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カテゴリ:JANJAN記事( 68 )


特別養護老人ホームで働くということ(3)

特別養護老人ホームで働くということ(3) 「みんな好きなんだと思いますよ、お年寄りが」

 ◆Sホームで働くA・Mさん(25歳)へのインタビューの続き

日本人はもともと冷たい人種だった?!

Q:いっぱい暴言とか吐いてるのに、(石原都知事は)何で人気があるんだろう?
A:人気あるんですか?

Q:人気あるから当選してる。
A:何がいいんですかね。

Q:強いことをボンと言うのがね、人気があるみたいだよ。「女は産む機械」、あれは厚生労働大臣だけど、ババアはもういらないと、産めなくなった女はいらないとか、そういうことを、いっぱい言ってる。障害者のことも「ああいう人というのは人格あるのかね」と言ったの。
A:えーっ、そんなにひどいこと言ったんですか? どういう神経してそんなこと言えるの?

Q:そういうことたくさん平気で言ってて、みんな、そういうのがよくて投票してるらしいよ。
A:何がいいんだろう。

Q:みんな、弱い者いじめじゃないけど、そういう気持ちが実はあるけど、それを石原が代表してやってくれてるみたいな。
A:私の中には「愛ある暴言」ていうのがあって、「ババアはいらない」というのも冗談であって、「そんなことないよ」というノリで返せるとか。そういう間柄でだったらありかなと思うけど。

Q:都知事だもん。
A:最悪じゃない。人間としてどうかって感じですよね。そんな人が都知事になってよくなるわけがない。おっかないですね。

Q:支持しちゃう人がいるというのもね。
A:それがカッコイイんですもんね。どうかしてる。人それぞれ、価値観が違うけど、平気でそういう人を傷つけるようなことを言うなんて。それできっと何万人も傷ついてます、憤慨してますって。
 このあいだ、家の近くでバスに乗ってたんですけど、障害者の方が自動の車いすで走ってきたから、「待って」って言ってもう発車するところを止めて、乗ってもらったんですけど、運転手さんがすごいイライラしていて、止められたからイライラしてるし、車いすだからめんどくさいんじゃないですか。すごい剣幕でその人に「あんた、どこ行くの?」って言って、たぶん失語症か、ろれつが回らない人だったんですけど、そしたら運転手さんは「もっとはっきり言って」って。
 そんな言い方ないと思って、たまたまいたから怒ったんですけど、逆に「あんた誰なの。関係ないんだったらあっち行って」と言われたので、こっちから「あんた、なんて名前?」って聞いて、バス会社にクレームの電話しました。人って冷たいねって思った。
 まわりの人も何も言わず。あきらかにしゃべれないのに、どこに行くのかはっきり言えなんて、あまりにもひどい。そういうことって結構多い。そういうの見ると人って冷たいなあと思う。こういう仕事してるからというわけではなく、人間だからね。

Q:まだ、そんなことあるんだ。えらかったね。電話して。
A:初めて電話しました。そんなことが普通に起こっていて、何も言わずに心を痛めて聞いていた人もいたかもしれないけど。東京だからなのかな?
 私、いつでも実家に帰る時に重いキャリーバッグを持っているんですよ。助けてくれる人って外人さんか若い女の人なんです。男の人は助けてくれないんです。力仕事ってほんとは男じゃないですか。でも男の人に助けてもらったことはないです。

Q:日本人の男、冷たいんだ。
A:わかんないです。いい人もいるだろうけど。

Q:だいたい町中で車いす見ることって日本じゃ少ないよね。外国に行けばもっとたくさん普通に。
A:そうだよね。住みやすいんでしょうね。生活しやすくて、冷たい目、されることもなければ。なんでしょうね、日本人て。もともと冷たい人種だったわけじゃないでしょうね。

Q:人種で差があるわけじゃないよね。
A:ないですよね。日本人は照れ屋ではありますけど、たぶん。

Q:やっぱり教育とかでちゃんとやってないのかね。
A:Ⅰ線(私鉄の名前)て、学生がいっぱい乗ってるじゃないですか。決して助けたりとか譲ったりしませんよね。今、つきあってる人も見た目はこんな感じで世間的にいいイメージを受ける方じゃないんですけど、おばあちゃん子で、席譲るのが普通で、でもそういうことするとまわりの人にすごい嫌な目で見られるって言ってます。今の若い人って、自分も若いんだけど、そういうのないのかなって。若いんだけど、田舎で育ったしおばあちゃん子だったから、生活が年取ってるんでしょうね。きゃぴきゃぴはしてないし。

Q:なんだか悲しいね。そんなの聞いちゃうと。
A:学生の時って、お年寄りには親切にしなさいとか教わるのに、今の子って教わらないのかなとか。小学校とかで教わった覚えがある。目の見えない人がいたら教えてあげなさいとか。

孫の一人としてかわいがってもらえればいいな

Q:Sホームって、若い人たちがみんな、なんか今の若者と違って見える。
A:そうですね。見た目こそ若いのに意外と古風というか。

Q:そうそう、古風。
A:それで理解してくれる人が多いというか。ほっときゃいいのにとか言われることもないし。

Q:そういう人が集まってるね。
A:そういう人じゃないとできないんでしょうね。そういう気持ちがないと。すぐ辞めちゃったりする人だと、普通のバイトと同じ感覚で入るかも。適当にやって楽しようという思いから始まるけど、まずそれじゃ利用者は死ぬからって言って、気の緩みで転んで打ちどころが悪かったら死んじゃうかもしれないよって。
 医者みたいに命を引き延ばすことはできないけど、保つことができるかなと思っていて。少しでもいいところを引き出してレベルが上がったら長生きするかもしれないかなと思う。けど、少しの油断で転ばしちゃったら、転んだことがきっかけで寿命が縮まっちゃうかもしれない。
 バイトで入った時はそんなことは思ってなかったけど、やっていくうちに背負ってるものが重いと思って、背負いきれないかもしれないなと思いながらやっています。
 でも、そういうことを考えちゃうとなかなかやれる人はいない。だからみんな好きなんだと思いますよ、お年寄りが。

Q:そのことはすごく感じる。
A:私は短気だからすぐ怒っちゃうんですよ。でも、みんな笑ってくれる。天使のような微笑みでと思っちゃう。

Q:その時間、一緒に生活してるわけだから、怒ることは自然だよね。
A:変に遠慮はしたくないと。初対面の人にいきなり怒ったりはできないけど、ここが最後の場所で最後の家族なら、孫の一人としてでもいいし、ちょっとかわいがってもらえればそれでいいかなと思います。
 よく言葉使いが悪いと怒られます。でも私が年取って特養に入ったとしたら、ホテルみたいに敬語使われて死んでいくのは悲しいから、仲良くなって、孫みたいな人にお世話してもらいたいなと思うからやっています。

Q:いいと思います。
A:自分は自分の考えでしかないから、本当は相手が何を求めているかはわからないんだけど。いろんなとこでこっそりお菓子もらってたりとか。本当はいけないんだけど。

Q:うちだって、前に来てたヘルパーさん、長ーく来てた人と、いつもお茶飲んでた。
A:ほんとはいけないんですよね。

Q:でもおかしいと思わない? お茶ぐらい出したいと思うし、特にお年寄りはそうしたいでしょ。あまりにもその辺が仕事的になっちゃって、きりきりして人間らしいものを全部切り捨ててる。
A:仕事は仕事で割り切るところは割り切らなきゃいけないけど、介護の仕事は人対人なんだからそれだけじゃ絶対割り切れないですよね。お菓子もらったりすれば、上には怒られますけど、それだけじゃさびしいもん。私は最初からいるんで、もう慣れちゃって「気をつけます」って言ってればそれですむから。でも、その分、給料が上がらないとかあるんですよ。でも、もういいやと思って。敬語使ったりして神経使うよりは、好き勝手にやろうって。

Q:それでいつもにこにこしてるのね。
A:いやあ、いつも結構いっぱいいっぱいなので、プリプリプリプリしちゃうけど、利用者さんも人間だし、私も人間だからいいやって。素直にぶつかったりすれば素直に返してくれて、変に我慢してイライラした時の方が利用者さんを傷つけたりするかなって。イライラしてる時はイライラしてるって言っちゃえば、逆に「大丈夫?」って慰めてくれる。
Q:今日は楽しい話をたくさん聞かせていただいて、ありがとう。
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by lumokurago | 2009-05-06 16:52 | JANJAN記事

特別養護老人ホームで働くということ(2)

特別養護老人ホームで働くということ(2) 「議員さんで現場の意見を聞いて動いてくれる人いるのかな?」


 ◆Sホームで働くA・Mさん(25歳)へのインタビューの続き

子どもを産んでも働き続けられる職場に

Q:それに女性の職場ということが大きいわけだから、子どもを産んでも続けられるようなシステムを作らないとむずかしいよね。
A:そうなんです。一人妊婦さんが出れば、1日のフリーの時間を全部妊婦さんに取られてしまうんですね。そうすると、みんな仕事が間に合わなくて残業するしかなく、残業もサービス残業なんで。
 妊婦を抱えることによって、今のシステムだと本人にも精神的な負担がかかり、他の人も安全に産んでほしいし、その人に対して悪い気持ちがあるわけじゃないのに、自分の仕事がはかどらないわけで、悪循環になって両方の負担が大きくなってしまう。Ⅰさんが子どもを産んでがんばってやっていたんだけど、体制が作れなくて。若い人もいるから、これからもまたあるからと1年間がんばってたんですけど、最後は悔しいねって言って辞めていきました。

Q:子どもを産んで働き続けるシステムができてるところってあるのかな?
A:社員でずっとというとむずかしいですよね。Sホームの社員の条件で全部のシフトができることという条件があるんです。そうなってしまうと夜勤が含まれてしまうし、小さい子抱えて夜勤やって、毎日時間が違うと酷ですよね。

Q:酷ですよ。そんな。無理。
A:バイトだったら可能だったかもしれないけど。今度Mさんが妊娠したんですけど、帰ってくるつもりなんで、そういうシステムづくりができたらいいなと思います。
 自分が妊娠したとして、「悪いな」と思ってしまう環境はいや。今まで見てると妊婦さんみんな、「ほんとにごめんね、ほんとにごめんね」って言ってるんですよ。おめでたくて、祝福されなきゃいけないのに、そんなのなくないですか。だから変えたいですよね。そんなこと気にしないで働いてもらえるところにしたいですよね。これからもっと若い人が入ってくるはずなんで。

Q:じゃなきゃますます、これから妊娠した人が出るたびに人が減っちゃうじゃないですか。どうするんでしょうね。
A:妊娠したら辞める職場になってしまったら、女の人は続かないっていうことだから。それじゃいけないですよね。

Q:そういうところ、国がもっと考えないとね。ただでさえ人が集まらないのに、ますます辞める一方になっちゃう。
A:それで何も手を打たないでいられる神経がわからない。介護報酬、ちょっと上げましたけど、そんなんじゃ何も変わらないと思うんです。例えば1万給料が上がったとしても、それがなんなの。だって平均給料よりだいぶ下じゃないですか。1万ぐらいでつられて来るような人、いないじゃないですか、普通に考えて。今の段階でこうなのに、先はどうなっちゃうのか。考えるのがいやです。特養って新卒とかでもあんまり来ないらしいです。大変だから入りたくないみたいです。

Q:どういうところに行っちゃうの?
A:介護度の低いところですね。ユニットとかグループホームとか。特養は利用者に対する職員の割合がたぶん一番低いんじゃないですかね。グループホームなんかは自立してるお年寄りが多いし、人員的にも余裕があるみたい。

Q:え! でも特養が一番大変なんじゃないの。それに入所者が年取るとどんどん重くなって。
A:そうです。入所した時より、重くなって、この先どんどん重くなっていくというところで。でも職員の人数的に言うと一番少ないと思う。私はもう慣れちゃったんで、最初からここだし、感じないんですけど、他から来た人は「大変」って言います。

Q:昔だったら職場に組合があって、みんなで話し合って、上に人員要求していこうっていうのがあったけど、今はないでしょ。
A:ないです。

Q:だから現場の要求を上に上げる道がないよね。
A:たぶん単純に今目の前にある仕事でいっぱいいっぱいですから、働いている側もそこまで声を上げるだけの体力が残っていないんでしょうね。慣れてる人はある程度仕事を終わらせることが可能だけど、慣れてない人になるともういっぱいいっぱいだし。逆にその分、私たちがフォローしていかなきゃいけないので、毎日の仕事でいっぱいいっぱい。それ以外のことを考えたり話し合ったりする余裕がないです。
 言いたいことは山ほどあるけど、お金とか人員のことを話すよりは利用者さんのことを話すだけで。でも、たぶんどこもそうなんじゃないかなあ。パンク状態というか。でもみんなやさしいから自分のことよりも、それはもちろん利用者さんのためになることではあるんだけど、目の前にいる利用者さんが大事って(そっちを)とっちゃったりするんですよね。

議員は「1回自分でやってみ」

Q:そういう声を政府に届けて、変えてもらわないと、先がないよね。政府のえらい人たちはお金持ってて、自分でなんとかするからいいと思ってるだろうけど。
A:なんでもそうなんだけど、「1回自分でやってみ」って思っちゃうんですよ。やってみればわかるよ。タライ回しとかにされてみればいいのに。

Q:どっかで読んだんだけど、大臣とか議員になる人は介護の現場とかで1年とか働いてからなれって。
A:そうだよね。ほんとですよ。そしたらものすごい理想的な何かができるかも。自分たちがその経験をしなければ真剣に考えようとしないですよ。私はお金持ってて、後々介護の世話にならずにすむ人が、真剣に考えてくれるはずないじゃんて思いますよね。

Q:学校も同じだよ。お金持ってる人は「うちは私立に入れますから関係ないです」って、それで終わり。
A:そういう人が考えるわけないね。いざ、自分にふりかかってみないと。人間て、そういうところもありますけど、でも議員なんだから、国民からお金もらってるわけだから、仕事として果たす義務は絶対ある。

Q:当然ですよ。それが利権とかなんとかそういうもので
A:自分たちに都合のいいことばっかり。もらってもらって、やってくんない。

Q:そんな人たちばっかり。
A:議員さんとかで、いい人いるのかな? 見えないじゃないですか。選挙活動とかテレビで見たりしても、なかなかすべてを透明に見るというのはむずかしいから。この人何してくれるんだろうとか。
 私、選挙は行かないんですよ。その人がいい人かどうかわからないから。もし、会って、目の前で何回も会って、すごくいい人だと思ったら入れるかもしれないけど、実際のところ会ったことないし、わからないから責任持てませんということで選挙は行かないんですけど、実際どうなんだろう。現場の意見を聞いて動いてくれる人がいるのかな?

Q:自分はこういうことをやってるんですということを、もっと議員は知らせなくちゃいけないね。
A:そうですよね。ここに力入れてますとか。やっぱり仕事上、介護に力入れてる人とかをチェックするじゃないですか。でもまだ、甘いと思って。

Q:でもぜひ、ちょっとはましな方に、全然よくはなくても、ましな方に入れてほしいな。だって悪いのが当選するよりいいじゃない。
A:そうですね。せめて、せめてましな人に。私は人が関係することって苦手で、この1票でどうにかなるわけじゃないと思うけど、万が一すごく極悪人を当選させたらどうしようと。臆病なのかわかりませんけど、極端な話、自分で何か影響しちゃうのがいやなんです。年寄りって長年生きていて、性格もあるし、もういやだったらいやだしこの人、ってとこあるけど、子どもって違うじゃないですか。何色にでも変えられるという。もしかしたら私の言った一言ですごい傷ついて一生背負うかもしれないということがこわくて、苦手。自分の何かで人が変わってしまったり、動いてしまうことが苦手です。ひっそり生きます。

Q:昨日、テレビで若い人が投票に行くようにっていうのを、学生が携帯のivote(アイ・ヴォート)っていうサイトを作って、それに登録したら、「今日は投票日です、行ってください」っていうメールが送られるっていうのをやってた。そのサイトを作った人たちは、若者がもっと政治に参加しないと、若い人の声が届かないという考えで、年寄りばっかり投票に行ってると、老人問題とか年金問題とかそういうことを政治家はまあそれなりに、全然無視もできなくてやろうとしてるけど、若者の問題とは全然違うっていうわけ。だから自分たちも投票しましょうという意味で。それに登録すれば忘れているころにメールが来るという。
A:せかされちゃうわけですね。でもなんか、私の中でも行くんだったらちゃんと情報を仕入れて、やんなきゃなと思っていて。なかなか時間がないからやらないんですけど、1回位、行かなきゃとは思っています。

(つづく)
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by lumokurago | 2009-05-05 16:57 | JANJAN記事

特別養護老人ホームで働くということ(1)

特別養護老人ホームで働くということ(1)
「最後の場所だから、どう楽しんでもらうかを真剣に考えてる」


 父がお世話になった特養の若い職員にインタビューした記事です。若い人ががんばっている様子がわかります。

*****

 筆者はこれまでJANJANに、自分の行っている本人訴訟裁判や一般紙には報道されない講演会の記事を書いてきましたが、どこにも報道されることのない普通に働いて生活している人たちの生の声を聞き、届けることが大切なのではないかと考え、インタビュー記事を書くことにしました。

 今回は亡父が4年間お世話になっていた特別養護老人ホーム(以下、Sホームという)で働くA・Mさん(25歳)のお話です。2時間以上楽しく笑いながら話しました。

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A・Mさん(撮影筆者)

大変な仕事だけどどうしてやってるの?

Q:今日はよろしくお願いします。まず、どんな学校に行っていたのですか?
A:中学を卒業して上京し、高校から一人暮らししていました。音楽の学校と通信制の学校に通って高校卒業資格を取りました。卒業してすぐ、19歳でSホームに勤め始めました。

Q:なんでこの仕事に?
A:おばあちゃんが亡くなった時に、両親は働いていて妹は高校生だったので、実家に返って来ないかと言われて、1か月か2か月位帰って、一緒にトイレ行ったり、ご飯を買って来たりしたんです。もともと医療とか福祉の仕事に興味があったので、それがきっかけでやってみようかなと思いました。

Q:仕事してみて最初はどう感じましたか?
A:最初はいやでした。いやというか大変でした。楽しく話していればいいと思ってましたが、思い描いているものとは違って、実際は排せつ介助があったり身体介助があったり、体力も使うし、最初は大変でした。

Q:ほんとにみなさんよくやってると思って感心しています。もう丸6年ですよね。今までずっと続いてるというのはなぜ?
A:なんだかんだ言っても楽しいですよね。実家が田舎なんで、おばあちゃん子だったこともあるけど、家に年寄りが集まって来たりしていたので、近くにいて当たり前だったし、好きなんですよね。落ち着きます。環境が大きいですね。

Q:一緒に働いている人にもおじいちゃん、おばあちゃんと暮らしていた人が多いんですか?
A:どうでしょうね。全くそうではなくて入ってきた人も半分位はいるんじゃないかと思います。

Q:身体介助とか、お食事の介助はやればできるけど、気持がむずかしいんじゃないかと思うけど。
A:そうなんです。精神的にね。たとえば、忘れてしまうとか混乱してしまうとか。それに特養ってほとんどの場合、最後の場所になるわけで、ご家族もそれを覚悟していらっしゃる。だから、仕事していく上で、どう楽しんでもらうかを真剣に考えます。

お給料は安いけど・・・特に男性はどうしてこの仕事やってるの?

Q:ところで、お給料のこととか聞いていいですか?
A:いいですよ。今、手取りで交通費とかも全部含めて20万位です。月に20日勤めて、7日位夜勤があります。私は夜勤が多いので、夜勤手当1回5000円があってその額です。年齢給があって、私が一番若いし、大学も出ていないので、勤めている期間は開設以来で一番長いけど、たぶん給料は一番安いんじゃないかと思います。家賃は6万7千円で光熱費は2万位かかっています。

Q:暮らしはどうですか?
A:余裕はないですね。職員になるとボーナスがあるのでだいぶ助かってますが。

Q:アルバイトの時の給料は?
A:3年間アルバイトだったんですけど、常勤になりたいと上に伝えていたので、上の人もその気持ちを汲んでくれて、なかなか空きがなかったんですが、いろいろ仕事を分けてくれました。時給がよかったのでほとんど今と同じくらいもらっていました。

Q:アルバイトの方はどの位いるんですか?
A:全員で30人ちょっとの中、10人ちょっとですが、週2とか時間が短い人もいます。

Q:Yさん(男性)、まだいるの? 男の人で家庭持って、この仕事してるって、すごい珍しいというか。
A:もう一人ね、Sさんという人が30代だと思いますが、子どもも2人います。男の人で子どもがいて、ここで働くってどうしてなんだろうって思いますよね。

Q:よっぽど他の仕事がいやで、
A:Yさんは本当にお年寄りが好きですね。

Q:いつもすごく穏やかで、やさしくて、あの人の奥さんと子どもは幸せだろうと思う。
A:そう思いますよ。私も。

Q:他の若い男性もすごいやさしいじゃない。こういう人の妻になればみんな幸せなんじゃないかと思うよ。
A:みんな穏やかですよね。

Q:男性がお年寄りのお世話を本当によくやっているから、感心しちゃう。
A:何が楽しいんだろうと思うけど、意外と楽しそうにしてますよ。私は女だから違和感はないけど。

Q:やっぱり性格がやさしいのかなと思う。普通の会社に入って競争とかあって、売上を気にしたり、そういうのが向いてないからやってんのかなとか。(笑)今度男の人にインタビューしたいな。誰かいない?
A:私が気になってるのは子どものいるSさんと、新しく入ってきたエンジニアだったという人。なんで介護なんかやってるのか、不思議だけど、まだ仲良くないから聞けない。「長くやっていくつもりあるんですか?」って聞いたら「一応」って言ってたけど。(笑)

Q:最近、派遣切りとかで介護の仕事はどうかっていうのを聞くけど、機械相手だった人が急に人間相手になってどうなんでしょう?
A:業種が全然違うからね。私は逆にああいう機械とか流れ作業とかは向いてないです。OLとかも向いてないです。でも、派遣切りで介護の業界に来てどうかなって思っちゃいます。きついですよね。全然違うところに来て。
Q:もともと向いてる人ならいいけど、なかなかね。

職場の働きやすさは?

A:Sホームは働いている人も厳しい人とかいないし、人間関係も悪くなくて、真剣に話す時は真剣に聞いてくれるし、向き合ってくれるので環境はいいと思います。

Q:見た感じがすごい雰囲気がいいもん。
A:他から来た人はそう言います。

Q:介護保険がどう変わったとか、職場で話すことはあります?
A:そういうのはたぶん上の方とか事務所の方で話しているかもしれないけど、具体的な話が現場に来ることはなかったです。

Q:自分たちの声を上に聞いてもらいたいことはない?
A:現状を見てみなさいよ、と思うけど、何も中身を見ないうちにいろんなことをぱっと決めてお金で解決して・・・。でも、実際どこで聞いてもらえるんですかね。

Q:聞いてもらうところもないんだよね。
A:ないですよね。うちの施設は、どこの施設でもそうなのかもしれないけど、いろんなことを決めるのにあまり現場に話してこない。事後報告で「え、決まっちゃったの?」って。極端にひどいことは今のところないですけど、やっぱり現状をちょっと見に来ればいいのに、とは思います。

Q:上に聞いてほしいことはある?
A:今、人が来ないじゃないですか。社会的に問題にもなってるけど、特に若い人が来ない。普通に考えて、年寄りは増えるけど、若い人は減っているわけだから、今のうちに、今でも足りないんだから、すぐにでも対応していかないと。例えば、介護の学校に行ったらお金がすごい安くなるとか。資格取ったらどうとか、もうちょっとしてくれて人員が確保できたらいいと思います。

Q:それが一番切実なんだね。何人ぐらい足りないの?
A:今はぎりぎりで何とか回している位です。バイトの人は本人の都合があるんで無理に出すわけにはいかない分、犠牲になるのは正社員。今、1日に一人はフリーの人を作りたいんですけど。フリーというのは、何も仕事がなくて、ちょっとしたフォローをするオールマイティの人。一人増やすだけで全部うまく回りますよね。でも、それがなかなかできない。

Q:今、ほらインドネシアとかフィリピンの、
A:2年位前にフィリピンの人が来たけど、すぐに辞めちゃった。きつかったのかなあ。真剣にやってくれるんだったら何人でもいいと思う。仕事がほしい人がいるんだったら、来てほしいです。とにかく人が来てほしい。

Q:それはやっぱり国として制度をちゃんとしないと、人はなかなか集まらない。今、集まらないということは、
A:そう、今、不況ですよ。不況でこれだけ人が集まらないってことは、これから上がっていくことってなかなかないですよね。早く手を打たないと。単純にお金の問題だけじゃない。

(つづく)
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by lumokurago | 2009-05-04 17:08 | JANJAN記事

「格差と貧困」テーマに暉峻淑子さんが講演

「格差と貧困」テーマに暉峻淑子さんが講演

 3月10日、東都生協社会委員会主催で暉峻淑子(てるおかいつこ)さん(埼玉大学名誉教授)の講演会が開かれました。暉峻さんは経済学者で『豊さとは何か』(岩波新書)『豊かさへ もうひとつの道』(かもがわ出版)など多数の著書があります。演題は「格差と貧困と社会不安」です。お話を要約して報告します。

人間はそんなに違わない

 小泉元首相は格差社会を「何が悪い」と開き直っていますが、私は格差社会はよくないと思っています。ホームレスは自己責任で本人が悪いのだ、という考えを知らず知らずに持っている人が多いと思います。お気の毒とは思うが、自分とは関係ない、彼らは特別だと思う、心にしみこんだ差別観があります。自分は勉強もしたし、きちんと就職もしたと優越感を持ち、「差別される側」ではないと思っています。

 北朝鮮では金正日は独裁者ですが、社会が少し変われば日本だってそうなります。実際に戦争中には毎日学校で宮城拝礼を行い、天皇の写真に最敬礼してから教室に入っていました。鬼畜米英と教えられ、米英は同じ人間ではない、とさんざん植えつけられました。拉致をして、どうしようもない国であっても、人間としては同じです。洗脳されて人間らしさを失っていますが、体制が変われば変わるのが人間です。敗戦後、先生たちは何もかも掌を返したように変わりました。原爆投下後の広島でも、少ししたら悲惨さに慣れてしまったし、アブグレイブ刑務所での拷問にしても、あの場に入ってしまえば「異常」とは思わないのです。戦争中、虐殺を行った兵士も家に帰れば普通のお父さん、おじさんです。北朝鮮もイラクもホームレスも、人間はそんなに違わないのです。

 イラク戦争でブッシュ元大統領がフセインは特別に悪い奴だと言うと、みんなそう思ってしまいます。アメリカ人の8割以上がイラク戦争に賛成しました。しかし、ジャーナリストのヘレン・トーマスさんは「なぜブッシュ大統領は罪のないイラクの人々に爆弾を落としたいのですか?」と質問しました。ペロシ下院議員も罪なき人々を殺すことになる、と反対しました。

 イラクの子どもは殺していいとするのは差別です。差別を容認するから戦争になるのです。北朝鮮がミサイルを発射するからやっつけていいとするのも差別です。もちろんミサイル発射は悪いことですが、四方八方から非難されたら「窮鼠猫を噛む」の状態になります。武力には武力で返ってくるので、やっつけるのではなくパイプを作っていくことが大事だと思います。飢えている国民が自分で気づき、中から変えていくことがなければ、変えられないと思います。自分の心の中に差別意識があるのではないか?と考えてみることが大事です。

 中世のヨーロッパでは、ペストの大流行が何度も起きましたが、ペストは金持ちも襲ったので、「私はそうならない」というのは間違いで、他人の不幸は自分の不幸と分かり、みんなが伝染病から解放されなければ、自分も危ないと気づきました。

 『火垂るの墓』(野坂昭如著)に、妹がビー玉をしゃぶっているのを見て、兄が飴玉を盗む場面があります。生きるためには、人は何でもやるのであって、そういう境遇になっていないからやっていないだけのことなのです。

 私はコソボ支援で、アルバニア人とセルビア人の子どもを日本に呼び、合宿を行っています。子どもたちは音楽やスポーツなどを通じて交流し、相手のことを「なんだ、当たり前の普通の人間か」と理解し、差別意識から解放されていきます。また、日本を知って、自分の国とは違うやり方の国があり、自分の国のやり方が絶対ではないということを知ります。

 成人式で「立派な社会人になります」とか言いますが、「社会人」とは何でしょう? ドイツは4分の1が移民で、スウェーデンではもっと多くいます。移民の社会と移民でない社会が分かれています。しかし、ドイツ人として統一しようとしています。ドイツに行った時、排除されている人を社会の中に包含するのが社会人だと言われました。日本人に「社会人とは何か?」と聞くとよく「自分で食べていくこと」と言いますね。ドイツとは全然違います。

格差と分裂

 月収40万の人と月収8万の人が同じ考えを持つということはあり得ません。戦争が起これば特需が起こり、兵士として雇われる、日本は敗戦で改革されたから、もう1回負ければまともになる、だから戦争は希望だと言った人がいます。これは本気ではなく、センセーショナルに言っているのだと思いますが、平穏な暮らしをしている人は「とんでもない」と言う。9条改憲反対運動をやっている人は平穏な暮らしをしています。戦争は希望だ、という言い方は生活の中から出てきた叫びだから、説得がむずかしいし、双方が合意に達することはないでしょう。同じく、年金を払ってきた人は制度を維持したいと言いますが、掛け金を払うどころではない人は、くそくらえと思っています。国論が分かれ、みんなにとって不幸な形で出てきます。

 格差社会とは、社会が病んでいるということです。生活保護家庭の6~7割は親も生活保護を受けていました。子どもは塾にも行けず、教育を受けられず、健康上も栄養もよくなかったので、社会に入れずということで、それを繰り返しています。「ニート」の子は生活保護家庭に非常に多いのです。みんな、めちゃくちゃに競争して上にあがろうとしますが、彼らはついていけず、親にも言えず、絶望しています。そしてまた、生活保護を受けることになります。少子化の大もとは、結婚して子どもを産むだけの給与がないことであり、格差社会は再生産されていくのです。

 外国に行くと、物乞いの人がたくさんいます。日本ではまだプライドがあって、物乞いする人はおらず、一人寂しく死んでしまいます。「自己責任」という意識が、差別される側にもまだあるのです。ホームレスは努力してこないからこうなったのだ、と思うようになれば、ホームレスを自分とは違う人として見るようになります。差別を受けた側は戦争でも犯罪でもいい。ここから這い上がりたいと思うのです。一番悪いのは、同じ人間だと思わない考え方なのです。

 人間社会の維持のためには、コミュニケーション能力が一番大切なのに、あらゆるところでコミュニケーション能力がないと嘆いています。口で言うのはわずらわしく、隣の人とメールで話している状況です。これでは人と人とが通じ合う、助けあうということができません。

 学校教育は競争ばかりで、いまさら嘆いても仕方ないけれど、衰退する一方です。三浦朱門さんの「できんものはできんままでけっこう」という言葉が象徴するように、財界がそれを要求しているからです。塾やエリート校に通えるのは、収入の多い家庭の子どもだけ。でも、人間相手の事柄は数値化できないのです。子どもは数値化すればするほど、格差が出てきます。これは子どもにとって不幸な教育で、子どもの人権を考えていません。

 コミュニケーション能力は、点数で競い合うところから離れたところで養われるものです。先進国では、生徒を学校から早く返していますが、日本の子どもは遅くまで学校にいさせられ、本当の能力は落ちるばかりです。日本では「もし~があれば」という例文を作らせると画一的な文章しか出てきませんが、インドではアッと思うものが出てきます。インドのIT産業の秘密は、多様性を維持していることが強みとなっていると思います。日本はこのままでは創造的な能力が求められる産業から脱落していきます。

国民の責任

 ドイツでは失業保険が二つあって、まず、あの手この手で基本的生活ができるように国が保障しています。その期間が切れても仕事がない人には職業訓練があり、仕事を国が世話しなければなりません。日本では、企業は「ハケン」には掛けるのが当たり前の保険も、掛けていません。ワークシェアリングと言っていますが、株主、企業側もそこに入らなければおかしいのです。雇っている側と雇われている側でシェアすべきです。その分配率が変わったから、この状態になってきたのです。

 すべては政治の問題です。わざわざ格差を広げる税制へと変えてきているのです。国民は政治家を見極める力もないし、だいたい選挙にも行きません。「自分が選挙に行ってもどうせ変わらない」という人に「あなたは何をしたの?」と聞いてみたい。福祉社会を維持するためには、国民にもそれなりの責任があるのです。たくさんの人がひどい目に遭っているということは、国民の力が足りないということです。一人一人がしっかりしなければ社会は変わりません。
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by lumokurago | 2009-03-20 12:26 | JANJAN記事

イラク帰還米兵が残虐行為で勇気ある証言『冬の兵士』を見た

イラク帰還米兵が残虐行為で勇気ある証言『冬の兵士』を見た

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 イラク帰還兵の証言によってイラク戦争の真実を告発したドキュメンタリー作品『冬の兵士 良心の告発』が完成しました。2月24日、「今とこれからを考える一滴の会」主催で、東京世田谷で上映会がありました。

 帰還兵アダム・コケシュさん 製作者の田保寿一さんはテレビ朝日「ザ・スクープ」のスタッフとして90年、湾岸戦争終結直後のクウェートを取材。当時、水鳥が油まみれになって死んだ映像が流され、米軍はイラク軍が原油を流したと主張しましたが、現地に行ってみたら米軍の空爆によってクエートの石油精製施設が破壊され、原油が流出したものであったことがわかり、それを報道したジャーナリストです。

 2003年10月からイラクで取材、米兵がイラク市民を無差別に虐殺しているところを目撃し、イラク戦争についてアメリカのプロパガンダによって誤った報道がなされているとテレビ朝日に申し出たところ、「田保さんは反米だから取材にバイアスがかかっている」と言われ、クビになったそうです。その後はフリージャーナリストとしてイラクで精力的に取材を続け、客観的なことを知るために米兵にインタビューしようと考え、2006年からイラク帰還兵たちと連絡を取り始めました。

 『冬の兵士(Winter Soldier)』とは、1971年ベトナム戦争時に当時の帰還兵たちが開いた公聴会の名前で、帰還兵たちはそこでベトナムで残虐な殺戮が行われていると証言、軍の撤退を要求しました。それにならい、反戦イラク帰還兵の会が、2008年3月13日から16日まで、ワシントンDC近郊の全米労働大学で集会を開き、約50人の帰還兵がイラク戦争での体験を証言しました。反戦イラク帰還兵の会は、イラクからの軍の無条件即時撤退、帰還兵の福祉の実現、イラクへの賠償を要求しています。日米マスコミが全く取材しなかったこの証言集会を、田保さんは録画し、全米各地に訪ねて得た証言と共に、この作品を作りました。

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イラクのがんの子どもたちや家族が作った手作りカレンダー

交戦モラルの崩壊

 イラクで米兵は、「交戦規定カード」を持たされるそうです。このカードにはジュネーブ条約などに基づき、戦争で攻撃できるのは「法的に敵の軍隊」だけであり、非戦闘員の市民や投降者を攻撃してはいけないと書かれています。ところが、この規定は下着を替えるように頻繁に代わり、携帯電話を持つ者、双眼鏡を持つ者、減速しない車は攻撃対象となり、最後には誰でもよくなったと証言しています。さらに擬装用のツールを持ち歩き、殺した民間人の上にシャベルなどを置いたそうです。シャベルは武器とみなされたからです。
帰還兵たちは自分が老婦人や子ども、家族を皆殺しにしたことを告白し、謝罪し、アメリカ政府の政策が間違っていると訴えました。

ファルージャの真実

 ファルージャで何があったのか、ここでも交戦規定が、証言者によれば「振り向くたびに変えられ」、白旗を持つ住民は罠、逃げる住民は何かを画策しているものとみなし、さらにイスラムの服装をしている者は撃ってよい、路上にいる者は撃ってよいとされ、最終的には敵対しているかどうかは一兵士の判断でよい、家を捜索する時不安を感じたら銃撃してよいと、無差別殺戮に走ったそうです。帰還兵の口からは実際に戦地にいなければ想像もできない残虐な行為が行なわれたことが語られ、戦争というもののおそろしさを思い知らされました。ごく普通の少年が軍隊で訓練を受け、戦地に行き、命令されれば誰でもこんなふうになってしまうのです。

PTSDにうちのめされる帰還兵

 帰還兵たちは非人間的な戦争での非人間的な体験から、ひどい怒りの発作に悩まされたり、銃撃する夢を見たり、うつ病、自殺未遂などのPTSDに悩まされています。妻と離婚し、家を失い、ホームレスになる帰還兵が多くいます。この問題は昨年秋に公開された『アメリカばんざい』という映画でも扱っています。帰還兵たちは戦争というものがいかに人間を変えてしまうのか、自分たちの体験をもって訴えています。

 最後に証言した帰還兵は「私にはメッセージがある。それは世界中の人が理解できるものだ。それは平和である」と言って、聴衆にピースサインを贈っていました。聴衆は満場の拍手を持って、勇気ある帰還兵たちを称えていました。

 映画の後、田保さんとの質疑応答が行われました。

 Q:「ウィンターソルジャー」の名前には「イラクとアフガニスタン」とあるが、アフガンに対する考え方はどうなのか?
 A:アフガンに対する考え方には落差がある。イラクに対しては兵士の70%が撤退すべきとしているが、アフガンに対してはそういう明確なものがない。アフガンはいいんじゃないかという意見とアフガンも間違いだという意見に分裂していると聞いている。9.11の報復としてイラクには根拠がないとはっきりしたが、アフガンに対してはオサマ・ビン・ラディンも捕まっていないので決着がついていないという考えがあるのではないか。

 Q:米軍当局の反応は?
 A:自分はジャーナリストなので、この証言が真実かどうかが一番大事だが、米軍当局は嘘だとは言っていない。ジャーナリストが嘘だと言い、マスコミ主導で運動をつぶしていく。証言したアダム・コケシュは軍服を着てデモをし、これは軍律違反なので、名誉外除隊となり数万ドルの恩恵を失った。経済面でしめつけている。この証言集会をマスコミは無視した。ワシントンポストだけ地方欄に載せたが、アメリカでも知っている人はそれほど多くない。

筆者の感想

 帰還兵の1人は、テロリストは市民の敵だといわれるが、米軍も市民を殺すので、テロリストと米軍の違いがわからないと発言していました。筆者もかねがねそう思っていましたが、米軍の兵士がこう言っていることで、米軍の罪は消えないが、少し救われた思いがしました。

 米軍がイラクに対して行った侵略・占領行為は国際軍事法廷で裁かれるべきものですが、米軍の兵士1人ひとりを考えると、彼らも一方では犠牲者であり、自国の若者に対してこんな残酷な扱いをして平気なアメリカ政府には怒りの気持ちでいっぱいです。

 本当ならば忘れてしまいたいであろう自分の残虐行為を、勇気を持って証言し、平和のために行動する若者たちはすばらしいと思います。今はアフガンに対しては意見が分かれているようですが、戦争というものの本質を知った彼らには、アフガンでの戦争も同じことの繰り返しになることを悟り、反対することを期待します。

 ぜひ多くの方々にこの作品を見ていただきたいと思います。そして、いつの日か世界中から戦争をなくすために、自分のできることを細々とであってもやり続けていきましょう。

 次のサイトに上映会の予定が載っています。DVDも購入できます。
 ・http://wintersoldier.web.fc2.com/index.html
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by lumokurago | 2009-02-28 16:00 | JANJAN記事

大田昌秀・元沖縄県知事が自ら調べた沖縄戦の証言を聞く

先日ここに掲載した、大田昌秀元沖縄県知事がアメリカ公文書館に通って調べた資料をもとにした講演の記事は、大田さんが加筆してくださって、JANJANに掲載されました。とても充実した内容になりましたので、もう一度お読みくださるようお願いします。これをきっかけに沖縄のことを少しでも多くの人にわかってほしいとおっしゃっています。
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大田昌秀・元沖縄県知事が自ら調べた沖縄戦の証言を聞く

 東京・杉並で「〈戦争体験者100人の声〉の会」が昨年夏、元・沖縄県知事の大田昌秀さんの証言を聞く会を開きました。大田さんは学生時代に高円寺と阿佐谷に住んだことがあり、杉並が大変懐かしいとおっしゃっていました。あれから半年が経ってしまいましたが、大田さんにしか聞けない貴重なお話なので、以下、報告します。内容を大田さんに確認したところ、加筆してくださいました。

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 出席者の質問に答える大田昌秀氏《アメリカ公文書館に通い続けて》

 沖縄戦というものは、調べれば調べるほど難しくなってくるものです。沖縄戦の全容を把握するためには、沖縄の住民の証言だけでなく、米軍や旧日本軍などの記録を丹念に集め、バランスよく分析した上で総合的に見ていかなければならないと考えています。そういう考えから、私は20年近くもアメリカのワシントンにある国立公文書館に通い、米軍の資料や戦前の日本軍の資料を集めてきました。この5月も、大江・岩波裁判のために何か良い資料がないかと、調査をしてきました。

 その際、まず、沖縄戦の時、座間味村の慶留間島という人口100名そこそこの島で、53名の住民が「集団自決(強制的集団死)」した件に関連して、捕虜にした住民の話を記録した米軍の資料が見つかりました。そこには、島にいた日本軍の一将校が、住民に「集団自決」を、つまり家族や身近な者同士が互いに殺し合うことを、「order」ではなく「persuade」した、と書いてありました。

 一般的に「命令」は英語で「order」と言いますが、「persuade」は「説得」ですから、「命令」より強制力が弱いように思えます。しかし、家族を殺せと「命令」されても聞かない人もいるでしょうが、米軍が上陸したら女性は犯された上に素っ裸にされ、戦車の前にくくりつけられるとか、さんざんそういうことを言って脅かされ、殺せと「説得」されたわけですから、そういうことを聞かされる住民としては、「persuade」の方がもっと強く感じられたのではないでしょうか。

 また、沖縄では毎年6月23日に慰霊祭を行っています。6月23日というのは沖縄守備軍の牛島満司令官と長勇参謀長が自決した日、つまり旧日本軍の組織的な抵抗が終わった日ということですが、その日付に私は疑問を持っています。アメリカの公文書館で沖縄戦の写真をたくさん見ていますが、そこに写っている牛島・長の墓標に「6月22日」と書かれているからです。そして、今回、2人の死亡期日を調べたところ、6月16日に自決したというもの、21日というもの、22日というもの、23日というものの、計4種類の記録が出てきました。

 そして、量的には22日とする説が圧倒的に多いのです。ちなみに牛島家では、6月22日を命日にしているとのことです。また、沖縄県の慰霊祭も、1960年代初期までは6月22日に行われていました。ですから、私は6月23日ではなく、22日が正しいのではないかと考えています。

 なお、牛島司令官と長参謀長の自決のようすについても、多くの日本の新聞や単行本では、「武士道にのっとって見事に切腹した」と書いてあります。しかも剣道5段の坂口副官が介錯し、両者の首を持って逃げようとした時に米軍の攻撃を受け、首もろとも吹っ飛んだ、ということになっています。しかし、私が入手した両首脳の最後の場面の写真を見ますと、首もちゃんとついていますし、腹を切った形跡もありません。一方で、事前に青酸カリを注射したという記録が見付かっているのです。

《若泉敬とキッシンジャーとの核密約》

 話は飛びますが、沖縄が復帰する前に京都産業大学の若泉敬教授が、佐藤栄作総理の密使として、「吉田」という偽名を使って当時のキッシンジャー米国務長官と核密約を結んだことが明らかになっています。どういう密約かと言いますと、日本には非核3原則がありますが、返還後も沖縄にはいつでも核兵器を持ちこめるようにする、というものです。

 若泉敬さんは、1994年に『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』という本を書いていますが、その中で、沖縄を早く復帰させるためには米側の核兵器の持ち込み要求を飲み込むしかない。これを容認することで復帰を早められるなら、沖縄県民にとってもその方がいいだろう、と考えたからだ、と述懐しています。そのような内容の本を、死ぬ前に書いたのです。

 そして、同教授は、沖縄県民と当時知事をしていた私宛に、遺書を遺していました。それが一昨年、公開されたのですが、そこには、核兵器を持ち込んででも沖縄復帰を早めた方がいい、ということで、あの時は密約を交わしたが、その後、政府は基地問題にまじめに取り組まず、依然として沖縄は苦しんでいる。県民に対し、大変、申し訳ないことをした、と自責の念にかられ、結果責任を取り、武士道にのっとって摩文仁の国立墓苑前で自裁する、ということが書いてありました。

 結局、自決はせず、病気で亡くなりましたが、若泉教授は亡くなる前の数年間、身分を隠し、毎年6月にはひそかに沖縄を訪れて、慰霊碑に手を合わせていたとのことです。一方、密約を指示した佐藤総理は「ノーベル平和賞」を貰ったのですからね。皮肉なもんですよ。

《鉄血勤皇隊》

 さて、「集団自決(強制集団死)」に関する議論では、「軍の命令がなかった」ということが問題になっています。しかし、私が10代の時、「鉄血勤皇隊」といういかめしい名称の学徒隊が結成され、私もその中の「千早隊」という情報宣伝隊に配属されました。そして、1丁の銃と120発の銃弾、2個の手りゅう弾を持って戦場に出されました。

 当時、首里城の地下に沖縄守備軍司令部があったのですが、私たちはそこの情報部からニュースを受け取って、各地の壕に潜んでいる住民や将兵に伝える任務を負っていたのです。私のクラスメートは125名いましたが、生き残ったのは40名足らずでした。戦争から生き残った者も、体の中には砲弾の破片が入っている者もいて、戦後、次々と死んでいき、今ではほとんど残っていません。

 ともあれ、自由主義史観研究会や「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちが書いたものを読むと、軍隊が民間人に対して直接、命令を下すことは絶対にありえない、と書かれています。しかし、そんなことはありません。たとえば、私たちは「鉄血勤皇隊」に動員された時、半袖半ズボンの服に軍帽を被せられ、巻き脚絆もなく、戦場に出されたのですが、そのときは一片の命令文もありません。守備軍司令部から派遣された駒場という一将校の、口頭による命令で戦場に駆り出されたのです。

 また、各戦闘部隊には日々の情勢や命令などを記録する「陣中日誌」というものがありますが、例外の場合は別として、それには「命令の下達は、口頭をもってすべし」、やむを得ない時には文書によってなせ、と書かれているのが少なくないのです。命令は口頭で下達する、というのが通常のやり方でした。そのため、私は、文書による命令があったかどうかということは、それほど大事とは思っていません。

 しかし、大江・岩波裁判が起こり、去る5月にアメリカに調査に行った時、私が所属した「千早隊」の隊長であった益永薫大尉に、牛島司令官が直接、訓令した墨書の命令文書が見つかりました。牛島司令官のお孫さんが署名を確かめ、サインの仕方から見て、直筆に間違いないと確認してくれました。

 ところで、この裁判で問題になっている慶良間諸島における住民の「集団自決(強制的集団死)」に関連して、沖縄守備軍から、米軍が上陸した時は大事な文書は焼き払えという命令が出され、焼き払ったという記録があります。今後、「集団自決」の命令文も、出てこないとは限りません。私は知事になってすぐにアメリカの公文書館に人を送り、9年にわたって沖縄戦関連の資料を集めさせ、それを県立公文書館に送らせました。そこには現在、多くの貴重な資料が収蔵されているからです。さらなる調査が必要です。

《なぜ沖縄だけが日本から切り離されたのか》

 話は変わりますが、皆さんは沖縄が日本から切り離され、米軍政下に置かれた理由について、「沖縄戦で負けたからだ」とお考えの方が多いと思います。本土の国際政治学者などが書いた論文や本などにも、敗戦の結果、沖縄が日本から分離されたと書いてあります。

 しかし、アメリカの国防総省や国務省などの公開された機密文書を調べてみますと、それは事実と違います。米軍が沖縄を日本から切り離すことを考えたのは、1941年に太平洋戦争が始まって半年もたたないうちのことです。ちなみに、1943年の「カイロ宣言」には、日本が「暴力及び貪欲によって略取したすべての地域」から、日本の主権は排除される、という趣旨のことが書かれています。

 もっとも、日本側には、沖縄は暴力で取った地域ではない、と言っている人が多いのですが、米・英・中などの政府高官や研究者は、そうは思っていません。明治政府は、明治12年の沖縄の廃藩置県のさい、400名の軍隊と160名の警官を送り込んで、軍事力に物を言わせていわゆる「琉球処分」を断行したのです。

 その前には1609年の薩摩の琉球侵略がありました。その時も、3,000名の軍隊で攻めてきたわけですから、欧米の学者や中国の学者などが沖縄を、日本が「暴力及び貪欲で略取した」と見るのも無理からぬことなのです。

 また、皆さんは、「沖縄だけが切り離されたのも当然だ」とお思いかもしれません。しかし、戦争に負けたのは沖縄だけではありません。なぜ鹿児島や宮崎、その他の府県が切り離されずに沖縄だけが切り離されたのか、沖縄からすると、いかにもおかしいと思われます。しかも、アメリカは、北緯30度以南の南西諸島における日本の主権を丸ごと排除し、占領下に置くと宣言したのです。そのさい、鹿児島県管轄下の奄美群島も、沖縄と一緒に切り離しました。

 ちなみに、琉球王国時代は奄美も琉球の一部でしたが、そのために、北緯30度以南の南西諸島(奄美も含め)は純粋の日本領土ではない、と見ていたのです。それは当時の日本軍も同様で、そのことは、北緯30度以北を天皇の在します「皇土」と称し、そこの防衛に当たる軍隊を「本土防衛軍」と称していた事実からも判明します。

 そして、アメリカ政府の公文書を調べますと、沖縄を日本とは別の領域だと判断し、切り離すことにした理由の一つとして、廃藩置県に先立つ明治10年頃、日本が沖縄を強制的に併合したことに対し、中国の外務省が抗議したことが主要因になっていたことがわかります。

 その抗議の内容は、「日本が沖縄を強制的に併合すると、次は台湾を取り、朝鮮も取って中国に侵略するだろう」と予言するものでした。後に、その予言通りになってしまったために、つまり、沖縄が日本の中国・アジア侵略の踏み台になったために、日本が再び沖縄を踏み台にしてアジア侵略をなすことを未然に防止するため、一種の担保措置として沖縄を日本から切り離し、日米の共同管理下に置くと共に非軍事化して、将来は国際機関に委ねて25年ごとに監視させ、日本のアジア侵略を恒久的に防ごうと考えたわけです。

 では、ここで問題になっている沖縄の廃藩置県とは、一体、どんなものだったかというと、本土の他府県で行われた廃藩置県とは、基本的な目的が違っていました。スタンフォード大学のジョージ・H・カーの『沖縄―一島嶼民族の歴史』(『Okinawa : The History of An Island People』)という本には、本土の廃藩置県は同一民族・同一言語・同一文化を前提として近代的な「国民国家」を形成するために行われたが、沖縄の場合、そうではなく、あくまで軍事戦略的なもの、つまり日本の南門に軍隊を置く土地を得るためのものだったというのです。つまり、南西諸島の人々を、日本人と同一民族とは見ていなかったというわけです。

 ともあれ、廃藩置県の交渉の過程で、明治政府は、日本との一体化を図るため、いろんなことを沖縄に指示しました。その中には、中国との進貢貿易関係を断ち切れというのもありました。沖縄は、1372年から中国と密接な交流があり、同93年からは中国に留学生を送ったりしていたので、琉球王府はこの指示を断りました。が、政府は軍事力をバックに反対の声を押し切りました。もう一つ、沖縄が最後まで反対して抵抗したことは、沖縄に日本の軍隊を置くことでした。しかし、政府は、どこに軍隊を置くかは政府が勝手に決めることだと、強引に反対を押さえ付けて軍隊を置きました。それが沖縄戦の不幸を招く一つの遠因にもなったのです。

 その時、なぜ沖縄の人たちは、軍隊を置くことに強く反対したのでしょうか。沖縄では、15世紀の終わりから16世紀の初めにかけて、尚真王という王様がすべての人に対して武器の携帯を禁止しました。その後、薩摩がさらに武器の携帯を厳しく禁止した結果、沖縄は文字通り非武の島となりました。そして500年以上も、武器のない「守礼之邦」として海外にまで知られたのです。人々は、争いごとを暴力によってではなく、話し合いで解決してきましたし、素手で身を守る空手が沖縄で発達したのも、そのためだというわけです。だから軍隊を置けば、逆に危険を招く結果になる、と反対したのです。

 しかし、明治政府は脅しをかけ、熊本の第6師団の分遣隊を常駐させました。それも農民の肥沃な土地を強引に取り上げ、兵舎や演習場などを設置して、軍事基地を作ったのです。これが沖縄の軍事基地化の始まりでした。

 戦後沖縄の最大の解決困難な問題は、土地問題です。沖縄の7割から8割は農家ですが、農家から土地を取り上げたら、農民は食べていけません。1953年ごろまで、沖縄住民の米軍に対する態度はとても友好的でした。というのは、沖縄戦の渦中で、米兵に命を助けられた人がたくさんいただけでなく、敗戦後の一時期、衣食住のすべてを米軍が無償で給与していたからです。ところが、1950年に朝鮮戦争が起こると、米軍は基地を拡充強化するために、強制的に農民の土地を取り上げました。
 
 そのため、食べて行けなくなった農民を、アメリカ政府は、日本政府と話し合い、南米のボリビアに500名規模の集団で移民させる始末でした。こうした米軍の、銃剣を突きつけての土地の強制収用が、住民の米軍に対する好意や友好的態度を一変させ、急激に悪化させました。

《沖縄の深刻な基地問題》

 次に申し上げたいことがあります。本土では、しばしば、しかも少なからぬ者が、沖縄に米軍基地がなければ沖縄の経済は破綻すると言っています。それは事実に反しており、彼らは誤解していると言わねばなりません。たしかに1960年代前半頃までは、基地収入は、沖縄が外部から得る収入の約60%を占めていました。ところが、今では、観光産業から得られる収入が大幅に増えていて、基地収入は、外部から得る収入のわずか5%ほどに激減しているのです。しかも基地を民間が利用すれば、雇用も確実に10倍は増え、所得も場所によっては100倍から200倍も増えるメリットがあるのです。

 このことは、現在、「新都心」と呼ばれている那覇市の事例からも明らかです。にもかかわらず、戦後60余年経った現在でも、沖縄本島の20%が軍事基地(在日米軍専用施設の75%)に取られているだけでなく、沖縄の空域の40%、那覇港をはじめ29か所の水域が米軍の管理下にあるわけです。だから沖縄の人たちは、自分の土地も使えないし海も使えない、自分の空も自由に使えない状態に置かれています。

 私がハワイ大学にいた時、徴兵を逃れてハワイに移住して平和運動をやっていた沖縄出身の高齢の一移民が、未来の沖縄は、自衛隊と米軍の共同管理のもとにおかれるだろうと予言していました。遺憾ながら、今まさに、その通りに近い状態になっています。

 私は参議院議員を6年間務めましたが、日本の民主化は未だし、と痛感しています。議会制民主主義は多数決の原理で成り立っていますから、少数会派が何を言ってもダメで、議会の在り方にほとほと失望しました。沖縄から国会議員は、衆・参合わせて11名出ていますが、半数は政府寄りです。各委員会を取り仕切る理事会で、少数会派はオブザーバー理事とされ、ろくに発言もできません。ちなみに、各種委員会で何を議論するかを決める場合に、その前に開かれる理事懇談会では全会一致制度をとっています。

 ですから、たとえばイラクへの自衛隊の派兵を中止し、即座に撤退させる陳情が、一般市民から多数の署名を添えて出されても、一度、理事懇談会で否決されると、正式の委員会にすらかけられずに潰されるのが常でした。

 このように、すべては多数決で決められるので、沖縄の基地問題は、それがいかに深刻でも、多数を占める本土出身議員が真に自らの問題として解決に努めないかぎり、皮肉にも民主主義の名において、永久に解決できない構造となっています。この点、ぜひとも皆様お一人ひとりの御一考をお願いしたいと思います。
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by lumokurago | 2009-02-20 14:40 | JANJAN記事

映画『ルート181』を作ったユダヤ人・パレスチナ人 二人の監督

長編ドキュメンタリー映画『ルート181』はユダヤ人とパレスチナ人2人の監督がお互いのエゴを乗り越え、『共生』というひとつのプロジェクトを共有することによって作成されました。この二人はイスラエルでもパレスチナでも例外的な人物であり、二人の考えは机上の理想主義と思われるかもしれません。しかしいつの世も理想を掲げる者は極々少数です。なかなか理解されないものです。しかし彼ら(私たち)が歴史を作っていくのです。

今、ガザで虐殺され、苦しんでいる人々をどうする気だ、というご意見もあると思います。できることはありませんが、もちろんイスラエルには抗議します。しかし、この二人が語る理想がなくてパレスチナ問題が解決することはないと思います。

映画『ルート181』を作ったユダヤ人・パレスチナ人 二人の監督

 『ルート181』という4時間半にわたる長編ドキュメンタリー映画があります。パレスチナ人ミシェル・クレイフィとユダヤ人エイアル・シヴァンという2人の監督が共同で制作したもので、1947年の国連決議で採択された、いまは幻のパレスチナ分割線を『ルート181』と名づけ、車でたどり、現イスラエルの各地で出会う人々の声に耳を傾けるという作品だそうです。上映された機会が少なく、私は見ていませんが、2005年10月に東京での上映会を企画したNPO法人『前夜』が作ったパンフレットを読みました。徐京植さん、清末愛砂さん、高橋哲哉さん、鵜飼哲さんが著者です。

 鵜飼哲さんによると、パレスチナ人監督ミシェル・クレイフィの「ミシェル」という名前はアラブ人としてありきたりではなく、聖書の天使の名前で、つまりこの監督はキリスト教徒だということです。パレスチナの解放が、同時にイスラエル人の解放につながるような解放のあり方とは何かということが常に彼の関心の中心を占めていたそうです。ミシェル・クレイフィはパレスチナを代表しているわけではなく、パレスチナ人としてとても例外的な人であり、またもう一人の監督イスラエル人のエイアル・シヴァンももう一度ユダヤ人国家を手放した方がユダヤ人にとって良いと主張している本当に例外的なユダヤ人だそうです。

 この2人が対談でこんなことを言っています。

 2人が一緒に映画を撮ったことについて、クレイフィは、この映画にはパレスチナ人が見たパレスチナ、イスラエル人がみたイスラエルといった主観的視点はなく、2人が試みたのは、互いの差異を乗り越え、両者の思想、分析、政治的視点をひとつにして映画を撮ることで、この作品が存在するのは、互いの属性ではなく、共通するプロジェクトがあったからだと言っています。

 シヴァンは、自ら選択したのではないアイデンティティ(私たちは生まれる場所を選べません)を否認することなくどうやって乗り越えることができるかという問いを提起し、この映画は「イスラエル人とパレスチナ人が一緒に映画を撮り、平和への道を模索している」などといった欺瞞的なものではなく、政治闘争だと言います。反植民地主義のイスラエル人と進歩的なパレスチナ人は一緒に同盟を組んだほうがより強いからです。シヴァンはクレイフィと一定のあいだ共に生活することで、「植民地支配を受けること」がどれほど身体や記録、態度に刻み込まれているかを知り、クレイフィもイスラエル人について学んだと思うと言っています。互いにエゴを乗り越えられたのは、お互いに尊重し合い、また政治的状況に直面するという困難を尊重することを学んだからだと言っています。

 クレイフィはインティファーダについて「私の答えは簡単です。暴力には反対です」と言います。そしてこのように続けます。「人々に説教する気はありません。ただ自分の考えを述べるだけです。武器を持って立ち上がった人々を尊重します。第一次、第二次インティファーダで皆のために闘った人のことも尊重しますし、理解できます。しかし、その場合、私は同時にイスラエル軍のことも理解しなければならなくなる。戦争とは、複雑な、人間の病とも言うべき状況です。非暴力的であること、また、その立場を受け入れ、引き受けること。それによって私は大きな力と行動の可能性を獲得し、映画を撮り、パレスチナのイメージや経験を世界に提示するのです」。

 一方シヴァンはシオニズムに未来はないと言います。「排除」のシステムであるシオニズムのもとで平和に暮らすことは不可能で、植民地制度やシオニズムエネルギーから生まれた「イスラエル性」を、シオニズムから解放して存在させるにはどうすべきか、これこそが「ユダヤ人」国家ではなく、「ユダヤ人」と「パレスチナ人」からなる新しい国民国家の挑戦だと言います。そして二民族一国家という考え方こそが非宗教的民主国家への第一歩だと言います。

 クレイフィは世界中で民族が混交し、「血統主義」から「出生地主義」への移行が見られ、多民族主義が開花している21世紀の今日、19世紀に誕生したナショナリズムは病気のような存在だとし、変動する現在の世界には適していないと言います。そして19世紀的な発想をする過激派パレスチナ人も一部いるが、パレスチナ人が要求するのはネーションではなく、武器なしで他人と平等に暮らす権利だと言っています。ナショナリストに対して間違っているなどと言うつもりはなく、ナショナリズムの前に人間の当たり前の権利を尊重しなければならないのだと言いたいそうです。

 シヴァンは、世界がイスラエルに国際法を遵守させることをあきらめてしまったと指摘し、「ならず者」に法を守らせないと周囲に悪影響を及ぼすだけでなく、法自体が意味を失うと言っています。クレイフィはパレスチナの若者の「自爆攻撃」が非難されているが、責任はイスラエルとアメリカにあると言います。なぜならば彼らにはこの問題を解決する手段があり、国際法と国連の決議に従えば問題は解決可能だと言っています。

 最後に最も印象的な2人の言葉を記します。

 クレイフィ「私が闘うのは、パレスチナ人の権利やイスラエル人の権利のためだけではありません。人間がよりよく自然に生きるため、そして、異なる人々が交わって暮らす開かれた世界のためなのです。その上で、自らを民族や言語、宗教によって定義する集団があるなら、それは結構なことです。豊かさは、差異と複数性から生まれるのです」

 シヴァン「問題は『共生』が可能かどうかではなく、どのように『共生』していくか。イスラエル人とパレスチナ人は、互いの意思は別にして、同じ土地で暮らさなければならない運命にある。そして、この『共生』とは、文化的な闘争や抵抗、権利の認知への闘い、平等のための闘い、文化的同盟、人道的同盟などを通して、一つのプロジェクトを共有することなのです。このプロジェクトとは、人々がそれによって未来を再び見出すことができる、そのような政治的計画のことです」

参考資料:「パレスチナと私たち」(映画『ルート181―パレスチナ~イスラエルへの旅の断章』東京特別上映 プレ講演会記録集)(季刊『前夜』編集委員会編)
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by lumokurago | 2009-02-05 11:41 | JANJAN記事

杉並区議会 「つくる会」支持の教育委員2氏の再任を承認

杉並区議会 「つくる会」支持の教育委員2氏の再任を承認

JANJANに書きました。杉並区には政府見解に反する思想の区長と教育委員がいて、来年もまた政府見解に反する「つくる会」教科書を採択しようとしています。

この記事にはすでに「何故政府見解に反対してはいけないの?」という書き込みがされました!ではなぜ田母神氏が更迭されたのでしょうか? なぜあほう首相(「あ」にアクセントをつけて下さい)は「村山談話を『ふしゅう』する」と言わざるを得なかったのでしょうか? 

この人に聞きたいです。(といっても不毛なので聞きませんが)。

*****以下、記事です。

 「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」という)主導の扶桑社版歴史教科書が使われている東京都杉並区で11月26日、区議会本会議が開かれ、全国でわずか0.39%しか採択されていないこの扶桑社版に賛成した教育委員2名の再任が決まりました。

山田宏杉並区長と2名の教育委員は「つくる会」思想の持ち主

 2005年8月の教科書採択で杉並区が扶桑社版を採択したのは、山田宏区長の鶴の一声による「教科書官製談合」のためでした。筆者らは裁判でその違法性を告発し、現在控訴審が続いています。山田区長は、「つくる会」と同じ思想の持ち主であり、議会でもしばしばその思想を語っています。

 昨年6月、アメリカ下院外交委員会はいわゆる従軍「慰安婦」問題に関し、日本政府に正式な謝罪を求める決議を採択しました。それに対して、日本の右派政治家らがその決議の撤回を求める「事実」と称する広告をワシントンポストに掲載しました。山田区長はこれに賛同し、名前を連ねています。これについて平成19年の区議会第3回定例会での質問に、山田区長は「この(アメリカの)決議自体が歴史的事実とは全く異なった誤った情報に基づき可決されたので……撤回する意思はない」と答弁しました。

 今回再任が決まった大藏雄之助教育委員(77)は3年前の採択の時、「従軍慰安婦なんていなかった。あれは売春婦」「原爆の記述が薄くなっているが、みんなすでに十分知っていて、どこでも調べられる」「平和は大事、戦争はいけないと百万遍言えばそうなるのか。そうはならない。割り切って世界はそんなものだよという方がよい」などと発言しました。

、もう1人の宮坂公夫教育委員(75)も「平和への志向は避けたい」「『天皇は神聖にして侵すべからず』(明治憲法)は象徴天皇を昔の言葉で言っている」「さすがに『慰安婦』の記述はなくなった。よいことだ」などと発言しました(2005年8月の教育委員会)。つまり2人とも「つくる会」と同じ思想の持ち主です。

 また、大藏氏は国際勝共連合の「賛同的な人たち」の筆頭に「杉並区教育委員」と肩書入りで名前を出しており(ウィキペディア)、「つくる会」から分裂して八木秀次氏らが立ち上げた「日本教育再生機構」にこれも肩書入りで賛同しています。

 現在では「つくる会」と決別した扶桑社は、フジサンケイグループから3億円の出資を受けて子会社「育鵬社」を作ったのですが、大藏氏はここから出版予定の歴史教科書作成を目的とする「教科書改善を進める会」の世話人にもなっています。このように特定の教科書の関係者が教育委員になることは教育委員の公正・中立に違反しています。

 が、山田区長は来年度の教科書採択に向けて、どうしてもこの2氏を再任したかったのでしょう。

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紛糾した区議会で公明党が翻意

 11月26日の区議会では野党会派の議員ら7名が大蔵、宮坂両氏の選任に反対意見を述べ、民主党、自民党(2つに分かれている)の議員ら3名が賛成意見を述べました。採決に入る前に公明党議員7名と反対派議員15名、計22名がぞろぞろと議場から退出したので、何事が起ったのかとあっけにとられていると、議長が議事を中断すると述べました。議場には22名(議長を除く)しか残らず、議会定数の24を割ったため、採決ができなくなったのです。傍聴者の間には「もしかすると……(再検討になるかも)」という期待が高まりました。

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 公明党、野党議員が退席した議会 

 しかし、1時間15分の中断の後、いったいどんな圧力がかかったのか、さきほど退出した公明党議員7名が戻ってきました。そして議長が採決を取ると、自民党、民主党、公明党全員が起立し、反対ゼロで2名の選任が承認されました。「福祉と平和の党」さん、退出したところまではよかったですが、すぐに翻意するなんて恥さらしですよ。 

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採決時、立ち上がる公明党議員

「つくる会」教科書は政府見解に反している
 
 さて、先だって、田母神俊雄前航空幕僚長が「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」という趣旨の論文を発表し、更迭されました。麻生首相は「我が国は遠くない過去の一時期、アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」と述べた村山談話(1995)を「ふしゅう」(踏襲)するとし、田母神氏の思想は政府見解に反することを明言しました。

 今回の田母神氏の事件によって、安倍晋三元首相をはじめとする自民党及び民主党右派議員の思想は政府見解に反するものであることが明らかになりました。国会議員として許されないことです。そして同じ思想に基づいて書かれた「つくる会」教科書も政府見解に反することが明らかにされました。

政府見解に反する区長、教育委員をもつ異常な杉並区

 山田宏杉並区長、大藏雄之助教育委員、宮坂公夫教育委員も政府見解に反しているということです。杉並区は小さいので、このことは報道もされず、問題にもされませんが、政府見解に反した人物が区長、教育委員に納まっているのですから、事は重大です。当然ながら3名とも更迭されるべきです。

 さらに、2007年2月、扶桑社は現在杉並区で使われている「新しい歴史教科書」の発行を停止し、「つくる会」との関係も解消すると発表しました。その理由は「内容が右寄りすぎて採択が取れないから」としています。新学習指導要領に基づく教科書検定が行われる2011年までの端境期においては、「新しい歴史教科書」を発行し続けるとしていますが、これに対して「つくる会」会長の藤岡信勝氏らは著作権を問題にし、扶桑社を相手どって訴訟を起こしています。

 裁判の結果によっては、扶桑社版教科書は出版差し止めになる可能性もあります。もしそうなったらその教科書を使っている子どもたちへの責任はどうなるのでしょうか? 「つくる会」は内紛を繰り返し、分裂し、醜い内部抗争がやまない組織であり、扶桑社は自社が出版した教科書を否定するような無責任な出版社です。

 杉並区では全国で使っている扶桑社版全教科書の約半数の2,000冊を使っており、大きな数字を占めています。杉並の採択は全国に影響を及ぼします。政府見解に反し国際社会から認められない教科書を子どもたちが使わなくてすむよう、全国の皆さまが杉並に注目してくださるようお願いいたします。
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by lumokurago | 2008-12-01 14:53 | JANJAN記事

あの藤原和博氏が杉並・和田中で行った本当のこと~独断専行と公教育の破壊 コメント欄

あの藤原和博氏が杉並・和田中で行った本当のこと~独断専行と公教育の破壊のコメント欄に書きました。

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きだひそみさま

[38118]は取り下げとのことですが、気になった点だけ述べておきます。

① 教基法改悪の本質について

〉改正教育基本法を評価するとき、それが国民や子どもでなく政府や財界のための改革である、それは国民の権力を削って政府の権力を伸長するものである・・・

「国民の権力を削って政府の権力を伸長する」という解釈は全くの誤りです。国民には「主権」はありますが、「権力」は全くありません。また、47年制定教基法は教育を「政府の権力」から解き放つという理念を持っていたので(実際上は形骸化していたが)、「政府の権力」は「不当な介入」としてあってはならないものとされていました。なので「政府の権力を伸長する」ではありません。

〉教育にたいする 「不当な支配」 とはなんぞやということを理解しなければ・・・

47年制定教基法成立直後に、その立案の任に当たった当事者たちが書き、立法意思を明らかにした解説書があります。(文部省教育法研究会著『教育基本法の解説』1947年12月発行)

この『解説』は次のように述べています。

戦前教育は「教育行政が教育内容の面にまで立ち入った干渉をなすことを可能にし、遂に時代の政治力に屈して、極端な国家主義的又は国家主義的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行われるに至らしめた制度であった」(『教育基本法の解説』126~127ページ)

これが第10条を制定した理由です。さらに同『解説』は「教育に侵入してはならない現実的な力として、政党のほかに、官僚、組合等の、国民全体でない、一部の勢力が考えられる」(同上130~131ページ)と、「不当な支配」の主体となりうるものを具体的に指摘しています。

判例としては旭川学力テスト事件に関する最高裁大法廷判決(1976年5月21日)が、「子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入・・・は憲法26条、13条の規定上からも許されない」、「教育内容に対する国家的介入はできるだけ抑制的であることが要請される」とし、国家の教育内容への介入に対して慎重に歯止めを課したうえ、47年制定教基法第10条について、「教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き・・・教育の自主性尊重の見地から、これに対する『不当な支配』となることのないようにすべき旨の限定を付したところにその意味があり、したがって、教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきである」と判示しています。

繰り返しになりますが、47年制定教基法は教育を受ける者との関係において「権力」を行使する者に対して「すべきこと」と「してはならないこと」を命じた規範であって、教育を担う公権力(特に教育行政権力)に向けられた〈権力拘束規範〉であることをその本質としており、改悪教育基本法はその本質を大きく転換し、これを〈子ども・親・市民への命令規範〉にもしようとするものであり、法の基本性格を変質させたものです。つまり47年教基法は「一部改正」されたのではなく、全部を変えられてしまったのです。この「全部改正」は47年制定教基法と不可分一体をなす憲法の〈権力拘束規範〉的な基本性格をも大きく変質させることに拍車をかけ、近代立憲主義自体を根底において崩壊させることになりかねないものです。

② 教育破壊を行いたいのは誰か

杉並区は松下政経塾出身の「つくる会」思想の持ち主、新自由主義信奉者でかつお金の大好きな山田宏区長の絶大な権力によって、めちゃくちゃにされてしまいました。特に教育破壊は全国の最先端を走っています。杉並区教委事務局には都教委事務局から大物が何人も送り込まれてきています。彼らが中心になって教育破壊を進めています。教育委員会の5名の委員は教科書採択を例外として、事務局の作った案にほとんど意見も言わず(和田中夜スペの時などは特別です。それだけ教育委員も問題意識を持ったということの証拠)、追認するだけなのです。

つまり杉並の教育破壊は実質的には5名の教育委員ではなく、山田区長と都教委(その後ろにいる石原都知事)の顔色をうかがい、その意向を先取りしている事務局によって行われているのです。(教育委員も区長の任命ですから、夜スペがそうだったように少し意見を言ったとしても最後には承認します)。しかし事務局は真に教育破壊を行いたいと思ってやっているのではなく、出世と保身のためにヒラメになっているのでしょう。首長が変われば彼らはがらっと変わると思います。「つくる会」教科書も選ばれなくなるのです。

藤原氏は自己宣伝になるというメリットが大きいと見て山田区長の教育破壊に乗ったのでしょう。お互いにお互いを利用したのだと思います。このことは菅谷翔さんも指摘されています。
首長(区長、都知事)がこのように教育に介入することは47年教育基本法第10条違反であり、憲法26条、13条にも違反しています。

*****ここまでコメント
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by lumokurago | 2008-10-20 22:52 | JANJAN記事

あまりに頭に来たので

あまりに頭に来たので返事するのを1日待ったのですが、効果なしでした。怒ってしまいました! 例の藤原批判の記事のコメント欄です。

うーん、自分の意見をはっきり言うと、「自分は正しいと押し付ける」とはよく言われるのですが、被害妄想なんじゃないですか? (と怒っています)。
確かに反省すべき点もあるとは思いますが・・・。このことについては今度またよく考えます。

http://www.news.janjan.jp/culture/0810/0810089013/1.php#bbs
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by lumokurago | 2008-10-17 22:22 | JANJAN記事