこと言ってる人に対しておこったかというと、やっぱり同じ人間なんだし、そりゃあ何人もの子どもを殺し、ほんとに深いあやまちをおかしてしまったと思う。しかし、それを騒ぎ立てるだけたてて、異常者扱い、そして最後には「人間ではない」とまで言ったそのマスコミの状態が今の子どもたちにとって良い影響をあたえるのか?

 この事件をマスコミがほんとに心配しているなら、異常者扱いにはしなかったはずだ。大人が生み出してしまった事件を、ビデオ貸し出し禁止だけですませてしまってもいいのだろうか? それより人を殺すという罪をきちんと子どもにおしえていかなければならないと思う。大人や子供たちが彼を異常者使いする以上、今の子どもたちの発育?!に悪い影響をあたえるのではないだろうか? この大人たちの行動を見た子どもたちは、どこかの場面で人を異常者扱いするのではないだろうか?

 それにこれは宮崎さん一人の問題ではないはずだ。今現在、子どもたちは荒れてしまっている。これは大人(一部)の行動の生き写しではないだろうか?今の子どもたちが宮崎さんのことを言っている時、子どもの状態はどうだろうか? 言葉づかい、暴力、etc・・・そんなものにかわっていないだろうか? だからこのような事件を二度と起こさないために口だけでなく、きちんと子どもに教えていくべきではないだろうか?

 言葉だけで切り捨てている人はずるいと思う。その場その場で、なにもかもかたづけてしまう。それが今の子どもに反映してきたと私は思わずにはいられません。そりゃあ今と昔じゃ価値観も文化もなにもかもかわってきている。しかし、人間の心はかわってはいけないと思う。

 現在、戦争もなく、人の殺し方など、学校ではならわない。しかしTVで人を殺している。だから子どもは人の殺し方を大人より詳しく知っている。そして人間たちは二度と戦争はおこさないと言いながら、しっかり子どもに殺し方を教えている。

 これってむじゅんしていると思いませんか? それプラスじゅくだのなんだの、偏差値、成績、習い事で子どもをしばりつけて、それでうちの子はマジメだといばりくさっている。

 話の内容はずいぶんずれたけど、とにかく私は宮崎さんを一人の人間として見ている。一人の人間として見なければならない。人それぞれ言い分があるかもしれないが、私はそう思うよ。

 中略・・・(交換日記の相手の子の意見を引用して、Cさんは二人の意見は全然違うと言っている)。

 他、いろんな人にこのことについて語りかけてみたりした。けど、みんな、そんなこと考えてもなかった!って言ってた。なんかそーゆーのって悲しいと思いませんか? それとか、その話、もう古いやん、とか、もう終わったことやし、別にどーでもいいんじゃないの? って言葉が返ってきたんですよね。私としてはすごいショックでしたね!

 私はどうにかしてこんな事件がおこらないため、なにか方法はないものか? って考えているのに、ほかの人たちはそんなことも考えずに、一日一日が過ぎてゆくのを、ただまってるだけ・・・それでこの先、よい時代が来るのでしょうか? それとも私の考えすぎでしょうか?

 このごろ進路について、話が少しずつでてきています。「将来の夢」とかさくぶんに書かされています。私は学校の先生ってゆーのが昔からの夢だったんですけど、やっぱりはっきり決めれないので、作文には「いろいろな人びとに出会いたい。そして自分の存在を確かめて、自分を必要としてくれる人たちを見つけたい。そして人のためになるようなことをしたい」と書きました。自分の将来がどうなるかはわかりませんが、やっぱり先生になって子どもたちとのステキな出会いをしたいなって思っています。

 ほんとに私にこんだけ考えさせることを提供してくださってありがとうございました。  1990.2.9

*****

 この手紙はいまから21年前のものです。しっかりしてますね。Cさんのいうとおり、人間が人間を「一人の人間」として尊重できる社会になれば、一人ひとりの人間が自分を認めることができれば、小さな子どもを殺すような事件はなくなるはずです。それなのに、また同じような事件が起こってしまいました。犯人になってしまった青年は自分を自分として認められないから事件を起こしてしまったと思います。それは彼が「異常者」だからではないのです。人間は社会的な存在なのですから。 
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by lumokurago | 2011-03-06 20:15 | 昔のミニコミ誌より

宮崎勤君は私たちの影

 ひとつ下にある辺見庸さんの記事を先にお読みください。

 昨日書き写した「悪魔」関連で、昔、こんな文章を書いたことを思い出しました。1989年11月発行の径通信№39(径書房)に掲載されたものです。

*****

 幼女誘拐殺人事件の容疑者として宮崎勤君が逮捕された。事件そのものも衝撃的ではあるのだが、その報道のされ方に私は今の日本の社会が抱える問題の深さを見る思いがする(中には良心的な報道もあるが、数少ない)。

 そんな中で朝日新聞は8月24日付で、宮崎君の自宅に見物人が繰り出していることに触れ、「ひとの痛みに鈍い反応、“病根”見すえず排除に走る」という記事を載せている。その中には、「現場に群がる見物人について、『いじめの構造を見るような思いがする』」、「本当は社会そのものに、『宮崎的なもの』があるのに、それを認めたくないから、必死になって彼を異端者にしようとしているんじゃないかな」という識者の指摘がある。

 これを読んで、私は中森明菜さんが自殺未遂した時の大人たちの会話を思い出した。「あれは狂言だ。本当に死ぬ気なら飛び降りとか絶対に死ねる方法を選ぶ」などと話していたのである。

 私たちは今の子どもたちの「いじめ」の問題や、他者を排除することで自分の存在を認めようとするような言動、また、冗談として使われている「死ね!」だの「殺してやる!」ということばなどについて、他者の気持ちを思いやるようにとか、人の生き死ににかかわるようなことばは簡単に口に出してはいけないなどと言っているが、子どもたちはまさに私たち大人の言動を真似ているだけなのだということがここでも明らかにされた。

 私はこの事件に対して全体を把握して今の社会の問題を語ることなど到底できないが、私が一番強く感じたことは、宮崎君は他者と関係を作ることが苦手で、私のつき合っている子どもたちもそうであるということ、そして、事件を知らされた私たち自身も同じなのではないかということである。

 今の子どもたちは、自分を受け入れてくれると信じられる大人に対してぶったりけったりの暴力をふるい、それがじゃれ合うといった程度をとうに越えたものになり、「痛いからやめて」と言ってもなかなかやめない。それは甘えの表現と、自分をかまってほしいという気持と、心の中にたまっているモヤモヤを発散させているという面があると思う。また、男の子と女の子が遊ぶ時にはお互いにおいかけまわってけったりぶったりすることを遊びにしている。好きな子に対してそういうことをするのである。

 私は子どもがなぜそこまで暴力的になるのかがわからなかったのだが、ある時ひとりの男の子が私をぶったりけったりした時に、近くにいた女の子に、「なんでこんなにひどいことするんだろう?」と言ったら、その子は「××君は先生が好きなんだよ」と言った。子どもたちは「こわい」人にはこんなことはしない。「こわい」人の言うことはきく。でも「好きな」人なら何をしても受け入れてくれるはずだから、何をしてもいいと思っているようなのだ。そこでその考えは間違っていると話しても通じない。私はこういう子どもたちと関係を作りたいと願い、努力したが、それはむずかしいことだった。子どもたちは関係を作ることが苦手なのである。

 一方大人たちはどうなのかというと、先に書いたようなことから、他人のことは「他人事」として片づけ、その人の痛みに自分を重ねて考えたり、自分に引き寄せて自分をふり返ってみることができにくいということが言えると思う。それはやはり、人と関係を作ることが苦手だということである。他者の痛みを想像し、それに寄りそったり、他者を排除するのではなくどうしてそうなったのかを考え、共に苦しむことなくして、どうして関係を作ることができるだろうか。

 一見すると残忍きわまりなく、人間がやったこととも思えないこの事件は、しかし宮崎君個人の「異常性」などから起こったのではないと私は思う。今の日本の社会のひずみが偶然彼の上に集中し、象徴的に現われたのである。私たちは彼を「異常者」として切り捨てるのではなく、社会のひずみを作り出しているひとりひとりとして今の社会を問い直すことで責任をとっていかなければならないと思う。その一番大切なことが人と人との関係を大切にできるような社会を作っていくことなのではないだろうか。

 「おとなしく目立たない」生徒だったという宮崎君が一度でもいいから先生にほめられたり、自分の存在を認められる経験があれば、また心を開いて話し合える友だちがいれば、こんな事件は起こさなかったのではないかという気がしてならない。

 情緒的な言い方になるが、彼はさびしかったのではないだろうか。さびしい人間はたくさんいる。物ばかり与えられ、心をないがしろにされている子どもたちも。

 宮崎君は同じ時代に生きる私たちの「影」なのだ。

*****

 ここで宮崎勤君の本名をだしたことに対して、読者から「容疑者の段階で本名をだすことには問題がある」という批判がありました。もっともなことです。あれから22年、日本の報道も国民もなにも変わっていませんね。

 この頃、私はすでに子どもたちが人と関係を作ることが苦手になってきたことを指摘していますが、その後10年くらい経つと、職場で子どもたちとも親たちとも、子ども同士も親同士も、さらには職員同士も、人間関係がごくごく薄いものになってきたことを感じ、仕事がつまらなくなっていました。いまでは「無縁社会」が話題になっており、人びとの人間関係を作る能力はますます低下しているようです。もちろんそれだけだはなく、関係の作りにくい環境がはびこってきたことも大きいのですが。

 人間というものはほんとうはもっと自然に包まれたシンプルな環境で、ものもあまり必要とせず、食べ物と時間があって家族や友人がいれば、ゆったり幸せに生きられるものではないでしょうか。

 いまの私は浮世離れした隠遁生活ですが、じゅうぶんにこれを満たしていると思います。
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by lumokurago | 2011-03-03 17:03 | 昔のミニコミ誌より

この場所はだれもが必ず来る場所だ

 むかし、男女を問わぬ「好きな人」たちその他の人たちに宛てて、毎日毎日おびただしい手紙を書いていました。「手紙」は普通ひとりの人に宛てて書くものなのですが、私たちは「宛名」をとっぱらい、コピーしておおぜいで共有していました。それを<おびただしい便りの広がり>と呼んでいました。個人通信『暗川』にその一部は載せて、より広い読者と共有していましたが、『暗川』に載せなかった厖大な<便り>が段ボール箱に山積みになっています。

 去年「余命1年」と言われてから、最後まで取っておいた手紙も処分しなければと思い、少しずつ読み返していたのですが、とても間に合わない。だいたい斜め読みして処分しました。

 そして最後の最後まで残っているのがまだ1箱以上。とうとう処分しようと思い、手をつけることにしました。私は手紙を封筒は捨てて、中身だけを年度ごとにファイルしていたのですが、特に頻繁にやりとりのあった人は、その人と私の手紙のコピーだけ1冊に綴じていました。おおぜいの手紙が1冊になっているものは返しようがないのですが、それは相手に返すことにしました。

 読んでいるなかで、『愛しき日々よ』(保坂延彦監督1985)という映画の感想をみつけました。保坂さんは当時、宮前学童クラブのお向かいに住んでいらっしゃいました。息子さんはすでに学童クラブを卒業していましたが、お向かいのため大変お世話になりました。『愛しき日々よ』はその保坂家のお父さんの作品です。

 この作品は「陰坊(おんぼう)=死者の火葬・埋葬の世話をし、墓所を守ることを業とした人。江戸時代、賤民身分扱いとされ、差別された。おんぼ。おんぼうやき」を主人公とした映画です。詳細は記憶のかなたですが、この手紙(自分が書いた)によれば近所の「煙が迷惑だから重油にしろ」という苦情に対して、主人公は「この場所はだれもが必ず来る場所だ。それなのに他人事のようにしか考えていない(言葉は不正確)」と言うのです。それを聞いた上司は「おまえがこの仕事をずっとつづけていたら、俺を焼いてくれ」と言います。

 むかしの(31歳だった)私はその場面が一番好きだと監督宛ての手紙に書き、次の文章を引用しています。

 「確かに<ひとり>がどうしようもないような苦しさや悩みを負ってしまうことはあります。こうした苦しみや悩みは、その<ひとり>が徹底して負うべきだと思います。と同時にぼくには、そうした苦しさや悩みを負わされるのは、ほんの偶然にしかすぎないという思いがあります。苦しさや悩みが個人にまとわりつく不幸だというのは、絶対に間違いだとぼくは思います。苦しさや悩みというのは<時代>のほうからやってきており、そうした意味では、それらはだれが負ってもほんとうはいいものです。ただその負い方や重さが異なっているだけです。

 だから、いまじぶんが苦しさは悩みに直面しているということは<時代>が病んでいるということの予感として受けとめていいはずです。このことは同時に、他者の苦しみや悩みに直面するすがたは、自らの<影>だということにもなります。より苛酷さに直面している<影>のほうが、ほんとうは<じぶん>なのかもしれません。

 <自分をさらけ出す>とはつまり、じぶんがいま直面している苦しさや悩みは単なる不幸なのではなく、<はじまり>として捉えるのだという意志を表しているといえます。

 本来、他者とはじぶんの知らない<現実>の断面を生きているひとであり、そうした意味で他者とはもしかしたら<じぶん>だったかもしれない存在、つまりは<未知のじぶん>―というように考えることができます」。   by S.O.

 保坂監督が主人公に言わせたセリフ、「この場所はだれもが必ず来る場所だ。それなのに他人事のようにしか考えていない」はすべてに通じますね。また、SO.さんの<影>=「他者とは未知の自分」のテーマも本質を表していると思います。私の「バックボーン(背骨ーいま壊れかけてるけど(笑)」になっています。

 1985.7.5付の手紙でした。あのころは「好きな人」が多かったなあ(笑)。
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by lumokurago | 2011-02-02 10:05 | 昔のミニコミ誌より

「『オニ』のつぶやき」に

 もうひとつ、載せておきます。長いので時間のあるときにゆっくりお読みください。

*****

「『オニ』のつぶやき」に     S.O(児童館職員)

『暗川』第11号 1986.10.12より

 『暗川』第7号(1986.4.26)で渡辺さんが書いた「『オニ』のつぶやき」について感想をたのまれていましたが、この「『オニ』のつぶやき」という文章のテーマに関心が引かれるところもあるので、この機会にぼくのかんがえをまとめてみます。

 「『オニ』のつぶやき」と、それに応えた次号のM.Yさんという方の便りを読んで、職種は多少違っても同じく<子ども>関係の労働に携わっている者としては、そこに書かれていることはまったく大げささが含まれていない現実場面の描写だと思うと同時に、そこでも渡辺さんやYさんの対応のしかたについては、とてもすぐれていて、現時点ではこれ以上の現実的対応はなかなか見いだせないように思えます。

 この、渡辺さんやYさんの対応がすぐれているということについてちょっと補足しておけば、打開の方向性がなんら見いだせない現実場面に対して、二人とも既成の価値観=対処法と無縁に自力だけに支えられてその打破を模索しているということにあります。これは既成の価値観=対処法だけがさまざまに衣装替えしてはびこっている現在、とても貴重なものです。だから、ほんとはぼくにはほとんどなにも言うことはない気もします。  

 ただ、「『オニ』のつぶやき」やそれをめぐるやりとりというものが、受け止め手側(=読み手)の問題として、たとえ強引であろうと自己の固有な流れのなかにそれを捉えてみることがなければ、あるいは自己の固有な流れと交差してみることがなければ、それは一般的な教育問題や児童問題、また教育者としての渡辺さんやYさんの誠実さとして拡散させられて云ってしまう恐れが、<時代>の動きを背景にして十分あると思います。渡辺さんの職場である宮前学童クラブの保護者のUさんが『暗川』第9号で「『オニのつぶやき』をめぐるYさんと渡辺さんの文は、やはり私のなかで実感としてはとらえにくいものでした」と書いていることは、そうした難しさについてどこか率直に語っている面があるのではないかとぼくには思えます。

 つまり、あるひとにとってとてもたいせつなことがあったとしても、それ自体としてはそのひとにとってだけたいせつなことにしかすぎません。ましてや他者が、そのひとのかんがえかただとかにちょっと触れただけで、「わかった」と理解を示すことなどにはむしろ疑いが必要のように思います。それはほんとうに「わかった」のではなくて、じぶんの「すきま」を「わかった」ふりで他のひとの借り物のかんがえで埋め合わせていることにしかすぎないからです。そこには何の交流も、対等な<関係>性も生み出されてはいないと思います。

 だから、もし、あるひとなりかんがえに迫りたいと思うのなら、そのたいせつさのようなものに、じぶん自身のたいせつに思っているものを交差させて捉えていく以外にはありえません。もうちょっと言うなら、ほんとうの意味で<たいせつ>なものとは、そのようにしてはじめて生み出されてくるのだと言えます。これは、あるできごとなり、問いかけなり、それ自体が重要だというよりも(もちろんそうしたことがたいせつなものであることは言うまでもありませんが)、もっと必要なことはそれをどのように受け止めるのかという「受け止め方」が問題なのだということでしょう。つまり、あるできごとなり問いかけなりが、さらに豊かなコトバ~意味として言い変えられなければ―、別の言い方をすれば、さらに必然的なかけがえのなさとして視つめ直されなければ、そうしたあるできごとも問いかけも、それ以上の意味を拡げていけずに、しだいにしぼんでいってしまうことは間違いないだろうと言えます。

 最近こんなことがありました。4月に転勤になった新しい職場にやってくる子どものひとりに<あきこ>という小学3年の子がいます。この子は新しくやってきたぼくがめずらしいようで、毎日のように児童館にやってきて、閉館のときも後片付けをしているといつの間にかそばで黙って手伝ってくれて帰っていくという具合です。そんなとき、この子が2日ほど続けて「おいも(ぼくのあだ名)はじいさんだ」とかにくまれ口をきいたときがあったので、子どもなんてあてにならないところがあるから、少しいい子だなどと思って親切にしたりするとつまらぬ思いをする―というのがあらためて浮かんできて、ちょっといじわるをしてみようという気になって、わざとこんなふうにいじわるな質問をしてみたときがあります。

「ほんとうはぼくなんかこの児童館に来ないほうがよかったと思っているんじゃないの?」~あきこ「そんなことない。そんなことない」~さらにだめ押し「ほんとうかなあ。だったらこのごろどうしてへんなことばっかり言うのかなあ?!~それに対する<あきこ>の答えのしかたは予期しないもので、正直言って驚かされてしまいました。その答えはなんだったかというと―急に飛びついてきて「おいもが好きなの・・・」と言うのです。

 ―それこそぼくにとってだけしか意味がないようなこんなエピソードをなぜ紹介するのかというと、「ほんとうはぼくなんかこの児童館に来ないほうがよかったと思っているんじゃないの?」という質問に対する答えが、「好きなの・・・」というものである「突飛な」対話の成立の事実。また、そんな「突飛さ」を違和感なしに成立させてしまうというか、むしろ「突飛さ」としてはじめて切実性が表現されてくる<関係>性の(~発生の)あり方の不思議さに含まれる、かけがえのない重要性をぼくは感じるからに他ならないのです。このごろ、ぼくたちの仕事仲間ではやっている「整合性」などというコトバ~そうしたコトバを押し出してくる感性のあり方というものを、ぼくはほんとうに憎んでいます。
 
 前置きにあたる部分がずいぶんと長くなってしまいましたが、そうした前置きを踏まえていうと、ぼくにとってはオニという喩えがいいのか、悪いのか、渡辺さんのニックネームとして適しているのかそうでないのか、あるいは許せるのかそうでないのか―というふうには問題は立てられていくことはないのです。

 「『オニ』のつぶやき」を読んだとき、実はぼくには「オニの死」ということがすぐ頭に浮かびました。これは「オニの意味の死」といってもまったくおなじことです。渡辺さんには以前ちょっと話したことがありましたが、ぼくはちょっとした仕事上の理由から、オニについて調べたことがあります。そのとき、たまたま知ったオニの由来~オニのイメージの拡がりの深さについて、本当に驚かされてしまったということがあるのです。もちろん架空の存在であるオニの史実に、さらにぼくの解釈を付け加えていうと、オニの由来~イメージの拡がりは次のようになります。

 オニ・・・とはつきつめてみれば単に「うしとら」といういまわしい方角のことだけを指すという(そのためオニはうしの角を持ち、とらのふんどしをつけている)不確定な、かたちを持たない不安さとしてある。その背景にあるにんげんの現在的不安。もともとオニは神の一員であった。ところがあるとき、自らに似せて造ったにんげんの急成長する力に恐れを抱いた神たちが、にんげんを再び無に帰すため、滅亡のしかたについて相談する集まりを持つ。そのとき、唯一にんげんの滅亡に反対し続けたのがほかならないオニであった。神の仲間たちの争いに当然のようにして敗れたオニは醜い姿に変えられてにんげんの住む下界へと、再び神に戻れない者として永久追放されていく。それによってにんげんの滅亡を猶予するということを引き換えに―。

 しかし、オニによってかろうじて守られた当のにんげんのオニへの反応、オニの受け入れ方は実に残酷なものであった。にんげんたちはその由来をまったく考えず、表面的な醜さにのみ捉われて、オニを忌みきらい、今度は下界からも追放しようとする。つまりオニは天界からも下界からも追放される―あらゆる世界から抹殺されてしまうというところに追い込まれてしまうのである。

 じぶん自身が無へと追い込まれてしまうと言う信じ難さ、自らが全力を傾けて守ろうとしたにんげんの反応へのいきどおりが我を忘れさせてしまい、その醜さの由来をまったく忘れて、姿かたちの醜さとこころの醜さ、つまりはにんげんの残酷さに負けまいとする醜さとを一体化させて、対極的に一転して悪の化身となってしまう。結局、オニの姿の醜さはにんげんのあり方の投影にしかすぎないし、オニのにんげんに対する残忍さは、いきどおるにんげんへの復讐といえるのである。(にんげんがオニに豆をぶつけ外に追い出そうとするのは、どうしようもなくもう我を忘れて残忍さに走ってしまったオニへの防御の方法であるのか、それとも、自らの罪の深さのいきどおりを豆としてぶつけているためなのか)。

 ・・・このように、オニは引き裂かれた面を持った生きもの?です。逆に言ってみれば、このような架空の存在を生み出していかざるを得ないにんげん自身の引き裂かれていくしかないあり方が背景にあるのでしょう。ですから、オニの醜さ、恐ろしさのすぐ裏面には静かにおおくのものがじっと潜んでいる世界が拡がっているはずだといえます。
 
 渡辺さんに「オニが来た」と言い、「あっちに行ってよ」という『暗川』第7号にでてくる子どもたちがもしよくないとするなら、単に言葉遣いが悪いからでもなく、ケジメがなくて先生である渡辺さんに失礼さも感じていないからでもないと思います。突飛かもしれない言い方をするなら、それはただ、そうした子どもたちの「オニの捉え方がつまらない」からと言ってしまってよいように思えます。別の言い方をするなら、「オニの捉え方が貧弱だ」というようにも言えるでしょうか。一方、そうした子どもたちに対する「言葉遣いが悪い」「ケジメがなくて・・・失礼」などというおとなたちの反応のなかに、子どもたちをさらに越える「つまらなさ、貧弱さ」を感じとることができます。こうした小さなやりとりのエピソードのなかからでさえ、「つまらなさ」「貧弱さ」に閉じ込められ出口を見失って、呼吸ができなくなっている現在の<時代>の縮図をのぞきこむことができる―というふうに言ってよいと思います。ある意味で、ちょっとはずれたおとな?であるだけ、渡辺さんやYさんの周囲にいる子どもたちはまだ多少は救われているところがあるのかもしれないと思ってみたりもします―。

 オニの捉え方がつまらない、貧弱だ―ということについて、もうちょっと言っておくとこうなります。つまり一言でいってしまうなら、オニの背後に「静かなおおくのものがじっと潜んでいる世界」を感じとり拡げていく感性や思考の力がどうしようもなく欠損している―というふうに言えます。

 たしかにぼくがオニの史実に触れたことなどは、仕事を通しての偶然にしか過ぎないし、そうでなければ大して調べたりしなかっただろうというしろものです。けれども、相手に対して「あっちに行ってよ」という同義語として「オニ!」というコトバを投げかけるのなら、じゃあオニとはなんなんだ―?、オニと言うコトバが相手へのいやがらせの喩えとしてほんとうに当たっているのか―?ぐらい考えて当然だと思います。また、一方そんな子どもたちに接して、おまえたちのやり方はだめなんだ!というふうに言うのなら、喩えとしてだめなのはどうしてなのか―?、だめというオニとはいったい何なんだ―?というふうに考えていって、やはり当然だと思います。

 つまりいやがらせのつもりで「オニ!」と言う子どもたちも、またそのことをしつけの素材としようとするおとなたちも、共通によくないと思うのは、独自のオニ像を持たないままに、流布されている既成のオニへの見解だけにもたれかかって良いだの悪いだのを判断していることです。そんなところでは、たとえ結論に差があったにしても、判断の基盤になっていること自体は、いまの<時代>の秩序性に沿ったかたちで成立していることは間違いないと言えます。これはおとなにしろ子どもにしろ、ちょっとでも独自なオニ像という視点に立ってみるなら、目に飛び込んでくるオニの醜さ、恐ろしさというものが、なかなか視えないかたちで「静かにじっと潜んでいるおおくのもの」が抱え込まれてある、というか、そこから押し出されてきているということがすぐに感じ取れるだろうということです。ぼくなどにとってはむしろ、オニとはそれそのものが苦悩に耐えているすがたを漂わせているし、また楽天的ともいえるほど淡々としたたくましさを持っているように思えて、好きなのです。だから「オニ!」などと喩えられるなら「ありがとう!」と思わず言いたいぐらいです。

 オニという喩えをめぐって、つまらない、貧弱だ―と言ったことは、むしろ一種の不幸と言ってもよいことなのかもしれません。オニという喩えは相手にダメージを与えることをめざしながら、その実、自らの膠着してしまったどうしようもなさだけを表している―と言うことができるからです。これも、前にでてきた<あきこ>が言ったことにこんなことがあります。

 あきこ「おいもってブルドックみたい」~内心、いやなことを言うと思いつつ、すぐ忘れてしまう)~同じ日、工作を子どもたちと一緒にしていて、ぼくが「ひとり一枚ずつだけ自分の一番好きな動物の絵を描いてあげる」と言う~そのとき、<あきこ>の言った動物は「ブルドッグ。ここで思い出してしまうのは、一冊の絵本のなかにでてくるコトバです。迷子になってしまったとき、母親の特徴を聞かれた子どもが「わたしのお母さんは世界一の美人」と答えるという、それがそのまま題名にもなっている絵本なのですが、結局お母さんが見つかります。ところが、そのお母さんといったら、世界一・・・どころか、俗に言うひどい「ブス」なのです。ふつうだったらあきれられて、みんなから冷たい目でみられてしまうところなのでしょうが、むしろその子のあまりの自信たっぷりだった言い方にみんなは笑いだしてこう言います。「美人だから好きなんじゃない。好きだから美人なんだ」・・・。

 オニの意味の変貌―。ブルドックの意味の変貌―。「美人」の意味の変貌―、こうしたなかにのぞきこめるのは、秩序から与えられる単一の意味(ひとつの<名まえ>にひとつの意味しか読めない、それ以外は排除していく、というのが秩序性の根本)に拘束されない<眼>~感じ方の奔放さです。たとえば、「美人」の意味の変貌―について考えてみると、ひとりの<子ども>に既成の美的な価値観などどうでもよくなってしまったり、あるいはいわゆる「ブス」のなかからこそ母親の「美しさ」が視えてきてしまうのは、その<子ども>が母親のことが「好き」でしかたがないという、「たったそれだけ」のことにすぎないのです。

 このことはとても象徴的なことです、つまり、既成の価値観~秩序から与えられる単一の意味が消えてしまったとき、はじめてある対象へのじぶんにとってのほんとうの意味が視えてくるのだし、これは<関係>性のあり方によって、ものが視えなかったり視えたりすることがあるのだということだと思います。言い方を変えれば、オニとか「ブルドッグ」とか「美人」とか・・・という<名まえ>は<関係>性によってはじめて生かされてくるといえるし、さらにその深さによって奔放にたくさんの切実な意味がそこに招き寄せられ、込められていく―ということだと思います。

 ここまでくれば、『暗川』第7号にでてくる子どもたちのオニの捉え方のつまらなさ、貧弱さというものがどこからやってくるのかということが明らかになるはずです。そこに欠けているのは言葉遣いの問題でもなく、ケジメの問題でもなく、ただ―<関係>性ということだけです。<関係>性(への希求)を欠いたコトバであるからこそ、こころを通じ合わせる<伝達>のコトバとしてではなくて、いやがらせのコトバとして駆使されていってしまうのだと思えます。ただ、言っておかなくてはならないのは、こうしたことは『暗川』7号にでてくる子どもたち特有のことというように捉えるべきではなくて、いまの<時代>の動き方そのものが<関係>性の拡散~喪失への方向へと傾斜しているという、そのことを背景にしていると捉えることのなかにしか、ほんとうに切実な問題は浮かび上がってこないということだと思います。
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by lumokurago | 2010-06-08 06:34 | 昔のミニコミ誌より

M.Yさんへの返信

 明日から母島に行くので、たくさんUPしておきます。1986年、すでに子どもたちはこんな状態でした。いまから24年前のことです。読み返すとまた、いろいろ考えさせられることがあります。「『オニ』のつぶやき」とM.Yさんからのお便り、そのまた返信の3つの文章です。下から順にお読みください。では行ってきます!

M.Yさんへの返信

 『暗川』第8号 1986.7.10 より

 「オニのつぶやき」への感想をどうもありがとうございます。書かれていらっしゃることは、かなしいかな、とてもよくわかります。学童クラブの子たちも中学1年生とまったく同じです。いまの子どもたちにもいいところはあるし、心が触れ合ったと思うこともあります。でもむかしだったら子どもの思うようなことはいままでの私の体験から想像できて、共感できることがほとんどだったのに、いまは圧倒的にどんな気持ちなのか理解できないことが多いです。

 学童クラブで最低やらなければならないことは、おやつを食べさせることと5時に帰すことの2つだけですが、それだけのことがスムーズにできる日はきわめてまれです。片づけない、当番をやらない、「いただきます」をしようとしてもいつまでも勝手にしゃべったり、騒いでいる、人の話を聞けない、1分間も静かにすわっていられない等のために、最低のことをやらせるだけで毎日くたくたです。ちょっと気を許そうものならなにもすすまないので、一時も目を離すことができません。むかしのことを引き合いに出したくはないですが、むかしだったら、しっかりした上級生などがいたし、仮に職員が二人ともいないようなことがあっても、十分子どもたちだけでやれたと思います。それだけ主体性があったということでしょう。

 いまの子はなんでもかんでもまるで受身です。主体性がまったくなく、いつもふわふわとして自分の好き勝手にして騒いでいるので、「自治」とか「自主管理」ということができません。それで子どもたちにまかせていたら収拾がつかないので、どうしても大人が管理することになります。

 たとえば、いままではおやつのときの席は自由席だったのに、子どもたちはその「自由」を責任もって裁量することができず、ただの「自分勝手」になってしまうから、仕方なく指定席にしました。そのとき、子どもたちには私なりになぜ指定席にするかを話したつもりです。子どもたちがその意味がわかって努力するなら、また自由席に戻すことも考えていました。でもいまの子どもたちって「話し合い」ができないのです。「ヤダ!」「ずるい!」などと叫びたてるばかりで、こちらの話をよく聞いて、意味を考えて、それならどうしたらいいのかと考えることができないのです。不満なら「不満だ」と表明するだけでなく、解決策を「自分で」考えなければならないのに。自分というものが世界の中心にいて、向こうからやってくるもので気に入らないものには「ヤダ!」と言い、気に入るものだけをつまみ食いして、デーンとすわっているのです。

 「何か思いつくことを端から口にしてわめきたてずにはいられない」「驚くほど口ぎたない」「なごやかさの範囲を日常的に逸脱している」「幼児のまま体だけが大きくなっている」、そのとおりです。なにか、本質的なところで自分の存在を他から認めてもらえず、自分でも認められず、「不安」でたまらなくて、「自分がここにいるんだ」と主張するために、思いつくことを端から口にしてわめきたてずにはいられず、他者を罵倒することによってかろうじて自己の存在を認めている、みたいなところがあると思います。とてもかわいそうな存在だと思います。

 Mさんの文章を読みながら、「そのとおり、そのとおり、ほんとにひどい」と思って、またこうして書いていると、自分がこんなこと(子どもがひどいこと)で夢中になってペンを走らせていることが恐ろしくなります。評論家などの雑誌に載っている文章には「それでも子どもたちの力はすごい」みたいにわりと楽観的に書いてあって、私も「そうかな? なんとか別の見方ができるんじゃないか。ひどいひどいと言っていないで、こっちから子どもに近づこう」と思っていたけれど、「最近、それがほんとうにひどいと思うように」私もなりました。

 小さなことがら一つひとつに対してきちんと話をしていこうと思っています。ほんとうは子どもたちだけの問題ではないから「話をする」ことでわかるとも思えない面もあるのですが、それしかできないからしなければなりません。一番大切なのは、大人たちがいまの生活を変えることだと思います。それなのに自民党が大勝してしまって、気がめいってしまいます。大人たちが変わらなければ子どもも変わらない。大人たちはこの子どもたちの危機的な状態をいったいどう思っているのでしょうね。
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by lumokurago | 2010-06-07 20:29 | 昔のミニコミ誌より

「『オニ』のつぶやき」へのお便り

「『オニ』のつぶやき」へのお便り   M.Y(中学校教員)

『暗川』第8号 1986.7.10 より 
 
 学童クラブは小学生が来ているそうですが、「いまの子どもとむかしの子どもとの一番大きな違いは、いまの子どものほうが格段に『うるさい』ということである」という一節を読むと、まったくいやになります。やっぱりそうなのでしょうか。

 いま、1年生(注:中学)を受け持っていますが、本当にガキっぽくて、ビー玉を箱に入れてふりまわしているみたいにうるさいです。なにか思いつくことを端から口にしてわめきたてずにはいられないようです。それから驚くほど口ぎたないです。だれかが失敗をすると、「ヤッター」とばかりあちこちから責めたてることばが噴出し、くさしまくります。そういうことを日常にしているので、先生は職員室に帰れますが生徒は帰れないのでずいぶんつらいだろうと思うのです。ですからそういう生徒の前に立ち、つらくなると、「先生はまだいい。一日あの者たちのなかにいてほんとうにつらい者もいるのだ」と思って自分を励ますのです。

 瑞穂(東京都下)は田舎ですが、都会ではもっとこういう状況はひどいのだろうと思います。先生としては、こういう者どもを静かにさせ、話を聞かせ、秩序を形成するべく、毎日立ち向かわなければなりません。私は、なぐる、けるはもとより、どなることもほとんどしない先生ですので、そういうことなしに生徒が秩序を形成することが可能であるかどうか、毎日が実験なのです。気力を充実させ、目を配り、生徒よりは数段高い認識と鋭いことば、そして的確、すみやかな判断と毒舌によって、生徒に対抗するのはなかなか容易ではありません。今日は勝った、今日は負けたなどと思いながら適当に日を送っています。

 私は一介の教育労働者なので先々のことはわかりませんが、眼前の生徒についてはよく相手を見きわめるよう心を配らねばなりません。生徒の口の悪さについては、いまに始まったことではなく、いちいち気にしてもいられなかったのですが、最近それがほんとうにひどいと思うようになりました。なごやかさの範囲を日常的に逸脱している状況が普通になっているようです。たぶんそうやって育ってきたのでしょう。それはやっぱりガキっぽいのだと思います。なにか幼児のまま、体だけが大きくなっているような印象を受けます。

 そしてこちら側が彼らに対応しきれていないようです。学校というなかのすべてのカリキュラム、生活指導、特別活動等々のなかにカスのようなものがたくさんつまっていて、彼らの欲求にピントが合わない、ズレがある。だからうまくいったようで、なにもうまくいっていない、無駄なことばかりしている。そういう懸念がつきまといます。それでもなにかやらないわけにはいかないから、彼らの反応をみて、今日は50点、今日は65点などと自分で採点して活動している毎日です。

 ただ、もう少しひらきなおってみると、自分はこんなところで何をしているのだろうか、別にどうでもいい、彼らは彼らでやっていくのであって、私は私の道をいきたい。諸君、自分のしりぬぐいは自分でしなさい、と言いたくなる。そう思うとがぜん、言いたいことを言って平気になる。そういう私なのです。
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by lumokurago | 2010-06-07 20:23 | 昔のミニコミ誌より

「オニ」のつぶやき

「オニ」のつぶやき

 『暗川』第7号 1986.4.26より もとは宮前学童クラブの文集に載せたもの
 『負けるな子どもたち』(径書房1989)にも載せました。

 私は宮前学童クラブでは「オニ」で通っている。あだ名は「ナベセン」だから、「ナベセン」と呼ばれることがほとんどで、「オニ」と呼ばれることはないが、いつのころからか(異動してきてすぐだろうか)、「ナベセンはおこるとオニになる」といううわさがたちはじめ、そのイメージはすべての子どもに固定してしまい、あまりおこられないような子でもなにかというと「オニ」「オニ」という毎日である。

 去年のいまごろ、髪型や服装に興味のない私に、妹が白いピン止めをくれたのだが、私はそれをつけて鏡を見たとたん、「これは“角(つの)”って言われるなあ」と思った。その白いピン止めは先がとがっていて、「オニ」の私がつけると角が生えたように見えるのだった。案の定、翌日クラブに行ったら、子どもたちの間で「ナベセンに角が生えた」と評判になった。ごていねいに「もう一つつければ角が2本になるからもう一つやったほうがいい」と言ってくる子もいた。

 はじめて「オニ」と言われた時は正直言って驚いた。だって私は前にいたクラブでは「やさしい」としか言われたことがなかったし、そんなにおそろしくおこっているという自覚もなかった。異動してきたばかりで関係も作れていない子には、気心知れた子を怒鳴っていたように強くおこれるはずもなかった。なんでそんなにこわがられるのか不思議ではあったが、そんなことを気にするたちでもなく、「ほんとは私、オニなんだぞ。角だって生えてたんだけどみんながこわがるから切ったんだ」などと言うと、子どもは私の頭をなでて「ほんとだ。ここに角のあとがある」などと言い、適当にふざけて「オニ」の役をやってみせてきた。

 でも、おやつや弁当のとき、私が一つのテーブルにすわると、そのテーブルの子が「オニが来た」と言って、私から身体を遠ざけたり、「あっちに行ってよ」などと言ったときはまいった。だけどこれは“ゲーム”なんだろうか? そう思ったから、最初は心の動揺をおしかくし、「オニだぞう」と指で角を生やしてみせたりしたが、たび重なると無視したり、虫の居所の悪いときやすごくまじめになっているときは、「そんなふうに言われると、すごくいやな気持になる」と子どもたちにぶつけたこともある。そう言ったとき、子どもは黙っていた。悪かったと思っただろうか、それとも冗談の通じない頭のカタイ「オニ」だと思っただろうか。

 子どもは私を「オニ」と言ったり、「こわい」と言ったりするわりにはぜんぜんこわがっておらず、むしろ甘くみているようだ。ほんとうにこわければ、そんなふうに面と向かって言えるはずもない。今回の作文に私のことを「いちいちうるさく叱るいやな先生。先生がいやでクラブに行きたくなかったことがある」などとたくさん書いた子がいたので、私は「本当にいやならなおすから、どういうところがいやかちゃんと話してほしい」とまじめに言った。でもそんなふうにまじめに受け取られると、子どもは困るようだった。「まじめに話す気がないなら、どうしてこんなこと書いたの?」と聞くと、「クラブの先生の悪口を書くとおもしろいから」という答がかえってきた。

 「おもしろいから」・・・よくわからないが、子どもは本気で「いやな先生」と言っているのではなく、結局は私に甘えて反応を試しながら楽しんでいるようなのである。子どもが私を完全にいやな奴だと思ったり、100%きらっているわけではない。甘えるときには甘え(直接的に)、けっこう頼りにもしているようだ。それがからかうように「オニ」と呼んで楽しみ、冗談で席をかわれと言い、「いやな先生」と作文にまで書いてみせるのがいまの子どもたちである。

 むかしの子どもたち、私を「やさしい」と言い、すなおにストレートにかかわって、おやつや弁当のときには「先生、こっちに来て」と言っていた子どもたちとなんて違うんだろう。むかしと言ってもたった4、5年前の話。4、5年前のことが20年もむかしのことのように牧歌的に思い出される。

 いまの子どもはユーモアがあるとか、パロディ精神に富むとか、よく言われるようだ。ここまで書いてきたこともパロディ精神のうちに含まれるのだろうか。でもどこまでが“冗談”ですませられるのだろうか。

 「オニ」と呼ぶことぐらいはともかく、席をかわれと言ったり、作文にまで書くような感性は私にはわからない。私は驚き、傷ついてしまう。私はそういう冗談を言うような環境には育っていないし、そういうことばは人を傷つけると思ってきたから。ほんとうに真剣にいやだと思っているなら、まじめに話し合えばいい。しかし、いまの子どもたちのはまじめに受け取ったりしたら白けてしまう“あそび”や“ふざけ”である。“あそび”や“ふざけ”でそういうことを言っていいものか。そこにいまの子どもと私とのギャップがある。

 そのギャップをどうやって埋めようか? 時代はどんどん変わっているし、いつまでも古くさい感性のままでいたら子どもと仲良くなれないから、それに自分は大人だし、ある時点からこっちが自分をまげて子どもに近づこうと思ってきた。しかしどこまでを“冗談”として認めたらいいのか・・・その判断はもともとはしっかり持っていたのだが、いまの時代、まじめな子は「ぶりっこ」と言われ(私は根っからまじめなのでこういう言い方は大嫌い)、テレビやマンガでギャグ(? 私はほとんど見たことがないのでよく知らないが)がはやり、おもしろいことはいいことだとされる風潮のなかで、むかし通りの判断では子どもに受け入れられないと思ってしまう。

 たとえば、問題になった中野富士見中の、生徒の葬式ごっこに先生がサインしたという件だが、詳細は当事者によく聞いてみないとわからないが、この件だけを切り取れば、いまの私だったらその先生と同じにサインしたかもしれない(背景をぬきにこの件だけ切り取ることはできないが)。いまのクラブで子どもが葬式ごっこをやったとして、私はそれを止めるだろうか・・・むかしの私ならすぐに止めたが、いまは止めるにしても迷うだろうと思う。

 こういうことで迷っているうえに、いま、私は子どもに対してむかし何のためらいもなくしていたように、ストレートに自分をぶつけることができず、いつも「ちゃんと聞いてくれるか」「また何か口答えするんじゃないか」「そしたらどう言おう」と身構えている。いまの子どもはふつうに名まえを呼んでも返事もせず、ふりむきもしないことがたびたびあるし、おやつやお帰りを知らせても、ウンでもなければスンでもないことがよくある(要するに無視する)。目の前でやったことを目の前で叱っても聞こえないふりをしている(これも無視ということ)。そうでないときは叱っている最中にふざけ、ちょっときつく言うと、今度はいつもすごく口の達者な子が貝のように黙りこくってしまう。たまにすなおな反応が返ってくると、身構えていた私は気がぬけてしまうほどだ。

 何年もこういうことをしていると、もともとの自分がどうだったのかわからなくなってくる。返事をしない子ども、口答えやあげ足取りばかりする子どもに慣れてくると、それがふつうのことになり「こういうもんだ」と思うようになる。ときたまハッと眠りから覚めたように「やっぱりこれはおかしい」と思う。

 時代があまりに目まぐるしく変わるので、私のもともとの感性ではとてもついていけずとまどっている。新しい時代の子どもを「こういうもんだ」と受け入れ、向こうの土俵に乗って辛らつなことばをポンポンとやり取りし、それを楽しめればいいのだが、私はつい立ち止まってまじめになってしまうので、「ほんとうにこれでいいのか」と迷い、それでも子どもに近づこうと無理をし、結局、中途半端なのである。このごろはなにしろ無理をするのはよくないから、子どもからなんと言われようが私のもともとの感性を押し通し、時代錯誤だろうがなんだろうが自分にとって一番自然な姿でいればいいんだと開き直った気持ちになることもある、子どもは学童クラブの“先生”はガンコババアだったと覚えていくことになるだろう。それはそれで子どもにとっては自分とはまったく違う一人の人間を知ったということだろう。

 いまの子どもとむかしの子どもとの一番大きな違いは、いまの子どものほうが格段に“うるさい”ということである。意味もなく突然叫び声をあげたり、静かにすわっていることができず、落ち着きなく立ち歩き、さわぎたて・・・そのようすをみていると静けさがこわいのだと思わざるを得ない。家でもおそらくいつもテレビの音と共に暮らしているのだろう。

 静けさは自分を自分に向かい合わせる。たぶんいまの子どもは(大人も同じだが)そのことに耐えられない。なぜならば自分のかかえている<不安>が見えてしまうからだ。いまの子どもはみんな<不安>をかかえている。どんなに親にかわいがられていても。その<不安>は“時代”からくる。物があふれる一方で心の空虚さはますます大きくなり、それを埋めようとして求めるのはまた物であり、それは悪循環となって、空虚さは2乗され3乗されていく。その悪循環にどこにも歯止めがかけられない時代。いつかきた道を再び歩み始めているような状況のなかで、おもしろおかしいことがよいことのように宣伝されている時代。それは<不安>から目をそらさせようとする大きな意図と、<不安>から逃れ、忘れようとする小さな毎日とによって、両方から支えられている。

 言うまでもないが子どもが<不安>ならば同じ<時代>を生きる大人もまた<不安>をかかえている。子どもの<不安>を(そして自分の<不安>を)解消させたいと思うなら、勇気を持ってその<不安>と向かい合うことから始めなければならない。
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by lumokurago | 2010-06-07 20:19 | 昔のミニコミ誌より

Yちゃんの笑顔から

Yちゃんの笑顔から 『暗川』第5号 1985.7.1 より

 昨年9月まで、宮前学童クラブにはYちゃんという、いわゆる「障害児」がいました。Yちゃんは犬が大好きで、クラブのお向かいの保坂さんちのハナをはじめ、久我寺の茶色の毛のふさふさした犬や近所の犬のいる家を覚えていて、しばしばそれらの犬のところに行ってしまうのです。Yちゃんがクラブを抜け出して犬のところへ行くのは、大人が忙しくてかまってやれないときが多いので、必然的に職員一人が休暇をとって、残った一人が一人勤務になっているときは要注意なわけです。ところがそういうときはまた、一人でてんてこまいしているときでもあるので、Yちゃんがいなくなったことに気がつかないことがあります。

 いつだったか私が一人勤務の日、帰る時間になって子どもたちを呼び集めたところ、Yちゃんがいなかったことがあります。「おやつの時間にはたしかにいたのに・・・」と、あわてて外に飛び出しました。保坂さんちにはいない! じゃ、久我寺!と走って行ってみると、いました! 「Yちゃん、どうしたの?」と飛んでいくと、「犬、かわいいでしょ・・・」と例のおっとりした口調でニコニコして言うのです。「まったくこちらの気も知らず」と思いつつ、Yちゃんのあまりのかわいさに、「黙って外に出ちゃダメじゃない」と言う代わりに「そうだね」とか言ってしばらくつき合ってしまうのです。

 そして数分後・・・「ねえ、Yちゃん。クラブに来てるときは黙って外に出ちゃいけないんだよ」「うん」「もうおかえりだから帰ろう」・・・まずは言い聞かせることから始めます。でもYちゃんはこういうとき、てこでも動かないんです。それで次におだて、すかし、なきおとし、あらゆる戦術を駆使してクラブに連れ戻そうとします。でもダメ。「ね、Yちゃん、今日、ワキセンお休みでナベセン一人でしょ。みんなもうお帰りだからクラブに戻らなくちゃ」・・・こんな理屈はYちゃんには通用しない。「犬、かわいいでしょ」、「ね、マルみたい」(マルとはYちゃんちの犬)、そればっかり。こちらはとっくに5時も過ぎただろうし、残してきた子どもらはなにかやらかしてないか、早く帰さなくちゃと気がせくばかり。そこを抑えて、「ね、Yちゃん、もうすぐお母さんお迎えにくるよ。Yちゃんは犬とお母さんとどっちが好き?」「お母さん」という答えがでたところで、「じゃあ」とクラブに連れ戻そうというもくろみで私は聞きます。するとYちゃんはとっておきの最上の魅力的な笑顔を見せて、「なんでそんなきまったこときくの?」と言外に匂わせながら答えたのです。「犬!」と。愚問でした。

 ところで1979年に養護学校が義務化されたことをみなさんはご存じでしょうか。これは今まで就学免除になっていたような重症心身「障害児」も学校に行けるようにするという大義名分の裏に、子どもたちを幼いうちから選別して「障害児」は社会の役に立たぬ者として排除するという大変な問題をもつものです。そして、養護学校義務化にともない、時期が早められた就学時健診が、実は小学校に入るための入学試験なのだということは、あまり知られていないように思われます。就学時健診の結果によって「障害」をもつ子どもたちは否応なく普通学級から追い出され、特殊学級・養護学校(現在では「特別支援学級・学校=おためごかしの命名」へとふりわけられていくのです。「障害児」にはその子の「障害」に合ったスペシャル教育が必要だから、普通学級で「お客さん」でいるよりも、特殊学級・養護学校に行ったほうがずっとその子の能力を伸ばせるという意見の人もいます。

 たしかに「障害児」にはその子に合ったスペシャル教育が必要でしょう。でもそれが「その子に合った」ということで言えば、程度、内容はさまざまであれ「障害児」にかぎらずすべての子に言えることだと思います。残念ながら現在では画一化された教育しか行われていませんが。ここで見逃してはならないことは、現在では特殊学級・養護学校が単に「その子に合ったスペシャル教育の場」としてとらえるのではなく、「ふつうの子についていけないダメな子のいくところ」として厳然たる差別意識のなかでしかとらえられていないということです。

 なぜ「障害児・者」は差別されるのでしょうか。以前読んだ井上ひさし氏の『十二人の手紙』という本のなかにこんな場面がありました。「障害者」の作業所で洗濯バサミを作っているのです。そこでは最初、どの人にもその人の生産高にかかわりなく同じだけの給料を払っていたのですが、「障害」の軽い人から「自分は『障害』の重い××さんよりたくさんの洗濯バサミを作っているのに××さんと給料が同額だというのは不公平だ」という苦情がでました。しかし、ある人が言うのです。「『障害』の軽い人が重い人よりたくさん作れるのは当然だ。その生産高にかかわらず軽い人も重い人もそれだけ作るのに同じだけの汗を流しているのだから同じ給料にすべきだ」と。「障害」の軽い人は軽い人で、その人の能力を全部発揮してたくさんの洗濯バサミを作った。重い人もまた、その人の能力を全部発揮して少しの洗濯バサミを作った。それぞれにその人のもつ能力をすべて発揮して作ったのだ。大事なのはそのことだと思います。

 現在の社会では洗濯バサミの生産高によって給料に差がつけられています。たくさん作れる人の方が人間として優秀だからでしょうか。違います。ただ、現在の社会が利潤追求を第一目的とする資本主義社会で、いかに効率よく生産を上げるかだけが唯一最大の価値とされているからなのです。だから、「障害児・者」のように明らかに非効率的な者は、社会の役に立たぬ者として差別・排除されているのです。

 でもよく考えてみて下さい。効率ばかりを善とし、生産を上げることに血まなこになっているこの社会に、その見返りとしていったい何が起こっているでしょうか。公害(これは直接的な弊害です)、子どもたちの心の荒廃(これは物質的な豊かさのみを善とする社会を一因としているのではないでしょうか)、地球規模での緑の破壊、土地の砂漠化、その他自然環境問題、そして「北」の「繁栄」とは裏腹に全人類の四分の三を占める「南」の飢餓、等々。物質的な豊かさ、そして効率を唯一の物差しとする価値観はいまや自ら破綻しているのです。

 現代を象徴する現象の一つとして「価値観の多様化」ということがよく言われます。しかし日高六郎氏は『戦後思想を考える』(1980岩波新書)という本のなかで「価値の多様化とはボーナスで車を買うか、クーラーを買うか、貯金にまわすか、というところでの多様化にすぎない。むしろ意識の底では経済至上主義という価値の画一化こそが進行している」と述べています。

 そのような状況のなかで、人間の「幸せ」の価値も画一化されてきていると思います。「幸せ」のカタログがあって、それをパラパラめくると、マイホーム、マイカーなどの商品の美しい写真と共に、「子どもが一流大学に入る」「休日には一家そろってドライブ」などの項目があり、さらには主婦のためのカルチャーセンターの講座目録、設備の整った立派な区民センターでの趣味の会案内、若い女性のための結婚相手の探し方などが目に飛び込んできます。現在は「幸せ」さえもがレディメイド。生まれたときからレールが敷かれていて、決められた終着駅に我先にと突っ走るのみ。いつもいつも他人の目を気にして「みんな」からはずれることを恐れながら。

 しかし私は「幸せ」に一般的な基準なんてあり得ないと思います。だれもが自分らしさをもったかけがえのないいのちであることを考えると、「幸せ」の形もまた一人ひとりさまざまなのではないでしょうか。私は人間のほんとうの幸せとは、その人が身も心も解放されて、自己表現できることにつきると思います。それが他人から評価されなくても、その人にとって価値のあることならそれでいいのだと思います。いいえ、そういう人間同士ならばお互いに共感し合えるのではないでしょうか。

 「障害児・者」はレディメイドの「幸せ」からはほど遠いところにいるでしょう。一生を寝たきりで他人の世話にならなければ生きていけない人もいます。しかし、人間である限り、なんらかの形で自己表現していると思います。それは言葉や文章や絵画などではないかもしれない。むしろ体全体で表現するものかもしれない。冒頭に書いた犬の好きなYちゃんは、言葉で表現することはあまり得意ではないけれど、彼女の表情は言葉より以上に自分を表現した美しいものでした。言葉で表現することと体全体で表現することのどちらが価値があるかなんてとても言えないことだと思います。

 そのような「健常者」とは一味違った表現をする「障害児・者」とつき合うことは「健常者」にとって、狭い世界を広げ、感受性を開かせてくれることにもなると思います。しかし、現在一般社会で通用している物差しのみで生きているのでは、彼らと共感し、共に生きることはできないでしょう。彼らはその物差しでははかれない価値をもつ存在だからです。

 非常に残念なことに、今度学童クラブでも養護学校義務化と同じことが制度化されることになりました。学童クラブ入会にあたって、まず面接でその子に「障害」があると疑われた場合は、関係資料を集め、審査会を開きます。そこでその子のクラブ入会の可否と職員加配の要不要について決定するのです。これがもし、入会を希望した子をその「障害」の程度にかかわりなく、全員受け入れるという前提があり、職員加配の要不要と、その子への特別な配慮についてのみ相談するものであればなんら問題はないのですが、一定の程度よりも重い「障害児」は切るという性格をもつものである以上、れっきとした差別・選別の機関であることは明らかです。

 学童クラブは放課後の保護に欠ける児童を預かるためのものであるから、保護に欠ける児童であれば「健常児」だろうが「障害児」だろうが、わけへだてなく受け入れるべきであると思います。そして、「障害児」をその「障害」の程度によって切り捨てることなく、「健常児」と同じように集団のなかで育ってゆくこと、地域のなかであたりまえの生活をすることを保障すべきであると思います。

 今まで日本の社会ではこのことがなされていなかったため、私たちは身近に「障害者」の友人をもつこともありませんでした。そのために「障害者」に対して無知と偏見しかもたず、差別が再生産されてきました。それは「障害者」にとっても「健常者」と呼ばれる私たち自身にとっても、大変不幸なことだったと思います。

 人間には背の高い人、低い人、ふとった人、やせた人がいるように、足が不自由な人、手が不自由な人、言葉が不自由な人、精神的に閉じこもってしまう人などがいます。この社会では後者を特に「障害者」と呼び、前者と区別しているわけですが、私は後者も前者と同様に人間の自然な状態に含まれると思います。そう考えれば、特に後者を「障害者」と呼び特別な施設に収容せずとも、地域で一緒に生活することがごく自然なことであると思います。学校においても地域の子がみんな通えるところとし、そのなかで「障害児」にかぎらず「健常児」のためにもその子に合わせて自由自在に変えられるクラス編成やカリキュラムが組まれれば、ごく自然に一緒に暮らすことができると思います。

 (もとは宮前学童クラブの文集に載せたもの)
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by lumokurago | 2010-06-02 17:52 | 昔のミニコミ誌より

いちばんすてきな海

 『もっこ橋』第17号1981.5.20より

 いちばんすてきな海  ナジム・ヒクメット

 いちばんすてきな海
  それは まだ見たことのない海

 いちばんすてきな子ども
  それは まだ育ったことのない子ども

 いちばんすてきな時代
  それは まだ生きたことのない時代

 いちばんすてきなことば
  それは まだ言ったことのないことば
  そのことばを ぼくはきみに捧げたい

*****

 「いちばんすてきな海」とは、未来に対する漠然とした夢、憧憬のことだと、ずっと思っていました。順風満帆のときには、焦点の定まらない、そして定まらないゆえによけいにすてきに思える、ベールにつつまれ、その中を見るのが楽しみである、そんな希望をもてあそんでいました。でも、一度嵐がやってきて、帆もおろさざるを得なくなり、波にもまれ、あっちへひょろひょろ、こっちへひょろひょろ、行き先の見当もつかずにまずは嵐とたたかった日々・・・嵐が去り、鏡のように静かな海にたったひとり漂って、希望も夢も遠い日の思い出、どちらに向かって進むのか、それだけは考えなければ・・・

 あの静かな、けれど心のなかは自分とのたたかいでうち乱れ、こわれかけ、沈みかけた船に必死の思いですがりついていた日々に、孤独ということ、愛するということ、生きるということの尊厳さをひとつひとつ胸にうち込まれていたのです。

 そしていま、「いちばんすてきな海」とは私自身の主体にかかわりなく、どこかそのへんに浮かんでいる夢や希望ではなく、私の抱く夢への強い意志であるといえるのです。「いちばんすてきな海」がどこにあるのか、ほんとうにあるのかはわからないけれど、私の意志が「いちばんすてきな海」を求めるのです。ほんとうの夢、ほんとうの希望とはそういうものなのではないでしょうか。  
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by lumokurago | 2010-06-01 11:13 | 昔のミニコミ誌より