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カテゴリ:Dr.Aとの往復メール( 55 )


Dr.Aとのメールより その22

 このころのメールはみなさんに読んでいただくほどの内容ではありませんが、Dr.Aのファンのかたはどうぞ。

渡辺より  12.2

 (前略)乳がん患者のMLでは投稿する人する人、(再発患者はむろん、術後補助療法まで)みんな抗がん剤当たり前でより積極的に使いたいのです。回答するボランティア医師も当然のことながらガイドラインに沿った答えをしています。今日ちょっと調べることがあって乳がん患者向けのHPをみたら「推薦図書」があり、近藤先生の本がはいっているかどうか確かめたのですが1冊もありませんでした。聖路加の中村さんとか日馬さんとか、こう言っちゃ申し訳ないけどくだらない人の本ばかりでした。

 こんな状況ではがんもどき理論は10年ではまだまだだと思います。それに「知の巨人」とかの立花隆氏にして『がんサポート』でがん検診を推進していました。立花氏、ずるいですよね。NHKのがん番組では「自分は膀胱がんだが今後再発しても抗がん剤は使わない」と言っておきながら、転移性大腸がんの戸塚洋二氏が抗がん剤を次々に使っていることに何も言いませんでした(二人はその頃対談しています)。こういう人は信用できません。話は変わりますが、神戸酒鬼薔薇事件は冤罪(証拠が、少年をだまして自白させた調書しかない)ですが、立花氏は予断を持って少年Aを犯人と断定し、週刊新潮に検事調書を掲載しました。彼の影響力からして許されることではありません。これでも「知の巨人」か。とんでもない。(後略)

Dr.Aより  12.2

 こんばんは。人間は真実に近づくよりも騙されていたいのでしょう。詐欺師は騙すのが商売ですから、良い人間を演じます。多くの患者が詐欺的医療に引っかかっています。

 知の巨人といっても高が知れている。昔は文藝春秋の編集者だったにすぎない。売れてくると大衆迎合になってしまう。真実から遠ざかってしまうのですね。それがいやらしいというわけです。

 小沢が好きな日本人が多いですね。やはり日本人は和製ヒットラーを欲しているのかな。自由からの闘争を読むべきですね。(後略)

渡辺より  12.3

 こんばんは。そうですね。真実に近づくより騙されているほうが楽でしょうからね。きっといつかお話しした柳原和子さん(うそでもいいからやさしくしてほしい)のような人のほうが多いのでしょう。われわれは極少数派なので基準にはなりません。

 先生のお考えでは小沢はヒットラーですか? 政治に疎いのでぜんぜんわかりませんが、新聞の世論調査では人気ないけど、ネットではいわゆる左翼系が(杉並の元中核派まで)「小沢しかいない」といった論調みたいです。つい最近まで小沢の「普通の国になろう」に反発していた人たちがなぜいま持ち上げるようになったのか? 不思議です。

 「自由からの逃走」ですね。むかし何の意味もわからないころ読みましたが、すっかり忘れてしまいました。また読んでみます。といってもフーコーも放りっぱなしです。(後略)

Dr.Aより  12.3 
 
 こんばんは。眠れず起き出してごそごそしています。ワープロミスはいつものことですが、逃走と闘争を間違えるのも困ったもんです。ヒットラーも労働運動から活動を始めているので、コミュニストがファシストになってもなんらふしぎはありません。だから、怖いのですね。日本は民族主義が高揚して再軍備、核保有へ向かうように思います。これはだれにも止められないでしょう。自由からの逃走は良い本だと思います。

 小沢と鳩山は友愛主義で、一説にはフリーメイソンの一員とも言われています。世界支配のアジア代表なのでしょう。仙谷は元全共闘で菅は日和見と来ている。統一は取れませんわ。(後略)

*****この後掲載に適さない話題がつづき、日にちが飛びます。

Dr.Aより  12.8

 こんばんは。生活の転換ということで、とりあえず北海道、青森、新潟、長野、伊豆のマンションを探してみました。苗場のマンションは5万円からありました。埼玉の秩父に安いログハウスをみつけました。しかし、食事のことを考えるとホテルに泊まった方がよさそうですね。海外で暮らすのも難しそうです。カナダが最も良いらしいですがね。現在、こんなことを考えています。(中略)

 考え方を変えるとアイデアがいろいろ出てきます。しばらく、愉しみたいと思います。

渡辺より 12.9
 
 ガーン! 先生はどっか行っちゃうんですか? うそでしょう! 私を看取ってからにしてほしいです。

 と思ったけど、スキーの間なら行っていいですよ。春には帰って来てください。

 と思ったけど、先生の人生は先生のものだから患者といえど縛れませんね。希望だけお伝えしておきます。

 ホテル暮らしなら、いろんなところに移れますね。私も元気なころ、キャンピングカーで山登りしながら日本一周しようと夢想したことがあります。必要最低限のものだけ乗せてシンプルな暮らしがいいなあと思っていました。そうしたら、倉本聡が一昨年だったか、すい臓がん末期の医者を主人公にしたドラマを作りました。(ふだんテレビは見ませんが倉本聡と山田太一のドラマが好きなので、きがついたときはみています)。その医者は家族を捨てて東京にでてきたのですが、命が長くないと知って、故郷(倉本聡なので富良野です)に戻り、医療機器を備え付けたキャンピングカーで暮らすのです。父親や娘・息子たちとの交流(和解)がテーマでした。倉本聡のドラマは北海道の自然の美しさが魅力の一つです。(後略)

Dr.Aより  12.9

 こんばんは。年金暮らしになった場合の話で、とりあえずはスキーです。ところがもうターミナルの患者さんを診ているのです。このまま東京にいると死ぬまで仕事でしょうかね。でもスキーはいこうと思います。

渡辺より  12.10

 ああ、よかった!! びっくりした。  

Dr.Aより  12.11

 今日は。今年最後の抒情歌を楽しむ会が終了しました。来年、生きていたらまた会いましょうと散会しましたが、どうなりますか。昨日、自転車で転んでしまいました。平衡感覚にまだ問題がありそうです。先週は眠い一週間でした。梗塞の前も眠かったので前兆ではないかと思ったりします。しかし、新たな麻痺や感覚障害、視野障害、言語障害がないので大丈夫でしょう。スキーは乗れるかどうか、楽しみではありますね。

渡辺より  12.12

 こんばんは。自転車、危ないですね。私がもし転んだら骨が折れるので、慎重にしています。先生は骨が折れることはないと思うけど、気をつけてください。

 私も超眠いのがつづいています。聞いた話ですが、ホルモン剤のヒスロンの副作用で血栓が生じ、脳梗塞を起こした人がいるとのことです。もしかしたらそれかも? 私の場合はなるようになれ、ですが。
 
 妹が風邪を引いてしまったので、私が猫のエサを買いに行きました。たまには買い物もしたいし。しかし、重かったです。背骨がだめになるとこれほど影響がでるんですね。とにかくお茶碗なども重いのですから。
 
 先日の会で話したのですが、みんなが納得できないほど私が達観しているのは、満足死の会の会長さんが挨拶でおっしゃった「生かされている」というありがたさのためだと表現すれば一番近いのだと発見しました。若いころ、世界中で子どもたちが戦争や飢えで死んでいるのに、自分ばかりのうのうと生きていられないという気持ちが強かったのですが、そういう言い方をすると悲愴感がただよい、普通の人には納得してもらえません。でも、それは裏返しにすれば、この幸せな日本で生かされているということであり、この言い方ならば納得してもらえるように思います。

 近藤先生へのインタビューのとき、なぜいつ死んでもいいと思っているのかと聞いたら、いままでに若い患者が従容として亡くなっていくのをみてきたから、ある程度の年齢になれば死ぬのもしかたないと思うとおっしゃっていました。私の予想があたっていました。この気持ちもわかる人とわからない人がいると思います。人を押しのけても生きたいという人が多すぎますから。

 私もスキー滑りたいなあ。

Dr.Aより  12.13

 こんばんは。今日はあまり眠くはなく過ごせました。昼寝、夕寝をしていますが。夜11時に近くなって冴えてきました。忘れっぽいのが困ります。ターミナルの患者さんの夜の往診を忘れ、今戻ってきた所です。人間、やるべきことを終えると死ぬことを考えてしまうのかもしれません。それは遺伝子のレベルではないように思います。しかし、魂でもなく、脳の認識あるいは認知機能がそうさせるのでしょう。となると遺伝子ですかね。生に執着する人はこの機能に問題があるのかもしれません。ビールをのみ、ベートーベンの月光を聴きながら寝ることにします。
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by lumokurago | 2011-03-05 17:18 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その21

渡辺より 2010.11.25 

 私は最近眠くて眠くて、夜は9時頃眠ってしまうし、朝は7時頃起きますが、昼寝もしています。どっかおかしいのかな。でももともと眠れないほうで「眠い」と思うことなど皆無だったので、眠くなってそのまま眠れる気持ちよさを満喫しています。最近、簡単な料理もしています。例えば切って煮ればいいおでんとか。長い間立っているとぐらぐらしますが、少しなら大丈夫。それに今日も自転車で井の頭公園に行ってきました。3月の「余命1年」が撤回されたけど、来年の秋まではどうかわからないと思い、紅葉をみています。私の場合、生きていていいなと思う一番はやはり自然を楽しめることです。空の色も雲の形も花も木も動物も・・・地球は美しいですね。

 今度は知り合いが乳がんで全摘し100万もかけて再建したという話を聞きました。お母さんからの話なのですが、2軒の病院に行ったけど同じ診断だったので、近所の杏林病院にしたということです。セカンドオピニオンは近藤先生に行かなければねえ。なぜ私に相談してくれなかったのか、私の乳がんを知らなかったのかと、とても残念です。

 おがさわら丸のなかで会った85歳のおばあちゃんも全摘されて、「これから肉がつけばいいけど」と悲しんでいたし、23日(講演会)に質問した人も「乳がんは全摘すると見るたびに悲しいしみるたびにがんなんだと思う」と言っていました。温存率があがったとはいえ、最近会った人はひとりを除き全摘でした。手術後もう10年以上経つのに、いまだに痛いと言っている人もいます。

 最近本のおかげで乳がんの人とたくさん知り合って、また日本の医療をなんとかしなければという思いが強くなってきました。が、近藤先生さえ(近藤先生だからこそ?)、「(よくすることは)無理だと思う」と言っていました。

渡辺より  11.29

 (前略)私も今年1月に放射線をかけて治っていた顔面神経麻痺がまた少しでてきています。突如悪くなるということはないようで、徐々にですが。私が看取った乳がんの患者さんはこんなふうな神経の症状はまったくありませんでした。がんというのは死んでしまうだけでなく、どこにどんな不都合がでてくるかわからないむずかしい病気なんですね。(近藤先生も顔面神経麻痺のときは分厚い英語の教科書をだしてきて調べていました)。

 先生に質問があります。『在宅死のすすめ』で先生は「この本は自分の最後の出版になると思う」と書かれていますが、何か予感でもあったのですか? なぜそう思われたのですか?
 
 『在宅死のすすめ』12章(注:14章の間違い)はほかの章となじまないが、なぜこれを入れたのですか? 少しは希望を持たせないと本が売れないと出版社に言われたとか? 失礼なことを聞いてすみません。もしよければ教えてください。

Dr.Aより  11.29

 今日は猫の避妊手術で捕まえるのに大騒ぎ、ぶきっちょの左手を噛まれてしまいました。猫も必死ですから仕方ありません。あと二匹いますが捕まえるのは無理ですね。完全に野生化しています。

 (中略)顔面神経麻痺は末梢性ですね。渡辺さんの本を読み返してわかりました。原因不明のことも多いし、自然に治ることもあるので、様子見がいいでしょうか。ひどくなったら放射線ですかね。

 最後の出版というのは死が少しずつ近づいてきていると思ったからです。みな病気の遺伝的背景を持っていますが、私の場合父系が動脈硬化、母系が癌ですので、60代でどちらかのくじに当たるだろうと考えたのですね。やはり予感通り6月に脳こうそくになりました。かなり広範囲で脳血管全部が動脈硬化ですので、死ぬ可能性もあったでしょう。救急車の中で、女房と事業の後始末の話をしました。そのための費用はーーーで捻出などという。

 死ぬという感じはありませんでしたが、客観的に可能性を否定できませんでした。本当は死んだほうが良かったと思っているのです。保険金も出ただろうし。

 馴染まない章は14章ですかね。生還を喜ぶというのは。この章は、この患者さんは生還しても一年もたないだろうと考えたから入れました。患者さんは諦めてはいなかったのですが、私には無理だとわかっていました。それで、何か死後に残るものをプレゼントしたかったのです。患者さんはいまホスピスに入院しています。携帯に電話がありますがモルヒネの持続皮下注射をしているとのことです。

 私が病気になったので在宅を諦め病院へいきました。他のドクターに頼んだのですが、胸水や腹水の穿刺排液などができなくて入院になったとのことです。左の麻痺はちょっとしたことができなくなります。輸液とか穿刺は得意だったのですが尻込みしてしまいます。いままで一人でやっていたのが不思議です。五体満足ならできるはずなのですがね。近頃の医者は事故が怖いのか。あるいは在宅ではやらないと決めているのか。

 電気自動車の改造はリチウムイオン電池を中国から輸入し、できる見通しが立ちました。性格のしつこさは変わっていないようです。しかし、輸入に時間がかかり、完成は来年一月末です。(後略)

渡辺より  11.30

 網野先生、こんばんは。お返事ありがとうございます。

 猫ですが、一度野生化すると人間になつかせるのは至難の業ですね。近藤先生がネットで検索してみたら野良猫でもなついて飼い猫になる例はけっこうあるようだとおっしゃっていましたが(彼はそれを望んでいるようでした)、どうすればいいのか? 私も最近検索してみたら、捕まえてケージに閉じ込めて慣れさせるみたいです。でも捕まえるなんて無理! うちでは来るときだけえさをあげることで満足するしかなさそうです。

 先生の新しい本の執筆はどうなったのですか? 書いていらっしゃいますか? 自分の身におきかえてみると「死んだ方がよかった」という気持ちもわからないではないのですが、奥さまを悲しませますから、まだ生きて本を書いてください。(中略)

 14章のこと、よくわかりました。ほんとはまだちょっと反論あるけど、その患者さんのことを考えればよくわかります。先生は泰阜村の本に秦さんの文章も載せていましたね。私と遺伝子が似ています。私も学童クラブのことを書いた本に子どもや母親の文章を載せました。(後略)

渡辺より 12.1

 こんばんは。また変わりばえのしない話なのですが、今度は知人のお姉さんが胃がんで手術する(胃の三分の二を切る)という話です。病理の検査結果を送ってきたとのことなので、近藤先生に相談に行くように言ったのです。案の定、近藤先生は「これから進行するけれど、何もしないほうが長生きできる」とおっしゃったそうです。でもお姉さんは何もしないことなど考えられず、手術すると言っているとのこと。

 私が最近出会ったがん患者さんは他人なので、治療法がおかしくても他人を思い通りに動かすことはできないと諦められるのですが、彼女の場合はお姉さんなのでなんとか説得したいと思って後遺症のことなども話したのですが、いくらお姉さんでも病院とか医者を信じているので無理かなと言っていました。病理の結果がでているのに、心臓病もあるという理由で1週間も検査入院するとのことなので、なんの検査をするのか聞くように言いましたが、医者がそういうなら入院しよう程度らしいです。近藤先生は検査といいながら胃を切ってしまう外科医もいるとおっしゃっていたとのこと。

 世の中はマスコミあげて早期発見を叫んでいるし、人びとは病院や医者が患者のためにならないことをするわけがないと思っている。ひどい目にあった人は医者を告発しても死んだ人は帰ってこないのだから、事を荒立てたくないと思っている。(そういう話ばかりです)。

 つまり手術死などの例から医療を告発するのは、被害者が語りたがらないのでむずかしそうです。例の手術死アンケートは150通くらい郵送したのですが、返ってきたのは5通くらいで、それも該当のケースではなく、がん治療の経験を書いたものなど。個人的に話を聞いたので書いてくれると思って渡した人からは1通も返事がありません。こうなると健康志向が非常に大きいものだということを示すアンケートを取って、医療幻想を反対側から照らし出す方法のほうが現実的かもしれません。

 近藤先生が「人間は自分を正当化したがる」とよくおっしゃいます。乳がんの修士論文を書いたときに、全摘してしまった人は全摘を正当化していると感じました。また、温存という方法があることをあとになって知ったときに嫉妬を感じる人もいるようです。手術死や抗がん剤死してしまった人の遺族も「必要な治療だった」と正当化しているのかもしれませんし、それ以前に医者の言うことを信じてその「死」自体を間違った手術のせいだと疑うことなく受け入れているのかもしれません。
 
 またまとまりがなくなってしまいました。これらのことを本に書きたいのですが、なにぶん遺族の気持ちを逆なですることなので、むずかしいと思います。

Dr.Aより 12.1

 こんばんは。

 手術で助かったと言う場合はがんもどきなのでしょう。それが、科学的に実証されないとこのようなケースに手術を思い止どまらせることは難しいでしょう。がんもどき理論が常識となるには10年位かかるのではないでしょうか。術後リンパ節に転移でもあると化学療法が待っていて副作用で苦しむことになる。皆さん経験しないとわかりませんね。必要のない手術、化学療法はかなり多いと言わざるをえません。通過障害に対してQOLの観点から手術をするというのならわかるのですが。

 私が癌になると治療拒否のケースが一例増えるのですが、脳梗塞じゃね。

 (中略)原稿書きは中断しています。構想はできているのですが、完成させるかどうかわかりません。脳梗塞のせいかどうかわかりませんが、持続力が落ちました。
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by lumokurago | 2011-03-01 20:50 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その20

 Dr.Aのファンのかたのためにできるだけ載せたいのですが、捜しあてるのが大変なうえ、いろいろと不穏なこと(!)も書いてあるので、掲載に適さない部分もあります(いままでけっこう過激なこと載せてましたね)。ちょっとさわりだけご紹介します。私ばかりが長く書いていますがご容赦を。 

渡辺より  11.19

 (前略)医療信仰は患者の側から言うと「不安」を自分で引き受けることができないということが大きいと思いました。彼女(ある患者さん)は「生きたい」というよりも「死ぬのがこわい」のだと言っていました。検査に意味がなくても不安だから受けると言っていました。私などは生き方自体が開き直っているので、もともと不安などをそれほど感じないのです。楽観的というのか、なんとかなるだろうと思っているのです。それで死ぬことになっても、それはそれで仕方がないとあきらめてしまうのです。私は変わっているので、一般的な考える材料にはならないように思いました。先生も変わっていますよね。脳梗塞を起こして、死んでもいいから手術はしたくない、なんて。なんででしょうね。

Dr.Aより  11.19

 こんばんは。犬はとても元気になり、先ほど散歩にも行けました。老犬なのによく全麻手術に耐えたと思います。メスで子宮筋腫に感染をおこしていました。このケースは手術が必要でした。

 がんもどきという概念が世に認められ常識となるにはずいぶん時間のかかることと思います。今のところ、人生に達観している人だけが真実を知って、余計な治療を避けることが出来ています。知的な人でも宗教心を持っている場合があります。医療信仰も同じように持つでしょう。その方も入信しているようですので、方針転換は難しいでしょう。それぞれの道を行くしかないように思います。

渡辺より  11.20

 こんばんは。犬が元気になったと聞いて私もうれしいです。先生の家のベランダの猫は何匹いるのですか? 世話が大変だと思います。

 今度は宗教心について考えなければならないようです。自分にはほとんど(まったく、かもしれません)なく、勉強もしたことがありません。うちの親はどういう親だったのか、子どもを初詣にも連れて行ったことがありませんでした。そのため私は神社などに行ってもおまいりしたことがありません。父の母の実家がお寺なので、父はそのお寺の住職(自分の叔父)とよくつきあっていましたが、お寺の話を子どもにすることはありませんでした。

 父はそのお寺にお墓を作ってほしいと言っていたらしく、私たちがお墓は作らないと言ったら、お寺の住職(父のつきあっていた住職の息子)がどうしても作ると言って断りきれませんでした。ただし遠いからお骨をいつでも東京に引き上げていいと言われていて、簡単な木の墓標しかありません。うちは妹にも子どもがいないので、お墓参りもすぐに途絶えてしまうと思います。そうなったらお墓はどうなるのかと聞いたら、ある年月が経ったら処分すると言われました。それならいいかなあと思ったのです。まあ、私もそんなにこだわらないほうなので、いまは母のお骨もそこに埋葬し、自分もそこに入ってもいいかとも思っています。無宗教なのにお寺に入ってもいいと言っているのですから無節操ですね。

 ですが、散骨とか樹木葬というのもたいそうすぎるという気がします。たしかに木の下で眠ったり、自分の好きだった自然の中に還るというととても気分がいいですが、私はもっと冷めているので、お骨に魂はないと思います。魂はもっと早くに体を離れ、上空にいるような気がします。父母の場合はまだこの家にいるような気がします。

 私は両親に関して、よく聞くように「夢の中でもいいから会いたい」などとはまったく思いません。亡くなったときには涙もほとんどでませんでした。父も母も施設に預けるときに泣き尽くしたからでしょう。もう十分生きたと言える歳でしたし、できることはすべてやったと思っているからでしょうか。気持ちがとてもさっぱりしています。

 それに対して6月に死んだ2歳になったばかりの猫については、生き返ってほしいとよく思います。私は全体に人間より動物が死んだというニュースのほうに反応しがちです。人間の子どもが交通事故で亡くなったなどというニュースには「かわいそうに。またか」程度にしか思いませんが、ヤンバルクイナの交通事故にはなんとかならないのかと思います。人間の犠牲だと思うからでしょうか。

 とりとめがなくなってきました。これから「ご近所」の宴会があるのででかけてきます。

Dr.Aより  11.20 

 今日は。猫は2階のベランダに2匹、母猫と子猫で横の車庫に子猫が二匹います。当院関連で、懐いているのはベランダの子猫だけです。他は近づくと逃げてしまいます。

 火葬の後の骨は燐酸カルシウムでゴミと同じなので、私の場合ですとゴミとして捨ててほしいと思います。法律上それはできませんから、海でも山でもよいので、捨てるようにばらまいてくれればよいと思っています。その場合、宗教的儀式は必要ありません。死後のことは、どうでもよいという考えです。

渡辺より  11.21

 あはは! やはり網野先生とは遺伝子が似ているのでしょうか。「死後のことはどうでもいい」というところを読んで笑ってしまいました。はっきり言うと私もそうです。死後の世界はないと思うし、輪廻転生ならそれはそれでいいと思うけれど、前世のことなど覚えているはずもないのでいまの私には関係ないなと思います。お墓もなにも死んだ人にわかるはずもないからどうでもいい。ぜんぶ遺された人のためにある概念なんでしょうね。死んだほうは肉体も魂もなくなって終わりだと思います。

 今日、友人の家でビデオプレスのインタビューのDVDをみていました。友人が網野先生は若々しいねと言っていました。あと、何回も笑って、こんなに本音を言う医者がいるのか、正直な人なんだねと言っていました。原発不明の骨転移で苦しんでいる知り合いにみせてあげたいと言っていました。その人は癌研で放射線治療を受けましたが、また痛みがでてきたそうです。丸山ワクチンをやっています。でも、知り合ったがん患者さんを全員思い通りに動かすわけにもいかないので見守るしかありません。

 猫のことを聞いたのはうちで飼えるかなと思ったのですが(ご飯をあげている野良猫がかわいそうなので、ほかの猫は飼えないと思っていたが、いつまでたってもなつかないので根気がなくなってきた)、捕まえるのは無理そうだし、うちに連れて来てもなつきそうにありませんね。いま来ている野良猫をもう少し根気強くならしてみます。私がつきあっていた非行少年とつきあうにも1にも2にも根気でした。猫をみながら彼らを思いだしています。
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by lumokurago | 2011-02-18 17:35 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その19

 お待たせしました。Dr.Aとのメールを再開してほしいというご希望がありましたので、過去メールを探して拾ってみました。18のつづきです。が、このあと私に相談された患者さんの話題や犬猫の話題などになっているため、掲載不適切です。あいだを拾ってなるべく掲載するようにしますね。

渡辺より  11.16

 こんばんは。医療信仰のつづきです。考えてみると私の両親の世代以上では、祖母が「灸焼きさま」と呼ばれるおばあちゃんにお灸をしてもらっていたことの延長で、医者を「医者さま」と呼び、「神様」に近いものとしてあがめたてまつっていた人が一般的だと思います。その段階では呪術に対すると同様のレベルでの信仰だったように思います。

 戦後になって結核に対するストレプトマイシンがでてきて、感染症は栄養状態の改善や清潔にすることによってすでに減っていたという事実を見ず、薬によって治せると思い込んだ人たちが医療信仰の基礎を築いた。感染症は薬によって減らすことができると誤解し、医学の進歩はすばらしいと思い込んだこと、これは当時としてはしかたのなかったことのようにも思えます。近藤先生も若いころは抗がん剤にある程度の希望をもっていたようだし、そのころは薬を信じていたかもしれません。先生はいつごろ結核死亡率の図の真実に気がついたのですか? 

 色平さんの記事にはストレプトマイシンに当時日本人が驚いたことは書いてあったけれど、結核がこれのおかげで減ったのではないことは書いてありませんでした。読んだとき、「医療への期待が高すぎる」と言いながら、真実を知らせることをしないのでずるいなあと思いました。佐久病院が否定されることを避けるためでしょうか。矛盾しています。

 近藤先生の本を読んでも、抗がん剤で治るがんがでてきて、医者自身がほかのがんも治るのではないかと期待し、その期待が裏切られ、そこで二つに分かれるのだと思うのです。がんは老化だから治せないと考える医者と、それでも治そうとして研究をつづける医者と。それでも治そうとする医者は心底医学が進歩することを信じているのか、それとも金儲け(自分の仕事をなくさない)のためなのか?

 患者の側からすると死にたくない一心なのか、死を受け入れるのかで医療への期待が変わってきます。また、医者を信じるかどうか。普通は信じているので無謀な手術もされてしまうのですよね。今日来たヘルパーさんに聞いた話では、お父さんが胃がん、大腸がん、前立腺がん、肺がんと4回もがんにかかったそうです。胃がん、大腸がんでは胃を全部取って、大腸も切除し、前立腺がんは進行していたので放射線治療、いまは肺がんがわかって2年ほどだそうですが、いままでの手術が大変で特に食べられなくて大変になってしまったので、今回は手術はしていないそうです。そのように経験してわかるということはありますが、それでは遅すぎですよね。食べられなくて大変な思いをしても、がんだったのだから仕方ないと思ってしまうと思います。手術しないほうがよかったかもしれないというところまでは考えないと思います。

 いま考えられるのは、医者は信用できないので、患者の知識を増やして無謀な手術を断るというほうが早いのかと思います。だからやっぱり患者の声を集めなければということになるかな。でも、いつかも言いましたが語りたくない人が多いようですね。

 だらだらとまとまりませんが、考え途中ということで送ります。  

Dr.Aより  11.16
 
 こんばんは。私は脳梗塞に対して手術を勧められたのですが、断りました。何故かと考えますと、人生に未練はなかったのですね。この選択で死んでもかまわないと担当医などに言いました。もう最終のステージに来ていると思いましたので、生きるために冒険をする必要はないし、他人に頭の中をいじられるのも嫌だった。しかし、その結果死ぬとも思わなかった。精神的には余裕がありました。死ぬときはそう分かる場合がほとんどであるという患者さんの経験を知ってましたし、私の今回の事件ではそういう感じがなかったのですね。医者だから余裕があるのだと考える人がいるかもしれませんが、医者であろうとなかろうと人生に対する心構えで、自らに対して客観性を保てるかどうかが決まるような気がします。医療の罠にはまっていく人は、余裕をなくしているのでしょう。

 泰阜村ではいろいろな本を読む時間に恵まれまして、その中に例の結核の推移の図があったのです。そのほか読むべきだったが読んでいなかった資本論の第一巻を読むことができました。インターネットが普及する前だったのですが、パソコン通信でアメリカのデーターベースに電話回線で繋ぐこともできたので、常に新しい医学知識を手に入れることができました。いろいろな意味で人生には余裕が必要ですね。

渡辺より  11.17

 こんばんは。お返事ありがとうございます。そういえば先生の脳のMRI写真をみようと思って佐藤医院のHPをみたのですが、みつけられませんでした。

 「余裕」はいまの日本において最も手に入れることがむずかしいものだと思います。子どもたちは特にそうですが、大人も時間的にも精神的にも追い詰められていると思います。むかしを懐かしんでもしかたないけど、仕事上で思い出すと、一番余裕のない母子家庭を例にとっても、給料は少なくてもむかしはなぜかいまよりずっとずっと余裕がありました。父親のいる家庭もいまのように帰りが遅くはなかったと思います。

 話は飛びますが、効率を重要視するようになってから余裕がなくなったと思います。もっともっと物をたくさん作ってたくさん売って儲けたいという思いが余裕をなくしました。それほどお金はいらない、家族が質素に暮らしていければそれでいい、と思えば、余裕のある暮らしをつづけることができたと思います。人間の進歩主義が社会を変えてしまったのですね。人間の欲望は果てしないと言いますが、ほんとうにそうなのか? 自分の頭で考えて、一番大切なものを大切にしていれば、物はそんなにいらない、という考えになると思います。などと言っている私の家にも物があふれていますが・・・。

 なんちゃって、「いい人」が1回80万円もの講演料をもらい、豪邸を建てるのですから、私の説などふっとんでしまいますね。たぶん鎌田さんに余裕はないでしょう。

Dr.Aより  11.17

 こんばんは。家族の一員である犬が今夜、緊急に手術ということになり、我が家は少し静かで、事の成り行きを見守っているという状況です。ベランダの子猫は育って中猫になりました。

 私の脳の画像はホームページにあります。
http://homepage1.nifty.com/drsatou/index.html  (注:脳梗塞顛末記のなかにある)

【追記】犬の手術は成功し、元気にしているそうです。

 Dr.Aとのメールその18はこちら
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by lumokurago | 2011-02-11 12:54 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメール 番外編 その3

 ひとあしさんの「ICDを埋め込んだのは良かったのか?」について、Dr.Aとメールを交わしました。医師の本音を聞く機会はほとんどありませんので、ここに掲載させていただきます。

*****

Dr.Aより

 私も、病院では死なせられない医者で、無理な医療をしていたのです。ですから、批判する資格はありません。方法としては、医療を医者任せにするのではなく、行ってはならない医療規則を国ないし自治体で作り、医者も患者も従うようにするのです。例えば高齢者における透析や、ガンの治療は行わないとかですね。検診もRCT(くじ引き試験)で総死亡率が低下したものに限るとか。差別といわれそうですが、思い切って制度を作ったほうがよいと思います。医療費を削って福祉に回すと日本もよくなるでしょう。

渡辺より

 規則をつくるという先生のご意見は意外なものでした。そこまでしないと無理ということでしょうか。そのまえに人びとの感覚を変える必要があると思います。

 昨日ご紹介した方ですが、お父様のICDが3回作動したら救急車を呼ぶようにと主治医に言われていたそうです。お母様が最期を察して救急車を呼ばなかったことを、お父様が亡くなられて2年半も苦しんでいたそうです。私が救急車を呼ぶかどうかはお母様の判断でよかったのだと言ったら、その苦しみがなくなったと喜んでいました。

 医者の命令は絶対と思い込んでいるのですね。(中略)尊厳死=延命治療の拒否は知られてきていると思っていたのですが、まだまだのようです。私も母のみならず父のときにも、医者のいうことをきかず、自分の意志を通したことが何度もありましたが、それも近藤先生を知っていたからで、自分ががんにならなければそこまでの知識もなく、行動もできなかったと思います。医療は幻想であるという知識を伝え、高齢になったらなにもしないほうが安らかに死ねるのだということを広める必要があります。

Dr.Aより

 だいぶ前になりますが、イギリスで白血病の少女の治療を行うべきか否かについて議論がありました。彼女は二回目の治療で、イギリスのNHS(national health serviceー国民医療サービス)は治療を拒否しました。医療の国家管理がここまで厳しいとは知りませんでしたが、資源が有限である以上、やむを得ないと私は納得しました。結局、彼女はNHSと関係のない医療機関で治療を受け寛解したとのことです。

 私も何人か白血病の治療を経験しましたが、第一回目は容易に寛解に持ち込めるのですが2回目以降は寛解に再導入するのが困難でした。今は、治療法が進んでいるのでしょうが、かなり費用が高くなりますね。人間には諦めも必要で、医者も患者も諦められないときは社会的規則に従うしかないように思います。

 心臓も止まりそうになっているのでしたら、無理に鞭を打つ必要はないように思います。医者も患者もわがままでしょうから、社会的基準を決めましょう。とりあえず、新薬や新技術を使用するときは、保険者の了解を得るようにするとよいとおもいます。そうしないと医療費は青天井に上がっていきます。

渡辺より 

 映画「シッコ」(マイケル・ムーア監督)を見た限りではイギリスの健康保険は至れり尽くせりだと思いましたが(病院への交通費まで面倒みてくれていた)、そんなことがあったのですか。まったく知りませんでした。

 いま沖縄の少女がアメリカで心臓移植を受けたいとのことで、沖縄タイムスで募金を募集しています。目標額は1億5000万円。もう1億円以上集まっているとのこと。その子にはかわいそうだけど、美談記事です。

*****

 網野医師は『満足死宣言』(日本評論社2000)に「臓器移植は必要か」という文章を書いています。

 1997年、臓器移植法が施行されて1年4ヵ月後の1999年2月28日、日本ではじめての脳死者からの臓器移植が行われました。それから半年のあいだに4例の脳死臓器移植が行われましたが、99年6月9日に交通事故で脳死状態になった宮城県の青年は、ドナーカードを持っていたために、移植を前提として十分な救命治療が行われなかった可能性が強いのです。(カギカッコ内は『満足死宣言』からの引用です)。

 「臓器移植は『死』を期待する矛盾した医療である。慢性疾患に苦しむ患者を前にして、彼に同情する医師は密かに他のだれかの死を望み、他のだれかの臓器を欲している。(中略)宮城県のケースでは病院到着時、ビニール袋に纏められた彼の持ち物の中で、なぜかドナーカードだけが目立つ位置に入れられていたという。(中略)このため、彼は入院時に早々と、患者としてよりもドナーと見做されていた可能性が非常に高い。医師だけでなく日本の一般社会も、他人の「死」を求めるという恐ろしい状況になってしまっていることが想像される。すなわち、ドナーカードは「死」の切符になりうるということを、宮城県の事件は証明したといえるのではないだろうか」

 網野医師は、1968年、和田教授による日本初の心臓移植が行われたとき、その札幌医科大学の学生でした。

 「生きた心臓でなければ移植は不可能である。そこで脳死を人の死としなければならなくなったわけであるが、当時の日本においては脳死の定義も明確に決まっていない状況であった。和田移植では脳波の平坦になったことを確認したあと、心臓を取り出したことになっているが、脳波の測定をしたとされる医師がタイミングよく死亡したため、真相は闇の中へ葬られてしまった」

 移植を受けたレシピエントは網野医師の指導教官だった宮原教授の患者だったそうです。宮原教授は患者が移植手術を受けたことに驚愕されたということで、授業で「僧帽弁の置換手術を依頼しただけ」とおっしゃったそうです。

 「全般的にいえることであるが、現代医療は死を認めることができないのである。また、個と全体を統一した観点から、医療自体を眺めることも不得手である。その結果、近視眼的な個に対する医療をやみくもに提供しがちなのである。当然、有効性の不明確な医療技術も使用される。それは医療者にとって実験ではなく、「やむをえない医療処置」として認識されることが多い。無意味な悪あがきをしているという意識はなく、医療者の視野は極端に狭まっている。そして、未来にどんな問題が生じようとも、とりあえず現在の危機を乗り越えようと延命作業に熱中するのである。移植医療の抱える問題も同様である。慢性期の厳しい拒絶反応や免疫抑制剤の副作用は患者のQOLを極端に低下させ、結果として多くの臓器が拒絶されているという現実に医療者は目を背けている。

 一種の共食いともいえる移植医療は、人間にとって本当に必要なのだろうか。人類は他人の死を前提とした医療を認めるべきなのだろうか。これらに関して、一部の専門家に任せておくのではなく、幅広い国民的議論が起こることが望ましいと想う。

 私は、脳死を死とする必要性はまったくないと考えている。その理由はすでに示したとおりである。私は脳死および脳死者からの臓器移植に反対である」 (『満足死宣言』P.30~48)

 昨年、本人の意志がなくとも家族がOKすれば脳死からの移植を認める法律が施行されました。報道によればかなり多くの家族がこの法律によって患者の臓器を提供しています。

 しかし、心臓はどこどこ病院へ、肝臓はなになに大学へ、腎臓は・・・という記事を読んで違和感、嫌悪感を抱いたのは私だけではないでしょう。人間の臓器は部品なのか? 人間はロボットと同じなのか? そして人間は神なのでしょうか?
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by lumokurago | 2011-01-30 17:53 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その18

渡辺より  11.11

 (前略)従妹が子宮頚がんの術後検査に慶応(婦人科)に通っているのですが、「2年経ったからそろそろCTを撮ってみますか?」とおそるおそる聞かれたそうです。そのときはその態度の意味がわからなかったけれど、後で近藤先生の文春の記事をみつけて読んで、担当医は最初に近藤先生に相談に行ったことを覚えているのだなと納得したそうです。CTは予約したけれど、どうしようかなと言っていました。

 ところで、父は昔のことですが、若月さんの『信州に上医あり』を読んで感激していました。私は読んでいません。若月さんはすばらしい医者ということになっていますよね。真実を知って、「現場の話を聞かなければ人というものはわからないものだ」とまたまた思いました。

 鎌田さんも同じですね。私はたまたま松村さんとの往復書簡を読んで変だと思ったけれど、巷では「すばらしい医者」ということになっています。いわゆる「いい人」なのだと思いますが、豪邸の写真を年賀状に載せるとは! それに講演料が80万円とは! 人間が腐ってますね。「いい人」なので気がつかないのか? そんなことはありえませんよね。同窓などということはまったく関係ないです。同窓で批判すべき人はたくさんいますので。例えば藤原正彦(国家の品格)もそうですし。どんどん批判してください。(後略)
 
Dr.Aより 11.11
 
 こんばんは。CTの件は今度出る近藤先生の本を読んで決めるとよいのではないでしょうか。「あなたのがんはがんもどき」でしたね。12月の会でもほしい方にはプレゼントしたいと思っています。CTは必要ないと思いますけどね。(追記:近藤先生の診察のときに聞いたら、「必要ない」とのことでした)。

 若月さんの悪口を言うのは東京では私くらいでしょう。以前、ある雑誌の編集者に批判めいたことを言ったら反発されてしまいました。若月さんが農民からの収奪で佐久病院という城を築いたといわれたら若月信者はみな怒りますでしょう。南佐久が豊かになり健康な村々に変わって行ったのは医療や若月さんのおかげではありません。日本の経済発展、農村の都市化が原因であると私は主張しました。医療で地域を変革することはできないというのは私の信念です。左翼は医療を利用して変えていこうとする。それが間違っているといいたいわけです。人間の弱い部分、医療への信仰心を利用していますのでね。そして、医療の有効性は無視されます。彼らにとっては革命が起こればいいのでしょう。

 あるいは、若月さんのように地域を支配し、自分の銅像を建てさせ、若月賞を創って名を後世に残そうとする。費用は医療や検診で稼ぐ。そのために幻想を植え付けていく。この理屈が分からないと佐久病院や、共産党系の病院の欺瞞を見破ることができないのですね。人間は虚像はいくらでも作れます。東大ではマルクス主義者で、目白警察署に留置され、転向したことは勲章になっている。過去を美化し勲章のように飾るのは権力者の常でしょうか。

 若月さんは、長野の系列病院の組合運動を潰したこともあるのです。皆さんよく見えるところしかしらないとは思いますが。先週一緒に飲んだ仲間の一人が医者ですが当時の運動のリーダーだったのです。若月さんという人はご都合主義も甚だしいという人物評でした。

 12月はこんな話はしないほうがよいでしょうね。若月信者も来るでしょうし、共産系や、全共闘系もいるかもしれない。

 長野から来る医者は、全共闘ですね。先週、仙谷の悪口を言ったら目がうつろでしたので。仙谷さんは東大全共闘ですね。しかし、嫌なやつだ。恫喝の仕方がね。スマートじゃないのですね。これじゃナショナリズムを強めるだけです。(後略)

渡辺より 11.12
 
 こんばんは。今日は近藤先生の診察に行ってきました。10:30から生田さんの裁判(最高裁裏金裁判)があったので、もうやめようかとも思い迷いましたが、9:00に近藤先生のところに行ったら9:15には呼ばれ(ほんとうに助かります)、おしゃべりしてきました。ちょうどメールで乳がんの患者さんが近藤先生に聞いてほしいということもあったので。あと、まったく関係ありませんが、「性悪説? 性善説?」について聞きました。このことについて明日別荘の催しでシール投票をすることになっていて、友人がぜひ聞いてきてと言ったからです。近藤先生も性悪説で、理由は医療をみているとどうしてもそうなるとのことでした。網野先生も性悪説のほうに入れておきます。私の友人のあいだにお二人のファンが増えているのです。

 慶応病院から四谷三丁目まで歩き、地下鉄で霞ヶ関まで行って裁判を傍聴し、また電車で帰ってきました。それだけ歩くと、身体のバランスが悪くなって、ふらふらになります。なんででしょう? 

 若月さんのこと、なるほど。読めば読むほど納得できます。私も性悪説だからでしょう。そういう人間(ないし党)のいやらしさをたくさん見てきたからでしょう。といっても、同じ場所にいても、見抜く人とそうでない人に分かれます。繰り返しになりますが、見抜けない人というのはやはり「いい人」ですね。「いい人」は憎めないけれど、困り者です。自分が党派などに利用されてもなにも気付かないし、いいことをやっていると思い込んでいます。それにしても世の中にまともなことなんてあるのか? 私利私欲でなく、人を利用することもせず、真実を求めてまっすぐの道をゆく・・・というとやはり近藤先生かな(笑)。そういえば、文春の来月号か再来月号にまた、抗がん剤・分子標的薬は効かないという論文が掲載されるそうです。
 
渡辺より  11.13

 こんばんは。別荘で屋台の食べ物の店などのお祭りをやって、さきほど帰ってきました。座っているだけは疲れます。バタンキューです。
 性善説vs性悪説は私の予想に反して、性善説が圧倒的でした。性悪説は網野先生、近藤先生、私のほかには2人。つまりその場ではたった3人。性善説は12人。みんな、人間はよいものと思いたい、希望を持ちたいんですね。理由も書いてもらったのですが、それを読んでいてつくづく「いい人」が多いし、相手にも「いい人」を期待するんだと思いました。(中略)投票してくれるのは知り合いが多かったので、今度はまったく知らない人のあいだでやったらどんな結果がでるでしょうか。私は知り合いにはもっと人間を冷静に客観的にみる人が多いかと思っていました。(彼ら・彼女らでさえそうなので)一般の人のなかでは、もっともっと性善説が多いような気がします。

Dr.Aより 11.13
 
 こんにちは。新聞切り抜きが届きました。一応読んでみましたが、やはり色平さんとは認識の違いがあることが分かりました。彼は基本的に進歩主義者ですね。医学は進歩の途上にあると考えているようです。

 結核は町が都市化したために農村型から都市型へと変化し都市で爆発的に増え、自然淘汰で減少して行ったのであって、抗生物質が効いたからではないことは常識です。有名なのはイギリスの呼吸器結核死亡率の推移を示した図で、その減少勾配に医学は影響を与えていないということがわかります。なにせ、コッホの結核菌発見の時点、すでに結核死亡は半減していたのですね。

 日本は違うという人が多いですが、死亡率のグラフを作ってみると、第二次大戦終了まで日本人の結核死亡率は低下していません。タイミングよくこの頃にストマイが世に出たので薬の効果という人が多いのですが、私は環境の変化と自然淘汰と考えます。戦争は日本人に多くの犠牲を強いたのです。この結核に対する評価の違いが、医師が医学医療信仰に陥るかどうかを決めると思います。

 BCGができたのもこの頃ですが、これが無効であることはすでに証明されています。にもかかわらず日本の結核学者は乳児への接種を推奨している。根拠は薄弱ですが、愚かにも全員接種が続いています。

 CTやMRIなどの診断の進歩は医療商人を儲けさせました。また、見落としてならないことは早期発見信仰が人々に植えつけられたことです。遺伝子治療も医療商人を肥え太らせるでしょう。問題は否定すべき事柄をあいまいにせず、きちんと否定できるかどうかであるように思われます。

 国民皆保険の運動に若月さんも加わったでしょうが、根本的には日本が貧しさから抜け出し農村も経済的余裕を持ったことが大きいと思います。これを一個人の功績と考えるのは間違っている。医療ユートピアはありえないはずで、それが南佐久で曲がりなりにもできたのは、医療幻想を農民が抱いたことと、戦後の経済復興が要因として大であると思います。医療幻想を植え付けたのは若月さんや佐久病院であることを忘れてはなりません。

 若月という人の虚像に魅せられて信州に行く医者が多いですが、実像に愕然として去る者もいれば、方向転換する人も多いようです。色平さんが続けていられるのは医療幻想、病院幻想を否定できないからだと思います。

 死は人間にとって基本的には受け入れられないことで、問題はそれが医療化され商品化されていることでしょう。医療側にとっては、死を治せないとなると都合が悪いのです。そこで治せる振りをするのです。医療信仰の根源は患者側ではなく医療者側にあります。

渡辺より  11.14

 こんばんは。結核死亡率の図は近藤先生がむかし講演で使っていました。たしか聴衆に結核死亡が減ったのはなぜかとクイズをだし、多くの人が薬の効果と答えたと記憶しています。種明かしをしたあと、さらに一般の人よりも医学生のほうが薬の効果と答える率が高いとおっしゃっていました。種明かしをすると学生はあきらかにがっかりしいやな顔をするそうです。自分の志す仕事を否定されたわけですから。

 昨日のつづきですが、性善説の人が多いのは、「人間っていいもんだ」と思いたいからのようです。
 
性善説の理由

1、もちろん性善説。生まれたとき悪人なんかいないよ! だからみんな大好きだよ。
2、よくなりたいと望んでいる限り。
3、どこまで行ってもカケラのような「善」の残るかぎりは、そうです。
4、性善説を信じたいです。弱い時に一時的にいじわるになる事があるとしても・・・
5、この私を見て下さい。言わずもがな。人間っていいヨ。
6、不幸にも、愛されたことのない人、あるいは愛されたことがないと思い込んだ人が、性悪説になると思う。I love you.
7、今まで心底わるいひとに会ったことはない。
8、性善説を信じて生きたい!
9、ルイ:ダックス6歳:完全性善説者=その方が幸せ。
10、性善説じゃなきゃいやだ!!と思って生きているから、次々と山がたちはだかるのかも。でも善を信じている。

性悪説の理由

1、最近の政治やマスメディアの動向(world wideに)をみて性悪説になりました。
2、人間の欲ははかりしれない闇の中  渡辺容子
3、医療の世界を考えるとそうなるしかない。 近藤誠(代筆:意見聴取済み)
4、医学界を考えると・・・。 網野晧之(代筆:意見聴取済み)

 どう考えても性善説は甘い、世の中のことを何もわかってないと言いたくなってしまいます。佐久病院や若月さんの本質を見抜けなかったり、医療幻想を否定できないのも、非科学的ということもありますが、同時に「人間っていいな」の枠から抜け出すことができない=常識の枠から抜け出せないためだと思うのです。いつか先生もおっしゃっていましたが、頭のよしあしではなく、発想の転換ができるかどうかですね。

 「善」という言葉はどうしてそんなに人を惹きつけるのでしょうか? 近藤先生が「惻隠の心」 の例をあげ、おぼれている子どもを助けたくても、自分がおぼれてしまっては助けられないと言っていました。客観的な条件を無視して、おぼれている子どもを助けたい一心になってしまうのが「善」だと思います。

 こう考えてくると、性善説、性悪説って物事を理解するための重要なポイントだということになりますね。
 
Dr.Aより  11.14
 
 こんばんは。大変お疲れ様でした。人間は善であるべきなのでしょうね。ところが、医学会などを見ているとそうではないので、疑問を持つわけなのです。しがらみや癒着の構造の中で人間はうごめいている。命に関わる分野でさえ性善説が通用しないのですから、社会一般はなおさらなのではないかと考えるのですね。これはニヒリズムではないと思います。我々は戦っていますから。(後略)

渡辺より  11.15

 こんばんは。おっしゃる通りだと思います。性善説の人達は「悪」を言うと、「人間っていいもんだ」を否定されて夢を打ち砕かれるようですが、「悪」は「悪」としてみすえなければなりません。人間には厳しさも必要です。性悪説の立場をとっているからといって、「人間っていいもんだ」を完全否定しているわけではありません。白か黒かではないのですよね。(後略)
 
 (ある友人から次の本の企画書に関連して)医療信仰は教祖・教団があるだけではなく、信者がいるから成り立つのであって、信者の責任も大きいと指摘がありました。でも素人は専門知識がないのでだまされやすいですね。がんの場合は近藤先生の情報公開があるけど、一般の病気の場合はどうやって教祖の欺瞞を見抜くのか、とてもむずかしいと思います。また、考えてメールします。

Dr.Aより  11.15
 
 医療信仰では、教会が病院に変わっており、神父の代わりを医者が務めています。信者は患者で、医療というひとつの構造が成立しています。その中でそれぞれの関係が生じているのでしょう。このように構造化された状況では、どちらが、あるいはどの要素が問題であるとか、悪いとかではなく、構造そのものに対して分析を加えていく必要があるように思います。その結果、医療は宗教なのだという結論に至れば大変結構なことです。また、患者すべてが信者ではなく、中には異教徒や宗教そのものを否定するものもいるという事実が興味を惹きますね。さらに、医療構造における権力関係の分析をすると面白いでしょう。医者と患者の関係は単に医者が強権的なだけでなく、患者も権力を持っており、医者も従わざるを得ない状況が生まれているでしょう。
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by lumokurago | 2010-11-23 08:42 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その17

 「その16」のあと、しばらくの間、個人的な話題が多く掲載に適しませんので省略します。次のメールもがんの手術を受けた人たちについてで、遺族や死者を批判するのは申し訳ないと思うのですが、一般論としてお読みください。

渡辺より  10.17

 (前略)近藤先生は先日の取材のとき、医療改革はもう無理だと思うとおっしゃっていました。でも、こんな話(原発がんを切除し、転移がんも次々に切除した)を聞くとそうも言っていられません。やっぱり患者が声をあげるのが一番だと思います。けど、その話をしてくれた人(遺族)もそれらの手術をしなければ(患者は)もっと早く亡くなったと思うと言っていました。手術しないほうがよかったのでは、とはとても言いにくいです。けれど、言わなければなりません。近藤先生はずっとこういうことを言い続けてきたので、やっぱりすごいと思います。(後略)

Dr.Aより 10.17

 (前略)癌はもどきかどうかが問題なので、それが判るとよいのですね。そして、真性であろうともどきであろうと放置でよいということが理解できればなおよいのでしょう。ただ、QOLの観点から手術が必要な場合があるかも知れませんが、治癒を目指す手術は無謀です。このあたりが認められていくと医学もだいぶかわるのですが。素人さんには説明するのは困難でしょう。医療信仰が根強いですからね。

【注】12月に近藤誠医師の『あなたのがんはがんもどき』が刊行されます。ほんもののがんはごく初期に転移するものは転移し(これが命取りになる)、転移しない「がんもどき」はいつまでたっても転移しない(命に別条なし)、という説を信じられない方はぜひお読みください。

★話題は変わりまして、Dr.Aが長野時代の医者仲間で早い忘年会があったそうで、その返信から。

渡辺より  11.9

 こんばんは。ちょうど、東京新聞に佐久総合病院地域ケア科医長・色平哲郎さんの記事が載っていました。先生の話を聞いているので佐久病院はどうなのかなと思いますが、色平さん自身はおもしろい人のようです。世界を放浪し、「途上国と日本ではどちらが貧しいのか、豊かなのか」と思ったそうです。医学ではなく、もっと社会がよくなればという思いで地域医療に身を投じ、長野県の南相木村の診療所で10年を過ごした後、佐久病院へ。佐久病院というのはひっかかりますが、一応記事をお送りします(郵便)。

 東京新聞といえば、もうひとつおもしろい記事がありました。「時代を読む」というコラムで浜矩子さんの執筆です。かの国とこの国の民主党の大敗をくらべ、同じ「こんなはずじゃなかった」という構図に見えるが、質的には正反対ではないか。この国の民主党の場合は、「こんな」の中身は「言ってたことと違うじゃないか」ということで、「大いなる変革に大いなる期待をかけた人びとは、次第に旧態依然のふちにずり落ちていく政治家たちの姿にがくぜんとした」。それに対してかの国では「医療制度改革に、金融制度改革に、イランとの関係改善の試みに、核廃絶に。旧態依然どころか、次々にちょっと前までのアメリカとはあまりにも違う方向性を持った変革へと突き進んでいく」。「言っていることとやっていることがあまりにも一致しすぎているから、人々の怖気を買った」。

 そして浜さんはかの国を(ティーパーティの台頭を許したことで)、「徹底的に自分のことしか考えない一国主義。強い者が勝ちさえすればいいと思いこむ市場原理主義」と言い切るのです。読んですかっとしましたよ。

 オバマ大統領については核廃絶を言いながら、核実験を行っており、浜さんの評価にはにわかに賛成できないところも多いのですが、ブッシュよりましなことは事実です。ティーパーティはあまりにも自己中であり、民主党が大敗したことは残念です。そしてこちらの国の政治家のあまりの無能力、幼さには絶句するしかありません。

Dr .Aより  11.9

 こんばんは。色平という人物は一度だけ話をしたことがあるのですが、よく分からないというのが本当のところです。彼の原点は東南アジアの仏教かな。私が違和感を持ったのは、二項対立の図式で日本と東南アジアを比較し、優劣をつけていることです。そのまま現地で出家したほうが良かったのではないかと思います。彼には社会性が欠けているから、佐久病院OK検診OKと、医療に問題が存在することは分かっているでしょうが、否定は絶対にしないのですね。私に言わせれば、「頑張らない」の鎌田と同じくずるいやつで風見鶏ということになります。

 日本の民主党も風見鶏がトップにいますので、あちこち向いていますね。菅には哲学が欠けているので、元全共闘で毛沢東野郎のでしゃばりを許している。哲学はなくても国民に隠さなければ良いのですが、中国に媚びるのは私の世代の一部に見られる困った現象です。

 アメリカのオバマは現代の閉塞状況を抜け出すために支配層によって選ばれたのだと思っています。国民皆保険は当然必要で、今まで通らなかったことがおかしい。ロックフェラーなどの支配層と取引したのでしょう。国民のことはどうでも良い支配者たちは、経済がうまく運ばないので、すでに次の大統領を誰にするかを考えている。まず、オバマはだめだとしなければならない。中間選挙で決定的になりましたね。アフガニスタンは失敗したので、次はどこが戦場と決まるでしょうか。朝鮮かビルマか尖閣諸島か。

 日本もやばくなってくるでしょう。戦闘の機械化で兵は若い必要はないから、徴兵制を復活させ団塊の世代を戦場に送り込むと良いかも知れない。人口問題が一気に片付くというわけです。(後略)

渡辺より  11.10

 こんばんは。色平さんにお会いになったことがおありなのですね。記事、必要なかったかもしれませんが、郵送しました。佐久病院に行ったのでは診療所の体験が生かされていないような気がします。

 鎌田さんですが、高校が私と同じで、同窓会の便りにでていたことがあります。苦学したというような話だったと思います。興味がなかったので「がんばらない」は読んだことがありませんが、イデアフォー(乳がん患者団体)の松村さんとの往復書簡の載った本を読んだことがあります。松村さんはすでにあちこちに転移していたのですが、鎌田さんは「治らない」という事実を認めず(あるいはごまかして)、何か治る方法(民間療法含む)がないかと模索?!し、希望をもたせようとしていて、とてもとても違和感を感じました。というよりもあきれはてました。これで医者と言えるのか?

 私だったら文通を途中でやめたと思います。そういえば、このあいだの『がんサポート』にも対談が載っていました。「がんばらない、あきらめない」というコーナーです。「あきらめる」を信条とするのはやはり少数派のようですね。(中略)

 アメリカについてはそうですね。おっしゃる通りと思います。性悪説だと言っていながらやはり人がいいので、ついつい忘れてしまいがちですが、支配層が戦争をやらずにいられない国だということがすべてだと思います。オバマ大統領個人のほんとうの考えはわかりませんが、本気で核廃絶に進めば暗殺されてしまう。というよりも穏便に落選でしょうか。

 アメリカが自由な国だとか、民主主義だとか、行ったことがないのでほんとうのところはわかりませんが、支配層の欲する戦争をやめさせることができないというその一点で、日本のほうがましかなと思います。日本も戦争に加担していて、やめさせることはできないけれど、少なくとも自分からしかけているのではありません。でもこれから危ないですね。過去のことを考えると、いつなんどき同じことを繰り返すかわかりません。ばかで危ない国民なので! アメリカをみているとどこの国民も同じかな?

Dr .Aより 11.10

 こんばんは。色平さんは最初佐久病院にいたのではなかったかしら。病院の支配下にある南佐久の自治体立の診療所にいた頃会いました。当時、南佐久の自治体は佐久病院にお伺いを立てないと診療所の医師を決めることもできなかったのですね。検診はヘルススクリーニングといって佐久病院が専門に行っていたでしょう。若月という左翼崩れの帝王が君臨していました。そういう体制や、検診を批判できない医師は医療幻想も結局は肯定するのではないでしょうか。

 鎌田さんが同窓とは驚きました。苦学したのだろうけど、当時は裕福な家庭はごく一部でみな貧しかった。優秀であっても大学に行けない子もいましたが彼は立派に東京医科歯科大を出ている。しかし、大衆迎合的な姿勢はいただけません。人々が医療を欲しているのではなく、医療者側が押し売りしていることが彼は理解できていない。医療性善説の人なのですね。それでチェルノブイリやイラクにも出かけたのでしょう。

 虚栄心はみな持っていますが、彼は特に強い。最初にそれを感じたのは、彼の立派な豪邸の写った年賀状をもらったときです。今、彼の講演は一回80万円とか、先週会った長野の連中が言っていました。医者じゃなくタレントだからいいでしょうがね。何故か、批判になってしまいました。立派な先輩をけなしたりしてごめんなさい。(後略)
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by lumokurago | 2010-11-16 13:38 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その16

渡辺より  9.29

 こんばんは。さきほど友人から、タクシーに乗ったときの運転手さんが末期がんだから相談に乗ってあげて、と言われ、「そんなこと言われても困るなあ」と思いつつ、電話してみたら、数日前にとつぜん大腸がんが肝臓に転移した末期がんだとわかったところだというのに、「抗がん剤治療を勧められたが断るつもり。痛くなったときのためにホスピスを探したい」とおっしゃるので驚きました。

 51歳の男性で家族は妻と27歳のお嬢さん。奥さまがパニックらしいです。でもご本人は落ち着き払っていました。こういう人もいるんですね。ホスピスと言ってもまだ元気なのですぐに入院するわけではないので、結局在宅医を探したいという意味だったのです。武蔵野市吉祥寺在住。母の往診医は近いけど、頼りないので推薦できませんね。

 友人は私のことを「死にそうだったのにまだ生きてる人がいる」と紹介したらしいので、その文脈で話されたら、「あなたはもう治りません」と私が言うのはつらいなあと思っていたら、まったくそうではなかったので助かりました。が、途中ではお医者さんが「治りません」と言わなければならない時の気持ちを少し味わいました。

 ところで、母を見ていてうつ病にならないのは、ヘルパーさんがいてくれて「ひとり」ではないからだと思います。介護殺人は介護される人とする人の二人きりでいるからではないでしょうか。清水由希子さんの自殺もありました。痴呆老人は社会でみる(ついでに子どもは社会で育てる)ことが必要だと思います。(後略)

【追記】このタクシーの運転手さんについてタクシーの仕事をしている友人に話したところ、「その人の気持ちはよくわかる。タクシー運転手はほとんどがいつ死んでもいいと思っていると思う。きつい仕事なのにお客が減る一方でお先真っ暗だから」と言っていました。

Dr.Aより  9.30

 食事がおいしく食べられると生きている価値がありますかね。この歳(私の)になると、食欲だけが突出しているように思われます。本日病院受診で、MRIとMRAをデジカメで撮ってきてパソコンに保存しました。まあ広範囲にやられていること。左脳はきれいですが、右脳はめちゃくちゃですね。上昇中の気分が久しぶりに落ち込みました。しかし、食欲はしっかりあります。

 そのタクシーの運転手さんはすごいですね。心の整理ができているのでしょう。

 きのうの続きですが、私はだまされて死ぬのは嫌ですね。真実に少しでも近づいて死にたいです。ここ数日超音波検査で右の鎖骨下動脈を見ていますと、動脈の壁に血栓の素がへばりついているのを発見しました。なるほど、これが原因かと、分かって納得、再発必発と。妙に安心しています。一年以内の再発率14%だというのですから仕方なし。(後略)

渡辺より  10.1

 こんばんは。食事がおいしいのが一番です。私はヘルパーさんの「たくさん食べさせよう」という努力のおかげか、近所のごちそうを運んでくれる友人のためか、いまごろになってヒスロンの副作用がでたのか、体重が元に戻りました。入院中の41㎏がいまは48㎏です。(中略)

 ところで、新石垣空港の工事現場(白保)で2万年前の人骨が発見されました(裁判では学問的価値から保存を求めている)。沖縄タイムスに記事が載りましたので、簡単に要約します。

 日本人のルーツについては、いわゆる2重構造説が有力視されている。約1万2千年前から日本列島全域には縄文人がいたが、2500年前から弥生人が渡来する。この人びとの混血によって日本人の基礎集団ができたという考えだが、沖縄と北海道(アイヌ)は縄文の影響を色濃く残しているという。(沖縄で発見された1万8千年前の)港川人は縄文人の祖先であるという考え方とアボリジニなどのオーストラロメラネシアン的な形質をもっているという2説があり、今後の検証が待たれる。

 白保の竿根田原洞穴から出てきたのは2万年前の頭頂骨だけではなく、広い年代の人骨10数点が見つかっている。後期更新世の人骨でミトコンドリアDNAを分析できるのはアジアでは初めて。このDNA配列の分析で世界の人類集団の歴史をたどることができるため、白保の人骨がどこに属するか科学的に解明できる・・・。

 さて、先生の再発しない率は86%ですから、再発のことは忘れて毎日を楽しく過ごしましょう。私も乳がんのことは忘れています。のんきすぎ?

Dr.Aより  10.1

 こんばんは。体重が増えたのは、良いサインでしょう。太りすぎないよう気をつけて。(中略)

 2万年前といいますと、かなり古いですね。人類がアフリカを出発したのが5-6万年前と言われますから、その人骨は貴重です。一昔前の人類学は縄文人は渡来人に北と南に追いやられたといっていたのですね。それが、DNA鑑定で北だけということになったようです。沖縄は台湾の影響を受けていたでしょうね。アジアに到着した縄文人は一部はチベット方面に分れ、残りが中国朝鮮と渡って日本列島へきたらしいです。石垣のふるい人骨からDNAが取り出されると、なおはっきりするでしょう。専門家ではなくても興味がありますね。

 死を肯定する私ですが、運動は控えているのです。というのは椎骨動脈の近くにある血栓の素が運動による血流の増加によってはがれるとまずいと恐れているわけです。左の脳へ飛ぶと言語障害、右麻痺ですからね。恐怖ですね。しかし、そうなっても次の入院は断るでしょう。静かに死を選びたいと思います。そう主張できるとよいのですが。リヴィングウィルを書いておきますが、意識が保たれているとよいですね。死なせてくれといえるかどうか。

 xpのパソコンが壊れたので、明日からはその修理に挑戦したいと思います。

渡辺より  10.2

 こんばんは。すっかり日が短くなりました。タクシーばかり乗っていたときに申請した身障者手帳が交付されるという連絡がきました。いまは電車・バスで行動しているので、あまり必要なくなりました。そうでした、母島行きの船の切符が半額になるのでした。大部屋だけですが。6月に母島に行ったときはつきそいつきで、大部屋ではトイレに行くにも大変と料金が2倍以上の特等室(トイレつき)にしたのですが、今度撮影で行くときは大部屋で大丈夫そうです。つきそいもいらなそうです。車いすも持っていくつもりはないし、すごい進歩で、驚きです。

 (中略)安楽死については『在宅死のすすめ』で先生のお考えを知り、一般論としてはまだ意見を決めかねますが、勝手なことに自分に関しては行ってほしいと思いました。特に私は肺転移で死ぬかもしれないので、呼吸苦で苦しむのはいやだなあと思っています。

 脳梗塞は血栓が脳に飛ぶんですか? 右脳に飛ぶか左脳に飛ぶかは運? なぜ脳に飛ぶんですか? エコノミークラス症候群では足にできた血栓が肺に飛ぶんですよね? 脳までは飛ばないんですか? 血栓がはがれたらどこかに飛んで詰まるのであって、流れて消えてしまうということはないのですか? 排泄できないのでそんなことはあり得ないのか・・・。いま飲んでおられる薬は血栓を溶かすのですか? 運動を控えるということは富士山は諦めるのですか? いろいろ聞いてすみません。自分の死は平気なのですが、ほかの人の死はかなしいです。先生は元気で長生きしてくださいね。(と言われても運命なので自分ではどうしようもありませんよね)。

 沖縄は台湾とは目と鼻の先で交易も多く行われていたので、当然血は混じりあったでしょう。高砂族は日本軍に虐待されたことで有名で数年前の8月15日に彼らの歌と踊りを見たことがあります。勇壮なものでした。

Dr.Aより  10.2

 こんばんは。いろんな死に方がありそうですが、格好良くは死ねないので、ここのところは覚悟しておくべきでしょう。だらしない死でも仕方がないと。これは自分に言い聞かせているのです。消極的安楽死は日常的医療になっているでしょう。予め何かに考えなり意思をかいておくとよいのでしょう。肺がんは苦しいのでモルヒネをたくさん使い、鎮静剤も十分使って眠らせてほしいですね。これも、消極的安楽死に分類されるでしょう。ですから、最後楽に逝くことは難しいことではありません。私が主治医なら大丈夫です。それが、脳梗塞で怪しくなりつつありますね。私のほうが先かもしれません。

 私の脳卒中は多分、鎖骨下動脈か、脳底動脈にあった血栓が中大脳動脈あたりで一旦詰まり、大きな血栓に成長した後ばらばらになって多方面に飛び散ったと考えられます。今飲んでいるのは血小板の凝集を抑える薬と血管の内側を改善させる薬です。当然完璧な薬ではありません。中途半端に生きさせられるのが怖いのですね。今運動すると、血栓が飛んでいくでしょうね。右脳は血流が途絶えているので、今度は左に飛ぶと思います。そうなると、ちょいときびしいですね。身動きできず、しゃべれず、書けず、死ねずじゃ蛇の生殺しと同じじゃありませんか。あまり、よい表現ではありませんね。富士山は行きますといいたいですが、この冬の状態を見てからですね。スキーが滑れるかどうかです。(中略)

 私の弟が沖縄の女性と結婚していまして、娘がいるのですが南方系の顔立ちですね。縄文系ではないと判断できます。やはり沖縄人は高砂族の系統じゃないでしょうか。(後略)
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by lumokurago | 2010-11-11 08:07 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメール 番外編 その2

渡辺より  7.26

 (前略)人間の本性はやっぱり「悪」なんでしょうか? 私は最近、そちらの考えに傾いてきています。杉並在住の友人たちが区議会議員の政務調査費の使途を調べ、監査請求しています。家族に給料を払ったり、自宅を事務所にして家賃を払ったり、どこに行くにもタクシーを使ったり、お菓子を異常にたくさん買ったり、使途不明のスイカを買ったり、それはそれはひどいものです。初めは居直っていたのですが、今年は監査請求も3年目、裁判を起こされたら困ると思っているらしく、区議会事務局が返還させています。しかし、議員はそれに対抗して、自分たちの給料を上げる法案を通そうとしています。数年前も、現業職員の給料を減額する法案を通した、その同じ議会で自分たちの給料だけ増額しました。このご時世によく恥ずかしくないなあ。

 こんなことは一地方行政の重箱の隅のできごとで、中央ではもっと大きな不正があるでしょう。権力は腐敗する・・・本来は国民がチェックすべきということになっていますが、膨大で絶対に無理。1998年の沖縄県知事選で稲嶺陣営に官房機密費が3億円渡ったという証言もでてきました。
 ・・・・・・
 杉並の友人たちは監査請求に精力を使い果たし、あまりにひどいのでストレスもものすごく、去年は病気になった人もいます。私は「もうやめれば」と親しい人には言っています。権力と市民のあまりの格差・・・力もお金もまったくない状態で、ない知恵をふり絞ってやるしかない。彼女たちがやめてしまえば、議員はますますのさばるだけ。でも犠牲が大きすぎます。

 これで裁判がまともなら、裁判に訴えてただすこともできるのですが、裁判官はヒラメばかりでまったく機能していません。それどころか権力側にお墨付きをだすばかり。最近は、「民主主義」の論理には人間の本性は「悪」であるという認識がないんだなあと思います。(中略)

 医者の数について、前、近藤先生に聞いたら、人気のある科に殺到するからバランスが悪いとおっしゃっていました。無駄な医療を減らすことはもちろんですが、時代が変わったので労働条件を若い人に合わせないと足りない部門はなかなか埋まらないでしょうね。近藤先生も子育てはまったくしてないとおっしゃっていましたが、これからはそれではすまされないし、365日休めないというのでは若い人は逃げてしまうでしょう。私が関わっていた自立援助ホームも以前は独身の寮母の犠牲的精神で成り立っていましたが(週5日泊まっていた)、いまの若い人には無理なので、体制を替えました。子どもたちと関わる中身は薄くなってしまいますが、仕方のないことでしょう。

Dr.Aより  7.26

 こんにちは。私は性悪説に何年か前から傾いています。職業政治家はいらないのですね。また、政治家になることを目的に生きてきたやつも嫌いです。マックスウェーバーは資本主義の成立にはプロテスタンティズムが不可欠であったといっていますが。人間は自らを律する精神的支柱がないと、すぐ安易でおかしな方向に行ってしまうのですね。ただ儲けるだけじゃ資本主義は成り立たないとウェーバーも考えたのでしょう。

 政治の場合どうすべきかですが。私は、基本的に議員にふさわしいか市民が試験を行うべきだと思うのですね。議会に試験問題を配ったらどうでしょう。受けない議員が殆どでしょうけどね。それと、直接民主主義の仕組みが必要です。大事な問題は住民投票で決めるのがよいのです。

 スイスの研究データーですが、スイスのなかでも直接民主主義の%の高い州ほど住民の幸福感が強いと出ています。間接民主主義は住民にフラストレーションが溜まります。医者の場合も現在の自由開業制はよくないのです。何の哲学もないような人は、医師ではなく商人として頑張ってしまいますからね。やはり、人間の根本は悪ですね。これは脳にそういう仕組みができている。人間は悪へと向かいやすいのです。

渡辺より  7.27

 やっぱり。政治家とか医者とか裁判官とか弁護士とか・・・を見てしまうと、「性悪説」になってしまいますね。私は50歳まで非常にまじめな児童館(学童クラブ)という職場にいて、非常にまじめな(意地悪な人や怠ける人はいましたが、特に「悪い」人はいなかった)人たちの間で生きてきました。公務員で給料は年功序列で平等に上がっていき、当時は競争もなかったのです。政治の世界などについて、一般的に「ひどい」とは思っていましたが、特に関わりもなかったので、そのまま過ぎて行きました。しかし、仕事を辞めてから裁判などで具体的に詳細に知ることになって、「本当にひどい」と実感することになりました。

 日本以外では地方議員はボランティアのところが多いそうです。お金のためでなく、世のため人のために役に立ちたいという人がやるというのがいいですね。「試験をする」というのもいい考えだと思います。選挙ではなく試験で選んだらどうなんでしょう。行政についてどのくらい勉強しているのかを試験すればいいと思います。何も知らない何も勉強しない議員が多すぎなので。

 直接民主主義についても同感です。弁護士の生田暉雄さんが裁判をその一つと位置付けています(私の追悼文集に書いています)。選挙で選ばれたといっても一々の議案について議員にすべて下駄を預けるのはおかしい。一々についての考えを聞いて投票したわけではないし。でも、せっかく住民投票をしても日本政府は平気で無視しますからね(名護市民は住民投票で辺野古の基地建設に反対した)。結局、国民なんか虫けらとしか思っていないわけです。

 それにしてもこういうことに気づいて立ち上がった人というのは、とってもとっても大変で、「よくやってるなあ」と他人事のように思ってしまう私です。

Dr.Aより  7.27
 
 (前略)性悪説で生きていきますと、あきらめてしまいがちになりますね。話せば分かりあえるとはよくいいますが、無理ですね。結局、好き嫌いの住み分けになってしまう。人間はそれほどお利口じゃないのですね。正論は通じない。結局ヒットラーの勝ちになるのですね。間違った求刑をした検察官や、誤判決を下した裁判官を罪に問う仕組みも必要ですが、これらは国の権力機構なので変わらないでしょう。せめて、取り調べの可視化でも実現できればよいのですが。生田さん伊佐さん(注:伊佐千尋氏)達、戦う人はすごい。酒も強いし。彼らはアルコールを燃料にペンで戦っていますね。生田さんは禁酒中とのことですが、みなさん頑張ってほしい。

渡辺より  7.27

 (前略)「性悪説」のことですが、私は完全に近くあきらめています。できることはやっていますが、あきらめつつやっているのです。自己満足かもしれないけれど、やらないよりはましだろう、というだけですね。

 みんなのやっていることは何の役にも立たなそうだけれど、悪くなる速度を遅くしているとは思います。良くすることはできないまでも。ああ・・・気が遠くなります。ただ私が注文をつけるのは、中高年の「運動」に関して、「自分の子どもとも話せない人が他人に言葉を届けられるわけがない」ということです。9条の会などのほとんどの人は「自分の子どもには通じない」と嘆いています。でも、でも、「自分の子どもと話せる」という人の子どもは現在の日本社会にうまく適応できずにいる例が多いです。まったくなんという社会なのでしょうか。(後略)

Dr.Aより  7.28

 こんにちは。いわゆる良識派とされる、昔レフトがいまひとつ説得力に欠けるのは、性善説の立場で行動するからでしょう。私は子供がいないのであまり大きなことは言えません。ですので比較的静かにしているほうですが、人間の本質とでもいうべき部分から、論争を挑んでくるライトとも話をすることができます。私は競争や闘争は好きではないのですが人間が本能としてこれらを持っているのも事実です。

 日本人が民主主義を自ら手に入れたのではないこともですね。しかし、憲法は日本国民の潜在的力で作ったと強弁する人が昔レフトに多いのではないでしょうか。人間に闘争本能がある限り戦争はなくならない。9条は幻想であるというほうが若い人には分かりやすいのかもしれない。国民投票で象徴天皇の部分と9条について賛否を問うのがよいのかもしれない。日本はこれらの部分からやり直さないと、国民主権といっても絵に描いた餅で終わってしまうように思います。(後略)

*****

 この後、議論は佳境に入っていくのですが、非常に残念なことにブログに公表するには適さないので、番外編はここで終わります。いつか本にするか、冊子にすることがあればお知らせしますね。
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by lumokurago | 2010-10-14 19:38 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメール 番外編 その1

 Dr.Aのファンがいらっしゃったので、以前のメールより掲載します。以前の記事と重なる部分もあります。

 母の在宅医探しで誰がいいかという話の中で・・・。

Dr.Aより  7.22

 こんばんは。どんなドクターかわかりませんが、(注:ある在宅医のことを私が「素朴」と表現した)素朴なところは評価できますね。しかし、医学に過剰な期待感を素朴にいだいている医者もいますからね。近藤先生を好き?なら大丈夫でしょう。あるいは、基本的には考えに賛同するとかね。けなしたり、嫌っている様子をみせるようでは不合格でしょうか。試したらどうですか。

渡辺より 7.23

 お返事ありがとうございます。近藤先生のなまえをだして試すというのはいい考えなのですが、ホスピス探しをしたとき、主治医が近藤先生というだけで眉をひそめる医者がいました。本に書いた慶応のペインクリニックから痛みどめの薬がたくさんだされていたことについて「専門家の処方で信頼できる」と言った医者以外に、いやみったらしく「近藤先生もこんな処方ができるようになったんですか」と言った医者。近藤先生には故意に触れない医者など。唯一桜町病院の医者は「近藤先生ですか」と懐かしそうに言っていました。山崎先生(山崎章郎医師:ホスピスの草分け)の影響が残っているのかもしれません。

 近藤先生はホスピス探しの話をしたときに、私が「混んでいるのでは?」と聞いたところ、「ぼくの患者さんは断られたことない。ホスピスというのはよくわかっている患者を入れたいから」と言ってました。しかし、ホスピスの医者にして毛嫌いしている医者が多かったので、普通の医者ならもっと多いと思われます。私たちが極小少数派だということ、よーくわかりましたよ(笑)。

Dr.Aより 7.23

 おはようございます。メールを拝見して、思いだしたのはポパーの科学論です。カールポパーは反証主義の科学哲学で有名ですね。私たちはカラスは黒いという先入観をもっていますが、白いカラスだっているかもしれない。絶対にいないと言い切れるか。そうじゃない。これが科学的態度です。謙虚であり常識を越えようとしていますね。

 あまり好きじゃないかもしれませんがこのことについて、カールマルクス、ミシェルフーコーは認識論的切断という言葉を使うようです。切断しないと、常識から逃れられないというわけですね。もうひとつ、いま、渡辺さんという常識に反する一つのケースが存在しています。この事実はいままでの常識への反証といえます。この反証に対して科学と言われる医学は再反証できるか。科学はたった一つの反証でその存立基盤が危うくなってしまうのですね。常識を破壊するにはワンケースで十分なのです。これを実証と反証の非対称性といいますね。このような話についてくるなら、まともな医者と考えてもよいかもしれません。がんばって。 

渡辺より  7.23

 網野先生、こんばんは。ことばがむずかしかったので、いろいろ調べてしまいました。が、出てきた解説の方がもっとむずかしく、理解不能でした。むずかしいことばはそのままに、おっしゃる意味はわかります。

 科学はたった一つの反証で危うくなってしまうということは、とても厳密なものなんですね(素人なのですみません)。近藤先生は最近もうRCT(注:無作為対照比較試験=くじ引き試験)そのものの意味も認めなくなって、(矛盾した結果がでることに加えて)「大規模なRCTを行えば何らかの差が出るが、そんなわずかな差に意味があるのか、効果のある治療なら(RC Tなどしなくても)医者はすぐわかる」と言っています。近藤先生は10年前に比べてもどんどん、どんどん治療しない方向に行っています(あの本に書いてありますが)。逆に「標準治療」はどんどんどんどん濃厚な治療を行う方向に行っています。だから差が大きくなる一方。

 抗がん剤もまったく使わないので、再発患者はほとんどよそへ行ってしまうようです。(「抗がん剤をやらない人はほとんどいない」と言っていました)。私にとって非常にありがたいことに、近藤先生の外来は早く行けば患者がほとんどおらず、すぐに診てもらえ、時間もたっぷり取ってもらえます。(昔だったら何時間待ちで3分診療だったので、再発患者には向かない)。遅い時間になると今でも大きな荷物を持った人たちが全国から集まっているようです。

 本を読んでくれた看護師をしていた従姉が、元同僚が乳がんが肺に転移して抗がん剤を使ったら副作用で劇症肝炎になって亡くなったと言っていました。近藤先生は渡辺亨さん(自称「腫瘍内科医の第一人者:元国立がんセンター内科医長)に食道がんの患者さんを紹介したら、抗がん剤で亡くなった、そういう患者さんを見ていて、どうして抗がん剤を使いつづけるのか、どんな性格してるのか、理解できないと言っていました。(後略)

Dr.Aより  7.23

 今回、入院した病院で、ある薬を続けるべきかどうか議論になったのです。僕の友人はそこの脳外科の教授で当然続けるべきだといいます。そこで、根拠となる論文を見せてほしいといいました。久しぶりにじっくりと医学論文を読みました。それは英文でしたが日本人の書いたもので、日本で行われたその薬のRCTでした。私は、日本でもやればできるじゃないかと褒めたのです。そして、薬を続けることにしました。日本はとにかく厳密な試験をやらない国です。ですから、RCTは行わないよりも行ったほうがよいというのが今の私の考えです。少しは真実に近づけますからね。近藤先生の気持ちも解るけど、日本はでたらめ過ぎるので、RCTは行うべきなのです。

 たとえば、脳活性化訓練は有効かどうか。実は今回の騒動で私は高次脳機能障害者というレッテルを貼られてしまったのですね。特に注意力が低下しているという診断でした。そして、治療は脳活性化訓練を推奨されてしまった。馬鹿げている。一つの絵の中の間違い探しで一日を終えるのはまっぴらごめんです。ご丁寧にその訓練本は、この訓練をすると脳の血行が増えると科学的であることを装っています。馬鹿野郎。君らは科学者じゃない科学商人だと叫びたくなりました。脳の血行が増えると脳が活性化されたといえるのか。この分野もRCTは行われていないのです。人生は他にやることがたくさんあるのに、くだらないゲームに現を抜かすのは時間がもったいない。東北大学のK教授は、これで大儲け。ようやく昨年イギリスでRCTが行われ否定されましたが、問題はなぜ本家の日本でやらなかったのか。多くの老人が本を買わされ被害者になっています。日本の医学はくだらな過ぎる。馬鹿な医学者が多過ぎる。馬鹿のでしゃばりを抑えるにはRCTしかないのです。ちょっと怒っていますね。

渡辺より  7.23
 
 おはようございます。先生のお考えはわかります。というか、(私の本の)解説文でRCTの必要性を述べていらっしゃいましたので、わかっていました。ほんとうに日本の医者はひどいですね。矢嶋先生(「乳がん 後悔しない治療」参照)が批判されていましたが、「みのもんた」とか「ためしてがってん」、どれだけの人がだまされていることか(だまされる方もだまされる方だと思わないわけではありませんが)。数年前、たまたま「みのもんた」を見ていたら、近藤先生と対談している丸山雅一さん(元がん研内科部長)までが出演して根拠のないことを言っていたので、驚きました。

 特にぼけ防止がひどいと思います。ぼけは防止できないのに、老人の不安につけこんでさまざまな物を宣伝しています。母も計算とか迷路とかパズルの本を買ってきていました。間違い探しもこの部類なんですね。まったく子どもじゃあるまいし、ですよね。

 そして、ぼけは防止できると刷りこむことで、ぼけ老人に対する偏見が生まれます。うちの父は絵描きだったので、「絵を描いていればぼけないと言うけど」などと言われ、つらい思いをしました。母に関しても、料理ができなくなったとある友だちに言ったら、「あんなに料理が上手だったのに?」と言われました。そんなことを言われたらかなしくなるだけです。ぼけ老人のこと(そして家族の気持ち)が何もわかってないんだなあと思いました。

 また、まったく関係ないのですが、近藤先生の弟弟子にUさんという放射線科医がいて、ピンポイント照射を考え出して、「がんは切らずに治せる」治療を行っています。7、8年前には近藤先生は「ぼくの弟弟子からこんな医者がでてほんとうにうれしい。理論的にもほんとうの後継者だ」と喜んでいました。ところが、その後Uさんが九州にオンコロジーセンターを作り、自費診療でその治療を行うようになったので、「もうけ主義」と厳しく批判し、もう口もきいていないそうです。なんでもうけ主義になってしまうのでしょうか? 人間、お金がいくらでもほしい人と、それほどいらないという人に分かれるんですね。その差はどこからきているのでしょうか?

Dr.Aより  7.24

 一つには上昇志向が強く、東京では出世できないと考えたか、名誉欲の次は金銭欲となったかですかね。アイディアもたった一人で考え付いたかどうか。私たちは多くの先輩の頭脳を引き継いで新しい発想に行きついている。そういう意味で謙虚さが足りないと、こういう形になるのかもしれません。近藤先生とは逆の人間だったということでしょう。小賢しい奴は研究の世界でもたくさん観てきました。癌になったからといって鹿児島まで出かける人間はそうはいませんよ。考えが甘いと思うし、患者に負担を強いることになる。早晩駄目になると思います。

渡辺より  7.25

 Uさんについて検索したところ、鹿児島のお金持ちの医者がリクルートしたようです。このお金持ちの医者はPETの機械を3台も入れ、人びとの不安をあおり、がん検診で大金を取ってもうけているようで、とんでもないやつです。Uさんはがん検診に意味がないということを当然わかっているはずなので、ますます腐っているということが判明しました。信じられません。近藤先生はこのことを知っているのか?
 
 私のところには乳がんの患者さんからたまにメールで相談が来るのですが、以前Uさんのセカンドオピニオンを聞きにいったという人がいました。乳がんのピンポイント照射には150万円かかると言われたそうです。また、彼女が出産の希望があるので被ばくについて質問したところ、「そんなこと気にしていたら治療できない」と一刀両断で言われたそうです。このときはまだ近藤先生から真相を聞いていなかったのですが、昔イデアフォー(乳がん患者会)の講演会でみたUさんの印象とまったく違っていたので、驚きました。人は変わってしまうことがあるのですね。

 とにかくお金持ちしかこの治療を受けられないということに疑問を感じます。貧乏人はどうでもいいのか?

Dr.Aより  7.25

 (前略)医療商人はどの時代にもいたといいます。儲けたいなら、医療ではなく、他の経済活動で行うべきだというのが私の考えですが、医療需要は幻想と結びついているだけに供給側は簡単に儲けやすい。
人間の本質は悪?ですから、当然のごとく、医者も悪徳医になってしまう。問題は、悪徳であるという自覚が希薄で、逆に自分は善であると思っていることでしょう。こういう困った医者が多い。ピンポイントで癌をやっつけても治癒と言えるのか疑問ですけどね。そこに癌が無くなっただけじゃないですかね。

 対策は医者を減らすのが一番良いのです。しかし、増やそうとしていますね。厚生行政は馬鹿です。政治は大衆のレベルでしか動かないし、大衆は悪徳医に近づいていく。国民は被害者にならないと判らない。まさに絶望的状況ですね。
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by lumokurago | 2010-10-13 18:58 | Dr.Aとの往復メール