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カテゴリ:がんと闘わない生き方( 41 )


がんと闘わない生き方(9)患者インタビュー その4

がんと闘わない生き方(9)患者インタビュー その4  「天国と地獄」だった2回の乳がん治療

 M.Eさん
年齢:30代
家族:夫 子ども2人、主婦
 1回目の乳がん治療:1996年6月 手術法:胸筋とリンパ節も取る乳房切除術
 2回目の乳がん治療:1999年10月 手術はせず

 Eさんは1回目の乳がん治療で自分では納得できない治療をされてしまい、3年後にもう片方にもがんが発見された時、それを繰り返してはいけないと、自分で医師を選び、納得できる治療を行いました。「地獄と天国」だという、その違いを語ってくれました。(インタビューは2000年11月に行いました)
 
Q:Eさんは2度乳がんの治療を体験されていますが、1回目のことから話してください。

A:96年1月に発見し、96年6月に受診しました。受診まで半年もかかってしまいました。しこりを見つけて「もしかしたらそうかな?」とは思ったけれど、知識がなかったし、子どもも小さくて自分のことは後回しになってしまった。そのうちリンパ節が腫れてきて、へんだなとは思ったけど、そのうち治るだろうと思っていたんです。その後痛みも出てきたので不安になったけど「まさか!」という気持ちでした。知識があればよかったかもしれないと今は思います。

Q:病院はどうやって決めたのですか?

A:最初、S県立がんセンターに行ったのですが、すぐに引越したので、F先生を紹介されました。たまたま雑誌にF先生が乳がんについて連載していたし、身内にその病院にかかった人もいたので、その病院に決めました。その病院には全国から患者が集まってきて、すごく待たされるんです。朝、一番に行っても3時、4時になってしまう。患者を流れ作業のように処理していて、人間として扱ってもらえない感じでした。

Q:診断された時の気持ちを話していただけますか?

A:「全摘(※)です」と言われました。私は温存のことを知っていたので、できないか聞いたんですが「無理」と言われました。S県立がんセンターでも無理と言われ、ねばったけどだめでした。納得してなかったのに、自分でも無理なのかなとかしょうがないのかなと思ってしまったの。それしかなかった。悲しかったけど仕方なかったんです。(大胸筋と小胸筋のうち)どっちかの胸筋は残してどっちかは取りました。リンパ節も14個取りました。
(※組織あるいは器官全体の摘出)

 退院して抗がん剤治療が始まりました。わかっている抗がん剤の名前はアドリアマイシンと5FU。アドリアマイシンは普通40ml使うところ、私は70mlも使ったんです。6クールやったので次の年の2、3月までかかりました。1週間目に強い薬を使い、2週間目に弱い薬、次の週が休み。副作用がひどくて普通じゃなかった。とにかくしんどかったです。

Q:途中でやめようとは思いませんでしたか?

A:やめたかったけれど、家族に続けてほしいと言われてしまった。手術後に図書館で借りてK先生の本を1、2冊読んで、はたして抗がん剤を続けていいのかなと思いました。家族にその本を読んでほしいと言って相談しようとしたけど、協力してくれなかった。ほんとにつらかったです。

 化学療法をする可能性があるとは言われていたけれど、医師から正式に説明があったのは、手術が終わってからで、「小さい細胞が散っているかもしれないから予防的にやりましょう」と言われました。治験、骨髄移植にも誘われた、というか骨髄移植で治る確率は半々で高くはないから勧められないけれどもどうする?と聞かれたんです。再発の可能性は8割と言われたけど、「メスを入れた方は再発しない。うちは再発はないから」とF先生は言ってた。なぜそんなふうに断定できるのか疑問ですよね。それで放射線はやっていません。

 抗がん剤で髪の毛が抜け、子どもに見せられないのがつらかったです。子どもの前で着替えられないし、一緒にお風呂に入れない。子どもには手術のことは言ってなかったのだけど、上の子には小2になった時、夫から話し、下の子には幼稚園の年中で話しました。今は一緒にお風呂に入っています。私は温泉には入らないけれど子どもは聞き分けてくれます。

 術後、痛みや手のむくみがひどくて、だるくて体力が落ちて、疲れやすかった。リハビリがしんどかった。腕は1ヶ月以上、半分上がるか上がらないかでした。神経を切っているので、感覚が変になっていてしびれたり、かゆいので掻いてもかゆみが取れなかったりしました。今もしびれていて、こういうつらさは人にはわかってもらえないと思います。

 2年以上落ち込んでいました。自殺した人の心理がわかります。不安、抑うつ、怒りとも初めから全然変わらずずっと続きました。この事実を自分で明るく受け入れられれば、温泉にも入れるし、人にも平気で言えるんでしょうけど、自分と夫の親きょうだいや親しい友だちにしか言ってません。周りでは子どもを預かってもらうお母さん一人にしか言っていません。

 できれば人に知られたくない、黙っていたいという気持ちがあります。だからエイズでカミングアウトする人はすごいなと思います。何が嫌かといって、人からおっぱいがないと見られるのがいや。乳がんというと一般的に取ってしまうと思っていますよね。あの人、そうなんだよと見られるのが嫌なんです。比べるのは申し訳ないけど、子宮がんや卵巣がんは視覚的にはわからないでしょ。乳がんはわかってしまう。プールはもちろん行けないし、海でも上に何か着ていればいいけど、着替えるのが大変でどうしても足が遠のいてしまいます。

 ちょうど入院していた時、「乳房再建」という本が出て、患者たちでまわし読みしました。再建のことを先生に聞いたら、「2年経ってからな」と言われました。その頃、再建をオープンにやってくれるところはなく、自分の病院で切除した人しかやってもらえませんでした。当時は始まったばかりだったので、技術も確立していないし、傷が増えるのはどうかなと思いました。リハビリも大変だし、しない方がよかったという話も聞いたし。

 そして3年後、もう片方にもできてしまい、目の前が真っ暗になりました。毎月検査に通っていたのに、見つけられなかったのか、と腹が立ちました。F先生にまた「取る」と言われたので、小さい手術をしてくれる先生を探したいと言ったら、F先生は「三分の一取る」と言った。私が「三分の一も取ったらおっぱいじゃない」と言ったら、「後ろから(筋肉を)持ってくる」と言うので、「それじゃ傷が増える」と言ったら怒り出したんです。

 3年間の間に本を読んでいたので、K先生のこともよく知ってました。それでK先生(放射線科医)の所へ行ったら「温存でいけるんじゃないか」と言われました。N大では内視鏡手術もやっていて、そこにも行ったりして、医者を探すのに1ヶ月以上かかってしまいました。

 12月にA先生(外科医)の所へ行ったら、「N大の手術は出血がひどく、免疫が落ち、転移があれば大きくなる可能性があるから、あなたには向かない。できるだけ小さい手術でやってあげるから」とおっしゃいました。

 そしてがんを小さくするために先にCMF(抗がん剤)をやりました。そしたら2クールでほとんど消えた。3クールやった時点でやめるかどうか、K先生と相談してくるようにと言われ、K先生のところへ行ったら「自分で決めなさい」と言われました。A先生は「ここでやめるのは損だ。アメリカの患者は6回でも10回でもやってる」とおっしゃって、結局4クールまでやって、その後放射線をやってがんは消えました。だから手術はしなくて済んだんです。

 抗がん剤がよく効くタイプなので、1回目も先に抗がん剤をやってくれれば消えたのではないかと思います。普通の外科医はすぐに切ってしまうという考えで、とりあえず抗がん剤をやって小さくして手術という発想になぜなれないのか疑問です。A先生は頭が柔らかいと思う。私のはあっという間に大きくなるタイプのがんなので、1ヶ月の間にリンパ節もレントゲンに映る位に大きくなっていたけど、それも消えました。

 1回目の手術から再発まで3年でした。A先生に「3年もてば奇跡だよ」と言われました。2回目の手術から後1年で3年になります。また、あるかな?という不安はあるけれど、今は小康状態かな。今の治療はノルバデックス(ホルモン剤)を毎日飲むのとゾラデックス(ホルモン剤)を4週に一回注射しています。

 おばが52歳で8月に入院して、乳がんの手術をしたけれど、こわいから勉強しないと言っていて、うつ状態で精神的に大変。病院にメンタルケアの先生がいるべきだと思います。家族も話したいし。外科の先生は時間もないし、精神面の相談にはのってくれない。悩みは簡単に人に言えないし、経験者でないとわかってもらえないと思う。乳がんは告知せざるを得ないけど、他のがんは告知しない場合もあるので、患者も家族も大変と思います。私は半年の間、人に言わなかった。自分で抱え込んでしまう患者の方が危ないと思います。治療が一段落して考えることはよくないことばかりで、将来どうなるんだろうと暗くなってしまう。

Q:1回目の時もK先生のことを知っていたのならどうして行かなかったの?

A:引越しとか家のことがいろいろあって、東京に通うだけで大変だった。もう少し時間があったらなあ。悪い時、悪い条件が重なってしまうんですね。

Q:医者を信頼するのはどういうところでだと思いますか?

A:その治療のいいところも悪いところも全部言うところ。N大の先生のようにいいことばかりしか言わず、デメリットを他の人に言われると患者としても困ってしまいます。F先生は「これでやります」としか言わなかった。アメリカでは方法をいくつか示して選ぶから、患者も勉強が必要で、自分でよく考えて選ぶと聞きました。医者は車を売るのとは違うのだから、自分はこういうことができるけど、他に行けばこういうこともできると選択肢を示すべきだと思う。

 乳がんの場合、K先生の情報公開があって運がよかったんだと思います。医療情報の公開が必要。病院に標準治療のパンフを置くとか。治験の協力依頼なども個室で行うのではなく、公開してパンフなどを作るべきだと思います。家族も結局は人の体なので、「治るんだったらなんでもやってください」になってしまう。でも苦しむのは患者なのです。きちんと告知して、治療法をオープンにしなければならないと思います。F先生は私には軽めに言い、夫にはっきり言いましたけど、夫も私に隠していました。きちんと告知してくれなかったんです。本人が全然知らないと「よっぽど悪いんだ」と思ってしまいます。

 医者は「こういう治療法があります。あなたの場合は・・・」と説明し、患者も勉強して選ばなければならないと思う。患者も知識がないと医者とやり取りできない。F先生は「患者に言ってもわからないだろう」という態度で、質問すると「君は何が言いたいの?」と言われました。F先生には患者の不安がわからないんです。

 1回目の時は前の日に手術方法を言われ、同意書を書くように言われて、納得できなかったけれど明日じゃしょうがないかと思ってしまった。その病院では肺がんの術後すぐ、病室から飛び降り自殺した人がいたんですよ。

 リンパ節のドレーンを抜くのも痛い看護婦と痛くない看護婦がいて、痛い人が来た時「代わって」と言ったら、「そんなこと言うの、あんただけだよ」と言われた。看護婦は患者からそう言われたら痛くなくできる人に習って、技術を勉強してほしいと思います。

 家族は医者が正しいと思っているんです。医者にお任せすればいいと言う。父は人の体のことだと思って「切ってしまえ」と言ったんですよ。2回目は自分でA先生と決めました。そうすると自分で納得できるだけの知識を持って家族を説得しなければならないんです。みんな、知らないから取れば安心と思っている。乳がんといえば切る、残すといえばがん細胞も残すと思っているんです。

Q:あなたがそういう考え方になったのはなぜだと思いますか?

A:性格かな。自分で納得しないと不満な性格でなんでも自分でやっちゃえと思う。自分の体は自分で守る。1回目は泣いてたけど、2回目はふんばらなきゃと思って納得できる医者を見つけようと思った。1回目の間違いを繰り返しちゃいけないと。

 K先生は1回目の手術のことを「アメリカだったら裁判で負けるよ」とおっしゃっていました。私はそういうふうに手術したくなかったんだ。でもF先生は「病気を治したのになんでそんなこと言われなきゃならないの」と思っていると思う。私とは向いている方向が違う。1回目と2回目は地獄と天国でした。
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by lumokurago | 2009-05-13 22:21 | がんと闘わない生き方

がんと闘わない生き方(8)がんの自然史からみる早期発見・早期治療の無理

がんと闘わない生き方(8)がんの自然史からみる早期発見・早期治療の無理

≪がんのダブリングタイム≫

 私は5ミリで発見したしこりを6年間放置していたので、がん細胞の分裂にかかる期間(ダブリングタイムという)やがんがいったいいつ頃できたのかを計算することができます。それによると、私の転移がんは原発がんができて4年後の直径40ミクロン(がん細胞は64個)の時にできたことがわかります。つまり、5ミリの時に原発がんを切除しても、転移を止めるには遅かったということなのです。今回はその話をしましょう。

 5ミリで発見したしこりは6年後に4×4.5センチになりましたが、計算しやすいように、6年間で直径が5ミリから4センチ、つまり8倍になったとします。直径が8倍になれば体積は8の3乗で512倍(8×8×8=512)になり、これは2の9乗です。がん細胞は2倍、2倍と分裂していくので、つまり6年間に9回分裂したことになります。1回の分裂にかかった期間は6÷9=0.67年=約8か月です。これをダブリングタイムと言います。

 がんは直径が10倍になると10回分裂したことになります。なぜかというと、直径が10倍になると体積は10の3乗で10×10×10=1000。この1000になるには2倍、2倍と繰り返して何回分裂すればいいかというと、2の10乗で1024という数字があり、これが一番近い。だからだいたい1000になるには10回分裂することになります。

 がんが最初に誕生した時の大きさは10ミクロン(1ミリの100分の一)。その10倍の直径100ミクロンになるのに10ダブリング。さらに10倍の1ミリになるのに10ダブリングしています。

 ではこの1ミリのがんが5ミリになるまでに何ダブリングしているかを計算すると、直径が5倍になると体積は5×5×5=125で、2の7乗が128なのでこれを取って7とします。つまりがんが5ミリになるまでには10+10+7=27ダブリングしていることになります。27ダブリングするまでにかかった時間は、ダブリングタイムの8(か月)×27=216(か月)=18(年)。

 ちょっと計算が面倒でしたが、94年に5ミリで発見した私のがんが最初に誕生したのは18年前であり、1976年、私が22歳の時ということになります。(どちらかと言えばもっと若い時だった可能性があります。がんは大きくなる途中で栄養が行きわたらずに死んだりしており、この計算ではそれを考慮していないからです)。このがんが2000年に4×4センチ(計算上使った大きさ)になるためにかかった年月は24年です。

 また、2000年には腋の下のリンパ節に転移があり、これを1センチとして計算すると、1センチになるまでには30ダブリングしており、4センチだった原発がんの36ダブリングとの差は6ダブリング。つまり6ダブリングした時に転移したことになり、それはがんの誕生から4年目で、その時のがん細胞の数はたった64個(直径は40ミクロン)でした。それは私がまだ26歳の時のことでした。

 このリンパ節転移のダブリングタイムも計算できます。私は原発がんが4センチになったところで治療し、その時転移がんは1センチでしたが、抗がん剤で触れなくなり(エコーには映っていた)、その後放射線治療を行い、エコーにも映らなくなりました。しかし治療から3年後、また5ミリとなり、それをまた放置したところ、その5年後に2.5センチになりました。つまり5年間で直径が5倍、体積は125倍で2の約7乗、7回分裂するために5年かかったので、つまりダブリングタイムは8.5カ月です。

 この計算式は近藤誠医師に確認していただき、「だいたい合っている」と言われました。(計算方法は『患者と語る ガンの再発・転移』(近藤誠著・三省堂・1994)に基づいています)。

≪がんの自然史から早期発見・早期治療は無理である≫

 がんの成長速度や成長の特徴について考えたところで、がんと言えば「早期発見・早期治療」だと思い込まされていますが、それはがんの自然史から無理だということについて触れたいと思います。

 一つのがん細胞が生まれ、それが1センチになるまでには30ダブリングしていることを証明しました。その1センチのがんが10センチになった時に、ほぼ人間は滅ぶといわれています。それは30ダブリングにさらに10ダブリングした時です。つまり人間の寿命で例えると平均寿命を80歳として、1センチで「早期発見」した時は60歳になっているということなのです。そしてこの1センチのがんの中にあるがん細胞の数は、いくつか? がん細胞1個が10ミクロン、1センチは10ミクロンの1000倍、直径が1000倍になれば体積はその3乗で、1000×1000×1000で10億個。これが「早期発見」と言えるかどうかは大いに疑問です。

 がん治療が難しいのは、原発がんを切り取っても、その時点で体のどこかに微細な転移がんが潜んでいて、それが後になって大きくなってくるためです。転移がんというのは1つしかないことは非常にまれで、普通は多数散らばっており、そのすべてを切り取ることは不可能だからです。そして、先ほど証明したように、がんの転移というのは原発がんが何ミクロンという大変小さいうちに起こっているのです。

 私のリンパ節転移は原発がんの直径が40ミクロンの時に起こりました。原発がんが40ミクロンになる前に発見して切り取れば、転移は起こらなかったということになります。しかし、現在の技術で40ミクロンになる前のがんを発見することは無理です。私が最初にしこりに気づいた時、つまり原発がんが5ミリの段階で切り取っていたとしても、転移を止めるにはすでに遅かったのです。

≪がん検診無効のデータからも類推できるがんの性質≫

 近藤医師も岡田正彦教授(『がん検診の大罪』新潮選書)も、論文の統計データが信頼できるかどうかを判断するためには統計データの読み方に習熟している必要があるとしています。そのため、統計データの読み方を詳しく説明し、だまされないようにと説いています。そうやって統計データを正確に読んでいけば、がん検診には効果がないことが証明されています。むしろ症状がないのに検査を受けることによって、手術する必要のない病変を発見されて手術されてしまったり、誤診によって手術されてしまったりする例もあります(検診で見つかって手術した乳がんには誤診も多い。さらに言えば検診で見つかったものでない乳がんにも誤診は多く、1割とも言われている)。

 二人とも、肺がん検診によって生存率が上がったというデータに対し、総死亡数を見ると検診群の死亡の方が多く、生存率が上がったという結論はまやかしであると述べています。生存率が上がったように見えるのは、検診を行えば、早期がんをたくさん発見することになり、それを勘定に入れているからです。もし、早期発見によってがんが治っているならば、検診群の総死亡数が大幅に減るはずです。それなのに逆に検診群の方が、総死亡数が多いというのは不思議ではありませんか。なぜこんなことが起こるかと考えてみると、がんは症状のない「早期」に検診で発見して治療しても、症状が出てから治療しても成績が変わらない。つまり、治る「早期がん」を放置しても転移は増えないということになります。ということは、がんというものは転移するものは「早期発見」の前に転移しており、転移しないものは放置しても転移しないということになるのです。

 さらに、それだけなら検診群と検診しない群とで総死亡数は同じになるはずですが、検診群の方が総死亡数が増えるのは検診の被曝による発がんのためと考えられています。

 つまり、倍、倍、と分裂していき、早期にはゆっくりと体積を増やし、比較的長い間ミクロンという大きさにとどまり(1ミリまでに20ダブリング)、ある程度の時間が経ってからでないと発見可能な大きさにならないというがん細胞の性質が、発見した時(5ミリで発見してもすでに27ダブリング。あと13ダブリングで人を死に至らせる)にはすでに転移するものはしているという運命を作っているのだと言えると思います。

≪検診で「早期がん」が発見されても治療するかどうかは自分で決めよう≫

 この考えに基づくと、転移するがんは「早期がん」として発見されて治療しても、後で転移が出てきて治らないのであり、「早期がん」として治療して「治った」とされたものは、もともと転移する能力を持たないがん(がんとも言えない良性腫瘍)であり、検診で発見しなくても症状が出てから治療すれば治るのだということになります。

 また、「早期がん」として治療して「治った」とされるものの中には、近藤医師が「がんもどき」と名付けた、治療せずに放置しても大きくならないもの(命取りにならない)や自然に消えてしまうものも含まれています。治療する必要のないこのような「がんもどき」の存在は近藤医師だけでなく、現場の医師なら誰でも経験しているものだそうです。近藤医師と対談している医師たちの中にはそのことを認めている医師もいます。しかしそのことを国民に知らせれば、医師の仕事がなくなってしまうので、大部分の医師は否定し、知らせないのでしょう。

 放置しても大きくならない「早期がん」ならば、手術などによって体を傷つけられ、後遺症に苦しめられるのは大損です。検診には意味がありませんが、安心したいなどの理由で検診を受け、もし「早期がん」を発見されたとしても、それが本当に治療の必要なものなのかどうか、医師のいいなりにならず、本などを読んで勉強し、治療を受けるかどうかは自分で決めることをお勧めします。

(筆者注:ここで「早期がん」と言っているのは症状がないのに検診を受けて発見されたもののことです。)  
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by lumokurago | 2009-05-02 12:57 | がんと闘わない生き方

がんと闘わない生き方(番外編)子宮頚がん治療も自分で決める

がんと闘わない生き方(番外編)子宮頚がん治療も自分で決める

 去年、従妹が子宮頚がんで治療した時の顛末をまとめました。乳がんに限らず、日本の医師というのはどんなに信用できないものか、自分で勉強して自分で治療法を選ぶことの重要性がわかると思います。

 今日は今日で友人の一人が眼科で「脳腫瘍の疑いがある」と言われ、MRIを撮りに行くよう紹介状まで書かれましたが、彼女の話から脳腫瘍のはずがないと思い、一緒に別の眼科に行ったところ、「2人の医師の診立てが違うことになりますが、そんな心配は全くありません」と言われました。

 「脳腫瘍の疑い」と、それも投げつけるように言われたため、医師の対応に傷つき、不安のかたまりになっていた友人。その医師のいいなりになっていたら、大病院に行って、検査の予約をし、検査し、結果が出るまで、不安な日々が続いたわけです。この医師は自分の診断に自信が持てないため、検査して確かめたかったのでしょう。こういう医師が多いから検査漬けになるのでしょう。こういう医師が淘汰もされずに商売を続けているのですから、患者の方が利口にならなければなりません。医師が信用できないのですから、患者は大変ですが、身を守るためには仕方ありません。

 2軒目の眼科医は「MRIを受けるとしても、今は脳ドックもあるので、安心のためと思って下さい」と言っていました。私が「受ける必要ないよ」と言ったら、「なんでもない時に受けると〇万円位(値段失念)かかるけれど、病気かもしれないということで受ければ保険がきいて2万円~3万円なので、安心のためならいいかも」と言っていました。でもただの安心のために2万~3万をかけるかどうか・・・???

 それに脳ドックには過剰診療の弊害があります。人間、40歳を過ぎれば誰にでも脳に小さな梗塞があるそうです。それを放っておいてもなんでもないのに、脳ドックを受けると見つけてしまい、見つかった以上不安なので、治療することになり、手術が失敗して後遺症が残る例が後を絶たないそうです(近藤誠著『成人病の真実』)。実際に私の知り合いのお母さんもそうなりました。脳ドックを受けなければこんな悲劇は起こらなかったのです。

 でも、普通の人というのは私がこういう話をしても、人間ドックなどを受けています。それほど刷り込まれた医療信仰・検診信仰は根強く、理性で「不安」に勝つことは難しいのです。でもその「不安」につけこんで儲けようとしている業界があります。儲けられてしまうだけならまだいいけれど、過剰診療・過剰治療で後遺症が残ったり、検査で事故にあったり、誤診されて手術されたりしたら、丸損になるのです。検診には意味がないのですから、それでも受けるかどうかはよくよく考えましょう。
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by lumokurago | 2009-04-16 21:02 | がんと闘わない生き方

がんと闘わない生き方(7)患者インタビュー その3

がんと闘わない生き方(7)患者インタビュー その3

 【A.Dさん】
 年齢:30歳
 家族:夫
 職業 常勤職
 手術:2000年8月
 病期:2期
 手術法:乳房温存療法(腋の下のリンパ節と鎖骨のリンパ節まで切除)
 
 Q:この間のがんの体験、がんを発見した時から治療を経て、回復に至るまでの心理をグラフに描いてみていただけますか?

 A:発見した時は、まだがんかどうかがわからない状況。医者に「がんと思って」と言われていたので、ちょっと複雑ぐらい。入院する頃は少し知識が入ってきて非常に不安、最悪です。生存率というものを数字で知ってしまって、超最悪なんです。

 手術の直後は体調がすごく悪かった。おなかが痛くなったり、手術の影響で腕が痛くて、眠りが浅く落ち着かなかった。なんで自分がこんなことになっちゃったのかとか、今までやってきた登山もこんな状態じゃとても行けないという悲観も強かった。だから直後はかなりひどかった。寝てて悲しくなって泣いたり、特に人が来て帰った後、ショックが大きくて、布団かぶって泣いたりとか、そんなのしょっちゅうでした。

 Q:大変だったね。

 A:それは退院して普通の生活に戻っても、時々思い出しました。退院直後にはこれから先どうなるんだろうという不安があって、また、薬飲んでいて、これっていいんだろうかという疑問があって、精神衛生上よくなかった。

 復職した時も、だいぶよくなったつもりではいるのですが、リンパ節まで切除したので腕も上がらず、精神的に不安。その頃、湿疹が出て、飲んでいた抗がん剤の副作用を疑いました。ホルモン剤も飲んでいたのですが、ホルモン剤は女性ホルモン受容体があるがんじゃないと効かないはずで、私は受容体がないのに飲んでいたから、おかしいと思い、セカンドオピニオンを聞きに行きました。

 その医者の説明が納得のいくものだったので転院しました。そして、飲み薬の抗がん剤とホルモン剤はやめ、点滴の抗がん剤を受けたんです。

 転院して自分なりに納得のいく答えがみつかったので、かなり落ち着いたのですが、化学療法の副作用が強く死にそうな思いをしました。まあ、入院した時の最悪に比べればちょっとはましですが、またローになって。でもそれが終わってからは、どんどん、どんどん、もうギュ-ンて感じか。放射線を始めた頃はすっかり落ち着いて、現在は落ち着いてます。

 Q:どんなふうに落ち着いてきたのか話していただけますか?

 A:大きく分けると、がんというものに対する理解がどんどん深まって、理解することによって自分の心の状態が落ち着いてきた。発見した当時はほとんど無知に近く、混乱。将来に対する悲観が強くて、毎日泣いたり笑ったりしている不安定な状態がしばらくあった。

 手術を受けて治療していく過程の中では、今度はがんというものについての知識が少しずつ断片的に入ってくるので、治らないかもしれない、治るかもしれないということで、開き直る部分と悲観する部分と、ちょくちょく気持ちが揺れ動いて、落ち着いている日は開き直っている日で、不安でしょうがない日は悲観してる日で、そういうことが何度かありました。で、転院して抗がん剤のこととか、自分で進んで理解を深めて、納得のいく治療を自分で選択したことによって、今は非常に落ち着いた前向きな気持ちになりました。

 Q:やっぱりそれは、自分の病気に対して自分でコントロールできるっていうか、そういうふうに思えるようになったっていうことが大きい?

 A:そうですね。自分で納得がいく治療を求めて、その治療に対して信頼した。信頼したことを自分で取り入れて満足した。ダメな結果に転んだとしても、再発して行き着く先に死というものが、近い将来来ることになったとしても納得がいく。それは寿命だっていうふうに受け入れられるようになった。

 Q:わかりました。すばらしい説明です。あなたはがんについて、誰か他の人、配偶者、家族、友だちなどと話しましたか?

 A:たくさんの人と話しました。配偶者、親やきょうだい。職場の上司、同僚、それに親しい友人。自分のライフワークである登山というものに関わってくる人たち、この範囲で話した。お医者さんにも自分の歩んだ状況、自分のライフワーク、それに自分の住んでいる環境、それも含めてがんというものとどう付き合っていくかということを相談した。

 Q:再発するかしないかも含めたあなたのがんの経過について、あなたは何か自分でコントロールできるっていうものがあると思いますか?

 A:病状をコントロールできるか否か、あまりよくわかっていません。しかし自分なりに環境、例えばストレスを少なくする、自分が心地よいと思える環境を自分で整える努力をする。食べ物を少しシンプルに、欧米化した食環境というものもがんが起こるきっかけのように思うところがあるので、発がん性物質を含まない食生活をする、そういう努力でうまくいくと思いました。

 Q:再発を防ぐことなど、何か他の人の力を借りてすることができるっていうふうに思いますか?

 A:ストレスを下げるために身近な家族とか、そういった人の協力を得ることは可能と思います。

 Q:がんになってから生活が変わったことってありますか?

 A:あります。今まで以上に家族と話す時間を増やした。家族と一緒にいる時間を大事にする。毎朝リハビリ運動の時間を増やした。それくらいかな。

 Q:がんについての情報をどのぐらい探してどのぐらい求めましたか?

 A:入院する前はほとんど知らないに等しいです。退院してから図書館、インターネット、医療関係者。毎日情報収集に努めた。転院してからは主治医の本や患者さんの話でより深めました。

 Q:乳がんの患者さんとかサポートグループ、患者会の人などと話しましたか?

 A:話しました。がん患者の会があった。退院してから何年も前に手術した人や患者のいる家族の人に話を聞きました。

 Q:あなたの適応感について聞くんですけど、特に不安とか恐れとか怒り、抑うつ感なんかを1から4までにするとしたら、不安4が一番大きいとして1から4までだったらどのぐらいですか?

 A:1かな。もう吹っ切れてるから。

 Q:恐れは?

A:1。

 Q:怒り。

 A:怒りも1。

 Q:抑うつ感。

 A:時々調子が悪かったりするので、朝から腕が痛くて、調子が悪い時はちょっとローになるから2。

 Q:自分ががんに適応してるってことはどのくらい思いますか?

 A:今は結構いい線いってると思いますね。子どもを産んでもいいかなって思うぐらい。

 Q:他に何か心理的な回復に役に立ったものがありますか?

 A:自分のライフワークの友だちの支え。がんになって何年もたって以前と似たようなことができてる。そういう先駆者の存在が大きかった。

 Q:山登りの、前に乳がんやったっていう人?

 A:そう。健康な人と比べてもかなり行けてるレベルまで回復している。病気になっても前と変わらない生活ができる、少なくとも自分より前に同じがんになって、回復している、その人の存在が非常に大きかった。

 Q:将来の再発への不安とかはどうですか?

 A:それはもう神のみぞ知るっていう心境に。自分は大丈夫のつもり。ちょっと不安はあるけど、とりあえず自分だけでも大丈夫って思ってないとやってらんないから。今はやりたいことをやって、もし再発したとしても後悔しないようにしていこうっていう心境です。

 Q:そうだね。それしかないよね。

 A:いずれ年をとって寿命がくるのが、ちょっと早めに来てしまったっていうふうな受け止め方ができればいいかな。自分の山の仲間で病気が原因ではなくて、もっと若くて遭難して亡くなった人が何人もいるので、やっぱりそういうケースを見て寿命っていうのは人それぞれあって、寿命までにどれだけ中身の濃い人生をすごせるか、それはやっぱり質なのかなと思うから。

 Q:そうするとやっぱりそういうふうに思えるようになったっていうことでは、このがんになったっていうことがすごく大きな体験だった?

 A:そうですね、まあ、いい経験、いいっていうと変な言い方だけど、がんが教えてくれたっていうか。人生の質を、時間というものをすごく大事だと教えてくれた。

 Q:大事なことだよね。

 A:うん。だからそれがわかって暮らせば、いつお迎えが来ても受け止められる、ということですね。非常に今は精神的に安定してます。何事にも積極的に、先送りにするんじゃなくて、できることは今、そういう動きができるようになった。

 Q:そうですか。素晴らしい。きのうCさんと話してもそういうことを彼女も言ってるよね。

 A:そうなんですよね。漫然と今まですごしてきたのが、この病気になったことによって逆に転換したというか、前向きに。

 Q:そう、時間がすごく限られている。今までだったら、まあAさんはとても若いわけだし、いつまでだって生きられると思ってたのが……。

 A:そうそうそう。今まではなんとなく生活してたのが、この病気になったことによってもっと密度の濃い人生を過ごしたい。

 Q:そうだね。そういう意味ではすごく

 A:貴重な経験なんですよ。そう思いますね。すごいポジティヴ。

 Q:そうそう、ポジティヴになれるでしょう? 私もそれはすごくそう思うよ。だからほんとに普通に、がんとかじゃない普通に生きてる人たちよりずいぶんこれからの生き方とかそういうところで、

 A:再認識というかね。そのきっかけになったという部分が大きかったね。だからグラフに「以前」というのがあったら、今はもっとそれよりもプラス思考になってるっていう感じ。体調は、前はVery goodだったね。

 Q:体調に関してはね。

 A:やっぱりね、それはしょうがないね。とるもん取ったし、それなりの治療はしてる、そこは割り切ってる。標準の女性の生活という部分で見たら、かなりめりはりのある生活を私はしてた方だと思うので。かなりハードな登山をやったりね、仕事もそれなりに男女差ない仕事をずっとやってきたから。そんなとこかな。


【追記】
 山岳救助隊の主要メンバーだったAさんは精力的に山に登り、後輩の指導に専念しましたが、5年後、転移が発見されました。外国の論文を自分で探して勉強し、積極的な治療は受けず、緩和ケアのみを選択しました。36歳の誕生日の3日後、山の仲間に囲まれて亡くなりました。明るく前向きに生きたしっかり者の若い彼女の死は本当につらかったです。ご冥福をお祈りします。

あっこちゃんが亡くなる前の日のこと
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by lumokurago | 2009-04-14 18:25 | がんと闘わない生き方

がんと闘わない生き方(番外編)NHK「だんだん」に異議あり!

がんと闘わない生き方(番外編)NHK「だんだん」に異議あり!

《がん治療で信じられていることは本当か?》

 日本では「早期発見・早期治療」が、がん治療の鍵とされ、政府、医学界、マスコミ挙げて、がん検診を推進しています。がん検診に異論を唱える医師としては、『患者よ がんと闘うな』(文藝春秋1996)の著書で知られる慶應義塾大学医学部放射線科講師・近藤誠医師が多くの著作を著していますが、最近、新潟大学大学院予防医療学分野の岡田正彦教授も『がん検診の大罪』(新潮選書2008)を出版し、がん検診に異論を唱えています。岡田教授は、統計学の初歩からデータの読み方などを解き明かし、世界の医学論文をもとに検診の意義を否定しています。JANJANにも岡田正彦教授の講演会の報告、『がんは生活習慣病、予防が大切 早期発見、早期治療で、死亡は減るのか』(荒木祥記者)が掲載されました。

 また、がん治療では、どんながんであっても最後まで生きる望みを捨てずに苦しい副作用に耐え、抗がん剤治療を受けることが当然、という風潮があります。抗がん剤によって治癒、または延命できる、と医学界、製薬会社、マスコミが宣伝しているからです。しかし、近藤誠医師、岡田正彦教授はある種のがん(急性白血病、悪性リンパ腫の一部、精巣がん、子宮絨毛がん、小児がん)以外は、抗がん剤は効かないと主張しています。その根拠は、抗がん剤治療に効果があったとする医学論文にデータのまやかしがあるからだ、と指摘しています。ここで説明することは困難なので、ぜひ近藤医師の本を読んでいただきたいと思います。(『データで見る抗がん剤のやめ方始め方』三省堂など)。『がん治療の常識・非常識』(田中秀一著・講談社)も分かりやすく書かれています。

《朝ドラ「だんだん」の抗がん剤治療の問題点》

 この3月末まで放映していたNHKの朝ドラ「だんだん」で、双子の主人公(めぐみ・のぞみ)の祖母(初枝)が膵頭がんにかかり、主に息子(忠)の意志で「告知」せず、治療の中身を本人に知らせぬまま、抗がん剤治療を行っていました(後に「告知」)。以下は「だんだん」でのがん治療について、筆者がNHKに送ったFAXです。


 NHK様

 「だんだん」主人公の祖母(初枝)のがんについてです。

 ①膵頭がんに抗がん剤は効きません。(慶應病院の近藤誠医師の著書参照) 副作用に苦しむだけの抗がん剤を「がんと闘う」として国民に誤った意識を植え付けてしまいます。
 ②がんを患者のためとして「告知」しないことは、患者の人権侵害です。息子の考えは「心中」がいまだに起こる日本の前近代的な意識と共通しています。個人を大切にすれば、「告知」するかしないかに迷う余地もありません。

 ①は科学的根拠を無視し、がんに対しての「俗説」を強化する愚行であり、②はいまだに個人主義が育たない日本の風土を追認するもので、厳重に抗議し、訂正を求めます。


 これに対して、NHK大阪放送局連続テレビ小説「だんだん」チーフ・プロデューサー青木信也氏から3月13日付で以下のような返事がきました。


 いつも「だんだん」をご覧いただき誠にありがとうございます。
 ご指摘の、初枝の癌治療について、こちらの意見を述べさせていただきたいと思います。

 まず、「膵頭癌に抗ガン剤は効かない」というご指摘ですが、確かに膵頭癌には抗ガン剤が効きにくいということは承知しております。しかし、癌治療については学会内でもさまざまな考え方があり、抗ガン剤で膵頭癌を治そうと取り組んでいる人たちもいます。実際に抗ガン剤を用いて治ったケースもあります。また、ドラマの中でも言っているように、抗ガン剤の進化は日進月歩であり、近い将来には膵頭癌も抗ガン剤で治せるようになるという見方もあります。そうしたことを元に、医事指導の複数の先生方と相談しながら、今回の抗ガン剤治療に決めました。

 次に、「告知しないことは人権侵害だ」というご指摘ですが、私どものドラマでは、この後初枝に告知し、真実を知った患者本人と、家族や周囲の人たちと、医師たちが一丸となって治療に取り組み、病気に打ち勝っていくという展開を描いていきます。

 どうぞご理解いただけますよう宜しくお願い申し上げます。(ここまで回答)

《効果が証明されてない抗がん剤使用は「実験」だ》

 その後、ドラマでは患者(初枝)の治療に関して、さまざまな立場の医師らが集まって横断的な会議を開き、ある人に効果があったからと、標準治療ではない実験段階に等しい抗がん剤治療を試してみることが決まり、患者の孫(めぐみ)と個人的関係のある研修医(石橋)が、患者に「生きることから逃げる気ですか」と詰め寄って、強引に勧めていました。研修医は患者が親しい女性(めぐみ)の祖母でもあるので、少しでも可能性があるなら試してほしいという熱心な気持ちなのです。

 ここには重大な問題があります。ひとつは科学的に効果が証明されていない抗がん剤を「治療」として使うことです。現在、日本では抗がん剤治療で腫瘍が縮小すれば効いたものとして使っていますが、腫瘍はいずれまた大きくなってきます。延命したように見える数ヵ月間も、副作用に苦しんだだけなのかもしれません。注意深くコントロールした無作為比較試験をしてみなければ、真実は分からないのです。つまり、「ある人に効果があった」といっても、その治療が本当に延命につながったかどうかは分からず、その患者に腫瘍縮小効果があったとしても、別の患者では縮小するかどうかさえ分からないのです。ある抗がん剤がある患者に効果があった(ように見えた)からという理由で別の患者に使うのは、「治療」ではなく「実験」なのです。

 もう一つの問題点は、患者と個人的関係のある研修医が担当していることです。個人的関係があると、どうしても感情が入ってしまい、客観的な判断ができなくなります。

 この日の放送では、孫(めぐみ)と親しい研修医の説得に対し、1回目の抗がん剤治療で副作用に苦しんだ患者本人は「もういいです」と言い、息子も「もういい」と言っているところで終わりました。その後、息子が患者の孫(のぞみ)の結婚式の場で、感情が高まり、母親(初枝)に「もっと長生きしてほしい」と言い、初枝もとうとう抗がん剤治療を再度受けることを納得するのでした。ドラマだから仕方ないとしても、このように感情の高まりによって抗がん剤治療を決意するのは大変危険なことです。医療は科学ですから、感情的になっては冷静な判断ができなくなってしまうのですから。

 この日、筆者はもう一度NHKに以下の質問をしました。

 お返事、ありがとうございました。再度質問させていただきます。

 ①ご回答の中にあった「実際に抗がん剤を用いて治ったケース」についてです。がんが「治った」とされるのは一般のがんで5年間生存したらということになっていますが、そのケースの方は治療後少なくとも5年間生存したということですか? 

 ②ドラマの中で初枝に試してみるということで出された抗がん剤(名前失念)は標準治療ではないと受け取りましたが、日本で膵頭がんの治療として認可されているものですか? 記憶が怪しいので確認させて下さい。もし、標準治療でないとすると、治療とは言えず実験にすぎないと思うのですが、実験と受けとってよろしいですか? その抗がん剤の名前を教えてください。実験でないとするならば、その抗がん剤の効果について無作為臨床試験が行われ、延命効果があると証明されているはずです。その論文と出典を教えてください。

 ③患者の孫(めぐみ)と個人的な関係のある石橋が患者(初枝)の担当医(研修医)となっています。個人的関係は医師、患者双方にとって、感情が入り込みやすく、客観的な判断ができにくいと思いますが、その点はどうお考えですか?

 ④「告知」に関して。「告知」するかどうか未だに深刻に悩むという設定そのものが時代遅れであり、やはり国民に「告知」はむずかしいものだというイメージを押し付けると思います。これは意見ですから回答は結構です。

NHKからの回答 2

 お便りありがとうございます。ご質問に回答させていただきます。

 ①について
 医事指導の先生からは、「5年以上生存している」と聞いております。

 ②について
 実際に膵頭癌の治療法として認められている治療方法を参考にしていますが、徐々に抗がん剤治療は進歩しており、その可能性を含めた「未来につながる治療法」という観点も交えながら、今回のドラマにおける治療法を設定しました。

 ③について
 一般的にはご指摘の通りですが、ドラマの演出上、医師と患者双方の感情に関する点も描きたいので、今回のような設定にしました。

 番組側としましては、恐れ入りますが、これ以上は詳しくお答えできません。癌治療についてさらに詳しくお知りになりたいのでしたら、お近くの病院等で専門家にお聞きいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いします。(ここまで回答の引用)

《がん治療に未来はあるのか》

 その後、ドラマでは患者(初枝)は抗がん剤治療によって延命(治癒?)し、治療から数年後(?)のドラマ終了時にも生き続けているという設定になっていました。このことについて近藤医師に聞いたところ、手術のできない膵臓がんは抗がん剤を使っても半年から1年で亡くなるので、数年間も生きているというのは嘘だとのことでした。このドラマの医事指導を行った医師らが、がん治療は日進月歩であると信じ、抗がん剤の治療の可能性を模索していくという立場に立って実験的な治療を行ったとしても、NHKとしては現在は治らないという真実を覆い隠し、「がんには抗がん剤治療」という説を推進したことになり、国民に対する責任は重いと思います。

 『がん治療の常識・非常識』で著者の田中秀一氏(読売新聞医療ルネサンス担当)は、第1章「がんは本当に治るようになったのか?」で、がん患者の5年生存率は大幅に上昇したが、それは精密な検査によって治療の必要のないがんまで発見し、治療しているために見かけ上の治療成績がよくなったにすぎず、がんになった人のうち死亡する人が減ったかどうかを調べると、減ってはいないと指摘しています。肺がんの場合、40年前に治らなかったがんは、現在でも治るようになっていないし、現在治すことのできるがんは40年前でも治っていたということだそうです。

 アメリカは、がんの研究や治療で世界の先頭を走っていると言われていますが、そのアメリカで「なぜわれわれは、がんとの戦争に敗北しているのか」という長文の記事が、フォーチュン誌2004年3月号に掲載されたそうです。その記事によると、連邦、州政府、製薬企業などの研究開発費を合計すると、1971年以降に2000億ドル近く(約20兆円)をつぎ込んだが、この30年間にアメリカでのがんによる年間死亡者は73%も増加しました。がんは高齢者に多いことから高齢化の影響を除いた年齢調整死亡率で見ても、がん死亡は1950年代以降ほとんど変わっていないそうです。この間、心臓病による年齢調整死亡率は59%、脳卒中では69%も減少しているのに、です。

《抗がん剤治療を受ける前に》

 田中秀一氏はさらに、第2章「抗がん剤治療は有効か?」で、多くの固形がんは抗がん剤では治らないのが現状であり、医師が「効果があります」と言うのは「治る」という意味ではなく、腫瘍縮小効果があるにすぎないことを指摘。次のように書いています。

 「それを理解したうえ、たとえ短期間(平均数か月程度)でも延命したり、症状を抑えたりすることを期待するなら、治療を受ける方法もある。ただし、多くの抗がん剤の有効率(治療を受けた患者の中でがんが縮小する患者数の割合)は2~4割程度なので、実際に恩恵を受ける患者は2~4割か、それより少ない。なぜなら、抗がん剤でがんが縮小した場合でも、延命できるとは限らないからだ。そして、薬が効かない多くの場合は、副作用に苦しむだけになり、かえって寿命を縮める恐れもある。効果が表れなければ、速やかに治療をやめることが賢明だ。こうした実情を踏まえて、治療を受けるかどうか、判断することが大切といえる」。

 このように、がん治療に関しては一般に信じられている「早期発見・早期治療」(がん検診は有効である)のみならず、抗がん剤治療の効果についても、誤りがあります。抗がん剤の毒性(「副作用」という言葉を使っているのは日本だけ)によって死亡している患者も多いことは、隠されています。日本人の3人に1人が、がんで死亡する時代です。がんに対する正しい知識を身につけて、「いざというとき」に自分で治療を選択できるよう勉強しておくことをお勧めします。最後に抗がん剤は製薬会社のドル箱であることも一言、付け加えておきます。

参考文献 『がん検診の大罪』(岡田正彦著・新潮選書2008)
     『がん治療の常識・非常識』(田中秀一著・講談社2008)
     『データで見る抗がん剤のやめ方始め方』(近藤誠著・三省堂2004)

 
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by lumokurago | 2009-04-10 19:52 | がんと闘わない生き方

がんと闘わない生き方(6)患者インタビュー その2

がんと闘わない生き方(6)患者インタビュー その2

 【M.Cさん】
 年齢:43歳
 家族:夫、子ども3人、主婦
 手術:2000年7月  
 病期:3期
 手術法:乳房温存療法
 
Q:まず、発見からの経緯を簡単に話していただけますか?

A:発見してまず、かかりつけの内科医に行って、乳がんなどの検診を専門にやっている開業医を紹介され、そこでエコー(超音波検査)を撮って、N病院を紹介された。N病院で検査したけど、エコーの予約が1週間後、マンモグラフィ(乳房のレントゲン撮影)がまた1週間後、そのまた1週間後に細胞診で、その時点で私はあせり始めた。このお医者さんにまかせていたら検査だけで時間がかかってしまう。そして、句の果てにパッと手術が決まってしまうのではないかと。医者は何も説明してくれず、医者の思うままに治療されていくということが不安で、このままにしておいていいんだろうかと思った。

 そして結局、A先生のところに飛び込んでいった。その時は細胞診の結果が出ていなかったが、A先生はその日のうちにマンモとエコーをやってくれて、写真を見ながら90%以上、がんだと言った。細胞診の結果をもらってまた来るように言われた。そして前の先生のところに行ったら、やっぱり、がんですと言われた。その先生のことは全く信頼できなかった。

 細胞診の結果を持ってA先生のところへ行った。A先生に「Cさんが100人いれば5年後の生存率は、100人のCさんのうち60人は生き残る、40人はいないんだよ」って言われた。それは、結構ショックな言葉だったけど、はっきり言われたことでこの先生は信頼できると思った。「きみのがんは3期だ」と言われた。がんの大きさは6.5センチあって、この大きさで温存はできないから、とりあえずがんを叩く、抗がん剤を使い始めようと言われた。私もその大きさでは温存は考えられないし、全摘は覚悟してた。だから、先生の提案にいやがおうもなく飛びついた。

 それで4月11日に第1回目の抗がん剤を受けた。あまりひどい副作用もなく5月、6月が過ぎて、6月17日に3クールが終わって、先生が「これはいけるかな」と言った。リンパの怪しいグリグリも消えてるって。その前までは全摘が頭にこびりついてたから、取るなら全摘の方が安全かなと思っていた。でも、私も本を読んで温存療法のいい点が分かって、術後の生活に支障がないと聞いて、先生に「温存できますか」って聞いた。そしたら先生が「どうかなあ、わかんないけど、ま、やってみようかな」と言った。その時「あれ、MRI、君やってなかったっけ」と急に言い出して、「何でやんなかったのかなあ。オレ、忘れちゃったのかなあ」とか言って、それ聞いて「大丈夫かなあ、先生。いい先生ですごく優秀なんだけど、たくさん患者がいると忘れちゃうよね」とふっと思った。なにしろ患者が多すぎる。それで13日にエコーやって14日に手術しました。

 その結果、断端陽性(温存療法の“くりぬき法”というのは、がん細胞に正常細胞を少しつけて、くりぬき手術をするが、その切り口にがん細胞が発見されたことを「断端陽性」という。切り口にがん細胞があると、残した乳房にがん細胞がある可能性がある。通常、再切除するか放射線治療にかけるかの選択となる)で、再切除するかどうかで迷った。このまま終わらせる人も結構いるけど、再切除すれば再発率は14%が3%に減るって言われて、いろいろ悩んだけど、することに決めた。でも病理の説明の時に、がん細胞が3つだったと聞いた時はがっくり来た。先生も「いらなかったかなあ」と言っていた。先生は何も隠さない。全部オープン。アラーと思ったけど、まあしょうがないかと。

Q:逆に3個しかなかったって分かって、ホッとする部分ってあるでしょ?

A:正直いって、これでもう大丈夫って。私はこれでもうがん細胞とはおさらばしたんだという。先生、心配だから、たぶんがん細胞は死んでるだろうけど、一番太ってるリンパ節も一個取ったんですって。そしたら、それにがんはなかったよって。ただ、それにがんはなかったからって他のリンパ節にないという保障はどこにもなくて、我々が間違えたって可能性もあるって。全部包み隠さず話してくれる。これからまた再発があったとしても、父の時のように医者を恨んで恨んで恨みぬくなんてことがないだけ、よかった。

Q:自分の心理的な回復の過程をグラフに描いていただけますか?

A:告知の時が最悪。A先生の顔を見たら安心した。抗がん剤の時は治療されてるから嬉しかった。手術はA先生にまかせれば安心、っていうのがあった。放射線の時は笑いっぱなしだった。みんなと会えて楽しかった。療養の時はひとりになっちゃったのがちょっと。現在は普通。

Q:怒りとかあった? 何で私がとか?

A:発見の時はないね。検査の間は医者に対してあった。その後はない。A先生に対してはないし。療養の時に友だちに対してはあった。やっぱ、がんて、なってみないと分かんないんだなって。

Q:抑うつは?

A:抑うつはすごかった。退院する時は、まだ退院したくないっていう気持ちもあった。NさんがA先生は精神安定剤だって言ったけど、ほんとにそう。A先生のそばにいれば安心ていう気持ちはあった。放射線に行って、みんなと笑い合って、抑うつ状態は全くなくなった。私、がんになってかえって明るくなったって言われるの。

Q:私もそうだよ。そう思うよ。自分の感情の波になったきっかけのできごとは?

A:子どもの関係で付き合ってる人なんかが、がんのことを話すと最初は同情的で「できることがあったらなんでもやってあげる」と言っているのに、実際に頼むと断られたりして、「ああ」って思うようなことがあって、ほんとの付き合いじゃなかったんだと思った。

 逆に学生時代からの友だちはここ5年以上会ってないけど、何度も電話かけてくれて、「実は私、がんなんだ」と言ったら、群馬県から朝5時から車で来てくれて、ずっとそばにいてくれた。いてくれるだけで心強かった。手術の前に2回来てくれて、彼女自身もいろいろ問題抱えてるんだけど、その後も2回、3回と来てくれて、手製のお財布を縫ってくれて、手術の時持っててねってくれた。そういう友だちが一人はいたんだなって。がんになって落ち込んで、ほんとにバカなんだけど子どもたちに遺書、書いたの。それでだんだん、だんだん落ち着いた。それからA先生の明るさ。

Q:治療を選ぶ際に患者が参加することがQOLに影響するっていう研究がアメリカの方で盛んなんだけど、Cさんの場合自分はどのくらい治療の決定に参加したと思う?

A:私は最初に、延命してくださいって言っちゃったんですよ。先生は、こうしたら確率上がるよって言ってくれて、それ選んできたから、自分で選んだって言えるのかな。確率が上がる方に来たから。みんなみたいに抗がん剤を蹴ったりもしてないし。とにかく生き延びたい、生き延びたいで来ちゃったから。

Q:でも最初の医者は信用できないって思って医者を変えたわけだよね。

A:その辺はまあ自立してるかもしれないけど。でもその後はA先生のおすすめコース。

Q:でも、それはやっぱり医者を信頼できるからそうできるんだもんね。お医者さんの信頼できるところってどういう条件があると思います?

A:正直に、自分も人間なんだから時たま軽いミスもする、それをオープンに見せてくださることかな。だから信用できる。この先生は騙さないと思える。あと、こういう治療法があるよって、抗がん剤のこともCMFとCAFがあってその副作用はこうでと、説明してくれて、なんでも聞けば答えてくださる。

Q:それで乳がんについてはどのくらい勉強しました?

A:それ言われると痛い。まずA先生のところに飛び込んじゃったじゃない。それも近所で、知り合いの人がいいよって言ったからで。その後Nさん(患者仲間)から「こういう本があるよ。読んでごらん」て言われて、K先生の本のシリーズを書店で取り寄せてもらった。後で、N先生のキャンサーファックスで取り寄せた。

Q:知識を得たということで不安はどうなりました?

A:私は楽になった。何をされてるか分かる方が楽じゃないですか。分からない方がよっぽど不安。がんの告知の時がすごくショックで、カウンセリングが欲しいと思うくらいだったけど、その後は、何にも言われないで父の時のように「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ」と騙されるよりは、知識を得て「こういうことはこうなんだ、こうなんだ」と分かる方がよっぽどいい。意味が分かるじゃない。それで、A先生もK先生も患者がそういうことを分かっているものと前提して考えているじゃないですか。ところが、分かってないと会話に追いついていけなくて、会話が途切れちゃって、それで診察お終い。こっちが必死になって勉強しないと、あの先生たちにはついていけない。

Q:そういえばCさんて初めてK病院に来た時に、(医師に聞く)質問事項を誰かに書いてもらったりしてたね。

A:あきれられたね。

Q:そうやって自分の病気の状態がどうで、いま、どういう治療がなされているのか、どんな効果や副作用があるのかを知っているってことは、自分の治療をコントロールしてるっていうか、主体的に関わっているっていう気持ちがあるじゃない。それがすごく大きいと思う。

A:K先生の本には、「遠隔転移したら治らない」ってはっきり書いてあるでしょ。「読んだらショックを受けて立ち直れないかもしれないよ」と言う人もいたけど、知らないより知ってる方が、よっぽどいいわよ。みんなからも知識が入ってくるし、本を読んで確かにショックではあるけれども、自分なりにコントロールできるし、がんは死ぬまで時間があるし、準備もできるし。何よりも一番いいのは老後の心配がないこと。

Q:でも長生きするかもよ。

A:ずうずうしくね。こんなに元気になっちゃってね。明るくなっちゃってね。

Q:なんでがんになってからの方が明るくなったんだと思う?

A:なんででしょう? 開き直ったんじゃないかという気がすごくする。どうせ死んじゃうんだから。やれることをやろうよ。やりたいことをやろうよって初めて本気になれた。今まではくだらないことで落ち込んでたのが、どうせ死ぬんだからって。でも、それって私たちだけじゃなくて普通の、がんじゃない人間だって同じなのよね。どうせ死んじゃうんだからっていうのは。やっぱりがんは改めて教えてくれた。それに、あれだけの苦しい治療を乗り越えたっていう自信みたいなものが、やっぱりできるじゃない。

Q:そのことはみんな言ってたよ。

A:どうせ死んじゃうんじゃないかって(笑い)。

Q:どうせいつかは死ぬんだから。だったらやりたいことやろう。

A:人間はみんな同じなんだから、なんか楽しいことやろうよって。それを、K先生もいっぱい書いてるよね。いままで怖気づいてできなかったことにも手をのばしたり、お金がなくてできなかったことも何でもやってみようかなって。

Q:この病気の強み。いつ死ぬかわかんないんだから。

A:なんかそうすると、いままで悩んでた、ちっぽけなくだらないことがどうでもよくなってくるんだよね。

Q:それは言えると思う。生活の変化はどうですか? 

A:楽しいのよね。ああ、お花ってきれいねとか、非常に価値があって。

Q:感動がなんか違うっていうかね。

A:私も、それはすごく思う。がんになってよかったなって逆に。家族とかに負担をかけたし、子どもにも心配させたけど、まだまだ時間はあるんだから楽しいこといっぱいしよう。子どもも前より明るい。それはね、近所に住んでる人に言われる。明るくなったわねって。いい笑顔ですよとか言われる。言われない?
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by lumokurago | 2009-04-09 17:57 | がんと闘わない生き方

がんと闘わない生き方(5)患者インタビュー その1

がんと闘わない生き方(5)患者インタビュー その1

 【N.Bさん】
 年齢:49歳、独身、一人暮らし(彼あり)
 職業:常勤職(大手銀行総合職)
 手術:2000年7月
 病期:1期
 手術法:乳房温存療法

 Q:がんの発見から治療、回復に至るまでの心理を話していただけますか? 発見の時は?

 A:「あれ?」っていう感じと「もしや」っていう不安がありました。1週間か10日してから、子宮筋腫の定期検査にあわせて病院に行きました。7月上旬に細胞診の診断が出て、「ほんとにがんなんですか?」って聞いたら、先生に勝ち誇ったように「そうだよ。専門家が見てるんだからがんに決まってるんだよ」と言われてしまって。そのときのショックたるやがっくり。もしかしたら違うかもしれないと思っていたのでショックでした。

 Q:その時の医師の説明はどうでしたか?

 A:「(乳房を)残せるんでしょうか?」と聞きましたら、「大丈夫かもしれない。でも手術中に取ったところを調べてみて、がん細胞が見つかったら全部取るよ」と言われました。母ががんだったのですぐに切らないと死んでしまうと思い、なるべく早くお願いしますと言いました。その日のうちにだいたい手術日を決めました。

 Q:転院はどういうきっかけで?

 A:最初の病院の先生をあまり好きでなかった。女性として乳がんを診断されるということはつらいことですよね。胸がなくなるという心配があったので、非常に落ち込んだ。それが細胞診の結果の時にひどい言い方をされて、患者のことを思いやるような言い方じゃなかったし、手術の最中に検査をして、その場で切ってしまうと。すると私は寝ている間にストップがかけられず、そのまま取られちゃうんだというのが非常に不安だった。不安、不安、不安だった。診断から入院までが9日しかなかった。そしたらたまたま彼氏がインターネットで調べてくれた中に、K先生の本があって教えてくれた。でもそれをすっかり忘れていて、会社の仕事の引き継ぎに追われて1週間過ぎてしまった。

 入院する前日の夜8時になって、偶然が重なってその本を手に入れることができて、徹夜でそれを読んだら、これはいけないと思った。胸を確実に残してくれる先生にかかりたいという気持ちが強くなって、その本にK先生の電話番号が書いてあったので、電話しようと思い、入院当日の朝5時から待っていました。9時頃になって矢も盾もたまらず電話したら、K先生ご自身が電話に出て下さって、てきぱきと感じよく答えて下さって、救われるという思いで、この先生にお願いしようというのが固まった。前の病院は入院当日にキャンセルしました。

 Q:医師との関係ということを振り返って、いかがですか?

 A:最初の医者がもっと思いやりのある医者だったらそのままやっていたと思います。というのは乳がんの知識がないから。がんと聞いただけですぐ切らなきゃと思ってたので、あきらめに近い心境だった。他の手立てがあるってことが分からなかった。ただその医者があまりにも感じが悪かったから、それが逆に運がよかった。すごく思いやりのある人だったら、そこにかかっていた。

 Q:今、治療法の自己決定ということが叫ばれ、K先生もそういう考えですけど、治療法を自分で決めたと思いますか?

 A:私は乳がんの知識がなかったから、初めは医者の言いなりだった。それにセカンドオピニオンを取るという気がなかった。今はそういうことが大事だと思うし、自分で選ぶことができると思う。

 Q:その後抗がん剤のサイクル数は自分で決めたわけですよね。

 A:それはK先生の1冊の本から。それからK先生(放射線科医)にかかったら、抗がん剤のサイクルは「0から3の間で自分で選びなさい」と言われたので、A先生(外科医)と相談して決めました。

 Q:抗がん剤を「自分で選びなさい」と医師が言ったことを、どう思いましたか?

 A:先生もこの人のこのがんの場合は(抗がん剤を)何回やったらいいかということは分からないんじゃないかと思う。神じゃない限りは。相当広がっている場合は何回もやった方がいいけれど、私みたいにリンパ節転移もないと思われる場合はやらなくてもいいのかもしれないし。ただ安全のためにやるということであれば、私の場合はやらなくても1回やってもよかったと思う。

 Q:がんになってからの生活の変化はありますか?

 A:がんになったらやっぱりいいと言われているプロポリス飲んだり、漢方とか飲んだりありますね。治療が終わった直後に職場復帰しようと思ったけど、その時は本当に会社がいやで、あの忙しい職場に戻るというのが非常にストレスで、治療中はみんな(治療仲間)と笑い合って楽しかったけど、治療が終わったらウツになっちゃって。あと1ヶ月休めることになったらリラックスできて、好きなこともできて、今まで会えなかった人にも相当会いました。この期間が心のケアになった。だから職場に復帰した時には、そういったウツのところはもうなくなっていた。今後は好きなように生きる。働いているから制限はあっても、我慢しないとか。例えば5年後にやろうとか何年後にやろうとか、この時点になったらやろうとかは思わないで、やりたいことは即やっていく。

 Q:それは生き方の変化になるよね。

 A:そうね。

 Q:そういうふうに思うようになったっていうのは、がんになって、もしかしたら死ぬかもしれないっていうことを感じたから?

 A:今でも治療はうまくいったと思ってる。でもがんの細胞がもうすでにいろんなとこに行ってるかも知れない。私の場合は1期だし、転移の確率は5%、でもその5%に入る確率もあるので、常に死というもの、再発というものは頭の片隅にありますね。生存率も95%だから、70歳とかね、そのぐらいまで生きられるとは思わないで、5年後に再発してるかもしれないという気持ちで生きていこうと思った。

 Q:そうですね。私はがんになる前は死というものをいつもは意識していないから、漫然と生きてた。でもがんになって、死ぬ可能性は前よりずっと見えるわけですよね。それで生き方の中身が濃くなるということを感じていて、自分にとってはマイナスっていうよりはプラスの体験だって感じるんです。

 A:私もそうだと思います。がんになってよかったとまでは言わないけど、ある意味、自分の体を思いやることができたってことと、自分が元気で行動できる期間というものに限りがある、本当に。人よりも私は弱い方で、ちょっと病気がちだったんですけど、精神力はわりと強い方で、ま、精神力というよりは耐える力、なんでも我慢してやってきたけど、こういう大きい病気になって自分の体を振り返ってみたら、今度はいつか更にまた大きな病気になる可能性だってあるわけだから、もっと濃く生きたい、限られた人生なんだなっていうのは強く思った。そういう気持ちの転換ができたっていうのはこの病気になったおかげだと思う。

 Q:よかったとまでは言えないけど、学んだことはある。人間関係などで何か変化がありましたか?

 A:友人とかがほんとに自分のことを思ってくれるのか、まあ普通なのかとか、こちらは受ける方なので非常によく分かった。病気になるたびに人から思われるので非常にいい発見ができて、幸せになってきたような気がします。親戚はいるけど、冠婚葬祭の時に会うだけで、その人自身を思いやるとかそういうことは普段ない。けど病気になると、ああ私ってこんなに愛されているんだと思った。彼とも地味な人だし地味めな付き合いだけど、病気で弱った時に愛情をもらえたので、がんになってよかったというか。いままで漫然と生きてたのが、いろんなことが確認できる。こういうことでもない限り、その人がどのくらい思ってくれてるかは確認しようがない。

 Q:それはいい体験でしたね。他に心理的回復のきっかけとなったことはありますか?

 A:あとは知り合いに送ってもらった本。末期がんが治ったという人たちの体験談。それとひとつに私は意外と諦めの世界なの。だから諦めている。もう最初の恐れはない。でも常に頭の隅に再発がある。再発するかもしれないと思ってるから、生活を変えてるわけじゃないですか。がんになっちゃったんだからその細胞はあるだろうし、遺伝子的なものがあるんだろうし。だからいつも思ってるわけじゃないけれど、生活の一部ではあるのよね。もうがん患者っていう。忘れ去ることはできない。でも普段は暗く考えてるわけじゃない。

 Q:話は変わりますが、自己決定の考えについてどう思います?

 A:患者には無理な話だと基本的には思う。でも先生も人間の体って百人百様だから、同じような症状が表れても、がんができたプロセス、今後どうなっていくかなんて、神じゃないから分からないのよ。だからいわゆる世界標準治療で、あと統計学を積み上げていって、(この人は)このくくりに入るんじゃないかなということで(治療方針を)出すわけだよね。患者は知識がないから、先生がお書きになった本で、こうじゃないかと結論出すんだけど、実際には先生もこれが100%なんていう治療は分からないと思うので、はっきり言えば「責任取れませんよ」ということを言ってるわけですよ。でもK先生の本とか読んでない人は、「自分で決めろ」って言っても無理。無理でしょう、知識がないから。本を読んでいるから自分で選べるし、やっていくんだなと思う。

 Q:医者が決められないから患者に決めさせているっていったら変だけど。がんの場合は同じような効果の治療がいくつかあって、というよりも効果がはっきり分からない。例えばタモキシフェン(ホルモン剤の一種)の場合だったら、効果はこの程度あるけど、リスクもこの程度ある。そして医者の考え方によって効果の方を重視すれば飲めとなるし、リスクの方を重視すれば飲まなくていいとなる。医者は一応自分の考えは言うけど、どっちがいいかは分からないから自分で決めて下さいと言う。そうでしょ、結局は?

 A:結局はそうだと思うの。自分が決定付けると自分の責任になっちゃうでしょ。それを避けたいという気持ちがあるんじゃないか。なぜかというと、今までやってきたことがすべて成功してるわけじゃないでしょ。

 Q:先生も神様じゃないから。

 A:だから常に患者は「これがいいんだ」って言う医者の方を疑った方がいいと思う。分からないというのがほんとだと思う。でもそれは、我々は多少なり勉強してきてるからそう思うんであって、全く無知、勉強する気もないし、知識もないし、先生の言うことが正しいんだという患者さんにとっては「こうしなさい」と言ってもらった方がいいんだろうけど。かわいそうだよ、先生だって。間違えたら叩かれるし。でもそれは標準治療っていうのをやっていて、結果的にこの人に合わなかったとかだめだったとかいうのであって、その辺を理解していれば選択は自分と先生で一緒に決めるってことじゃないかな。

 Q:先生も責任負えないでしょうよ。分からないんだもん、はっきりいって。

 A:ですよね。で、そういうふうに思っていて「あなたが決めなさい」というのと、私が最初にかかった医者なんていうのは「こうだよ」って言うわけでしょ。「こうだからこうしかない」っていうことだったら、普通はそうなっちゃうんだよね。自分で決めるってそんなことをやっている医者って少ないんでしょ。最初の医者には「リンパ取らない方法もあるんだよ」とか、「抗がん剤はどうするのか」とか何も言われなかったもんね。

 Q:今のがんに対する適応っていうのはどうですか? Bさんの場合諦めてるっていうのがあるようですが、がんを受け入れてる?

 A:うん、受け入れてる。

 Q:まあ受容して、それほど不安感はひどくない。

 A:うん、おびえてるとかそういうことはない。

 Q:そしてご親戚とか彼との関係では愛情をたくさんもらったっておっしゃってますけど。

 A:うん。

 Q:じゃあ適応してるって言えますね。がんに対する適応ってことでは自分はうまくやってるなって言えますね。

 A:うまくやってるっていうか、今まで苦しかったから、がんという病気を利用して、楽にできるかなという気持ちにもなってきて。

 Q:いいじゃないですか、それは。

 A:でもつらいものもありますよ、会社で思い切って働けないとかね。人間てやっぱり存在価値っていうのがある。必要とされたいという気持ちがあるから、今お客様扱いなので、意外とがっくりするところがあるんですよ。今までだったらショックを受けるところ、でもそれもちょっと変えなきゃいけないのね。

 Q:それはやっぱり考え方を切り替えなきゃダメだよ。

 A:そう。それでいいんだと。今までやってきたんだからもういいんだと。

 Q:やっぱり今まで仕事一筋じゃないけど結構そういうふうに見えるから。時間的にもそうだったわけじゃない? 残業もいっぱいしたりとか。だからこれからはもっと自分のことをやったらいいんじゃない?

 A:そうそう。自分のね。がんがストップさせてくれたんだと思う、今までのこと、無理な生活。病気が気づかせてくれた。自分の生活の見直しを。いろんなことがめぐって神様が、じゃないけど何かがそうやって作用してくれた。常に偶然というのはなくて、すべて必然的に、Wさんと私も知り合いになるし、すべて計算されてきたという。そう思う。
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by lumokurago | 2009-04-07 21:32 | がんと闘わない生き方

がんと闘わない生き方(4)治療法は「自分で決める」感覚が効果

がんと闘わない生き方(4)治療法は「自分で決める」感覚が効果

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 <要約>
 乳がん患者333名のアンケートを統計的に処理したところ、治療法を自分で決めてきたという感覚、自分で決めることができるという感覚(決定コントロール感)が強い人ほど心理的回復の度合いが高いという大変明確な結果が出た。決定コントロール感を高めるのは、医師との良好な関係、治療決定への積極的な参加であり、それらのもとになるのは自分は自分にとって必要なことができるという自己への信頼感(自己効力感)であるという結論が得られた。

 また、治療法選択の機会があった患者はそうでなかった患者よりも、医師との関係、治療決定への参加、決定コントロール感のすべてが統計的に明確に高く、心理的回復の度合いも高いという結果であった。欧米の先行研究では治療法の選択肢を提示すること自体が患者のQOL(人生の質)を高めるという結果も出ており、治療法を患者が自己決定することの意義はQOLの点からも明らかである。

 現在、治療法を患者が自己決定できるかどうかは患者自身の資質や努力によるところが大きい状況だが、今後、患者に治療決定への参加を促す教育を行う医療コンサルテーション(医療相談の場)などが求められる。

<問題>
 近年、がん患者にとってがんと診断された後に、いかに質の高い人生を送ることができるかが切実な問題となってきた。しかしわが国のがん治療においては、告知を初めとするインフォームド・コンセント欠如の問題が大きい。また、がん患者のQOLについての研究も遅れている。欧米の先行研究においては、自己効力感、治療決定における決定コントロール感が患者のQOLを高めることが証明されている。

<研究1>乳がんからの心理的回復モデルの提示

1.目的
(1)乳がん患者における自己効力感、決定コントロール感、社会的支援、心理的回復の関連を明らかにする。

(2)決定コントロール感と、治療決定への参加、医師との関係の関連を明らかにする。
2.方法
(1)質問紙の作成と構成
 8月末、K病院外来で乳がん患者29名に自由記述式準備アンケートに回答してもらい、それをまとめて18項目を作成した。それらに医師との関係、自己効力感、決定コントロール感、不安感、社会的支援などを測る項目を加え、予備調査用質問紙を作成し、10月初め、再び外来で協力を依頼し、50名に回答してもらった。その結果と先行研究を参考に95項目からなる本調査用質問紙を作成した。患者の自由記述により、「心理的回復」は更に「がん体験による成長」へと高められていることがわかったので、この研究では「がん体験による成長」「死の受容」を「心理的回復」「QOL」として扱った。

(2)対象と調査方法
・K病院外来で診察を待っている患者に協力を依頼した(120名)。
・乳がん患者会“ソレイユ”を通じて会員に協力を依頼した(135名)。
・ホームページを作成し、そこにアンケートを載せて協力を依頼した(51名)。
・知人などに協力を依頼した(27名)。        計333名

(3)統計的処理
 95項目から不適切な項目を除き、次の9つの要素を取り出し、要素ごとに項目を分類した。

1.決定コントロール感
2.医師との関係
3.治療決定への参加
4.人生を前向きに考えて楽しむ姿勢
5.コーピング(対処能力)・コントロール感
6.社会的支援
7.がん体験による成長
8.死の受容
9.不安・ネガティヴ(否定的感情)
それぞれの要素に属する項目の得点を合計して統計的処理を行った。

3.結果

(1)自己効力感(4、5)は治療決定への参加や医師との関係、決定コントロール感に影響を与え、がん体験による成長、死の受容にも役立っていた。医師との良好な関係と治療決定への積極的な参加は決定コントロール感を高めていた。決定コントロール感は、がんを前向きに捉え、死の受容を助け、がん体験を成長の糧にすることに影響を与えた。また、自己効力感の高い患者は社会的支援を求める度合いが強く、社会的支援が治療決定への積極的な参加、決定コントロール感を高め、それが心理的回復に影響を及ぼしていることが示唆された。

 不安感が高いと自己効力感が低く、医師との関係、治療決定への参加、決定コントロール感にもマイナスの影響を与えていた。

(2)治療法選択の機会の有無によってデータを2群に分け、統計的に処理した結果、治療法選択の機会の有無は「決定コントロール感」「医師との関係」「治療決定への参加」「人生を前向きに考えて楽しむ姿勢」「がん体験による成長」に影響を及ぼすことが証明された。

(3)“パス解析”という統計処理を行った結果、「人生を前向きに考えて楽しむ姿勢」「コーピング(対処能力)・コントロール感」は、「医師との関係」「治療決定への参加」「決定コントロール感」「がん体験による成長」「死の受容」に影響を与えることが示された。「医師との関係」「治療決定への参加」は「決定コントロール感」「がん体験による成長」「死の受容」に影響を与え、「決定コントロール感」は「がん体験による成長」「死の受容」に影響を与えていた。乳がんからの心理的回復のためには自己効力感と決定コントロール感が重要な要素となっていることが証明され、このパス解析の図を「乳がんからの心理的回復モデル」として提示した。

<研究2>乳がんからの心理的回復に関する事例研究

1.目的
 「研究1」で提示した心理的回復モデルに即し、現実に患者たちがどのように心理的に回復していったのかを事例研究によって明らかにする。

2.方法
 乳がん患者5名に半構成的面接(インタビューの内容を半分はこちらで用意している面接のこと。後の半分は相手の話によって内容が変化してくる)を行い、内容をテープに録音、テープ起しをしてまとめた。

3.結果と考察
 この5名の患者は、個人差はあるがそれぞれが「乳がんからの心理的回復モデル」に沿った回復をしている。がんと診断されて、その時はショックを受けても、時期は人によって違うが自分から情報を求め、知識を得、納得のいく医師を選び、医師と相談しながら自分で治療法を決めている。その結果、がんになったことはよかったとまでは言えないが、自分の人生を見つめなおすよい機会となり、楽に生きられるようになったという。これからは自分の好きなことをして生きていこうと思うようになり、がんになったことで心が解放されていることがわかる。それぞれ、再発・転移の不安はあるが、その時後悔しないように今をせいいっぱい生きようとしていることがわかった。

<研究3>乳房切除術と乳房温存療法のQOLに及ぼす影響

 乳房切除群よりも温存療法群の方が「決定コントロール感」「医師との関係」「治療決定への参加」「死の受容」「人生を前向きに考え楽しむ姿勢」「コーピング(対処能力)・コントロール感」「がん体験による成長」の各要素の合計得点が有意に高かった。欧米の先行研究では乳房切除術と乳房温存療法の術後のQOLの差は、ボディイメージなど性的なもの以外は証明されていない。それは欧米ではインフォームド・コンセントが普及しており、術式による決定コントロール感に差がなく、QOLに影響を与える要素としては決定コントロール感が最も重要であるためと考えられる。それに対してこの研究で差が出たのは、わが国においてはインフォームド・コンセントが普及しておらず、乳房切除群では一般的に治療法選択の機会が少ないため、決定コントロール感が低く、それがQOLに影響しているのではないかと考えられる(乳房温存療法を受けた患者のうち、治療法選択の機会がなかったという者は5%であるのに対し、切除術では44.5%であった)。この結果からは治療法の選択肢を提示することの重要性が示唆された。

<総合的考察と今後の課題>

 乳がんからの心理的回復のための重要な要因は、自己効力感と決定コントロール感であることが証明された。この研究は乳がん患者の心理的回復を越えて「がん体験による成長」までを扱った。それができたのは意識の高い被験者が集まっていたためと思われる。

 この研究では自己効力感は個人の資質による部分が大きいと捉えた。また、がんを契機として成長した患者は、そのことによって自己効力感をさらに高めたと考えるのが自然である。ゆえに「乳がんからの心理的回復モデル」の図(Fig.1)の矢印は「がん体験による成長」「死の受容」から「人生を前向きに考え楽しむ姿勢」「コーピング(対処能力)・コントロール感」へも向けられ、矢印は循環するものとなるであろう。今後、自己効力感を高める要素の研究が課題となる。

 現在は医療者からの情報開示が限られているので、情報を得るためには患者ひとりひとりの努力が求められる状況であるが、それを解決する方法として医療コンサルテーションが考えられる。医療コンサルテーションの目的の一つは、患者が医療者と話すためのコミュニケーションスキル(技術)を教えると同時に、乳がんの知識、患者の状態と治療の選択肢について教育すること、二つ目は医療者が患者の意見や選択を聞き、それをサポートし勇気づけること、患者中心のパートナーシップを築き上げることである。このような医療コンサルテーションがあれば、個人の資質によらず、患者全員が乳がん治療の知識を得、治療法を自分で決めていけるようになる。そうすれば患者の決定コントロール感が高まり、心理的回復につながるであろう。その他、心理的回復のための社会的支援と心理的ケアに関する研究などが今後の課題である。

(2000年度筑波大学教育研究科カウンセリング専攻修士論文要約)
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by lumokurago | 2009-04-04 13:59 | がんと闘わない生き方

がんと闘わない生き方(3)手術と放射線治療

がんと闘わない生き方(3)手術と放射線治療

 軽いくりぬき手術と担当医の意見が違うホルモン療法

 術前化学療法のCMF4クール後、7月28日に温存療法(がんの部分だけくりぬく)で手術を受けました。とても軽い手術で、麻酔が覚めても痛みもなく、夜には5分がゆが出、全部食べました。翌日、CMF5クール目の点滴。3日目からは外出、シャワーOK、伊東まで海を見に行きました。4日目に病理検査の結果が出るので、病理の結果を聞いて退院でした。がんは抗がん剤で2cmに縮んでおり、残ったがんも弱っていて、完全に消えたところまではいかないが抗がん剤が比較的よく効いたとのこと、ホルモン剤が効くおとなしいタイプということでした。

 乳がんにはホルモン依存性のがんとそうでないものがあります。それはがん細胞を調べればわかります。ホルモン依存性のがんにはホルモンレセプターがあり、そこに女性ホルモンがとりついて(鍵と鍵穴のような関係)、がんを成長させるのです。そこでホルモンレセプターに女性ホルモンが取りつく前に別なものを取りつかせ、がんの成長を抑えるのがホルモン剤(タモキシフェン)です。

 CMF5クールが終わって、A医師はホルモン療法に切り替えようと言い、タモキシフェンを飲み始めましたが、その後近藤医師は子宮がんが増えるなどの副作用があるためあまり勧めないと言い、自分で決めなさいと言いました。担当医二人の意見が違うので、ちょっと迷いましたが、飲み忘れることが多かったので、自分の無意識が薬を必要としていないのだと判断し、飲まないことにしました。心配症のA医師はその後も「飲んでよ」と言っていましたが、私が「飲み忘れるから」と言ったら、「じゃあ、再発の時にとっておこう」と言いました。

 話は戻りますが、傷にはテープが貼ってあるだけで、一度も消毒せず、退院の翌日放射線治療のために慶応病院に行った時、近藤先生が「まだ貼ってあったの」と言ってはがしました。(注:常識である「傷といえば消毒」は逆効果です。自分の体液が傷を治すので、子どもの怪我などは土などで汚れていれば水で洗い、何もつけず、サランラップなどで覆っておくのがよい。また、術後、抗生剤を何日も使う医師が多いが、これは不要で、術中に1回の点滴が世界の標準治療。抗生剤の濫用が抗生剤に耐性のある菌を作り出している。日本の病院のほとんどは抗生剤耐性菌(ex.MRSA)に汚染されており、しかも耐性菌はどんどん進化している。ついでに言うと、患部の剃毛は不要です)。

 5日間の入院で、退院しました。私の場合は、手術で切った断面にがん細胞がなかった(断端陰性という)けれど、断面にがん細胞が残っていれば(断端陽性)再手術を行う場合もあります。また、リンパ節を取った場合は入院がもう少し長くなります(A医師は、後遺症をできるだけ防ぐためにかくせいはせず、はれているリンパ節だけ取っていました。A医師ははれているリンパ節がなければ腋はいじらない方針でしたが、当時、普通の病院では治療成績は同等なのに転移がなくてもかくせいしていました。)。

他の病院から逃げてきた患者ばかりの近藤外来

 乳房温存療法では、がんの部分だけ手術でくり抜きますが、それ以外に乳房全体に微細ながん細胞が飛んでいる可能性があるので、それをたたくために放射線を照射します。月曜日から金曜日まで毎回2グレイ、それを5週行い、計25回で50グレイです。リンパ節を切除したり、リンパ節転移の可能性のある患者には腋の下にも放射線をかけます。私の場合は腋の下と鎖骨の上のリンパ節にもかけました。

 放射線治療に通っている間はとても楽しかったです。というのは毎日通っているうちに仲間ができたからです。O病院では入院していたのがたった5日ということと個室だったため、知りあった人はいませんでしたが、ここでは毎日会うので、仲良くなり、毎日一緒にお昼を食べ、それが25回続きました。この仲間とは10年目になる今でもつき合っています。

 それにしても彼女たちの話には驚くばかりでした。最初から近藤医師のところに来たのは私ひとりで、みんな他の病院で乳房を全部切ると言われて逃げてきたのです。本では読んでいましたが、いまだにこんなことがあるのか、まるでお話みたいだと思いました。中には前の病院に入院する前夜、偶然に偶然が重なって近藤医師の本を本屋で見つけて、徹夜で読んで、そのまま朝9時を待って近藤医師に電話し、本人が出てくれて、入院を断ってこちらに来たという人もいました。彼女は「普通、本を出すような先生は診てくれるかどうかわからないと思ってあきらめてしまうでしょ。本に電話番号が書いてあったから救われたのよ。それに本人が出てくれたから感激したわ」と言っていました。

 近藤医師の本には、近藤医師を訪ねて慶応病院に行ったのに、受付で乳がんなら外科だと言われ、慶応の外科に入院し、同じ慶応だから近藤医師もカルテを見てくれているのだろうと信じていたが、そうではないことがわかり夜逃げして放射線科に来たという人もいました。

 この時代(2000年)はまだまだ乳房温存療法を行っている病院は少なく、乳房を全部切り取ると言われた人が近藤医師のところに逃げてきていたのでした。それで、近藤医師の外来は混み合って大変でしたが、今では日本の温存率も50%を超え、近藤医師の外来も以前のように混み合うことはなくなりました。

乳がん患者の心理的回復の要因は? 

 放射線治療を受けている患者の中には慶応の外科で手術を受けた人たちもいました。こんなふうに書くのは申し訳ない気もするのですが、客観的に言えることなので、お許し願いたいと思います。近藤医師の患者たちはみな、すでに覚悟を決めて乳がんを乗り越え、よりよく生きることを決心し、とても明るいのですが、慶応の外科の患者さんたちは、まだがんにかかったショックを引きずっており、不安でいっぱいなのです。そしてあまりにも乳がんに対して知識がなく、自分がどんな治療を受けたのかも、なぜ放射線治療をしているのかも知らないのでした。自分が受けた抗がん剤の名前はおろか、抗がん剤治療を受けたこと自体を知らない人もいました。彼女たちは病理検査の結果も知らず、自分のがんの性質やステージも知らないので、担当医に質問するようにアドバイスしましたが、なかなか聞けないのです。当時、インフォームド・コンセントはまだまだ行われておらず、普通の患者は医師のいいなりであることがわかりました。

 乳房を切り取られることがいやで、何か別の方法がないものかと探したり、セカンドオピニオンを求めたり、乳がんの本を探したりして近藤医師の元に集まってきた患者たちは、初めに行った病院のいいなりにならず、自分でなんらかの行動を起こし、自分で勉強して、自分で治療法を決めたのです。そうやって知識を得たことと、治療法を自分で決めたことが乳がんに対する恐れを消し、明るく前向きに生きる気持ちを生み出したのです。

 私はこの時、筑波大学の社会人向け大学院(教育研究科カウンセリング専攻)の学生で修士論文を準備していました。なぜ大学院に行ったかというと、20年以上学童クラブという、家庭と学校の狭間で子どもたちをみていて、それまで見たこともなかったような子どもの登場に、当時すでに対応に苦慮していました。専門的な知識があればもっと何かできるのではないかと思ったのです。修士論文は子どもをテーマにするつもりでしたが、同じ乳がんにかかっても患者によって心理的な回復が全く違ってしまうということに気がつき、このことを調査することも乳がん患者として貴重だと思い、修士論文のテーマを「乳がん患者の心理的回復」に決めました。次回は修士論文の要約を掲載します。
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by lumokurago | 2009-04-03 14:53 | がんと闘わない生き方

がんと闘わない生き方―乳がん患者として(2)

がんと闘わない生き方―乳がん患者として(2)術前化学療法

 6年後の受診

 1994年に発見した右胸の5ミリのしこりは徐々に大きくなっていました。大きくなっているのだから、これはがんかもしれないと思いましたが、私は受診しませんでした。のんきだと思われるかもしれませんが、がんがそれほど怖くなかったのです。その後読んだ近藤医師の本には「がん検診が寿命を延ばしたという証拠はない。早期発見早期治療で寿命が延びたという証拠はない」と医学論文の統計データをもとに書いてありました。それに乳がんはそれ自体では死に至ることはないとのことです(乳房が生命維持に必要な臓器でないため)。転移が問題になりますが、早期発見早期治療に意味がないということは、がんを放置していると転移するという広く信じられている俗説は間違いということになるではありませんか。(このことについては回を改めて、詳しく書きます)。

 仕事を休んで1日がかりで病院に行くことが億劫ということもあり、私は6年間放置していました。しかし最後の1年間は急速に大きくなっていると感じ(注:がんは細胞が2倍、2倍と分裂して大きくなるので、大きくなればなるほど、急速に大きくなっているように感じる)、2000年3月、仕事が一段落した年度末に受診しました。

 慶応病院は特定機能病院なので紹介状なしで直接行くと「選定療養費」として5250円かかるため、前日に6年前に行った天野クリニックでエコーを撮ってもらい紹介状を書いてもらいました。

 3月22日、近藤医師に診てもらったところ、やはりがんで4×4.5センチになっていました。近藤医師は「前のことを覚えていますよ。ずいぶんゆっくり大きくなったなあ」とおっしゃいました。腋の下のリンパ節にも転移が数個あり、すぐに治療することになって、当時、近藤医師とチームを組んでいた神奈川県にあるO病院の外科医A医師を紹介されました。電話すると「明日来なさい」ということで、予約を取ってくれ、翌日、O病院に行くことになりました。(本で読んでいたので温存のためには遠くの病院に行かなければならないことは知っていました)。

O病院で術前化学療法を選択

 O病院のA医師のところには、温存を求めて日本中から近藤医師を訪ねてきた患者が押し寄せ、ものすごい混み方でした。予約時間はあるものの、守られたことはなく、何時間も待たされることが常でした。患者が診察室を出入りする時間を節約するために、診察室は2つあって、患者はそこで待っており、A医師の方が行ったり来たりするのでした。

 私のがんはかなり大きい方です。A医師はこのままでも温存はできると言いながら、手術の前に化学療法(術前化学療法)をすることを提案してきました。抗がん剤が効いてがんが小さくなれば、切る範囲が狭くなるし、抗がん剤が効くがんかどうかがわかるというのです。(注:当時、一般的には術後、化学療法をしていたので、がんを取ってしまった後であり、抗がん剤が効いたかどうかはわからない。化学療法は、この時点の検査では発見されないが、全身に転移しているかもしれない微細ながん細胞をたたくために行う)。

 私はリンパ節転移のことが気になっていました。A医師はリンパ節を切除すればリンパ浮腫(リンパ液の流れが悪くなって腕が腫れる後遺症)が出る可能性が2割あると言いました。リンパ節を切除すれば、リンパ浮腫にならないように土いじりは禁止、蚊に刺されることにも気を使い、山登りの重いザックを背負うこともできなくなってしまいます。私は、土いじりとアウトドアが大好きなので、がんはともかく、リンパ節を切りたくない思いでいっぱいだったので、A医師にその話をしました。A医師はそれなら抗がん剤が効くかもしれないから、術前化学療法にしようと言い、私も異存はなく、そうすることに決めました。

リンパ節は切らなくていいことに

 あっという間に治療法が決まり、5日後の3月28日には抗がん剤治療が始まりました。私の受けたのはCMF療法といって、3種類の抗がん剤(シクロフォスファミド、メトトレキセート、フルオロウラシル)を使う多剤併用療法でした。抗がん剤は強力で副作用が強いため、副作用の異なる多剤を組み合わせ、それぞれの薬を十分に使えるようにするものです。CMFは乳がんの古典的な標準治療です。2週続けて点滴し、2週空ける、これが1クールです。昔は12クールやっていたのですが、当時は6クールでも同じ成績であることが証明されており、近藤医師たちはもっと少なくてもいいと考え、回数を減らそうとしていました。A医師も術前化学療法は3クールまでしかやらないと言っていましたが、私の都合で入院する日程を延ばしたかったので4クール行いました。もちろん、抗がん剤が効いてがんは小さくなり続けていたことが前提です。(効かなければその時点で化学療法は中止)

 3クールまでにかなり小さくなり、腋の下の転移も小さくなっていましたが、その時点ではA医師はまだリンパ節を切ると言っていました。しかしごね得のプラス1クールで、リンパ節転移は触診で触れなくなったのです。手術の前日、A医師はもう一度触って、「手には触れなくなった。エコーには映っているけど、切らないことにしよう。5クール(術後に行う抗がん剤1クール)で消えるかもしれないし」と言いました。ラッキー! 私は大喜びしました。

抗がん剤の副作用

 さて、気になる抗がん剤の副作用ですが、強力な吐き気止めが出ていたため、数日間むかむかしたり食欲がなくなる程度ですみ、吐いたりはしませんでした。髪の毛も抜けたら抜けたで一生に一度くらいスキンヘッドもいいかもと思っていましたが、ちょっと薄くなったという程度で終わりました。一番大事な白血球の減少ですが、点滴後1週目には2000位に減った時があったものの、次の点滴の時には7000位に戻り、優秀でした。(3000以下だと点滴は中止になる)。

 副作用は人によって全く違い、1回の点滴で髪の毛が全部抜けてしまった人もおり、吐き気に苦しんで死ぬ思いをして1クールで拒否した人、白血球が戻らず、点滴できない人などさまざまでした。

 副作用を抑える薬はどんどん強力になり、抗がん剤治療は患者にとって楽なものになっていますが、近藤医師はそれが逆にこわいと言っています。なぜならば副作用が出れば医師は注意するが、副作用が抑えられれば大丈夫と思って点滴し、突然重篤な副作用が出る可能性があるからだそうです。特に白血球を増やす薬は疑問だとのことです。

標準治療が行われているのはわずか5%

 ところで、この間の生活ですが、治療に入ってから仕事を休んでおり、点滴のたびの副作用も数日で消えたため、合い間にはのんきに旅行し、乳がん関係の本を読みあさっていました。近藤医師の本は読破、それに他の医師の本も図書館にある本はほとんど借りて、比較しました。

 名前を挙げることはしませんが、他の医師の本にはひどい記述が多く、中には科学的根拠(論文や統計データ)を示さずに「がんをさわると転移を助長する」「病院のはしごは危険」「治療が遅れると転移するのでなるべく早く治療を」「(ハルステッド手術を)治療成績の良好な定型手術」「生検でがんが飛び散る危険がある」「無理な温存手術の結果、再発して亡くなる患者さんも増加している」「術後補助療法は経口抗がん剤(注:効かない)」などなど、医学的に誤ったことが堂々と書かれていて驚きました。有名な病院の外科部長さんの本などでこれです。中には現在でも発売されている本もあるので要注意です。

 最近読んだ本によると、国立がんセンター東病院の南博信医師(現神戸大学病院腫瘍内科教授)らが、他の病院から紹介されてきた進行乳がん患者78人について、それまでにどのような治療が行われてきたかを調べたところ、標準的でエヴィデンスに則った治療はわずか5%、標準として許容範囲の治療は38%で、標準からかなり外れた治療が22%、害をもたらす可能性のある治療が23%で、合わせて45%もが「不合格」になったそうです。(「評価不能」が12%))。

 標準からはずれた治療とは、標準治療の抗がん剤を用いず、効果が認められていない経口の抗がん剤を使用している場合(日本で多く使われているので要注意)、害をもたらす治療とはホルモン剤が効かないタイプのがんなのに、ホルモン剤を使っている場合(効果が期待できない上、ホルモン剤の副作用の恐れがある)、がんが小さくならないのに抗がん剤を続けている場合などです。分析にあたった南医師は「標準治療についての情報が一線の医師に伝わっていない。特に乳がんを専門としていない外科医にその傾向があるようだ」とし、医師への教育制度の充実や、学会の治療ガイドラインの普及が急務だと話しているそうです。(『がん治療の常識・非常識』田中秀一著・講談社2008)

 このように日本の病院では標準治療が行われることの方が稀なのですから、患者は医師任せにせず、自分で勉強し、疑問はどんどん質問し、セカンドオピニオンを取り、自分で納得のいく治療を選ぶことが大切です。

【追記】これを『乳がん 後悔しない治療』にまとめたときに以下の注を入れました。

 南医師らは「有効性の確立した治療」という意味で「標準的」「標準治療」ということばを使い、「治療ガイドラインの普及が急務」だとしていますが、近藤誠医師は本書114頁から117頁で述べているように「標準治療」はエヴィデンスの有無には無関係であるとしています。しかし、『がん治療の常識・非常識』で説明されている「標準からはずれた治療」の例を読むと、南医師らが言う「標準治療」はおおむねエヴィデンスにもとづいていると考えられるので、ここに紹介しました。
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by lumokurago | 2009-03-31 12:02 | がんと闘わない生き方