暗川  


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カテゴリ:昔のミニコミ誌より( 77 )


にわか障害者の思ったこと(1981年)

私は1980年4月に左股関節の手術を受けました。その1年前位からほんの少し歩いただけで左股関節が痛くなってほとんど歩けなくなりました。生まれつき大腿骨骨頭を覆っている球蓋が短く、子どもで体重が軽いうちは支えていたので痛みも出なかったが、大人になってしばらくたち(痛みが出たのは25歳時)支えきれなくなって痛みが出てきたとのことでした。いろんな病院に行きましたが、足におもりをつけてひっぱる程度の治療しかなく、ハリ治療、カイロなどなどを試みましたが、改善しませんでした。そこにちょうどテレビにこの病気の手術のうまい医師が紹介されていて、その病院に行き、結局手術することになったのです。

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by lumokurago | 2007-12-02 20:59 | 昔のミニコミ誌より

「もっこ橋」第7号 1980.4.15

コラム「小さな友人」より

なわとび      高井戸学童クラブ M.かなこ(1年)

わたしはなわとびであそんでいます。なわを下にしてふりまわす。それでみんながとぶあそび。わたしはみんなとあそんだときに、なんかきになるの。このごろ、いえにかえってからもあたまがいたくなる。先生はいつも天気をみながら、「あめがふるかな」といっている。でもわたしはなわとびをしたい。ぜったいしたいとおもう。でも、あめのひはなわとびができない。

みんなはたいいくがすきで、なわとびはたいいくみたいだから、女の子のはんぶんぐらい、なわとびをやっています。

でもたいいくのときは、なわとびを「先生のいうとおりにしなきゃ」とみんなはいった。わたしももちろんそうおもった。これはべんきょうだから、しっかりやらなきゃ。それでみんなはよくやるけど、わたしはきがおちる。

ひとつだけ、みんながやるきをなくすあくまがいる。それは先生だと男の子たちがいってた。わたしたちは先生に(そう)いった。そしたら、先生のちがあたまにのぼって、かんかんにおこった。「こらあ」といった。先生がおこったとき、女の子たちはみんな、「ドキ」として、みみをふさいだ。

それでやすみじかんになった。なわとびはやっぱり、じゅぎょうのときより、やすみじかんのほうがたのしいとおもう。
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by lumokurago | 2007-11-10 22:46 | 昔のミニコミ誌より

「もっこ橋」とは?

私は就職してすぐ組合(学童保育分会)の常任委員になり(若いとやらされるのでした)、やがて書記長になり、20代前半で年配の職員のけんかの仲裁などしていました(!)。のどかでしたね。当時はそんなことも組合の仕事だったのです。

書記長の仕事がニュースを作ることでした。書くことの好きな私はニュースに「声の欄」を作り、勝手なことを書いていたのですが、それが高じて「もっこ橋」を作ることになったのです。職場の仲間3人でやっていました。職場の仲間の交流という目的で始めたのですが、そのうち、職場だけでなく、もっと広い友人たちに配るようになりました。そして仲間が一人やめ、二人やめて、結局は私一人になりました。これはやはり「書く」ということはよほど好きでないと継続できないためだと思われます。意見が違ってやめたのではなく、結局書き続けたのは私ひとりだったということになります。(投稿も募集していました)。

「もっこ橋」創刊号です。この頃はガリ版ではなくボールペン原紙になっていたと思います。
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本物はこれです。白馬岳から蓮華温泉に下りる途中にありました。コンクリートの橋に変わってしまったのはいつ頃だったでしょうか?
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by lumokurago | 2007-09-23 17:27 | 昔のミニコミ誌より

「もっこ橋」第18号 1981.6.20 より

コラム・ちいさな友人(子どもの作文)

むかしのままで   S.ゆうこ (小学校3年)

ときどきわたしはK先生にむかしの話を聞かせてもらいます。今にくらべると、ずいぶんちがうなあと思います。今は水道のじゃ口をひねるだけで水がでる。ところがむかしは、川まで水をくみにいく。たとえ苦ろうはしてもいい。わたしがむかしをすきなのは、そのほかにもある。しぜんの中でいくらでもあそべた。竹やぶがあるから、竹馬も作れる。今の東京では竹馬を作るどころか、竹やぶもなかなかみつからない。だからわたしは手作りのよさがわからない。けど、どうしてもわかりたいと思う。それに東京にはあき地がない。公園はあるけど、もっとのびのびと遊べるあき地がほしい。だから東京の子たちは、小さいゴミみたいにゴチャゴチャしたことしかできない。自ぜんの中で大きく強く生きぬくほどすばらしいことはないと思う。

わたしはそういうことで、むかしがすきです。わたしがそうりだいじんになったら、まず「むかしのままでいてほしい」というかもしれない。

むかしの人について   S.まりこ (小学校2年)

わたしはいまの人はなまけものだと思います。日本むかしばなしや、まんが日本むかしばなしとかにでてくる人やどうぶつたちは、とてもゆうきがあり、やさしくて、とてもいい人だと思います。それにおかあさんや先生たちはむかしの人のはなしをしてくれます。それをきいていると、にんげんはいい人とわるい人がいるんだと思います。

わたしのまとめは、ただそうりだいじんにたのめば、じぶんのすきなようになるなんてもんじゃありません。にんげん、いえ、どうぶつたちも、みんなそれぞれ、じぶんのしたいことをひとつずつもっていると思います。それをみんなでまとめ、ひとりひとりがしたいことをまとめてから、そうりだいじんなんかにたのまず、じぶんたちできめたことを、じぶんたちでやればいいと思います。わたしがおとなになるまでには、いまかいたとおりになればいいと思います。
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by lumokurago | 2007-09-20 09:34 | 昔のミニコミ誌より

「もっこ橋」第9号 1980.6.25より

はらっぱ・はらっぱ・はらっぱ 2

「はらっぱに行ってくるよ」と母に叫んで、毎日飽きずにかけていったはらっぱは、私の家のはす向かいの、昔はどこにでもあった、何の変哲もない、適度に雑草が生えた空き地でした。現在はアパートと駐車場になっているその場所は、今見るとこんなに狭かったのかと思うのですが、私たち近所の子どもたちにとってはアフリカの大草原にも匹敵する魅力的な遊び場でした。また、季節になると、レンゲ草、シロツメクサ、ツクシ、スミレなどの咲くとっておきのはらっぱ(それぞれ違う場所の)に遠出して、腕いっぱいに摘んできたものです。それはいくら摘んでもなくなるような量ではありませんでした。ところが現在では子どもたちが日常的に遊べるようなはらっぱはほとんど姿を消し、シロツメクサなどが咲くはらっぱは、それはもうすごい希少価値で、子どもたちを草摘みに連れて行っても「あーっ、そんなに取ったらなくなっちゃうよ」という言葉を飲み込んでひやひやしているのです。そして、学校の花壇から花を折ってきた子がいると、野の草花を夢中になって気のすむまで摘んだ経験のない子に、花壇の花は取ってはいけないなんて酷なことを言えるものかと自分に腹を立て、子どもに八つ当たりしているかのようにきつく言う私。「学校の花は取っちゃだめよっ」

そんな私が普段クラブでしていることといえば、自分が子どもだった頃は全然しなかった手の込んだ折り紙や子どもの遊びとして好ましいとされている「手作り」と称するこまごまとしたものです。それらは技術こそ数段上ではありますが、太陽の下、草のにおいのするはらっぱでのびのびとした遊びの代わりとしては、ずいぶん貧弱に感じられます。やはり、はらっぱでの遊びは子どもたちにとってかけがえのないものなのではないでしょうか。

日本がこれほど物質的に「豊か」になる前、りっぱなビルもなく貧乏だった頃には、なにしろりっぱな施設をどんどん増やすのが文化的なことであるとされ、今でもそういう考え方は受け継がれていると思います。60年代からの高度経済成長によってそれが実現可能なこととなり、たくさんのりっぱな施設ができました。超高層ビルも高速道路も新幹線もでき、家庭には電気製品が揃っています。ここ20年ほどの間、ただがむしゃらに先進諸国に追いつけとわき目もふらずに来てしまったと思います。けれども今、ふりかえってみてどうでしょうか。生活は便利になったけれど、決して以前よりもすみやすい世の中とは言えないという感想を持たれる方が少なくないと思います。空も海も汚染され、人間と共存していた動物たち、植物たちがどんどん減っていきます。子どもたちについて言えば、学校も児童館も図書館もりっぱになったのに、自殺、家庭内暴力、からだの異常など重大な問題がマスコミに取り上げられています。何かが間違っているのでしょう。だから今、考える視点を転換する時が来ているのではないでしょうか。

ところで、児童館や学童クラブの仕事が成り立つことの前提として、子どもの遊び場が少なくなってきたから、地域の子どもたちのつながりができにくくなってきたから、遊びを知らない子どもが増えてきたからetc.児童館やクラブに子どもを集めて仲間作りをしよう、遊び場を提供しようということがあると思います。けれども私がいつも感じているのは、遊び場がなくなったなど、子どもを取り巻く社会の状況が変わったからといって、その対策として公園を作ったり児童館を建てたりするのは、本末転倒ではないかということです。社会状況の変化に応じて物事への対処の仕方を工夫していくことも大事だとは思いますが、その前に変化の実態を見極め、それがどういう意味をもつものなのか明らかにしておかなければならないと思います。そしてそれがマイナスの方向へ行く変化なれば、歯止めをかける必要があると思います。目先の解決方法を考えるよりも問題の本質を捉えようとする姿勢を忘れてはならないと思います。

私は子どもたちにとってはりっぱな児童館や公園よりも何もないただのはらっぱの方がふさわしいのだと信じています。子どもたちがはらっぱで遊べないとしたら、それは遊びを教えるとかそんなことで解決する問題ではなく、根はもっともっと深いところにあるのだと思います。私たちは今、その根元のところから問い直していかなければならないのではないでしょうか。

 
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by lumokurago | 2007-09-17 22:24 | 昔のミニコミ誌より

「豊か」な生活を問い直す (1980年)

「水になった村」の感想を書いたけど、私って全然変わってないなあ! という証明が以下にあります。お暇な方はどうぞ。ちょっと文章も考え方も固いけど、若かったのでお許しを。

「豊か」な生活を問い直す (1980年1月)

なので、生きにくくなるばかりの私です。今じゃもうあきらめたけど・・・
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by lumokurago | 2007-09-15 23:10 | 昔のミニコミ誌より

私の心には穴があいていて、宇宙のブラックホールのように強い吸引力を持つ。本当はその穴は、私自身よりも大きくて、私を飲み込んでしまうほどなのだ。それが<穴>の姿をしているのだから、その密度はものすごい。

私はその穴がいつも気になっている。

センダックに『あなはほるもの、おっこちるとこ』という絵本があるが、私にとっては「あなはうめるもの」だという思い込みがあり、なにがなんでも埋めようとして、いろんなものを投げ込んでみたり、端切れを当てて繕おうとしたり・・・でも、その穴はただの穴ではないようで、まるで意志を持つもののように、埋められることを拒絶する。

私のすべての試みは、いともたやすくのみこまれ、穴はいつも勝ち誇って存在し続ける。

最近になって、その穴は何かをのみこむたびに、深くなっていくことに気がついた。そして、その奥深いところに泉のようなものがあるらしい。私が埋めよう埋めようとしていろんなものを投げ込んでいたことは、穴にとっては、そのすばらしい吸引力ですべてのものをとりこんで、より深く、奥深く、泉を探して掘っていくことだったのだ。そしてようやく、小さな泉を掘り当てたのらしかった。

私は埋めたい、埋めたいと願っていたその穴からこそ、力が湧いてくるのだということを感じとるようになった。

小さな泉ではあるけれど、その穴の奥深いところにあるのはまさしく泉で、そこから湧き出してくるものは、生きることへの渇望感そのものなのである。

<埋める>と<掘る>とがこんなふうにつながっていたとは・・・それはひとつの発見だった。

私の埋めようとする意志は、おそらく安定を求めていた。しかし、私の埋めようとする試みは、穴にすいこまれることで、不安をこそかきたて、混沌のうずを作り上げ、掘る作業へと転換した。

いつまでも不安定な、深く成長し続ける穴

(1988年2月・暗川第22号より)
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by lumokurago | 2006-03-11 01:38 | 昔のミニコミ誌より