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カテゴリ:JANJAN記事( 68 )


JANJANがブログになりました

 裁判や大好きな方々の講演記事を掲載してくれていたインターネット市民新聞JANJANが経営困難からこの3月末で休止しましたが、休止を惜しむ声を受けて、編集OB・OGのボランティアによるブログが開始されました。

 これまでの記事は最低でも今後6ヵ月間は読めるようにするとのことで、つまり将来は読めなくなってしまうので、あわてて今までに私が書いた記事や裁判の記事をこちらに貼りつけました。もちろん原稿は保存してありますが、写真もあるので、改めて組み合わせるのが大変なのです。はじめからそうしておけばよかったのですが、少しでもJANJANの読者が増えればと、記事をそのまま載せずにJANJANにリンクしていたのです。

 ここ数日その作業を行っていましたが、なぜかJANJAN記事にかぎって表示されるまでに非常に時間がかかり、中には「現在表示できません」のエラーが出るものもあり、大変です。そのためまだ全部は終わっていません。

 残念なことに記事の「ご意見板」がすべて「メンテナンス中」になっていて見られなくなってしまいました。こういうことになるのなら保存しておきたかった書き込みがたくさんありました。がん関連記事に寄せられた「地下鉄サリン」も証拠にね!

 山口一男さんが追悼文集の原稿として「ご意見板」での交流を拾ってくださったので、それだけでも記録に残ってうれしいです。山口さん、ありがとうございました。

 今日は追悼文集のゲラもできてきて、ついつい読みつづけてしまいました。A5版・2段組で272ページになります。自分の宣伝のようですが、できあがりを楽しみにしていてくださいね。 
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by lumokurago | 2010-05-07 00:57 | JANJAN記事

星子をかばって生きる

  JANJANに掲載された最首悟さんの講演会の記事「星子をかばって生きる」があります。昨日引用したお話とつながっていますので、未読の方はぜひどうぞ。http://www.news.janjan.jp/living/0708/0707280016/1.php

  JANJANは3月31日で休刊になってしまうそうです。記事を書かなくなってからご無沙汰していましたが、編集部から休刊のお知らせをいただき、しばらくぶりにみたところ、コメント欄が匿名でもよくなって、荒れ放題なのに驚きました。ネットの世界はどこでも匿名が当たり前の状況です。匿名だから全員が全員無責任に書き散らすというわけではないと思いますが、どう考えても本名を名乗って発言するよりは気軽に無責任になる傾向は否定できないと思います。(もちろん匿名であってもまじめな方も多いと思いますが)。

  せっかくの市民新聞の意見交換の場が匿名コメントによって、非生産的なストレス発散のために使われてしまっていることを、本当に残念に思います。また、このような憂さ晴らしをせずにはいられない人たちを抱える現在の日本社会の病いを感じさせられます。

  私も郵送版「暗川」をとうにやめてしまって、ネットという便利な世界にはまっているわけですが、昔の手紙、葉書を読み返していたら、郵送していた時のたくさんの感想が出てきました。感想をいただけば次の号に掲載させていただいて、次から次へと読者同士が知り合い、輪が広がっていくという状況がありました。

  今でもネットを通じてかけがえのない出会いをいくつもいただいていますが、昔のようなわけにはいきません。昔はやはり人と人とのつながりが今よりはずっと作りやすく、深めることも容易だったと思います。それは「郵送」と「ネット」という違いだけではなく、<時代>が違うのだとしか言いようがないのですが、昔の手紙などを読み返していると、そのあまりの違いに呆然としてしまいます。

  老兵は消え行くのみと思いながら、繰り言を述べてしまいました。
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by lumokurago | 2010-03-11 19:13 | JANJAN記事

『自衛隊という密室』書評

 『自衛隊という密室』の感想

 「平和を仕事にする」というキャッチコピーをご覧になったことがあるだろうか。「いったい何の仕事?ペシャワール会?」と思ったらとんでもない。ジョージ・オーウェルの「1984年」に「戦争は平和である」という標語がでてくるが、それと同じ発想だ。

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著者:三宅勝久
出版社:高文研
定価:1600円+税
発行日:2009年9月11日

  「平和が仕事」である自衛隊の実像を私たちはほとんど知ることはできないが、5年ほど前から自衛隊を取材してきたジャーナリストの三宅勝久さんが自衛隊の内幕を暴く3冊目の本を出した。

 第1部「暴力の闇」は、暴力やいじめを受けた本人に取材した生々しい記録である。男性班長から虐待され、声を出すこともできなくなって母親に家に連れ戻され、自殺を図った女性隊員。男性班長に懲戒処分を申し立てたが処分はなかった。先輩の暴行を受けて左目を失明した事件では、地元の記者クラブに配られた報道発表文に失明の事実や加害者が刑事事件で有罪になったことは書かれていなかった。2008年9月の「異動のはなむけ」に15人を相手に格闘訓練をさせられて亡くなった隊員について取材した際、三宅さんには「死は鴻毛よりも軽し」という言葉が浮かんだという。

 2007年度1年間に海上幕僚長の行った20回の訓示には、「帝国海軍」「海軍兵学校」などという旧海軍を評価する発言が15回を超えるそうである。自衛隊には「帝国海軍」が脈々と生きているのである。

 なぜ自衛隊では暴力事件が後を絶たないのか?隊員の命よりも事件の隠ぺいを優先する体質はどうすれば変えることができるのか?志を持って入隊し、まじめに勤めていた隊員の人生設計を狂わせ、失明させ、命さえ奪っても、誠実な対応をしようとしない自衛隊。このままにしておいていいはずがない。

 第2部「腐敗と愛国」では防衛医科大学とヤマト樹脂光学の癒着、野外炊具汚職事件をていねいに追跡。ヤマト樹脂光学は麻生元首相とも縁があるそうだ。守屋事件の山田洋行と防衛省との年間契約高は約40億円、それに対して三菱重工は2700億円である。防衛利権の闇は深い。

 つづいて、2007年7月の参議院選挙で初当選した、「ヒゲの隊長」こと元陸自1佐・佐藤正久氏と防衛省の官製選挙疑惑を告発。自衛隊法で政治活動は制限されているにも関わらず、制服組トップを含む高級幹部自衛官7名が政治献金をしていたのである。自衛隊を辞めて立候補予定者となった佐藤氏は、退職後、公示までの約半年間に自衛隊施設を使って65回もの講話を行った。佐藤氏の著書『イラク自衛隊「戦闘記」』は防衛省全体で4480冊を買い上げた。

 その他、田母神俊雄元航空幕僚長の驚くべき無駄遣いも暴露されている。田母神氏が自衛隊で行った講話の記録がシュレッダーにかけられた疑惑もある。

 田母神氏は、旧日本軍は優秀な軍隊だったと言うが、彼は戦争を知らない。戦争を知る世代がいなくなっていくに従って、日本は戦争に近づいていく。本の最後に登場する元日本軍兵士は「戦争だけはどんなことがあってもしたらいかん。せんような外交を進めてもらわんと。たとえ少々分が悪うても、小さい島とられてもかまん、戦争だけはしたらいかん。ようは教育、戦争しない教育です」と話を結ぶ。

 私たちには子どもたちを戦争から守る義務がある。こんな自衛隊に子どもを取られてなるものか。ぜひ多くの方々に読んでほしい。

*****元はこちら 『自衛隊という密室』の感想JANJAN記事

 杉並在住・気鋭のジャーナリスト三宅勝久さんの本です。三宅さんはたった3か月の間に、住民監査請求を2回、そのうち1件では住民訴訟を起こしました。ご支援ください。生活がかかってます。本をぜひお買い求めください。
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by lumokurago | 2009-10-03 22:20 | JANJAN記事

ノーマさんの記事(下)

ノーマ・フィールドさん講演「いま多喜二を語る意味—新たな戦争と貧困の時代に」(下)

渡辺容子2009/10/02

未来につなぐもの

  多喜二は常に大きな視野を意識していました。彼の論文や運動の中で発表したものには「当面の問題」が常に出てきます。当面の問題はどうすべきなのかを絶対に忘れていない。しかし大きなスケールでの時間、自分というものを意識している。そういう意味で多喜二は絶対に私たちの同世代の人間だと思っているのですが、バデューさんとつながるとしたら、たとえば大好きな作品に『1928年3月15日』という、左翼、労働組合、共産党に関係のあった人たちの全国的な大弾圧を扱った小説があって、その中で拷問をつぶさに描いているんですね。非常に今とぴったりくるんです。
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  アブグレイヴもさることながら、アメリカがやっている拷問と比較すべきだと思うのですが、その中に、非常に貧しい秋田の農民の小作人の娘である運動家の妻にアリをたとえに出させているんですね。私たちの運動はということで、アリが川を渡るときに先頭のアリが溺れていく。後から来るアリはその死骸を橋にして渡って行く。運動はそういうものなんだということを言わせているのです。私はなかなかそこまでの勇気はないのですが、そういう何かつなげていく、未来につなげていくということ。

  今度の選挙でも、私は決して二大政党があることが民主主義だとは思っていません。それが嘘であるということはアメリカを見れば一目でわかることなのであって、でも、未来につながるものを何か作らなきゃと北海道の友人が話していたのですが、たとえ今の運動が私たちの生きている間に身を結ばなくても、未来につなぐものを残さなきゃいけないということだと思います。

  それが私が最初に申し上げた「今こそ主義」なんですね。しかし、「今こそ」というのがキャッチコピーになって、プラハ宣言があって、「シカゴの奇蹟」が持ち上げられて、被ばく者の方が生きている間にやらなければって、「今こそ」というのをさんざん繰り返して、再来週になって、来年になって、「今こそ」と言い続けられるかと言ったら、そうではないですよね。

なぜ今、多喜二を研究するのか

  「今こそ」という意欲は大事ですが、そういう言葉が空回りすることは問題ではないか。そういう点でやはり私は多喜二さんの作品には嘘の希望というものを感じないのです。だけど彼が希望を捨てているということは絶対にない。なぜ私が今の時期に多喜二を研究しようかと思ったかと懐疑的に質問されるのですが、このあいだ古い論文を手直ししていたら、なんと2002年の引用が出てくるのですね。

  2002年とは日本でどういう時期だったかというと、まだ格差という言葉が出ていなかったのです、実は。そんなに新しい現象ではないのですが、言葉としては新しいですね。バブルははじけていたけれども、バブル社会の理念というものが根底から捉え直されていたかというとそうではなかったです。

  そうではないところで私が多喜二に惹かれたというのは根本的に資本主義に幻滅している時期がずっとあったわけで、私のまわりには左翼知識人の同僚がたくさんいて、マルクス主義の理論は十分みんな身に付けていて、でももちろんベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊後は「階級」という言葉をみんな使わない、階級なんてもうないんだからと、そういうマルクス主義者なんですね。階級という言葉が使えない、使うことに過ちを指摘するような風潮があったわけで、その中で資本主義を完璧に捉えて、階級というものを前面に出している小林多喜二の作品に、ある意味では過去に戻ることによって自分の現在を生きる元気を常にもらっていました。

  もう一つは蟹工船のイメージ、大学生の時に当時日本語はそんなに読めなかったので、あまりよくない英訳で読んだのですが、その蟹工船のイメージは決して多喜二を研究しようと思わなかったわけですが、たまたま彼の文学館に行って、恋人のタキさんあての手紙を読んで、全然違った人間が私の前に立ちあがってきたような気がします。青年の熱い恋の思いなのですが、恥じなければならないような境遇から出てきている女性を、彼女が16の時に彼は出会って、10代のそういう女性に対して自分の人格を卑下しないように、人間の尊厳を訴えているのです。

  それが私にとっては強力な呼びかけだったのと、貧乏であることの傷がどれほど人間をゆがめていくか、特に、貧困を真っ向から意識した運動がない時に、貧困というのは恥じるだけなんですよね。それからできるだけ早く抜けたい。それがどれだけ人々の生活をゆがめてしまうか。特に階級という概念が切り捨てられた時点では、そういう考察が全く行われなくなる。

  アメリカだったらマイノリティである、女性である、エスニシティである、そういったことはここ20年来認められてきたけれども、階級は切り捨てられてきた。マイノリティ、エスニシティを強調する時に何があるかというと、「負」だけでなく文化的に価値が見出されて、たとえば黒人であったらバスケットボールの選手であるとかヒップホップ。しかし貧乏人には価値や魅力ってないわけですよね。そういう意味でも階級と貧困というものが忘れ去られた10年、ロスジェネ(ロスト・ジェネレーション)という言葉が出てきましたが、ロスジェネの前から、我々の想像力、知性というものから階級という言葉を排除することによって何が失われてきたか、私の中では非常に大きな問題だったのです。

現実を正確に捉えられる言葉とは

  それで2002年から多喜二さんを追求してみよう、この人はどういう時代にどう生きて、何を考えてこういうことになったんだろうということを自分で考えて、それをできたら文章にしていこうと思ってきたわけです。今までずいぶんバカにされました。今でもたぶんバカにされていると思いますが、今、アメリカは大変ひどい経済状況になっているのですが、日本語の「格差」という言葉に匹敵するキーワードがないわけです。キーワードがないと現実を捕まえる、捉えることができないということもあって、アメリカでは格差ということがみんなの意識にしっかり身につけられていない。だから格差とかそういう意識がないところで、小林多喜二を研究するということはバカにされることで、今でも若干あるわけです。

  でも、日本では違ってきた。格差社会を現実として受け止めて、はたして格差という言葉で十分なのだろうか。今の日本を捉えるのに、階級という言葉を避け続けるために格差が出てきたのかなと。

  先ほどの「怒り」とつながってくるのですが、格差という誰でも認められる言葉はとても大事なんです。それからいろんな人が入って来られる運動もとても大事だし、できるかぎりそういう運動であるべきだと思います。もしそれが狭い政治性を持つことによって人を排除する、入りにくいものにしまうのであったらだめですが、政治を避けることによって、政治的という言葉を避けることによって現実を捉えられなくなってしまうのであればそれは大きなロスだと思うので、その辺も、どういう言葉を使えば現実を一番正確に捉えられるのかという問題なのです。

どういう政治性を私たちは求めるべきか

  さきほどの原爆反対といった時に北朝鮮を持ち出したいと言ったのもやはり、そういう意味での政治というのは、絶対私たちは切り捨ててはいけないと思うのです。政治は私たちの生活の根幹を、基準を与えるものだからです。私は政党政治も重要だと思いますが、政治を政党政治だけに区切るのではなく、政治はわれわれの経済にあり、経済は生活、生活は精神でもあるということを常に念頭に置いて、どういうふうに政治的であるべきか、どういう政治性を私たちは求めるべきかということを、多喜二のように意識しなければならない。それを常に現実によって変化させるようでなければならないと思います。

  一つの立場に自分はコミットしたからその立場を批判しないとか、変更しないということではなく、多喜二自身は常に自分の作品で議論を求めていましたし、批判を求めていました。過去の作品は野のクソのようなものであって、自分は見たくもない、自分は次のものを書きたいと語っています。私たちも自分がコミットしたものが何であって、実践に移す時にどういうところを変えるべきなのか、そういう準備を常に身に付けていきたいと思います。

9条から環境問題へ

  最後に今の9条の状況と戦争と貧困の問題ですが、もちろん多喜二にとって戦争と貧困の問題は切っても切れない関係です。新潮社の文庫は『蟹工船』と『党生活者』が入っているので、両方をぜひ読んでいただきたいのですが、『党生活者』の中で、毒ガスを使うことを軍は決めていて、毒ガスのマスクを作る工場で運動を繰り広げるということを描いていて、マスクを大量に作らなくちゃならないので臨時工をたくさん取るわけですね。

  戦争には反対の意識をみんなに説得したい。臨時工も正社員になりたいわけで、正社員は競争相手として維持されているけれども、臨時工と正社員の連帯を求めている。それがどれほど大変であるか。その上に反戦を乗せたらさらにどれほど大変になるか。そういうことを彼は『党生活者』で描いているのでぜひぜひお読みになって下さい。

  9条の問題ですが、9条の会の会員になっている人は全国で増えているわけですが、北朝鮮問題を直視しなければ9条もなかなか進まないと思います。私も絶対9条を支持しています。これをあきらめてはいけない。どんなに今の時点で形骸化されたとしても、改憲したい人たちがいる限り守らなければならない。

  今、形骸化された9条を確保して、形骸化された部分をこれから取り返していくというのは、私たち共通の理解だと思いますが、そこにもう一つ関わっているのは環境、ゴア副大統領がいう地球が我々の唯一のホームだということ。そうですよね、地球しか今のところ住む所はないんですから。

  軽い話なんですが、今回、ユナイテッド航空で—この会社は破産したのですが—、エコノミーだったのですが、なぜかビジネスクラスの入口に案内されて、ファーストクラス、ビジネスクラスを抜けてエコノミーの席に行ったら、ムーっとしてくるんですね。遅れて何10分も待たされたんです。パイロットが口を滑らせて、後部の方に座っている方たち、暑いでしょうが今エンジン一つかけたからもうすぐ涼しくなると思いますって。ユナイテッドが経費削減のためにエンジンを直前までかけない、だけどファーストクラス、ビジネスクラスはいくらなんでもそれはできないのです。

  後から客室乗務員が「みなさん、お暑いけれど、クーラーの故障は今直りましたので」と、全く違ったストーリーが出てきたんです。この飛行機を地球に例えれば同じなんですよね。ファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミーと食べ物も全く違っていて、それも不快に思っていたんですが、一つの同じ空間に入っていて、こちらは快適で、こちらは汗を流してすし詰め状態で。これは今の地球です。

  90歳のアメリカの有名な科学者が公共放送で言っていましたが、未来の地球には人類が助かる地域があって、ニュージーランドが一つでアイルランドが一つで、今いる人たちやそこにたどり着けた人たちはいいけど、後で海から這い上がってくる人たちを落としていかなければならない。非常に醜い争いが想像できるわけです。

  バデューさんが想像しているような戦争ではなく、フランス人の核に対する無頓着、フランスの核は安全だという神話がまかりとおっているということもあります。バデューさんがそうかどうかわからないですが、それは地球の絶滅というものに関わっています。反原爆と原発も区別されているけれど、私はその境界というのは納得できないし、反原爆といった時に北朝鮮を語る。そういうことが私の、本当に答えは出せないし、具体的にどうしようということはないのですが、儀礼で終わらせない8月を、今度の選挙もどういうことを言えるのか、そしてマスコミにどうやって訴えるか、マスコミの良心と軽く言われるのですが、どうやってそれを実現できるのか、みなさんのご意見をお聞きしたいと思います。
 
  どうもありがとうございました。

*****
  JANJANではご意見板の「荒し」問題にどう対処するかでもめていたようですが、編集部が一時休止してしまいました。「今後の措置につきましては、利用状況を見て検討させていただきますのでご了承ください」とのことです。どうも歴史修正主義者の方々が「南京大虐殺」「従軍慰安婦」問題などで書き込みをされたみたいです。すでにいろいろなところでさんざんやりあったのだから、ほっとけばいいのに。

  このブログも2005年度の教科書採択の時に「炎上」させられ、その時は初めてでもあり、ものすごく怖くて一時ブログを閉鎖、その後も「猫や花」だけにしていましたが、冷静になって考えてみれば、どんな暴力的なコメントが何百とついても、「りある」の世界には何の影響も及ぼさないのです。私は住所、電話番号をWEB上やチラシに公開していますが、襲われるどころかいまだに1件の電話もありません(支持者からの応援の電話はありました)。

  ほっとけ。ほっとけ。前にも言いましたが、辛淑玉さんがひどいコメントの主をつきとめて自宅まで行ってみたら中学生だったそうです。
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by lumokurago | 2009-10-02 21:13 | JANJAN記事

ノーマさんの記事(中)

「シカゴの奇蹟」―根拠のない希望

 広島、長崎を戦後長らく捉えるキャッチコピーが「怒りの広島・祈りの長崎」でしたよね。ご存じの方、どのぐらいいらっしゃいますか。(会場挙手)少ないですね。よく言われていて、長崎はカトリックの信者が多いから祈りで、広島の方は怒鳴ってばっかりいて、これは私の意識では長崎を美化するようなとらえ方だという気がするけれど、怒りも祈りもどちらかを選択すればいいということではなく、両方必要だと思うのです。

ここまでは怒るべきことに対して怒りを忘れてきたということをお話ししてきました。これからは希望編に入りたいのですが、二つ、問題提起のために用意してきました。

 一つは必ずこの時期にある原爆報道なのですが、その中に「シカゴの奇蹟」というキャッチコピー的な表現が出てくる記事を読みまして、たまたま私はそこに出てくる当事者をよく知っているんです。それでその内容には全く根拠がないということをたまたま私は知ることができたのですが、その記者さん一人の責任をどうこう言うより、報道体制として、どうしてこの「シカゴの奇蹟」という被ばく者や支援者、反戦・反核運動家たちを励ますような物語を作ってしまう傾向があるのかということをむしろ、考えなければならないと思います。

 簡単に申し上げると2007年に広島市主催の原爆写真展がシカゴ市のデュポール大学で開催されました。その時に、オバマが民主党の大統領候補になるための選挙運動をしていたのですが、そのオバマ候補がたまたま会場を通り抜けたという話です。私の友人がデュポールの先生なのですが、この「シカゴの奇蹟」という心温まるお話の中では、オバマ大統領が通って原爆の写真を見て、プラハ発言につながったのではないかとそういう逸話ができた。しかしこれは全く根拠のないことなのです。そういう記事が出てしまったわけです。

 その時の演説でオバマ候補はすでに核廃絶を言ったらしいのですが、写真展を通り抜けたからではなく、彼の学生時代の信念が元になっているのだと思います。それに、たまたま私の友人は被ばく2世と名乗るようになっているのですが、被ばく2世でアメリカで教えていて大学で原爆展を開催して、オバマ候補が通って、プラハ発言ってとってもいい話じゃないですか。そういう根拠のない希望を作ってしまうというのは非常に問題だと思います。

 もう一つ問題なのは、彼女はなぜ自分を被ばく2世と言うのをためらうのかというと、自分が苦しんではいないこと、被害者の特権みたいなものが独り歩きしてしまうことを恐れているのです。彼女がもっと問題にしているのは、「つくる会」の教科書につながってくるのですが、自分が反原爆運動をやっているのは小学生、中学生の時に広島で受けた平和教育があったからであって、被ばく2世であるということはつい最近まで自覚もしていなかったということです。被ばく2世、被ばく2世と報道陣につかわれることは教育の重要性を否定してしまうということで、大変残念に思っているのです。

本当に核のない世界にしようと思うなら

 そういうこともありまして、マスコミの書いていることというのはいつもある程度信じきってはいけないと理解するんですが、昨日東京に着いて、いくつかNHKの番組を見て、昔と比べていくつもこの季節に放映される番組ができてるんですよね。その一つ一つは大変充実していると思うのですが、何年経っても感動する物語が紹介されるわけじゃないですか。本当に感動しますし、特に若い人たちが出てきて、自分たちが受け止めなければならないと言った時に涙が出てくる思いがするんです。
 
 でも同時に思ってしまうのは、来週になったらどうなんだろう、16日になったらどうなんだろう。マーシャル諸島じゃないけれども、昔は敗戦記念日と言ったのが終戦記念日に代わって、記念日の名称が変わっていくように人々の意識も記憶も短くなっていく。16日になったらもはや選挙の報道だけになっていくと思うのですが、その時に前の2週間に取り上げられた問題がどれだけ意識されるのかと思うんです。

 一つ思ったのはこういう番組に出てくる方たち、ゲストとして招かれる方たち、それから麻生首相も出席するわけですが、原爆投下反対、核兵器使用反対と言わない方はいないわけです。だけど実際どこまで確信を持ってそれを言っているのか、原爆報道、場合によるとドキュメンタリーなんかは思っていることから切り離されて伝えられるのだろう。
 
 たとえば麻生首相は非核三原則を守ると言っているけれども、翌日にはアメリカの核の傘を口にしているわけです。本当に核のない世界にしようと思うなら、「原爆には反対です」という人たち一人一人に、北朝鮮がああいう行為に出たとしても原爆はいらないと言えますかとつきつけたいと思います。報道陣の責任でもあると思いますし、私たちもそれをやっていかなければならないと思います。

 でもそれは脇においておいた方がいいんですよね。感動する物語に感動して、我々の決意を毎年儀礼的に繰り返して、だけど、そこに大きな問題がある。いつも思い出すのは、90年代になって細川政権の時、従軍慰安婦などについていろいろ問題になって侵略戦争を認めたわけですが、あの頃に、故人になりましたけれども私の敬愛する歴史家の網野善彦さんが、インタビューで植民地支配のことを聞かれた時に、日本が植民地にされたとしてもあの戦争を起こさなければよかったと思います、と答えたんです。

 私たちは最悪の時にどうなのか、というところまで自分たちの信念を問わなければならない。植民地支配するよりもされる方がいいんだと網野さんはおっしゃって、後で自分は内村鑑三の思想を繰り返しただけだとおっしゃっていましたが、北朝鮮が何をしようと日本は核を持たないし、アメリカの核の傘に入らないんだというところまで言えないんだったら、反原爆とは言えないと思います。

 それを言えないとしたらなぜ言えないのか、それならどういう核縮小の運動に力を入れるのか、そういうことを1ステップずつクリアにしていかないと、みんながはいはいと言えるようなお話で終わっていくのではないかという危惧を感じています。

 もう一つここでお伝えしたかったのは、これは沖縄の平山牧師さん、松井やよりさんの実弟の方だと思いますが、彼が流された報道です。それはアメリカの「憂慮する科学者同盟」という会の一人の人が4月中に作ったビデオで、ユーチューブで流されているのですが、オバマ大統領のプラハ発言を受けて、アメリカの核政策が変わるのではないかと日本政府内で憂慮している人が多くて、そういう人たちがアメリカの国務省などに今の核政策を変えないでくれと働きかけている、それを日本国民が知っているのかどうか。これはそれこそ今立ち上がらなければならないことで、というのは9月、10月にアメリカの政策が再検討されるので、日本の人たちは日本政府に対して働きかけてほしい。そういうものをユーチューブで流したのでお伝えします。

嘘の希望と本当の敵

 「希望」ですけれども、もちろん人間は希望なしには生きていかれないし、こういう運動は続いていかない。けれども、嘘の希望はあった方がいいのか悪いのか。私自身自分に言い聞かせて半信半疑で、だけどその半疑の方が非常に重くなるんですよね。自分で自分をだますほどつらいことはないわけですから。それを長年続けてきて、8月付近にこういうふうに集まって決意を固くして、でも本当は信じることはできない、何も変わらないだろうと思ってしまう方は多いと思います。

 嘘の希望に頼るより、厳しい現実に立ち向かった時こそ怒りと力が湧いてくると私はこの頃思うようになったので、そういう意味でも8月の儀礼的な原爆報道の問題を再検討すべきではないか。それからせっかく集まった時に、やはり集まるということは力なんですから、本当の希望はなんなのかということを考えたいと思います。

 そこで多喜二に言及しますと、彼は恋人の田口タキさんという―強いられた境遇に育った女性ですが―彼女についてある時、こういう人たちを扱っている場合には希望を書き込むことが嘘になるんではないかということで、それはできなくなってきたと日記に書いているのです。私もそういうものだと思うんです。フィクションの中にも嘘の希望は書き続けられないと認識した多喜二をみなさんの念頭に置いておいていただきたいと思います。

 また、多喜二の登場人物の中には階級的憎悪とか敵という言葉が出てきます。憎しみというのは運動の中で一番大きな、大事な感情として出てくるわけですが、そこで大事なのは誰を憎むかというのを間違ってはいけないということです。

 多喜二は繰り返し言及しているのですが、たとえばタコ労働、悲惨な労働、奴隷労働を民営化したみたいな・・・。犬を使って虐待するストーリーがあって、犬をどうにかしてやるというセリフが出てくるのですが、後に多喜二は犬は犬でしかなくて犬を操るのが誰かということを見抜かなければいけないと。

 みなさん、ここでは『蟹工船』のストーリーをご存じの方が多いかと思いますが、あそこでもやはり鬼の浅川監督が敵ではない、敵をみきわめるには丸の内の帝国海軍やそういうところに視野を向けなければ、本当の敵を見間違えてしまうということを、ちゃんと書いているわけです。

 ですから構造的な敵がどこにあるのか、これは本当に大変な問題なのです。人間の形をした敵を憎むのはたやすいのですが、構造に対する怒りをかきたてるというのは難しいことです。しかしそれなしにはやはり私は今の反貧困、反戦争の運動というのは進まないと思うので、怒りの質、怒りの矛先をどこに向けるかということも議論して、みんなでしっかり確認していかなければならないと思います。

アラン・バデューの「共産主義仮説」

 「シカゴの奇蹟」という一つの逸話の嘘の希望の話をしました。またちょっと違う視点で、友人が今話題になっているフランスの哲学者のアラン・バデューという人の「共産主義仮説」というエッセイを送ってきて、どう思うかと聞いてきました。私は最近、哲学者のそういうものを避けているのですが、バデューは共産主義こそ近代なんだと言っています。共産主義仮説を嘘だと退けてしまったら、我々は集団的行動をあきらめることは当然であって、そういう思想を追求する必要がなくなってくる。共産主義仮説の根幹が何かというと、競争原理、それから少数者が多数を支配するという社会に対する絶対的な信念と行動、それが彼の言う共産主義仮説なのです。

 彼は二つの時期を設けていまして、最初がフランス革命からパリコミューンまで、つまり1792年から1871年まで。それから戦争をいくつか、第一次大戦を含め、第2期が1912年、17年、1976年、ボルシェビキ革命、ソ連革命から中国の文化革命までの二つの実質的共産主義仮説が追求された時期の後に、今我々は生きている。それをどうするかということなのです。その意味ではこの哲学者の検討も私にとっては非常に意味が深かったのですが、もう一つ実存主義で有名なサルトルの言葉を引用しています。サルトルにとって共産主義というのは、思想とは何かというと、それは人間であることは何なのかということ。その思想をあきらめた段階で人間は動物と同じになって当然なんだ、つまり弱肉強食の世界になって、それを阻止する理念もなくなるということなのですが、これを読んで私が思ったことは二つあるんです。

 バデューさんは、哲学者として、またフランスの移民問題活動という実践もされているのですが、かなり高い所から近代を見ています。今の状況を見たら戦争が来るのは避けられず、戦争の時期の後に何が来るかということに、我々は視野を持たなければならない。今、我々は19世紀に戻りつつある。貧困、搾取労働、お雇いインテリゲンチャのマンネリ化、それはもう20世紀でもなくて19世紀に戻っていく、けれども第2期、第1期の共産主義仮説ではなくて、やはり21世紀にいる以上は違った共産主義仮説を追求しなければならないとバデューさんは書いているのです。

 つまり戦争が、彼は確実に来ると言っているのですが、あきらめるのではなくて、だからこそその先に共産主義仮説をどうやって実践に移すかということを一生懸命考えようと呼びかけています。それは私も大いに賛成なのですが、彼のように哲学者ではないので身近な人たち、周りに今いる人たちをどうにかしなくちゃいけない。やはり私たちの範囲の中の苦しみに対してどうやって向き合っていくのか、そういう問題を私は捨てることができない、ここで多喜二とつながってくると思います。

(つづく)
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by lumokurago | 2009-10-01 01:27 | JANJAN記事

ノーマさんの記事(上)

ノーマ・フィールドさん講演「いま多喜二を語る意味―新たな戦争と貧困の時代に」(上) 

 暗川の読者の方はすでに読んで下さったかと思いますが、JANJANに掲載されました。ノーマさんにJANJANに載せる承諾をいただいていたので、やはり掲載してもらった方がよかったと思います。ノーマさんの写真もあります。

 昭和天皇の闘病中、本島等元長崎市長が「天皇に戦争責任はあると思います」と発言したことで、本島市長には日本全国から7300通の手紙が寄せられました。紆余曲折の末、径書房から「長崎市長への7300通の手紙」として出版しました。編集には径書房の読者おおぜいがボランティアとして関わり、私も仕事が終わってから毎日、当時水道橋にあった径の事務所まで通ったものです。

 そこにノーマさんがいらしていました。ノーマさんはこの本を元に本島さんに取材してまとめた文章を『天皇の逝く国で』に載せています。『天皇の逝く国で』にはその他、沖縄の国体で日の丸を焼いた知花昌一さん、自衛官合祀違憲訴訟を行った山口の中谷康子さんを取り上げ、天皇制を論じています。すばらしい本で、お勧めです。

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 8月8日、東京杉並区で開かれたノーマ・フィールドさん(日本生まれ、シカゴ大学教授:日本文学・日本文化専攻)の講演会でのお話をお伝えします。(上・中・下3回)講演の主催は第9条の会・日本ネットです。

 今日の演題は「いま多喜二を語る意味―新たな戦争と貧困の時代に」ですが、そこに到達するまでにいくつか考えてきたことがあります。タイトルにすると「今こそ主義―希望と怒り」です。主催者から出していただいた質問、なぜ今、小林多喜二を研究する気になったのか、戦争と貧困の時代、憲法9条に関する状況には、最後の方にできる限りお答えしたいと思います。その前に来る話も、私はすべて多喜二と関係があると思っています。多喜二の作品を読んだり、多喜二に関係してきた方たちと話し合うことによって自分が発見したことが至るところにあると思います。多喜二が最後だけに出てくるのではない、ということも念頭に置いていただければと思います。

「広島・長崎とその彼方に」―疎外された「怒り」

 私はシカゴ大学の学生に「広島・長崎とその彼方に」という授業をやっているのですが、「その彼方に」というのは被ばく者というのは世界各地にいるということで、もちろんアメリカにも核実験による被ばく者が多数いるということを強調したいのです。それ以後の劣化ウラン、原発からくる被害などを視野に入れて、「核の時代」というのは我々の時代なんだということを学生たちに意識してほしいのです。

 ある学生がシカゴ大学を卒業してから、マーシャル諸島に行って教員になりました。ご存じのとおりマーシャル諸島の中にビキニ島があります。1954年3月1日、ビキニ島で水爆実験が行われて第五福竜丸が死の灰をあび、杉並の主婦たちが立ち上がって原水爆禁止運動が起こったわけですけれども、3月1日というのはマーシャル諸島でも記念日なのです。

 それについてインターネットで調べていましたら、記念日の名称が変わっているのです。最初はnuclearvictims’ day、核被害者の日、それが次には survivors’ day、サバイバーの日。今はいとも簡単に記念日、 remembers’ day といって、被害者もサバイバーも核も省かれてしまって単なる記念日になっている。卒業生から聞いた話では、アメリカ大使が来てマーシャル諸島の人々の勇気と犠牲とを称える日になっていたのです。ひどい言葉を使っているのですが、彼ら彼女たちが自分たちの身を持って人類の自由のために貢献してきたというのが、マーシャル諸島の被ばく体験の記念の仕方なんです。

 年老いた被ばく者たちは日本とは比べ物にならない安い金額の保障しかなく、たいした医療も受けられずにいます。また、日本の占領期と似通ったところがあるのですが、若者たちがアメリカ文化の魅力に毒されていて、やはり植民地支配的な場所ですから、アメリカ人になれたらいいって、高校生が次々と論文に書いてくるんだそうです。つまり、白人、アメリカ人になりたい、格好いい人たちになりたい、お金のある人たちになりたい、自分たちは離れた島に暮らしていて何の未来もないと。そういった大変疎外された状況らしいです。

 まず一つは第五福竜丸の事件が契機になった杉並の原水禁運動の、その現地がどうなっているかということを意識していただきたい。1946年から58年の間に、67回原爆実験が行われています。もちろん被ばく者は多数いるし、認知されているかどうかも非常にあいまいであるし、ビキニ、ロンゲラップといった島々から避難しなければならなかった人たちは永久に自分たちの島に帰ることができない。生活も完全に破壊された。そしてとうとう記念日からも「核」という言葉がはぎとられ、自分たちの怒りから疎外されているわけです。特に、称えられるわけですから、記念日には。

 犠牲が称えられるというのは日本の構造と非常によく似ているのですが、それは自分たちのとりかえしのつかない損害、それに対して怒ることが疎外されている。マーシャル諸島の人たち全体が疎外されている、そのことを一つ念頭に置いておきたいと思います。

 つまり、運動、特に反戦平和の運動の中で「怒り」というのはどういう役割を果たすのか。怒りには危険なものがあるので、怒っていればいいということではないのですが、怒りの場というのがなくなって、意識されていないような気がします。それはあとで議論したいと思います。

続いている原爆の時代

 もう一つ、たまたまなのですが今朝こんなメールをいただきました。アメリカ人の40代の女性で、日本にも入ってきている有名なアニメ映画のサウンドをやっている人がいるんですが、彼女はここ数年来、自分のお母さん―アメリカの核実験にエンジニアとして参加された女性―についてのドキュメンタリー映画を作っています。

 そのお母さんは長年患っていらっしゃるのですが、自分が核実験に参加したから身体の具合が悪いんだということはずっと否定してきましたし、娘さんにも秘密にしてきたんですね。被ばく者と秘密というのはつきものですが、何十年も秘密にしてきたことが、あるきっかけがあって母と娘の対話が始まりました。

 私がマーシャル諸島のことも知っていると思うけどこういうことなんだよね、というメールを出したら、ビキニのことは自分のドキュメンタリーに盛り込むことにしているということで、被災地から誘導する役を果たしたエンジニアの長い取材をしていて、彼が膀胱がんになって、まだ映画は完成していないけれども、急いで送ったら彼は見ることなく先週亡くなってしまったそうです。

 つまりマーシャル諸島では原爆の時代がもろにまだ続いているのです。日本ではそういうことも考えられていないんじゃないかと思います。チェルノブイリとか劣化ウランに関しては日本の皆さんも活発で、たとえばドイツで劣化ウランに関する世界会議があると日本からの代表が最も数が多いそうで、日本の人たちが最も知識もあって活発に活動されているようですが、特に杉並区とマーシャル諸島との連帯も生まれたらいいなと思っています。

学生と核物理学者の母親の対話

 マーシャル諸島のことをお話しする契機になった卒業生ですが、その男性の学生さんについての話もしたいんです。彼は3歳の時に中国からアメリカに永住した人で、お母さんは核物理学の専門家でシカゴ大学の研究所にいます。これはシカゴにはないのですがマンハッタン計画の拠点です。

 この授業で私はいつも原爆に関して、アメリカの人たちは年齢を問わず全く無知に等しいので、知識を身に付けてほしいのと、もう一つは自分たちの問題としてできるだけ身近にするために誰か対話者を見つけるということを主眼としています。それは第二次大戦の時に生きていた人、原爆投下の記憶を持っている人でなくてもいい、時々そういうおばあちゃんなんかを探してくる人もいますが、誰でもいいから、日常の中で授業に出てくる問題を話してくれる人です。それをみんなに報告して最後にまとめるという宿題が中心なのですが、彼の場合、対話者にお母さんを選んだのです。なぜお母さんかというとお母さんだから話すのに便利だ、もう一つ毛沢東時代の中国で教育を受けた中国人がどういう意見を持っているかがおもしろいだろう、最後に科学の専門家だから確かな知識を得られるだろうという、3つのメリットがあるということで選んだのです。

 彼の報告はすごいものだったのです。お母さんの意見が変わった時とかためらいが感じられた時、必ずお母さんにつきつめてるんですね。なぜそう言うんだと。

 禎子さん(※)のお話ありますよね。千羽鶴の。あれ、確かアメリカの書き手が最初書いたんだと思うのですが、お母さんは中国で小学校4年生の時に禎子さんの話を読んで、ずっと心に残って、日本が鬼であっても原爆はひどすぎるという意見になる。しかし彼女はアメリカに移住して、アメリカ人からしてみれば原爆投下を正当化すべきである。だから正当なのかなと逆戻りしてみる。だけど冷戦時代の中国に育ったのでアメリカも敵であるということで、大変複雑な思いで息子さんと原爆投下について語ったことを息子さんが報告しています。
 ※禎子さん:広島平和記念公園「原爆の子の像」のモデル, 佐々木禎子- Wikipedia (編集部)

 次に劣化ウランについても、彼女は日常的に劣化ウランを扱っているわけなんですね。それに対しては基準などがあって絶対安全なんだと息子に主張している。でも息子は、お母さんは何回か腫瘍ができてるし、どうして無関係だと思うのか、いや絶対無関係だと。もし私の健康状態と実験とが関係あるとしたら、前に勤務していたところがアメリカの生物兵器を作っていたところだから、それが影響しているんじゃないかと、劣化ウランの関係ではないと主張していた。彼女は永住権を得てマイノリティの科学者として、研究所で一番高い地位を占めている方なので、絶対安全だと信じなければ仕事ができない立場に置かれているのです。それが息子さんとの会話を通して、だんだんお母さんも不安になってきたことが伝わってきた。

 広島市の職員でスティーブ・ディーパーさんという、秋葉市長の仕事に協力されている方がたまたま来たので、劣化ウランの危険性について授業で話していただいたんです。その後、学生はお母さんに、今度は本当に科学者から真実を聞きたいと言ったら、お母さんは劣化ウランを使用する場合に、人間に最大に効果を発揮するためにはイラクほどいい地域はないと言ったそうです。つまり風が強い、気温が高い。ですからイラク戦争で劣化ウランの被害は出ているはずだとお母さんが認めたことで、息子さんも聞きたくなかったことを聞いてしまったとなったわけです。

 このようにアメリカの中でもいろんな立場に置かれて、迷いを持ちながら原爆投下とそれ以後の核の時代を生きてる人たちがいるのですが、残念ながら昨日インターネットで読んだある統計では、今の世論調査でも、原爆投下は正しかったというのは61%なんですね。36%が反対で16%がわからないという意見です。マイノリティになると正しかったという人たちが圧倒的に少なくなる。特に黒人は少ない。ヒスパニック系は正しかったというのが44%で、年長者ほど正しかったという人たちは多いです。そういうのは何も変わってないのです。

 もう一つ私の念頭にあるのは、日本におけるオバマ大統領の発言の過剰評価というのは非常に心配なのです。もちろんあった方がいいです。全然否定するつもりはないんですけれど、一方ではマスコミのネタであり、原爆報道の問題であり、もう一方ではアメリカの核の傘への依存を裏返した形ではないのかという気がしないでもないので。オバマさんのプラハ発言をどうやって現実に近づけるか、今は全く現実に近いとは私は思っていません。どうやって近づけるかというのが課題ではないかと思います。

ストックホルム・アピール―朝鮮戦争が起こるからこそ原子兵器禁止を

 それから、杉並が原水禁運動の発祥地ということで、大きな忘れ去られていることがあるんですね。1950年からあった運動でストックホルム・アピールというのがあって、私も近年、それに関わった方に出会って知ったんです。
1950年、つまり、もう冷戦時代でありますし、朝鮮戦争が間近で、というか朝鮮戦争が間近だからこそ、賛同した人たちが多いんですが、ストックホルムで開かれた世界平和擁護者大会常任委員会の決議案で4点あるんです。1950年3月19日です。

1.私たちは人類に対する威嚇と大量殺りくの兵器である原子兵器の絶対禁止を要求します。
2.私たちはこの禁止を保障する厳重な国際管理の確立を要求します。
3.私たちはどんな国であっても、今後、最初に原子兵器を使用する政府は、人類に対して犯罪行為を犯すものであり、その政府は戦争犯罪人として取り扱います。
4.私たちは全世界のすべての良心ある人々に対し、このアピールに署名するよう訴えます。

 以上、4箇条は広島と長崎に原爆を投下し、第二次大戦後の冷戦と核兵器開発競争の主導権を握った米国外交と核による脅迫に対する批判を含むものだった。 ストックホルム・アピールの署名は、朝鮮戦争を背景に世界的に展開し、1953年までに署名数が5億人に達した。主要国では、米国300万、英国120万、仏1500万、伊1700万、東西ドイツ1900万、ソ連1億1551万、インド67万、中国2億2375万など。

 これ、インターネットがない時代ですよ。

 日本においてなぜストックホルム・アピールが語られないかというと、一つはGHQによるものですよね。広島、長崎においても非常に厳しい報道規制がありましたし、署名運動に関わることによってレッドパージされた人たちが数多くいたわけですが、なおかつ署名が645万を超えたんです。どうしてこのストックホルム・アピールが忘れられてしまったかというのが、私の今の謎なんですけど、ご存じの方がいらっしゃったら後で教えてほしいと思います。

 朝鮮戦争が起こるからこそ署名するんだという意識は、北朝鮮がミサイル実験をしたから核を持たなきゃならないという意識と、かなり違った論理なんですよね。どうやったら1950年の意識に戻れるのか、戻って進めるのかというのは課題ではないでしょうか。
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by lumokurago | 2009-09-30 20:35 | JANJAN記事

理学療法士が見た障害児療育の現場(下)

理学療法士が見た障害児療育の現場(下)
「特別支援教育」 法律はできても取り組みは学校によってまちまち
 

 障害児に普通に接することができるようになるためには

記者:ところで、ずっとこういうお仕事をなさっていて、一般の人にぜひ知ってもらいたいことはありますか?

K.N:例えば、自閉症の子がギャーギャー騒いだりした時に、興味深そうに見ることが多いじゃないですか。そういう子どもたちを興味深い目で見るんじゃなくて、普通に接してあげることができれば、お母さんたちも気が楽だと思います。障害を持った子は一生治らないから、その子をその子なりに認めてあげられる環境であればいいと思います。

記者:普通の人は障害児と接する機会が全然ないでしょ。私なんかは電車に自閉症の子が乗ってくればすぐにわかるけど、全然見たことのない人だったらわからない。変な人と思っちゃうでしょうね。

K.N:だからやっぱり学校の教育でしょうね。今、特別支援学級になったけど、そこの教育でしょうね。学校によってはそういう学級に通っている子どもと普通学級の子どもとの交流があって、うまく回っているところもあるみたい。校長とか教師の考え方によるんじゃないかしら。

記者:T小学校の学童クラブにいた時に、その学校には障害児学級があって、その学校の子どもは全体的にとてもやさしいんですよ。ずっと昔の話だけど、体育の授業の交流をやっていて、障害児を知ってるわけです。そうすると学童クラブに来てからも対応が自然。だから他の障害児学級がない学校の子どもとは全然違って、慣れてるところがあった。でも当時でも教員をしている友だちに体育の授業で交流してると言ったら、すごい珍しいと言われた。もう20年位前の話で、今じゃもう止めちゃったかもしれない。たぶん子どもの頃に障害児を知ってたか知らないかじゃ全然違うと思う。

K.N:そうそう。それは大きな違い。この間、国連で自閉症の啓蒙活動みたいな日が決められて、自閉症についてもっと関心を持とうよ、というキャンペーンがあって、自閉症の親とかそういう人たちが声をあげて、自分の子どもについて知ってほしいというのがありました。(「世界自閉症啓発デー」毎年4月2日、自閉症をはじめとする発達障害について広く啓発する活動。昨年、国連で採択された)。

記者:どこだったか、少し前に知的障害の20代の青年が挙動不審ということで、警察が殴って殺しちゃったじゃないですか。ひどい話ですよね。ああいうのも警官が障害者のことをわかっていれば、挙動不審じゃなくて、障害があるんだということをわかって、あんな事件は起こらなかったと思います。

K.N:特別支援という形で法律的には整理されても、どういうふうに教育するかというのは学校任せで、専門的なスタッフがそろっていないから、学校によって取り組みはまちまちになってしまう。

記者:特別支援学級(学校)の教員も普通学級から異動してくるので障害児教育の専門家ではありませんからね。もちろん研修はあって勉強していくのですが。

K.N:それに健常児のお母さんたちから、障害児がいると勉強が遅れるとかそういうことが必ず出てくるじゃないですか。学校はそういう配慮もしなければいけないから、大変なことは大変。

記者:最近はますます世知辛くなってきているから、難しくなっているでしょうね。あと、知的障害の人が容疑者になることが最近多いけど、私は疑問を持ってしまいます。

K.N:軽度の人の犯罪は増えてるっていうのはありますね。東金市(千葉県)で女の子が殺されたのも容疑者は軽度の知的障害者。刑務所も障害のある人が多くなったって言いますよね。

記者:でも、冤罪も多いですよね。知的障害のある人がそんなに犯罪を犯すとは思えないけど。

K.N:そそのかされて悪いことをしてしまうとか。

記者:なんか盗んじゃうとか、そういうのはあるだろうけど。

K.N:ずるがしこいことはできない。

記者:人がいいんですもん、だいたい。隠すことは下手で。そういう人を捕まえて自白させて、「こうだったんだろ」とか言われたら、だまされて「そうだった」みたいに言っちゃうかもしれない。

K.N:言い含められたら、そうかなと思っちゃうかもしれない。

記者:普通の人だってあるんだから、やっぱり危ない。警察にも偏見があるかもしれないから、普通の人以上に配慮しなければならないと思います。

軽度の障害者のためのケアが必要

K.N:重度の人だったら、養護学校卒業して、デイケア施設に通って生きていくっていうのはあるんだけど、逆に軽度の人はね、いわゆる社会的な生活ができる人のケアが必要よね。

記者:ある程度働ける人?

K.N:作業所だったら、ある程度まわりで見守ってくれる人がいるでしょうけど、外に一歩出た場合に、見守ってくれる人がいない場合がある。職親(※)みたいな人がいる職場だったらいいけど。何かあった時にカバーしてくれる人がいればいいけど。
※職親(しょくおや):知的障害者を預かり指導訓練を行なう者。(編集部)

記者:企業は軽い障害の人をちゃんと採用しているんですか?

K.N:罰金(※)で済ましちゃってるところが多いみたい。
※障害者の法定雇用率(1・8%)を達成していない企業にペナルティーとして課している納付金のこと。(編集部)

記者:今はもう派遣切りとかやってるくらいだから、

K.N:そこまで面倒みてくれる企業はないでしょうね。

機能訓練はどこまでやるべきか

記者:印象に残っているお子さんのことを話していただけますか?

K.N:はい。その子は脳性まひで肢体不自由の子なんだけど、赤ちゃんの時からずっと通っていて、歩くことはできないし、お座りすることもできないし、寝がえりがやっとなのかな。10何年後に私が養護学校に行って週に1回仕事をすることになって、その子が高等部に通っていて、その子に会ったんですよ。そしたら、年とともに緊張が強くなっていて、股関節とか関節がはずれちゃうのね。はずれちゃうと神経が圧迫されて痛くなっちゃうから手術して、でも体も変形しちゃうから呼吸も困難になって、気管切開をして呼吸器をつけて、という状態まで行ってしまっていて、だから訓練ということでさらに緊張を強めちゃったり、そういうことになっちゃったのかな、と。よかれと思ってしたことが、その子にとって、どうだったのかなと思ったことがありました。

記者:訓練しすぎて緊張が強まるということがあるんですか?

K.N:そうなんです。そうでなくても年齢とともに強まることもあるんだけど。

記者:判断が難しいんですね。子どもによっても違うんでしょうね。

K.N:その子にとってどうなのかというのはその時点ではわからない。

記者:よかれと思ってちょっとでも立てるようにとか歩けるようにとかやるんでしょうね。

K.N:20年位前に脳性マヒの機能訓練の一種にボイタ法というのがあって 人間の体の動きのパターンを子どもに覚えさせるというもので、子どもの手足に一人ずつついてやるので、人数がいる。そのためのボランティアを募って、一日のうちに何回か訓練する。今もやってるところはあるけど、親も訓練のために子どもにつきっきりで必死でやっていた。親も大変だけど、子どももかなり痛いので、子どもも大変です。

記者:私の経験でも、親は子どもにできるだけ良くなってもらいたいので、子どもに対して無理な注文をして、あそこまでやっては子どもがかわいそうだと思ったことがあります。親が子どもの障害を認めるまでには時間がかかりますが、まずはありのままの子どもを受け入れてあげてほしいです。

個々を大切にしつつ、一緒に暮らせる社会に

記者:養護学校の運動会や展覧会に何回か行ったことがあるけど、それぞれの子どもがすごく大変で大事だから、もう学校全体が一つにまとまっていてみんなを応援してるっていうのがはっきりありますね。家庭的というか、人数が少ないのももちろんそうだけど、ほんとにみんなのお母さんがみんなの子どもを大事にしてる。何かができるようになったりすることがあんまりないから、ちょっとしたことでもとっても喜ぶ。笑顔だけでもうれしいし。

K.N:ほんと、そうね。一緒に応援してね。

記者:なんか用事があって行ったら、急に行ったのに、給食を食べさせてくれたこともあります。一緒に食べましょうって。普通の学校なら考えられませんよね。先生も障害児をみているということで、何か連帯感があるんですね。養護学校義務化以来、特別な教育が必要だという名目で障害児は振り分けられて、健常の子どもと触れあう機会が失われています。何かができるようになることはもちろん大切だけれど、同じ社会で生きているのだから、同じ保育園や学校で暮らすのが普通だと思います。一緒にいるのがごく普通になれば、障害児の親だけじゃなくて、健常児の親もその子のことを理解し、応援する気持ちがでてきて、連帯感ができてくるんじゃないでしょうか。

K.N:特別支援学校も個々の子どもにあった教育をする意味では必要と思います。でも、まだその意図が十分に機能していないのではないのではないかなあ。学校の先生をバックアップする方法や施策を、地域を巻き込んで考えていく必要があるのではないかと思います。せっかく個々を大切にする理念がひろがりつつあるので。

記者:その上で、みんな一緒に暮らすということを考えられる社会になってほしいですね。特別支援学校を別の場所に建てて障害児だけ集めるのではなく、地域の学校の同じ敷地内にして、いつも交流できるようになれたらいいですね。
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by lumokurago | 2009-06-25 17:48 | JANJAN記事

理学療法士が見た障害児療育の現場(上)

理学療法士が見た障害児療育の現場(上) 

 私は学童クラブの仕事で長く障害児と関わってきました。そこで今回は、東京都内のリハビリテーション専門学校で教えていらっしゃる理学療法士(※)のK.Nさん(女性・66歳)に、専門的な場での障害児とのかかわりについてお話をうかがいました。インタビューを行ったのは5月21日です。
※理学療法士:主に運動を中心とした運動療法などで、歩行、身体持久力など身体機能を改善させる治療をする。(筆者注)

Q:まずお仕事の概要についてお話して下さい。
A:私は東京都N区の障害者福祉センターに20年近く勤め、学校に上がる前の発達障害の子どもたちの療育に携わってきました。センターには職員として保育士、臨床心理士、理学療法士がいます。子どもたちは学校に行くようになると養護学校(今は特別支援学校)に行きます。

Q:私の住む杉並区はこども発達センターを売り物にしてますけど、N区の方がもっと昔からやってたんですね。毎週決まったプログラムがあって、その子がそこに行くという?
A:そうです。

Q:週何回ぐらいですか?
A:肢体不自由で重度の子はなかなか保育園で受け入れてくれないので、4、5歳になると親から離れた集団での時間を持てるようにした方がいいということで、週に3~4回です。

Q:その間お母さんはいなくてもいいんですか?
A:そう。預けていけばいいの。それにデイサービスに通うことである程度他の方と交流できたり、親自身も成長していける。

Q:そりゃあ助かりますね。
A:でも連れてくるのは親で、帰りも親が迎えに来ます。区によっては通園バスがあって送り迎えしてくれるところもあります。

Q:重度でなければ保育園でも受け入れているんですか?
A:N区の場合は、母親の会と保健師さんが一緒に活動して、ほとんどの公立保育園で障害児を受け入れることがずっと前からできていました。障害によって違うけれども、保健所でやる1歳半とか3歳児検診で発達の遅れなどがわかります。それから保育園で受け入れたり、センターに来ます。

Q:保育園で受け入れてくれるというのは親が働いていなくても、障害を持っているということで受け入れてくれる? 集団の場を提供するということで?
A:そうです。

Q: そりゃすごい。杉並の場合、働いてないとだめですよ。
A:今は厳しくなってるかもしれません。

Q:ずっと昔からあったのですか? 養護学校義務化の頃?
A:養護学校義務化は昭和でいうと54、5年でしょ?

Q:確か54年。1979年です。
A:私がN区に行ったのは1980年で、その時すでにありました。

Q:当時大阪の枚方市や東大阪市で統合教育が盛んでしたね。今はどうなっているかわかりませんが・・・。あの頃は、行政側も今よりは熱心というか、聞く耳があったかもしれないですね。
A:予算的にも今より配慮があったかもしれないね。上がり調子で収入も増えていく時代だったからね。今は保育園も民営化してるからどうかしら。
あと福祉園といって、養護学校を卒業した大人のための通所の場所、それも民営化。

Q:杉並も同じです。民営化してしまうと実態がわかりませんよね。私は学童クラブの職員だったんですけど、学童クラブも毎年何ヶ所かずつ民営化されています。それが全部違う委託先だし、実態がどうなのか把握できませんが、労働条件が悪いので、職員が定着しないようです。

障害を持った子どもを育てるのは大変

Q:障害を持ったお子さんとかお母さん方とつきあっていて、一番思うことは何ですか?
A:母親は大変だなあと思う。本当に肢体不自由の、要するに寝たきりの子どもを抱えているお母さんは24時間、子どもの面倒をみなきゃいけない。食事を作って、食べさせて、おしめを換えて、場合によっては呼吸困難の手当をしたり、四六時中見てなくちゃいけない。

Q:普通の人というのは障害を持ったお子さんのこととか全然見えないし、親御さんのことも何も知らない。私はまあ学童クラブの職員だったから、もっと軽い子ですけど少しは知ってるけど、普通の人は何も知らない。
A:知らずに済んじゃう人がほとんどね。

Q:そこまで重度だとお母さんは働けないでしょ。
A:うん。ある意味、働かなくてもとりあえず生活できる人が来ていた。N区の場合、割と生活が安定している家庭が多いのかなと思う。
 施設に預けて働いている人もいると思う。重度の子どもを預ける施設があるから、生活が大変な、家庭で育てられない子どもはそういうところに行ってるんでしょうね。最近は施設ではなくて家庭で育てるというふうにはなってきていると思います。

Q:介護保険みたいなサービスはあるんですか? 子どもでも。
A:それはありますね。東京都でやっています。

Q:それはやっぱり老人と同じに在宅の方向に向かっているんですか? 東京都とか国の方針は。
A:どうなんだろう。国の方針としてはどうやってるのかわからないけど、親がどっちかを選択するわけで、そういう傾向にはあるんじゃないかな。経済的に恵まれている人なら、お金を出せばある程度そういうサービスを受けられる。ヘルパー派遣とかあります。でも、在宅で育てる方が親としては大変かもしれません。卒業して社会に出て働くということを考えると・・・。重度の子の母親というのはある時点で、この子の将来はこうだというのがある程度見えているから、それなりに計画を立てられるけれども、軽度の場合は、もう少しできるんじゃないかと思って期待したりする分、むずかしい。でも、社会に出る時点で就職が難しいので結局、デイサービスに行く人が多い。N区には福祉園7園、作業所4か所があります。

Q:それはまだ直営でやってるんですか? 
A:今のところはね。

Q:杉並ではもう半分は委託されてしまいました。それに数もそんなにないですよ。うちの近所に民間でやっている通所施設があったけど、自立支援法の後、つぶれてしまいました。
A:重度の子どもは、職員は医療行為ができないから、お母さんがついていなくちゃいけない。

Q:あれはおかしいですよね。老人もそれは同じ。いつからかヘルパーは痰の吸引とかできなくなった。家族ができるのにヘルパーができないのはおかしい。
 私の学童クラブで、人工肛門の子どもを預かったことがあって、パウチの交換は医療行為だから、職員はできないと言われたけど、交換の度に親を呼び出していたら親があまりにも大変で預けている意味がないから、職員でやるって上司に言ったんです。そしたら何も言われなかった。パウチの交換なんて命にかかわることでもないし、職員ができないのはおかしい。

(つづく)
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by lumokurago | 2009-06-20 20:53 | JANJAN記事

学校に行きたかったアフガンの女の子―映画『子供の情景』

学校に行きたかったアフガンの女の子―映画『子供の情景』
たった1人で理不尽に立ち向かうが、ついに誇りと希望を奪われ


 舞台がアフガニスタンだから楽しい映画ではないだろうと予想したが、子どもの姿を見るだけでもいいという安易な気持ちで『子供の情景』を見に行った。映画一家の19歳の女性ハナ・マフマルバブ監督の作品である。

 始まったと思ったら、いきなり仏像が爆破され、その爆音に心臓がドキンと鳴った。

 バーミヤンに住む6歳の少女バクタイは、隣家の少年アッバスの読む教科書のお話に惹かれ、「自分も学校に行きたい」と言う。少年に「ノートがなければ学校には行かれない」と言われ、バクタイはすぐにノートを手に入れるための行動に移る。

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映画『子供の情景』のチラシ
 
 まず卵を売ろうとするのだが、大人たちは相手にしてくれない。大金を数える大人にバクタイは「そんな大金どうするの? 卵はたった5ルピーよ。買ってよ」と言う。しかし大金を持った大人は振り向きもしない。

 「パンなら買う」と鍛冶屋さんに言われ、卵をパンと交換してもらい、やっとのことで10ルピーを手に入れる。卵2つは割れてしまったので、鉛筆は買えず、ノートだけ。でもバクタイは微笑む。やったあ!

 ノートを手に入れるまでバクタイは家、店、市場を何度も往復する。その歩きっぷりが素敵だ。荒涼たる砂漠と崖を歩く小さな少女。彼女には確固たる目的と意志がある。

 やっとの思いでノートを手に入れ、バクタイはアッバスに連れられて学校に行くが、そこは男子校で、「女の子の学校は川の向こうだ」と言われてしまう。仕方なく探しに行くが、途中で「おれたちはタリバンだ」と戦争ごっこをしている少年たちに捕まってしまう。バクタイは「学校に行きたい」と何度も言うのだが、ノートは引きちぎられ、紙飛行機となって、これも戦争ごっこの道具にされてしまう。

 少年たちは木の枝を銃に見立て、バクタイをつきたて、「石投げの刑で処刑する」と言って、ほこりっぽい土を掘りはじめる。そして10人ほどで穴の中の小さなバクタイを取り囲み、石をかざして威嚇するのだ。

 なんだかバクタイが本当に処刑されるのではないかと恐ろしくなってくる。何度も「これは子どもの遊びだ。バクタイが殺されるはずはない。バクタイ自身それはわかっている。だいたい私は映画を見ているのだ」と自分に言い聞かせなければならなかった。それほど少年たちの処刑ごっこは真に迫っていた。私が子ども相手の仕事をしていて、最近の日本の子どもは何をするかわからないと思っていたせいもあるだろう。それにここは戦争の続くアフガンなのだ。

 この映画の原題は『ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた』で、監督の父親であるモフセン・マフマルバブの著書名である。モフセンは「国際社会は、タリバンの仏像破壊については声高に叫ぶのに、長期にわたる戦争と干ばつによって引き起こされた飢饉のために100万もの人々が死に瀕していることには声をあげなかった。仏像は誰が破壊したのでもなく、アフガニスタンの人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けた」と書いているそうだ。

 ラストシーン。バクタイが「戦争ごっこは嫌」と訴えているのに、彼女に木の枝の銃を向け、銃撃音を口真似する少年たち。アッバスが「死んだふりをすれば、追いかけてこない。自由になりたければ死ぬんだ」と叫ぶ。とうとうバクタイは弾に撃たれて死んだふりをする。

 それまで「戦争ごっこは嫌。学校に行きたい。処刑される役などやりたくない」と訴えていたバクタイが「ふり」ではあってもとうとう倒れたことは、理不尽なものにたった1人で立ち向かっていた人間が誇りと希望を奪われ、崩れ落ちたように見え、絶望的な気持ちになった。

 少女が「いや」と言っているのに、銃を向け続けるのは米軍である。女の私からすれば、バクタイは戦争ばかりしている男たちに対して異議申し立てしているようにも見えた。だって女の子は戦争ごっこなんかしないから。

 少年たちがバクタイを石投げの刑にしようとしたのは、バクタイが鉛筆代わりにしようと持っていたお母さんの口紅のせいだった。バクタイは1人のアフガンの女性としてアフガンの男性に屈服させられたとも言える。女は結局、肉体的な力で男にかなわないのだ。神様はなぜそんな風に男女を作ったのだろう。私は無神論者なのに、時々そう思う。

 オバマ大統領はイラクからアフガンへ標的を移そうとしている。オバマ大統領にもこの映画を見てほしい。あなたが攻撃しているアフガンの、戦争が嫌で学校に行きたい小さな女の子の願いを聞いてほしい。
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by lumokurago | 2009-05-18 18:41 | JANJAN記事

『戦争詐欺師』の感想

『戦争詐欺師』の感想
健全なジャーナリスト精神が暴いた対イラク戦開幕の真実


菅原出さんの本の書評です。骨太なジャーナリストです。

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 大義名分とされた大量破壊兵器は見つからず、占領後の治安安定もままならず、泥沼化したイラク戦争。その裏にはワシントンのすさまじい内部抗争とあらゆる種類の欲望による暗躍があった。それをイラク戦争開始6年目にして、当事者がここまで生々しく語っている。帯にあるとおり、まさに「驚愕のノンフィクション」である。

 CIAは正しい情報をつかみ、優れたインテリジェンスを提供したが、ネオコンと呼ばれるチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官を中心とするイラク戦争開戦派は、元々、CIAと対立していたから、初めからから聞く耳を持たず、都合のよい情報を無理にでも作り出そうとした。熾烈な内部抗争と飛び交う情報の狭間で暗躍する「戦争詐欺師」たち、ひと山当てようとするペテン師や似非ジャーナリストたち。

 戦略家たちは根拠のない情報で大統領演説を塗り固め、一流メディアを踊らせ、米国民・世界を誘導していく。それだけではなく、政府高官自ら「真実」だと思い込んでいた偽情報も多かったのである。

 2003年2月5日の国連安全保障理事会で、パウエル米国務長官は「確かな情報源によって裏付けられている」と演説。だが、イラクの「移動式生物兵器工場」は、1人のペテン師による真っ赤なウソであった。彼の「尋問や分析作業にかかわったあらゆるレベルの関係者の個人的野心、嫉妬心や思いこみ、組織同士の対抗意識や度重なるヒューマン・エラーが、単なるペテン師のウソを、イラク攻撃を正当化する第一級のインテリジェンスの一つに育て上げてしまったのである」。

 結局、開戦派は「戦争したい」という気持ちがまずあったため、諸々の情報や情勢を客観的に認識できず、すべてをその方向に向けて収れんしていったとしか考えられない。しかし、誤ったインテリジェンスに基づく戦争及び戦後処理は大失敗だった。それを認め、方向転換してからは、開戦に反対した国務省とCIAが力を得、それが現在のオバマ政権に引き継がれている。

 イラクの人々や子どもたちは、こんなアメリカ政府内の抗争の犠牲になったのだと思うと、新たな怒りが湧いてくるが、一方、自らの誤りを率直に語る政府高官や入り組んだ複雑な情報を突き止めて公にするジャーナリストが存在するアメリカの健全な精神を見ると、日本政府や日本のジャーナリストの質の悪さ、程度の低さは救いがたい。

 「事実は小説より奇なり」。本書の題名となっている「戦争詐欺師」であり「アメリカを戦争に引き込んだ男」と呼ばれる亡命イラク人、アフマド・チャラビについては、あまりに複雑怪奇なため触れることができなかった。読み物としても第1級の、詳細に調べ、取材して書かれた驚愕すべきイラク戦争の真実をぜひ多くのみなさまに読んでいただきたい。同じ著者の『外注される戦争 民間軍事会社の正体』(草思社)も推薦する。
 
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by lumokurago | 2009-05-16 19:53 | JANJAN記事