暗川  


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首相官邸の警備

今日、「平和をつくり出す宗教者ネット」による首相官邸への要請行動がありました。自衛隊イラク派兵・インド洋派兵中止を求めるものです。2003年から毎月1回行っており、今日で45回目。私はその後の世話人会で教基法違憲訴訟の説明をするため、合流する予定で、官邸前の道路のはじに立って、彼らを待っていました。

すると警官が来て、「何してるんですか?」
私「待ち合わせです」
警官「何のためですか?」
私「なぜそんなこと聞くのか?」
警官「道路のあちら側に行ってください」
私「なんでか?」
警官「ここは首相官邸前なので安全のため」
私「私がいるとなぜ安全でなくなるのか?」
警官「警備のためです」
私「ここにいるのは自由だ」
警官「あちらに行って下さい」
私「どの法律に書いてあるのか?」
警官「法律にはないけどお願いしている」
私「理由は何か?」
警官「あちらに行って下さいよ」
私「行きたくない」
警官「12:30から要請行動があるが、そこに参加するつもりか?」
私「関係ない」
警官「では誰と待ち合わせしているのか?」
私「言う必要ない」
(この辺りで宗教者たちが向こう側の道路を歩いてくる。いつも要請行動をする場所(官邸の道路をはさんだ向い)へ)
警官「あの人たちだってあちら側でやってくれているのだから、あっちに行ってください」
私「私は無宗教だから参加する気はない」
警官「だって待ち合わせしてたんでしょう」
私「なんでどかなくちゃいけないのか。私がここにいるのは自由だ」
・・・・・だんだん頭に来て最後にはどなっていた。絶対に行くもんか!!

前、同じ場所でチラシを撒いているときも、うるさく言われた。でも、今日なんか何もしていなかったのに!! たった一人で立ってるだけで危険だそうだ。要請行動が終わるまで官邸側の道路に座り込み、終わってから合流した。

ところで、教基法違憲訴訟には宗教者の方々が加わってくださることになった。記者会見には妙法寺のお坊さんの黄色の衣、カトリックの神父さんの黒いマント(ですか?)、ヒラメTシャツ、法服(生田弁護士が原告用に30着も作った・本物とはちょっとだけ違う)などが並ぶであろう。
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by lumokurago | 2007-08-31 20:21 | その他裁判関係

ちゃっかり

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涼しくなったとたんに、私の布団に来て寝ているシーザー(ゆうべからです)。まだ足の上には乗ってこないです。
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by lumokurago | 2007-08-29 23:07 | ねこと鳥 (cats&birds)

「うんうん、うんうん」て聞いてた人

父の会社の後輩から電話をもらいました。
父について・・・

「普通はみんな自分のことしか考えないのに、お父さんは人のことばかり考えてた。すごい人なんだよ。できることじゃないよ。『うんうん、うんうん』て話、聞いてくれた。それで説教もしない。結論も言わない。普通は言いたいじゃない? でもお父さんは言わない。ただ聞いてくれた。俺なんかそれで育ててもらったんだから」

お父さんてそんな人だったんだあ!
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by lumokurago | 2007-08-29 22:53 | 父・母・介護

国民は弱いもの・マスコミは旧態依然

今日の東京地裁。

裁判官(書記官)忌避申立に地裁で決定が出ると、高裁への即時抗告はその決定を受け取ってから1週間以内に行わなければなりません。私はそれを2週間と勘違いしており、期限が過ぎてから、事件係という訴状などを受け付ける係に提出しました。事件係の人は何も言わずに受け付け、印紙も貼って、抗告状は地裁の担当部にまわされました。

今日、決定を受け取りに行きましたが、その決定は「期限を過ぎているから却下する(高裁にはあげない)」というものでした。

私たちは「期限を過ぎているなら、なぜ受付で教えてくれなかったのか」と聞きました。受付の人は「受付は何でも受け付ける。その中味を判断するのは裁判官である」と答えました。でも、期限切れならば、印紙代1000円はドブに捨てたも同然です。全くのむだづかいでした。
「1000円返してもらえないのですか?」と聞きましたが、NO!

「私たちは素人です。国民には裁判を受ける権利があり、裁判所はプロなのだから、期限のことは受付で教えてくれて当然じゃないですか? 私は抗告状に決定を受け取った日付を書きました」
「そんな日付はウソかもしれない。担当部で記録を見なければ正確にはわからない」
「でもお金を払って受け付けたのだから、こちらは中味を受け付けられたものと思いました。期限を過ぎているからと却下するだけなら1000円とるなんてひどいじゃありませんか。どうして期限が過ぎていると教えてくれなかったんですか?」
「受付にはそんな役割はありません。なんでも受け付けるだけです。それに素人か弁護士がいるかはここではわかりません。裁判をするなら少しは勉強してくださいよ」
「裁判所は裁判のプロでしょう! 国民に教える義務がありますよ。税金を払っているのですから。申立書をよく読んでいらっしゃったので、期日のことも確認しているものと思っていました。長い時間がかかっていましたから。でも見ていたのは印紙だけなのですね。これからは期日のことも確認して教えてくれるようにしていただけませんか?」
「そんなことをするとおこってくる人もいる。いろんな人がいるんだ」

この辺でこの人が切れ始め・・・隣の女性が対応しました。この女性は唇を震わせて、興奮気味に応対しました。
とにかく受付はなんでもただ受け付けるだけだそうです。
(この後総務課に行って聞いたところ、受付の人はただの事務の人ではなく、書記官だそうです。「何でもただ受け付けるだけ」なんて書記官の資格が泣くね)

ここで安倍裁判の1件目の忌避では、3人の裁判官を全員忌避しても1件の忌避の扱いで印紙代は500円だったのに、2件目の忌避から、500円は裁判官一人につきで、3人忌避すれば1500円にされた根拠をもう一度聞きました。女性は訴訟費用法を持ち出してきて、忌避の手数料は500円とだけ書いてあるところを開いて見せました。この条文をどう解釈するかは裁判官の裁量にまかされているそうです。3人を忌避する場合、裁判官によって500円になったり、1500円になったりするそうです。つまり、裁判官は忌避申立をしにくくするために、1500円にしているのだとしか思えません。国民が忌避の制度を利用しやすいように、国民の立場に立てば、500円でやってくれるはずです。

もちろん裁判官は国民ではなく、政府の立場に立っているのですから、当然といえば当然のいやがらせですね。

結局お金は返してもらえなかったので(私は2件、期限を過ぎてから提出したので、2000円の損害)、今日提出する忌避申立2件の裁判官を2人減らして、裁判長裁判官一人にして、2000円節約しました。これでプラスマイナスゼロ。どうせ却下されるのだから!

国民は本当に弱い立場におかれているものです。

私たちの裁判について、「裁判制度の改革は自分のテーマじゃない」とおっしゃる方がいらっしゃいます。また、「裁判なんて文章が書ける人にしかできない(庶民の運動じゃない)」という考えもあります。コスタリカで憲法裁判を起こした最年少は小学校2年生です。コスタリカでは電話で「憲法違反です」と言えば、受け付けられるのです。こうなれば文章はいりません。
日本の裁判がこうなる日は果たして来るのか? 非常に疑問ですが、できることをやってかなければ何も変わりません。

それから司法記者クラブに行って、教基法違憲訴訟の記者会見の予約をしました(9月21日)。幹事社(朝日新聞)の人は、これが本人訴訟と知ったとたんに興味を失い、「運動としての裁判ではなく勝てる裁判でないと報道しにくい」と言いました。そして原告募集のチラシにある「賛同者」の名前(最首悟さん、斎藤貴男さん)を見て、「この方たちも記者会見に出るのですか?」と聞きました。

無名の市民が主権実現の手段として裁判を行うことにこそ、意味があるのだろうが!!
いつまで旧態依然なのだ!!
(と怒っても意味ないね。視聴率、視聴率・・・新聞だけど・・・つまりは庶民が有名人にまどわされるのだ@)

と言いつつ、「2人に一応頼んでみようか、辛淑玉さんにも頼んでみようか?」と思ったのでした。
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by lumokurago | 2007-08-28 20:42 | 教基法違憲訴訟

「緑の革命」から“ノヤクリシ”へ バングラから学ぶ“農”

宮崎県土呂久で農業を営んでいる佐藤マリ子さんと知り合ったのはいつのことだったか? 先日、初めて会ったマリ子さんに聞いたら、今、16歳の瑞穂ちゃんが4歳の頃だったとのこと。マリ子さんが作っている通信に「農村には本が少ないので寄付してほしい」と書いたのに対して、私が自分の読んだ児童書を送ったことが始まりでした。当時、マリ子さんと文通し、その後一度遊びに行こうと計画したことがあったのですが、何かが起きて行かれませんでした。マリ子さんからはいつも「土呂久季節便」を送ってもらい、おいしい山の幸や無農薬のお茶、ラッキョウ、父の好きだった柚子味噌などを楽しんでいました。

そのマリ子さんがバングラデシュを訪れた時の報告会に行ってきました。JANJANに書きましたのでどうぞご覧下さい。

バングラデシュから学ぶ農民の暮らしと文化ー土呂久とバングラをつなぐもの

 8月24日、アジア砒素ネットワーク主催による、「バングラデシュから学ぶ農民の暮らしと文化」という報告会が行われました。アジア砒素ネットワーク(略称AAN)とは、宮崎県高千穂町の旧土呂久鉱山、木城町の旧松尾鉱山(土呂久・松尾)周辺で慢性砒素中毒に苦しんでいる人々を支援することから始まった「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」を母体とし、20年間培った砒素に対する経験や人脈を、アジア各地の砒素汚染解決にいかそうと1994年、誕生したものです。

(アジアの砒素汚染については下記のHPを参照してください)
芸術工学研究院・谷正和助教授 「南アジアの砒素汚染農村における人類学的調査」

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 報告者は土呂久で農業を営む佐藤マリ子さんです。

●佐藤さん(以下私)のお話

 土呂久はその昔銀山のあったところで、宮崎県高千穂町岩戸にあり、大分、熊本、宮崎の県境です。天照大神の天岩戸です。1920年から亜砒酸の製造が始まり、砒素汚染のため、草木も生えなくなり、大気も水も汚染され、農作物もできなくなり、牛や馬もバタバタ死んで、人体にも影響が出て、ひどい時は平均寿命が39歳でした。

 私は農家出身ではありません。私の父が土呂久の支援をしていました。父はがんで手術して、苦しい思いをしたことが土呂久と重なって、突き動かされたように運動していました。父は外ではリベラルなのですが、家庭では独裁で、家族も協力しなければならず、子どもの時に、無理やりやらされていました。大人になってからは支援しようという気は特になかったのですが、大学生の時に住友金属の前で座り込み、その時夫と知り合って結婚しました。夫の家族は砒素中毒で亡くなっています。自分たちが被害を受けたので、人に与えてはいけないという考えで、無農薬の農業をやり、裁判、子育て、農業の3本柱でやってきました。

 バングラデシュ(以下バングラ)では1970年代から「緑の革命」が進められた結果、農薬で痛めつけられ、作物ができなくなっています。砒素中毒の患者として、同じ農民同士として交流しようと、2年前にバングラを訪れました。「緑の革命」という近代農法によって農業が大変なことになっているため、ノヤクリシというNGOが自然農法を復活させようという活動をしています。ノヤクリシはベンガル語で「新しい農業」という意味です。「緑の革命」によって導入された収穫量の多い高収量品種は農薬や化学肥料をたくさん必要とするため、農民は豊かになれるどころか、種や農薬、肥料を買うために借金し、土壌が汚染して作物が取れなくなり、更に借金を重ねるという悪循環を招いています。

 ノヤクリシは、1.農薬、化学肥料を使わない。段階的に減らしていく。2.効率を狙った単作ではなく、1つの畑にいろんな作物を植える。輪作、多毛作をして、自給自足する。3.魚をよく食べる。在来の魚を池に養殖する。(栄養状態がよい方が砒素中毒になりにくい)4.在来の種を使う。5.乾季には米は作らない(乾季に米を作るためには地下水をくみ上げなければならず、砒素汚染を進めることになる)。という方針でやっています。

 ここからはスライドを使いながら説明していきます。

1.麦畑です。小麦の足元にサトイモが植えられています。収穫時期が違うので可能なのですが、もう一つ手作業で刈り取りを行っているからできることでもあります。私のところは機械で刈り取っているので、これはできません。畑のまわりにベニバナを植えているところもあります。ベニバナのトゲで牛やヤギが畑に入るのを防いでいます。ベニバナも油が絞れるので、作物になりますし、虫が集まるので中の野菜を守っています。また、大根、ナス、唐辛子、ウリ、菜っ葉をひとつの畑で作っています。植える時期をずらし、一つ終わればもう一つと収穫できます。災害の時、同じ作物なら全部ダメになるので、危険回避のためです。

2.雑草、つまり野草でも食べられるものがあります。工夫して食べなさいと指導しています。

3.マンゴーの苗畑です。427種類が植えられており、5種類が在来種です。虫がついたら農薬でなく水スプレーで追い出します。農薬というのは消費者にも害がありますが、散布する時にもろにかぶることになるので、まず農民にとって害となります。

4.ノヤクリシ発祥の地、タンガイルです。大洪水の被害の時、NGOがどんな支援がほしいかと住民に聞いたら、男性は「お金や物」と言ったのに、女性は「種がほしい」と言ったそうです。女性には先を見通した先見の明があるのです。

5.種センターです。在来の種を最も重視し2000種類を越える種を保管しています。ここで種を借りて倍にして返します。どこの農家でも種を保存していて、お互いに貸し借りし、助け合っているそうです。種の保存は女性の仕事だったが、種を買うようになって、女性の地位が低下してしまったそうです。土呂久でも農民同士の種の貸し借りを行っています。倍返ししていますが、できが悪い時は次にしてもらったり、別の種と交換しています。お年よりは「種は人に貸さねばならん。貸していれば貸してもらえる」と言っています。種の貸し借りで村の在来種を守っています。バングラの種センターと同じでうれしかったです。

6.米の種の保存所です。2000種類の種が素焼きの壺に入っています。人気のある品種とない品種があるので、人気のある品種ばかりが植えられるのではないかと思いがちですが、土地によって適した品種があるし、用途によっていろんな品種が必要なので、偏ることはないそうです。

7.ノヤクリシの研修に参加した人たちです。みんな夫婦とか親子で来ています。バングラでは旅行することはほとんどないそうですが、5日間もここに参加しているということはみんな、とても興味があるということでしょう。ここで習ったことは、農薬は益虫まで殺すことや、有機肥料の作り方などで、「昔やってた農業が大切」だと年配の方がおっしゃっていました。一方、「在来種は残っていない。種は買うものだ」という人もいました。農薬の使用状況ですが、裸でマスクも何もせずに散布しているので、散布中に失神する人もいるようです。1日に3回も4回も農薬を撒いています。農薬のかかった野菜は味が違うとか、食べたらすぐに胃が痛くなったとかがあるそうで、日本よりずっと強い薬を使っていることがわかります。農薬はかけている人間に被害が出るもので、土呂久でも夫の同級生がハウスの中でキンカンを作っているのですが、キンカンをきれいに作るためには農薬をたくさん使わなければならず、彼はハウスの中で血を吐いて死にました。そんな危険を冒して農薬を使っても、実際に悪さをする虫は3%から5%で、益虫まで殺してしまいます。

 土呂久には夏、たくさんのウスバキトンボが飛びます。土地の言葉でショロサマトンボと言います。「ショロサマ」は精霊のことです。このトンボはお盆をすぎるとぱったりと見なくなるので、ご先祖様と言われています。迷信といえば迷信ですが、トンボのためには田んぼの水を絶やしちゃいけないといっていて、農薬を使えばトンボもいなくなるのですから、生態系を守ってくれていると言えます。

8.牛糞を拾っているところです。牛糞は乾燥させて燃料にしますが、堆肥の材料がなくなってしまいます。ここでぐったりした子牛を見ました。母牛が4日前に死んだそうです。エサの中にたくさんの窒素肥料を混ぜて食べさせていたそうです。子牛がぐったりしているのは、窒素の量が多すぎたのを乳を通して影響を受けたせいではないかと思います。何日かしたら死ぬのではないかと思いました。魚の養殖にも窒素肥料を撒いている人がいました。経済効率だけ考えていると大きなしっぺ返しが来ます。

9.土呂久には十連寺柿という樹齢200年と言われている柿の木があります。とてもおいしい柿ですが、植えてから50年経たないと甘くなりません。だから植えた人は自分のためでなく、子どものためでもなく、子孫のために植えたのですね。田んぼの石垣も手作りで、次の世代に残すことを考えて作られたものです。亜砒酸は人がどうなろうと、自然がどうなろうと、その時儲ければいいという考えで作られました。バングラにも共通点があります。それに対して、その時よければいいではなく、子孫に伝えていくのが農業です。十連寺柿はそういう大事なことを教えてくれています。
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 十連寺柿
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by lumokurago | 2007-08-27 19:38 | JANJAN記事

東京川俣会

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父の愛する故郷(福島県川俣町)出身者の会がありました。父は初代会長だったので、写真と絵を持っていき、みなさんで追悼してくださいました。

「精やん(父の呼び名)にはずっと生きていてほしかった」と言われて、そんなふうに言ってくださる方がいて父は幸せだと思いました。

この写真は古くから伝わる盆踊りのお囃子を保存する会の人たちです。みんなで踊りましたが、とても古い踊りだということでした。父は青年だった時、「川俣文化協会」という活動をしていましたが、みんなが集まるといつも柱を太鼓代わりに叩いて、この踊りを踊ったそうです。私は父が踊るところを一度も見たことがありません。父は歌舞伎の声色も好きで、いつもご披露していたそうです。こちらは何回か見たことがあります。
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by lumokurago | 2007-08-26 20:49 | 父・母・介護

5歳の誕生日

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今日はシーザーの5歳の誕生日でした。
5年前の写真
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父はシーザーのことを「虎の子ども」と言っていました。
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by lumokurago | 2007-08-26 20:41 | ねこと鳥 (cats&birds)

テレビをほとんど見ない私でも気づくこと

テレビ局はなぜ朝青龍をあんなにテレビに出すのか? 答えは簡単、視聴率が上がるから・・・ですよね? 日本人てほんとに弱い者いじめが好き。思いやりなんて全くないんだね。
あんなに朝青龍に頼っていたくせに、いらなくなったらポイなのかい?
そりゃ彼にもよくない点はあったかもしれないけれど、いくらなんでもやりすぎだよ!

以下の記事を偶然見つけました。
朝青龍に対して集団リンチ
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by lumokurago | 2007-08-25 01:36 | 社会(society)

夕焼け

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母と早い食事中(6:30頃)、母が「窓があんなに赤くなってる」と言いました。「夕焼けだあ!」と2階にあがり窓から、写真を撮りました。電線を避けることができませんでした。それから外に出ましたが、もう終わりつつありました。
父の特養に行っていた時はいつも見ていた夕焼けですが、この時間、外に出ないので、よほど気をつけていないと見ることはできなくなってしまいました。
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by lumokurago | 2007-08-23 22:16 | 自然 (nature)

ビキニの被災者たちは日本の原子力発電の人柱だった

JANJAN記事「第五福竜丸」の航海は続く 核のない世界を目指して」(ひらのゆきこ)のコメント欄にコメントしたものを転載します。(ブログになるまえのJANJANの記事は消されてしまいました)。

私が去年の11月に書いた記事(「ビキニ事件の真実」)は途中になってしまいましたが、その続きのようなものです。

********
第五福竜丸乗組員だった大石又七さんの本「ビキニ事件の真実」(みすず書房)の中に、驚くべき事実が書かれています。

**「ビキニ事件の真実」82ページより引用
俺たちの苦しむ外側で、日米政府はビキニ事件をうまく利用して、水面下でもう一つの外交取引をしていた。ビキニ事件が起こったとき、外務省は「損害賠償を請求できる」と外交文書の中では言っている。なのに、なぜ日本政府は損害賠償の請求もしないで一気に政治決着させたのか。その答えは、1994年3月、NHKが放送した現代史スクープ・ドキュメント「原発導入のシナリオ」という番組の中にあった。(引用終わり)

詳しくは本を読んでいただくとして、つまり、アメリカの「濃縮ウランを外交カードとして西側同盟国を勢力下におき、核の軍事ブロックを作ろう(84ページ)」という方針と、日本側の「アメリカの言うとおりに太平洋の核実験には反対しない。(ビキニ事件の)被害に対する膨大な賠償金もわずかな見舞金でいい。その代わりに原子力技術と原子炉の要求を早く進めてもらおう(同)」という思惑が一致し、アメリカは7億2千万円というわずかな見舞金を支出するのみで、ビキニ事件が決着した年(1955年)日米原子力協定が仮調印、翌年には原子炉が茨城県東海村に送られてきたのである。

もう一度大石さんの本に戻る。「番組を見てもう一つ驚かされたのは、(ビキニ事件をきっかけに)日本中が「核アレルギー」となって反米感情が激化していくことを防ぐため、裏で誘導工作をしていた人たちがいることだ(85ページ)」。

**85ページより引用
番組「原発導入のシナリオ」によれば、この人たちは、日米政府の中枢とつながっていて、アメリカ側からは身分や所属機関を絶対に明かさなかった(D・Sワトソン)。日本側は、吉田総理大臣など政財界の上層部に通じていた柴田秀利という日本テレビの重役。柴田氏の上司には、内務省・警察官僚出身で、読売新聞社社主の正力松太郎氏がいた。・・・(中略・以下同じ)柴田氏はワトソンに、「日本には毒は毒をもって制するという諺がある。原子力は両刃の剣だ。原爆反対を潰すには原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、希望を与える他はない」と語ったという。・・・

ワトソンはインタビューでこう答えている。「日本では新聞を抑えることが必要だ」・・・

当時の読売の紙面には「明日では遅すぎる」「火に代わる新しき熱源」「原子力発電で解決」「疑問の不安もない」「野獣も飼いならせば家畜」などといった見出しが躍っている。・・・

柴田氏が残した当時の資料には、警察庁と公安調査庁が学術会議の主要メンバーの思想傾向を調べ、共産党寄りとみなされたがくしゃに赤丸印をつけたものもあった。ワトソンは「特に日本の科学者たちは、地位を失うことをおそれて協力を断りきれなかったように見えました」と証言している。・・・

アメリカから東海村に原子炉が送られてきてからは、読売新聞と日本テレビは、プロレスなど盛んだった娯楽番組の時間をさいて、「原子力の平和利用、原子力時代到来」という大キャンペーンを始めている。・・・庶民もまた、見えない放射能や、遠くで行われる地下核実験よりも、利便さを与えてくれる目先の原子力平和利用のほうに引かれていった。そして、盛り上がっていたビキニ事件に対する関心や、核実験反対の声も潮が引くように消えていった。柴田氏は手記の中で、「こうして原爆におびえ、憎み、反対ののろしばかりを上げ続けてきた日本に、初めて『毒は毒を持って制す』、平和利用へ目を開かせる掛け声が、全国にこだましたのだ。舞台裏に身をひそめながら、喜びと感動に打ち震えていた」と書き残している。(引用終わり)

私たちは支配者に文字通り「民草」(戦争中に使われた言葉で、民は草のようになびくという意味だそうです)として繰られているのですね。しかし1994年といえば、今から13年前、NHKはまだこんな番組を放送することができたのだということが驚きです。その後の右傾化はあまりにもひどいですね。
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by lumokurago | 2007-08-23 13:31 | 平和