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カテゴリ:Dr.Aとの往復メール( 55 )


Dr.Aとのメールより その15

 個人情報等のため、あいだを少し飛ばしています。わかりにくくてすみません。次のDr.Aのメールは「体温と免疫」についての質問への答えです。

Dr.Aより  9.27

 こんにちは。科学者も神の存在を信じています。ホーキングはビッグバーンには神の一撃は必要ないといったけど、神の存在は否定しませんでした。科学者も人間ですからね。したがって、医療信仰にも嵌るのでしょう。それが科学的装いであればあるほど嵌りやすいのだと思います。どこかの宗教の事件で科学者の卵が多かったことがありましたね。

 私も昔、死ぬ瞬間と、垣間見た死後の世界を読んで、否定するのに時間が掛かったことがありました。一見、科学的でしたからね。また、これが人間に心地よいのですね。死後の世界があったほうが生き易いというわけなのですね。

 体温と免疫については、原因と結果を間違えているように思います。体温が上昇するような状況では、免疫は活発にならざるを得ないのでしょう。体温を上げる原因が免疫を活発にするのであって、体温の上昇が原因ではないと思います。(後略)

渡辺より  9.27

 体温と免疫、体温を上げる原因が免疫を活発にするのだということ、あー、なるほど、「ガッテン」できました。よしんば体温を上げるのがよいとしてもいったいどうすればいいのか、本にはお風呂でゆっくりあったまるとか運動するとか書いてありましたが・・・やはり夏に暖房でしょう。あるいは40度の熱がつづいた人ががんが消えたそうなので、がんの人はみんなインフルエンザに感染させるのがいいですね。(中略)

 死後の世界、考えたことありません。考えてもよさそうなのに、変ですね。ただ、妹の友だちが貸してくれたspiritual系の本に「死んだら亡くなったペットたちに会える」と書いてありました。その本は私には合わなかったけれど、そのことだけよく覚えていて、それを楽しみにしています。あの世で父に会いたいとはぜんぜん思わない親不孝者です。やっぱり死んだらすべてなくなるんだろうなあ。ほんとうはいま、とても大事な時間なのに一時のようなせっぱつまった気持ちはなくなり、のんきにのんびりしています。緊張状態をそんなに長く持続させることは大変なので、しかたないなあと思っています。ピアノを弾いたり、絵を描いたり、音楽を聴いたりも楽しいです。(中略)

 中国のことですが、裁判所や国会前に行くとよく中国人がチラシをまいています。法輪功という気功の一種(?)を学習する人たちを中国共産党が弾圧し、虐殺して、臓器を取り移植に利用しているとか。あまりにも残酷なので嘘なのではないかと思うほどで、どこまでほんとうなのか判断できませんが、全部が嘘ということではなく、ありうることだと思っています。わからないことだらけの中国です。

 人類学については無知ですが、おもしろそうですね。おもしろそうなことばかりで時間がありません。また教えてください。

Dr.Aより  9.28

 こんばんは。医療信仰はなくなりません。ある患者さんがついにLDN療法といってlow dose naltorexonという代替療法を開始してしまいました。従兄弟のドクターが見つけた方法とのことです。調べていくと、世界的医療詐欺のように思えてきました。癌の60%に有効で縮小率が75%というからすごい。提唱者はDr.BIHARIといって、アメリカではスーパーマンと皮肉?られている。
インターネットでは調べつくすとかならずBIHARIに行き着くので、検証の方法がない。そこで、多発性硬化症にも効くというので調べていくとyou tubeで患者の体験談ばかり、効いた効いたの連続です。学術論文がないのです。それでもイギリスで学会が行われたということです。

 これに飛びついているのが日本のアンチエイジングの開業医達です。あるいは、癌の代替療法医達です。LDN療法の経験者を知りませんか。効いたはずがないのですが。日本でもこれに引っかかっている人は多いように思います。

渡辺より  9.28

 おはようございます。母が朝から「寝かせてください」と繰り返しています。私はときどきしか相手しませんが、ヘルパーさんはずっと相手してくれているので疲れると思います。父も問題老人でしたが、母もまた違う意味で大変です。施設に入ればにぎやかなので、その方がいいかなと思うようになりました。

 その療法は初耳です。いろんな療法があるのですね。ネットでちょっと調べたら効用に自閉症、不妊症まであるので驚きました。自閉症には絶対に効かないと思います。でも親御さんは信じてしまうかもしれません。犯罪です。そんなにいろんな病気に効くというところがすごーく怪しいけど、Drでも信じてしまうのですね。不思議だ。今度近藤先生に知ってるかどうか聞いてみます。

Dr.Aより  9.29

 人間最後はどこで過ごすのが良いのでしょう。リヴィングウィルがあったとしても難問ですね。おいしい食事と安眠が不可欠でしょう。
 
 座らせきりはまずいです。寝たきりのほうがまだ良い。このような問題に対して施設の考え方が定まっているといいのですが。質問すると分かると思います。良い施設だという判断に至れば、施設入所がお互いのために良いということになるのかも知れません。

 今の在宅は家族への負担が重過ぎる。家族のタダ働きを考え直すべきです。私は、報酬の仕組みを創るべきだと主張しています。介護の社会化は絵に描いた餅で、ユートピアはありえないことが分かっていたのに公的介護保険ができてしまいました。そして、家族はヘルパーになってはいけないと決まってしまった。フェミニストは社会主義がすきなんですね。(中略)

 LDN療法については、学術的な論文が見つかりませんので、おそらくみな、だまされている。北海道で自閉症のカンファランスがあったそうで、そのときこの治療法についての講演があったのだそうです。後援が教育委員会だったそうで、後でまずかったということになったらしいです。提唱者はアメリカの精神科の医者で、アルコール依存や麻薬中毒を専門にしている。それがスーパーマンになってオールマイティーの治療法と宣伝している。多発性硬化症という難病や癌に効果があるというが根拠なし。癌に60%有効という、それだけですね。有効というが、英語ではeffectiveではなく、benefitとあるだけです。benefitと逃げている。有効ならeffectありというはずです。多発性硬化症は患者に効いたと言わせている。悪いやつですよ。これに多くの医者がだまされている。不思議ですね。ちょいと調べれば分かるのに。みな、魔法の薬を探しているでしょうからしょうがないか。医療詐欺ですね。人生の最後の最後でだまされるなんて悲劇です。あるいはだまされたほうがよいのかしら。(後略)

渡辺より  9.29

 こんばんは。今日はケアマネから電話があり、デイサービスで母の扱いに困っているとのことでした。リクライニングの車いすでないと無理、水分の飲みが悪くなった(普通の車いすでは前かがみになるため、飲ませてもあふれてきてしまう)と。ヘルパーさんと二人で困り果てましたが、ちょうど、往診医から診断書が届き、MRSAが-なので、たぶん入所可能となると思います。

 一日中「早く寝かせてください」と繰り返しているので、「お母さんはもう生きているのがつらいんじゃないですか?」と聞いたら、「ほんとだ」と。たぶんそうなんだと思います。でも、まだエンシュアを「おいしい」と言って飲んでいるので、死にたいというわけではないのでしょう。7時に薬を飲ませ、さっき静かになったので、ヘルパーさんが足元だけを懐中電灯で照らしながらそっと見に行ったら、目を覚まして「電気の人、だれですか?」と言ったそうです。神経が高ぶっているのでしょう。いまは「ようこさん、えっちゃん(妹)」と呼び続けています。薬を飲んでからもう2時間半も経っています。家で看ることは困難だけれど、施設に預けるのもかわいそう。どうして人生の最後にこんな辛い目にあわなければいけないのか・・・またうつ病になりそうだあ・・・。でも2度目なので大丈夫です。

 だまされることについてですが、亡くなられた柳原和子さん(作家)が近藤先生との対談で「うそでもいいからやさしくしてほしい」「最後まで(治ると)だまされたまま死にたい」とおっしゃっていました。彼女は近藤先生の患者ではありません。卵巣がんでしたが、積極的な抗がん剤治療を受けていました。気功や代替療法もやっていました。近藤先生は当惑したことでしょう。でも「死にたくない」一心の彼女からの長い手紙を彼の本に載せていました。こういう人のほうがまだまだ多いのかもしれませんね。LDN療法を受けている患者さんも結局あきらめきれないのでしょう。でも、もしかしたら従兄弟のDrに断りきれないのかもしれません。(中略)

 しかし犯罪的なのはその精神科の医者ですね。でも本人は効くと信じているのでしょうから、まわりの医者などがだまされずに真実を伝える義務があると思います。それなのにだまされて(それとも金儲けのためなのか?)その療法を行っている医者もいるみたいで、結局だまされないためには患者がかしこくなるしかないのか。でも死にたくない一心の患者はだまされたいし・・・堂々巡りです。
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by lumokurago | 2010-10-09 20:33 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その14

渡辺より 9.23

 こんばんは。
 今日はまた別荘でライブがありました。(中略)(歌手の方が)在日2世で、ご両親を早くに亡くされたとのことで、ご両親や故郷(彼らが帰りたがっていた韓国と生まれ育った山口県の山奥の村)の歌でした。いい歌だけど、あまりに家族を礼賛されるとちょっとくさいなあという感じでした。それにモンゴルの下水管に住む子どもたちやフィリピンのスラムの子どもたちをなくしたい、と熱く語られても、ちょっとなあ。ご自分が世界連邦の大統領になれたらと言うのに対して「権力を持てばみんな変わっちゃうんだよ」とは言いませんでしたが、「不登校の子どもはみんなおかしくなる」というので、「そんなことない。子どもは一人ひとり違うから、くくって言うのは差別だ。どっちかと言えば不登校の子どもはまともで、学校に行っている子のほうがおかしくなると思う」と言ってしまいました・・・。

 長い間おしゃべりがつづいたので、疲れていて、私の病気の話になって心境を聞かれたので、「死ぬことは自然だと思っている。生物なので自然に死んでいきたい」と言ったら、へんな顔をしていました。みんなが「まだ大丈夫」「長生きしてほしい」とか言うので、めんどくさいなと思い、「ありがとう」とは言いましたが、なんで死んじゃいけないのかと思っていたひねくれ者です。(中略)
 
 なんか文句言ってますが、歌はいい歌でしたよ。先生がギター復活したらぜひお願いします。

Dr.Aより   9.23

 こんばんは。私も渡邊派ということになりますね。同じ考えです。あまりに似ているので、笑っちゃいましたよ。モンゴルやフィリピンの子供達は映像で見た限りでは自由でより子供らしく見えました。うらやましいという感じでしたけどね。現代社会の常識が忘れている、置き去りにしてきたことを指摘しているように思いました。先進国は余計なことをしないのが良いのです。こんな考えですので、国境なき医師団は嫌いなのです。また、援助という美名で侵略していくのもね。それぞれは善意の人でそういう意識はないのでしょうが。わざわざ、行くなという考えです。観光ならいいですが。

 私の体の調子ですが、日によって違うようで、昨日今日と動きが悪く、波があります。あした、ウチの施設で歌の会がありますので、普通に歌えるとかなり回復したといえるでしょう。

 中国は沖縄の人たちは中国の出身で、本当は日本から独立すべきだというような論調ですね。独立はいいと思いますが、中国の支配が及ぶのはまずいでしょう。北海道も独立したほうが良いのですが、ロシアに従属するのはごめんですね。アイヌは遺伝子を調べると縄文人なのだそうです。江別という町が札幌の北にありますが、そこが北方の中心で江別文化圏を形成していたといわれます。文化圏は南は新潟にまで及んでいたそうです。人類学も面白いですね。

 人間、死にたくはないけど、やむをえないという死がありますからね。それを受け入れているのだということが解ってほしいですかね。実は、このことで世の中を変えようとしているのだといったらどうでしょう。執筆の進展を期待しています。

渡辺より  9.24

 こんにちは。私も先生のメールに笑ってしまいました。「happiness」に出てきそうな話ですね。jicaなどで「途上国」に行く若者には、「自分の頭のハエを追え」と言いたいです。でも、ペシャワール会の中村哲さんは好きです。医者なのにもう10年以上(?)聴診器を持ったこともなく、40度にもなる砂漠でブルドーザーを運転しているからです。地元の人がメンテナンスできるように、コンクリートの代わりに日本の「蛇籠」を積み重ねて水路を作っています。柳の木を植え育て、根っこが張りめぐらされることで強化されるそうです。お子さんが10歳くらいで脳腫瘍で亡くなったのですが、最期の1ヶ月間帰国しただけで、アフガンで土木作業をつづけていたそうです。中村さんは日本よりアフガンが好きなのだと確信しています。講演会に何度も行きましたが、行くたびに日本のおかしさについて遠慮がちに話されます。わかる人にはそれで十分わかり、わからない人には辛辣に批判しても通じないとわかっているのでしょう。中村さんは本のなかで、各国のODAやNGOの「国際援助」の欺瞞、自己満足について痛烈に批判しています。ネパールでも首都では各国の「国際援助NGO」が林立し、人々が群がっていると聞きました。人間は貪欲ですね。

 歌の会はいかがでしたか? うつ病が典型的だと思いますが、調子のよい日、悪い日がありますね。人間の頭はどうなっているのか不思議です。私は「らせん階段」をイメージして、よくなったり悪くなったりしながらだんだんに登っていくことを思い描いていました。

 私はどう見ても沖縄はフィリピンに似ていると思います。顔も似てるし、食べ物も似ています。「オックラ(オクラ)」「オーマン(ヤドカリ)」はフィリピン語と同じです。(中略)アイヌ文化も貴重だと思います。友人が紋別でアイヌ文化継承のためにがんばっているようです。私もいまこそ学ぶべきだと思っています。

Dr.Aより  9.24

 こんばんは。一般論として、発展途上国への援助に反対というと、ペシャワール会に入っている人は憤慨されますね。中村さんはその国に根付いた活動をしているのでしょう。詳しいことは分かりませんので、知識を増やしたいと思いますが、彼の純粋な精神はすばらしいと思います。

 昔は日本の縄文人は朝鮮半島からの渡来人に北と南に追いやられたという説が優勢でした。今は遺伝子解析でアイヌと琉球人は異なることが分かっています。追いやられたのはアイヌだけだと考えられます。琉球の人々は縄文人ではないことがわかっています。たぶん台湾かフイリピン系でしょう。太平洋の島々に住む人々の先祖は遺伝子解析から台湾人(高砂族というのかな)といわれますので、沖縄もそうなのではないでしょうか。尖閣諸島の問題について言うのなら、海を汚すなですね。アメリカは戦争を望んでいるし、石油メジャーが狙っているので中国は冷静になるべきだ。白人優越史観に反対する立場から、アジアからアメリカは去れ。と私なら言いたい。オバマは白人です。

 (中略)ところで、チベット人と縄文人は同じ系統であるといわれます。アフリカを出発した人類は中国大陸に入ったところで二つに別れ、一つはチベット方面へ、もうひとつは朝鮮半島を経由して日本列島へ到達したらしいのですね。ミトコンドリアDNAとY染色体の分析結果です。ミトコンドリアDNAは女性だけに伝えられ、Y染色体は男性だけですから、系統をしらべるのに容易で便利なのですね。中華民族はその後に中国大陸へ到着した遅れてきたグループの子孫であるとのことです。
民族といってもたいした差はありません。白人優越主義はヨーロッパ人が君主制の中国を遅れているとみなしたことから始まっています。そういう意味でも、しっかりしてほしいですね。まず、共産主義を放棄することが必要です。一党独裁は君主制に似ている。 
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by lumokurago | 2010-10-02 21:06 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その12

渡辺より   9.10

 網野先生、こんばんは。さすがの私も今日は昨日の疲れがでて(「大冒険の一日」参照)、一日中横になって本を読んでいました。『空へ into thin air エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』という本で、1996年難波康子さんが遭難したときのルポです。まだ途中ですが、thin air がいかに苦しい危険なものなのか、エヴェレストをも「商品」にした人間の貪欲さ、大金を払って営業登山に参加する人々、シェルパの悲劇・・・などなど、これも遺伝子のなせる業なのでしょうね。

 私も団体ツアーでネパールに行きましたが、同じツアーの参加者に高所の事故で亡くなった人がいたという話を何度も聞かされました。全部が全部報道されてはいないようで、素人がいきなり高所に行き、中高年は我慢強いので、症状がでても我慢してしまい手遅れになる例が多いと聞きました。去年の8月のトムラウシの事故もツアー客だったし、登山までも「商品」にすることには疑問を感じます。

 ところで、先生のおっしゃるように、単純に男女を二項対立させるのは問題をむしろ見えなくさせると思います。それになんでもケースバイケースであって一般的に女性差別とくくることも問題を見えなくさせます(でも全体的にみれば女性差別はいまでもあると思います。早い話が賃金からしてそうだし、議員でもなんでも男性ばかり。女医もまだまだ少ないでしょう)。

 女性が権力をもつという例として適切かどうかわかりませんが、国防婦人会を連想しました。本来息子や夫を兵隊とられたくないはずの女たちが、なぜみずからそれを推進するがわにまわったのか。そして戦死後は靖国神社に合祀され、英霊とあがめられ、本気で喜んでいる「英霊の母」もいるみたいです(高橋哲哉の『靖国問題』)。これは「洗脳」のなせるわざ? (中略)話が飛びました。

 女性差別はなくなりませんが、一方的被抑圧者と考えるのは間違っていると私も思います。なにごとも問題は複雑であり、一般論や常識は疑う必要があり、ていねいに考えていきたいと思っています。
 
 ギターの練習、がんばってください。

Dr.Aより  9.11

 難波さんの事故は登頂後降りてきて平坦になったところでの悪天候が原因でしたね。助けられない状況でしたでしょう。8000m級の山は厳しいですね。死を覚悟して登るのでしょう。2月に山スキーで乗鞍に登った事があるのですが、3000mでも厳しい経験をしました。もう無茶はできない体になりましたが。5月の富士山もかなり厳しいと思います。登れると最高にhappyですね。まだ、空想の世界ですが。

 男も女も皆同じ能力を持っているのですから、迷惑にならないなら何をしても良いし、どんな職業についても良いのでしょう。そういう社会であるべきだし、差別を許さない社会であってほしいですね。優秀な女性はたくさんいます。男も大多数はわかっているので、差別のない社会作りに協力し合うのがよいのであって、対立するのは好ましいことではありません。当たり前だといわれそうですね。それと、老人などの社会的弱者が犠牲になるようなことは避けなければなりません。

 (中略)

 良いビデオ作品ができそうですね。社会を変える契機になりそうですね。(注:ビデオプレスがDr.Aを取材しました)。今日は帝京大の院内感染の問題で取材を受けたのですが、私の知人がなくなった患者さんの一人なのです。ひどい話で、彼は、抗生物質の使いすぎで真菌のほか、3種類の耐性菌に感染していたのです。私は院内感染だといったのですが、病院は、患者さんの体で自然に耐性菌に変わったと説明したそうです。ひどい病院ですね。廃業に追い込んだほうが良いと私は思っています。記者に会うことを家族に勧めましたが、静かにしていたいようで、戦う人は少数派ですね。

渡辺より  9.19

 こんにちは。遅くなりましたが、続きを途中まで書いていたので完成させて送ります。

 1996年のエヴェレストの遭難事故は、本を読んでみるとたくさんの悪条件が重なったようです。前年にあと100mのところで引き返したお客さんを「今度こそ」と誘ったため、無理に登頂して引き返す時間が遅くなったり、打ち合わせの行き違いからロープのフィックスが予定通りできなかったり、etc. また難所で渋滞が起きているなど、登山者がつめかけて登頂により時間がかかることもわかりました。高所では頭がぼーっとして、的確・迅速な判断ができないようすもよく表現されていました。その他ガイド同士の競争心・功名心(結局は金儲けにつながる)とか名誉欲、シェルパもそうですが、人間の欲が判断を狂わせるのだということも。このときは12名が亡くなった大遭難だったのですが、それでも例年のエヴェレスト登山の死亡率より低かったそうですから、いかに恐ろしい山かがわかります。

 慶応の緩和ケアですが、近藤先生も麻酔科に私の本を読ませるべきだと言っていました。私の担当だった若い女医さんは4月から研修にでていて、秋には慶応の放射線科に戻ってくる、近藤先生のところに来るかも、そしたら(私に)会えると言っていました。彼女が近藤先生の本を読んでいるとは思えません。彼のことをなにも知らずに言っているようでした!

 院内感染はひどいですね。むかし、従姉の夫が院内感染で足を切断されてしまいました。私が慶応に入院していたとき、隣のベッドの患者さんが透析を受けていたのですが、人工血管が耐性菌に感染し、人工血管を除去する手術を受け、それでも耐性菌はなくならず、手の打ちようがないようで、外科病棟に移って行きました。そのうえ薬の副作用で全身に湿疹がでていて、その処置のたびに泣きわめいていました。声を聞くのもつらく、車いすに乗れるようになってからは、廊下の聞こえないところまで避難させてもらっていました。その患者さんは半年も入院していて、医者のいないところでは「人体実験だ」と言っているのですが、医者が来ると(毎日おおぜいの医者が来ていた)従順にいいなりになっていました。

 ついでにその患者さんのあとに入ってきた患者さんは大正13年生まれのかくしゃくとしたご婦人でしたが、耳鼻科のがんみたいで、放射線治療中なのに手術もし(それも再手術・術後何日にも渡って抗生剤の点滴をつづけていました・注:抗生剤は術中1回でよい。それ以上の投与は耐性菌をつくるだけ)、これから抗がん剤もする予定でした。素人からみても(!)めちゃくちゃな治療なので、近藤先生に報告しておきました。慶応病院の放射線科病棟でこのような具合なので、他の病院は推して知るべし(?)でしょうか?

 いま、ヘルパーさんがラジオを聴いていて、4時のニュースで自衛隊員が脳の手術で違う血管をクリップで止められて死亡したと。4人も医者がついていて誰も間違いに気がつかなかったそうです。ヘルパーさんは病院の付き添いが長いので、医療不信そのものです。

Dr.Aより  9.19

 こんばんは。今までホームページを書き換えていました。脳卒中の体験記を加えました。

 医療はそれが存在する限り、ミスは起こるのです。飛行機はそれが空を飛ぶ限り落ちるのです。
ところが、なかなか落ちませんね。ということは、コンピューターに任せると良いのかもしれない。下手に人間が手を出すのがいけないのかもしれませんね。

 なぜエヴェレストに登るのか。人間は、冒険が好きですから、より困難な状況を求めて挑戦していきます。学生の頃、沢登りをやっていたのですが、困難なルートをあえて選んで登っていました。地球の温暖化でエヴェレストは登りやすくなったのでしょうか。金と暇がある人はみな行くように思います。死んでもいいのでしょう。覚悟の登山ですからね。美しく死ねるのでいいかも知れませんね。しかし、混み合って順番待ちとは困ったものですね。

渡辺より  9.20

 こんばんは。体験記、拝読しました。私はあちらこちらお聞きしていましたが、まとめて読ませていただいて全体像、努力された跡がよくわかりました。抒情歌の会も復活とのこと、ほんとうによかったですね。近所なら私も参加させていただきたいところです。

 ところで母のことですが、一日中数秒~数分おきに「すみません」「お願いします」「お水ください」「早く寝かせてください」などを繰り返し、夜もベンザリン7.5mg+グラマリールを飲ませても2時間以上眠らなくなってしまいました。この間、ヘルパーさんがハルシオンを持っていたので、ハルシオン+ベンザリン5mg を飲ませたり、それ+グラマリールを飲ませたり、いろいろやってみて、その日は早く眠るのですが、すぐに効かなくなってしまいます。とにかく声をだすのでほかの人に迷惑がかかり、特養でも困ると思います。今日、デイサービスにみにいったら、車いすにすわっているのが疲れるのか(普段はねたきり)、表情がもう「死んで」いました。こうなると声はださず、寝かせてもらうとすぐに眠ってしまったので、特養にいってもこんな様子ならなんとかなるかと思いましたが、ずっとその表情になってしまうのではかわいそうだし。

 でもどこかであきらめるしかありませんね。わかっているのですが、うちに帰って来て普段の表情に戻った母の顔をみると、気持ちが揺れてしまいます。いいえ、もう決心しましたのでご心配なく。(7時に薬を飲ませて2時間半でようやく静かになりました)。
  
 話は変わりまして、先生は日高の山にも登られたでしょうね。私は大学1年の夏に富良野岳から旭岳まで縦走しました。その行きの夜行列車のなかで、福岡大の日高でのクマによる遭難記事を先輩から渡され、恐ろしさに身も凍る思いで登り始めたのでした。「余命1年」の騒ぎのとき、そのときの山の仲間が来てくれて、一人が手記を持って来てくれました。それが「クマの恐怖」で悲壮な覚悟で登った様子がうまーく書かれていて、大笑いに笑いました。 

Dr.Aより  9.21

 こんばんは。体験記を見ていただき、ありがとうございました。他には誰も見ないでしょうから、渡邊さんに見てほしかったのでしょう。メールのやり取りは本当に助かりました。知的会話がなかったので、知能の回復に役立ちました。このことを載せるべきでしたね。だいぶ回復しましたが波があります。また、左側に軽い痛みがあります。が、乗り越えていきます。

 お母様に眠っていただくには、薬を増やす他に方法はないでしょう。昼間、覚醒を続けるのも難しそうですし。何を増やすかですが、無難なのはマイナートランキライザーですね。今のお薬に加えるとよいかもしれません。デパス、ソラナックス、ワイパックスの類ですね。これで効果がなければグラマリールを増やすか、抗欝剤ということになりますね。抗欝剤のテトラミドを試すこともあります。

 山は油断していると牙を向いてくるので怖いですね。学生時代の無茶は今思い出してもぞっとします。沢筋を間違えて、元のルートに戻るのに岸壁をトラバースし下級生が途中で動けなくなったことがありました。死なせなくて良かったと、ときどき思い出します。冬山のホワイトアウトも厳しいですね。日高は毎年夏、沢登りに行きました。頂上まで沢をつめるのですが、最後はこの世の楽園と見紛うかのような花でいっぱいのカールにテントを張ります。元気だったらお連れしたい。熊には必ず会いましたが襲われると思ったことは一度もありません。水場が同じなので、熊の邪魔をしないことが肝心です。福岡大のパーティーは早く山から下りるべきだったのです。熊の縄張りに長居しすぎたのがまずかったのでしょう。
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by lumokurago | 2010-09-26 22:42 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その11

 渡辺より     9.5

 こんにちは。暴力に走りやすい人間は女性にも多少いるみたいですが、多いのはやはり男性ですよね。力が強いからでしょう。力が弱ければ暴力を振るおうと思ってもたいしたことはできないし。男性に暴力をふるっても負けてしまいます。男性の力を弱くしておけば、レイプもないし、戦争もなかったかもしれないとよく思います。でもその時は女性がレイプし、戦争を起こすのか? 女性は子どもを産む性だから戦争は起こさないと思いたいですが、女性が権力的になるとそれはまたすさまじいですからね。

 沖縄タイムス9月2日に辺見庸が千葉さんのことを辛辣に書いていました。それによると千葉さんは死刑の現場を見ていたとのこと。最近テレビも新聞も見ないので詳しいことまで知りませんでしたが、そうだったのか。自分が死刑執行命令を出した人の絞首刑になるさまを見て、その後平然と記者会見したそうです。どういう神経をしているのか、辺見庸の表現を読むと、怒りをとっくに通り越した冷厳なかなしみのようです。それは自嘲でもあります。先生が東京新聞を取っていれば、そちらにも載るのでお読みになったかもしれませんが、木曜日にもっていきます。

 亀井さんは三里塚に機動隊を導入した張本人だと最近何かでちらっと読みました。故後藤田正晴氏も元警視総監でありながら自衛隊の海外派遣に反対。今となってみれば、むかしの自民党のほうがましだったような気がします。

 話は変わって、おとといから突然、泊まり込みのヘルパーさんが交代しました。前のかたは突然別のところに行くことになり、大変ですが、母にいろいろわかるはずもない理屈を言っていたので、叱られているようでかわいそうでした。2度ほど注意しましたが、なおるものでもなく、いつも気になっていたのが、新しい方にかわって、その心配がなくなりほっとしました。(後略)

Dr.Aより    9.5

 こんばんは。男を暴力的でなくするのは簡単なのです。去勢すればよいのですね。いろいろな国でレイプ犯に終身刑か、去勢かを選択させていますね。私は合理的だと思っています。殺人犯も男の場合、千葉法務大臣の言うように残忍だというのであれば去勢がいいと思います。長野の田舎にいたので知っているのですが、雄牛も肉質を良くするため、去勢するのですね。そのとたんみなおとなしくなってしまいます。人間も暴力的な男は、そうするべきかも知れません。その場合、終身刑にするか去勢かを選択させるとよいですね。女性の場合も攻撃的な人がいますが、おそらくそういう人はアンドロゲンが多いのではないかと思います。女性の場合は女性ホルモンの定期的注射を義務付けるということですかね。

 おそらく千葉法務大臣は冷酷な人間です。死刑制度に賛成だったのに、格好をつけていたに違いありません。

 男を片っ端から去勢すると、子孫ができない状態となりますが、すべて試験管ベイビーにし、人工子宮を発明して生ませるとよいのかもしれない。そうなる時代がいずれ来るでしょうよ。

 ヘルパーは介護保険制度が始まってお偉くなってしまったのですね。国は介護福祉士という資格を創り、ヘルパーの仕事も身体介護中心へと変えてしまった。看護師の代わりに看護を安くさせようという考えですね。日本のフェミニズムは女性の介護からの開放を目指していたため、国のずるさを見抜けず、介護保険制度成立に利用されました。はっきりいって馬鹿ですね。今、介護保険はめちゃくちゃです。行政は、責任をケアマネージャーに押し付けて逃げています。介護という言葉も介抱と看護を合わせた新しい造語なのです。

渡辺より    9.6

 えーっ! 網野先生、こわいなあ。たしかに男性には死刑より脅し効果があって殺人やレイプの抑制になるかもしれませんが(?)、そこまでするのはちょっとどうかと思います。(終身刑がよいと思います)。去勢も女性ホルモンの定期的な注射も試験管ベイビーも人工子宮もフィクションならOKです。こわーい近未来小説ができますね。

 本人の同意がなくても家族の同意のみで臓器移植が行われるようになりましたが、心臓はどこどこ病院へ、肝臓はマルマル大学へ、腎臓は・・・と分解されて運ばれるなんて、ロボットの部品そのままですね。これも近未来小説に。と思ったらいまやっていることでした。

 介護保険に対してフェミニズムは賛成にまわったとのことですが、ウーマンリブの人たちはとんちんかんなのでありうることだと思います。私はリブが嫌いで、リブ関係者には近づきたくありません。なぜ嫌いかというと、あまりにも考えがこりかたまっていて一方的で相手の気持ちを想像することすらしないからです。象徴的なのですが、上野千鶴子さんは最首悟さんが重いダウン症のお嬢さんの星子さんを毎日お風呂に入れていることを「セクハラだ」と非難したんです。じゃあ、ほかに一体誰が星子を風呂に入れるのだ、と最首さんは怒っていました。教条主義的とでもいうのでしょうか。

 ところで国のやることはいつでも疑ってかかる必要があると思います。よいことをすることもあるのかもしれませんが、「かもしれない」程度だと思います。だから介護保険も疑うべきでした。

 さて、先日のスキゾフレニアの患者さんの薬について、良心的と思われる精神科医に聞いてもらったところ、次のように言われたそうです(友人が聞いてくれた)。
 ・精神科の薬としては中の上の量である。(11種類、20錠ですよ。驚き!)
 ・本人をよく診ないと何とも言えない。(それはそうだと思います)
 ・本人が副作用などで悩んでいるのであれば、いまの医者に相談してみるように。(本人は問題意識がないのです。こんど向いに住んでいるお世話している人が一緒についていってみるとのこと)
 ・他の医者に行くなら詳しい病歴を書いてもらうように。
 ・自分の病院は遠いので近くの医者がよい。

 良心的な精神科医でもそんなに薬をだすのでしょうか?? 精神科は身体の病気よりももっと薬漬けなのですね。そんなに薬を飲んで大丈夫なのか? と改めて思いました。

Dr.Aより   9.6
 
 こんばんは。男のレイプ犯には去勢がよいのです。アメリカのどこかの州は去勢か終身刑かのいずれかを自ら選ばせると何かで読みました。合理的だと思いました。レイプは再犯率が高いらしいですね。去勢してしまうと一ヶ月ほどで男ではなくなってしまいます。去勢を選ばなければ危険ですから、塀の中に閉じ込めておく必要がありますね。したがって終身刑です。

 フェミニズムは女のことしか考えないようですね。そのことで老人たちが被害者になってもよいという考えですね。利己主義者の集まりです。嫌いなのは、上野千鶴子、樋口恵子。昔世話になったけど大熊由紀子。などかな。目的のためには手段を選ばないという過激派ですね。

 schizophreniaのことですが、昔、興奮したschizoの患者さんと取っ組み合いになったことがあったのですが、彼はしゃべっているうちに褪めて行き、普通に戻っていきました。話せばわかるのです。薬でコントロールしようとするから大量になるのですね。精神科医も精神的余裕がないのでしょう。きちんと服用している患者は少ないはずです。

渡辺より   9.7

 そうかなあ。私はいくらレイプ犯であっても人間の身体を国(州)がどうにかすることは疑問です。強制ではなく、本人が終身刑よりそちらを選ぶならいいのかもしれませんが、それでも釈然としません。これは意見の違いということで終わります。

 私も嫌いなのでフェミニズムの弁護をするわけではまったくありませんが、男性である先生にわかってほしいのは、女性差別の歴史が長かった(ほんとうは過去形ではなく現在形です)ので、ウーマンリブの黎明期には、利己的になって女性の権利のことばかり言いすぎにならざるをえない面もあったのではないかということです。そこまで差別されていたのだし、だれにでも間違いはあるので。ただ、それから長い時間が経ったのだから、当然反省したり、考え直すことができたはずです。それをしていないのが嫌いな理由です。私はウーマンリブより少し遅れてでてきたメンズリブのほうがずっと身近でおもしろいと感じていました。

 (中略)スキゾフレニアについて・・・ 浦河の地域がどんなふうに変わったのか、東京にも精神障害者の作業所などがたくさんあるので、交流をもちながら地域が病気のことを理解し、一緒に生きていけるようになればいいなあと思います。(私は退職後、ほんの短い間ですが精神障害者の作業所のボランティアにも行っていました)。

Dr.Aより  9.8

 こんばんは。私はある意味ではプラグマテイストなのかもしれません。ジャック・キボーキアンのように死刑囚を臓器移植の供給源とは考えませんが。

 嫁姑の問題を論ずるときに、フェミニストはあたかも自分は歳をとらないような感覚でいる。そして老人を人間としてではなく、役立たずの介護の対象としか観ていない。このあたりからフェミニズムが嫌いになったのですね。また、目的のためには手段を選ばないという発言を平気でする上野さんのような人にも違和感を持ちました。極論すると老人虐待も仕方がないとなりますね。

 女性は抑圧されているというのが一般的考え方ですが、男と女という二項対立ではなく、社会全体の構造について考える必要があると思います。そして一方的に弱者として女性を観るのではなく、権力は女性の側から、社会全体にもたらされる可能性についても考慮すべきかと思います。なにせ、社会の半分は女性ですから、現代社会において、女性を一方的被抑圧者と考えるのは間違っているかもしれないと考えるのです。

 schizophrenia は社会に一定の確率で存在せざるを得ません。したがって、時に起こる事件は必然であり、やむをえないと考えるべきでしょう。問題は社会の対応にあります。どうにもならないことをあってはならないとすべきではありません。一応こう考えました。

 手の知覚再教育の本がとどきました。少し読みましたが、ヒントがありました。私は感覚のことだけを考えていたのですね。運動との関係は解っていたのですが、感覚から運動へ結びつけることに固執していました。ここが間違いだったことがわかり、運動も大事であると考えを改め、あきらめかかっていたギターの練習を再開しました。目的を持って手を動かすことが大事であるという当たり前の基本に戻ったわけです。少し、遠回りしましたが、気力がでてきました。
     
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by lumokurago | 2010-09-10 21:58 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その10

渡辺より   9.2

(前略・中略)また、来週木曜日の(ビデオプレスの)取材、どうぞよろしくお願いします。私も一緒にお伺いします。メールにはたくさん書いてくださっていますが、お医者さんがなりたくない患者になってしまった感想を話していただきたいです。それからお医者さんは患者をおおぜい看取ってきているので、「死」に対する感覚が一般人とは違うと思うのですが、そのあたりもお聞きしたいです。「死」が身近だということが死を受け入れられる大きな要素かなと思うのですが・・・。私もたった二人ですが乳がん患者を看取っているし、父も看取りました。死にゆく人と長い時間つきあったことが自分が死を認められることとつながっていると思います。

Dr.Aより  9.2

 (前略・中略)死は私の場合、日常的出来事になっていますかね。ですので、恐怖感はありません。しかし、最近、刑場をテレビで見せられたときは、不快感を覚えました。あの法務大臣は嫌ですね。結局は死刑に賛成じゃないかと。囚人が残虐な殺人者だったことを理由に挙げていましたね。何のために公開させる必要があったのか。選挙に落ちた腹いせとしか考えられない。

 死は人生の最後に自分のコントロール下で向かっていくものと思っています。それを他人に操作されるのは病人であっても嫌ですね。死ぬ瞬間はわからないにしても。そのとき自由でありたい。変な話になりました。来週またお会いしましょう。

渡辺より  9.3

 (前略・中略)法務大臣は結局、志のない人だったのでしょう。まわりの圧力なのかなんなのか? 網野先生じゃないけど人間の常ですね。こういう場面で志を貫ける人というのはごくごく少ない(ほとんどいない)と思います。だから誰がなっても同じだと思います。(近藤先生は別)。

 死ぬ瞬間に自由であるというのはどういう意味ですか? お医者さんの自由にならないということ? もっと深遠な意味ですか? 今度のインタビューのとき話してください。

Dr.Aより  9.3

 死は生と同じく自分自身のものなので、他人の関与を許すことはできないと考えています。ジャックキボーキアンが自殺装置を作り逮捕されましたが、スイッチは望む本人が押すようになっていたそうです。

 死刑囚にはどうすべきかですが、死について深く考えもせず、安易に国家が殺すことは避けるべきだと考えます。被害者感情に配慮してという話をよく聞きますが、被害者の家族がどうしても殺したいのなら、自らボタンを押すのがよいのではないでしょうか。昔の仇討ちと同じようにです。ボタンを押せないときは終身刑とするのです。囚人も被害者の家族に殺されるのなら納得して死ねるような気がします。

 国家に死刑という自動的な仕組みの存在することが私には不快なのですね。死に方について、良し悪しという基準はないでしょうが、そのとき精神的に自由であるといいと思うのですね。囚人も国家ではなく、被害者の家族に殺されるとわかると精神が開放され、自由度の高い状態で死んでいけるような気がします。どうでしょう。

 国家のいろいろな自動システムが1984を連想させ嫌なのですね。一般に病院を嫌うのは自由度が低いからでしょう。監獄と同じですからね。それにしても、あの根性なしの法務大臣にはあきれます。要するに自分だけがかわいいナルシシストなんじゃないでしょうか。あるいはヒステリー婆さんか(差別用語で失礼)。普通の精神の持ち主なら、選挙に落ちた時点で辞職していると思いますね。

渡辺より  9.4

 死刑については私も国家が殺すことには反対ですし、どの事件でも冤罪の可能性を否定できない以上廃止すべきであると考えます。菅谷さんの無実を証明する新しいDNA鑑定が出た直後、同じような事件で死刑判決を受けていた飯塚さんの死刑が執行されました。諸外国であれば当然飯塚事件でもDNA鑑定のやり直しになっていたところです。それなのに「みつからないうちに速くしろ」とばかり飯塚さんの死刑を執行した。(中略)その後再審請求がなされていますよね。やらないよりはましとはいえ殺してからでは遅い。こういう日本の精神風土自体を変える必要があると思います。(中略)

 被害者家族にも2種類いて、光市母子殺人事件の本村さんのような人もいれば、長年かかって加害者を許す被害者家族もいます。その違いはどこからくるのでしょうか。このあいだ先生のところまで車で送り迎えしてくれた友人は、お母さんを交通事故で殺されましたが、「死んだ人より生きている人のほうが大事」と言って、犯人(幼い子どものいる若い母親)に何も要求しませんでした。先生も自転車の事故のことを書かれていましたが、似てるなあと思いました。誰にでもできることではないと思います。この場合もこちらはごくごく少数派でしょうね。

(中略)この違いってほんと、なんなのかと思います。

Dr.Aより  9.5

 今日は。人間の脳には暴力のスイッチがあるでしょう。また、それを抑制する仕組みもあります。
社会が暴力を肯定している未成熟な国がたくさんありますね。日本も含めて。発作的に暴力に走るのは動物そのものですから、人間も動物である以上やむをえない側面がある。

 それに対して死刑制度が抑制的に作用するというのは嘘ですね。制度ではなく、抑制的な人間として育たなかった教育に問題があるのかも知れない。しかし、個人の努力にも限界があるでしょう。国家のレベルなら暴力を否定し、人間の野蛮性を脱却できるかもしれない。亀井さんは警察官僚だったけど、割とよく考えているのですね。このような議員に期待し、一日も早く死刑制度を廃止すべきだと思います。

 ビール毎日飲んでいます。おいしいと余計に飲めますね。脳は健在です。
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by lumokurago | 2010-09-06 22:38 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aのメール番外編 がんは末期発見のほうがよい

★まず、非浸潤がん(転移しないので放置でよい)へのDr.Aの意見です。

 癌は、真正か、もどきかのどちらかですが、どちらにしても経過観察で良いのです。このことは渡辺さんの本に詳しく述べられていますね。問題は理解できるかどうかでしょう。大多数の医者は常識を越えることができないので、理解しようとしないでしょう。理解させようとするのは疲れます。いずれ歴史が証明するでしょうから、我々は少し休みましょう。

★次はすい臓がん末期が見つかった場合の意見です。

 以前よりすい臓がんは発見時に末期であることが多かったですね。しかし、少しでも早く見つかると、いろんな治療を受けさせられいろいろな意味で大変になる。すい臓がんは末期発見のほうがよいはずです。一般にがんは末期発見がよいのです。渡辺さんのように、勉強すると、そういう結論が出て、その人の場合も末期でラッキーだったとなるはずです。そして、死も受け入れざるを得ないというふうに理性的に考えていけるわけですね。

 早期早期とはやし立てているが、実際には早期も中期も過ぎてしまい、末期になっているのがよいでしょうね。早期は精神的に悩み、治療に苦しむ。これが定番ですね。
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by lumokurago | 2010-08-31 20:14 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その9

 (中略)の部分は公開に不向きな個人情報等のため省略しています。わかりにくい点はご容赦ください。

渡辺より  8.26

 網野先生、こんにちは。ゆうべはよくお休みになれましたか? 母はなんと8時間以上ぐっすりでした。その後も1時間くらいは朦朧としていました。同じ量を飲んでも日によって効き目が違うようです。

 話は変わりますが、たまたま最近知り合ったスキゾフレニアの患者さんの飲んでいる薬が1日に21錠と聞いて、驚いて処方箋を借りました。

 『なぜうつ病の人が増えたのか』にも書いてありましたが、精神科の薬の出し方がこんなにひどいとは!!ネットで調べたら向精神薬が数種類、副作用止めと思われるパーキンソン症状を抑える薬も数種類、なぜか心臓病の薬にアレルギーの薬(副作用止め?)、睡眠薬も数種類・・・。しかも精神療法に330点もつけていますが、聞いてみたところ、「眠れない」などと話しているだけなので精神療法ではありません。

 ご本人はこれらの薬のおかげで症状が抑えられていると思い込んでいるので、「薬が多すぎてよけい具合が悪くなっているかもしれないよ」などと言っても聞き入れません。(中略)自分で判断できない患者さんにこんなに薬を盛って儲けるなんて、ひどすぎます。たまたま知り合いの知り合いにやはりスキゾフレニアで同じ医院に行っている人がいました。評判のいい精神科だということです。精神科医にはこうやって弱者を餌食にする人がいるのですね。許せません。(中略)なんとかして薬を減らせないかを考えることにしました。一人杉並に「闘う精神科医」がいるので相談に行ってみようと思っています。(中略)

 「知的レヴェルの高い人でも死を受け入れらない」典型は私の本に引いた戸塚洋二氏やスーザン・ソンタグ氏です。完全な科学信奉、進歩主義です。私の印象に残っている「当たり前に死を受け入れた」人は自立援助ホーム(親と暮らせない悪いことをした子どもの施設)の代表だった広岡知彦さん。肝臓がんが発見されたときはすでに余命3カ月で、毎日泣きっぱなしの奥さんに「人間はみんないつか死ぬんだよ」と一言言ったそうです。この話を聞いたとき「広岡さんらしいなあ」と思いました。東大で何かを研究しながら、二足のわらじで家族で憩いの家に住み込んでいたのですが、あるときお父さん(広岡知男氏ー元朝日新聞社社長)に「頭のいい人はたくさんいるよ。ぼくはお父さんの子どもだから頭は良くない」と言って、東大を辞めたそうです。静かで子どもが何をしても叱らず、ただ見守ってていました。死を自然に受け入れる人というのは生きかたも自然体のようです。私はもう広岡さんの亡くなったときの歳を超えました。

 脳梗塞でも薬を飲むのと何もしないのとが変わらないなんて、やはり医療はいらないということ?(後略)

Dr.Aより    8.26

 朝までねむり、昼寝もしました。今日は快調です。

 心臓移植批判で有名な中島みちさんが、癌の手術の後助けられたと思って、現代医療擁護派に変身しましたね。がっかりしましたが、これが人間と言う動物の真の姿でしょう。あれほど知的な彼女であっても医学信仰の虜になってしまう。信仰はインテリジェンスの問題ではないのでしょう。

 schizophreniaの患者さんへの投薬は多すぎます。しかし、患者さんもそこを解っていて、自己判断で減らしているようですね。幻覚があってはならないと言う考え方が間違っているように思います。そうではなく、幻覚は病気なのだからしかたがないとして、幻覚との付き合い方を教えるのがよいとおもいます。

 精神医学は、薬理学が殆どになっていますからね。そこが問題です。そろそろ、変わる時期かと思いますね。私がその道のプロでしたら、何か行動をおこしていたかも。当院にお話するためにだけで通っていたschizoの患者さんが自宅で薬を酒のつまみにして、結局亡くなったのですね。頭の良い人だったので薬についても分かっていたのです。自殺の可能性もありました。当院の催し物にも必ず出席してくれて、普通に付き合えるひとだったのですが、残念でした。

 精神科医に問題があるケースも多いですし。まず、自分を治療すべきであるような精神科医も多いですね。それと、他人の精神を弄ぶいやらしい精神科医もいる。良い精神科医を探しましょう。

 私の脳梗塞は放置でも同じであったのではないかと思っています。発症から3日遅れで入院しましたし、使った薬は効くには遅すぎたのです。頭が狂っていなかったら家にいたと思います。友人が脳外科の教授で、女房がそこへというので、従いました。狂うといろいろな判断ができなくなり他人任せになってしまいます。入院で、することがなくなり、気持ちが楽になり、脳も自然に回復したのに違いありません。いくら友人だとは言え全幅の信頼を置くわけにはいきません。そいつから、医学をみなおした?といわれたが、「ばかやろう。こんな程度で見直すわけないだろ」とは口では言わず、心でいいました。手術を提案されたときは、「死んだっていいんだよ」といい断りましたがね。奴は僕の本を読んでいるね。まあ、現代医学への信仰心がなければ、医学部の教授などできませんね。今飲んでいるくすりは血管の詰まりを抑える作用を持っています。過去に動脈硬化の患者さんに使用して血管が再生した経験があり、これならいいだろうと妥協して手術の代わりに飲み始めました。どうなるか、結果でわかるでしょう。しかし、脳の病気にはなりたくないですね。oh.noです。とにかく患者にはなりたくないな。

渡辺より   8.27

 こんにちは。よく眠れてよかったですね。

 さっき、慶応病院から帰ってきました。腫瘍マーカーのCA15-3が正常範囲内に下がっていました。CEAも下がっていたので、取材の人の「がんが小さくなったということですか?」という質問に、「両方が下がっているので小さくなっているということ」というお返事でした。腫瘍マーカーにも懐疑的な近藤先生がそうおっしゃるのでたぶんそうなのでしょう。一応うれしいけど、それは近藤先生や網野先生や私のことを心から死なないでほしいと思ってくれている友人が喜んでくれるからであって、本人は「まあそんなものか」という程度なのです。この冷め方はなんなのでしょうか? ひねくれ者だなあ。自分でも不思議です。大喜びしてまたすぐに上がるのがこわくて防衛しているのかも。

 でも一応延命されているようなので、来年のお花見はできるな。うちの別荘は桜並木の真ん前にあり、2階の窓枠が額縁のようなのです。

(中略)近藤先生に網野先生が往診を再開なさったと言ったら、喜んでいました。電気自動車(普通自動車を運転できなくなってしまったDr.Aが往診に使っているもので、遠くまで行くために改造しようとしている)の改造はできそうですか? 子猫(Dr.Aの2階のベランダで野良猫が産んだ)のことも言っておきました。近藤先生は子猫のかわいさは特別と言ってました。うちに野良猫が来てえさをあげている話をしたら、ネットを見ていると(近藤先生も猫好き。犬しか飼ってないけど)野良猫がなついて家猫になる例はけっこうあるとのことでした。(なんの話をしているんじゃ。患者が少ないと楽しいです)。

 ところで、先生のスキゾの患者さんに対する考え方は北海道の浦河でべてるの家をやっている精神科医川村敏明さんと同じです。ご存じですか? HPを見たら「妄想幻覚大会」なんかやってておもしろそうです。近かったら一度行ってみたいです。亡くなられた患者さん、残念でしたね。数年前、新潟水俣病などの自主制作映画を撮っていた佐藤真さんがうつ病で、退院した日に飛び降り自殺しました。うつ病は元気を取り戻しかけたときが一番危ないと言いますし、薬の副作用も考えられます。私もうつ病のときは「自殺もその人の決意で、それ以外なかったのだから仕方ない」と思っていましたが、元気になってみるとやはりなんとか自殺せずにすめばそのほうがいいなあと思います。

 脳の病気にはなりたくないという先生の気持ちはわかりますが(がんになる予定がくるってしまったとおっしゃっていましたね)、経験を生かしてよりよい医者になれると思います。(と、押し付けています)。

 ところでがんと脳血管障害と心臓病が日本人の3大死因なのに、なぜがんばかりがこんなに恐れられるのかという話に、今日なりました。がん産業のせいかな?という結論になりました。保険会社はがんになると何千万もかかるので保険に入ろうと宣伝しているそうです。代替療法を受けることを前提にしているのでしょう。脳血管障害や心臓病には代替療法の話はあまり聞きません。なぜなのかなあ?(後略)

Dr.A より   8.27

 こんばんは。(中略)電気自動車の改造はまだまだ時間がかかります。素人の発想が通用するのかどうか、修理工場と相談の段階です。

 浦河の試みはドキュメンタリー番組で放映されていましたね。それを観た時共感しました。いろいろな批判はあるようです。特に精神科医からのが酷く、治らないのに幻想を与えているというようなことでしたかね。患者も社会も変わらなければならないと思うのですが、一歩進んで患者側から変わっていこうと言う考えですね。浦河が精神障害に理解のある地域へと変わっていると素晴らしいですね。

 癌には作られた隠喩がありますね。これは、お嫌いなスーザン・ソンタグが言っていたことかな。私も特に好きではないけれど癌と言うと不治で死を連想させるので特別扱いであることは事実ですね。昔結核、今癌ですかね。渡辺さんがもう一冊書くとしたら、「癌ほど素敵な病は無い」でしょうか。と言うよりも私の場合も含めて病はやむを得ないのです。そして、死も不可避です。患者にはなりたくないが、病むこと、死ぬことは仕方のないことであるという論調が世の中に欲しいと思います。(後略)
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by lumokurago | 2010-08-30 19:28 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その8

 少し間を飛ばしたのでわかりにくいところがあるかもしれませんが、ご容赦ください。

渡辺より  8.24

 こんにちは。今日もなにかせわしく過ぎて行きました。看護師さんがみえて、お休みを取っている住み込みのヘルパーさんの交代の方が1泊で見えました。ゆうべはベンザリン5㎎で10時半から6時まで眠ったので上出来でした。たしかに母は何か言いたいのだと思いますが、その意味がわかってもどうしてあげることもできないでしょう。たぶん、退屈だとか不安だとか痛いとかだと思います。そばについていると奇声をあげたり音をたてたりはしないので、安心するのかなと思います。自分のストレスにならない程度にそばにいてあげるのがいいと思います。

 不安な人は同意してもらい、共感してもらうことでほっとできますよね。話を聞いてもらいたい時も、相手の意見を求めているわけではなく、ただ聞いてもらって気が晴れることもあります。自分のことばかり話したい人は人の話を聞くことができません。

 私は子どもがほしかったですが、それは「自分の子ども」でなくてもちっともかまわず、遺伝子のことは考えたことがありませんでした。単に子どもが好きなので長い間一緒にいたかったのです。楽しいと思います。と言っても、いま、子どもを育てることはほんとうに大変。小さいころから競争社会なので。そしてちょっといい子(真の意味で)に育ってしまうと社会に適応しづらくなってしまいます。そんな例がまわりにけっこうあります。

 私の関わった家庭的に「恵まれない」子どもたちはみんな「暖かい」家庭を求めて(?)早くに子どもを産んでしまうのですが、多くが短期間で破たんしてしまいます。これも遺伝子? と考えると暗くなるのですが、『Happiness』にはそうでもないと書いてありました。先生が家庭というものに懐疑的になられたというのは非常に冷静なことだと思います。

 ぜんぜん関係ないのですが、近藤先生に赤ちゃんに必要な予防接種のことで質問したとき、効き目があるのはポリオくらいだが、それも長いこと流行してないから必要かどうか疑問、でも予防注射を拒否するのはまわりとの軋轢が大変だから孫がいなくてよかったとおっしゃっていました。潔癖な人ですが、そこまで考えてるのかと驚きました。

 ビタミンC療法(ある患者さんが余命数ヶ月を告げられ、試そうとしている代替療法:「親戚の医者」に勧められた)はアメリカの製薬会社の陰謀でしょうね(この療法ではアメリカ製のビタミンCを使うとのこと)。『なぜうつ病の人が増えたのか』を読んで、商魂たくましい製薬会社の実態を知りました。近藤先生は99.9%の医者は勉強してないと常々おっしゃっていますが、製薬会社のいいなりなのですね。その「親戚の医者」がビタミンC療法をすすめるわけはなんなのか? 本気で信じているのか? やはり金をもらっているからなのか? 世の中すべてお金・・・なぜ人間はこんなにお金が好きなのかいやになってしまいます。(後略)

Dr.Aより  8.24

 こんばんは。また、起きてしまいました。確かに譫妄状態には打つ手なしで、眠っていただくことが多かったと思います。ケアはきれいごとでは済まされないのですね。患者さんは現実と夢の世界を往復していますので、戻ってきたときに楽しめるようになっているといいですね。

 遺伝か環境かという問題は難しい。里子の研究では幼児の頃は里親の影響が大きいが、成長と共に生みの親の性質が前面に出てくると言いますね。双子の性格上の一致率は高いし。そこで、遺伝に軍配を揚げるということになるのかしら。やはり、私は宿命論者ですね。

 産官学の癒着の構造は患者のためになっていないのです。患者さんの希望は死にたくはないですから、C療法に行っちゃうように思います。もったいないといっても、何もしないではいられないとなります。人間希望が欲しいのです。諦めろといわれても、自分の気持ちに従っていく人が多い。そこに、医者達が付けこんでくる。さらに、代替療法が待ち構えており、その餌食になっていくひとが多い。社会全体が医療に懐疑的になる必要を感じます。

 カラスが啼いてきました。良く聞くと、啼き方にもいろいろな種類があります。餌の在りかでも伝えているのか。

 人間は極端に死を恐れる動物であるがゆえに、繁栄したのか。どうでしょう。

渡辺より    8.25

 こんにちは。先生もうまく眠れないみたいですね。大丈夫ですか?

 ほんとうに老人介護は「生きるも地獄」みたいなものです。去年の11月までぼけてはいても元気でデイサービスも楽しめ、私に報告もできたのに、大腿骨頚部骨折によって寝たきりになり、楽しむ能力をほとんど失ってしまいました。それでもベッド上で生きていなければいけないのはつらいと思います。私は特にそう思い込んでいるのかもしれませんが、本人はそんなに深刻でないことを望みます。

 里子のことは『Happiness』に書いてありましたね。これは環境の問題ですが、片親の子どもがうつ病になりやすいなどとも書いてあり、仕事で片親の子どもをたくさんみてきた私はけっこうショックでした。でも両親そろっていてもけんかばかりしている家もあるだろうし、そういう家は片親と比べてどうなのか。まだ研究は足りないと思います。(中略)遺伝を問題にすると差別にもつながるのでむずかしいです。

 少し読んだら英文に慣れて読めるようになってきたのですが、読んでいるひとつの文章がわかるだけで、全体を見ようとしてもだめ。ちゃんと考えようとして、いま、暇にまかせて日本語に訳しています。変なところに凝り性なのです。

 「死にたくない」一心で「いちかばちか」「万にひとつの奇跡を信じて」、命の問題なのだからお金には代えられないということになるのでしょう。まったくない人はできないのですが、少し無理すればできる人はそうなってしまうのでしょうね。やはりそういう患者や家族の気持ちにつけこむ医者や製薬会社が悪いとしかいいようがない。けど、金儲けは人間の性だから、彼らは変えようもないのであって、患者や家族が自衛するしかないでしょう。そのためには賢くなるしかないけど、「あらゆる手は尽くした」と思いたいのが人間なので、いつまでたってもなくならないような気がします。

 昨日取材(ビデオプレスが私を取材している)があって、またまた「なぜそのように死を受け入れられるのか」と聞かれました。聞かれるたびにいろいろ理由を考えるけど、結局は自然にそうなったということで、昨日考えついたのは合理的な人間なのだということです。運命は運命として受け入れるしかないとわかっていること。そして嘆いても仕方がないことで大切な時間を使ってしまうよりも、同じ時間に楽しいことをした方がいいということです。ごくわかりやすいと思います。

 今日は十五夜で、別荘でお月見をします。母もヘルパーさんが連れて行ってくれます。元気なころは、いつも窓から月を見て「きれいだから見てごらん」と私に教えてくれました。一瞬でも見て「きれいだね」と言ってくれればうれしいです。

 よくお眠りになれますように。

Dr.Aより    8.25

こんばんは。眠れないのは、病前のように仕事をしていないからかもしれません。今日は、午後少し遠めの往診をしましたので疲れで眠れるでしょう。このメールが本日の最後になると思います。あるいは、脳のダメージでメラトニンの分泌が足りないのかもしれません。

 schizophreniaの一卵性双生児の一致率が48%ということは、遺伝性が高いということを示していますね。しかし、環境要因としての母体の状況の変化も原因として考えられています。胎児期に脳神経へ影響を受け、一定の時間を経て思春期に発症するという仮説もあるようですね。したがって、環境要因の方が大きいかもしれない。

 人間は必ず死にますからね。この真理を受け入れられる理性の勝っている人と受け入れられず、遺伝子の命ずるまま闇雲に生き続けようとする人の違いがありそうですね。合理的ということは、理性的であるともいえるのではないですか。一般に、知的レヴェルの高い人でも、受け入れられない人が多いようですね。やはり遺伝子の為せる業かな。

 脳梗塞になって、なぜ私は入院したのでしょう。家に居続ける選択肢もあったのに。確かに病院でいろんな薬を使ったが、それで救命されたとは思いません。何もしなくても結果は同じだったと思うのですが。
 
 狂っていたので冷静に考えられなかったことは事実ですね。MRIで梗塞の場所が予め分かっていれば様子を観たかもしれない。

 渡辺さんの場合は理性的であり続けられたことが大きいのではないでしょうか。脳がやられちゃうとそれができなくなるので困るのですね。死を受け入れられないのは心理的外傷を受け冷静さを失った状態とも考えられるかもしれませんね。今日は寝ます。また。
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by lumokurago | 2010-08-29 21:30 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その7

Dr.Aより  8.15

(前略)立ちつくすには強靭な精神が必要な気がします。一般には最初の分類に当てはまる人間が多いでしょう。立ちつくせなくてもよいとならないと、人間は精神主義から逃れられないのではないでしょうか。基本的には、私も立ちつくすタイプかもしれませんが。宗教や思想にはついて行かれないニヒルでアナーキーな人間です。(後略)

渡辺より  8.16

 (前略)「立ちつくす思想」のことですが、先生が「精神主義」と言うだろうなあと思っていました。前にも書きましたが、先生みたいに「人間は馬鹿だ」とか「革命は宗教だ」とか「諦めるしかない」とか「絶望だ」とかはっきり言葉に出して言う人に初めて会って、「その通り」と思っていますが、こんな私でさえも完全にはあきらめきれないのです(先生だってやっていることはそうでしょう?)。(中略)

 それとこれは別なテーマですが、先生とメールのやりとりをしていて、「男女の違い」を感じていました。先生はいろいろな思想家の引用をしていましたが、私は自分の経験ばかり書いていました。女というものは(と、くくるのは語弊があるか)理屈ではなく直観や感覚で動いているものです。愛媛で教科書裁判をやっている仲間が全員男性で、杉並は男性は少数で女性パワー全開です。男性は延々と議論しますが、女はおしゃべりしながらなんとなく決めてしまい、細かいことにはあまりこだわらずに実行します。その差はおもしろいですよ。

 『みんな家で死にたいんだに』を読み返したのですが、先生は私から見ても立ちつくすタイプそのものですね。

 感想をあるブログのコメント欄に書きました。転載します。

 網野晧之医師が解説に書いてくださったように、医療信仰が一番大きな問題だと思います。なぜ医療信仰がこれほど高まっているのか。それは現在の社会が「病気」「老い」「障害」などを効率という面から切り捨て、マイナスのレッテルを貼っていることと関係があると思います。「病気」「老い」「障害」などはいつだれに起こるかわからない、人間にとって自然なことであると認める必要があるでしょう。そしてそういう状態になっても差別されることなく人間らしく暮らしていけるようになれば、病気や老いに対する不安やおそれも少なくなり、医療に過度に期待する必要がなくなります。また、現在では家庭で老人を看取ることも非常に少なくなり、逆に「死」に対する知識が貧困でおそれが増しているということがあると思います。

 科学的な知識を得たり、製薬会社との癒着構造について知ったりするだけでは、人びとは「おそれ」を乗り越えて医療信仰をなくすことはできないのであって、知識を広めると同時に病気や死をあたりまえのこととして受け入れられる社会を作る必要があると考えるようになりました。(網野医師の『みんな家で死にたいんだに』を読み返して考えたことです)。(後略)

Dr.Aより  8.16

 (前略)立ちつくすですが、自説を曲げないと原理主義者と言われてしまいますね。世の平準に近づいていかない常識を否定する人間は変人扱いされてしまいます。立ちつくしていると社会からそう見られ、一方で社会は少しも変わらない。そこで、諦めたとなるのですね。

 コスタリカの例をおっしゃっていましたが、日本は議論のできない国なので困るのです。裁判官もヒエラルキーの頂点に向かうためには自重していなくてはならない。体制を批判するような判決は出世の妨げになります。弁護士から最高裁の判事になっていく人は違うでしょうがそれでも、いわゆる正常?で普通の人間でないと採用されないでしょう。(中略)

 私の場合、立ちつくすではなく立ち往生というべきかもしれません。

渡辺より  8.17

 「立ち往生」受けました!! 「医学はかせに点々」以来、大受けしました!!(後略)

 ★ Dr.Aとのメールはこの後、山やスキーの話になっています。Dr.Aは富士山からスキーで滑降することを計画していたそうです。休みが取れれば今年の5月に実行するはずだったとのこと。まさか左半身まひになるとは予想していなかったので、いつか行けると思っていらしたそうです。人間いつ何どき何事が起こるかわからないので、「思い立ったが吉日」ですって。エベレストにも登りたいと思っていらしたそうです。

 また普遍的な話題がでてきたらご紹介します。
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by lumokurago | 2010-08-23 10:13 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その6

Dr.Aより  8.13

 こんにちは。赤軍派の彼らは基本的に革命を信じていたでしょう。そして、その信仰心をお互いに確認し合っていた。総括と言っていたようですが、スケープゴートが必要だったのではないかしら。総括が上手にできないとスパイ、反動というレッテルを貼られ粛清されたのでしょう。そういうのはスターリンが始まりかな。オーウェルの1984にも最後は改心して従順に処刑を受け死んでいくような場面があったとおもうのですが、総括は反省じゃ駄目で、前向きでなくてはならないようですね。悪かった、すみませんではなく、今度はさせる側にまわり、本当に総括できたかを見せてみろといわれ殺すという。この繰り返しだったでしょう。批判は即死刑でしょうから、できませんね。左翼の殺し合いはスターリンで十分ですが、人間の本質疑心暗鬼がそうさせたのかな。性悪説ですけどね。

 日本の共産党も似たような事件を起こしていますね。宮本顕ニは殺人者であると、今、巷をにぎわせている浜幸が言ったことがありましたが、どう考えてもその通りなんですね。徒党を組み権力に追いつめられると、誰でもそうなってしまうのでしょう。人間の脳にはそういう仕組み・攻撃性があるのでしょう。

 人間はそれほどお利口じゃないという意識でいないと、皆本能に負けておかしな方向へ行ってしまうのじゃないですかね。それが理論化されてくると、さらにおかしくなってしまう。人殺しも平気になるのですね。人間は理論に弱い。人間と言うのは動物で猿より少しましな程度であると抑制的になっていないと、馬鹿ですから、結果を観て後悔すると言うことになる。憲法前文に、人間の程度というものを書いておくのが良いですね。国連憲章にも。あるいは、はっきりと人間は馬鹿であると規定しておくべきかしら。私は馬鹿という単語が好きになっています。

 現代社会はベンサムのパノプチコンで、誰も判らないように何かにコントロールされているのでしょう。そういう構造をもっている。しかも、これを変えることはできないのですね。何故なら権力の正体が政府でも、官僚でもなく、末端機構と言われる警察でも裁判所でもないので。結局我々は自分で自分の首を占めている。これが管理社会における権力の正体ではないかという。権力は上ではなく下から来ると言ったのはフーコーです。この状況は民主主義ではかえられないし、当然革命でもかえられないし、とうぜんテロルでも駄目です。

 絶望的ですね。結局慰め合うしかないというのが私の結論です。

 何年か前に瀬戸内海の島が売りに出されていましたね。無理すれば買えない値段じゃなかったので欲しいなと思いました。しかし、現代社会から逃れてその島を所有しても結局は日本の国の中でしかなく、法律などでがんじがらめの状態であることに変わりないのです。その島に誰も来なければよいのですが、役人や警察は必ず来るでしょうしね。それを買った人がいたと聞きましたが、維持管理が難しい様子で買わなくて良かったと思いました。管理社会に慣れた私たちは、管理されるのは上手ですが、管理するのは苦手でしょう。

 諦めましょう。諦めるのは悪いことではありません。トマス・モアの「ユートピア」はどこにもないという意味でしたね。昔から解っていたのですね。下伊那の方言で仕方がないを「ショーねー」と言います。皆「ショーねーなー」といいました。こういうと諦められたのですね。モアも殺された時はショーねーなーと思ったのではないでしょうか。

渡辺より  8.14

 母のこと、お返事ありがとうございました(注:別メールです)。去年の11月末に大腿骨頚部骨折で歩けなくなりました。歩けていたときは日常生活は自分でできていたのですが、テレビや音楽はもうわからなくなっていました。ほかにやることがないので1日に何度もバスででかけ、同じバスに乗って帰ってきていました(それ以上のことをすれば迷うということを自覚していた)。歩けなくなってからは「何すればいいの?」が口癖になってしまいました。デイサービスに行けば適応しているのですが、うちでは何もすることがありません。ときどき奇声を発するので、私が「抒情歌」を歌うと少し一緒に歌いますが長続きはしません。散歩にでかけても楽しめず、「早く帰ろう」を繰り返します。能力が相当落ちていると思います。ゆうべ一晩目がぱっちりだったのに今日も騒ぎ続けましたが、さきほどやっと薬で眠りました。何もすることがなくて(何もできずというか楽しめず)一日中ベッドの上で天井を眺めているというのも辛いだろうなあと思います。だから甘いものを飲みたがるのでしょうね。
 
 ところで・・・「タブー」なのでなかなか言えませんが、「絶望的」「諦めるしかない」ということは私もいつも思っていました。人間の遺伝子の為せる技ですね。みんなに言うと怒られるので、あまりはっきり言ったことはなく、先生みたいにはっきり言葉にする人にははじめて会いました。あと「いつ死んでもいい」と言うことも「タブー」です。私がそう言うといつも誰かにたしなめられていました。ほんとにいつ死んでもいいのだから言ってもいいじゃないか、どうして取り繕わなくちゃいけないのかと思っていました。

 私のまわりのみんなは「諦めない」が合言葉です。私は彼らには近づけないけれど、絶望し諦めていながらなぜかまだ裁判などやっているわけです。 田川建三という思想家がいて、キリスト教批判をしているのですが、『立ち尽くす思想』という本がありました。そのころ、高校時代の友人がICUに行き、洗礼を受け、私にも勧めたりしたため読んだのです。「立ち尽くす思想」とは「動かない壁の前に立ち尽くす、押し尽くす」というものです。私の生き方としてはそれしかないかなあと思い、ことあるごとに思いだしています。

 共産党が戦争中(?全共闘時代?)リンチしていたということは友人から聞いています。だから友人は共産党と中核は同じだと言っています。たしかに人間は弱い存在だということを自覚することが必要だと思います。人間の遺伝子(性悪説)に気づいていないと自覚のないままとんでもないことをしてしまうのでしょう。自分もいつなんどきそうなるかわからないのでこわいと思います。

(中略)

 長くなってしまいました。もうひとつだけ。島のことですが、日本人がフィリピンの島を買って、現地の人を雇用して観光地としてうまくやっているみたいな話があります。本もでています(読んでいません)。日本人のもっている金にまかせて好き勝手やってるみたいで、いやな話だと思っています。

 島をもらって独立するためには、いまの状況では独立戦争をしなければなりません。とてもとても無理。私がアメリカ大統領だったら、ハワイもグアムもアラスカもプエルトリコもインディアンも独立させるのになあ。

Dr.Aより 8.14
 
 こんばんは。お母様、今夜眠れるとよいですね。書きもらしたのですが夜間譫妄があるとグラマリールは必要かもしれません。その際、腸閉そくに注意する必要があります。
 
 良く分かりませんが「立ちつくす」というのはある種の諦めの表現なのでしょうか。神の存在について否定してみたものの、存在しなければ宇宙は無いだろうし、全ての説明が不可能になってしまう。そういう状況では立ちつくすしかないのかなとおもいました。わたしは、彼の本は読んでいません。適当なことを書いてしまいました。
 
 話は変わって、フーコーを読むと絶望的になってしまうのです。もう、テロルしか残っていないようで。世界のグローバリゼーションによって造られた構造は変革の余地を残していない。人間が馬鹿なので、革命など意味を為さない。信じている自称革命家は幸せですけどね。

 小惑星の衝突で、0からやり直すのが良いのではないでしょうか。ニヒリストといわれそうですね。

渡辺より 8.15

 網野先生、ご心配ありがとうございます。ゆうべはまあまあ眠りました。2時半に一度起きましたが、水を飲んで30分後にまた眠りました。暑いからと思われます。いまは夜間譫妄はないのでグラマリールはやめました。腸閉塞の副作用があるとは! それで腸閉塞になったのかも?
 田川建三の「立ちつくす」は「現実を明らかに見つつ諦めない」ということだと思います。ニヒリストの先生のために引用します。

*****

 およそこのような壁(自分の存在を限界づける壁)に直面した時に、とりうる態度は3つあります。理性的な人間ならば―というよりも、近代合理主義の意味で合理的な人間ならば―このような壁と力くらべすることの愚を悟って、さっさと逃げ出すでしょう。余計な苦労はしない。人間存在をぎりぎりの点まで押しつめてみて、その存在の権利を主張しよう、などと試みれば、必ず自分の方が傷つくものです。利巧な人間は傷つくような危険な場所には出入りしない。その結果あまり人間らしくもない、というだけの話です。詩的な人間は、これに対して、壁にぶつかった時に、壁の向こう側におのずと通りぬけられるかの如くに夢想する。壁は固く立って動かないにもかかわらず、まるでそれが空気にでもなったように夢想して、あちら側の世界を薔薇色に描く。薔薇色は美しくても、夢想の世界では仕方がありません。

 それに対して、第三の人間は悲劇的人間とでも名づけましょうか。壁の前から逃げ出すことはしない。また、できもしないくせに通りぬけたと夢想することもしない。そして、そこに壁があって人間の存在を限界づけているという事実に、無限の憤りと悲しみを感じるのです。この壁は打ち破らなければならない。だから彼は動かない壁の前に立ちつくす。動かない壁を押しつくす。そしてそこに立ちつくすことにこそ人間の高貴さを知るのです。このような人間の思想が立ちつくす思想です。

 だから、立ちつくす、ということは、決して消極的なたたずみではありません。怠慢なあぐらではないのです。むしろこれこそ積極的な革新の姿勢ではありますまいか。これこそが挫折を克服しうる思想ではないのでしょうか。動きそうもない巨大な不条理を前にしても動かずに立ちつくす者であればこそ、ついにはその壁を崩壊せしめるのではないでしょうか。社会的矛盾の壁を前にして、相手が倒れるまで押しつくすのではないでしょうか。それは決して、根源的には動かぬ壁ではない。いつかは転倒しうるものです。しかしそれには長い時間がかかる。多くの場合、人間一人の短い一生の間には、社会的矛盾はなかなか解決へ向かって動いていないように見える。人間一人の一生どころか、何世紀も動かないこともある。しかしそれを動かすのは押し続ける者たちの力です。1789年に革命の歴史の火ぶたを切ったフランスの民衆は、1世紀後のパリ・コミューンにおいて民衆の革命が何であるかを提示し、さらにまた1世紀後のこの5月に、また再び押し続けているのです。彼らの革命の伝統は2世紀もの間、真の民衆の世界を目指して叫び続けているのです。無名の民衆が立ちつくし、叫び続ける。

 このように、立ちつくす思想は息の長いものです。詩的夢想の純粋におぼれるのではないから、手を汚すことを知っている。教条的にはねあがる連中は案外詩的であって、簡単には動かない壁を前にして、結局は自分個人の思想や行動の純粋性を守ることにのみ専念し、いたずらに鋭角的に、閉鎖的になって、短期に壁の向こう側にかけぬけようとする。かけぬけられたかと思う。自分のみはかけぬけてしまったかと思いこむ。しかしまた、「はねあがり」を批判することでかろうじて自分の存在意義を示しうるかと思っているような疑似左翼の連中はもっといけません。彼らはすぐに、壁の手前に安住することを覚えてしまう。

 我々もまた、むしろ、壁の向こう側にかけぬけようとする者です。ただし、かけぬけようとすれば、ぶつかって、通り抜けられないことを知っている。だから何度でもかけぬけようとしてぶつかるのです。真に社会を転倒しうる者は、「待ち」、立ちつくし、押し続ける者です。自分の生の基本的なたたずまいにおいて「待つ」ことを知っている者ならば、自分の一生を棒にふっても、次の世代のために新しい社会を待つことができるはずなのです。 (1968年7月)

*****「立ちつくす思想」田川建三・勁草書房

 当時は多くの人が「革命」を信じていたのでしょうね。
 コスタリカでは政府がイラク戦争を支持したとき、一人の大学生がそれは憲法違反だと裁判所に訴えました。大学生が裁判に勝って、コスタリカ政府はイラク戦争支持を撤回しました。裁判費用は日本円にして1000円位でした。また、小学生が裁判所に電話で「憲法違反です」と言えば、全部調べて憲法違反かどうか判断してくれます。校長先生が子どもたちの遊ぶ校庭に教員用の駐車場を作ろうとしたのですが、これは憲法違反と判断され、中止となったそうです。
 コスタリカのほかのことは知りませんが、裁判においては日本など比較にならないほど進んでいるようです。私たちも裁判を行うことで、裁判そのものも変えていきたいと思っています。絶対に無理だとわかっているけれど、何度でも壁に対してぶつかっているのです。やっぱり馬鹿ですね。
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by lumokurago | 2010-08-21 22:02 | Dr.Aとの往復メール