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カテゴリ:JANJAN記事( 68 )


<貧困>は自己責任ではない

<貧困>は自己責任ではない

  11月19日午後6時30分から、東京都杉並区の阿佐ヶ谷市民講座実行委員会主催で湯浅誠さん(以下、私)の講演会が行われました。演題は「<貧困>は自己責任ではない」です。

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 湯浅誠さん

 11月19日午後6時30分から、東京都杉並区の阿佐ヶ谷市民講座実行委員会主催で湯浅誠さん(以下、私)の講演会が行われました。演題は「<貧困>は自己責任ではない」です。湯浅さんはNPO法人自立生活サポートセンターもやい・事務局長です。筆者は以前杉並区にある児童養護施設(親と暮らせない子どもたちの施設)で学習指導ボランティアとして活動していましたが、湯浅さんはそのサークルの代表を務めていたこともあります。

◇ ◇ ◇

2つの神話

 どういう切り口でお話ししようかと考えたのですが、ネットカフェを取り上げます。みなさん、「ネットカフェ難民」という言葉はご存じだと思います。「ネットカフェ難民」という報道は1年くらい前からだと思いますが、初めて相談に来たのは4年前でした。その時、新聞に「取り上げてほしい」と頼んだのですが、記事にしてくれませんでした。去年の秋以降、社会的に注目されるようになり、ようやく記事にしてくれる人が出てきました。ネットカフェに7年住んでいる人を2人知っていますから、2000年位から住み始めたんですね。ちょうどネットカフェが24時間営業を始めたころからです。10年以上家がない人が3割を占めています。日雇いを転々としている人たちの層と重なっており、若い人も中高年もいます。

 日本には2つの神話があったと思います。1つ目は働いていれば食っていける、2つ目は親がいるなら頼れるはずだというものです。「いやならもっとまともな仕事につけば」「くだらない意地を張ってないで親に頼れ」ということです。それは今どうなっているでしょうか?

働いていれば食べていけるはずでは?

 ここである例を話します。彼は自分では「このままでいい」と言っているので、人に連れられて相談に来ました。34歳で7年間そうやって暮らしています。はじめはフルキャストという派遣会社でスーパーアリーナの設営の仕事を固定でやっており、月12万の収入がありました。ところがフルキャストアドバンスという子会社に転籍になってから収入が8万に落ちました。暮らしていけないので他にもいろいろと登録したのですが、アリーナの仕事が固定されていて断れないので、仕事がだぶれば断らざるをえず、そのうち仕事が回ってこなくなりました。8万の仕事にしがみつかなければならない状況で、ネットカフェに毎日は泊まれないので週に3日だけ泊まって、後の日は、夜は凍死しないように起きて町を歩き、始発の電車に乗って睡眠を取るのです。彼に「生活保護しかない」と提案すると固辞します。「ずっとこのままでいいのですか?」と聞くと、「いや、もっと安定した仕事に就きたい」と言います。「このままでハローワークに通う体力・気力があるか?」と聞くと、「確かにない」と答えました。生活保護も一生受けるわけではなく、仕事を見つける間だけと説得し、生活保護の申請をしてアパートを借りました。この人の場合はうまくいきすぎた位で、2ヶ月で警備の仕事をみつけることができて、生保を廃止しました。

 私も派遣会社のエム・クルーで日雇い派遣の仕事をやってみました。倒産したサウナを壊した所からガレキを運ぶ仕事でした。日当は7700円です。朝5時半に出て、帰宅したのは8時半です。15時間かかっています。1日の収支計算をしてみると、交通費や食費などに1960円かかり、残りは5840円でした。もしレストボックスに泊まれば1880円、朝食・夕食に1000円として、仕事道具(軍手・カッター・安全靴・ヘルメット等)は自弁なので、手元には1000円か2000円位しか残りません。基本的に皆さんまじめな人なので、食費を切り詰めてお金をためようとしますが、腰を痛め仕事に行けなくなり、健康保険がなくて病院に行けないので、薬を買ったりしてためたお金が減り、結局アパート代をためられないのです。今まで自分でお金をためてアパートに入った人に会ったことはありません。

 厚労省が2007年8月に行った調査によると、「ネットカフェ難民」の平均月収は10万7000円で手元に残るお金は10000円、雇用保険未加入が30%、国民健康保険未加入が73%、借金が30%あります。

 借金といえばギャンブルか娯楽と思われていますが、彼らの借金の原因は病気、失業など生活苦なのです。生活が回っていかないから借金をすることになるのであって、借金は日雇い派遣のもたらす結果なのです。寮付きの工場で働けばいいと思われるかもしれませんが、実際は逆です。彼らは寮付きの工場でだめだった人たちなのです。

親に頼ればいいんじゃないの?

 親に頼ればいいと言われても、母子家庭が多いし、親がホームレスという場合もあります。私は19歳から児童養護施設の学習指導ボランティアをやっていましたが、普通高校に入るのは5年に1人しかいませんでした。(筆者注:児童養護施設の子どもたちは親には頼れず、家庭で育った子どもに比べ非常に未熟なまま中卒・高卒で働き始め、仕事を転々とし、住む場所もなくなり、行方知れずになってしまう場合が少なくない)。

 「ネットカフェ難民」で親に相談できると答えたのはたった2.7%で、42.2%は相談できる人がいないと言っています。貧困は将来の不安として語られていますが、現在実際に起こっていることで、貧困の連鎖が大きな問題です。現在生活保護を受けている人の親は4人に1人は生保を受けており、母子世帯ではその割合は4割に上ります。

 「もっと勉強しておけばよかった」「資格を取っておけばよかった」と言われるかもしれませんが、彼らの学歴は中卒が2割で高卒以下が8割を占めます。現在、日本全体では97%か98%は高校に行っています。残りの2%に不利益が集中しているのです。「働いていれば食っていける」「親がいるなら頼れるはずだ」という2つの神話は今の社会では崩れてきています。

貧困者を襲う5つの排除とボロボロのセーフティネット

 どういう人が貧困まで行ってしまうのでしょうか。貧困者は5つの排除にさらされます。教育、企業福祉、家族福祉、公的福祉、自暴自棄になってしまった自分自身です。日本の戦後を何が支えたのかというと、企業と家族です。公的福祉がまともに機能したことはありません。企業は終身雇用で、住宅問題にしても会社の寮からアパートへ、一軒家へと企業の保障があったので、政府の住宅政策の貧困さが表に出てくることはありませんでした。家族福祉の一例でいえば、結婚前は父の収入で、結婚後は夫の収入で暮らす女性が多くいたのです。今は若い人たちがポッと社会に出て、企業や家族が守ってくれないのですから貧困になるのは当然です。若い人たちは生保を受ける方法も知らないし、サラ金についても教わっていない、丸裸で隙だらけです。そうならない人が多いから貧困は自己責任みたいに思われていますが、彼らは貧困になって当然です。

 日本にはセーフティネットが3層ありますが、みんなボロボロです。まず、失業手当ですが、以前は80%の人が受けていましたが、今では二十数%に落ちています。国民健康保険は保険料を滞納し、資格証になって10割負担です。35万人が医療を受ける機会を奪われ、29人が死亡しています。最後の生活保護ですが、行っても追い返されるのです。これを「滑り台社会」と呼んでいます。一度転んだら最後、底まで行ってしまうのです。第4のセーフティネットが刑務所です。法務総合研究所の調査では、65歳以上の約7割がお金に困って再犯し、刑務所に戻っています。神社の賽銭箱から150円盗った人もいます。法務総合研究所は「再犯の背景は経済的に不安定なことなど。司法の枠を超えた対策が必要だ」と指摘しています。

何ができるか?

 さて、これに対して何ができるかですが、政策レベルでは財源が問題にされます。日本のGDPはドイツ+イギリス+デンマークの3国分もあるのに社会保障支出額はGDP比17.5%で、EU平均の26.2%に8%も及びません。EU平均並みにするにはあと43兆円必要です。拉致被害者の100家族に100億円を使うことについて、「そんな金はどこにあるの?」と言った人はいません。高額所得者の所得税が減税されましたが、そこに財源論は出てきません。母子家庭や弱者が使う時に限って「そんなお金、どこにあるの?」と言うのです。政治家は財布のひもを握っていて、お金の配分をできる権限も持っています。自分はここには出さないと決めています。自分は議員年金をもらうのに。

最低生活費を知ろう

 個人レベルではまず、ご自分の家庭の最低生活費を知りましょう。これをほとんど誰も知らないんですね。つまり憲法25条を知らないということです。東京都の最低賃金は20円上がって739円です。最低賃金には関心があっても最低生活費を知らず、厚労省が生活保護より低い賃金で暮らしている人もいるんだから生保を減らそうとしていることに対しては、「自分は関係ない」と思っている人が多いです。ところが、このことは我々の生活に直結しているのです。4点問題があります。

1.生保の収入が減っています。すでに老齢加算、母子加算が削られ15%減りました。今回全体を減らそうとしています。最低所得で暮らしている人の所得より生保の方が高いから減らそうとしています。最低所得の人というのは3人世帯で教育費が月740円しかないのです。60歳以上の一人世帯では食費は月22000円で、一食200円ということになります。生保がその人たちの所得に比べて高いから減らそうというのです。本来、そちらを引き上げるべきです。

2.就学援助を受けている世帯の4分の1の世帯が生保の1.1倍から1.3倍の収入で暮らしています。生保が下がれば、就学援助の水準も下がり、都立高の減免も下がります。生保と連動して水準が下がるとお金を払わなければならなくなり、医療難民、介護難民が進み、少子高齢化がますます進みます。厚労省が少子高齢化を推進しているのです。そうしておいて消費実態調査をして、またそれが下がっていれば、さらに生保を下げます。これを「貧困化のスパイラル」と呼んでいます。

3.生保が下がると生保より低い人が最低生活基準をクリアしたことになり、国は責任を取らなくてよくなります。生保基準の引き下げは大きな問題なのに、多くの人は自分たちの問題ととらえていません。

4.国は最低生活費について国民に知らせていません。広報に生保の金額の計算方法が載ったことがありません。「知らしめず、寄らしめず」は江戸時代のことです。まずは自分の家庭のその金額を知りましょう。

労組の再生

 社会的レベルのこととして、労組の再生があります。グッドウィルユニオンは、不当天引きである「データ装備費」全額返還を求めて裁判を起こしました。エム・クルーユニオンは、不当天引き分を1回の交渉で会社側に「返す」と言わせました。これは申し開きをしようがないので認めざるを得ないのです。こんな違法行為を今まで誰も指摘しなかったのでしょうか? ひとりで言ってもダメだったが、組合を作って言ったら認めました。日雇い派遣会社は次々と不当天引き分の返還を認めてきています。派遣ユニオン、ガテン系連帯、フリーター労組などが立ち上がっており、労働におけるセーフティネットを張りなおそうとしています。

北九州市を刑事告発

 北九州市では生保が受けられずに3年連続で餓死者が出ました。2005年にはあまり取り上げられませんでしたが、2006年には大きな反響があり、なんとかしなくちゃという人が現れました。今年7月に亡くなった人については対策会議で検証しました。一部屋根が崩れ、壁も落ち、ガラスもない吹きさらしの家に住んでいました。この人については北九州市を刑事告発しました。

 北九州市では、生保にかける予算は年間300億円と決め、それ以上は絶対に出さないということで、毎月の数値を市長に報告していました。面接は係長級の面接主査が行い、人事異動評価のひとつとしていたのです。こういうやり方が全国的になってきています。

反貧困助け合いネット

 社会保障のネットとして反貧困助け合いネットを立ち上げました。月300円積み立てて、給与補償として10000円、無利子貸付で10000円、計20000円を貸します。生活を立て直せる金額ではないのですが、それだけのお金がどこからも出てこない。わずか1万、2万を貸してくれるのはサラ金だけなのです。サラ金は10万貸してくれと言えば、50万貸して多重債務に追い込みます。この程度の助け合いすら世の中にはないのです。

 6か月積み立てて1800円、それで2万円を貸したらまわらないだろうと言われますが、まわると思っています。自分は借りないという人にも支援的な意味で入ってもらって、ワーキングプア同士かつ社会全体の助け合いとしたいと思っています。

 「もやい」は何百人のアパートの保証人になっています。そんなことをしていたら大変なことになるぞと言われましたが、95%はちゃんと生活しています。低所得者に対する偏見があるのです。「あうん」は自分たちで仕事を作ろうということで、便利屋・リサイクルショップをやっています。

 児童虐待と貧困はつながっており、虐待の家庭には生活保障が必要です。DVで母子家庭になって、パートになって、クビになり、生活保護を拒否されて、多重債務になって……というと行政は縦割りなので、全体を見ることができません。我々もその点、気をつけなければなりません。(胸のバッジを指して)これはおばけの「ヒンキー」です。貧困はあるのにないと思われています。つまり「おばけ」です。世の中の人が関心を持ってくれれば、「ヒンキー」は成仏してくれると思っています。

質疑応答

1.企業福祉の後退はなぜ起こったと思われますか? 有効な政策は?

 一言で言えばグローバリゼーションでしょう。95年に経団連が新時代の日本的経営という方針を出しました。雇用を、長期技能蓄積型(終身雇用)、技能活用型(IT技術などの派遣)、雇用柔軟型(いつでも使い捨てられ、便利に使える雇用)に分けるものでした。80年代に円高バブルで外国人労働者が入ってきて、フィリピン、イラン、バングラと閉めたり開けたりして単純労働力を得ていましたが、最終的に外国に頼るのはやめ日本の若者にやってもらおうとなって、それ以降その通りに進んでいます。大企業が生き残るには人件費切り下げしかないとし、自己責任論を免罪しました。日本社会が生き残るにはこれしかないとし、社員の面倒をみるのは会社の責任ではないとしました。

 また、地方への大型店の進出によって、地方商店街がシャッター通り化し、昔ならそこに吸収されていた若者がフリーターとして漂流し始めました。地方の商店街は地域コミュニティの入り口でもあり、一種の企業福祉が行われていましたが、それが失われました。こういうことがいろんなレベルで起こってきたと思います。

 対策ですが、当り前の福祉国家をめざすしかないと思います。私は正規雇用の復帰は必ずしも望ましくないのではないかと考えています。日本は賃金依存度が高く、社会保障が弱い社会です。働いた賃金がたくさんないと生活が回らない。収入はそんなになくても社会保障でやっていけるというのが望ましいと思います。どこかで何かしらの歯止めにひっかかるのが福祉社会というものです。

2.最低生活費の計算方法を教えてください。

 これが結構細かいランクに分かれていて複雑なのです。日本全国を6つのエリアに分けて基本額を設定しています。世帯の人数によって、また、年齢によっても違います。私は23区に38歳で一人暮らしをしていますが、その場合は137400円です。医療費はただです。私の本『貧困襲来』にソフトがついていますが、「もやい」のHPにもありますので自由に使ってください。

3.エム・クルーユニオンについてもう少し話して下さい。

 エム・クルーとの折衝で解決したのは不当天引き分の500円だけです。建設現場に派遣労働者を派遣することは今でも禁止されているのに、「請負」と偽装して派遣しています。私が派遣された現場は初めてで私一人で、そこで業務を請け負ってるという理屈はどうしても無理なのに、「問題ない」と言い張っています。エム・クルーはたいして大きな会社ではないので、行政指導が入ったらつぶれる可能性もあり、そうなると働いている人はどうなるか? そう考えると難しい面もあります。

 派遣法を99年以前に戻そうという運動もあります。民主党が徐々に案を作っています。派遣法の規制法案を出したいということと、偽装請負を合法化してしまえという勢力と、民主党、自民党がどう動くかによって、どうなるかわかりません。結局やれることをやれるようにやるしかないと思っています。
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by lumokurago | 2007-11-24 20:52 | JANJAN記事

明らかにされた数々の違法性 新石垣空港裁判第6回口頭弁論

 新石垣空港の違法性とともに、杉並住民訴訟の裁判長大門さんが弁護士つきの裁判と本人訴訟裁判を差別しているさまがよくわかります。

明らかにされた数々の違法性 新石垣空港裁判第6回口頭弁論

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          東京地方裁判所

 11月20日11時30分から、東京地裁606号法廷にて、新石垣空港設置許可処分取り消し訴訟の第6回口頭弁論が行われました。大門匡裁判長は数点の確認の後、原告に準備書面の中身について簡潔に述べるよう言いました。

設置許可処分は航空法の規定に違反

 はじめに、原告側弁護士が準備書面(8)について述べました。準備書面(8)は国土交通大臣が下した新石垣空港の設置許可処分が、航空法の数々の規定に違反した違法なものであることを詳述したものです。

 被告・国は沖縄県がきちんと地盤等を調べ、安全だからこそ国交大臣が設置許可処分を下したと主張しているが、以下の点から国の主張には根拠がなく、航空法39条1項1号などに違反すると述べました。

1.滑走路の陥没のリスクを見過ごしたことの違法性

 新石垣空港建設工法検討委員会が、今年7月、「滑走路の真下には洞窟があるが、実際に滑走路に飛行機を走らせると洞窟が崩壊する」とのシミュレーション結果を発表しました。滑走路の真下の洞窟が崩れれば、当然、滑走路は陥没します。今年の8月に滑走路の北側に新たに洞窟が発見されました。10月にもコウモリの住む洞窟が新たに発見されました。

 沖縄県はさんざん調べたといっていますが、それでも未知の洞窟がみつかっているのです。この事実は、滑走路の下にも未知の洞窟が存在する可能性があることを示しています。現在滑走路の真下にあるとわかっている洞窟については補強工事がなされますが、もし、未知の洞窟が滑走路の下にあり、その上を飛行機が通るとどうなるでしょうか。滑走路が陥没する可能性が大いにあります。

2.滑走路水没のリスクを見過ごしたことの違法性

 沖縄県の「県津波・高潮被害想定(宮古・八重山諸島沿岸域)検討委員会」は、先月、石垣島近海で地震が起きた場合、白保地区で25mを超える津波が起きる可能性があると発表しました。新石垣空港の滑走路の標高より高い津波が襲い、滑走路が水没する可能性があるのです。

3.新石垣空港の設置許可の申請手続きの欠陥を見過ごしたことの違法性

 航空法38条2項及び3項によれば、沖縄県が新石垣空港設置の申請書を出したり、新石垣空港設置の告示をしたり、新石垣空港予定地に掲示をする際には、土地の所有者の氏名を記載しなければなりません。

 しかし、沖縄県は原告らなど新石垣空港に反対する方々が所有している事業用地の一部について、所有者の氏名の大半の記載を怠りました。このことは沖縄県が新石垣空港に反対する方々を差別的に取り扱ったことを端的に示しています。このため、土地所有者は自分の土地が新石垣空港の影響を受けるかどうかを知ることができなかったのです。その上、公聴会の日程も知らせてこず、直前になって新聞報道で知ったため、公聴会をボイコットせざるを得ませんでした。

 そしてこの裁判で被告側が証拠として出してきたものは、反対する地主も全員載せた偽物の書類でした。国交大臣がこのような申請手続きの欠陥を見過ごして下した新石垣空港の設置許可処分は、航空法38条2項に違反するものです。

本件アセスメントの内容の不備
 次に別の弁護士が準備書面(9)について述べました。準備書面(9)は、本件アセスメントの「評価書の内容の不備」に関して、原告アオサンゴを含む本件事業予定地付近のサンゴ類ないしサンゴ生態系が現在どのような脅威にさらされているのかという現状について述べた上で、本件事業における赤土流出のおそれに関し、評価書に記載してある対応策では、赤土流失の危険性が払拭されていないことについて主張しています。

 本件評価書における評価は、次のようなものです。

 海域へ負荷される処理水の影響は轟川河口に限られ、その濁りの影響がアオサンゴ等注目される群落などにおよぶことはないと考えられること、工事に伴う赤土等の堆積による影響の程度は極めて小さいと予測されることから、サンゴ類の生育環境の変化は少なく、分布状況の変化はないものと予測される。

 しかし、オニヒトデの大量発生、赤土流出、白化現象、ホワイトシンドローム(原因不明のサンゴの病気)その他によって、白保のサンゴ礁は、現在さまざまな脅威に曝され、2001年、環境省は石垣島周辺のサンゴの生育環境は「崖っぷち」の待ったなしの状況と指摘しています。前記の評価書の評価はこの現状認識をあえて無視しているとしか言いようがありません。

 本件工事による赤土等の流出についても、万全の赤土流出防止対策を取っていると主張していますが、赤土流出の危険性を見逃している不備、対策を講ずべき点の不備、ならびに計画を策定する際の前提となる数値の誤りがあります。評価書の現状認識及び赤土防止流出対策では、本件事業による赤土の流出を防止することはできず、現状のサンゴ礁にさらに重大な悪影響を及ぼす原因となることはあきらかです(この詳細は話がむずかしく長くなるのでここでは省略させていただきます)。

コウモリへの影響

 次にまた別の弁護士が、12時を過ぎていたので「簡潔に」と言いつつ、準備書面(10)について述べました。評価書ではコウモリの住む洞窟のうちA洞窟とB洞窟を保全するので大丈夫としています。

 しかし、コウモリの数を調べたところ、B洞窟では2002年から2005年の調査では160頭~510頭いたところ、今年1月の調査では40頭、3月の調査ではたった2頭に激減していました。C洞窟には以前はヤエヤマコキクガシラコウモリがいたのですが、カグラコウモリに入れ替わっていました。A洞窟にはリュウキュウユビナガコウモリが81頭で、昨年同時期の調査の1,000頭から10分の1以下に激減していました。これが工事の影響でなくしてなんでしょうか。不十分な調査で不適切な評価が行われたことを証明しています。

 10月に空港建設現場で全長約300mとみられる新洞窟がみつかり、内部にヤエヤマコキクガシラコウモリ約70頭とカグラコウモリのふんを確認しました。県は周辺の作業を中止し、調査を継続して保全対策を検討するとしています。このことで初めの調査がいかにいい加減だったかがまた明らかになりました。

 アセスメントに対して国交大臣は、出産・哺育に使っているA洞窟とD洞窟の保護に万全を期すること、追加調査をきちんとせよという意見を出していました。また、専門家によるコウモリ観察の手引きには観察期間は1年となっているのに、アセスでは5・6月の2か月のみしか調査しませんでした。

 被告は反論で「コウモリの保護は石垣島全体で考えればいい」などといういい加減なことを言っていますが、なぜ国交大臣の意見は反映されなかったのでしょうか。つまり大臣意見をごまかして評価書を書いたということです。このようにコウモリに関しても評価書の不備が証明されています。

 これで原告の陳述を終え、大門裁判長は準備書面(10)について、FAXで送られてきたものと正式なものとが若干表現が違うので、これは次回陳述とし、今回の正式な陳述は準備書面(8)、(9)だけにすると言いました。そして原告に「補充があるとしていたがこれで一段落か」と聞くと、原告はそうだと答えました。

 それから裁判長は被告に準備書面を陳述するかどうか聞き、被告は「はい」と一言で陳述を終えました。被告に反論の必要な時間を聞くと「3か月」と答えたので、次回期日は3月4日11時30分とされ閉廷しました。


筆者の感想

 大門匡裁判長は、筆者が本人訴訟で行っていた杉並区の「つくる会」教科書の採択に関わる公金支出が違法であるとの住民訴訟でも裁判長でした(関連記事)。私たちの裁判では、大門裁判長は口頭弁論の終結に当たって被告のみに意見を聞き、被告が「速やかな結審を」と答えたのを受けて、即結審しました。原告には何も聞いてくれませんでした。

 やっと入り口に入ったばかりで、被告からはまともな反論もなく、実体的真実の究明もなされぬままの闇討ちのような結審でしたので、私たちはショックでしばらくの間立ち直れませんでした。

 一方この裁判では、大門さんは原告にも「これで一段落か」などと聞いています。なんという違いなのでしょうか。この裁判には原告代理人として弁護士がついていますが、本人訴訟はバカにしているのでしょうか。大門さんに説明を求めたいと思いました。
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by lumokurago | 2007-11-22 11:54 | JANJAN記事

「護憲運動の重要性と限界」 C.ダグラス・ラミスさん講演会

 大好きなラミスさんの講演会行ってきました。お勧め記事です。ぜひお読みください。

「護憲運動の重要性と限界」 C.ダグラス・ラミスさん講演会

 11月4日、午後2時から、神奈川県相模原市のソレイユ相模にて、C.ダグラス・ラミスさんの講演が行われました(主催:「さがみ9条の会」)。お忙しいラミスさんはたまたまこの日が空いたということで、沖縄から日帰りでした。演題は「護憲運動の重要性と限界」です。筆者はラミスさん(以下、私)の大ファンなので、楽しみに駆けつけました。

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 講演するダグラス・ラミスさん

『憲法は政府に対する命令である』(ラミスさんに同名の著書あり)

 日本国憲法で最も大事な言葉は「われら」です。「われら」は文法的に憲法全体の主語です。どれだけ重要かは明治憲法と比較するとよくわかります。明治憲法は「天皇」で始まります。構造として天皇の命令となっていて、臣民の権利は天皇から与えられた恵みと考えられます。それに対して日本国憲法の「われら」は180度違います。憲法は文法的構造として政府に対する命令なのです。政府はこういうことをやっていいよ、悪いよ、と書いてあります。主権在民とはそういうものです。形としては明治憲法の改正手続きで今の憲法になりましたが、正反対の原理を入れたのですから、中身は改正ではなく、新憲法です。

 国は新憲法を作った場合、国民も作り直します。国民のアイデンティティの政治的側面は憲法によって決まります。明治憲法における「臣民」は政府のいうことを聞き、国に尽し、玉砕するものでしたが、日本国憲法では「臣民」は「国民」となり、その中身は人権条項によって定められています。「国民」は「市民」であり、積極的に政治に参加し、自分の言葉で判断し、活動すると描かれています。つまり、永田町のやり方が変わっただけでなく、国民自身がまったく別の姿に作り直されたということです。市民社会は憲法あってのもので、今日の集会も言論の自由、集会の自由がなければ開けませんでした。

 新憲法を作りたい人たちからは、今の憲法は「押し付け憲法」だという言い方がされています。それに対して、憲法草案を作る過程で日本国民が参加した、日本のアイデアを取り入れたから「押し付け」ではないという反論があります。しかし、私から言えば「押し付け」を完全に否定するものではないと思います。というよりも、主権在民の憲法はすべて押し付けで、政府の権力を制限するものです。絶対王の時代は、顔が嫌いだから死刑とか歌が下手だから死刑、気に入らない手紙を持ってきたから死刑などということがまかり通っていました。イギリスの大憲章は1215年ですね、そういうことはまずいと、ジョン国王に下から押し付けたのです。憲法とは押し付けるものです。誰が誰に押し付けたのかが大事です。

「われら」が政府に憲法を押し付けた

 憲法を改正したい人はアメリカが日本に押し付けたと言っています。そう言われればいやな気持になりますが、この言い方は乱暴すぎで、実際はもっと複雑でした。戦争直後、GHQは日本国民を仲間と考えていて、憲法はGHQと国民とが一緒に政府に押し付けたのです。政府は押し付けられたと思って当然です。当時、GHQと国民のほとんどはこの政府は権力が大きすぎる、減らさなければと思っていました。両者の結論は同じでした、だから非常に珍しい立派な憲法ができたのです。

 この憲法は1条から40条までは、政府の権力を減らす条項です。1条では神様だった天皇が象徴になりました。その後40条までは人権条項で政府がやってはいけないことがずっと書いてあります。政府にとって気に入らない結社が集会を開く権利も保障されています。41条から政府がやっていいことのリストです。政府の権力を減らす勢いが激しい憲法です。政府に押し付けられたのは9条だけではありません。主権在民も人権条項も押し付けられました。

 憲法改正草案要綱ができたのは1946年3月6日、その2ヵ月後の5月には、冷戦による「逆コース」が始まり、GHQ=アメリカ政府は考えが変わりました。もし、GHQだけに押し付けられたものだったならば、数ヶ月間でなくなったはずです。どうしてなくならなかったのか? アメリカが「変えたい」と言っているのに、どうしていまだにできないのか? その答えは護憲運動があったからです。「われら」は押し付け続けている。今日も押し付けに参加している、そう考えると元気が出ますね。

闘って闘って憲法を自分のものにした沖縄

 「われら」という言葉の中身は2つあります。1つは先ほど申しましたように、「臣民」が「国民」になり、さらに「市民」になったという政治的アイデンティティ。もう1つは「われら」の人口がぐっと減ったということです。つまり、「臣民」の中には朝鮮、台湾、樺太南、琉球などの人々が入っていましたが、日本がポツダム宣言を飲んだ段階でその人たちは「臣民」ではなくなりました。このことは朝鮮や台湾の人々にとっては「解放」です。

 沖縄にとっては簡単に一言では言えません。「解放」と言う人もいたが、そうでない人もいました。その後、米軍政府になって「解放」でないとわかりました。日本国憲法の「われら」に沖縄は入っていませんでした。沖縄に行って意見を聞いたりもしませんでした。憲法草案はチラシの形で回されたと聞いたことがありますが、とにかく「われら」に沖縄は入っていませんでした。沖縄はだから、その後、闘って闘ってやっと自分のものにしたのです。つまり復帰運動によって。闘って憲法を自分のものにしたのは日本中で沖縄だけです。沖縄は大和民族が大好きというよりは憲法がほしかったのです。復帰の日、憲法全文が新聞に載りました。だから、もしこの憲法がなくなったら、沖縄は日本と付き合い続ける理由があるでしょうか? 経済とかありますが、どうでしょうか? 明治憲法から今の憲法に変わった時、「臣民」が変わり、日本はどこまで日本なのかということが抜本的に変わったのです。

 自民党の新憲法草案は自民党自身が「新憲法」だと言っています。つまり国、国民を作り直すものです。沖縄始め、他の地域も、あの憲法になるならどうしてあの国と付き合い続けるのかという疑問が出るでしょう。特に沖縄ですが、多くの地域から出てもおかしくないと思います。

自民党はどういう日本を作りたいか

 自民党の案を今の憲法と比較してよく読んでほしいと思います。自民党がどういう日本を作りたいかがよくわかります。私は憲法の専門家ではありませんが、かなり抜本的な変化が5つあります。

1.前文から「平和」が減り、「天皇」が入りました。天皇の国となっています。「われら」が消え、「日本国民」という言葉になりました。これは私の考えすぎかもしれませんが、国民を「われら」ではなく、「彼ら」と感じます。自分で確かめてみてください。

2.9条と自衛隊の矛盾が悪化します。1項では「戦争はしません」と言い、2項で「自衛軍を作ります」と言う。1と2は矛盾しています。今の9条で守られているところがひとつあります。それは「国の交戦権を認めない」というところです。「交戦権」というのは、兵隊は国の代表として戦場に行けば、人を殺していいという権利です。普通やれば逮捕されるところ、兵隊はやれば勲章をもらえます。憲法は政府に対して「交戦権はない」と命令しており、人を殺せば殺人犯になるので、自衛隊は私の知る限り1人も殺したことはありません。つまり憲法は生きているのです。新憲法は交戦権についてはっきり書いていません。自衛軍については法律によって定めるとなっています。憲法レベルから国会レベルに降ろしています。国会で交戦権の復活ができるようになっています。

3.人権条項についてです。明治憲法では人権は秩序、法律に反しない限りという条件付きで認められています。条件付きの権利は、権利ではなく、「恵み」でしかありません。政府の邪魔にならなければここまでやっていいということです。新憲法草案では「公益および公の秩序に反しない限り」となっています。「公益」とは「国益」であり、これは人権ではありません。人権はなくなります。

4.靖国神社の参拝はやっていいということです。このことについては新聞などに詳しいので、今日は省略します。

5.地方自治については議論になっていないが、かなり書き直されています。自民党が興味のないところは書き直していないので、政治的な興味のある部分なのでしょう。「住民に身近な行政」「適切な役割分担」「相互に協力」という新しい言葉が入っています。日本の政治のおもしろいところは、地方自治のうるさいことで、地方がよく国に口を出します。非核宣言とか軍艦を寄港させないとか、永田町で決めたいことを地方が決めています。最もうるさいのは沖縄で、自民党の知事も政府に対して怒ることがあります。

 95条に1つの地方公共団体のみに適用される特別法は、その地方公共団体の住民の過半数の同意を得なければ、国会は制定できないとありますが、これが削除されています。どの地域に特別法を作りたいんだろうと考えると、答えは沖縄です。ご存じだと思いますが、沖縄には今も外務省の代表である沖縄大使がいます。沖縄は歴史的に植民地なのです。

 これは自民党が正直に教えてくれる通り、「新憲法」なのであって、新しい日本を作りたいという意思表示です。目的は海外で戦争をやりたいというよりも、日本国民を作り直したいという国内向けのものだと思います。今の憲法の下で、日本人は堕落した、女は強すぎ、子どもはわがままになったと自民党は言っています。明治憲法時代の日本が懐かしくて、その方向に行きたいのでしょう。愛国心のある、いうことを聞く臣民に作り直したいのでしょう。教育基本法が「改正」されたことも偶然ではなく、その一環です。

護憲運動の限界は安保条約に触れないこと

 時間がなくなってきましたので、今日のもう一つのテーマである「限界」の話をしましょう。1年近く前、おもしろい若いイギリス人が北海道から沖縄まで自転車でやってきて、私に「話したい」と電話してきました。彼は「9ちゃん」という愛称で、途中途中で護憲の運動に加わり、折り紙の鶴を配ってきたそうです。彼が九州の護憲のシンポジウムで平良夏目牧師に会った時、平良牧師が「9条は沖縄に一度も来たことがない」と言ったそうで、彼は私に「どういう意味ですか」と聞いてきました。私は日本の領土の0.6%の沖縄に75%の米軍基地が集中していることへの怒りの比喩的な言い方だと答えました。私が安保条約のことを言ったら、「なにそれ?」と聞くのです。9条の運動をやりながら、彼は安保条約のことを知りませんでした。

 これには2つの問題があります。1つは彼の個人的な問題で、他人の国に行って憲法についてお説教するなら、もっと勉強しなさいということです。彼にそう言いました。わかったと思います。2つ目は、彼は45位の平和団体と会い、新聞記者のインタビューを受け、テレビにも出たそうですが、それらの誰一人として安保のことを口にしなかったそうです。30、40年前なら考えられないことです。平和運動をする際の最初の言葉が安保反対でした。デモがあれば安保粉砕でした。日本の政治を理解しようと思えば、必ず最初が安保だったのです。ベ平連の雑誌も「週刊アンポ」でした。現在、9条の運動はかなりさかんで、安倍政権がつぶれたのもそれだけじゃないが、それも影響があったと思います。勝っているかもしれません。9条の運動はさまざまあります。しかし、安保反対運動はどうでしょう? 存在はしていますが、あまりありません。9条を語る中で安保を口にしないことが多いと思います。

 半年程前、国連大学のシンポジウムに出た時、終わってから女性が近づいてきて、「9条を世界遺産にすることは可能でしょうか?」と質問されました。私は「安保が続いている限り無理じゃないか。アメリカの軍事力によって守ってもらっているから、世界遺産にするほどの平和状況ではない」と答えました。すると、女性たちは「え! 武器がないと危ないんじゃないですか?」と言ったのです。最初の発言から30秒も経っていません。

 これは極端な例ですが、日本人の過半数は9条支持でかつ安保支持でしょう。よしんば、安保を支持していなくても行動する人はいません。9条を守るほどの反対運動はありません。この女性たちはどうやったらこんな意識が持てるのでしょうか? 頭の中にこの部屋とこの部屋があって、その間にはドアがないのです。部屋と部屋の連絡を取れないのはなぜでしょうか? その答えの大きな部分は沖縄にあると思います。多くの人にとって米軍基地は遠い沖縄にあり、その問題を「沖縄問題」と名づけ、ここは平和憲法の日本だと思っているのです。そういう構造ができているのではないでしょうか? 

「あんなところには住めない」

 ある若い東京の女性が沖縄にやってきて、米軍基地のフェンスのすぐ外に住宅街があるところを通っている間に、興味深い発言をしました。「私はあんな所に住めない」というのです。この言葉で何を伝えたいのでしょう? 1つは繊細な敏感な平和主義者だと褒めてほしいのです。もう1つは「この人たちはどうしてここに住めるのかわからない」という軽蔑です。「私はできない、不思議だ」という、ここに沖縄差別があります。微妙なところに差別が出るのです。沖縄に米軍基地がある法的根拠は安保条約です。安保条約は沖縄が結んだわけではありません。60年安保も70年安保も復帰前でした。東京で結んだのです。基地はすぐそばにあるとうるさいし、怖いし、時々犯罪は起こるし、忘れることができないものです。遠いか近いかはもちろん大きいですが、外国の軍隊の基地があるという恥はどこにいても同じはずです。東京も同じです。「東京は平和憲法、沖縄は違う、あんなところには住めない」とはどういうことでしょう。

 沖縄には年間どのくらいの観光客が来ると思いますか? 500万人です。沖縄の人口の3.5倍以上です。この人たちは全部が全部遊びに来るわけではありません。かなり多くの人が平和ツアーで平和ガイドの話を聞きながら、戦跡や基地を見るのです。では反基地=反安保運動は毎年500万規模で増えているでしょうか? そうではありませんね。逆に減っています。どうしてでしょう? 沖縄に行って何を学んでくるのでしょう? 「あんなところには住めない」「基地は沖縄に置いてよかった」という人が多いのではないでしょうか? 相模原や横須賀にも基地があるのに、修学旅行も来ないでしょう。こんな近くにあるのに。わざわざ沖縄まで行って、沖縄にあるのを確認してくるのではないでしょうか?

9条と基地は表裏一体

 1948年にジョージ・ケナンが東京に来て、マッカーサーと会いました。ジョージ・ケナンは冷戦時代に「封じ込め政策」を考えた人です。彼は「国務省は9条に不満である。軍隊を作らないのは間違いだ、早く作れ」というメッセージを持ってきました。しかし、マッカーサーは断りました。「公約を破るし、180度の変換だから恥をかく。今作ろうとしても国民が反対するし、金もない。役に立つ位の軍隊はできない。強制すべきでない」と言いました。しかしマッカーサーは「でも大丈夫です」と言いました。「もちろん日本を軍事力によって守らなければならないが、沖縄があるから大丈夫。沖縄に基地をたくさん作れば、戦争は飛行機中心だから沖縄で大丈夫」と答えました。その時まで砂利の空港でしたが、半永久的に使える基地を作ろうということで、それが通ったのです。

 つまり9条と基地は同じ政策の裏表です。問題は日本国内にも同じ思想があることです。両方ほしいのです。その物の考え方はわかりますが、自分は戦争はいやだから別の人にやってもらおう、という考えはどうなのでしょう? ある意味で賢いかもしれないが、反戦平和運動とは呼べません。国連大学で会った女性は9条をほめてほしいと思いつつ、米軍に守ってもらいたいと思っています。それに対してブッシュなどは自分はやりたくなくて他の人にやらせているが、平和賞をもらいたいとは言っていません。

 世界の中でなんでもかんでもアメリカ支持は日本だけです。それでうまくいっていると思っているようですが、アメリカのことを理解していません。理解していないからずっと付き合っているとも言えると思います。アメリカは人類の歴史上最高の軍隊を持っています。アメリカを除く世界全体の軍隊よりも大きいのです。そのような軍事力を持ってして、なぜ戦争に勝てないのかを考えた方がいいでしょう。アメリカは第2次世界大戦以来、大きな戦争に勝ったことがありません。朝鮮戦争は引き分け、ベトナム戦争は負け、湾岸戦争にも勝ったとは言えず、イラク戦争には負け、アフガニスタンでも戦争は終わっていません。日本には「長いものには巻かれろ」という諺がありますが、アメリカは本当に長いのでしょうか? 戦争に負ける国と付き合わない方がいいのではないでしょうか。

 日本国憲法は1、2年かけて書こうと思えば、冷戦が始まり、今の憲法はできませんでした。戦争が終わった瞬間にできた未来への贈り物なのです。
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by lumokurago | 2007-11-07 11:36 | JANJAN記事

私にとって身近な場所となった辺野古・高江

私にとって身近な場所となった辺野古・高江 秋の沖縄紀行(7)

<10月2日>
 「北限のジュゴンを見守る会」のSさんと一緒に、Mさんの車に乗せてもらって辺野古へ。今日はグリンピースのエスペランサ号が辺野古に来るので、サラダなどを作ってお迎えします。その手伝いを頼まれたので、本当はカヌーに乗るつもりで来たのですがあきらめました。

 私は去年の7月に辺野古に来ました。その時は何事もなく、話を聞いただけでした。今回は長い大変なたたかいの只中、今日はグリンピースが調査を止めているのです。若者も年配者も、大勢の人たちがグリンピースの出迎えに、船やカヌーの準備でおおわらわでした。そのうちみんなは海へ出て行きました。

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 写真1. 左:M流大胆生け花。右:上陸するグリンピースのメンバー。

 まず、Mさんが自宅の庭から取ってきた花をMさんと一緒に大きな樽に生けました。M流大胆生け花でした(写真1)。それを会場まで運んでから、午前中かかって、サラダ作りをしました。高江からいただいたパイナップルもたくさんありました。高江のパイナップルは最高だそうです。途中で、エスペランサの人たちが上陸するところの写真を撮りにいきました。虹色の旗を立てたボートがたくさん上陸し、出迎えのボートもいたので、浜は賑わっていました。「非暴力」のTシャツを着た人が目立っていました。それから小屋に帰ってきてお皿に盛った食べ物を港に作った会場まで運ぼうとしていたら、若者たちが積極的にどんどん運んでくれました。

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写真2. 左:まよなかしんやさんとおばあたち。右:ごちそうの数々。

 会場ではまよなかしんやさんがコンサートを開いていました。辺野古のおじい、おばあたちが7、8人見えていました(写真2)。おじいの代表はグリンピースの代表に挨拶し、前にグリンピースが来た時にもらった帽子を見せて、このおかげで長生きしているから、もう一つ下さいと冗談を言っていました。なごやかな雰囲気で会食が始まりました。

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 写真3. 左:夜光貝をさばく。右:踊るおじい。

 石川市に住む漁師さんは「夜光貝」をたくさん取ってきてくださいました(写真3)。「石川にはもうないけど、辺野古にはまだたくさんあるんだよ」とのことです。刺身にしてくださった貝を、みんなでいただきました。貝のわたは海に捨てていましたが、東京から来た人は「もったいない。東京ではあれもおいしく食べるのに」と言っていました。夜光貝は東京では1つ何千円もするそうです。とてもきれいな貝殻なので、無理を言って、おみやげにもらってきました。ただし磨くのが大変そうです。磨けば美しいつやのある青緑色になります。

 さて、グリンピースのメンバーは辺野古の海の調査に出ていき、私はお役御免になりました。Mさんに「高江に行きたいがバスの便が悪いので、明日レンタカーを借りて行こうと思う。2年も運転してないけど、なんとかなるだろう」と言ったところ、よっぽど危なく見えたらしく、5時から仕事だというのに、急遽高江まで連れて行ってくれるということになりました。

 いつもワンセットで報道されるせいか、なんとなく高江は辺野古から近いイメージだったのですが、それはただの思い込みで、辺野古から車で1時間以上も離れていました。思いがけずMさんと楽しいドライブをして、高江まで行きました。JanJan記事の写真などでよく見た座り込み場所はここでした!(写真4)ゲートが2つあって、もう一つの方が手薄だから、そっちに行ってほしいと言われましたが、Mさんは5時から仕事なのですぐに戻らなければなりません。残念でした。

 座り込みをしながら、拾った小鳥のヒナに餌をやっている人がいました(写真5)。餌はキャットフードだそうです。小鳥のヒナを連れてまでここに来ているんですね。それほど切実なのだなあと思いました。たった15分ほどいただけでトンボ返りでしたが、これから高江の記事を読む時、「あそこなんだな」と思うことができると思うと、今までとは全然違うと思いました。

 紛争地の写真を紹介している写真家の長倉洋海さんが、昔、エルサルバドルでへスースという少女を撮影していて、「その土地に知っている人が1人でもいれば、その土地は自分にとってかけがえのない土地になる」というようなことをおっしゃっていました。私は長倉さんのおかげでへスースを知って、エルサルバドルがかけがえのない土地になりました。私のこの報告では物足りないとは思いますが、高江で小鳥のヒナに餌をやっていた人がいたと知ることで、高江をもっと身近に感じていただければうれしいです。
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 写真4. 高江のテント
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 写真5. 小鳥のヒナ
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by lumokurago | 2007-11-06 11:47 | JANJAN記事

海は別世界・沖縄紀行(6)

海は別世界 秋の沖縄紀行(6)

<10月1日>

 次はいよいよ辺野古に行こうとして、新石垣空港問題公聴会で知り合った「北限のジュゴンを見守る会」のSさんに電話しましたが、今日は泡瀬干潟に行くとのことでした。明日グリーンピースのエスペランサ号が辺野古に来るため、彼らを迎えて集会を開くのでそっちを手伝ってほしいとのことでした。1日暇ができました。それで海で遊ぶことにしました。

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 左:シュノーケリングをしたゴリラチョップというポイント(岩をよくご覧ください)。右:ゴリラチョップの延長線上にある海。 

 ホテルにあったチラシのダイビングショップに電話したら、当日でもOKとのこと。このところプールで泳ぐ暇もなく、ダイビングは2年半もブランクがあるので、まずシュノーケリングに申し込みました。ガイドのユリちゃんは小笠原父島に行ったことがあるとのことで、小笠原に3か月も滞在したことのある私と話が合いました。

 以前私はうつ病がなかなか治らなくて、これは転地療法しかないと自分で判断し、どこに行こうかなと考え、小笠原に行ったことがあるのです。本来山女なのだけれど、当時足を悪くして山登りはできなかったため、今度は海がいいなと思い、でも人の多いところには行けない状態だったので、沖縄ではなく、小笠原に決めました。

 この時は、父島に2週間位いた後、母島に移動して2カ月半位滞在しました。ダイビングの免許など取るつもりはなかったのですが、母島唯一のダイビングショップ「クラブノア」に出入りして、スタッフの話を聞くうちに、彼らの自然に対する姿勢に共感し、ついにダイビングの免許を取ることになったのです。

 クラブノアは母島漁協の委託で運営されているショップです。母島全体の観光収入を増やすためにやっているので、クラブノア自体が儲かるかどうかは二の次、母島に観光客を呼べればいいのだということでした。そのため宿泊施設も併設していませんでした。それに海をできるだけ傷つけないため、ダイビング船はアンカー(錨)を使用せず(ダイビングの度にアンカーを打てば、そのたびにサンゴを傷つける)、固定ブイを使用していました。固定ブイもサンゴを大きく傷つけますが、ダイビングの度にアンカーを打つよりはダメージが少ないのです。だからこそ漁協もダイビングを解禁したということです。

 話がそれました。2年半ぶりの海はすばらしかったです。海の中はこの地上とは別世界なのです。手足を少し動かせば、母なる海に漂っていられます。この世のもとは思えない美しいサンゴや魚に出会えます。写真がないのが残念だけど……。テレビで見たことがあるでしょう? 海の中を想像してください。

 私が母島で描いた下手な絵をどうぞ。

参照:
・母島の絵本
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by lumokurago | 2007-10-30 17:41 | JANJAN記事

「沖縄」はなぜ歪曲、攻撃されるのか

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 東京で「大江・岩波沖縄戦裁判支援首都圏の会」が開かれ、「沖縄平和ネットワーク」の大城将保代表世話人が「日本は強い国になりたいと思っている人たちは、『軍隊は住民を守らない』という沖縄が邪魔。安倍内閣の発足で一斉に沖縄攻撃が始まった」と、教科書問題の背景について語った。

「集団自決」問題の矮小化と真実

 大江・岩波裁判で原告は、すべて慶良間諸島の梅沢隊長、赤松隊長の命令があったかなかったか、これさえはっきりすれば解決すると言っています。しかしいわゆる「集団自決」が渡嘉敷島、座間味島だけで起こったのかといえば、そうではなく、沖縄のあちこちで起こったのです。今日、資料として「沖縄戦における『集団自決』と『住民虐殺』の事例一覧」をお配りしてあります。これは私が足で歩き、体験者、つまり生き残った方々に聞いて作ったものです。

 マスメディアは沖縄の苦労に対して、政府は冷淡すぎだとか、かわいそうだからもっと沖縄の声に耳を傾けるべきだという論調ですが、ここには落とし穴があります。ならば謝ればいいのか? そうではありません。

 梅沢隊長、赤松隊長の命令があったかなかったかということだけに問題が矮小化され、沖縄の常識が本土には伝わりません。沖縄戦ではいたるところで「集団自決」と「住民虐殺」がありました。

 2つの隠ぺいがあります。1つは「集団自決」というと慶良間のみ、梅沢・赤松のみとし、他を見えなくさせています。これは原告側の策略です。2つ目は、「集団自決」の裏には表裏一体のものとして「住民虐殺」があります。見せしめとして「処刑」と称して虐殺し、恐怖感を与え、「集団自決」に追い込むため、住民虐殺が行われていました。

 先ほどの資料は個人で拾った未完成な資料ですが、現場で聞いて確かめたもので、他にもたくさんあると思います。というのは、「集団自決」というのは一家ごと死んでしまうので、死んだら証言できないからです。沖縄本島では人口の3人に1人が亡くなっています。3分の1の人は死んで証言できない。一緒に死のうとして死ねなかった、かろうじて生き残った人が証言しているだけだからです。

 軍隊というものは目の前で命令するのではなく、口頭の命令を伝令が伝達するのです。村長や警防団長らが軍命を伝える役割を担っていました。命令文書が見つからないから命令はなかったとするのは、戦争を知らないから言えることです。戦場の現実というのは非日常なので、一般にはわからないものです。

 私は「GAMA・月桃の花」という映画の原作・脚本も書きました。モデルの1人にその映画を見てもらったら、「現実はもっとひどかったのよ」と言っていました。彼女は「ガマの中はあんなに明るくないもの」と言いました。乳飲み子を餓死させ、冷たくなった体を1週間抱いていたそうです。あかりがなかったので死に顔をみることさえできず、「覚えているのは指先だけよ」と言っていました。何も言えませんでした。

 私は5歳の時に熊本に疎開し、安全地帯に逃げたので、沖縄の人たちには引け目を持っています。亡くなった人のことを考えると、戦争で生き残った人たちは60年経っても心の傷を癒すことはできません。2年前に玉城村史を出しましたが、まだ語らない人がいます。

 各村で勤労青年団、女子青年団を組織し、女子青年団は野戦病院に行きました。「ひめゆり」や「しらうめ」だけではないのです。防衛隊はどの村からも行っていますが、みんな同じことを言っています。手榴弾を2個持たされ、1個は敵に、1個は自決用だと。住民にも強制したのです。あるおじさんは手榴弾を腰に縛り付けていた縄が切れて、手榴弾をなくしたために生き残りました。軍隊では「しゅりゅうだん」ではなく「てりゅうだん」と言い、沖縄では今も「てりゅうだん」と言っています。

沖縄を標的に

 復帰してしまうと日本軍の残虐性がうやむやにされてしまうのではないかということで、1970年代から、戦争史を作ろうという動きが始まり、「沖縄県史」を作りました。自由主義史観の人たちは、そろそろ風化しているだろうということで、60年も経ってから慶良間諸島の座間味島、渡嘉敷島に2泊3日で調査に行き、帰ってから報告会を開いて、現地に行ったら軍命はなかった、と報告しました。2005年5月に教科書を訂正すべきだと決議文をあげ、8月に梅沢隊長と赤松隊長の弟が提訴しました。2007年3月には検定結果が発表されました。

 この3つはつながっています。裁判と検定問題があって複雑ですが、どちらも全体像を表に出したくないため、隊長命令があったかなかったかの一点に絞っています。本人が「ない」と言えば重みがある、とか両論併記でいいんじゃないかと言う人もいますが、沖縄の立場は「軍命はあった」とはっきりしています。

 自由主義史観の者たちが、安倍内閣が発足して全体が右寄りになり、今なら沖縄を攻撃してもたいしたことないだろうと、一斉に沖縄を標的にしたのです。こんなに露骨に教科書につながるとは思っていませんでしたが、我々は調査研究プロジェクトを作り、分析研究していました。危機感があったので敏感に対応していました。一般県民は改憲への傾斜、教育基本法の改悪、改憲手続き法の制定などが動き出したことで、直接身に降りかかってくると思い、新聞に続々と投書が載りました。

 沖縄戦でとことんつきあたるのは、「集団自決」と「住民虐殺」です。これがなぜ起こるのかを考えることが大切です。読谷村のチビチリガマでは140名が「集団自決」をはかり、83名が死にました。反対に、すぐ近くのシムクガマには1,000名がいましたが、「集団自決」を中止しました。『かんからさんしん』をご覧になって、「最後はみんな助かったんじゃないか」とお思いになったでしょう。どうして生き残ったのか?

 それは大事なテーマです。みんな死のうと思って行動したのに、あるところで踏みとどまった。「死んだ」ではなく、虐殺や恐怖からどうやって生きるかが大事です。心の中で何が起こったのでしょうか? 『かんからさんしん』は事実をフィクション化し、象徴化しています。芸術作品です。

「生のガマ」と「死のガマ」

 「生のガマ」と「死のガマ」というテーマで考えてきましたが、遺族の気持ちを考えると、とてもできなかったです。シムクガマはチビチリガマに遠慮して、一切語らんでおこうということで、誰言うとなくタブーになりました。戦後50年にやっと記念碑ができましたが、遠慮しいしい、申し訳ないと思いつつなのです。

 軍隊がいて、米軍に包囲されていて「集団自決」が起こらなかった所は慶良間諸島の阿嘉島、中城湾の津堅島です。津堅島では軍民一体化していました。なぜ「集団自決」が起こらなかったのでしょうか。住民は一か所においつめられ、手榴弾を渡され、晴れ着に着替えて死の準備をしていました。

 その時、突如、3、4歳の女の子が猛烈に泣き出して、着物を破いたのです。鳴き声が洞窟に響き渡り、人々はそれに心を奪われました。「日本兵に殺されるよ」と言いました。泣くということは大変なことなのです。その時、おばあさんが、「神様のお告げかもしれないよ」と言いました。「どうした? どうした?」と泣いている子どものまわりに集まっている間に、死ぬことを忘れてしまったのです。「集団自決」というのは普通の精神状態ではできず、心が凍りつき、死に集中しなければできないものです。

 復帰前の1968年の防衛庁戦史には、慶良間諸島では小学生、婦女子までもが崇高な犠牲精神のため自ら命を絶つ者もあった、と書かれています。それが公式見解でした。軍責はなかったとされています。軍隊というのは組織的なもので命令だけです。住民には住民の論理があり、ぶつかりあったというのが沖縄戦の一側面です。アメリカよりも日本兵がこわくなったのです。軍と民の論理の対立があり、一般民衆の論理をどうやって残せばいいのかが大事なのです。

 チビチリガマは米軍上陸地点からわずか1kmのところにあり、数日前まで軍隊がいました。警防団と青年団は竹やりで武装していました。最後の切り込みがあり、それが引き金になって、1回バーンとなると、それが誘い水になり、自分たちだけ残ったら大変だと1発の銃声でワーっと突っ込んでしまったのです。

 シムクガマも全く同じ状況にありました。「最後だ、切り込みに行くぞ」と竹やりで機関銃に向かっていこうとした時、ハワイ移民帰りのおじいさんが「おまえら、何やってんだ、捨てろ、やめろ」と止めました。晴れ着に着替えていましたが、おじいさんに叱られてバーンと切れて、立ちすくんでしまったのです。おじいさんと甥が「アメリカと交渉してくる」と出ていって、2人が投降するように人々を説得したのです。映画に残っています。

 阿嘉島ではリーダーの人が「これから死ぬぞ」と手榴弾をやったら、音が出ない。その空白の時間に目が覚めたのです。凍りついた心が元に戻ったのです。生と死の境というのは非常に微妙なものです。頭の中は皇民化教育ですが、「生きたい」という心がある。それは普段は言えません。言ったら殺されてしまいます。何かの拍子に解放されると「生きよう」となるのです。

 沖縄市の美里では字ごとに掘り起こしをしています。これから続々と出てくるでしょう。「死ぬ前に村史に書かないと」と60年かかって「○○さんはこうして死んだ」という証言が出てきています。今、市町村、字でやっているのでどんどん出てくるでしょう。美里では飯田隊長が女子どもが邪魔だとし、地元の兵になれない年齢の人に「我々は南部に行くから、家族を殺してこい」と命令しました。手榴弾はもったいないから、家に閉じ込めて火をつけて焼けと命令しました。美里部落の青年団で伝令した人の名前もはっきりしています。

軍隊は住民を守らない

 軍と住民が混在した場合、住民は軍隊の犠牲になるのだということは、沖縄で10人に聞けば10人がそう答えます。「命どう宝」が合言葉で、軍隊は住民を守らなかったのです。今、国は徴兵制を復活させないと、もたないと思っていて、「強い国になりたい。強い軍隊を持ちたい」と思っています。だから「軍隊は住民を守らない」という沖縄が邪魔なのです。

 沖縄は今までに何度も同じ目に遭っています。博物館の銃剣も一旦撤去されたものを引き戻しました。沖縄は「かわいそう」ではありません。経験を積んできました。教科書問題は日本全体の将来に関わるので未曾有の歴史的な県民大会を成功させました。集まったのは4万5千だとか1万だったとか言っていますが、問題をそらそうとしているのです。「軍隊は住民を守らない」、これを困る人が沖縄に攻撃を向けているのです。油断していると、将来日本が「軍隊は住民を守らない」を実地に体験することになるでしょう。
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by lumokurago | 2007-10-27 12:30 | JANJAN記事

車に轢かれる動物たち・秋の沖縄紀行(5)

車に轢かれる動物たち 秋の沖縄紀行(5)

 カメが道路を知っているなら、道路を避けて歩くでしょう。でもカメは何も知らない。森を歩いているつもりでいつのまにか道路に出てきてしまうのです。そして車に轢かれ、あるいは側溝に落ちて死ぬ……カメだけではないようです。

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 大保ダム工事現場
(特記を除いて、写真は筆者撮影)

<9月30日>後半

 奥間川散策の後、Kさんが大国林道に連れて行ってくれました。

 【大国林道はやんばるの山の真ん中を南北に縦断する全長35.5kmの林道で、1977年から17年の歳月と45億9千万円の建設費(国費80%、県費20%)をかけて造成されました。それらは亜熱帯の山の地形を著しく変貌させ、大量の赤土を流出させ、サンゴの海を破壊しました。

 さらに大国林道を北へ14.2km延長する奥・与那林道も完成し、これらの基幹林道に無数の支線の林道が連結され、やんばるの森の林道密度は全国平均値をうわまわっています。また、完成した後も大雨や台風などで各地点で崩壊が起こり、復旧工事に多額の費用が投入され、長期にわたる通行止めが繰り返されています】

 以上、パンフレット『亜熱帯の自然・やんばる』(作成:奥間川流域保護基金)より。

 林道には側溝が作られ、さまざまな生き物がそこに落ちて、這いあがれず、干からびて死んでいきます。県は、生き物が落ちても這いあがれるように側溝の壁の片側を傾斜させたと言っているそうですが、傾斜が急なので這いあがれず、何の効果もないそうです。

 「あっ」と言ってKさんが車を止めました。道路の真ん中に何かいます。本土のイシガメの仲間リュウキュウヤマガメでした。「まだ、子どもだよ」と言いながら、Kさんは軍手をしてカメを持ち上げ、森に返しました。「私は注意してゆっくり走っているから気がつくんだけど、そんな人は少ないから、轢かれちゃうことが多いんだよね。林道ができたばかりの頃は、時々見回って道路にいるカメを戻したりしてたんだけど……」。

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リュウキュウヤマガメ (本土のイシガメの仲間)

 とまた、道路に何かいます。「また、カメ?」と私が言うと、車を止めてKさんは言いました。「あれはもう轢かれてる」

 カメが道路を知っているなら、道路を避けて歩くでしょう。でもカメは何も知らない。森を歩いているつもりでいつのまにか道路に出てきてしまうのです。そして車に轢かれ、側溝に落ちて死ぬ。人間てなんという犯罪者なのでしょうか! 自分たちだけの地球じゃないのに、自分勝手すぎる。

 それから建設中の大保ダムを見に行きました。美しい亜熱帯の森が赤土がむきだしの荒廃した工事現場に変わっています。無残です。県民の水は足りているそうなのに、人間はなんで森を伐ってダムを造るのだろう? 地元住民は異口同音に「誰もダムを望んでいない」と言っているそうです。なぜやめられないのだろう? これ以上自然を破壊すれば、生物の一種である人間もいつの日か滅びるだろう。人間はいつまで自らがその一部である自然を破壊するというおろかな行為をやめられないのだろうか?

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やんばる奥地ではこうした皆伐も行われている (撮影・奥田夏樹)
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 与那覇岳周辺の林道
(撮影・奥田夏樹)
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 ハシカンボク
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 ゴンズイ
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by lumokurago | 2007-10-25 12:04 | JANJAN記事

杉並区議会の意見書(沖縄集団自決問題)は欺瞞そのもの

杉並区議会の意見書(集団自決問題)は欺瞞そのもの・妥協の産物

「つくる会」教科書を採択した杉並で決議された意見書とは?

 10月17日、東京都杉並区議会で「沖縄戦『集団自決』についての教科書検定に関する意見書」の審議が行われ、杉並自民議員倶楽部、公明党、民主党、共産党、自民党、生活者ネット、社民党の全党派、さらにその他少数会派、ひとり会派までが一致して賛成、反対は2名、退場1名で決議されました。しかし採択された意見書は、こんなにも必死になって検定意見の撤回を要求している沖縄を完全に裏切る内容でした。この意見書には肝心カナメの「集団自決には軍の関与があった」という言葉と「検定意見の撤回を求める」という言葉が入っていないからです。

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 9月29日に沖縄県宜野湾市で開かれた県民大会にて(撮影:兼城淳子)

 杉並区は2005年、全国で0.39%の採択率だった「新しい歴史教科書をつくる会」主導の扶桑社版歴史教科書を採択しました。山田宏杉並区長は、アメリカ議会で「従軍慰安婦」問題に関して日本政府の公式謝罪を要求する決議が採択された時、アメリカの新聞に「『従軍慰安婦』はなかった」とする「事実(FACT)」という広告を出した議員らの中に名前を連ねています。つまり山田区長は「つくる会」と同じ歴史観の持ち主なのです。そして杉並区議会は「つくる会」教科書を採択した区長の不法行為を追認しました(私たちは区長を被告に裁判を起こしました)。そんな区長のもとで決議された意見書をまずお読みください。
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沖縄戦「集団自決」についての教科書検定に関する意見書(杉並区議会)

 文部科学省は、本年3月30日、平成20年度から使用される高等学校用日本史の教科用図書を審査する教科用図書検定調査審議会において、沖縄戦における集団自決の記述について、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」との検定意見を付し、日本軍の関与を削除する修正を行った。これに対する沖縄県民の願いを十分に理解し、その動きを注視するものである。

 追い詰められた戦争末期、国内唯一の地上戦が行われた沖縄において、県民が筆舌に尽くしがたい境遇におかれ、多くの戦没者、犠牲者が生まれたことについては、紛れもない事実であり、心からの哀悼の意を表するとともに、亡くなられた方々への思いを真摯に受け止め、その体験の持つ重みを日本国民全体で表現し、平和を希求する思いを強く持たなければならない。

 教科書は、未来を担う子どもたちに事実を伝える重要な役割を担っている。沖縄戦における「集団自決」の事実を正しく伝え、沖縄戦の実相を教訓とすることの重要性や、平和を希求することの必要性を子どもたちに教えていくことは、我々に課せられた重要な責務である。

 よって、杉並区議会は、国会及び政府に対し、平成20年度から使用される高等学校用日本史教科用図書における沖縄戦の記述に関して、速やかに対策を講じることを強く求めるものである。
(ここまで)
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沖縄の声は「撤回」です

 このように「軍の関与」「検定意見の撤回」には一言も触れていません。文科省は「『集団自決』は日本軍の強制によるものだった」とする教科書の記述に対し「沖縄戦の実態について、誤解する恐れのある表現である」と検定意見をつけ、「日本軍の強制」記述の削除を求めました。沖縄は文科省が「集団自決に軍の関与はなかった」と、歴史の事実を曲げたことに対して、集団自決の体験者として、遺族として怒り、検定意見の撤回をこそ求めているのです。復帰後最大の11万6,000人という県民大会(「教科書検定意見撤回を求める県民大会」)を成功させ、立ち上がったのです。検定意見を撤回すること、その上で記述を回復することが、沖縄県民大会の決議であり、沖縄の声です。「軍の関与」を書かず、検定意見撤回を要請しない意見書は、沖縄の声の真の意味をとらえておらず、国・文科省の立場を擁護するものでしかありません。

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 県民大会にて(撮影:兼城淳子)

 文科大臣は検定意見を撤回することは「検定への政治介入で制度をゆがめることになる」からできないとしています。これに対して沖縄タイムス社は、教科用図書検定審議会は文科省職員である教科書調査官の「調査意見」を追認しただけで、きちんと審議しなかったことが明らかになっており、今回の検定は文科省による政治介入ではないのかと社説で述べています(10月8日)。だからこそ沖縄は撤回を求め、200名規模の要請団が何度も上京し要請し続けているのです。

 意見書の「沖縄戦における『集団自決』の事実を正しく伝え、沖縄戦の実相を教訓とすることの重要性や、平和を希求することの必要性を子どもたちに教えていくことは、我々に課せられた重要な責務である」という美しい言葉にしても、「『集団自決』の事実」が「軍の関与はなかった」とされてしまえば、どうでしょう? 「沖縄戦の実相」は「軍隊は民衆を守らない」ということですが、「軍の関与」がなかったとなれば、その中身もゆがめられてしまいます。私たちは権力があとで勝手に解釈できないように、幾重にも縛りをかけておく必要があるのです。

区民の陳情とはかけ離れた意見書

 実は杉並区では県民大会後早々に、区民が署名を集め検定意見の撤回を求める陳情を出していたのです。その陳情は取り上げられませんでした。その後、議員提案で意見書を提出する動きが出、区民は議員に働きかけ、「軍の関与」と「撤回」を入れるよう意見を言っていきました。しかし「つくる会」教科書を採択した杉並区です。議員の中には強硬に反対する人がおり、いったん意見書提出を決めた議員たちにとっては意見書の中身ではなく、決議をあげること自体が最終目的になってしまい、彼らと交渉を重ねるうちに区民の陳情の内容とはかけ離れたものとなっていきました。

 決議当日の議会にもおおぜいの区民が傍聴にかけつけました。杉並自民議員倶楽部は「沖縄の人々の犠牲の上に今の日本の平和がある」と賛成意見を述べ、私は思わず「心にもないことを言うなよ!」とヤジっていました。本気でそう思っているなら、基地を東京に持ってこいよ! こんな欺瞞だらけの人たちと一緒に意見書なんて出せるはずがないと思いました。それなのに別の案を出した2名と退席した1名以外の会派は、この虫唾の走る陳述と同じ立場に立って賛成意見を述べたのです。

 結局のところこの意見書は区議会議員の妥協の産物にすぎません。沖縄のことなどこれっぽっちも考えていないのです。傍聴していた区民はヤジで抗議しました。「出さない方がいい意見書だってあるよ」と。

 18日の朝刊で杉並区議会が意見書を採択したことが報道されました。東京23区初だそうです。意見書の内容までは報道されませんでしたので、何も知らない人々はまたもや「杉並区ってすごい」と思ってしまうことでしょう。

 意見書に賛成した区議会議員たちは沖縄のことなど何もわかっていません。想像することもできないのです。だからこんな意見書に賛成したのです。彼らはこちらの土俵に相手を巻き込んだと思っているかもしれませんが、全く逆で相手の土俵に取り込まれてしまったにほかなりません。山田区長の手のひらの上で踊っただけです。

批判を排除せずに議論を

 さらに「出さないよりはよい。超党派で決議したことに意味がある。実はあとで取っていける」としてこの意見書を評価する区民もいます。私のように批判する区民はおそらく少数でしょう。しかし、「つくる会」教科書を採択するような人たちと共闘することなど可能でしょうか? 違うものは違う。無理に共闘したら、取り込まれてしまうのです。今度のことで杉並が「つくる会」教科書を採択した理由がわかりました。62年間沈黙しつづけ、今回初めて証言したようなおじい、おばあのような自分を賭して抵抗しようという心意気がないのです。人間としての覚悟のないものわかりのよいインテリぶった妥協が「つくる会」教科書を呼び込んでいるのです。

 沖縄のおじい、おばあが、そして県民大会で発言した高校生がこのような妥協を許すと思いますか? 議員を始め今回の意見書を評価する人たちには批判する少数の区民を即排除するのではなく、批判に耳を傾けて大いに議論し、理解し合うことを求めて模索していくことを望みます。それが民主主義の根源です。私たちはどこまでも本質を見失わず「理想」を追求し、その時はたとえ成果がないように見えても決してあきらめずに1筋の道をゆかねばならないと思います。

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 県民大会で会場に入れず道路で「がんばろう」を3唱する人たち(撮影:兼城淳子)

「戦後0年」の沖縄より

 ところで、杉並区の意見書について沖縄の友人に電話で知らせたら、即座に「それじゃあ意味がないね」と返ってきました。「それじゃ文科省と同じじゃない」と。

 友人が言うには、沖縄はまさに目取真俊の「戦後0年」という本のままで、今でも毎日がたたかいなので、心の中ではみんなが怒っており、本土とは「温度差」以上のものの考え方の違いがあるということです。沖縄では隣近所で日常的に基地や平和について話しているそうです。選挙の時こそ、経済的なことを言われてついついそうなるが、みんなの心の中には基地反対ということがあるそうです。

 最近、県知事がだんだん「(検定意見)撤回でなくても記述を戻せばいい」と言いだして、みんながまた怒っているそうです。本土では「9条を守ろう」という運動があるが、その9条のもとの差別が沖縄にあるのであって、返還の時に本土からよけいな基地を沖縄に持ってきて(静岡などから持ってきたそうです)、それで日米安保条約が成り立ち、沖縄以外は平和だということになっているけれど、ここに住んでいれば、先ほども頭の上をヘリが飛んで行って、日本はイラク戦争に加担していることもわかる。集団自決の経験者は、軍の関与があったと言っている。あとはその立場に立つかどうか、それだけ。沖縄は沖縄戦で人口の3分の1が亡くなっており、みんなが家族や親戚を亡くしているから、すぐその立場に立てるということでした。沖縄ではみんなそう思っているから、平和を言うのは楽。軍隊は住民を守らないということを沖縄の人はよくわかっているということで、県民集会は我慢に我慢を重ねてきた11万6,000人の民衆の声だったそうです。

 世界の英知を集めれば戦争はなくなるはず。沖縄の女の考え方を世界の思想にすれば戦争はなくなる。今、日本が変わらなければ、沖縄の声を聞かなければ、日本は滅びると思うとおっしゃっていました。

 私が今度東京に来て話してほしいと言ったら、「こんな話は沖縄では誰でもするのよ」と友人は笑って言いました。そして沖縄では楽だけど、本土でこういう運動をするのは本当に大変でしょうとまた、ねぎらってくれました。「がんばって」というのは沖縄には合わない、沖縄では「できることをやればいい」という感じだそうで、私は「楽しくやりましょうね」と言って電話を切りました。

調子下げ妥協 他県と温度差

 10月19日の沖縄タイムス朝刊トップは、九州知事会が「沖縄県の教科書検定問題に関する要望」についての決議を全会一致で採択したという記事でした。その決議には、県議会や県内全市町村議会で検定意見の撤回と記述回復を求める意見書が可決されたことや、9月29日に沖縄県宜野湾市で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で意見撤回を求める決議が決議されたことを明記。沖縄戦については「史上まれにみる激烈な地上戦を体験し、一般県民を含む多くの尊い生命を失った」として、国に対し「筆舌に尽くし難い犠牲を強いられた沖縄県民の心情を重く受け止め、沖縄県の教科書検定意見に関する要望に対して真摯に対応することを強く要望する」と書かれているそうです。これは杉並区議会の意見書よりも踏み込んだ内容です。

 しかし2面には「調子下げ妥協 他県と温度差」という見出しで、決議を提案するまでの事務サイドの“調整”には紆余曲折があり、文言では若干トーンダウンしたが、県として「落とし所」(県幹部)を模索し、「実」を取る選択をしたことが書かれていました。記者は「決議を実効性あるものにするために、温度差をどう埋めていくのか。県の姿勢が問われる」と厳しく迫っています。杉並区議会議員とこの意見書を評価する区民には同じことがもっと厳しく問われています。
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by lumokurago | 2007-10-21 14:50 | JANJAN記事

豊かな自然の残る奥間川 秋の沖縄紀行(4)

 豊かな自然の残る奥間川 秋の沖縄紀行(4)

 9月29日・県民大会の夜は、うるま市の友人宅で留守中録画した琉球朝日放送とNHKの県民大会特集番組をダビングしてもらいながら、全部(両方で約4時間)見ました。沖縄の思いがこめられた番組なので、ぜひ本土で放送してもらいたいと思いました。渋滞のため、友人の家に帰りついた時間は遅くなり、寝たのは1時を回ってからでした。

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 やんばるの森のきのこ(1枚を除き著者撮影)

<9月30日>

 朝、県民大会の興奮もさめやらぬまま、6時発のバスに乗って名護に出ました。エスペランサ号で知り合ったKさんが奥間川を歩く会に連れて行ってくれるのです。

 沖縄本島北部は「やんばる」と呼ばれ、亜熱帯の森でおおわれています。「山原」と書きます。ここには有名な絶滅危惧種ヤンバルクイナ、ノグチゲラを始め、絶滅危惧種イボイモリ、ホルストガエル、イシカワガエル、リュウキュウヤマガメなど貴重な動植物が生息しています。

 ちなみに、琉球列島は、国土の面積に占める割合は約1%ですが、日本全土にすむ哺乳類のうち20.7%もの種が生息しています。沖縄本島は、面積でいえば全土の約0.3%ですが、哺乳類の12.2%、鳥類の33.2%、カエルは25.6%、トンボは41.6%、セミは27.0%、蝶は22.4%もの種が生息します。生物多様性で際立った地域なのです(参考『沖縄やんばる・亜熱帯の森』平良克之・伊藤嘉昭:共著)。

 しかし、米軍の基地建設や軍事演習、また本土復帰後30年間の日本政府による6兆7,000億円もの公共投資による公共事業により、、沖縄の自然は回復不可能なほど破壊が深刻化しているそうです。「やんばるの森」にも国の多額の高率な補助金が投入され、ダム建設や林道開設、農地造成によって山が削られ、沢が埋められました。

 このような中で国頭村の奥間川流域は豊かな自然が残った数少ない地域の一つだそうです。しかしここにもダム計画があり、すでにボーリング調査を終え、大保ダムに連結するダムが建設され、2014年には沖縄北西部河川総合開発事業が完成することになっています。現在は、奥間区民の合意が得られていないとのことで、具体的な作業はストップしているそうです。

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奥間川(左は砂防ダム)

 Kさんたちは豊かな自然の残る奥間川流域の山林を購入して保護し、次世代に継承しようと「奥間川流域保護基金」を結成、特定非営利活動法人として県認証も受け、奥間川流域に約10万坪の山林を共有しているそうです(参考・パンフレット『亜熱帯の自然・やんばる』NPO法人・奥間川流域保護基金作成)。

 「奥間川流域保護基金」では奥間川を下流、中流、上流に分け、散策する会を行っています。「参加希望者が多いが、全員が入ると自然が荒れてしまうので、人数を限っている」とのことでした。また「中流は流れが急で歩くのが難しいこともあって、1年に1回にしている」とのことでした。私が今回参加させていただいたのは下流でした。

 名護からKさんの車に乗せていただき、9時半には国頭村の集合場所に着き、奥間で生まれ育ったAさんの案内で、森に入って行きました。亜熱帯の森は緑が濃くうっそうとして熱と湿気がこもっており、カナカナの一種というかん高いセミの声が響いています。セミというより鳥の声のようです。

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 時折ザーッとスコールが来て、やがてぴたりと止むと緑が逆光に輝きます。ルリ色の胴と黒い羽をもったトンボがいました。リュウキュウハグロトンボだそうです。

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奥間川

 川に入り、石を伝い、足を濡らして何度も川を渡りながら上流へと向かいます。蝶が多いのですが、残念ながら写真に撮ることはできませんでした。リュウキュウアオヘビも見ました。よく見ないと木の枝との区別がつきません。

 ここで育ったAさんは何でも知っていて、木の名前や花の名前を教えてくれました。11月になればオキナワウラジロガシの日本一大きなドングリも拾えるそうです。高さ15mもある砂防ダムを越えたところでお弁当。川原の石はみな薄い小判型をしています。ピンクのかわいい小判で水切りをして遊びます。

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 帰りは違う道を通り、炭焼き窯跡を見せてくれました。昭和初期まではこの辺一帯には家がたくさんあり、人々が暮らしていたそうです。昔このあたりに住んでいた玉城ウメさんは、村の小学校に通うため毎日5時に起きて川を歩き8時に学校に着いたそうです。ウメさんの思い出話は『清流に育まれて』(奥間川に親しむ会・編)という冊子に詳しく載っています。

 ウメさんは「私には貧乏生活が薬なの。ちょうど幼い時のユルジ山の気持ち。1銭もない生活ですが楽しいですよ。いい信仰を持って、いいお友達、いい子供たちに恵まれて。私のとりえは健康だけ」と話し、自然に恵まれた奥間川での暮らしを懐かしんでいます。(つづく)

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 ギランイヌビワ(幹に実がなっている)
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 ヒカゲヘゴ
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 シダの仲間
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 ハシカンボク
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by lumokurago | 2007-10-20 11:27 | JANJAN記事

熱気あふれる県民大会 秋の沖縄紀行(3)  JANJAN記事

熱気あふれる県民大会 秋の沖縄紀行(3)

<9月29日>
 いよいよ県民大会の日です! そこら中に「県民大会を成功させよう」という立て看板やポスターが見られます。新聞やクーポン券などに、県民大会会場である宜野湾海浜公園の最寄りのバス停までの「往路無料」のバスの券がついています。「コピーでも乗車可」ということです。

グリンピースのエスペランサ号見学

 午前中、那覇ふ頭に寄港しているグリンピースのエスペランサ号を見学に行きました。予定より早く着いたのですが、一人の女性が新聞を片手にスタッフに話しかけていました。「集団自決」問題に関する新聞記事をラミネートしたものを渡して、集会などで使ってください、と言っていたのです。私はこの女性に「本人訴訟で安倍晋三を訴えたんです。今は教育基本法違憲訴訟をやっているんです」と話しかけました。この方は元高校教員で、Kさんという方でした。「本土でそういう運動をするのは大変でしょう。がんばっていますね」と励ましてくださいました。

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 那覇ふ頭に停泊するエスペランサ号

 Kさんと話しているうちに見学開始時間の10時になり、二人でスタッフから説明を聞きました。「エスペランサ」は、スペイン語で「希望」という意味、とのことです。今回、エスペランサ号は泡瀬干潟と辺野古の海を調査し、辺野古の基地建設に反対するために来航したそうです。

 乗組員が船の中を案内してくれました。デッキにある古びた鐘について説明してくれました。今は使っていないが、昔、時間を知らせたり、乗組員に合図するために鳴らしていたそうです。「鐘を鳴らして『Ten o’clock.All is well.(10時。すべて順調)』と言ってごらんなさい」と言われ、私がやってみました。

 それから6隻のボートを見せてもらい、計器室、食堂、船室などを案内してもらいました。普段は見せていないエンジンルームにも入れてもらいました。エスペランサ号は極地での航行も可能で、ヘリコプターも搭載できます。乗組員はさまざまな国籍の19名の船員たちです。愛嬌たっぷりの彼らに、10月2日に辺野古で会うことを約束しました。

宜野湾海浜公園へ

 Kさんは宜野湾在住で、車で私を県民大会会場まで連れて行ってくれました。県民大会は3時から。こちらにも早く着き過ぎたので、本を読んでいました。この機会に再読しようと、25年前に読んだ『ミーニシ吹く島から』(森口豁著・アディン書房・1980年)を持参していたのです。本土出身の著者が若くして沖縄に住み着いて15年(1959年から1974年)、「沖縄」問題はすぐれて本土の問題であるということを告発した本です。少しだけ、引用します。

 【いつの時代も支配者はたいそう強情に国民に迫ってくる。拒否しても拒否しても、美しい言葉で居直る。この強情さは本来国民の側が持つべきものだ。沖縄が持続しつづけている反戦の強情さと行動――むしろいま大切なことは、本土の思想を〈沖縄並み〉にすることではないのか――】(1970年・森口豁)。興味のある方は私のブログに来て下さい。

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 会場に向かう人々
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 発言に聞き入る人々
続々と集まる人、人、人……

 さあ、お待ちかねの県民大会が始まりました。私は2時頃から会場に来ていたのですが、すごかったです。続々と人が集まってくるのです。東京の集会では若い人はめったに見ないけど、ここで目立つのはおじい、おばあからベビーカーまでの家族づれ、高校生の部活の集団もあります。とにかく若い人が多かったです。

 若い人たちにも、戦争体験が確実に伝わっているのだと感じさせられました。宜野湾海浜公園は広大で、会場の広場までは結構道のりがありますが、ゾロゾロと会場を目指して歩く人、人、人の群れで埋まっていました。これはすごい、たくさん集まるなあと嬉しくなりました。

 2時半からアトラクションが始まりました。人に埋まった会場で、私は友だちと会えるかなあと心配でしたが、林立する旗の中から友だちの住む市の旗を見つけて会うことができました。市単位でバスを出して参加しているのです。

 もうすぐ10月だというのに、照りつける太陽は私にとっては真夏の日差しと変わらず、傘を広げて身を隠していました(遠いので傘がなくても舞台は見えません)。これだけ大勢の人が集まっているのに、私語ひとつなくシーンとして、みんな話し手の声に一心に耳を傾けていました。

 今度のことがあって、つらい気持ちを62年間胸の底にしまいこんでいたおじい、おばあが次々と証言し始めています。軍命で避けようもなかったことではあっても、家族が殺し合ったことなんて誰だって隠したいものです。

 それをどうしても言わずにはおれない気持ちにさせた、今度の検定でした。Kさんが車の中で話してくれました。「沖縄は今まで我慢に我慢を重ねてきた。それが今度のことで爆発したのよ」と。さらにKさんは「沖縄は独立すべきだ」とおっしゃっいました。「本土の犠牲になるばかりで、戦後62年経っても何も変わらない。独立しない限り沖縄は解放されないのよ」と。

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 がんばろうを三唱する人々

「おじい、おばあの話はウソだと言うのですか?」

 発言はどれも切実で身につまされましたが、高校生の「おじい、おばあの話はウソだと言うのですか?」という訴えが、最も心を打ちました。「軍の強制はなかった」と主張する人たちは、これらのおじい、おばあに直接会って「あなたの話はウソですね」と言えるのでしょうか? 本気で思っているのなら、面と向かって言ってほしいと思いました。

 主催者から、大会には11万人が参加し、今でも会場に向かっている人がたくさんいる、カンパは6百何十万円集まったと報告があった時はどよめきが起き、みんな大きな拍手で喜びを表しました。この人数は沖縄県民10人に一人の割合で、東京で言えば100万人以上が集まった計算になります。最後に、検定意見撤回と記述回復を求める決議をし、11万人もの人がみんなで「がんばろう」を三唱しました。

 これだけの人が一度に帰るのですから、帰りはとても大変でした。道路は何時間も渋滞し、普段の何倍もの時間をかけて、やっと帰り着きました。でもイライラした人はいなかったと思います。歴史に残る、これほどの県民大会を成功させることができて、バスの中は充実感にあふれ、みんなの心は熱く燃えていました。私もかけがえのない時間を共有させていただき、沖縄の熱気を肌で感じることができ、力が湧いてきました。

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 帰路につく人々

検定意見の撤回、審議のやり直しを求めよう

 この沖縄県民の島ぐるみの抗議に対して、政府はどんな対応をとるのでしょうか。10月8日の沖縄タイムス社説は、次のように述べています。

 【渡海文部科学大臣が「記述の回復」について、完全に元通りにするのは困難だと述べ、その理由を「検定への政治介入で制度をゆがめることになる」からとしているが、本当にそうだろうか。本紙の調べによって、教科用図書検定審議会は文科省職員である教科書調査官の「調査意見」を追認しただけで、きちんと審議しなかったことが明らかになっている。
 ということは今回の検定は文科省による政治介入ではないのか。教科書検定制度は、教科書の記述に関する判断を第三者である教科用図書検定審議会に委ねることで、政治介入の防波堤にしている。なぜ沖縄戦研究者の学説と異なる一方的な説を調査官が採用したのか。審議会は自らの責任でもう一度審査をし直し、検定意見を検証すべきだ】

 10月5日、奈良県議会、京都府議会は「検定意見の撤回を強く要望する」などという意見書を可決しました。この問題はもとより沖縄だけの問題ではなく、歴史修正主義の一連の流れの中にあります。歴史を歪曲せず、事実を確実に後世に伝えていくために、一人一人がこの問題に関心を持ち、考えていきましょう。

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 県民大会会場で配られた琉球新報号外

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県民大会翌朝の沖縄タイムス(1面と裏面全部を使った記事)◇ ◇ ◇
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by lumokurago | 2007-10-13 12:53 | JANJAN記事