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カテゴリ:Dr.Aとの往復メール( 55 )


Dr.Aとのメールより その5

Dr.Aより 8.11 

 (前略)私の学生時代は左翼運動が吹き荒れたので、その手の本を読む必要がありました。意味もなくただ、議論するためにですが。当時資本論はお手上げで読もうとする気にもなりませんでしたが。長野で暇になってから、少し読み、マルクスの偉大さに多少触れることができました。

 それとフーコーは今の社会を考えるのに参考になりました。ジョージオーウェルの「1984年」は唯一英語で読んだ小説です。反共小説でしたが、それだけでなく現代の監視社会の到来を予言していると思います。彼の「動物農場」は笑わせられますね。労働貴族の正体をよく表現している。左翼の中にはスターリンは駄目だがレーニンは良いと教祖扱いする人がいるのですね。私は反対です。何年か前に、どこかの大学の大学院生にレーニンを研究した人がいて、彼の論文が単行本になったのです。確かに良く書かれていましたが、私の考え方は変わりませんでした。

 人間は左翼の場合、上に立つと労働貴族になってしまう。「動物農場」の豚と同じですね。人間欲望がある限り、御馳走が並べられると食べてしまうのですね。セロトニンの問題です。貴族ですから、ナイフとフォークの使い方も上手になっている。多喜二は確かに立派だったけれども、あっさり転向した人も多かったでしょう。戦後は、御馳走に負けた人が多かったのではないですか。偉そうなことを言っている奴に限って、ブルジョアジーと同じものを好む。高級住宅に住み、高級車に乗る。そういう精神だから貴族になっていくのでしょう。

 多喜二の時代は現代とは違って、特高は怖い存在だったのではないですか。そのなかで、本を書き活動していた。それができたのは、ある種の宗教的精神状況になっていたからでしょう。マルキストとはいえ、命と引き換えじゃできないでしょう。殉教者という気分だったからできたのではないでしょうか。コミュニズムは宗教です。

 宗教はアヘンだと言った人がいましたが、そういう意味ではコミュニズムも同じで、犠牲的精神は尊ばれるのでしょう。そういうところがついていけないのです。それと、こういう匂いは何かと考えると精神主義なのですね。左翼に何か嫌な匂いがすると嗅いで見ると、その正体は精神主義でした。唯物論を唱える人間が実は観念的になっているのですね。そこで、多喜二には悪いが馬鹿じゃないかということになる。精神主義は現在も同じようですね。いろんな労働歌?があるがデモに行っても臭くて歌う気にはなれませんでした。

 長野では、佐久病院が左翼、保健師が左翼でした。健康は検診で精神主義的にもたらされるかのようでした。医師や保健師が犠牲的精神で僻地を駆け巡ると素晴らしいとなる。駆け巡るのは、血液が欲しいからです。それで食っているから吸血鬼と同じですが、彼らは早期発見で助けている気分になっている。お芝居をして、住民を健康主義的に啓蒙する。すべて、左翼の精神主義の為せる業です。

 人間は為さぬよりも為す方が好きなようですね。為らぬじゃだめみたいです。ではまた。無為に過ごす孤独なアナーキストより。

渡辺より  8.12

 (前略)「動物農場」は高校の英語のサイドリーダーで読みました。(中略)その後、「1984年」や「カタロニア賛歌」、スタニスラフ・レムの近未来小説を読みました。1984年から26年も経ってしまいましたが、オブラートに包まれて管理・監視社会が進行しています。

 ところで、共産党なんて「左翼」とは言えないと思います。私の勤める杉並区の児童館学童クラブに人員削減の攻撃がきたとき、現場(分会)では白紙撤回の方針を出したのに、区職上部が区と取引するという方針を出して(こんなにはっきり言ったわけではない)、分会の共産党員やシンパも即いいなりになり、運動をつぶしました。そのときの区職の書記長はその後委員長になり、定年退職後、とっておきのポストに天下りました。共産党に「闘い」なんてありません。職員のはねあがりを抑えて区側にとりいって甘い汁を吸おうというだけです。区の手先であり、労働貴族ですね。労働貴族を使って下っ端を管理しているということにも気づかず(気づいているのでしょうか? 気づいてやっているとすればあんまりですね)、自分たちは闘っているつもりなので、ほんとうにおめでたいです。公明党ばかりでなく共産党も宗教だとむかしから思ってきました。(共産党はべつにマルクス主義ではないと思います。あまりにも低劣すぎです。革命を目指しているなんてちゃんちゃらおかしくて。だから私のまわりの「左翼」が精神主義とはあまり思えません。中核はそうかもしれませんが、共産党はどっちかと言えば日和見主義です。先生の頃とは「時代」が違うのかもしれませんね)。

 多喜二が殉教者という気分だったからできたのではないか、という話はそうなんでしょうね。ドイツにも白バラのシェル兄妹がいました。むかし、私が個人通信を出していたとき、「渡辺さんは白バラになるんじゃないか。そういうときは即転向して」と言われたことがあります。子どものことを書いているだけで政治的なことなど何も書いていなかったのですが、何か犠牲的精神を感じさせ、心配させたのでしょう。ま、普通の人には考えられないほど、のめりこんだり、突き詰めて考えたりするので、まわりの人に心配をかけてしまうのです。いまではそういうところはずいぶんなくなり、鷹揚になりました。

 フーコーに簡単でわかりやすい初心者向けの作品があれば教えてください(そんなのはないでしょうが)。

Dr.Aより  8.12

 こんにちは。要するに現体制を補完する勢力に共産党はなっているのでしょう。議会を重視していることがその現れです。長野では、そういう人たちとドンパチしましたが、私は間接民主主義を否定する過激派であるとレッテルを貼られてしまったのですね。どうせならアナーキストと言ってほしかった。

 共産党員も議員として高給をもらうと、多数決を尊重することになる。体制維持の方へ向かうことになる。いろいろな政党と連合を目指し、政権をとりたいと真剣?に考えているでしょうから、そういう方向で何でも妥協するのですね。あるいは、反対派は排除するでしょう。

 彼等も労働貴族になってしまっていると、精神主義的要素は影を潜めているかもしれない。しかし、まだ貴族になっていない党員は上層部に操られていて精神主義的なのではないかな。そうじゃないとやっていけないのではないですか。あほらしくて。御馳走の代わりに自らの精神を鼓舞するしかないのでしょう。あるいは、いずれ御馳走にありつけると我慢しているのかもしれない。

 検診の問題で共産党系の医療団体の医師と議論したのですが、それを感じました。検診は人民のためにあると思っているようで、かれは人民のために仕事をしていると思っている。有効かどうかという議論にはならない。人民のために行っている検診や医療が無効なはずがないという考えがあるのでしょう。彼がほめたのは私が僻地医だということだけです。こういう彼らの考え方を私は精神主義的と言いたいのですね。恐らく、彼らは私のような立場はプラグマチックであると否定したでしょう。
さて、総じて共産党は、現体制のおいしい汁を吸ってしまったといえます。昔の幻想だった、革命は望めません。望んでいませんけどね。中核も旨い汁を吸わされると同じようになってしまうと思う。性悪説です。人間は動物農場の豚ですからね。(中略)
 
 フーコーの解説本で読みやすいのは桜井という人(たしか都立大の教授だったか)の書いたのが良いかもしれない。それと新潮社から出ているフーコーの訳本も読みやすいと思います。権力の分析がすごいですかね。上から来たなと思っていると、実は下から来ていると言う。現代社会の構造を考えるのに優れていると思います。

渡辺より   8.13

 おはようございます。先生のおっしゃる「精神主義」の意味がわかりました。人民のために検診や医療を行なっていると信じ込んでいる共産党は、それが意味がないなどと言われては、相手に「過激派」のレッテルを貼り、排除するしかないのでしょう。突き詰めれば、「革命のため」を信じ込んで盲目になり、なんでもないことに目くじらを立て仲間を粛清した連合赤軍と同じことだと思います。なぜあそこまでなってしまうのか。「宗教」としか言いようがありません。

 若い(と言っても40代前半・いまどき学生運動にものすごく憧れている)人に「絶対に観て」と言われて若松孝二の映画「連合赤軍」を観ましたが、全然認められませんでした。彼は非常に共感したと言うのですが、私はまったく理解できません、というか嫌悪感だけでした。彼らがあんなことをしたから、私たちがちょっとビラを配るくらいで「過激派」とみられるようになってしまったのだ、と。彼に感想を言うために最後まで観ましたが、暴力がつづく上とても長くて観ているのもつらかったです。なんで誰も止めなかったのでしょう。止めれば自分も粛清されるから・・・でもそれこそ「団結」すれば、数名の指導部に勝てるはずでした。少なくともみんなで逃げるとか。極限状態のなかでそんなことを要求するのが無理なのか。彼らが精神主義の際たるものかもしれません。

 共産党については同感です。でも例の中野共立病院の医者はけっこうまともなことを赤旗(情報収集のため取っていたことがある)の医療欄に書いていました(もしかしたら先生のお知り合いの医者かも?)。ベッドの差額はまったくとらないし、患者や家族に対する対応も非常にまともです。やっぱり本質は「いい人」なんですよね。そこが別の面からみれば困る原因でもあるのですが。

 フーコーの本、「フーコーにしてはわかりやすい」とあった「監獄の誕生」を注文しました。「なぜうつ病の人が増えたのか」と「あなたのなかのDNA」は読み終わりました。ブログに感想を書くつもりです。英語の本はなかなか進みません。
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by lumokurago | 2010-08-17 22:23 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その4

渡辺より  8.9

 おはようございます。家の片づけはとても大変です。両親共、物を増やすだけ増やして、自分では何も片づけなかったので、父のときからずっとずっと片づけてもまだ終わりません。自分の物は乳がんの初回治療のときにだいぶ片づけ、また増えた分も相当片づけました。

 「Happiness」はもう届き、双子の研究のところを単語がわからないなりに読んでおもしろいなあと思っています。ついでに勉強しようと思って(遺伝子について何も知らないので)、中村桂子さんの「あなたのなかのDNA」も読んでいます。以前講演を聞いて以来、中村桂子さんが大好きなのです。
 http://lumokurago.exblog.jp/7926146 (講演記事)

 ・・・中略・・・左翼のことですが、杉並の私の仲間は一応「左翼」に分類されるとは思いますが、党派ではなく反進歩主義で自然保護派です。自分も「左翼」に分類されるかもしれませんが、私はとにかく「左翼」が嫌いです。それはつまり「党派」である「左翼」のことかもしれませんが、考えが型にはまっており、硬直しており、自分の頭で考えず、上のいいなりで、結局党派の利益しか考えていないからです。まったく信じられず、本気でやっているとは思えません。

 三里塚と言えば、友人の知り合いの「B滑走路の南進を止めている7軒の農家」があります。私も連れて行ってもらいましたが、党派の介入を拒否して自分の頭で考えて強制収容を阻止したみたいで、なぜ強制収容にならなかったのか不思議(本に書いてあるらしいが読んでない)なのですが、ごく普通の感覚のおじさんたちです。ここにはこれまた不思議なことに若い人が集まって農業をやっています。少数ではあってもわかる人にはわかるのでしょう。

 ・・・中略・・・保健師の仕事についてはよくわかりませんが、保健師もいらない、医師もいらないなんてやっぱり「過激」だなあ。

Dr.Aより  8.9

 中村桂子さんについては、歳のせいで忘れていて完全に理解しているとは言えませんが、以前から、ファンで何冊かよみました。彼女が早稲田にいるときに甥姪にも彼女の下で学ぶように勧めたくらいです。生命誌という考え方が好きでした。

 左翼を嫌いなのは、あの前衛・大衆という考え方があるからですね。レーニンだったかしら。「何を為すべきか」に前衛という考え方が登場したのだと記憶しています。だから、スターリンだけじゃなくレーニンも大嫌いです。私は、基本的に無政府主義者なんですね。前衛党は必要ないという考えです。

 ・・・中略・・・無政府主義者ではクロポトキンの相互扶助論という本がありましたね。定かではありませんが、地球上のどんな動物も助け合っているという内容でしたかしら。人間もそうしなきゃならぬという。理想主義者ですね。そして、自由主義者なのです。partyはいらないという。

渡辺より  8.9

 先生も中村桂子さんのファンでうれしいです。私も生命誌という考え方が好きです。「虫愛ずる姫」が好きです。「いのち愛ずる姫」という絵本があって、堀文子さんが絵を描いています。堀文子さんの絵が好きです。

 「前衛・大衆」という考え方とは前衛が大衆を指導するというものですね? 小林多喜二もそうじゃないですか? 私はノーマ・フィールドさんが好きで、ノーマさんが研究しているなら読んでみようと思って、小林多喜二を読んだのですが、違和感がひどく受け付けませんでした。やはり「前衛が大衆を指導する」という内容だったと思います。

 ノーマさんの記事はこちら。とてもいいのでぜひどうぞ。
ノーマさんの記事(上)http://lumokurago.exblog.jp/12489025 
          (中)http://lumokurago.exblog.jp/14293042
          (下)http://lumokurago.exblog.jp/12508027

 私も自分のことを無政府主義者だと思っています(本もまったく読んだことないのに雰囲気で言っています。おかしいですね)。というよりも、私たち極小少数派で島をひとつもらって独立したいのです。多数派とは絶対にうまくいかず、いつもいつも悩まされ苦労させられているので、いつのころからか「それしかない」と思うようになりました。あり得ないけど、少なくとも沖縄やアイヌには独立してもらいたいです。

Dr.Aより  8.10

 虫愛ずる姫と言うのは初めて伺いました。インターネットで調べてみます。
 
 プロレタリア文学と言うのは、リアリティーを重視したでしょうから表現がきつい。蟹工船は高校生の時に読んだけど、良くわからなかった。小林多喜二には父が小樽の学校に通っていた頃多喜二の姉の家に下宿していたというので親近感を持ってはいたのですが小説は好きになれなかった。しかし、なぜあのように殺されなければならなかったのか。ただ、単純に天皇制と権力に対して憤ったことを覚えています。当時の権力は絶対王制とも言える天皇制を維持するためには何でもできたのでしょう。それを転覆させるには前衛が必要だった。抑圧されているプロレタリア階級や一般大衆を導き解放するために。

 レーニンの「何を為すべきか」には自然発生的にプロレタリアや農民が解放されるのではない。指導部が必要だと書かれていたと思います。しかし、人間の心は弱いので、指導部と言うのは時の権力に懐柔されてしまう。労働組合の幹部が会社の重役達と豪華な食卓を囲むのと同じで、日本の戦後の場合は共産党の幹部がアメリカの意向を受けたスパイだったという話がありました。労働貴族になってしまうのですね。前衛とは労働貴族のことといってもよいかもしれません。

 バクーニン達アナーキストはこの状態を批判しました。しかしテロルに走ってしまう。政府も議会も労働組合も必要ないというが、じゃ、どうしたら良いのか示すことができない。無政府主義者は行き詰った理想主義者で、テロリストということになってしまった。現在にあてはめますと閉そく状況をどのように打開するのがよいのか。アナーキズムでは難しいようです。また、空想社会主義も破綻していますから、島を所有してもなかなか上手くいかないと思います。アナーキストは孤独です。したがって、お互い慰めあう程度にしておくのが良いと思います。
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by lumokurago | 2010-08-11 20:00 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その3

Dr.Aより  8.6

 うつ病はなぜ悩まないとならないのかが他人には分からないのですね。了解不能というわけです。私の友人もお金も十分あり、素晴らしい家族に囲まれて生活していたのに生きているのが辛かったといいます。今回私が病気になって、具合の悪かった深夜、インターネットで死に場所探しをやっていたといったらよくわかるといっていました。脳梗塞は鬱になる人が多いといいます。わたしもその傾向になっていたのでしょう。気がつくと東京タワーについて調べていました。飛び降りる場所がないかどうかだったのですが、ついでに酒も飲んでいたので、最終的に酔っぱらい寝てしまいました。梗塞はセロトニンルートにも起こったのでしょうね。PTSDもセロトニンルートの障害ということのようですね。

 遺伝の問題ですが、アルツハイマー病ですと、双子の一致率が80%ですから、環境要因は20%ということになるのでしょう。私が考えるに遺伝と環境を比較すると圧倒的に遺伝の方が優勢であると言いたいのですね。人間は進歩を信じているので、変えやすい環境といいたいのでしょうが、私は宿命論者で、遺伝が主であるといいたいのです。私が本当に言いたいことは、為せばなる、ならぬは為さぬという人間の精神主義的考え方に反対だということです。早期発見については障害児の差別につながると考え、障害の早期発見に反対しました。そして、人間は必ず病気になる。必ず死ぬと。これは人間の力じゃどうにもならないと疾病の早期発見にも反対となったわけです。病気、死は個人の努力や環境を変えることで予防はできないとなったのです。ですが、いまや、人間は遺伝子を操作するようになりました。これに期待する人も多いようですが、私は、地球の支配者としての人間の在り方としてはまずいのじゃないか。これこそが究極の自然破壊じゃないのかと反対するわけです。ではまた。

渡辺より  8.7

 死に場所を探していたという話は、私も自分の体験を思い出すとよくわかります。でも自分で自分を殺すには大変なエネルギーがいるので、実行できませんでした。だいたい起きられないのですから。ベッドの隣にボタンを押せば死ねるというものがあれば即死んでいたと思います。元気になればその時の苦しみというのは思いだすこともできないようなものです。圧倒的な苦しみなのだけれど、言葉で表現するのがむずかしいので。セロトニンの不足がそんな状態を引き起こすなんて、ほんとうに人間の身体(脳)というものは不思議です。

 遺伝子と環境について、そうですね。私も本音のところでは先生と同じようなことを考えてきたと思います。でもやはりこれも「タブー」なのでしょう。特に子ども相手の職業では。「為せばなる」ということも嘘だし、努力すれば何でもできるというのも嘘。妹にこの話をしたら、「努力する人というのは努力するという遺伝子があるんじゃないの」と言っていました。(話は変わりますが、「前向きに生きる」のがいいことだという考えにも疑問を持っています。そうできない人もいるし、できない人に無理に押し付けることはないと思います)。

 遺伝子解析が進むと子どもの知的能力がわかってしまい(もうすでにわかるのかな)、学校も能力に応じたところに行けばよいとなって、三浦朱門(元中教審委員)が言ったように「できんものはできんままでけっこう。実直な働き手になればよい」となってしまいます。おそろしいことです。「1984年」にはこんな場面はなかったでしょうか。

 障害児は障害を早期発見され、社会に適応できるように訓練されます。決して差別はなくならないまま。むかし、言語治療士をしている友人が「今の言語治療の仕事は、社会がもっている水準にその子(人)を引き上げよう、引き上げようとばかりしているけれど、私たちが第一にしなければならないことは、こちらからその人たちに近づいていって、ありのままのその人を認めることなのではないか」と言っていました。

 先日、「女の表現ライブ びょうきになること生きること」という催しがあって、私ともう一人のがん患者さん、それに脳梗塞の後遺症で話すことが苦手な人(読む聞くは普通にできる)が出演したのですが、脳梗塞の人は右半身が不自由なため、左手で切り絵を作っています。細かな作業です。私が「いままでやりたいことをやって生きて来たから後悔することはないので死を受け入れられるのだ」というようなことを言ったら、彼女も「同じ」と言っていました。彼女の場合は左脳をやられたので、右脳が活性化された典型的な例だと思います。むかしの彼女をちょっとだけ知っているのですが、本人は「変わっていない」と言うかもしれませんが、私から見れば「もう一人の彼女」になっていて、そのすてきさといったら、脳梗塞にならず、一生を一人のもともとの彼女として生きるよりずっとずっとすばらしいことだと思いました。(でももう一人の知り合いは先生と同じくらいの年で、クモ膜下出血で要介護5になってしまいました。人生はほんとうにわかりません)。

 またまたとりとめもなくなってしまいました。遺伝子操作について書けませんでしたが、先生とはやはり遺伝子が似てるようです。

Dr.Aより  8.7

 こんにちは。検診の問題では、癌検診だけでなく、3歳児検診にも反対しました。長野県に検診教の教祖のような奴がいたのです。3歳でほんの僅かの差を発見し区別してどうするのか疑問でした。この人には多くの保健師が影響を受けていて、検診の本家佐久病院ともくっついている。当然チャンバラになります。私は、人間はパブロフの犬じゃないよと。
 
 決着は私が長野を離れてしばらく経ってからある学会で欠席裁判のようなシンポジウムが行われたそうです。私の友人たちもずいぶん抵抗し頑張ってくれたらしいのですが、私を否定したいと言う県レベルの力が強く多勢に無勢だったそうです。・・・中略・・・しかし、欠席裁判は卑怯ですね。

 ・・・中略・・・遺伝子の操作は長い時間を経て辿りついた現在の自然をあっさりと壊してしまう
感じがします。人間は神の領域には近づかない方が良いと思います。

渡辺より  8.7

 3歳児検診も就学児健診も子どもの健康のためではなく、障害児を発見して振り分けるために行なっているのが問題ですが、世間一般の人はそのことに気づいていないようです。差別者にとって、差別にはどんなに敏感になろうとしても不十分なところがでてきますが、最近は被差別者の感覚も違ってきているようです。「障害児を普通学校に」という運動が、養護学校義務化のときから続けられていますが、これも高齢化する一方で若い親たちの参加がありません。若い親たちは「特別支援」を当たり前だと受け入れ、普通学級に入れようとする人はほとんどいなくなってしまったようです。

 中略・・・
 
 遺伝子操作については同感です。ほんとうに恐ろしいことですね。自然に逆らうといまに天罰が下ると思います。

Dr.Aより   8.8

 前略・・・地域では保健師が乳幼児検診、住民検診に熱心なので困るのですね。彼らに君たちの論理・弁証法は破綻しているといっても通じません。否定の否定は肯定だというが、アドルノが言ったように最初に肯定がある。マイナスの否定すなわちマイナス×マイナス=プラスで数学にも弁証法的進歩があるというのがありましたね。これは反デューリング論だったかもしれません。これは、弁証法の馬鹿げた例です。大昔読んだのですが、ジャック・モノーが偶然と必然という本で批判していました。保健師という職業は不必要です。できもしない住民教育で地域に健康を強要しようとする。それを検診を利用してするわけですね。住民は大迷惑です。ここまで言うと、医師もいらないとなる。大賛成です。必要ないのに国は増やそうとしている。医療性善説は根強いです。国の保健医療行政が悪いのですけどね。
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by lumokurago | 2010-08-09 19:52 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより その2

渡辺より  8.5

 前略・・・セロトニン再取り込みする部分が遺伝的に規定されているなら、「うつ病」「うつ気質」は生来のもので、なかなか治らないということになりますね。うつ病が急増していると報道されていますが、実際はどうなのでしょう。友人が重度障害児の院内学級に勤めていますが、教員7人中4人がうつ病の薬を飲んでいるといいます。そういう遺伝子を持って生まれて来た上に、社会の状況がそれを症状として出やすくしたということなのでしょうか。若い人をみていると、ちょとしたことで心療内科を受診し、病名をつけられたりしていますが、むかしなら自分で乗り越えたことのようにも思います。

 right sider,left siderのところ、読みました。安楽死の章ですね。(シンクロニシティ-ユングなのか、たまたま数日前に『在宅死のすすめ』を読み返していました。不思議です)。右脳=sad,左脳=happinessということですが、よく言われるのは右脳=芸術的、柔軟、左脳=論理的ということですね。まえにジル・ボルト・テイラーの『奇跡の脳』のことをちょっと書きましたが、ジルは左脳がやられて、右脳が活性化し、違う自分になって幸福感を感じたとありました。先生の本にあった「死」の恐怖を消化できずにパニック障害などを起こす人の場合は、視点を変えれば(本人はつらいでしょうが)「感情が豊か」とも言えるかもしれません。

 話がとりとめもなくなってきましたが、安楽死について一言。私にも「死のタブー」が残っており、自分の意見をはっきり言うことはできませんが、自分は苦しんでいたら安楽死を望むと思います。

Dr.Aより  8.5

 こんにちは。うつ病は辛いと思います。友人が何年か前にうつ病になり私にもいろんなサインを出していたのですが、どうする事も出来なくて結局入院しました。隔離病棟に入れられたそうです。薬も今一効果がなく、結局は、時間が解決したといいます。セロトニンの満ちてくるのには時間がかかるのですね。「なぜうつ病の人が増えたのか」という本があります。製薬会社の戦略に医者も社会全般も乗せられているということだったと記憶しています。そういえば高血圧の診断基準も120mmhgという基準は製薬会社の意向を受けたWHOのドクターの仕業でしたね。うつ病の薬SSRIは効かないのですが、比較的新しい薬で製薬会社は売りたいのです。

 ユングの共時性というのは、考えると面白いですね。何かに導かれるようにある本を読む、どこかへ行くと解決法を見出せたなど、そして、同じことを友人もしていたことがありました。昨日メールしたHAPPINESSですが哲学、心理学、脳科学が混然一体としていて、おもしろいのです。英語が得意でしたら暇つぶしにお勧めできます。

渡辺より  8.5

 うつ病はほんとうに辛いです。どこも痛くないのに、「苦しい、苦しい、苦しい、死にたい、死にたい」となってしまい、最悪の状態のときは起き上がることもできません。SSRI、やっぱり効かないんですか。ひどいですね。私も処方されましたが、効かないので数ヶ月でやめてしまいました。その精神科医は父の友人の内科医の紹介でしたが、あるとき、待合室に悪名高き東京都教育委員の米長(将棋)の色紙が貼りだされたので、即、行かなくなってしまいました。「薬よりほほえみを」という色紙でした。意味不明です。

 私もご友人と同じく、薬は効かず、結局のところ時間が解決しました。院内学級に勤務している友だちが「まわりのうつ病の人は回復したと思っても再発を繰り返している。すっきりよくなった人は知らない。容子さんは回復したのでうつ病ではないと思う」と言っています。友人の臨床心理士にはPTSDだと言われました。ご友人もその類いではないかと思います。

 先生はユングなんか認めないかと思っていました。河合隼雄は国家主義者ですが、著書は読み物としてはおもしろいです。でも全部処分してしまいました! 

 英語の本は、もう無理だと思います。日常会話ならともかく・・・。おもしろそうなのに残念! また明日メールします。

渡辺より  8.6
 
 おはようございます。質問です。病気は遺伝子の部分でスィッチオンされていたっていうのは、がんでいえば近藤先生のいう「発がん用のバケツ」のことですよね。遺伝子によって「発がん用のバケツ」の大きさが決められている。でもそのバケツがいっぱいになるかどうかは、発がん物質をどれだけためこむかによるので、環境的なものの影響もあるのではないのですか? たとえ、生まれながらのバケツが小さくても、発がん物質の少ない環境で暮らせば発がんしないのでは? 

 脳梗塞のことはわかりませんが、遺伝子に規定されていたものが発症するとして、引き金のようなものが作用するのですか? その引き金に出会わなければ発症せずに一生を過ごすこともありうるのですか? 

 「病気の予防」という「常識」がありますが、病気がすべて遺伝子で規定されているとなれば、予防はできないということ? 血液サラサラの薬などあるようですが、やはり効かないのですか? 「煙草をやめる」ことが肺がんを減らすとされていますが、それはそうですよね?

 がんは増えていると言っても平均寿命が上がっているからにすぎず、年齢調整すると増えていないということなので不思議に思っていました。つまり環境問題は影響がないということになります。しかし広島の軍医肥田舜太郎さんが原発の近くでがんが増えていると報告したり、イギリスの再処理工場の近くで白血病などが増えているという報告がありますが、どうなのでしょう?
 
 混乱した質問ですみません。つまり遺伝子がすべてを決定しているということが信じられないのです。

 「努力」が幻想であることは、なんとなくわかっていましたが、「努力しても報われない」と認めてしまうと、絶望的な子どもたちもいるので、尻を叩いていました。でも結局のところ「生きていさえすればそれでいい」と「あきらめる」に至りました。私の世話していた施設で育った子どもたちはほとんど行方不明で、ホームレスになっている可能性もありますが、生きてさえいればと思っています。死んでしまった子どももおおぜいいます。(シンナーや覚せい剤や自殺)。

 Happiness はアマゾンで検索したところ、レビューにもおもしろそうなことが書いてあったので、ついつい注文してしまいました。辞書と首っ引きで、、、読めるでしょうか?? ところで最近の先生のメールは私一人で読んでいるのはもったいないので、いずれどこかに発表したいと思っています。(一番簡単なのがブログ)。
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by lumokurago | 2010-08-08 18:42 | Dr.Aとの往復メール

Dr.Aとのメールより 

 脳梗塞で休養、リハビリ中のDr.Aとメル友やってます。だんだん私ひとりで読んでいるのがもったいない内容になってきたので、ここで紹介します。

*****

Dr.Aより  8.2

 前略・・・人間はいつでも死について考え、死の準備をしているのがよいと思います。いつ、どうなるか分かりませんからね。人生は博打と同じで、偶然性が強い。必然ではないということが皆さん分からないのでしょう。

渡辺より  8.3

 前略・・・死は予期できないけれど、人生はどこまでが偶然でどこからが必然なのでしょうか。出会ってきた人たちのことを考えても「こういう人に出会いたい」という意志が偶然を呼んでいるように思います。先日お話しした非浸潤がんの女性が近藤先生のところに行ったとき、(非浸潤がんでも全摘という医者ばかりなので)「ぼくはひとりだから」とおっしゃったそうです。つい笑ってしまいました。網野先生もいらっしゃるから「二人」ですね。

 私が近藤先生を知ったのは「婦人民主新聞」という婦人解放運動の頃からの少数派の新聞を読んでいたからです。むかし、乳房温存療法が大新聞の朝日などに載っても一人とか二人しか受診しなかったそうなので、婦人民主新聞を読んで私が受診したのは非常に効率がよかったということになります。近藤先生とは出会うべくして出会ったと思うし、網野先生もそうですね。日本に(ほとんど)二人しかいないお医者さんと出会ってうれしいですが、それも自分の意志があったから(必然的に見つけた)だと思います。

Dr.Aより  8.3

 偶然か必然かは難しい問題ですね。卵と鶏のどちらが先かという問題に似ていて。一般的に言えることのようですが、世界のどこかで一つの化学物質ができるとあちらこちらで同じものができると言いますね。これは偶然でもあり必然でもあるといえます。要するに同じことを考えている人間は5万といるわけで、自分だけじゃないのですね。

 昔、私が行っていた研究で私は世界で最初だと思っていたのですが、現実には他でも同じことをやっていた。私は教授と上手くいかなくなり、大学をさよならしたのですが、なんとその研究は、他の大学のドクターがきちんと仕上げ、いまではある病気の状態把握に欠かせない検査法となっている。偶然と必然というのはこんなことなのでしょう。
 
 人生についてですと、偶然性が強いように思います。自分の存在そのものが偶然の産物ですから。そして、両親の遺伝子によって性格などが決まり(最近わかりました。性格も親から受け継いだ偶然の産物です)ます。さらに、死へのタイマーがセットされ(受精の瞬間にスイッチオンされているのでしょう)、死に向かって生きるころから偶然性が一層高くなるように思います。社会との相性は偶然が支配しているのでしょうか。

 人生のところどころで行う決断はさいころ博打と同じような感じがします。しかし、似たような性格のもの同士は群れやすいでしょうから、群れる社会現象は必然といえるかもしれませんね。恐らく私と渡辺さんは似たような遺伝子を持っているでしょう。これは偶然だと思います。しかし、一緒に何らかの行動を起こすと必然ということになるのでしょう。

渡辺より  8.4

 先生の口癖「裏街道」の意味が少しわかりました。今までは何が「裏街道」なのかなあと思っていました。私も現場の人間なので、先生の生き方には非常に共感します。というか遺伝子が似てるのでしょうか? 近藤先生はむかしは病棟にいたけど、やはり「現場の人」というよりは「理論の人」なので、遺伝子はそれほど似てないと思います。「同じことを考えている人は五万といる」とのことですが、近藤先生も「近藤理論というのはやめてほしい。同じことを考えていた人は先人にも何人もいます」と言ってたけど、それにしてはいつまでたっても少数派ですね。

 性格が遺伝子によって決まるということがわかったんですか(何か本があれば教えて下さい)。ちょっとびっくりです。といっても、一生のうちには学習によって自分で変えられるところもあると思います。むかし、双子の研究をしていましたよね。私も何組かの双子をみましたが、相対的にみれば似た性格でも、二人を比べればはかなり違っていました。それに遺伝子ですべてが決められてしまうとしたら、努力する気持ちがなくなってしまいます。私が関わっていた親に育てられなかった子どもたちが「生きる力」が育っていないのは、遺伝子による「性格」ではなく、環境的なものであって、後天的なものの影響も否定できないと思います。「性格」と言ってもその人の生きかたのどこまでが入るのか、むずかしいと思います。

 しかし、こわいですねえ。何もかも遺伝子で決められているとしたら、「自分」なんてないということにもなりかねません。主体的に人生に関わっているつもりの「自分」がすべて遺伝子によるものだったなんて。遺伝子解析がすすむと、結婚の相手も遺伝子を解析して選ぶなんていうことになりかねませんね。それで相手とうまくいくとも思えませんが、優秀な子どもを産むためには我慢するのかなあ? 知能も遺伝子が決めているんですか?

Dr.Aより  8.4

 性格と遺伝の関連ですが、何で見たのか忘れてしまったのですが、要はセロトニン代謝の問題でうつ病と同じように脳神経末端で放出されるセロトニンを再取り込みする部分が遺伝的に規定されており、その活性が高いと神経と神経の間の伝達物質であるセロトニンが過剰に取り込まれてしまい、神経が十分に機能しなくなるというのです。セロトニンの神経ルートは脳の深い脊髄に近い部分では性欲に、比較的深い部分では不安やパニック、食欲と関係していますし、脳の前頭葉皮質はうつ病に関係しています。神経質な傾向も説明出来るかもしれません。本にも書いたのですが人間の前頭葉の右側はSADな気分を左側はHAPPYな気分に関係し、大まかに人間はright sider,left siderに分けられるといいます。直接の関係はありませんが、興味がありましたら読んでみるとおもしろいですよ。それはhappinessについて書かれた本で英文ですがあまり難しくなく、参考になりました。Richard Layard著Happiness: lessons from a new science (Penguin books)
ただ、セロトニン代謝については、もっと専門的になりますね。

 話しは変わりますが、双子の研究では、アルツハイマー病の一致率が80%という研究があります。何でも遺伝が強いのですね。なのに個々人の努力と医学に期待するのが今の社会です。あきらめよとは言いませんが、どうしようもないことも多いのです。病気になった人はなぜ自分だけがと思うかもしれませんが、遺伝子の部分でスイッチオンされていたのですね。私も60年以上前に、オンされており、今発症したのです。仕方ありません。だから、倒れても生きるために助け合いが必要だし、社会は福祉を充実させるべきなのです。医療よりも福祉をというのが私の考えです。
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by lumokurago | 2010-08-07 18:33 | Dr.Aとの往復メール