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カテゴリ:沖縄タイムス( 42 )


署名没収「学校にそぐわない」「生徒の権利侵害」

 沖縄タイムス続報です。

 【与那国】与那国島への自衛隊配備に関し、与那国中学校の東迎和芳校長が、生徒が自主的に進めていた自衛隊誘致に反対する署名活動の用紙を無断で没収した問題で、東迎校長は18日、沖縄タイムスの取材に応じ、「署名活動の内容が政治、宗教的に中立性を求められる学校にそぐわない」と釈明した。誘致に反対している町民らでつくる「与那国改革会議」が使用していた署名用紙だったことも問題視したという。(八重山支局・又吉嘉例、社会部・儀間多美子)

 東迎校長は同日朝、署名活動をした生徒に対し、没収の理由を説明した。「活動に関する否定ではないが、校内で活動したのが一番の問題。(誘致の賛否をめぐり)町が二分されている状態を、学校に持ち込ませたくなかった」と語った。

 校外での署名活動については「止めるものではない」とする一方、没収した用紙は返却しないとした。

 同町教育委員会によると、17日に生徒の保護者から町の崎原用能教育長に対し、署名活動を問題視する電話があった。その後、町教委から事実確認を求められた東迎校長が署名を没収したという。

 崎原教育長は「(反対派町民による)物事の『いろは』が分からない子どもを利用した自衛隊反対活動じゃないか」と批判した。

 これに対し、同会議の崎原正吉議長は「こちらから署名活動をさせたということはない」と否定。「生徒も与那国の住民。自分たちで島のことを考えてやったことなのに、学校側で束縛するのはおかしい」と反発し、町教委に没収した用紙を返すよう求めるとした。

「生徒の権利侵害」

 琉球大学の島袋純教授(政治学)は「中学生も、政治的、社会的な出来事について考え、意思表示する権利は十分ある。校長がそれを取り上げるのは越権行為だ」と指摘した。

 与那国町では2004年、市町村合併に関する住民投票権を15歳以上に設定した。また静岡県では、中学1年生が議会に出した禁煙条例の陳情が、採択されたケースもあるという。

 島袋教授は「物事を考えるいい機会でもあるはずなのに、政治に巻き込みたくないからと彼らの意思を取り上げ、口出しさせないようにするのはおかしい。教育的にも違うのではないか」と語り、同教委と学校の対応を疑問視した。

 元はこちらです。
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by lumokurago | 2011-11-19 15:15 | 沖縄タイムス

自衛隊配備反対署名 校長が没収

沖縄タイムス記事です。2011年11月18日 09時42分

 【与那国】与那国町への自衛隊配備問題をめぐり、与那国中学校の東迎和芳校長が、生徒が自主的に進めていた自衛隊誘致に反対する署名活動の用紙を、無断で取り上げていたことが17日、分かった。生徒は「島が大変なことになっている時に、島の未来をつくる僕たちが何とかしたかった」と意気消沈している。東迎校長は用紙を取り上げたことを認めた上で、理由については「答えたくない。子どもたちへ先に説明したい」と本紙に語った。

 署名活動は同中学の2年生(14)が企画し、同級生の協力を得て、署名用紙も独自に作成、14日から始めた。集まった署名は、自衛隊誘致に反対する住民らでつくる与那国改革会議(崎原正吉議長)を通し、誘致を進める外間守吉町長に提出する予定だったという。

 企画した生徒らは16日までに全校生徒36人中16人の署名を集めたが、17日、登校すると、ロッカーの上部に置いていた署名された用紙が無くなっていた。同中教諭に確認したところ、東迎校長が回収していたことが分かった。

 高校がない与那国町。中学を卒業すると、島を出ざるを得ず、企画した生徒は「僕たち中学生も半数以上が自衛隊誘致に反対。高校を卒業しても、自衛隊をいやがって町に戻ってこなくなり、人口が減ることも予想される」と心配。「自衛隊に使うお金があれば、別の方法で与那国の活性化ができると思う」と話している。

 元はこちらです。
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by lumokurago | 2011-11-18 19:52 | 沖縄タイムス

八重山教科書:石垣・与那国、育鵬社採択

八重山教科書:石垣・与那国、育鵬社採択   沖縄タイムス8.27

 【八重山】八重山地区の中学校教科書を決める石垣市、与那国町の教育委員会が26日、両市町で開かれ、ともに「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版「新しいみんなの公民」を採択した。竹富町は27日に協議、育鵬社版を不採択する見通し。県教委は結論の異なる3市町に再協議を求める構えだが、石垣、与那国は拒否も辞さない姿勢であることから「協議会の機能放棄ではないか」と不信感を示している。採択期限は31日。

 石垣市、与那国町とも会議は公開で行われた。約40人の市民らが傍聴した石垣市では議論がまとまらず、全5委員が異例の投票を実施、3対2の賛成多数で採択した。与那国町は協議の上、全会一致で決めた。

 一方、竹富町の慶田盛安三教育長ら複数の委員は「戦争する国をつくるようにも受け取れる」とし、育鵬社版を採択しない構えだ。

 だが、教科書の選定法を定めた「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」は「採択地区内の市町村教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならない」としている。

 八重山採択地区協議会は協議会と3市町教委で合意が得られなかった場合、県の指導・助言の下に再度、協議できると規約で定めている。しかし、同会長の玉津博克・石垣市教育長は「必ず再協議するとは書いていない」、崎原用能与那国町教育長も「町は既に意思を決めた」と述べ、再協議を拒否する姿勢だ。

 竹富町の慶田盛教育長は「再協議しないのはおかしい。玉津協議会長の会長としての責務だ」と批判。27日の会議では、協議会に提出された現職教諭ら調査員の9教科15種目の報告書も示し、推薦された東京書籍版の採択を見込んでいる。

 玉津会長らの再協議に否定的な姿勢に、県義務教育課の担当者は「ありえない。協議会の機能を放棄したことにならないか。協議の実施については、委員も含めた上で決めるべきだ」と困惑。「採択は各市町村委員会の権限で行われるもの。協議会地区内は同一(の教科書)にしないといけない」とあらためて強調した。

 教科書採択の最終期限は8月31日と法律で定められており、文部科学省教科書課は「期限をすぎた例は聞いたことがない」としている。

*****

 【八重山】竹富町教育委員会(慶田盛安三教育長)は27日、来年度から中学校の社会科公民分野で使う教科書について、石垣市や与那国町と構成する協議会の事前答申にあった「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版「新しいみんなの公民」の不採択を決めた。不採択の緊急動議が委員から出た。東京書籍「新しい社会公民」を採択した。
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by lumokurago | 2011-08-27 12:30 | 沖縄タイムス

八重山で育鵬社公民教科書を採択

 沖縄タイムスです。原発事故もひどいけど、とうとう沖縄で「つくる会」が・・・!

*****

 与那国町教育委員会は26日午後、臨時会を開き、来年度から中学校で使う公民教科書に「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版公民教科書を採択した。

 石垣市教委も同日、臨時会を開き、同教科書を採択する見通し。
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by lumokurago | 2011-08-26 17:53 | 沖縄タイムス

泡瀬干潟 赤字前提

泡瀬埋め立て2次提訴 公金差し止め求め (沖縄タイムス 7.23

 沖縄市泡瀬の沖合埋め立て事業をめぐり、事業に反対する「泡瀬干潟を守る連絡会」のメンバーら沖縄市民や県民275人は22日午後、仲井真弘多県知事と東門美津子沖縄市長に対し、埋め立て工事費などの公金支出の差し止めを求める第2次訴訟を那覇地裁に起こした。同事業は環境保護や災害防止対策が不十分で、経済的合理性は認められないと訴えている。第1次訴訟では一、二審ともに事業の経済的合理性を認めなかったが、2次訴訟でも新事業計画に対する同合理性の有無が、実質的に最大の争点となる。

 原告には「泡瀬干潟」や9種類の野生動植物も名を連ね、同干潟や周辺海域の保全を訴える「自然の権利」訴訟となる。

 訴状によると、10年以上も前の環境アセスメントでは、その後に発見された新種や希少種への影響が考慮されていないほか、同市の土地利用計画も東日本大震災に伴う大津波などの災害対応が十分に検討されていないと指摘。

 同計画の需要予測は「全くのでたらめで、相当程度に手堅い検証がなされたとは到底評価できない」と、経済的合理性を否定。県や市が同事業へ支出するのは違法として、一切の公金支出差し止めを求めている。

 同事業は当初、約187ヘクタールを埋め立てる計画だったが、公金支出の差し止めを命じた2009年の福岡高裁那覇支部判決を受けて中断した。

 その後、沖縄市は10年7月に埋め立て面積を約95ヘクタールに縮小した新土地利用計画を策定。スポーツコンベンション拠点の形成を掲げ、スポーツ施設やホテル、人工ビーチ、商業施設を整備する内容で、港湾管理者の仲井真知事は19日、新計画の事業計画を承認。早ければ、9月中旬にも工事が再開される見通しとなっている。

開発せざるを得ない/スポーツ拠点に

 仲井真弘多知事 (埋め立て面積を)半分にしてやるということに決めたのだからそれでいく。自然保護はやるべきはしっかりやらなければいけないが、それをやりながら開発もやらざるを得ないというのも長い命題だ。(事業に)賛成の人もいれば反対の人もいる。本当は心を一つにしてということがいいのだろうが、考えはそれぞれだ。(提訴について)特に申し上げることはない。

 東門美津子沖縄市長 訴状を見ていないので、コメントは差し控えたい。この事業は「スポーツ」「健康」「交流」を基本に市民や県民、観光客が集えるスポーツコンベンションの拠点づくりが目的。雇用創出、地域活性化に大きく貢献し多くの市民が期待している。港湾計画や埋め立て免許変更などの手続きをへて土地利用が早期実現するよう、今後とも国・県と連携しながら取り組んでいく。

*****

 7.21の記事「問われる泡瀬再び 下」には、埋め立て予定地にはテニスコート20面(屋内練習場にも20面 計40面)、サッカー場3面、ソフトボール場1面、屋内練習場に300室規模のホテルを誘致する計画だが、予定地には県総合運動公園が隣接し、市内にはコザ運動公園もある。市の推計では30年間の事業期間中、計67億円(年間2.2憶円)の損失を見込むとのことだ。

 泡瀬沖埋め立ての免許変更を許可した仲井真弘多知事は「早く完成させて、中部地区の起爆剤にするべきだ」と促したそうだが、年間2.2億円もの損失を促してどうするつもり?
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by lumokurago | 2011-07-26 10:14 | 沖縄タイムス

人類は原子力制御できず

 沖縄タイムス2011.6.18より

 ドイツは2022年までの全原発停止を決定、イタリアも国民投票で「脱原発」を確認した。先駆けとなったのは00年に決まったドイツの脱原発政策だ。産業界の激しい抵抗を押し切った当時のドイツ首相のゲアハルト・シュレーダー氏(67)はベルリンの事務所で、「人類は原子力を制御できない」との観念が決断を導いたと語った。

― 10年以上も前に脱原発という大胆な決定を下した。先見性が評価されている。

 「3つの理由があった。1つは最も重大な安全面だ。われわれは『原子力は人類が制御できない科学技術である』との見解に達していた。原発は、ミスに寛容でないのだ。そして人間はさまざまな判断でミスをする。人類にふさわしくないこの技術を止めようと全力を挙げた」

 「多くの原発事故でわれわれが正しいことは確認されている。(中略)」

 「また、再生可能エネルギーに投資したかった。エネルギー政策を転換する必要があった。3番目は、使用済み核燃料の処分場所の解決策がなかったことだ。放射性物質の半減期は恐ろしく長い。将来の世代に敬意を払って放射性廃棄物を扱うべきだ」

 1998年の総選挙で勝利した社会民主党のシュレーダー氏は、即時原発廃止を求める90年連合・緑の党と連立した。電力業界は、運転開始から35年以上経過した原発でなければ廃止できないと反対。粘り強い交渉で業界との合意にこぎ着け、2002年に20年代までに原発を全廃する脱原発法を成立させた。03年のイラク戦争では亀裂覚悟で米国に開戦反対を突きつけた。精力的な言動は今も変わらない。

 (シュレーダー氏は非常にまともなことを言っています。私が感動したのは、次の部分です)。

 「あらゆる分野で先進国は電気を使い過ぎだ。われわれは長年続くエネルギー問題を抱え、途上国の犠牲の上に生活をすることはできない。そんなやり方は機能しない」

 日本では小出裕章さん以外のだれが、私たちは「途上国」を犠牲にしていることを指摘したでしょうか。電力不足や節電の話ばかりで、先進国が電気を使い過ぎていることにはまったく触れられません。異常です。やっぱり日本は「自分さえよければ」の国なのかと悲しいです。
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by lumokurago | 2011-06-21 17:47 | 沖縄タイムス

非情無比で荘厳なもの

 非情無比で荘厳なもの  日常の崩壊と新たな未来 
     水の透視画法 辺見庸 沖縄タイムス 3.17より転載
     (辺見さん、いつもごめんなさい。みなさん辺見さんの本を買ってね) 

 風景が波とうにもまれ一気にくずれた。瞬間、すべての輪郭が水に揺らめいて消えた。わたしの生まれそだった街、友と泳いだ海、あゆんだ浜辺が、突然に怒りくるい、もりあがり、うずまき、揺さぶり、たわみ、地割れし、ごうごうと得体の知れぬけもののようなうなり声をあげて襲いかかってきた。その音はたしかに眼前の光景が発しているものなのに、はるか太古からの遠音(とおね)でもあり、耳の底の幻聴のようでもあった。水煙と土煙がいっしょにまいあがった。それらにすぐ紅蓮(ぐれん)の火柱がいく本もまじって、ごうごうという音がいっそうたけり、ますます化け物じみた。家も自動車も電車も橋も堤防も、人工物のすべてはたちまちたよりなげに、きれぎれに聞こえた。わたしはなんどもまばたいた。ひたすら祈った。夢であれ。どうか夢であってくれ。だが、夢ではなかった。夢よりもひどいうつつだった。

 それらの光景と音に、わたしは恐怖をさらにこえる「畏れ」を感じた。非情無比にして荘厳なもの、人智ではとうてい制しえない力が、なぜか満腔の怒気をおびてたちあがっていた。水と火。地鳴りと海鳴り。それらは交響してわたしたちになにかを命じているようにおもわれた。たとえば「ひとよ、われに恐懼(きょうく)せよ」と。あるいは「ひとよ、おもいあがるな」と。わたしは畏れかしこまり、テレビ画面のなかに母や妹、友だちのすがたをさがそうと必死になった。これは、ついに封印をとかれた禁断の宗教画ではないか。黙示的光景はそれじしん津波にのまれた一幅の絵のようによれ、ゆがんだ。あふれでる涙ごしに光景を見たからだ。生まれ故郷が無残にいためつけられた。知人たちの住む浜辺の集落がひとびとと家ごとかき消された。親類の住む街がいとも簡単にえぐりとられた。若い日に遊んだ美しい三陸の浜辺。わたしにとって知らぬ場所などどこにもない。磯のかおり。けだるい波の音。やわらかな光・・・。一変していた。なぜなのだ。わたしは問うた。恐れる風景は怒りのわけをおしえてくれない。ただ命じているようであった。畏れよ、と。

 津波にさらわれたのは、無数のひとと住み処だけではないのだ。人間は最強、征服できぬ自然なし、人智は万能、テクノロジーの千年王国といった信仰にも、すなわち、さしも長きにわたった「近代の据傲(きょごう)」にも、大きな地割れがはしった。とすれば、資本の力にささえられて徒な繁栄を謳歌してきた私たちの日常は、ここでいったん崩壊せざるをえない。わたしたちは新しい命や価値をもとめてしばらく荒れ野をさまようだろう。時は、しかし、この広漠とした廃墟から、「新しい日常」と「新しい秩序」とを、じょじょにつくりだすことだろう。新しいそれらが大震災前の日常と秩序とどのようにことなるのか、いまはしかと見えない。ただはっきりとわかっていることがいくつかある。われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている。

 愛や誠実、やさしさはこれまで、安寧のなかの余裕としてそれなりに演じられてきたかもしれない。けれども、見たこともないカオスのなかにいまとつぜんに放りだされた素裸の「個」が、愛や誠実ややさしさをほんとうに実践できるのか。これまでの余裕のなかではなく、非常事態下、絶対的困窮下で、愛や誠実の実現がはたして可能なのか。家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか。すべての職業人がやるべき仕事を誠実に追求できるのか。日常の崩壊とどうじにつきつけられている問いとは、そうしたモラルの根っこにかかわることだろう。カミュが小説『ペスト』で示唆した結論は、人間は結局、なにごとも制することができない、この世に生きることの不条理はどうあっても避けられない、というかんがえだった。カミュはそれでもなお主人公の医師ベルナール・リウーにひとがひとにひたすら誠実であることのかけがえのなさをかたらせている。混乱の極みであるがゆえに、それに乗じるのでなく、他にたいしいつもよりやさしく誠実であること。悪魔以外のだれも見てはいない修羅場だからこそ、あえてひとにたいし誠実であれという、あきれるばかりに単純な命題は、いかなる就職もそがれているぶん、かえってどこまでも深玄である。

 いまはただ呆然と廃墟にたちつくすのみである。だが、涙もやがてかれよう。あんなにもたくさんの死をのんだ海はまるでうそのように凪、いっそう青み、ゆったりと静まるであろう。そうしたら、わたしはもういちどあるきだし、とつおいつかんがえなくてはならない。いったい、わたしたちになにがおきたのか。この凄絶無尽の破壊が意味するものはなんなのか。まなぶべきものはなにか。わたしはすでに予感している。非常事態下で正当化されるであろう怪しげなものを。あぶない集団的エモーションのもりあがり。たとえば全体主義。個をおしのけ例外をみとめない狭隘な団結。歴史がそれらをおしえている。非常事態の名の下で看過される不条理に、素裸の個として異議をとなえるのも、倫理の根源からみちびかれるひとの誠実のあかしである。大地と海は、ときがくれば、平かになるだろう。安らかな日々はきっとくる。わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。かんがえなくてはならない。 (辺見さんは宮城県石巻市出身です)。

*****

 鬼蜘蛛おばさんの疑問箱からたどった金平茂紀さんのブログによれば、辺見さんが『朝日ジャーナル』増刊2号に寄稿した文章「標なき終わりへの未来論」のなかで、次のように書いていたそうです。

 すさまじい大地震がくるだろう。それをビジネスチャンスとねらっている者らはすでにいる。富める者たちはたくさん生きのこり、貧しい者たちはたくさん死ぬであろう。階級矛盾はどんどん拡大するのに、階級闘争は爆発的力をもたないだろう。性愛はますます衰頽するだろう。テクノロジーはまだまだ発展し、言語と思想はどんどん幼稚になっていくであろう。ひじょうに大きな原発事故があるだろう。労働組合はけんめいに労働者をうらぎりつづけるだろう。多くの新聞社、テレビ局が倒産するだろう。生き残ったテレビ局はそれでもバカ番組をつくりつづけるだろう。

 辺見さんは地震を予知していたのでしょうか。辺見さんのおっしゃる通りだと思います。私も性悪説です。でも私は長年、子どもたちとつきあってきました。子どもたちのためにはそうも言っていられないのです。希望は絶望から生まれる・・・はずです。まずは絶望をしっかりとみつめましょう。

 鬼蜘蛛おばさんの疑問箱の記事「大震災、原発事故さえ食い物にする資本の論理」はこちらです。金平さんのブログもぜひお読みください。

 そして希望のひとつが確実にここにあります。これも地震を予知したような話題です。いっせいさんは子どものころ、こんな体験をしたんですね。だから国家権力というものを知っているのでしょう。そして上関原発のこともちゃんと知っています。いっせいさんのブログを見る人は若い人たちでしょう。がんばって発信してほしいものです。
 石田いっせいのブログ Arrivals 
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by lumokurago | 2011-03-22 12:58 | 沖縄タイムス

辺見庸 水の透視画法

 辺見庸さんの「水の透視画法」、東京新聞では連載が中止になってしまいましたが、沖縄タイムスではまだつづいています。2011.2.18の沖縄タイムスより。

狂気かくす 排除の倫理  秋葉原事件求刑公判

 (前略)

 梅の枝をつつんでいた新聞紙をすてようとしたら、大見出しに眼を撃たれた。「悪魔の仕業」「死刑を求刑」―秋葉原事件論告求刑公判の記事である。(中略)おどろいたのは「悪魔の仕業」という言いきりかたに、である。せめて助動詞「ようだ」か、その連体形「ような」を付した直喩のかたちにして「悪魔のような仕業」か「犯行は悪魔のようだ」と表現できなかったのか。横着な記者がわざとはしょって「悪魔の仕業」という、異端審問ふうの見出しをたてたのではないか、とうたぐった。本文を読むと、はたして記者が横着なのではなかった。「人間性のかけらも感じ取ることができない悪魔の仕業といわなければならない」が、論告正文であったのだ。

 眼鏡をかけたあの青白くやせた青年はわれわれとおなじヒト科ヒト属の種であるヒトとして分類するのが困難な、悪魔ないし悪魔と同等の「人間性のかけらもない」生き物ということなのか。どうもあんばいがおかしい。顔写真をしげしげと見る。もちろん悪魔になんかみえない。あまりにふつうすぎるほどふつうなのだ。(中略)だいいち、悪魔はもともと宗教用語であり、現代の裁判にはなじまない。(中略)わたしよりだいぶ若い検察官たちはなにをイメージして「悪魔の仕業」と表現したのだろうか。このことがをつかうことに抵抗はなかったのだろうか。(中略)

 検事たちは、人間やいわゆる人間的なものの対極に悪魔を措(お)き、被告人の罪状の重さをきわだたせるために、悪魔の形容をひるむことなくもちいたのだろう。犬をなだめながら、でもなあ…と、わたしはとまどう。そして、ひやりとする。検事たちも記者たちも悪魔の所在なんか信じていまい。非在のものを裁判にもちだし、記事に書くその心根に、手におえない思念の廃(すた)れを感じる。あぶなくはないか。

 かつてある思想家は書いた。「十八世紀末以前には、『人間』なるものは実在しなかった。それは知という造物主が作りだした最近の被造物である。」 近代の知がこしらえた「人間」という価値概念は、ヒトがじつはおそるべき「非人間」の半面をふくみもつにもかかわらず、それを他者として切りはなし、他者を排除・抑圧することでヒトとその社会に本来的に潜在する暴力性や狂気をかくそうとした。二十一世紀の悪魔もそうしてつぎつぎにねつ造され、排除されつつあるのではないか。

(中略)悪魔と青年をよばわることのすごさ。悪魔とよばわる者らは、そのむなしさを知っていよう。つまり、ことばなんかほんとうは信じていない。ということは、「人間」のふかみに関心をもっていない。無差別に多数を殺傷した者、それを悪魔と責める者。ともに「人間とことば」への関心と執着をなくしているのかもしれない。犬がうなる。

*****ここまで引用

 「悪魔」ではない「人間」がおこした事件だからこそ、私たちはあの青年について、青年をおいつめたものについて、私たちのいま生きる社会について、真摯に考えていかなければいけないのである。
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by lumokurago | 2011-03-02 20:26 | 沖縄タイムス

抑止力と鳩山発言

 2月17日もTOPは「落下傘訓練を強行」の沖縄タイムスです。住宅に近い嘉手納基地でのパラシュート降下訓練は2007年以来4年ぶり。復帰後5度目。
 
 内地にいると何も知らされず。

【追記】 いま、2月18日の新聞を読んだら、「自然条件などの制約によって、伊江島補助飛行場の使用が困難な例外的な場合、定期的でない、小規模の訓練は嘉手納基地を使用できる」という日米両政府の口頭での密約があったことが判明したそうです。県や地方自治体は説明を受けていませんでした。まったくなんたること! 

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-02-18_14648/ 


「大弦小弦」

 「口は禍(わざわい)の元」との諺(ことわざ)はこの人のためにあるのかもしれない。米軍普天間飛行場移設問題をめぐる鳩山由紀夫前首相の「方便」発言を聞いて思った

▼今期限りの政界引退を表明した直後に撤回するなど、この人の言葉の軽さは毎度のことで、今更腹を立てるのもばからしい。だが、今回の「舌禍」は目先を変えると、沖縄にとっては朗報かもしれない

▼鳩山氏の本音はこうだ。私は県民に約束した「普天間」の県外移設を真剣に検討してきた。でも、外務、防衛の官僚らが県内移設ありきで突き進みつぶした。よって、責任は私にはないのだと

▼無責任な発言の主に怒りの矛先を向けるのでなく、要は県外移設をつぶしたのは誰かという点を冷静に見据える必要がある。そうでなければ、政権交代が何度起きても、誰が首相になっても事態は変わらない

▼県外移設を訴える仲井真弘多知事はすぐに上京し、鳩山氏に真意を質(ただ)してはどうだろう。県外移設がとん挫した経緯を明らかにさせ、海兵隊の抑止力には根拠がなかったことを内外にアピールする絶好の機会である

▼「禍を転じて福となす」との諺にならい、鳩山発言を県外移設への道筋を探る「福」に転じていくのは沖縄側である。得意の「舌禍」も時には役に立つ。ひとまず、鳩山さんありがとう、と言っておきたい。(稲嶺幸弘)

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-02-17_14618/


[視点]  「抑止力」の検証こそ必要  鳩山氏発言の波紋 

 鳩山由紀夫前首相の「抑止力は方便」発言が波紋を広げている。「最低でも県外」と明言していた米軍普天間飛行場の移設先について迷走を重ねた末、再び名護市辺野古とした理由が、根拠のない後付けだったというのだから県民の反発を招くのは当然だろう。

 ただ、海兵隊の「抑止力」を明確に説明することなく、認識の違いを強調する菅直人首相や関係閣僚、「発言の時期」「言葉の使い方」のまずさだけを取り上げ、批判する本土メディアや多くの野党議員の姿勢が理解できない。鳩山氏は発言の中で基地問題を取り巻く国家体制やメディアへの疑問も呈したが、それは今回の「方便」批判を通して具現化されたと言わざるを得ない。

 国会や大手紙をはじめとするメディアが問題にしているのは鳩山氏の発言内容ではなく、「国会会期中に菅政権の足を引っ張る発言」や「沖縄を説得できない力量の無さ」に終始している。

 大手紙各紙は社説で鳩山氏の政治家としての力量を問い、「沖縄に丁寧な説明で理解を求めるべきだ」と締めくくっているが、発言の焦点は、そんなところにはない。

 根本的な問題は、沖縄に米軍が駐留し続ける根拠となってきた「抑止力」の有無であり、沖縄に過重な負担を課すことでしか維持できない安全保障政策の見直しを拒む「国家体制」そのものだ。

 発言の真意をただされた鳩山氏は16日、「普天間にいるヘリ部隊、海兵隊そのものの役割を考えれば、それ自体は必ずしも抑止力と言い切れるものではない」と述べた。在沖米軍基地面積の2%しかない普天間飛行場が沖縄になくても、全体にそう影響があるとは思えない―というのである。

 その通りではないか。

 沖縄県民に誠意を尽くし、理解を求めるべきという耳障りの良い言葉の裏にこそ、「米軍基地は沖縄に置いておくべきだ」という根拠のない論理が垣間見える。普天間飛行場の移設問題を在沖米軍すべての撤去問題とすり替えるだけの、「基地を持たない側」の本音が透ける。

 今問われるべきは、海兵隊の「抑止力」の検証と、沖縄に基地を集中させてきた固定観念を変えることだ。(政経部・黒島美奈子)

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-02-17_14666/
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by lumokurago | 2011-02-19 20:25 | 沖縄タイムス

砲撃を促した韓米にも責任

 延坪島砲撃について沖縄タイムス投書欄にまた投書がありました。

 砲撃を促した韓米にも責任     篠原孝子

 北朝鮮の延坪島砲撃を客観的にみてみたい。先日、下地良男さんが投稿されていたように、韓国軍は北朝鮮が「自国領海で射撃した場合座視しない」と事前警告をしたにもかかわらず、その海域に3657発の砲撃を延坪島攻撃の4時間前に発射していた。

 また北朝鮮の軍事力は韓米に比べたらたかが知れていると知りながら、同海域近辺で今年だけでも韓米合同演習を10回余り行ってきた。それらが威嚇や挑発でなくて何なのだろう。その演習を抑止のためと言うのなら、砲撃を促した結果をみれば、軍事力は抑止に効かないと証明したようなものだ。

 外交に関しても、北朝鮮は米国に6者協議の準備ができていることを伝え、米国の研究者を召請しているが、ハードルを作って話し合いに応じてこなかったのは米国だ。こうした事実がちゃんと報道されず、米軍は今後の韓米演習に日本の参加まで求めている。それは日本への攻撃の可能性をも高めることにほかならない。
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by lumokurago | 2010-12-21 18:02 | 沖縄タイムス