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カテゴリ:Dr.K関連記事( 43 )


Dr.K関連自薦記事

 裁判所アクション(2009年9月)の次の日に、こんな記事がありました。最近の読者の方に自薦します。

 私より先に亡くなる人がいるなんて (2000年に書いたDr.K宛ての手紙も掲載)。
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by lumokurago | 2011-11-22 12:28 | Dr.K関連記事

Dr.K診察日

 なぜか(入れた覚えのない)予約がはいっていたので、まえまえから聞きたかった質問をしてきました。

 渡辺:チェルノブイリ原発事故で子どもの甲状腺がんが増えているが、報告によって4000人とも6000人とも言われています。しかしどちらの報告でも死亡したのは15人ということでした。ということは、残りは全部がんもどきですか?

 近藤:甲状腺がんは乳がんと似ていて、転移が遅くなってでてくるので、これから死亡が増える可能性がある。

 渡辺:そうですか。それにしても(甲状腺がんを)みつければかたっぱしから切ってしまうというのは行きすぎでは?

 近藤:行きすぎだと思う。傷跡、なんて言ったっけ? 

 渡辺:チェルノブイリネックレス。

 近藤:かわいそうだよね。

 渡辺:ところで、ICRP(国際放射線防護委員会)とECRR(欧州放射線リスク委員会)とがありますが、見解が天と地ほどに違うのをどう思いますか?

 近藤:ICRPは政治的だよね。

 渡辺:原発推進ですよね。

 近藤:(年間の被ばく基準)1ミリシーベルトを根拠もなく20ミリシーベルトに変更したり。

 渡辺:ECRRについてはどうですか?

 近藤:どんな団体かよくわからないけど、数値は行きすぎだと思う。

 渡辺:東京新聞7.20付のECRRの主張では「年0.1ミリシーベルトを避難の目安に」とあります。

 近藤:その線量で避難してもねえ。食品などがすでに汚染されているから、どこにいても被ばくはまぬがれないよ。食品は必ず汚染されている。

 渡辺:すでにそういう段階なんですね。

 近藤:武田(邦彦)なんてひどいね。考えが変わったなら変わったで、きちんと表明してから言うべきだ。

 渡辺:そうですね。テレビにでたいんじゃないですか。

 ところで、アメリカの医者もひどいですよ。日本の医者よりもっとひどい。アメリカの医者ははじめ、乳がんが子宮がんからの転移かもしれないと言って、その検査をし、次は腎がんからの転移かもしれないと言って検査したんです。乳がんがどこか他のがんからの転移ということはあるんですか? 

 近藤:あり得ない。

 渡辺:絶対にない?

 近藤:うん。

 渡辺:それに乳がんの治療はオールクリアになってから、今度は甲状腺がんがあると言いだして・・・ほんの5ミリ位のものが両方にあると言って、切らなければならないと言ったそうです。患者が切りたくないと言ったら、早く切らなければ転移すると脅したんですって。

 近藤:ぼくの本を読ませなければ。 

 渡辺:アメリカと言えば、自分で決める治療が日本より普及しているのかと思っていたけど、全然そうじゃないんですね。

 近藤:アメリカのほうが商業主義だからね。

 などなど・・・(以下オフレコ)。

 
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by lumokurago | 2011-08-05 17:44 | Dr.K関連記事

「移植で助かる」は本当か?

「移植で助かる」は本当か? (近藤誠・いのちジャーナル別冊MOOK①・さいろ社より)

 臓器移植についても真実は隠され、安易に脳死を人の死と認め、ドナーが増えないために本人の意志ではなく家族の同意で臓器を提供することを認める法律も作られてしまいました。

 半年ほどまえに沖縄の少女が米国で心臓移植するために、沖縄では募金を呼びかけてその金額(たしか1億円を超えたと思います)を達成、少女は米国に渡り移植手術を終えました。新聞は「美談」として扱っていますが、臓器移植の真実は?

 真実を知りたいかたはぜひ上記リンクをお読みください。
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by lumokurago | 2011-07-29 10:16 | Dr.K関連記事

「切れば儲かりますから」 がんでないのに乳房を切除した外科医 告発の裁判 その3

渡辺さん、こんにちは。
ブログを読みました。渡辺さんのパワーに圧倒されそうです。

少々、気になった箇所があったので、メールします。

清水病院と東大病院と同じように、1人が提訴したから同じように500件云々という考え方ですが、内容が違うので、東大も500件という表現は控えたほうがいいと思います。

清水病院の場合も推測ですが、手術件数から否定できない数を表しています。

医療現場で「誤切除」があることを広く知って欲しいのですが、誤切除された場合、その事実を患者が知ることは至難の業だということも知って欲しいです。

だから、誤切除の問題が表面に出ることは稀の稀だし、裁判でも病院側勝訴となれば、全国で件数は減ることはないでしょう。

私の裁判で、病理標本がDNA鑑定で日本人のものではないとわかった時、相談に行ったある国立大学の法医学の教授は、「外科医が外国にでも行った際に入手したんでしょ。切れば儲かりますから」と、いとも簡単に、ごく当たり前に話された時は、唖然として言葉も出ませんでした。

この席に、2人の弁護士と近藤Drと夫も同席していました。

判決で、標本のDNAが一致していなくても変異の可能性は否定できないとして、外国人の癌標本が私のものだとなってしまう。

「切れば儲かりますから」
国立大学法医学部教授の言葉が耳に残っています。

儲けの犠牲にならないよう、みなさま、御身大切に。

竹下勇子

*****

こんばんは。
 ご指摘ありがとうございます。500件なんて書いていいのかと思いつつ、「かもしれない」だからいいやと考えて書きました。よく新聞社などに1件の意見が寄せられるとその背後に何百件の同意見があると考えるという話を聞いていますので。直しておきますね。

 それにしてもその法医学者がそのようにあっさり言ったということは、よくあることなのでしょうね。

 静岡在住の友人も清水病院のことは知らなかったそうで、とても驚いていました。

 健康診断を受けているという若い人たちに「健康診断は受けないように」という話をしています。

 31日のMECONの集会に行けたら行ってみようかと思っています。乳がんの無治療の患者さんみたいなので。ただMECONの「医療『消費者』」といういい方には疑問を感じます。私の仕事(子ども相手)でもむかしは保護者と協力して子どもを育てていたのが、最近保護者は「消費者」職員は「サービス提供者」になってしまったと思っていますので。ところでMECONの代表(?)の方が最近亡くなりましたよね。新聞でみました。

 つらい体験ですのに、裁判を起こされたこと、ほんとうによくやってくださったと感じています。視野を広げてくださってありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

 渡辺容子
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by lumokurago | 2011-07-17 20:33 | Dr.K関連記事

乳がんでないのに乳房を切除した外科医 告発の裁判 その2

 竹下さんのメールと返信を掲載します。リンクをぜひお読みください。犯罪的外科医、清水病院の体質、さらに裁判官のひどさがよくわかります。

*****

早速にお返事いただいて恐縮です。ありがとうございます。イデアフォーでお会いしたことがあるかもしれませんね。

私も渡辺さんと出会えたことにとてもご縁を感じ、今伝えなくてはと連絡させていただきました。

メールはブログに載せてくださっていいです。医療被害者にとっても近藤Drはとても心強い存在です。

私の裁判は、もとはとても単純(癌ではないのに癌だとして手術した)なのですが、裁判の過程で病院側の嘘の上塗りをあばくことに翻弄され、とんでもなくややこしくなっています。

標本のDNA鑑定を申請したのは、近藤Drにマンモグラフィーを送って見ていただいた時にいただいたお電話がきっかけでした。

「今、診てるけど、標本、ほんとうにあなたのだったの?」と。要するに画像診断に癌の所見がなくて、標本だけに癌があったことから、標本に疑問がいったわけです。

会のHPに裁判の解説をQ&Aで掲載したり、
http://www3.tokai.or.jp/shimizu/takeshita_14.html
「判決の真実」と題して米本さんが書かれた解説文を載せていますが、
http://www3.tokai.or.jp/shimizu/takeshita_05_00.html
近藤Drの「あなたの癌は、がんもどき」の38頁から44頁にかけて「がん患者を作り出す病院」として書かれている文が簡潔でわかりやすいと思います。

近藤Drのご了解が得られれば、その箇所の転載がいいかもしれません。

ただし、私としては納得できていない記述があって、近藤Drに伝えたのですが、そのままになっています。

それは、40頁1行目から2行目にかけてです。
「日本人の特徴的な配列(数タイプある)のうちの一つと一致していたのです。」

と、ありますが、事実は、「一致していなかったのです。」です。

とても重要な箇所なので、もし、転載OKでしたら、そのような注釈を入れていただけると助かります。

乳がん誤診は、見落しは後からわかりますが、癌患者にされた場合、よほどのことがない限りわからないし、わかった場合、心身ともに立ち上がるのにはひじょうな困難さがあります。検診が広まればそれだけ誤診の可能性があるので、とても心を痛めています。

ところで、米本さんのことは理解して下さってうれしいです。被害者のために一生懸命になるため誤解を招きやすいのかもしれません。私は会を立ち上げる時、米本さんから「被害者を信じろ」と言われ続けました。

ここ数年は、今まで誰も取り上げなかった拉致監禁をなくすことにがんばっていらっしゃいます(渡辺注:米本さんは統一教会信者を脱会させるために家族が拉致監禁説得し、信者(または元信者)がPTSDなどの症状に苦しめられていることから、拉致監禁説得を批判する活動をしている)。

1996年に出版された別冊宝島248「抗ガン剤は効かない!」には、近藤Drのインタビュー記事や、米本さんのルポが載っています。

きょうは医療問題のセミナーがあって東京へ行ってたため、お返事が遅くなってごめんなさい。
体調がいいとのこと安心しました。でも、この暑さなので、どうぞお気をつけて。

竹下勇子

*****

 こんにちは。ご許可ありがとうございます。問題の近藤先生の文章、読みました。なんか変だなあと思い、何度も読みなおしてしまいました。「一致しなかったのです」なら、意味がよく通ります。なぜ直さなかったのでしょうか。読む人が読めば「変」だということに気がつくと思います。

 では、Drのあの文章を「注」をつけて引用させていただくことにします。私はいつも彼の話をブログに書いていて、無断で引用したりもしているので(今の網野先生との対談もそうです)、事後承諾で大丈夫だと思います。今度診察に行ったときに竹下さんからメールをいただいた話をしますね。

 ところで裁判のことをリンクされていた記事をはじめとして、いくつか読ませていただきました。「ひどすぎる」の一言です。裁判所のやり口(判決文に被告の書面からコピペする)はよく知っていますし、被告も言っていないことをでっちあげることもよくあります。まったくなんてひどいのでしょうか。ああ、同じだと思いました。でも私がやっているのは安倍晋三を訴えたり、教育基本法改正が憲法違反だとか、「つくる会」教科書のことなので、竹下さんのようにほんとにほんとに切実なものとはちょっと違います。切実は切実なのですが、負けても「ま、仕方ない」と思えることなので。竹下さんの場合は、まったくもってひどすぎです。ほんとうに大変でしたね。

 それに竹下さんの場合だけでなく、清水病院にはたくさんの問題があることをはじめて知りました。いまはどうなっているのでしょうか? 2010年の日付の乳がん患者さんの投稿がありましたが、乳腺外科医はもう変わったのに、またまたひどい医者が来てしまったのですね。こういう医者は患者みんなで行かないようにして、クビにしたほうがいいですね。私ははじめから近藤先生のところに行き、ほかの医者を知らないので、まったくひどいと驚くばかりです。医療ばかりではありませんが、日本人は「権利意識と個の確立」にもっと真剣に取り組んだほうがいいと思います。

 誤診で手術されてしまうなんて、ほんとにほんとにひどいことで、犯罪なのに、医者だというだけで、なぜ罪から逃れられるのか。医療も司法もいったいどうやったら改革していけるのか。ほそぼそと本人訴訟の裁判で主権を行使している(その準備段階ですが)つもりなのですが、権力者からはきっと嘲笑われているでしょう。私たちをつぶすことなんて赤子の手をひねるようなものですから。

 渡辺容子

*****

きょうも暑かったですね。

「がんもどき」の本に書かれている私のことは、裁判の総集編と思っているので、ブログに載せていただけることはとてもうれしいです。

訂正して欲しい箇所は、一番大事な事実なので、ずっとひきずってますが、注を入れていただくことで気持がとても楽になります。よろしくお願いします。近藤Drにもよろしくお伝え下さい。

渡辺さんがたくさんの裁判のご経験から、私の裁判のひどさをよく理解されてほんとにうれしいです。

あまりのひどさに誰にも理解してもらえず困っている時に近藤Drに出会いました。清水病院で同じような目にあってる人は500件(両方の乳房をとられた人続出だったので、500人ではない)は下らないだろうと話したところ、近藤Drは否定しませんでした。

これだけの問題がいっさい表面に出ない病院の体質は、病院勝訴だし、変わりようがありません。

渡辺さんがおっしゃるように、医療ばかりではなく、日本人は「権利意識と個の確立」にもっと真剣に取り組むべきだとつくづく思います。

平和な日本で普通に暮らしてきた私は、まさか医者が嘘をつくとは思ってもなかったし、ましてや裁判所で嘘がまかりとおるとは、夢にも思いませんでした。

病院側の癌だという主張に対して、裁判中は頭の体操の連続でした(笑)。弁護士との打ち合わせに近藤Drと米本さんも出席して下さって、知恵を絞りに絞ってこの結果です。

乳がん学会では、私の裁判結果を、癌の証拠がなくて切ってもいいと裁判所のお墨付きが出るかどうか注目してると聞いていたので、その後の手術件数に影響が出ているのではと憂いています。

手術後に疑問をもっても、DNAが違う他人の癌患者の標本で「癌によって変異」でOKですから。

誤診から身を守る唯一の方法は、経過観察です。
その意味でも渡辺さんのご本はとても大切なことを教えて下さっています。
苦しい後遺症をかかえているので渡辺さんの生き方が本当に素晴らしく思えます。

竹下勇子

*****

 こんにちは。ブログにはじめてのメールと私の返信をUPしました。次回「がんもどき」本から引用し、次次回、またいただいたメールを載せたいのですが、よろしいでしょうか? 
http://lumokurago.exblog.jp/16597557/

 ところで、本を出して以来、乳がん患者さんからの相談が増えたのですが、いまどきこんなひどい医者がいるのかという人ばかりです。

 竹下さんは不要な手術の後遺症に苦しんでいらっしゃるなんて、ほんとになんと申し上げたらいいのかわかりません。まったくまったく医者はひどい。でも世間の人たちのほとんどはなにも知らないんですよね。だから竹下さんの裁判も広めなくてはと思います。

 渡辺容子

*****

ありがとうございます。お疲れさまでした。とてもうれしいです。もちろん、前回のメールもOKです。

渡辺さんは初めから近藤Drに診ていただいているので、いろいろな方からの相談に驚かれると思いますが、私は何も驚きません。相談が寄せられること自体に驚きます。

というのは、乳がん手術を受けたことは女性の誰もが黙っていたい気持があるからです。

乳がんは内臓に関係なく、直接命に関わるものではないし、内緒にしたい心理につけ込んで、売り上げの対象になりやすいのです。このことを女性は肝に銘じて欲しいと思っています。

1人の乳癌患者をつくることによって、薬はもちろん、大きい手術をすれば、リハビリ、下着など、関係する業界がでてきます。

そもそも、相談者たちは本物の癌だったのか疑問がわきます。

私の裁判に「乳癌の臨床」の編集長が傍聴に来ていましたが、癌と診断された病理診断を信頼できる病理医に診てもらうと3分の1は良性だと言ってました。しかも「がんもどき」も含まれるわけですから、本物がいかに少ないかと思います。

東大病院も変わっていないようですね。日曜日に東京で会ったのは東大病院で15年前に誤診された人です。

彼女は手術後に、医師から癌ではなかったから癌保険の用紙に書けない、もう来なくていいと言われて裁判を起こしましたが、敗訴でした。以下のサイトに近藤Drの解説があります。
http://www.geocities.jp/meconett/judg/judg_b.htm

彼女の場合、癌保険があったために、医師が誤診を告げざるを得なかったわけですが、そうでなければ癌患者で通したかもしれません。

見落としの誤診ではなく、癌患者にされた「誤診」は、よほどのことがない限り発覚しないので、誤診から身を守るには、経過観察しかなく、「早期発見・早期治療」をすすめることは犯罪行為にさえ思えます。

竹下勇子

*****

 これほど医者を信じない私ですが、東大病院の裁判記事も読ませていただいて、そのひどさに驚かざるを得ません。富士見産婦人科の事件のときは、あんなにひどい病院はあそこだけだろうと思っていましたが、とんでもなかったのですね。乳がん術後の業界というのもすごいですね。自分はあまり関係がなかったので気が回りませんでしたが、言われて見ればたしかにそうにちがいありません。カツラもそうですね。

 一番ひどいのはリンパ浮腫の業界でしょう(高いスリーブとか)。1985年にすでにリンパ節を切っても切らなくても生存率に変わりはないというRCT(注:くじ引き試験)の結果がでているのに、センチネルが陽性なら、いまだに廓清しています(川端さんがそうなので驚き。近藤先生との対談で自分が「生存率に変わりない」と言っているのに)。スリーブ業界からカネもらってるのか!とまで言いたくなります。あと、近藤先生がどこかに書いていたけど「血を見るのが好き」なのか。

 誤診から身を守るためには経過観察しかない、という意味でも「早期発見早期治療」は間違っていたのですね。それにしても「がんならすぐに切らないと手遅れになる」という常識を一掃する必要がありますが、近藤先生がこれだけ本を書いているのになかなかそうはなりません。人間の「不安」がそうさせるのでしょうか。「不安」よりも近藤先生のいつも言っている「事実と論理」だということがわかってもらえればいいのですが、無理ですね。

 渡辺容子

*****

早速、ブログにアップして下さってありがとうございます。ひどさを知れば知るほど燃えてくるのではと思います。私自身もそうでしたから。

おかげで乗り物酔いは消えたし、生まれ変わったように元気になりました(笑)。

がんにされた誤診は、知った時点ですでに手術などの治療をされているため、肉体はもちろん元に戻らないし、精神も回復することは相当に困難です。

関東在住の女性は10年経っても手術による痛みに苦しみ、誤診を受け止める気持の整理がつかず、閉じこもり状態が続いています。

今、相談を受けている人はこれから法的措置をとるため詳細は書けませんが、誤診がわかっていながらその事実を隠され続けてきました。

「富士見産婦人科事件30年の闘い」という本を読んで、女性が被害に遭いやすいことは共通していると思いましたが、乳房は違う(声を上げにくい)印象を受けます。

検診業界は不安を煽るのが手だし、こちらは地道に警告を発していくしかないと思っています。

だから、こうして渡辺さんがブログに取り上げて下さったことにほんとうに大感謝です。

竹下勇子

*****

 みなさまへ

 清水病院で犯罪的外科医に切り取られた乳房は500件を下らないだろうとのこと。その中で提訴したのは竹下さん一人。東大病院でも一人が提訴・・・ということは東大病院でも500件を下らない乳房が切り取られてしまったのかもしれません(後注:「かもしれません」であっても「500」という数は根拠がなさすぎるのでひっこめます。次の1文は確実だと思います)。少なくとも提訴した一人だけということはないであろうことは容易に想像できます。権威ある東大病院ですらそうなら、一般の病院ではどうなのでしょうか? 

 さらに他のがんではどうなのでしょうか? だんだん疑いがふくらんできます。もしも「がん」と診断されても、誤診である可能性が否定できず、さらにそのがんが近藤医師の言う「がんもどき」ならば、放置して症状がでたときに対処すればいのちに別条ありません。
 
 万が一「本物のがん」だったとすると、すでに全身に転移しており、治療しても治らないので、あわてる必要はありません。あわてて手術を受け、あとでがんでなかったとわかっても切り取られた臓器は戻ってきません。「早期発見早期治療」を放棄することはがんの性質上、非常に合理的な対処法であるだけでなく、誤診されて臓器を失い後遺症に苦しむという危険から身を守ってもくれるわけです。

 これらの犯罪的事件のことをぜひお友だちに広めてください。現在日本人女性の16人に一人が乳がんにかかると言われています。取り返しのつかない被害に遭わないようにお互いに協力しようではありませんか。


 こんな会があります。
 
 日  時 : 2011年7月30日(土) 午後2時~4時半
場  所 : 中央大学駿河台記念館 500号室
        (JRお茶ノ水駅・聖橋口を出て、右手の狭い道路<線路と
        直角に走る>をまっすぐ3分歩くと、左側に建っている)
テ ー マ : 患者体験を語り合う
問題提起 : 柴美智子 「これはどうなの?
                 -がんなの?がんじゃないの?」

 主催:医療消費者ネットワーク MECON

詳しくはこちらです
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by lumokurago | 2011-07-16 16:58 | Dr.K関連記事

がん患者を作り出す病院

 竹下勇子さんの裁判について、近藤先生が簡潔にまとめているので、『あなたの癌は、がんもどき』(近藤誠著梧桐書院P.39~)より引用します。

 がん患者を作り出す病院

 以下、紹介するのは、癌ではないのに、外科医が故意に癌と診断して、乳房全摘術を施行したケースです。ミステリーもどきの話なので、正確を期すため多少長くなります。

 1991年、静岡県清水市(当時。現在は合併により静岡市)在住の竹下勇子(たけしたいさこ)さん(当時42歳。お許しを得て実名)は、乳房にシコリを触れ、乳腺外科の名医がいるという市立病院を受診しました。外科医はすぐに生検を行い、乳がんという診断を得ると、せき立てるように手術を勧め、乳房全摘術が行われた。

 ところが評判とは裏腹に、術後、傷跡がひきつれ、腕の機能障害も生じたので、勇子さんは、悩んだあげく、説明義務違反と、機能を損なったことに対する賠償を求め、1996年に民事訴訟を起こしました。

 やがて裁判上明らかになった諸事情から、勇子さんには、「私は本当に乳がんだったのか」という疑問が湧きました。診断に使用した組織の標本を、他人のがん標本と間違えたのではないかと疑ったのです。そして、そのことを主張すると、裁判所は鑑定を命じました。

 鑑定内容は、病理診断とDNA分析です。後者は、勇子さんの身体から細胞を採取して、ミトコンドリアのDNA配列を特定し、病院から提出させた病理標本中のDNA配列と比較するのです。

 鑑定結果は、驚くべきものでした。配列を比較した270個のDNAのうち、3か所が異なっていたからです。しかも標本中のDNA配列は、日本人に特徴的な配列(数タイプある)のうちの一つと一致していたのです。これは確率的にみて、突然変異で生じることはありえないといえます。

 (渡辺注:竹下さんによれば、この記述は誤りで、「日本人に特徴的な配列のうちの一つと一致していなかった」そうです。

 【追記】2011.8.14。竹下さんより『つまり』以下を次のように訂正するようメールがありました。「つまり日本人の特徴的配列と一致していたのは竹下さんのDNAだった」。このことを近藤医師に伝えたがなぜか訂正されないまま出版されてしまったとのこと。次の診察のときになぜ訂正されなかったのか聞いてきます)。

 つまり標本は、勇子さんの組織由来ではないとの結論になる。勇子さんの疑問は当たっていました。生検で勇子さんから得た組織は、どこかの時点で、他人の乳がん組織とすり替えられていたとしか考えられないのです。

 ところが判決は、意外なものでした。突然変異の可能性を否定できない等々の理由をつけて鑑定結果は無視されたのです(インフォームド・コンセント違反があったとして、原告一部勝訴)。控訴審でも、この鑑定結果は再び無視されました。しかし、東京医科歯科大学の法医学教室が実施したDNAの鑑定文をそのまま受け容れられないとすれば、何をもとに判決文を書くことができるのか。

 この裁判結果は、民事訴訟の限界を示しているように思われます。標本のすり替えは、健康人を手術したという犯罪を隠蔽するために行われたわけですが、民事訴訟の場で、警察のような強制捜査権限を持つわけではない民間人が犯罪を立証することの限界です。

 また裁判官としては、すり替えを認定して大騒ぎになるのを嫌った可能性がある(裁判長は地元病院協会との交流もあった)。

 ところで、被告病院の代理人(弁護士)に関し、奇妙なことがあります。清水市立病院(当時。現在は静岡市立清水病院)は、それまでも医療訴訟を起こされたことが少なからずあり、その場合、地元弁護士の中から、特定の複数の弁護士を共同代理人として選任するのが通例でした(どの地方でも、病院が選任する弁護士はたいてい決まっている)。

 ところが勇子さんの裁判では、東京の弁護士を単独で代理人として選任したのです。しかもこの弁護士は、鑑定が出たあと調べてみると「ヒトゲノム解析研究に関する共同指針(案)検討委員会」という、DNAに関する政府委員会の委員を務めていた。

 提訴した時点では、勇子さんは病理標本がすり替えられたという疑惑を抱いておらず、訴状もその点に触れていない。それなのに被告病院は、それまでの通例を破って、裁判開始当初から、DNA分析の第一人者をわざわざ東京から呼んで代理人にすえた(しかも、他の弁護士は共同代理人として選任しない)。将来DNA分析が問題となることを予想していたと考えないと、説明がつきません(なおこの弁護士自身は、おそらく事情を知らずに受任したと思われる)。

 そうなると、新たな謎が生じます。だれが弁護士を推薦したのか、です。これが本件最大の謎です。問題の外科医は、弁護士を選べる地位にいなかった。おそらく病院の中枢ポストのだれかが、訴訟の将来を予想し、弁護士を選任したのだと思われます。
 
 しかしそうすると、その者は、乳腺外科医の所業を知っていたことになる。

 「医療詐欺」のカラクリ

 じつは清水市立病院では、同様のケースが他にもありました。本当に偶然なのですが、私はある時期、放射線治療外来の担当を頼まれて、清水市立病院に週1回通っていました(勇子さんのことは、清水市立病院に通うのをやめてから知った)。その間、くだんの乳腺外科医からは(疎まれたらしく)患者の治療依頼は1件もなかったのですが、放射線治療外来を担当している別の医者から相談を受けることがよくあり、その中にこんなことがありました。

 その乳腺外科医が乳がんと診断して、乳房温存手術後の放射線治療を依頼してきたケースで、病理診断結果がカルテにないので、「病理診断レポートとともに再依頼ください」と差し戻すと、再度の依頼がなかった。そういうケースが数回続いた、というのです。

 諸事実を矛盾がないよう整理して構図を描くと、この病院で行われていたことは、以下のようになります。

 まず乳腺外科医は、乳がん早期発見を叫んで検診を勧め(協力する報道機関もあった)、健康人を集め、なんだかんだと理由をつけて生検する。そして、何らかの方法で入手した、乳がん患者の組織とすり替えるか、もしくは生検組織を病理検査科に提出せずにおく(病理診断がなくても、癌の診断が可能であることは前述――渡辺注:マンモグラフィにスピキュラ(星の光のような陰影)が映っている)。

 生検後、患者には乳がんと告知し、乳房全摘術に持ち込む。当然手術件数は増え、しかも健康人だから再発・転移はありえない。

 手術件数が多い一方、再発・転移が少ない名医とされ、名医紹介本にも載って、ますます患者が増える。全摘術であれば、治療は外科という単一診療科の中で完結するので、外科の外来と病棟を支配していれば、悪事は簡単には露見しない。

 そうであっても、健康人を乳がん患者に仕立て上げるカラクリに、やがて病院内のだれかが気づいたのでしょう。

 しかし彼女/彼は考える。真実を他に漏らしたら、病院がスキャンダルまみれになる、と。それで沈黙するのですが、一度でも黙認すると、外科医の犯罪遂行を幇助したことになり、共犯者になってしまいます。

 そして今や共犯者となった罪の意識から、結局、口が堅そうな別の者へ告白することになり、聞かされたものも同様に罪の意識を抱き、黙ってはいられない。

 こうして病院内に、共犯者の輪が広がるわけで、病院外から見れば、組織ぐるみの犯罪と評すことができます。その輪の中に、病院の中枢ポストにいる者がいたのでしょう、勇子さんが提訴したとき、すかさずDNA分析に詳しい弁護士を代理人に選ぶことができた。

 他方で乳がん治療の主流は、乳房全摘術から乳房温存療法へと変わり始めていた。外科医は流れに遅れまい(遅れると患者が減る)と、温存手術を始めることにしたのですが、温存療法では、乳房内再発を減らすため、放射線治療が必要です。それで放射線科に依頼しなければならなくなり、病理診断なしに乳がんと診断していたことが知れてしまった、という構図なのでしょう(ところで、この外科医は乳房温存療法をだれにも習わず、見よう見まねで始めたようで、傷跡は無残なことになっていた。上記裁判に提出された実例写真は『乳がんを忘れるための本』(文春文庫)130ページに転載)。

*****

 故意に乳がんでない人の乳房を切っていたなんて、もともと医者は信用できないと思っていますが、ますますその思いを強くします。この外科医が傷害罪で切った乳房は500を下らないそうです。そして東大病院でも同様の事件があり、裁判になりました。詳しくは明日掲載予定の竹下さんのメールに注目してください。私でさえ驚く事実が明らかにされます。
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by lumokurago | 2011-07-15 16:45 | Dr.K関連記事

乳がんでないのに乳房を切除した外科医 告発の裁判

 1週間ほどまえ、次のメールをいただきました。

*****

渡辺さん、初めまして。突然のメールで失礼いたします。

渡辺さんのご本、「後悔しない治療」を読ませていただきました。

情報量に圧倒されながら、いろいろ教えていただいて、読み終わった時には、なんとも言えない満ち足りた気分で感謝の気持でいっぱいでした。

体調はいかがでしょうか。ブログにもたくさん書いていらっしゃるし、暑さもあるし、エネルギーを使い果たしていらっしゃらないか心配です。

渡辺さんのアドレスはブログで知りました。

初めてのメールで、自己紹介が後になって申し訳ございません。

私は近藤Drの本などに実名で書かれている乳がん誤診の被害者です。

被害にあった病院に偶然にも近藤Drが勤務されていらして、担当外科医の犯罪行為をご存知だったため、近藤Drのご協力のおかげで、最高裁まで12年近くの裁判を闘い抜くことができました。

結局、裁判所を説得することはできませんでしたが、乳がん医療の犯罪行為を暴くことはできました。

また、2000年には、近藤Drとルポライターの米本和広さんのご協力で、被害をくい止めるために会を立ち上げて活動をしてきました。
http://www3.tokai.or.jp/shimizu/index.html

渡辺さんと同じ頃に近藤Drと出会っていますが、まったく違う道を歩んできたことを知りました。

渡辺さんのことは、昨年6月に朝日新聞に載った時、米本和広さんが近藤Drの患者さんではと、記事をコピーして近藤Drと私に送って下さった時に知りました。

そして、抗がん剤のご本に近藤Drが渡辺さんのご本を紹介されていたことがきっかけで、読ませていただきました。

すべてがとても興味深いことばかりですが、渡辺さんが近藤Drにインタビューされた項や、痛みの治療の項は特に心にのこりました。網野先生の「解説」も素晴らしいですね。いい医師たちに出会えて、本当によかったですね。

読み終えて、なんだかとても暖かい気持になっています。たくさんの情報を本当にありがとうございます。多くの人の救いになると思うので、被害者仲間に伝えていこうと思っています。

暑い日が続きますが、どうぞお大事になさってください。
初めてのメールで長くなってごめんなさい。

竹下勇子

*****返信

 おはようございます。竹下勇子さんのことは近藤先生の本やイデアフォーの通信(むかしは会員でした)などで少し存じ上げています。まさかご本人からメールをいただくとは思ってもいませんで、驚きましたが、いまのいまメールをいただいたことにとてもご縁を感じます。なぜならば、米本和広さんに、彼が以前アエラに書いた近藤先生の記事をブログに転載させていただきたいと連絡したところ、電話をいただきました。(中略――ある偶然から米本さんの本を読んだことについて書いた)

 米本さんの話ばかりになってしまいましたが、私も裁判をやっているので、裁判の苦労、裁判所の不公正さはわかるつもりです。最高裁まで12年もかかったんですね。ほんとうに大変だったこととご推察します。医療被害にあっても泣き寝入りしてしまう人が多いだろうなか、お名前のとおり勇気ある告発をなさり、医師による犯罪行為を広く知らしめたことは非常に意義のあることだと思います。

 ところで拙著を読んでくださったとのこと、どうもありがとうございます。ブログもみてくださったんですね。私はいまのところとても元気ですのでご心配なく。もう1年くらいなんの検査もしていないので、いまがんがどうなっているのかまったくわかりませんが、こんなに元気なのでたぶん小さくなっているのでしょう(笑)。

 本をだしてから乳がん患者さんの知り合いがとても多くなりました。竹下さんの裁判について知ってほしいので、いただいたメールをブログに掲載させていただきたいと思いますが、よろしいですか? 私の理解している範囲になってしまいますが、裁判について簡単に書かせていただきたいと思います。

 メールをどうもありがとうございました。

 渡辺容子

*****

 次回、竹下さんの裁判について近藤医師が『あなたの癌は、がんもどき』に書かれた部分を引用します。

 米本和広さんのアエラ記事はこちらです
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by lumokurago | 2011-07-14 15:43 | Dr.K関連記事

Dr.kとDr.Aの対談 その5

 ■ 「健やかに」「老いる」は形容矛盾

 近藤 医療行為をする中で、都会との違いといったものがあったりするんですか?

 網野 うーん、田舎では医療への信仰が強いかもしれませんね。

 近藤 医者のいうことに従順になりやすい?

 網野 ある面では医者は権威主義に陥りやすい。逆に言えば、患者さんに依存心が強い。泰阜村にそういう傾向はあったと思います。

 近藤 ぼくの理解が不十分なのかもしれませんが、泰阜村は日本の中で遅れているようでありながら、医療や福祉の面で先頭を走っていたんではないのか。集検を始めたことも。網野さんが集検をやめたことには、背後に高齢化の問題があったと思うんです。在宅医療サービスといった、福祉と医療をミックスさせたような形を網野さんが作り出し、その過程で集検をやめた。村の高齢者福祉の問題は、20年後30年後の都会の姿じゃないかと思う。そう言う意味でも先頭を走っていたというか、モデルになる。

 網野 確かに村には専門家が持っているような固定観念がないから、私の考えが受け入れられやすかったと思います。96年の2月に診療所を辞めて東京で開業して現在やっていることは、村でやっていたことと同じです。例えば、医療より福祉のほうがあなたの場合は必要ではないかとか。そういうやり方、考え方は変わらずに医者としての活動ができている。

 近藤 その場合、患者さんや家族の対応は村と違いがあるものなんでしょうか。

 網野 都会は人口が多いだけ理解ある人も多いと言えるかもしれません。しかし特に違いがあるように思ってませんね。

 近藤 でも、東京ならば近くに病院がいくらでもありますよね。

 網野 村では、距離はあっても時間からすれば1時間ぐらいで、その1時間というのは村ではたいしたことはないわけで――ただ、そういう問題ではなくて、根本的に人間というのは家で生活を続けたいという願望があるんだと思います。田舎でも都会でも。少なくとも私が現在在宅医療に携わっている地域は、変わらないというのが私の実感です。私がやってきたことを仮に「泰阜村モデル」と呼ばせていただければ、それは都会にも当てはまる。

 近藤 むしろ都会のほうがやりやすいという面もあるでしょうね。

 網野 距離的には医療機関に近いわけですから、村よりも在宅医療に向いているのかもしれませんね。

 近藤 ただ、住宅事情は都会のほうがより悪くてそれが在宅医療サービスにとって不利にならないのか。あるいは死を看取る場合の障害にならないのか、その点はどうなんでしょうか。

 網野 実はその点では確かに懸念を持っていました。狭いマンションで看取らせてくれるのか――例えば隣近所から「病院に入れろ」なんて圧力が加わったりしないのかと。ところがですね。広い狭いの問題ではないんだと体験的に分かりました。本人がどうしたいのか、家族がそれに応じられるのか。在宅医療の可能性はここにあります。

 近藤 なるほどねえ、それは大切なポイントですね。在宅医療というとつい、広い家で庭もあってなんてイメージしてしまいますから。

 網野 豪華なシャンデリアの部屋なんか要らないんですよ(笑)。6畳と3畳ほどのアパートでおばあちゃんを看取ったこともあります。要するに、いままでの生活空間の中で死んでいきたいと思っている人が多いということなんです。医療側からすると、収入は減りますけれど、それでいいんです。

 近藤 「減る」っていうのは、病院で看取る場合に比べてですね。

 網野 ええ。先ほど病院医療を否定しましたけれど、こうしたプロセスの中で医療費も節約される。

 近藤 でもどうなんでしょう、病院収入はカサは大きくても器械や設備や薬に取られる分も大きいから、ネットとして医療側に残る分は在宅医療でもそんなに少なくはならないのじゃないでしょうか。

 網野 そうですね。重症になったときの患者さんの側の求め方でかなり変わってくるのが現実です。病院並みの医療でないと満足できないようだと――例えばIVH(中心静脈栄養)だとか、ドーパミンやって延命をとか。そうなってくると、医療側の持ち出しが増えてしまいます。

 近藤 そうした治療は持ち出しになってしまうの?

 網野 なぜかというと――これは私の考え方なんですが、厚生省の定額制に賛成で、それを取り入れているんです。少し細かいことを言いますと、1人の患者さんを週1回くらい在宅で診ていると、医療側の利益はひと月6万円ほどですから、利潤としては決して少なくないと思いますね。ですから、ケースによっては多少の持ち出しはしょうがないんです。

 ・・・さっき言い忘れたんですが、泰阜村で検診を否定し福祉を充実させる過程の中で、理論化が行われ在宅医療が追求されたんだということ――要するに医療を含めた福祉を充実させていくためには現代の保健に対する考え方を否定する必要があったんだということなんですね。

 近藤 つまり検診などなんらかの働きかけをすれば健康が保たれるということへの疑問ですか?

 網野 ええ、私たちは老いに伴ってなんらかの障害を持たざるをえない。それを否定する保険や検診への疑問ですね。「健やかに老いる」なんていうのも形容矛盾だし、その次には「ピンピン、コロリ」が出てくる。そんなの、無理ですよ。

 近藤 それは結局、老化とは何かという問題ですね。老健法が作られたのは、老人が増えてきているからでしょうが、そのとき医療に頼ろうとする、人間改善主義みたいになってくる。

 網野 日本の保健運動には、そうした考え方が根強い。医学部の公衆衛生を専門とする人たちや保健所、保健婦たちに。

 近藤 癌検診が老健法の中核になっているわけだし、一部の悪いところを見つけてそれを是正していけばよくなるだろうといった――。

 網野 そうなると、全員110歳以上まで生きなければならなくなる。

 近藤 福祉の考え方は、障害をあるがままに認めようということで、是正とか健康増進の2文字は入ってこない。ですから、老健法と福祉の考え方は矛盾していて、両者を並立させようとするところに無理があるんですよ。

 網野 そうですね。医療も老いや障害をあるがままに認めるべきでしょうね。その視点から、算術にとらわれずに、日本の現代医療の実践的批判としての在宅医療を作り上げていきたいと思っています。

 (了)
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by lumokurago | 2011-07-13 17:10 | Dr.K関連記事

Dr.kとDr.Aの対談 その4

 ■ なぜ家で死んだらまずいのか ■

 本紙 現代医学の無謬性に疑問を持っていて、そうは言ってもお二人とも医者なわけですね。そこに矛盾はないんですか。

 近藤 医療とか医学の中で患者さんに役立つ知識・技術はたくさんある。癌治療の分野でも、苦しみ・痛みを取る技術は必要だし合理的だと思う。問題はだから、非合理・有害な技術が使われていることにあるので、そうした不必要な技術をなくしていく義務が私たちに課せられているのではないかと思うんです。

 そのときに、必要か不必要か判断しにくいグレー・ゾーンというのがありますね。それに対してはそれぞれの根拠であるとかデータを示し、患者さん本人が決めていけばいい。だから医者の立場から現代医学の矛盾を指摘しているけれど、すべてが不必要だと言っているわけでもないし、自分の中では整合しているんです。

 網野 私がやっていることは、レベルが低いから――いや「レベル」という言葉はよくないですね。つまり地域の臨床現場にいて、現代医学が患者さんにどこまで必要なのかと、本当に考えさせられてしまう・・・現代医学がかなり無秩序に拡大しすぎたというのは否めないと思うんです。MRIとかCTとかが全国に広がり、薬も相当バラまかれている。この混乱は、私たちが19世紀から20世紀にかけて、現代医学によってこそ病が取り除かれ健康が維持されるという信念を持ってしまったところにあるのではないかなあ、と。

 自分の経験でも、進歩的とされる医療集団に呼ばれた席で検診批判をしたら、そのリーダー的な方が質問してきて「これまで医学は進歩を果たしてきて、いまもその途上にあるのだから多少の間違いはいいのでは」というんです。私は「それでは薬害エイズ問題への厚生省やメーカーの対応も認めるんでしょうか」と逆にお尋ねしたことがありました。そこに日本の医療や医学の矛盾が象徴的に表れていると思うんです。ですから、医者であってもこの点は追及していくべきだと思っています。

 近藤 進歩に対する手放しの信頼というか――それが信仰だろうね。

 網野 信仰ですよ。私は『みんな、家で死にたいんだにい』を書いているときに、なぜ我々が進歩への信仰心を抱くのか、進歩主義っていうのがなんなのか、なかなか整理できないでいたんです。そのころフランクフルト学派の哲学者の本を読んでいて――これは弁証法への批判なんですが、否定の中にすでに肯定的な要素が入っているといった指摘があるんです。つまり先ほどの医療集団のリーダーの、否定的なものでも将来的に肯定されてポジティブなものになるから、それでいいじゃないかといったオプティミスティックな姿勢、それが進歩主義なんだと気がついた。

 近藤 ものごとは結局は進歩していくんだという、素朴な期待感なんじゃないかな。だけど、本当にそうなのか。人間という有限な個体に――つまり老化していく個体に、そういう進歩が実現されるのか。

 網野 検診や現代医学を肯定する考え方には、それが実現できるんだという思い込みがありますね。

 近藤 そうですねえ、根本のところでね。

 網野 19世紀の思想、それが基礎になっている。

 近藤 医学だけでなく、到るところに見られるよね。自然を改造したりとか、あるいは経済が発展すればみんな幸福になるといった考え方に通底しているように思う。

 網野 発想を根本的に転換する必要があると思うんです。「がんと闘うな」というのも、従来の考え方に「ノー」というわけで、かっこいい言い方をすれば、それによって認識論的な切断がなされるのではないかと。

 近藤 ひとこと加えますと「闘うな」というのは、「むだな闘いをするな」ということであって、闘うことに異議のある癌も一部にあると著書の中で明言しています。それを「すべてのがんと闘うなと言ってる」と曲解して非難している人がいるんで、いやになりますけど。

 本紙 在宅医療への関心は現代医学・医療への疑問の中から生まれたんですか?

 網野 私は、現代医療の弊害が集中して表れているのが病院だと考えていて、医療の転換を図りたいわけです・・・必要がないにも関わらず、入院して死んでいく。人間は病院に行って死ななければならない。まさに実態は死の医療かなわけです。その無意味な、反人間的なところを正確に把握して、それを削っていく必要がある。そのためには大胆な改革というのが欠かせないと思うんですよ。

 本来、人間は在宅でいいし、地域で暮らしていけないようでないと人生の意味が失われてしまうと思うんです。いまの世の中の、老いを否定するような考え方、あるいは病を持ったお年寄りを社会から隔離するようなシステム、死そのものを隔離するようなあり方に対して「ノー」と言い、それに替わるものを追求していきたい。それは、病院医療を救急医療や外科系医療、あるいはマイナーと言われていた放射線科などへ限定していくことだと考えています。ほかは診療所医療、在宅医療でいいんです。

 都会で在宅医療に携わると、患者さんよりも世話をしている家族が、家で死ぬことに不安感を持っているんですね。ですから私は初めに「なぜ、家で死んだらまずいんですか」って聞くんです。そして「家で死ぬことは、そんなに悪いことではありませんよ」という。そこから在宅医療が始まるんです。

 近藤 網野さんは、最初からそういう考え方を持っていたんですか。泰阜村に行く前からそういう考え方だったのか、あるいは何かターニング・ポイントがあったんでしょうか。

 網野 私はばかみたいな延命主義者でしたから、病院で患者さんが危篤になれば駆けつけて心マッサージをしていました。ですから、村でお年寄りのみなさんと生活を共にする、医療を一緒に築き上げていくという中で教えられたと思うんです。それは先ほど話した進歩主義の否定ということです。

 近藤 なぜ村に行ったんですか。

 網野 ・・・それはあまり言いたくないんです。正体がばれるから(笑)。要するに、病院に勤めていると日常診療に追われて研究もできない、それならトコトン末端に行ってみようと。極端なんです。たまたま長野県に電話してみたら3か所の候補地があって、観光地じゃあかっこが悪いから一番過疎の村を選んだということで。

 近藤 すると、何か理想に燃えて、というのではなくて?

 網野 もちろんロマンはありましたよ。僻地医療に対する。しかし、何か特別にやりたいことがあったということではなかった。

 近藤 実際に僻地医療に携わって、一番驚いたことってなんでしょう?

 網野 やっぱり高齢者が多く、さびしく暮らしている・・・。それと医療以前の問題として、栄養失調があったし、お風呂に入るのは好き好きかもしれないけれど、何年も入っていない人もいた。これを私は「医療以前」と表現したんです。

 つづく
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by lumokurago | 2011-07-11 16:12 | Dr.K関連記事

Dr.kとDr.Aの対談 その3

 ■ 全世界的宗教としての医学 ■

 網野 私自身もきちんと確信を持つまでには、自分の中に相当に揺り戻しがあったわけですが、近藤さんはどうでした?

 近藤 臨床的な面からの癌の進展の問題に関する論文を書きあげるまでは熟考しましたけれど、その後の揺れはありませんでしたね。肺癌検診や乳がん検診のRCT(くじ引き試験)の結果を見れば両群に差がないのは明らかですから。

 網野 そこに至るまでは、少しは揺れた?
 
 近藤 検診有効論の根拠になっている論文を読み解いていくには若干時間は使ったけれど、一つ糸がほぐれると――そうした山ほどある論文のおかしさに気づいたりすると、ほとんど揺れはなかったなあ。得心がいくというのか・・・なんと言って表現したらいいのかなあ。

 網野 そうねえ、私の場合揺れが止まったのは、先ほど触れた自費出版の『なぜ、村は集団検診をやめたか』を、いろいろな書物や資料を読みながら書いたときですね。同じ意見を持っている近藤さんの存在もそのころに知ったし。

 本を読んでいるうちに、現代医学の基本的な構造に信仰的なものが大きく、それで私たちは間違った方向に進んでいるのではないかと気づき始めたところがあります。現代医学を信じている人と話をしていると、なかなか理解されなくて疲れてしまうわけで――近藤さんも議論をしていて疲れるでしょうが、彼らの考え方は宗教心とほとんどイコールだと気づいた。

 近藤 それはありますね。

 網野 現代医学の中で医者は牧師のような役目をしている。

 近藤 例えば、レントゲン技師たちが消化器集団検診学会での論議(集検是非論)をどう受け止めたかを調査したマスコミの人がいうには、論議の中身を見るんでなく、「あの有名ながんセンターの名誉院長が有効というんだから有効でしょう」という声があった。こうなると、もう本当に宗教みたいになってしまう。

 網野 現代医学を作っている構造には薬害エイズでも問題になった医学、メーカー、国の三者の癒着があるわけですけど、そうしたいい加減なところを知りながらもなぜ改めないのかと言えば、そのほうが居心地がいいからでしょう。市民の側も権威にすがりついていれば楽だから。で、被害者になって初めて分かるという状況だと思う。そういう人たちを説得するのは本当に疲れてしまう。

 近藤 感情に裏打ちされた意見というのは、なかなか変わらない。論理が通じないのは大変ですよね。それでぼくがやろうとしているのは、患者さんの側に気づいてもらって、その働きかけで医者の考えを変えていく、それしかないと思っている。

 網野 全世界的な宗教である医学に立ち向かう困難さを感じませんか?

 近藤 むしろぼくは世界的な常識を紹介してきたのだから。乳癌の乳房温存療法を紹介することで、患者さんは切除しかない医者のところから離れるという動きになる。すると医者のほうは患者さんを呼びもどすために温存療法をすることになる。理論的に患者さんの動きというワンクッションあるから迂遠のようだけれど。

 網野 しかし明らかにそういう流れになっていますね。温存療法は日本でも社会的に認知されたと思いますし、癌の手術についても同じように進行しつつあると思います。権威ある病院で手術しかないと言われて逃げてきた人が私の患者さんにいたりしますから。

 本紙 近藤さんへの批判の中で、しばしば「医学の問題は専門学会で議論せよ、一般の人を巻き込むな」という話があります。これについてどう思われますか?

 網野 医学界の中で議論することは大切だけれど、宗教心が強いというか、認識論的な障害は患者さんよりも医者のほうが大きいんですよ、私自身の経験から言っても。

 近藤 医学に限らず 行政の問題にしても、情報が一般の人に届いていないことがある。例えば、9割の癌に抗癌剤は無効で生存率は上がらないことは専門家の間では常識だった。それが、一般の常識ではなかった。それを紹介するような行為をすると、専門学会に戻れというのは専門家支配を強めるだけ。情報公開により利益を受けるはずの一般の人たちまでもが専門学会でやってくれというのは不思議です。

 網野 一般の人たちもそう言いますか。それは少ないのでは。

 近藤 いや、そうでもないですよ。

 網野 それは、知りたくないということでしょうか。

 近藤 専門家信仰があるんじゃないのかな。

 網野 いろんな信仰がありますからね。

 近藤 パターナリズムでいいと言っているひとに、それを変えなさいとは言えない。それは患者さんの自由だから。ただ、そこから脱却したいという人に情報を提供するのは専門家の義務だと思う。

 網野 インフォームド・コンセントと言いつつ、肝心な情報を与えないことがありますから。

 近藤 情報を隠すのはそれによって利益を得る人がいるということですよね。それはどの社会でもそうだな。だから医者は隠して利益を得ていたということですよ。

 網野 いろんな意味で抜き差しならない事態に遭遇しちゃって、医者のほうも精神的に追いつかない。精神的な支柱を失っている。

 近藤 精神的な支柱かなあ。理論的な支柱じゃない?

 網野 理論的な支柱も失っているけれど。

 近藤 ある大学の外科で若い人が、温存療法をこれこれの理由で始めたいと言ったら、そのボスが「きみは科学者みたいなことをいうね」(笑)。彼の中で医学は科学をベースにしていないということです。また、経験的にも言えるけれど、ボスが辞めるまでその病院で温存療法は広がらない。

 網野 そうすると、世代の交代を待つしかないんですかね?

 近藤 それもヘンな話ですね。患者さんの利益を無視している。ボスがいても治療法を変えていくような世の中にしなければ。

 網野 ゲリラ的にいろんな作戦を導入してでしょうか。

 近藤 いやゲリラではなく本道で、ですよ。変えていくためには、患者さんがこういう治療をやってほしいと迫ればいいわけで、そのためにも情報公開が重要になる。

 つづく
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by lumokurago | 2011-07-10 16:38 | Dr.K関連記事