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愛媛「つくる会」教科書 “元祖・本人訴訟”の最終弁論

愛媛「つくる会」教科書 “元祖・本人訴訟”の最終弁論

 6月19日午後3時から松山地方裁判所で、「つくる会」教科書採択取り消し訴訟の最終弁論がありました。愛媛では2001年の採択後から今まで、約20件の裁判を起こしました。弁護士の引き受け手がなく、やむなく本人訴訟で始めましたが、見るに見かねて香川県高松市在住の生田暉雄弁護士が協力して下さり、現在は本人訴訟原告5人と全国及び中国・韓国などの原告の代理人である生田弁護士との共同原告で行っています。生田弁護士はこの裁判の体験から「主権実現の手段としての裁判」を提唱しています(関連記事:主権の実現は“等身大”の裁判で~日本は裁判“後進国”)。

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 松山地方裁判所 

 筆者は愛媛の裁判を傍聴し、「百聞は一見にしかず」でその面白さのとりことなり、今、東京都杉並区で同様の裁判を行っています。今回は筆者も原告として2回意見陳述した裁判の最終弁論。取るものもとりあえず駆けつけました。

 松山地裁には日本庭園風の庭があり、法廷には広い窓があって、緑が鮮やかです。なんとウグイスも鳴いているというのどかさで、東京地裁とは大違いです。荷物検査もありません。口頭弁論の時間は毎回1時間取ってくれています。しかし裁判官は残念なことにやはり(上の顔色ばかりうかがう)「ヒラメ」です。

開廷前に傍聴者もリラックス

 さて、最終弁論の様子をご報告します。始まる前に原告のOさんが傍聴者に対して今日の裁判の説明を行いました。裁判所職員からは「拍手しないように。大声を出さないように」という注意がありましたが、愛媛らしく、傍聴者が「約束できんよ」と言っていました。Oさんが話し始め、最終弁論にあたって映像を使って説明したいと要望。書記官は努力してくれたが、裁判官の独断で拒否されたとの報告がありました。ドイツの裁判所は市民が参加しやすいように配慮しているのに対し、日本の裁判所は閉鎖的であるそうです。Oさんのお話で傍聴席にはリラックスした雰囲気が満ち、筆者は「これで裁判所の注意は守られないだろうな」と思いました(元々守られるはずもないのですが)。

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裁判官(左の三人)と書記官(右)。左から二人目が高橋正裁判長

映像による説明、録音テープの公開は認められない

 裁判官が入廷し、事務職員が「起立願います」と言っても、本人訴訟原告は起立しません。裁判官と主権者は対等であるからです。裁判が始まるとすぐにOさんから、映像による説明がなぜだめなのかについて、根拠を問いただす発言がありました。裁判長は言い逃れに終始し、法的根拠を示すことができませんでした。左陪席の若い裁判官が民訴法150条の訴訟指揮は裁判官が行うという条文を、裁判長に見せていましたが、それはなぜ映像による説明がだめなのかの根拠ではありません。Oさんはまた、裁判所が開かれているかどうかが判決に結びつく1つの要素であり、公正な裁判のためには録音テープの公開が欠かせないことも訴えましたが、裁判長は「録音テープは書記官個人のもので、調書ができあがれば消去するものだ」と述べました。

 さらに原告は教科書採択手続が非常に複雑なもので、裁判官に分かってもらうために自分たちは映像による説明をサービスするのだ、認めないなら、教科書採択手続が分かっているかどうかテストをしてもいいかと聞きましたが、裁判長は最後まで認めませんでした。

原告たちの思い

 結局原告は「ぬかにクギ」であるとし、内容に入りました。初めに筆者が6月1日の安倍裁判における強制退去について述べ(関連記事:強制退去~「杉並の不当な教科書採択取り消し裁判」第3回口頭弁論)、日本はすでに法治国家でも民主主義国家でもなく、現在は「戦時中」であること、子どもたちの命を守るために裁判官は大人としての責任を果たしてもらいたい、それは公正な裁判を行うことであると訴えました。傍聴席からは大きな拍手が沸き起こり、裁判長はそれを制止することができませんでした。

 それから原告のYさんが、「つくる会」と扶桑社の絶縁に触れ、発行元である扶桑社自らが「右翼的」とした教科書をベストとし、それを強引に採択した加戸愛媛県知事を追及しました。そしてこのような欠陥教科書を採択した教育委員会は、この教科書を使用させられている子どもたちに対する責任があると述べ、自分はアジア太平洋戦争に対して、なぜその時の大人は止めなかったのかと思ったが、今そうなっている、裁判官は公正な裁判をお願いしたいと訴えました。またもや大きな拍手が沸き起こり、裁判長は制止しませんでした。この後、原告のすべての発言に拍手がありましたので、いちいち述べることはしません。

 次にMさんが、最近判決が出たもう1つの裁判で、「まず判決ありき」だったことを述べ、裁判所の意義がなくなり、裁判所の存在そのものが危うくなっていると指摘しました。Mさんは最後に「裁判所、頑張ってください」と裁判官を励ましました。

 Tさんは、現在は企業の会議でもどこでも、ビジュアルなプレゼンテーションがされており、録画・録音され、活用されていくことは当然となっているのに、裁判所だけが旧態依然としている、高橋さん(裁判長)自らこれを打ち破って、先駆者となってほしいと述べました。

 Nさんは小泉前首相の就任直後までハンセン病患者差別は当たり前で、司法も一緒になって患者の訴えを抑える役割を果たしていたことを指摘。3人の裁判官は早く1時間が過ぎないか位しか考えていないのだろうと厳しく詰め寄りました。そして法律家の職業病として、先例がないと一歩も前に進めない臆病さ、時代や社会の生の現実に対する無知、不勉強を挙げ、原告らが今こもごも発言したことを、裁判への国民の期待として受け止め、心があるなら考えてほしいと訴えました。前回の(別の裁判の)判決で「どうせ裁判所はこういうところなんだよ」と言ってくれたが、私たちはあきらめない。愛媛県教育委員会は全国に名だたるひどい組織であるので、少しでもブレーキをかける判断をお願いしたいと述べました。

最終準備書面陳述

 それからOさんが最終準備書面の要旨を陳述しました。

 まず、裁判官に対して、日本国憲法は絶大な公権力(国)を法でしばることによって、人々の人権や自由、平和のうちに生きる権利などを保障するもので(立憲主義)、憲法76条3項の定めに基づき、裁判官は憲法を守る番人として良心に従い、公正な裁判を行う責務を課せられていると述べました。それから、教科書裁判の家永三郎さんが76条3項の「すべて裁判官はその良心に従い」の意味は、積極的に良心的な裁判をすることであると述べていることに触れ、一人ひとりの裁判官が本来心の片隅に残っているはずの良心を目覚めさせて、便宜的・恣意的な法律解釈をせずに原点に立ち返った判断をするよう求めました。

 次に本件訴訟の意義として、侵略戦争の反省から生まれた教育への国の介入の排除という教育基本法第10条の理念から、本件を理解する必要があると述べました。戦後の教育改革も、1956年に教育委員の公選制が廃止され、教育委員は知事の意向が反映する人事となり、形骸化、その中で加戸知事は「つくる会」教科書がベストだという発言をし、大きな圧力を加えたのです。

 Oさんは教科書採択制度とは国が買う物(教科書)を決める公共入札であり、国と教育委員会が共同で当たる「採択」は処分行為に該当し、採択は落札行為に該当すると述べました。このことを理解すれば、加戸知事の発言は独禁法違反であり、公正確保義務違反となります。「つくる会」教科書は現場での評判の悪い、間違いの多い、他国を誹謗している教科書であり、こんな欠陥商品を採択するためには様々な画策が行われたのです。知事の圧力の下、県教委が画策し、全国でほとんど採択されていない評価の低い教科書を全会一致で採択するという異常事態となってしまった、それは加戸知事に任命された教育委員が会議を非公開で行い、不透明にし、数々の違法を重ねてやっとできたことなのです。このような違法行為を重ねて採択された教科書を誰が使うのか? 使うのは子どもたちである。裁判官は澄んだ目で判断してほしいと訴えました。

 次に生田弁護士が最近の行政事件訴訟法改正の趣旨は、行政をチェックしなければならない、訴えの門をひろげようという意味である。原告らはそれに則ってやってきた、改正法は原告適格、被告適格、処分性も枠が広げられている。以前とは異なる裁判を期待していると述べました。

 最後にOさんは高橋さん(裁判長)への言葉として以下のようなことを述べました。

 自分は天理教の幹部の家に生まれ、天理教徒として戦争に協力した親を問い詰めてきた。宗教家というものは葬儀とかかわる機会が多く、父について病院に見舞いにもよく行った。死を直前にすると、人間というものは自分の人生を振り返り、良心が顔を出すものだ。その場でうろたえる人も何人も見てきた。高橋さんもそう長くはない。そのような最期を迎えないためにもがんばってほしい。あなたの良心が試されている。今の司法では厳しいが期待します。

 そして裁判長が口頭弁論は終結するとし、判決言い渡しは8月28日午後4時半に行うということで、閉廷されました。

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 報告会の様子

報告会の様子

 1人ずつ感想を述べました。

 ・被告が聞いとらんのははっきりしとるが、裁判官も聞いとらんようだった。
 ・劇(「なんちゃって教科書裁判」という寸劇)で被告になるんで、被告をよく観察したが、ほとんど聞いとらんかった。目線が下で、頭いじったり、鼻をこすったり、鉛筆をクルクルしたり、ページをめくったり、口をへの字にしてメモしたり、手帳に何かを書いたり……手遊びが多い。何もしないでいるんかと思ったら大違い。原告がよく聞いとるのと対照的だった。眠っとる人もいた。被告の人間ウォッチングは楽しかった。

 ・中学生の時、校内暴動が起きそうになった。男子が丸刈り廃止を訴えていたが、先生は聞かなかった。それなのに数年後、文部省が丸刈り廃止としたら、すぐに廃止になった。今日の裁判を傍聴してこのことを思い出した。同じだと思う。裁判官は高いところに座っているので、下からの訴えを聞かない。同じことを上から言われればあっという間に覆す。
 ・何回もこういう裁判に出てると、新鮮な発見が少ない。こちらが慣れてきてるということは裁判官も慣れてきている。原告がいいこと言ってるのに、裁判所の職員が寝ていた。後ろからボールペンで突いてやろうかと思ったけど……。

 ・裁判官は目をあけとるか、まじめに聞いとるかをチェックせな。
 ・こっちが主導権を握っとるけん、眠とうてたまらんかった。
 ・非公開の裁判(教育委員会を非公開とするのは違法とする裁判)を一生懸命やり、当然勝つと思っていた。生田さんも可能性はあると言っていた。それなのに門前払いだった。家永さんは「裁判のプロセスに意味がある」と言ったが、この裁判も過程に意味がある。裁判では負けたが、教育委員会は公開になった。2005年の採択では、県教委以外では採択を止めた。裁判は確実に効果がある。

 ・裁判所いうたら、原告・被告両方の言うことを聞いて公正にやっていると思っていた。今日の事情を知った人が広く流してほしい。被告は何も言わなかったが、言っちゃいけないのか?
 ・(生田)そんなことはない。裁判所が行政寄りなので被告は何もしなくていいのだ。準備書面も原告の10分の1以下で証拠もほとんどない。原告が圧倒的に勝っているのに、行政を勝たせるのが日本の裁判。

 ・被告に直接聞けないのか?
 ・(生田)「裁判所を通しなさい」と訴訟指揮される。
 ・裁判所職員が開廷前に「拍手をしないで」と言ったのは初めて。裁判長の指示であろう。しかし裁判長は拍手を止めなかった。1人目の陳述がよかったので、拍手を止められず、1度止めなかったもんは途中からは止められんかった。

 ・止められたので、僕はようせんかった。
 ・拍手を止められたら足踏みするとか……。それも止められたらなんかな? じきに「来ないで下さい」と言われるやろなあ。
 ・これは行政裁判なんやから、県の公報に載せるべきやないか。傍聴人が多くなれば県民会館でやればよい。
 ・(生田)傍聴人に対してこんなに厳しくなったのは、1965年頃。それまでは座席は固定されておらず、大勢入れたし、立ち見もできた。傍聴席から発言も求めていた。学園闘争で荒れる法廷が続いて、椅子が固定され、座席が少なくなって、立見席もなくなった。明治前位の時代錯誤。たくさんの人に知らせるためにはテレビカメラを入れる必要がある。映像を使った説明についてだが、証拠としての映像ならOKだが、説明のためは認めていない。

筆者の感想

 筆者は裁判長に「鍋奉行じゃないんだから」と言われましたが、この裁判では原告がすっかり訴訟指揮権を握っていました。1時間の弁論時間を有効に使い、映像での説明を求めるなどの内容以前の問題から、原告一人ひとりの思い、最終準備書面の解説と、非常に分かりやすい裁判でした。“ヒラメ”裁判官なので、判決は期待できませんが、裁判の内容は充実したものでした。東京地裁でもここまで持って行きたいと思いました。このような裁判が全国に広まり、みんなで公正な裁判を求めていけば、やがて判決も変わっていくのではないだろうかとの期待を持ちました。
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 松山地裁の庭
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by lumokurago | 2007-06-28 20:15 | JANJAN記事

消せるものか沖縄戦「集団自決」 高嶋琉球大教授が講演

消せるものか沖縄戦「集団自決」 高嶋琉球大教授が講演

阿佐ヶ谷市民講座で6月8日、高嶋伸欣・琉球大教授(以下「私」)の講演がありました。一部ですがメモを元に報告します。

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 高嶋伸欣・琉球大学教授

沖縄では憲法をゼロから勝ち取った

 文部科学省の検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除された問題について、検定意見の撤回を求める意見書が、沖縄の41市町村のうち38で議決されています。県議会では、公明党は先に決議しており、自民党だけが拒否していますが、会期末ぎりぎりに可決するのかどうか、沖縄タイムスは「流動的」としていますが、琉球新報は「確定的」としています。沖縄にはこの意見書に反対だと沖縄県民でない、「非国民」みたいな雰囲気があります。

 日本軍関与は直接でなくても、下っ端の兵隊が村民に手榴弾を2個配ったなどという証言はたくさんあり、当時は「自決」とは言わず、「玉砕」でしたが、「玉砕」するようにと指示したのです。下手に生き残ったらスパイと言われるとか足手まといになるとか言われ「玉砕」したので、遺族が強く反発しています。

 ここ(壁)に新聞を貼っておきましたが、沖縄の報道は他府県とは温度差があります。みなさんは国民投票法案の全文を読んだことがありますか? 読売はこのように少しですが、沖縄タイムスは国民投票法案全文を3ページに渡って載せました。広告代を犠牲にしてです。しかも5月15日(沖縄返還の日)付です。ジャーナリストの気概というものでしょう。

 沖縄はアメリカ軍占領下で、日本国憲法もアメリカ憲法も認められず、人権がありませんでした。ベトナム戦争の時に、嘉手納基地のゲートを封鎖してB29が出撃できないようにし、アメリカ軍によって社会大衆党の幹部が負傷させられました。沖縄の運動の盛り上がりがあったので、アメリカは基地だけにして施政権は帰そうということになったのです。沖縄に「押し付け憲法」は当てはまらず、最後はアメリカ軍に譲歩させて、ゼロから勝ち取ったものです。

 辺野古のことや自衛隊のことは「言ってもだめさ」という諦めムードになっていますが、今回の教科書のことは私が「ひっくり返せる」と話したので「やりがいがあるね」と元気付いています。東京のメディアも入っているので6月23日の慰霊の日頃に取り上げてもらえれば、沖縄に関心を持ってもらうきっかけになると思います。

海外から日本はどう見られているか

 レジュメを用意しました。全部はとてもできませんが、まず、海外から日本はどう見られているかを見てみましょう。

 最近のアジアの人は日本に警戒していますが、レジュメの1ページにあるのはフランス人が「3発目の原爆も日本に落とされるだろう」と言ったという1989年の朝日ジャーナルの記事です。日本は世界では異質で何かやらかすのでは? と見られています。エコノミックアニマルで、世界共通の倫理観が日本にはない、アジアに対する差別を戦後も総括していないと思われています。福沢諭吉を1万円札に使っていいのかという議論も、前のお札の切り替えの時はまだ少しありましたが、今回は全くありませんでした。筑紫哲也でさえが「小泉の大学の創設者だから?」などと言ってごまかしていました。

 90年5月のシンガポールの中国語紙にリー・クアンユー首相が「日本の60歳代の戦争体験世代は保革に関係なく、戦争はもうこりごりと思っているので、2度とあのようなバカなことはしないだろうが、『侵略』を『進出』と言い換えるような歴史教育で事実を学んでいない戦後世代は、軍事力の増大と共に何をするかわからない。彼らはやがて日米同盟をやめて、米国に押さえられることなく、軍事力を海外で自由に行使できることを目指す可能性さえある」と述べています。安保は日本の軍隊をびんの中に閉じ込めふたをしている役目で、安保を破棄して独自の軍隊を持つことを恐れているのです。今、この予想通りになっていますね。野中(広務)や後藤田(正晴)が戦争はダメと言っていたのに、戦後生まれの世代が権力を握るようになってきました。この90年5月というのは盧泰愚(ノ・テウ)大統領が訪日し、天皇に謝罪してほしいと申し入れて、小沢が「何度土下座すればいいんだ」と言った時です。この記事は日本でも大きく扱われていい記事でしたが、そうはなりませんでした。

 91年5月5日の朝日新聞には同じリー・クアンユー前首相がヘラルドトリビューンに語った記事が載っています。この時は1・2月に湾岸戦争があって、地雷が残っていて自衛隊が地雷の処理のためペルシャ湾に派遣された時で、自衛隊が初めて本来業務で海外に出るようになった時です。クアンユーさんは「多くのアジア人は日本が平和維持に軍事的に参加することを望んでいない、なぜならアルコール中毒者にウィスキー入りのチョコレートを与えるようなものだからだ」と述べています。アルコール中毒者とは何を指すのか、と生徒に聞くところです。つまり日本には軍国主義が残っているという意味ですね。天皇がいるということです。占領軍は日本統治のために天皇制を残しましたが、アジアの人は納得していません。アジアは日本の経済援助や日本企業に遠慮して物が言えないでいるところ、この人が代表して言ったと考えていいでしょう。

 2002年4月の東京新聞に、「有事法制関連3法案の閣議決定を受けて、与党3党が早期成立に向けて走り出す」とあり、かつては自民党の「ハト派」が一定の歯止め役となってきたが、「ハト派」は衰退し、「待った」が効かなくなったことが取り上げられています。

 (教科書を開いて見せ)これはシンガポールの小学校4年生の社会科後期用の教科書です。「The Dark Years」とあります。日本占領時代です。シンガポールの社会科は丸暗記で、小学生にはむずかしいので去年12月に打ち切りになったそうです。90年代まではこの内容は中学校でやっていました。なぜ小学校になったのかと質問したら、「言えない」という答えだったので、「日本の政治動向が気になるのですか?」と聞いたら「半分はそうだ」と言っていました。おそらくそうなのでしょう。

 レジュメ3ページ目は原爆投下についての教科書の記述です。「The End of the War」というタイトルで2つの原爆の絵が大きく載っており、焼け野原となった広島ときのこ雲の絵があります。よくぞアメリカは日本に原爆を落としてくれた、これで仇が討てたという内容で、被爆者にとっては大変な説明です。シンガポールでは「No More Hiroshima」ではないのです。シンガポールだけでなく、日本が占領した地域の人々はほとんどが同じ考えです。広島の人にそう言ったら、「やっぱりそうですか」と言っていました。広島の慰霊祭でアジア代表団は「No More Hiroshima」に拍手しないそうです。自分たちは被害ばかり言っているが、本当にそれでいいのかと内々に議論していたそうです。マレーシアの戦争記念館で戦争の最後の説明が広島でした。どうして広島なのかと質問したら、ガイドさんが逃げてしまいました。次に行った時には絶対に答えてもらおうと、ガイドさんをみんなで取り囲んで質問したら、日本のみなさんは気を悪くすると思うが、と前置きして、上記のようなことを話してくれました。学校でそう教えているそうで、みんなそういう考えだということでした。これはシンガポールだけではなく、日本に侵略された国はどこでもそうなのです。このことを被爆者に言わなければと思い、言いました。冷静な受け止めもありましたが、家族の死などを思い出すと、やはり抵抗感があるようでした。個々の被爆者の捉え方と社会全体の捉え方とは違って当然だと思います。

 私はマレーシアで住民虐殺について調べています。林博史さんが日本側の資料に裏づけがあるかを調べていて、防衛庁の資料館で42年3月16日に駐屯地のそばの村で160人を刺殺したという記録を見つけました。具体的事実が出てきたということで、資料はコピーサービスで手に入りました。このことについて横浜でしゃべっていたら、共同通信の記者が特ダネにしたいということで、12.8にちなんで87年12月8日に公式記録として出しました。広島中国新聞に載ったので大騒ぎになりました。それは広島の第5師団第11連隊という歴戦の部隊で、広島に碑もあります。シンガポール陥落の後、ゴム園に1軒ずつ離れてあった家をゲリラと思い込み、刺殺したのです。「すべて殺せ」という文書が残っています。

 南京事件が組織的かどうかは不明ですが、マレーシアははっきりしています。戦友会に聞こうと思うのですが「高嶋」という名前を出すと断られてしまいます。広島の部隊なので、広島は原爆の被害者だと言ってもマレーシアの人たちには納得してもらえないでしょう。アジアが日本の経済力に遠慮しなくなって本音を言うようになってから、初めて「そうだったんですか」というのでは恥です。議論の必要があると思います。私は憎まれ役になってもいいと思っています。

「醜い日本人」

 私のことをなんでいろんなことに首をつっこむのかという人もいます。日本人として気づいたことは、臭いものにふたではなく、アジアの人に言われる前に整理しておく必要があると思うのです。本来、私たちの前の世代のやるべきことでした。

 沖縄差別の一例が43ページの太田さんの文章にあります。大阪で第5回勧業博覧会が催された際、学術人類館に、沖縄婦人2人が「陳列され」説明者が「此奴は、此奴は」とムチで指しながら動物の見世物さながらに沖縄の生活様式などを説明したとあります。沖縄差別があるために、差別に負けまいとし、他県に負けない立派な教育をやっているということを示すために、沖縄は皇民化教育をより強力に行ったのです。その結果はどうだったでしょうか。沖縄戦でアメリカ兵が1万2000人、日本兵が9万余の死者を出したのに比べ、沖縄住民が15万~16万人も死んだ事実は何を物語っているのでしょうか、と太田さんは問いかけています。大本営は沖縄を、本土決戦を遅らせるためのいけにえに供し、しかるに戦後沖縄に対する本土政府の取り扱いは周知のとおりであり、占領者アメリカは日本政府の沖縄に対する差別をとことんまで利用し、基地沖縄での数々の人権侵害に対する非難の防壁としてきたと怒りをこめて語っています。太田さんはこの事実には一般国民にも責任があると訴えています。この本は「醜い日本人」というタイトルで69年に出版されたものです。

 私はその翌年に初めて沖縄入りし、沖縄人民には人権がなく、交通事故でも“ひかれ損”だと知りました。沖縄の人たちはそれでもくじけずに、おかしいことにすぐ声をあげ、米軍をたじろがせ、復帰を勝ち取ったのです。本土の我々は何をしているのでしょうか? 知識人ばかりでなく、一般の国民には責任があります。私は社会科の教師として、沖縄を非常に重いものと受け止め、特設授業を行ってきました。

 82年の文部省の検定で、「日本軍による住民殺害」の記述が削除された時、私は沖縄タイムスに「このことを知っていますか?」と聞いたら、「知らなかった」ということで、私が知らせたから大きな問題となったのです。次の年、文部省が「集団自決を書け」と言い出して書いたのに、今回、その文部省が削除したということで、教科書というものは政治動向をいち早く現すものだということです。

 今回、文科省は慶良間の梅沢さんが名誉毀損で訴えたことを削除の根拠にしていますが、一司令官の言った言わないは問題のすりかえにすぎません。下っ端の兵隊が言ったことでも、当時の軍の命令は絶対だったのです。朝日新聞は5月14日に生き残った人々の証言などを大きな記事で取り上げました。06年10月3日には米公文書に日本兵が住民に「集団自決」を命令したことを示す記録が発見されたことが沖縄タイムスに報道されました。

 世論があれば撤回は可能で、撤回させた例もあります。82年7月、高校の社会科教科書から「チッソ」の名前が全面削除されましたが、9月に撤回させました。

ひめゆり学徒隊

 さて、ひめゆりのことを少し話しましょう。まずひめゆり学徒隊は「部隊」ではないので、「ひめゆり部隊」とは言わないで下さい。それから「ひめゆり学徒隊」と「ひめゆり同窓会」は同一ではないとご存知でしょうか。ひめゆり同窓会は 沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の同窓会です。ひめゆり学徒隊と同窓会は複雑な関係で、学徒隊の人たちは自分たちはだまされたのであって、2度と繰り返してはいけないという立場で戦争と教育を考えますが、女子師範の先輩は教え子を戦場に送った立場なのです。慰霊祭で生徒を代表した仲里マサエさんは、「私たちはみなさんの死が殉国の美談にすりかえられることを最も恐れます」と述べ、先輩から「言いすぎだ」と叱られた、と口ごもっていました。翌日、その発言は新聞報道されました。女子師範の先輩にとっては、うまい具合に誤解してくれていたのにという思いがあり、資料館では立場をはっきりさせてはいません。私は責任の取り方、ものの言い方は多面的でいいのであって、戦争は悲惨だとするワンパターンの平和教育を疑問に思っています。私がこういうことを発言した時、ひめゆりの人が聞いていて、後で「よくぞ言ってくれた」と言われたことがあります。私はいろいろな立場の人がいることを知っていますが、知らんぷりして言ってしまうことにしています。

 「集団自決」問題に話を戻すと、文科省が原告側の裁判名を使ったことに対して国会で追及され、謝り、内容については共鳴していないとしましたが、そんなことはないのであって、03年に産経新聞が「軍の強制はなかった」とキャンペーンを張り、そのあと梅沢さんの裁判が出てきたのです。裁判の提訴は05年8月5日なのに、2年前の検定ではなぜ消さなかったのか? ちぐはぐです。アジアの人たちが日本を警戒する原因となっていることがやはり日本で起こっているのです。

筆者の感想

 沖縄と本土の関係を考えると、長い間沖縄に行くこともできず、まして最近まで「観光」目的で行こうなどとは思ったこともありませんでした。今、沖縄に向かう観光客は増え続け、石垣島では定年退職者の移住が多く、土地の値段が急騰しているそうです。ずいぶん勝手な話ではありませんか。これでは外国人に「3度目の原爆も日本に落とされる」と言われても仕方がないと思わざるを得ません。今からでもいいです。沖縄に行く人には、観光地で遊ぶだけでなく、ぜひ沖縄と日本の歴史にも関心を持って、勉強してもらいたいとそれだけが言いたいです。

 観光客はお金を落とすんだから、沖縄にとってもいいはずだ、などとは口が裂けても言ってほしくありません。ものごとをお金だけの関係で見ることは、人間の魂を失ってしまったことだと私は思います。
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by lumokurago | 2007-06-12 13:47 | JANJAN記事

森達也氏講演

自分の頭で考えよう~PARC自由学校

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 6月1日、PARC自由学校「オルタナティブ・メディアをつくる!」~「放送禁止」「自主規制」「翼賛化」のメディアに抗して自分の頭で考えよう、 発信しよう~が開かれました。講師は森達也さんでした。森さんは自分の専門は映像で、食えないので書いているが、とにかく作品を見てほしいというお話から始められました。

 今日は「放送禁止歌」と「ドキュメンタリーは嘘をつく」のDVDを持ってきているが、どちらを見たいかと聞き、みんなに手を挙げさせました。多数決では「ドキュメンタリーは嘘をつく」の希望が多かったのですが、森さんはなぜか「放送禁止歌」を見せたいらしく、こちらの方が話も広がると思うと言って始めたのですが、残念なことに音が小さかったので、結局、「ドキュメンタリーは嘘をつく」を見ることになりました。なぜ森さんが「放送禁止歌」にしたかったのかは謎ですが、「ドキュメンタリーは嘘をつく」を2度見るのはつまらないとおっしゃっていたので、そのせいかもしれません。

 「ドキュメンタリーは嘘をつく」の内容はそのタイトルの通りなのですが、ここに登場した原一男氏、佐藤真氏、緒方明氏プラス森さんのお話を簡単にまとめると……ドキュメンタリーとは現実を再構成したフィクションであり、現実とは違う何ものかである。

・テーマを選んだ瞬間にフィクションになる、自分にとっての真実。
・100人いたら100通りのドキュメンタリーになり、真実はない。

 ということでした。

 DVDを見終わって、森さん(以下、僕)のお話に入ります。

 「ドキュメンタリーは嘘をつく」というタイトルは「メディアは嘘をつく」としてもいいのです。過激なタイトルですが、嘘をつく気がなくても嘘になるし、つく気になればいくらでも嘘をつくのです。僕の中を1回通過するので、そうなるのです。例えば、ここにカメラが入れば、皆さんの服装からして違うでしょうし、質疑応答の内容も変わるでしょう。撮影するということは状況が変わるということで、「現実」は「カメラが介在した現実」に変わるのです。

 ドキュメンタリーは撮る人の主観・視点と撮られる対象の相互作用によって作られます。「インサート」という技法があります。誰かのしゃべりの中に聞き手の顔がインサートされることがあります。1台のカメラで両方同時に撮れるはずがないのだから、違う時間の映像をはめているわけです。その音に対して「うなづく」のか「あくびする」のか、どちらの映像をはめるかによって、状況を作ることができます。つまり編集で世界を作れるということで、これは「嘘」ということになります。

自分を裏切ったディレクター

 「やらせ」で「納豆問題」がありました。「やらせ」の最初はアフタヌーンショーで暴走族のリンチ場面をお金を払って「やらせ」たことで、プロデューサーが解雇されました。NHKの「ムスタン」では砂嵐、流砂、日照りといった苛酷な状況を「やらせ」で再現し、お金を払って雨乞いを「やらせ」たのです。

 この二つの「やらせ」と「納豆問題」は方向が違います。前者の「やらせ」はディレクターが自分の思いをどう再現するかの中で、リンチはある、日照りはある、雨乞いもある、ただ、今撮れない、それで「やらせ」たということで、濃淡はありますが、実際にやっていることです。それに対して「納豆問題」は、納豆など全く知らないアメリカ人が「効果がある」と言ったことにした。ディレクターは視聴率という自分の主観でないものに囚われ、自分を裏切っているのです。

 似たものとして「吹き替え」(voice over)があります。昔は「吹き替え」が使えず、テロップでしたが、今は「吹き替え」が普通です。なぜかというと「わかりやすい」からとされていますが、単純化、簡略化が進行しているだけで本当は「わかりやすさ」とは違います。

 僕がなぜ「吹き替え」を使いたくなかったかというと、前の音をつぶしてしまうからです。前の音をつぶせば、何でもありになってしまいます。そっちに持っていきたいという自分の衝動を抑えるのが大変です。その人の表情を消したくない、残したいので「吹き替え」ではなくテロップにするという現場へのこだわりが今は消えています。人の一瞬のためらいとかどもりという微妙な表情を視聴者が求めなくなったのですね。

 それからリモコンができる前はテレビのチャンネルを替えるのが大変だったので、ある程度は我慢して同じ番組を見ていたものです。今はちょっとわかりづらいとチャンネルを替えてしまうので、視聴率が下がり、営利企業にとっては、いかに視聴者をひきつけるかということで刺激とわかりやすさが求められています。わかりづらく複雑なことはどんどん削られ、世界が簡略化しています。

表現には欠落が大事

 ベトナム戦争当時は、報道媒体は写真でした。写真が「この戦争はおかしい」という世相を喚起したのです。アメリカはメディアと表現に負けたと言ってもいいでしょう。トンキン湾事件は謀略であり大義はないとされました。しかし、イラク戦争で同じことが起こっているのに世相が立ち上がってきません。ベトナムは映画や音楽にもなりましたが、イラクには人々は関心を示さないのです。戦争だけでなく、ビアフラの飢餓に対しては世界中がなんとかしろと立ち上がり、ジョージ・ハリスンも活動しました。しかし、今、スーダンについては報道されず、世界は関心を示しません。

 メディアの進化でよりリアルに同時代的に感知できると信じていましたが、逆でした。表現には欠落が大事なのです。情報量が少ない方に、より刺激されるのです。写真を見た時はその前後を考えるでしょう、欠落しているから、僕らは前のめりになって想像するのです。でもビデオはそれをさせない。イマジネーションは低下し、後は相互作用です。

メディアの持つ負の属性

 メディアは戦争や争いを促進する機能があるのです。Kさんが生放送で「ラジオって本当に何しゃべってもいいの?」と聞いてから、「北朝鮮が攻めてきても何ら恐れる必要はない。自衛隊の10の1で蹴散らせる。だいたい攻めてきません。北朝鮮もそんなバカじゃない」としゃべり、「テレビではこれ、言えないんだよ」と言っていました。テレビでこんなことを言うと視聴率が落ちて干されるからです。「危ない、こわい」と言った方が視聴率はアップするからです。

 人間は敵を求めるものなので、仮想敵を作れば安心し、それが終わればまた別の敵を作るのです。アメリカがまさにこれです。オウム事件のあった95年以来、異物がこわいとなって、異物がみつからなければ作るようになりました。その構造にメディアがのっかっています。市場原理の中で人々をあおっているのです。メディア・リテラシーの「リテラシー」は本来「識字」という意味です。1895年にはルミエール兄弟が映画を作り、3年後には浅草で活動写真が始まりました。ラジオは1920年です。数年後NHKが実験放送を始めました。ラジオは砂漠に雨が降るように世界中に広がりました。なぜでしょう? それまで文字を読める人は何人いたでしょう? 文字を読める人が少なかったので、それまで「マスメディア」といったものは存在できなかったのです。

 字が読めなくても存在できる映像、ラジオにはよい部分もありますが、副作用もありました。ファシズムです。映画とラジオが広がった時期にファシズムが起こったのです。ファシズムはそれ以前はありませんでした。映像とラジオを使って危機意識をどんどんあおり、やられる前に立ち上がれとプロパガンダを浸透させたのです。危機をあおるためにはメディアは不可欠です。戦争が終わって、ファシズムも終わりましたが、テレビというとてつもない化け物が現れ、それから50年、60年経って、メディアの持つ負の属性があらわになってきました。かつては僕も無邪気に番組を作っていましたが、今はとんでもないことになっています。納豆位はいいけれど、納豆と同じレベルで戦争とか憲法のことがもっともっとと消費されています。防衛庁が防衛省に昇格した日、テレビは松坂大輔の契約金の話題で持ちきりでした。みんなが関心を持つことをメディアは取り上げるからです。松坂の方がみんなの関心が高いので仕方がないのです。

 NHKは本来、市場原理から解放された、長いスパンで物事を見たり、ニュースの優先順位を決めたりできるオルタナティブだったはずです。民営化してNHKをつぶして、困るのは僕たちです。NHKの政治部はダメですが、現場は悩んでいます。若い人は悩んでいます。朝日はどうしてもっとがんばらなかったかと言っています。上層部がダメなんです。

いかに多面性を刺激するか

 オルタナティブ・メディアはネットの世界に生まれつつありますが、平均値を気にして、他と同調するというむずかしい国民性をもった日本人にそれができるのか疑問に思います。でもそんなことを言っていたらみんな死ぬのですね。日本で「自分の意見を持つ」「自分の意見を語る」という土壌はいかにして形作られるのでしょうか。事件、現象には多面性があります。普通は一番わかりやすく、刺激の強いところから見るのですが、ちょっと視点をずらすと違う部分が見えます。全部伝えるのは無理なので、どれかになってしまう。ドキュメンタリーがマスメディアと違うのは多面性を意識していることでしょう。「納豆問題」で「信頼を裏切って申し訳なかった」という言い方がされますが、それは間違いです。テレビを信頼してはいけないのであって、嘘を見抜けなかったのです。見抜くのは無理としても、多面性を意識し、今、ここで伝えているのは一つの見方であり、視点を変えればいくつでもあるということを覚えておかなければなりません。

 ドキュメンタリーは単純化、簡略化しつつも、いかに多面性を刺激するかを考えており、複雑な世界を複雑なままにして、答を出さない、というよりも答が出せないものです。最近ジョージ・オーウェルの「1984年」を読み返しました。あのBIG  BROTHERは1回も登場しない。つまり存在しないのに、忖度しているのだと気がつきました。独裁の方が安全だと、勝手に夢想してフェイクしているのです。悪い人がコントロールしているのではなく、みんなが自縄自縛しているのです。ブッシュも安倍も悪意を持っているのではなく、よかれと思っている。善意があるからこわいのです。

筆者の感想

 森さんの話を聞くのは2度目ですが、いつも全面的に共感します。「文明の進化」は決して良いことばかりではないと、筆者は1970年代初めから感じていますが、メディアに関してもやはりそうなのだと思わされます。不便なこと、欠落していること、不十分なこと・・・それらがあってこそ、人間は人間らしく感じ、想像し、創造したのだと思うと、すべてが「過剰」の中で育った子どもたちがかわいそうでならなくなるのです。また、ブッシュも安倍もよかれと思っているという指摘がすばらしく鋭く、こわいです。すべての戦争は大義のもとに始められる「自衛戦争」です。彼らはそれを「名目」にしているのだと思いがちですが、心底そう信じているのでしょう。それに対抗するにはこのことを自覚しなければなりません。
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by lumokurago | 2007-06-09 22:25 | JANJAN記事

危険な国 日本~国のために「殺し」「殺される」時代へ

安倍裁判の準備書面(19)を書き換えたものをJANJANが掲載してくれました。

危険な国 日本~国のために「殺し」「殺される」時代へ

 愛知県長久手町で元暴力団組員が自宅に籠城し、警察官ら4人を拳銃で撃ち死傷させた。この事件で23歳の機動隊員が11ヶ月の赤ちゃんと新妻を残して亡くなった。前途有望で優秀な警官だった林一歩さんは、籠城した元暴力団組員に撃たれ、防弾チョッキのわずか1cmのすきまに被弾して亡くなったのである。

 この事件を聞いてすぐに戦争と同じだと思った。戦争ではこうした事件は日常茶飯なのである。林さんは警官に憧れ、志願したが、戦争は有無を言わせず若者を拉致していく。そう、「拉致」なのだ。安倍晋三首相はあのように拉致問題に熱心なのに、自国の若者を拉致していくことにはなんのためらいもない。そして「拉致」であることを隠すために「妻子を守るため」と言う。大うそである。

 林さんの残された赤ちゃんと妻はこれからの長い人生をいつまでも消えることのない悲しみを抱きながら、さびしく、苛酷な状況の中を生きていかなければならない。それは2階級昇進することや、靖国神社に祀られることによって埋め合わせのできるものでは決してない。

 敗戦後、日本が防弾チョッキのわずか1cmのすきまに被弾して命を落とす若者を出さなかったのは、憲法9条があったからである。安倍首相は教育基本法改悪、防衛庁の「省」への昇格、国民投票法強行採決、米軍再編(日米軍事同盟強化)とアメリカの命ずるままに侵略できる国への道を突進している。

 普天間基地移転問題では辺野古での調査を始めるべく、市民の抵抗をやめさせるため海上自衛隊まで派遣(民間人に軍が自決を強要した沖縄戦と同じ構造である。しかも舞台は同じ沖縄)、教育3法も強行採決し、参議院議員選挙の争点として憲法「改正」を積極的に打ち出している。

 端的に言えば安倍首相は、若者に「国のために殺し、殺されろ」と言っているのである。これが「美しい国」だとは、なんということであろうか! これが本来国民の幸福のために働くべき首相のやることか! 今までの給料を返し、即刻首相を辞任せよ!

 みんなみんな、気がついてほしい。若者が「殺し、殺される」ようになるか否かの瀬戸際なのだ。それなのに投票に行く大人は半数以下。大人たちにはこの国をどういう国にするのか責任があるというのに。

 私が戦争体験者に「戦争を止めることはできなかったのですか?」と聞いたところ、多くの方は、「止められなかった。知らぬ間に戦争になっていた」「気づいた時はもう戦争だった」「大きな波のようなものが押し寄せてきてあっというまに飲み込まれてしまった」とおっしゃっていた。

 私は将来、子どもたちから「どうして戦争を止められなかったの?」と聞かれたくない。子どもたちには二度とそんな質問をさせたくない。「今」が「知らぬ間」「気づかぬ間」「波が押し寄せてくる直前」なのである。今みんなが気づけば、止められる。

 林一歩さんの死が「戦争とはこういうものだ」と教えてくれたのだ。彼の死を無駄にはすまい。
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by lumokurago | 2007-05-20 19:32 | JANJAN記事

『ある軍国教師の日記』を読んで

『ある軍国教師の日記』を読んで

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 編著:津田道夫 出版社:高文研 定価:2200円+税

 戦争中、「民衆」はどのような暮らしをしていたのだろうか?このことは一般の歴史書などには書かれていない。断片的に聞く機会はあるにせよ、戦争中全体を通してのまとまったお話を聞いたことはない。この本は、著者の父親による克明な日記と著者のコメントによって、戦争中の民衆の「暮らし」について知らせてくれる。

 「個人が生活を生きる幅のほうが、戦争を生きる幅よりずっと広いということであり、だからこそ戦争の実態がいかに個人の日常に浸透してくるかが問題となる。そして、そうした諸個人の感情・気分・意識の総体が、その時どきの時代思潮なり世相なりを形づくるのである」(あとがきより)

 この本のタイトルに「軍国教師」、副題に「民衆が戦争を支えた」とあったので、私はその実態がどんなものなのかに興味を持って読み始めたが、その内容は淡々としたものであった。

 私は何人ものご老人に戦争中の話を聞いたことがある。みなさんが戦争のことを「大きな波のようなものがやってきて、知らぬ間に飲み込まれていた」とか「気がついた時はもう戦争だった」とおっしゃっていたことを思い出す。この日記の著者(浅見真吉氏)も、この本の始まりである盧溝橋事件の頃から、戦争に対して何の疑問も持たず「支える」側であった。つまり、それまでに政府は国民に対する「洗脳」を成し遂げていたということになる。その「洗脳」は基本的には戦後も解かれることなく、天皇制は維持されていったのである。

 私がお話を聞いたほとんどのご老人が「戦争だけは絶対にやってはいけない」とおっしゃりながら、今だに「天皇陛下」という言葉を使い、靖国神社にお参りされていることを知った。つまり「戦争」が「天皇」の名の元に行なわれたものであること、靖国神社が息子を亡くした母親にとって「麻薬」のような存在であること(『靖国問題』高橋哲哉著を参照されたい)を自覚されていないのだ。浅見真吉氏も然りである。

 戦争中も、当たり前だけど生きるための「暮らし」があった。これは兵隊たちにも当てはまる。日本軍は食糧を供給できず現地調達を命じた。兵隊たちは生きるために(戦う以前に)、侵略した国の民衆から略奪した。略奪するものもない南方の島では、過半数をはるかに越える兵隊が戦争どころではなく餓死していった。「一番恐ろしかったのは隣の日本兵」(飢餓のため、眠っている間に殺される)という極限状態だった、とのことである。(参考記事:立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う~失われたメディアの自負)

 戦争は悲惨である。それ以外の何があるのだろうか。それでも子どもたちは遊び、笑顔さえ見せるのである。現在のイラク、パレスチナにおいても……。正視できない写真の隣でなお……。

 私たちが子どもたちのために何をすればいいのか、それは自明であろう。
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by lumokurago | 2007-05-04 21:20 | JANJAN記事

立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う

立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う~失われたメディアの自負

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 講演会での佐野眞一氏

 水俣フォーラム主催の「第83回水俣セミナー」が27日に開かれ、佐野眞一さんの講演会が行われました。

 佐野さんは、水俣の写真を見て、「立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う」というジャーナリズムの基本が失われ、報道が薄っぺらで歴史観がなくなっていること、また、日本人には活字ばかりではなく広い意味での「読む力」が最も欠けていることを指摘され、「過去・現在・未来」を見据えたジャーナリズムの必要性を訴えられました。それはジャーナリズムに限らず、日本人の生き方全体に求められるものではないでしょうか。以下、メモを元に佐野さん(以下「私」)のお話の概略をご報告します。

1.ジャーナリズムの責任と「水俣」の風化――西日本新聞社『水俣病50年』が浮き彫りにしたもの

 私は石牟礼道子さんの『不知火』の解説を書きましたが、水俣病そのものについての著作はありません。早稲田大学石橋湛山記念ジャーナリズム大賞の選考委員です。昨年『水俣病50年』が大賞となった時に、受賞者から「光栄ではあるが、認定から半世紀たっても(これは違うが)、キャンペーンをやり続けなければならないというのはジャーナリズムの退廃です」という言葉があり、鋭い指摘だと思いました。アスベスト、事故問題等様々あるが、今のジャーナリズムはどういう状態にあるのでしょうか。

 直近の話です。先週の今日、横浜刑務所に行ってきました。その建物は刑務所とは思えない白亜の真新しいきれいな建物です。敷地にごく一部高い塀があります。一見すると暗いイメージはありませんが、ここは横浜事件の獄死の舞台で、血塗られた歴史を持った刑務所なのです。

 ここを訪ねたのはあるネパール人、ゴビンダから手紙をもらったからです。ゴビンダは1997年3月8日に起きた東電OL殺人事件の犯人とされ、横浜刑務所に服役中で、久しぶりに会いに行きましたが、元気でした。彼は絶対にやっていないと再審を要求しています。今回は娘が来るので一緒に会ってほしいとのことでした。花祭りの4月8日に妻と娘2人が来日しました。事件当時、上の子は3歳、下の子は生まれたばかりでした。2人に日本の印象を聞いたら、長女は「清潔で美しいすてきな国」と言っていました。次女は「こんなにすてきな国がなぜ無実のお父さんを捕まえたの?」と言っていました。

 新聞、テレビの退廃が横浜事件と同じ冤罪を許しています。この事件は東京地裁では無罪でしたが、高裁で有罪と逆転されました。東京地裁で無罪判決を出した裁判官はすぐに広島に飛ばされ、それ以来ずっと地方回りです。それに対して、高裁で有罪判決を出した裁判官はすぐに退官して、何かと評判の悪い帝京大教授、その後、法学では有名な中央大学法科大学院教授です。日本の司法って何かと思わされることです。

 ゴビンダは「強盗殺人は死刑だが、殺人のみなら刑が軽くなる」ということで、「強盗は降ろしてもいいから、殺人だけ認めろよ」と取引を求められました。しかしゴビンダは応ぜず、自分は無罪だ、闘うんだと言っています。こういうことをマスコミは報道しません。その時だけエキセントリックな報道をして、その後のことは何も報道しないのです。死んだ被害者の渡辺泰子はまつられましたが、生きて獄につながれている冤罪の被害者に対しては想像力のかけらも持たないのがマスコミです。10年かけなければわからない問題があるのです。

 地裁で無罪になれば、ゴビンダは即強制送還されるはずでしたが、再拘留が行われました。それも少女売春(買春)をやった裁判官によってです。この事件には司法のグロテスクな構造が全部関わっています。2年前に再審請求をしましたが、いつまでかかることか……。司法は一度烙印を押したら、覆すことをしません。横浜事件しかり、石川さんしかり……罪を負わせたまま向こうに送りたいのです。

 水俣の写真を見て立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う、それがジャーナリズムの基本です。それが失われてしまいました。

 小泉の5年間はとんでもない時代でした。あの人はたじろがない。メディアはたじろがないからすごいというバカな伝説をばらまきました。改革、改革と言っているだけなのに、ぶれないからすばらしいとし、強いリーダーシップを持っていると言いましたが、それは欺瞞にすぎません。小泉の5年5ヶ月を維持したのはメディアで、メディアには相当な責任があります。これを総括する作業は大変です。

 小泉家から出てくる冷たさというものはグロテスクなほどです。小泉の義兄(長姉の夫)を怪しいと踏んだので、いろんな話を聞きました。彼は前科16犯の大泥棒です。彼は、「小泉家の冷え冷えとした空気は今でもはっきり覚えているよ。体温がマイナスなんだよ。そういう家だよ」と言っていました。メディアは“人権”を盾にとってそういう取材はやりませんが、私は「おまえら、人間より“人権”の方が大切なんだよな」と言ってやります。

 JR福知山線の事故では、ジャーナリズムの責任がものすごく大きいのです。あの事故の前に、1991年のJRと第3セクター信楽高原鉄道の正面衝突事故がありました。正面衝突という絶対にあってはならない事故だったので、不思議に思い、背景には何かがあると調べたところ、JRが信楽高原鉄道に黙って(国交省にも黙って)「優先てこ」を設置したことがわかりました。

 JRは殺人罪です。あの時、すべてのメディアが「JRは殺人罪」と書けば、福知山線の事故は起こらなかったのです。“JRの天皇”と言われる井手正敬の圧力ですべてはもみ消されました。事故はまた繰り返されると思います。ジャーナリズムは今日起きたできごとをぽんぽんと並べるだけで、薄っぺらで歴史観がない。人々はそのことを感じていると思います。子供だましではだまされないということで、新聞、テレビ離れが進んでいるのです。

 石原慎太郎が早々と当選を決めました。それについての論評が薄っぺらで、乱暴な物言いを引っ込め、ねこをかぶっていたなど、わかりやすい言葉しか出てきませんでしたが、そうではないと思います。石原は自分の老いが一番こわかった。「都知事の椅子は石原にとって生命維持装置である、あさましい、痛ましい」という言説がふさわしいのです。それが出てこず、薄っぺらな言葉だけでした。

 今後、社会的な犯罪が起きた時、怒り、はたまた愛情を持って伝える人間がはたしているのでしょうか。ジャーナリズムは「立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う」ことがなく、“立て板に水”です。「雨が降るから天気が悪い」、そのレベル。怒りを感じることや共感を覚えることがますます少なくなってくると思います。

 吉本興業の内紛についてですが、吉本のタレントは1日200時間テレビに出ている。島田伸介というのは大変な才能だが、ある卑しさを感じます。子分を使い走りにした芸で、芸に格段の差があるから、こいつらは踏んづけてもいいと思っているようです。説教をするつもりは毛頭ありませんが、1日200時間そういうものを見せられて、子どもにとってよい影響はないでしょう。私が書くならそのことを書くでしょう。

2.マスメディアを覆う歴史観の欠如――中内功・ダイエー問題を通じて検証する

 私は中内を取材して「カリスマ」という本を書きました。中内のような男は二度と出てこないでしょう。「歴史観」ということでいろいろと教わりました。シャイな男でしたが、ぽつぽつと話すようになってくれました。

 中内は戦争中ルソン島の守備隊にいました。それは100人中73人が死亡した隊で、そのほとんどが餓死でした。私が中内に「戦争で一番恐ろしいものは?」と聞いたことがあります。「敵の鉄砲の弾」かと思っていましたが、中内の答えは「隣の日本兵」でした。眠るといつ殺されるかわからないというのです。この人が殺したかどうかはわからないが、人肉を食べただろうなと感じました。

 また、フィリピンで捕虜になったが、中内は珍しい姓だったから生き残ったと言っていました。捕虜に対して人民裁判が行われました。現地人がうろおぼえの日本語で「スズキ」「ヤマダ」「サトウ」と言って、言われた奴はすぐにデス・バイ・ハンギングです。「戦争っていうのはそういうことなのか」というものです。

 中内は復員にあたって牛缶1個と全国どこにでも行ける国鉄のパス、現金40円をもらったそうです。4年間外地にいたので貨幣価値がわからなかったが、豆腐を買ったら1丁5円で、命をかけて戦った代償が40円、俺の身体は豆腐8丁かと言っていました。中内のすごいところだと思いました。

 中内は1日1億返しても72年かかる借金を抱え、すっからかんの無一文で霊安室から即火葬場に運ばれるような死に方でした。中内にとって2度目の敗戦だったでしょう。NHKに「その時歴史が動いた」という番組があり、私も時々見ますが、「その時歴史が動いた」は我々のことです。我々は歴史が動いていることを目撃しているのです。ダイエーの経営の失敗についてはどうでもいいことで、その問題が起きた歴史観を考えなければならないと思います。

 トヨタの奥田、ソニーの出井が亡くなっても、騒がないと思います。彼らには指定席があるからです。中内には指定席はないのです。私たちが、奥田とは車でつながっている、出井とは音楽などでつながっているとすれば、中内とは大根1本、豚肉1切れでつながっているのです。なぜこの取材をやるのか? それは水俣ともつながっています。どんなものを媒体にしてもかまわないが、そこから汲み取ることは歴史観でなければならないのです。それがメディアの責任です。

3.「満州」という時間軸と「沖縄」という空間軸――日本列島の「立ち位置」

 「阿片王」では里見甫について書きました。とてつもなくわかりにくい、とてつもなく大きい、日本人ではない、中国人よりも中国人と言ってもいいようなわかりにくい人物です。甘粕正彦も書きました。甘粕は大杉栄、伊藤野枝らを虐殺したとされている。甘粕が目立ち、他の4人は忘れられていますが、下手人は甘粕でないことがわかりました。その時の日本が、2重3重の防衛によって甘粕に罪を着せたのです。

 私は昭和22年生まれの団塊の世代ですが、この言い方は好きではありません。高度経済成長期に思春期を送り、高度成長とは一体なんだろう、どうしてこんなことが達成できたのだろうということがずっと気にかかっていました。

 「満州」というのは広大な空き地に作ったとんでもない実験国家だったわけですが、たった13年で消滅し、日本は広大な土地を一瞬で失いました。高度成長というのは失われた満州を日本の国内に取り戻すというのが、中核にあったパッションではないかと思っています。満州の高級官僚、岸信介は、満州を「自分の最高傑作」と言っていました。権力者にとってのみでなく、民衆にとっても満州の夢を国内で何とかして取り戻したいという思いがあったのだと思います。

 戦後の人間が「満州」をどう伝えるか、責任があると思います。今、月刊『プレイボーイ』に「沖縄コンフィデンシャル」を連載しています。もうすぐ終わりますが、日本は失われた「満州」を取り戻すという時間軸と「沖縄」という空間軸のクロスしたところに、今いるんだということです。この位置に立てばすっとわかることが何回もありました。

4.語られてこなかった「沖縄」の戦後史――「沖縄コンフィデンシャル」の取材から

 「沖縄」というと唯一の地上戦の行われた場所ですが、それのみでよいのかという問題意識があります。沖縄の人に「ほめ殺しはいい加減にしてほしい」と言われたことがあります。沖縄には魅力的な人がたくさんおり、語られてこなかった沖縄の戦後史を取材したいという思いです。

 沖縄はいつも被害者の文脈で語られてきましたが、奄美との関係では加害者です。奄美は米軍が占領したが、山国で無用の長物だったため、昭和28年に「くれてやるわ」と返還されました。非常に貧しいところで、復帰しても食えないので、多くの人が沖縄に基地労働に来ていました。沖縄には奄美差別があります。奄美出身者は全て公職追放され、沖縄はそういう面ではすごくいやしいのです。沖縄のヤクザのルーツは奄美ヤクザです。たくましく生きざるを得ない奄美人にはとてもおもしろい人がいます。早くしないと戦争中の話や戦後の話をしてくれる人はどんどん亡くなってしまいます。

 奄美からは神戸に出てきた人も多いのですが、クボタのアスベスト被害にあっている人には奄美人が多いのです。最も弱いところに被害は行くという例がここにもあります。

5.「記録」されたものしか「記憶」されない――宮本常一の写真、「読む力」の復活

 宮本常一は優れた記録者でありノンフィクション書きであり……いい言葉をたくさん残していますが、その一つに「『記録』されたものしか『記憶』されない」という言葉があります。「記録」するということはそういうことなんですね。

 彼には10万点もの写真がありますが、おびただしいことを教えられるのです。宮本は誰もが通り過ぎ、見過ごしてしまうものを撮っています。

 例えば、杉皮を干している写真がある。これはすぐそばに裸にした杉があり、杉皮を敷いて杉を滑らせて川に運び、杉は比重が軽いからそのまま筏になるんですね。それに対して松は比重が重いから、松だけでは筏にできない。松林の隣には竹林があって、松の間に竹を入れて筏を組むのです。1枚の写真からそこまで読ませる。

 また、別の写真では流木の上に石があるのです。この石というのはこの流木の第一発見者の印なんですね。丸い石はだれそれのもの、三角の石はだれそれ、四角い石はだれそれと決まっている、それがあれば他の誰もこの流木に手をつけない。つまりそういう共同体が残っているということなのです。

 インターネットの普及によって「読む力」が減退しました。「読む力」というのは活字を読む力ばかりではありません。人間というものは人の力を読む、相手を読む、不吉な兆候を読む……人間にはそういう身体的な「読む力」が備わっていたのです。それがいつの間にかなくなりつつある。日本人に最も欠けているものは、何かを「読む力」ではないでしょうか。それは教育に欠けているものでもあります。「読む力」さえあれば、どんな苦境に立ってもやっていけるのです。これは学校の勉強ができるということとは逆比例する力です。

 私がものを書く時に「金科玉条」としているのは、柳田国男が「民俗学とは?」という問いに答えた言葉で、「かつてこの国土に生まれた者、今生きている者、未来の者」つまり、「過去・現在・未来」をみすえた学問ということです。ジャーナリズムに求められているのも同じものだと思います。

筆者の感想

 「立ち止まる、たじろぐ、言葉を失う」ことは「表現する」際にはマイナスであるかのような社会になってしまいました。筆者は佐野さんに全面的に共感します。「表現する」ためには、その前に「感じる」ことが必要だからです。「感じる」ということと「表現する」ということの間には、「感じた」衝撃を受け止めて咀嚼し、自分の言葉で表現するための時間が必要だと思います。「立て板に水」のように表現できるということは、逆に言えばそれほど感じなかったということの証明なのでしょう。つまり、現在の日本のジャーナリズムは「感じる」ことなしに、できごとの上っ面だけを報道しているのではないでしょうか。

 日本人に最も欠けているのは「読む力」だという指摘にも共感します。多くの人が権力者(為政者)にだまされていると筆者は思っています。介護保険も医療も改悪に次ぐ改悪で、そればかりでなく日本国中のすべてが改悪されているのに、いまだ政府与党に投票する過半数を超す人たち……近い将来自分が困るのに……それどころか子どもたち、孫たちの命さえ危ないのに……。

 「読む力」が完全に失われています。日本はこのまま「感じる」こともなく、「読む」こともなく、ただ流されていくのでしょうか?

*****

 この報告に付け足して、佐野さんは質問に答えて次のようなことをおっしゃっていました。

 個人情報保護条例は新しい形の治安維持法であるとして反対していた。取材していると個人情報保護を理由に取材拒否される方が多い。今後、「名無しのゴンベエ」の記事が出てくるだろう。死んでいった人間、生身の人間からしか担保しないものがある。それを表現するには<名まえ>が欠かせないと思っている。『東電OL殺人事件』では『渡辺泰子』という実名を出した。その訳は彼女の手紙を見たことがあるのだが、彼女の「渡辺」の「なべ」はむずかしい「なべ」(字は不明)で、麗しい筆跡で書いてあり、彼女が名まえに誇りを持っていたことがわかったからである。親族から訴えられてもかまわないと思った。

 ジャーナリストは自分で自分の首を絞めている。自分はよほどのことがない限り個人名をあげている。(ここまで)

 私も「個人情報保護条例」は「人民分断条例」だと常々思っていましたので、溜飲が下がりました。私も「学童クラブ便り」に子どもの名前を出していました。今では考えられませんが、当時は文句を言う親もいませんでした。学童クラブには誰ちゃんと誰ちゃんと誰ちゃんがいて、その子どもたちを職員も親もみんなで育てていくんだという共通の思いが確かにあったのです。

 今は子どもの誕生表(名まえが書いてある)さえ、保育室に貼れなくなったという保育園の話を聞きました。

 学童クラブでは子どもの名簿を作らなくなって久しいです。親たちは学童クラブに自分以外に誰がいるのかさえわからないのです。親たちが知り合う方法は非常に限られてしまいました。「人民分断」そのものです。

 そして大多数の人がこのことを当然だと思って、疑うこともありません。みんな、だまされ、繰られています。
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by lumokurago | 2007-04-30 14:13 | JANJAN記事

『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』を読む~日本は駄々っ子

JANJANに書評が掲載されました。

*****

c0006568_11181939.jpg 本文を読み始めて2ページ目で「うーん、どうしてこんなに違うのだろう?」と感じ、読み進むに連れて、「どうして政治家や企業がこんなにまともなの?」と衝撃を受けた。読み終えて、今更ながら「日本は駄々っ子みたい」と恥ずかしく、穴があったら入りたい思いである。

 ドイツ政府の戦後補償は、良識のある“大人”のすることとして実に筋が通っている。それに比べて日本は? もちろんドイツと日本を単純に比較することはできないが、戦争を仕掛けて他国を侵略し、残虐の限りを尽くし、取り返しのつかない多大な犠牲、損害を与え、戦争責任を負っていることは共通している。

 この本はドイツに住む著者が、ドイツ人の過去との対決のディテールを取材して報告した本である。ドイツはナチスの戦争責任に対してどのようなことを行っているのか、具体的にあげてみる。

(1)戦後60年目の2005年に2700万ユーロ(約40億5000万円)をかけて、首都ベルリンの一等地にホロコースト犠牲者追悼モニュメントを完成。こうした施設はドイツ語で、Mahnmal(マーンマール)と呼ばれるが、日本語に適切な訳語はない。忠実に訳せば「過去の犯罪や問題について、現代そして未来の人々に警告するための碑」

 これのみならず、全国数千ヶ所に資料館、追悼碑などがある。

(2)ドイツ政府がナチスの犯罪により被害を受けた人々に払った賠償金は1952年から50年間で604億6400ユーロ(約9兆669億円)。2002年だけでも9億8000ユーロ(約1470億円)が支払われており、連邦財務省は「賠償金の支払いは、被害者が生きている限り続く」としている。ドイツ政府は金による償いが不可能であることは認めながらも、経済的な支援を通じて謝罪しようとしている。

(3)ドイツの歴史教科書ではナチスが権力を掌握した過程や原因、戦争の歴史を詳しく取り上げ、ドイツ人が加害者だった歴史を強調している。歴史の授業は討論が中心で、生徒が歴史的事実をどのように分析、評価するか、そして自分の意見を述べることが重視される。こうした教育を受けていれば批判的な思考が身に付き、将来ナチスのような集団が政権を奪おうとした時に、反対できる可能性が高くなるからである。

(4)ドイツのマスコミは戦後60年以上経った今でも、ナチスの犯罪について喚起する記事を頻繁に取り上げている。戦争関係の記念日には新聞は特集記事で埋まる。ドイツ政府とマスコミは犯罪が繰り返されないためには、国民に情報を与えなければならないと考えている。

(5)ドイツの司法当局は連合国による訴追(ニュルンベルグ国際軍事裁判)が終った後も、今日に至るまで、虐殺などに関わった容疑者の訴追を続けている。西ドイツ政府は1979年に「悪質な殺人」に関しては時効を廃止した。その理由は行方がわからなくなっているナチスの戦犯を訴追するためで、ナチスの戦犯は生きている限り捜査の対象となるのである。

 ドイツの司法界や社会は「ナチスの時代に生きたドイツ市民全員に罪がある」という集団責任は否定し、市民一人ひとりがどう行動したかを基準にして「個人の罪」を追及している。裁きの基準になるのは、個人が「どんな状況でも、人を殺してはならない」という自然法に違反したかどうかである。

(6)1998年に米国に住む強制労働被害者がドイツの大手企業に対して損害賠償を求める集団訴訟を起こしたことを皮切りに、多くの訴訟が起こされた。また、マスコミによって企業がナチス時代に果たした役割について集中的に報道されたため、企業にとって不利な事実が次々と明るみに出てきた。

 ドイツ企業は訴訟の標的となることによって活動に支障が出ることを恐れ、2000年、政府とともにナチス政権下で強制労働などの被害にあった市民のために賠償基金「記憶・責任・未来」を設立した。総額は100億マルク(約5000億円)で、政府が50%、企業が50%負担する。しかし、強制労働の被害者には高齢者が多く、賠償金を受け取らないまま亡くなった人も少なくない。

(7)ドイツ企業の中にはナチス時代に犯した自社の過ちについて、積極的に情報を公開する企業もある。都合の悪いことを自ら公開することでかえって企業への信頼性を高められるという判断であろう。

 さて、一方、日本ではどうか?

(1)A級戦犯容疑者であった岸信介が総理大臣になり、彼を尊敬すると公言して憚らない孫が現在の首相である。現在の首相は首相になってから従来の政府の見解を踏襲してはいるが、持論は「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦はなかった」「強制連行はなかった」である。

(2)加害の歴史を教える教科書を「自虐史観」とし、アジア太平洋戦争を「自存自衛の戦争だった」と歴史を歪曲した教科書が文科省の検定に合格、この教科書を支持する首長は違法行為まで重ねて強引に採択させている(例:東京都杉並区)。
(参考サイト 「杉並の不当な教科書採択取り消し裁判の会」http://suginamisaiban.web.fc2.com/ 

(3)マスコミは戦争責任を報道することをほぼ放棄したように見え、少数の良心的なジャーナリストを除き、国民に真実を伝えようという気概をとうに失っている。

(4)中国や韓国の被害者が起こした訴訟に対して、損害賠償を退けるケースがほとんどである。裁判所が国や企業の責任を認めた場合でも「国家無答責の法理」(明治憲法下での国家行為については、市民に損害を与えたとしても賠償しなくてよいとする法理)により、または「除斥期間(訴訟を起こせる期間)が過ぎた」として国や企業を免責している。
(参考サイト 戦後補償主要裁判判例 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/senngohosyou.htm 

 著者は、欧州では残念なことに、日本について「歴史認識をめぐり頑強な態度を崩さず、周辺諸国と融和しようとしない国」というイメージが定着しつつあると述べている。そして、ドイツが過去との対決によって旧被害国の信頼を回復し、欧州が過去2000年間で最も平和的な状態を実現しているのに対し、東アジアでは「歴史リスク」が増大していることに危機感を抱いている。

 ドイツと日本を単純に比較できないとはいえ、どうしてこれほどの違いが出てきたのかを、私たちは考えなければならない。

 著者がブラント元西ドイツ首相にインタビューした時の、ブラント元首相の言葉の中の「ドイツ」を「日本」に置き換えてみよう。

 私たちは「自国の歴史の流れから外へ出ることはできない」のだから、「日本の歴史の美しい部分だけでなく、暗い部分についても勉強しなくてはならないのです。それは、他の国の人々が、我々日本人を厳しく見る理由を知るためです。そして日本人は、過去の問題から目をそむけるのではなく、たとえ不快で困難なものであっても、歴史を自分自身につきつけていかなくてはならないのです」

 私たちはこのことをあまりにもおろそかにしてきたのではないだろうか。東アジアを平和的な集合体とするために、今からでもいいから心を入れ替えて、日本は戦争責任の所在を明らかにし、次々に亡くなっていく多くの犠牲者たちに謝罪し、補償すべきである。そして次の世代にも戦争の加害の歴史を隠さずに教え、考えさせ、二度と侵略戦争を起こさないようにしたい。

 このことを誠実に実行・努力しているドイツから、確かな説得力をもって書かれた本であった。多くの人にお薦めしたい。

***** 

 なぜドイツと日本はこんなに違うのでしょうか?
ここには書きませんでしたが、なぜ日本人はこれほどに自分の意見を持たないのか?
なぜ「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」なのか?

なぜでしょう?
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by lumokurago | 2007-04-26 20:10 | JANJAN記事

「我、自衛隊を愛す 故に憲法9条を守る」を読んで

『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』を読んで

c0006568_1915559.jpg 著者:箕輪登/竹岡勝美/小池清彦
出版社:かもがわ出版
定価:1400円+税 

 自民党タカ派といわれる山崎拓氏が、社民党とみまがえるほどの発言をされ、「私の立つ位置は少しも変わっていない。自民党が右に行ったのです」とおっしゃるのを何度も聞いた。加藤紘一氏や野中務氏らも今や革新的に見える。今度は防衛省元幹部3人の言をまとめたこの本が出版された。

 この本に登場する3人を紹介しよう。1人目の小池清彦氏は防衛研究所長、教育訓練局長などを歴任、2人目の竹岡勝美氏は岡山・鳥取県警本部長の後、防衛庁人事教育局長、官房長を歴任、3人目の箕輪登氏は防衛政務次官、郵政大臣などを歴任した、押すに押されぬ防衛省元幹部である。

 箕輪登氏は5,600名以上の原告による全国11地裁、13訴訟となった戦後最大の憲法訴訟である自衛隊イラク派兵違憲訴訟の火付け役として有名で、自民党にもこういう人がいるのかと感動したものだが、ここにお名前を挙げた方々は皆、革新的でもなんでもない、「戦争は絶対にしてはいけない」という人間としてごく当たり前な感覚をお持ちというだけなのである。なぜその方々が今や特別になってしまったのか。

 この本にある3氏の主張を簡略に箇条書きにして抜き出してみる(他にもたくさんあります)。

(1)自衛隊は憲法と両立する形の軍隊であるが、専守防衛に徹すべきで、外国に派兵すべきではない。憲法9条がなければ、戦後、日本はほとんどの戦争に参戦し、血を流していた。
(2)外国は被爆国日本の憲法9条を高く評価している。
(3)自衛隊イラク派兵は明確な憲法違反。
(4)イラク戦争は国際法違反の侵略戦争である。
(5)自衛官は海外で戦争するために志願したのではない。家族を悲しませないためにも一刻も早く撤退すべきである。
(6)日本周辺諸国に対日侵攻の名分やメリット、能力がないことは明らかであり、日本の「有事」とは米軍と日本周辺国家との戦争に巻き込まれる波及有事のみである。

 小泉元首相は「テロとの戦い」とブッシュと同じことを言っていたが、イラク戦争に自衛隊を派兵しなければ、日本がテロにあう可能性はなかったとも指摘されている。アフガニスタンで医療等の支援活動をされている中村哲さんやイラクで活動しているNPOの人々も同じようにおっしゃっていた。

 3氏共に憲法改正は集団的自衛権を解禁し、つまり外国に侵略するアメリカ兵を守るために日本人が血を流すことであると明言されている。政治家たるもの国民の命を守り、幸せに暮らせるようにするのが仕事であるのに、今の政治家はその役割を忘れ去って一体何をしているのかと口々に批判されている。

 箕輪登氏の自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟第10回口頭弁論における証言を読み、北海道訴訟弁護団事務局長の佐藤博文氏の解説を読みながら、箕輪さんの真剣に必死に平和を求める生き方に涙があふれてしかたなかった。

 箕輪さんの葬儀の会葬礼状の言葉を次に掲げます。

 「何とかこの日本がいつまでも平和であって欲しい。平和的生存権を負った日本の年寄り一人がやがて死んでいくでしょう。やがては死んでいくが死んでもやっぱり日本の国がどうか平和で働き者の国民で幸せに暮らして欲しいなとそれだけが本当に私の願いでした。みのわ登」

 箕輪さんだけでなく、後藤田正晴氏にも「日本への遺言」という本がある。「タカ派」「カミソリ」と呼ばれた政治家が、「遺言」として「平和」を説き、「右傾化」を憂い、「戦争だけは絶対にやってはいけない」と主張せざるを得ない時代が今である。同じ政治家でありながら、国民の幸せなどは全く眼中になく、自らアメリカの植民地になることを欲する現在の政治家たち……何が彼らをそうさせているのだろうか。

 政治家がそう志向している以上、それを止めるのは国民一人ひとりである。箕輪さんの足元にも及ばないが、安倍晋三を訴えて裁判を行っている者として、箕輪さんに学びたいと思う(関連サイト参照)。今度「改正」教育基本法違憲訴訟も提訴する。JanJanに記事を載せていただいたが、提訴は6月中下旬まで延期するので、原告を引き続き募集している。箕輪さんに続く志ある多くの方々のご連絡をお待ちしています(関連記事参照)。

 また、ここには書く余裕がなかったが、この本には「加害者」としての立場からの発言もあり、今の政治家からは失われてしまった当たり前の感覚、重要な指摘などがちりばめられているので、ぜひ多くの皆様に読んでいただきたい。
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by lumokurago | 2007-04-16 13:09 | JANJAN記事