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写真日記
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奥間川

奥間川を歩いてきました。その後、隣の大法ダム建設現場を見に連れて行ってくれました。ここでは谷全体で森が伐採され、無残な赤土をさらし、命は消え去っていました。政府からの補助金を使うためだけに作られた林道では、1匹のリュウキュウモリガメを発見して森へ返したのもつかのま、もう1匹は車に轢かれてハエがたかっていました。
ゼネコンを儲けさせるだけの林道の側溝にいろいろな動物たちが落ちて、這い上がれず、干からびて死んでいます。

写真は帰京してから・・・今日は名護に泊まっています。
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by lumokurago | 2007-09-30 18:32 | 社会(society)

沖縄県民大会

11万人が集まりました。我慢に我慢を重ねてきた沖縄の叫びです。本土でどの程度報道してくれるでしょうか?

携帯電話からの投稿がうまくできないため、写真がUPできません。この記事は友達の家から投稿しています。

明日はヤンバルの奥間川ダム建設に反対しているNPOの人に奥間川に連れて行ってもらいます。
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by lumokurago | 2007-09-29 22:45 | 社会(society)

沖縄に行ってきます

明日から10月4日まで沖縄本島に行ってきます。
できたら写真をUPします。(携帯電話からのUP)
私は重症のドライアイで目が痛いので携帯電話のメールはパソコン以上に目に悪いけど・・・
なんとかまた練習しました。
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by lumokurago | 2007-09-26 22:30 | 社会(society)

test

できるかな
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by lumokurago | 2007-09-26 19:39

コメント欄開けます

長い間閉鎖してきたコメント欄を開けます。
コメントお待ちしています。ただし不毛と判断したコメントにはお返事しませんので、ご了解の上、投稿してくださるようお願いします。
自己紹介はプロフィールをどうぞ!

こちらは2005年5月の「コメントをお寄せください」です。

送信方法のわからない方はこちらをご覧ください。

どうぞよろしくお願いいたします。
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by lumokurago | 2007-09-25 21:54 | コメントされる方へ

水俣病 隠し、無視され続けた私の半世紀―緒方正実さんに聞く

水俣病 隠し、無視され続けた私の半世紀―緒方正実さんに聞く

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 緒方正実さん(左)と最首悟さん

 9月19日、「えどがわ・水俣まつり」の企画のひとつとして、「わが水俣病―緒方正実さんに聞く」という講演会が行われました。聞き手は最首悟さん(和光大学名誉教授)でした。

◇ ◇ ◇

 最首:僕は71歳で、水俣では女島に入り、研究をしてきました。僕はぜんそく、結核、肺がんです。140cm、40kgの31歳の娘を負ぶわなければならないので、体力はありますが、そろそろ限界かな。字を書くと手が震えるのですが、筆なら震えないです。片腕の手首から肘の感覚がないです。また45cmの肺がんの手術跡がこむら返りをおこし、息がつまるんです。それからこむら返りの変形か、胸が苦しくなることがありますが、医師は原因不明と言っています。71歳のおじいさんです。

 緒方さんは建具屋をやっているので、水俣病はないだろうという先入観を持たれ、子どもの時から症状があるのに無視されてしまった。長いたたかいの末、2007年3月についに認定されました。このことをめぐって、法人としての県とか国、公人と私人ということについて考えてこられた。その辺についてお話してください。

 緒方:月の浦から来ました。申し立ててから10年、被害にあってから50年、今年の3月15日に水俣病患者として県知事から認定されました。このことを考えていただきたいと思います。被害を受けながら、自ら訴え、証明しなければならない水俣病、そのことで被害者がどんなにつらいか、なぜ国が被害を掘り起こさなかったのか? つらいことです。

 11年前、1996年まで私は被害を隠しとおしてきました。水俣病から逃げ続けていました。祖父は急性劇症で狂死しました。妹は重度の胎児性患者です。認定された人が親族に20人います。ほとんど全員ということです。まわりは救済を求める人がほとんどですが、私は水俣病のレッテルを貼られたくない一心で必死に逃げまくっていました。水俣病イコール差別だったからです。

 悪いことをしていないのに差別されました。じいちゃんは「奇病」「伝染病」と言われ、「緒方家に近寄るな」と言われました。その後、伝染病ではなく有機水銀中毒とわかりましたが、差別のつらい思いは心の中にぎっしりつまっていて、こわくて水俣病を口にすることができませんでした。誰が見ても重度の妹は認定申請しましたが、私は一見して水俣病と思う人は少ないので、ごまかそうと思えばごまかせました。長い人生を生きていこうとする時に、つらい水俣病を背負う必要はない、水俣病を背負えばさらに苦しい人生になると心のどこかで思いました。そうしてごまかしてきた38年でした。

 転機は11年前、政治解決策が打ち出された時、訪れました。私も権利のある1人でしたが、当初は手を挙げたくなく、完全に水俣病から逃げきろうと思っていましたが、まわりの人が放っておかなかったのです。やせ我慢は必要ない、なりたくてなったのではないからと必死で救済を受けるようにすすめられました。

 自分の中でものすごく格闘して、そして手を挙げました。「水俣病を引き受けなければならない」という思いと「取り消そう」という思いの繰り返しでものすごくつらかったです。その政治決着は「あなたは水俣病ではない。しかし一定の症状のある人を救います」というものでした。私のために作られたようなもので、水俣病のレッテルを貼られず、一定の救済を受けられるので、都合がよく、少し落ち着きが生まれるかなと思いました。

 普通はそこで終わるわけでしたが、まさかの結果となりました。居住歴を満たしていない、症状を確認できない、水俣病と関係ないというのです。そんなことはないのです。2歳の時の水銀値が226ppmもあったのですから。WHOの規定では50ppmを超せば何らか症状が出るだろうとなっています。水俣病と関係ないということはないのに、県は平気で関係ないと言いました。それまで逃げ続けていた38年の人生を考えれば、熊本県がそう行った時、喜ぶべきでしたが、喜べませんでした。

 水俣病にどっぷりつかった38年でした。両親が、妹が、じいちゃんが……「関係ない」と言われて、この38年間がなかったのだと突きつけられたような気がして、人間として認めてくれないのかと思いました。大げさのように聞こえても仕方がないが、楽しいこと、苦しいこと、いろいろあった38年間なのに、私はこの世にいないとでも言うのかと思いました。このことで水俣病に対する考えが一変しました。水俣病かと聞かれても「違います」と言っていたが、このことをきっかけに訴えるようになりました。いくら逃げようとしても逃げることはできないのだと自分に言い聞かせました。

 水俣病と正面から向かい合って、県に対して「あなたの判断はこう間違っている」とていねいに言ってあげれば、わかってもらえると思っていました。返事は「わかっています」でした。「だったらなんでこういう結果になるんですか?」と聞いたら、「政治解決策だから、水俣病かどうかは問題でない。たとえ間違いでも文句は言えませんよ。政治が変わればいつか認定されますよ」と言われました。それまで待てますか? 水俣病かどうかは問題ではなく、その態度が許せなかった。人間を人間と思わない行政のしくみが許せなかったのです。

 「水俣病は終わった」と言われた95年に1人で県とたたかう決意をしました。どうなるか、先のことは考えませんでした。ただ許せなかった。怒りの中で冷静に考え、行政相手に感情で突っ走っても破滅するだけと思い、あえて行政の作った法の中で主張していこうと、「公害健康被害の補償等に関する法律」(以下「公健法」)で認定申請しました。まわりからは「公健法」で救済されなかった人が政治決着というのはありうるが、反対はありえないよとよく言われました。でも私は一回も「公健法」でやったことはなく、救済を受けようという気はなく、世の中が認める形を作りたかったのです。

 そして、自分で実際にたたかっていないのに裁判をするのではなく、「公健法」で「ずさんな結果を出しているんですよ。どうしてこういうずさんなことをするのか。もっとしっかりしなさいよ」という気持でした。私は行政は世の中がよくなるように仕事をしているものと信頼感を持ち、尊敬もしていました。自分の親的存在と思っていたのに、その親から突き放された気がしました。行政に対して「立ち直ってくれ」という意味合いもあったのです。

 「公健法」の中で1度棄却され、2度、3度とできるので4回行いました。政治決着で私を切り捨てた県がずさんなことを繰り返し行っていたことが、私の申請によって判明しました。95年に切られたことにつながる、また棄却につながるできごとが10年の間に何回も判明しました。その一つは、認定審査会の中で私の小中学校の成績証明書を勝手に使用したことです。これは法的にも罪になります。もう1つは疫学調査の被害状況の親族の職業欄のことです。私が答えたことをそのまま書くなら何の問題もないのですが、おじさん、おばさんの「無職」を「ブラブラ」と記載したのです。3つ目は眼科の視野狭窄についてで「あなたの環境と人格に問題がある」と書かれました。つまり「ウソを言っているんだろう」ということです。

 そういうことを平気で県は私に対して行いました。天皇や総理大臣、県知事たちが申請したら、「ブラブラ」と記載するでしょうか? なぜ私にそういうことを行ったのか? 無意識の中で見下しているのです。私はそのことに死に物狂いでたたかいました。「こういうことだから、あなたたちが被害者をバカにしているから解決しないんだ、気づいてますか、気づいていないんでしょ」と訴えた。気づくか気づかないかです。「困っている人を救おうという気持がなければ救えないんですよ、言ってることとしてることが違う」と。 

 県知事は素直に「緒方の言うとおりです。差別していました、見下していましたと言わざるを得ません」と3回公式に謝罪しました。謝罪したことで解決に向かっていると確信しました。もちろん人間はすべての人がどこかに差別する気持を持っています。でも水俣病は国が起こした公害病で、それとは違うのです。戦後経済復興の中で50年もほったらかしにしてきたことは許されることではありません。

 最首:思いが深いので、とてもこの位の時間では語りきることはできません。問題は行政です。認定を全部医学に頼っている。77年に純医学的判断で両側の感覚障害プラス視野狭窄などもう1つの障害がなければ水俣病ではないとされた。それで認定がほとんど出なくなりました。棄却された人が納得せず、未認定の人が1万人を超しました。

 九州出身の村山首相が、「今後水俣病と言わない」ことを条件にして260万円のお見舞金を1万人に出しました。正実さんは「あなたはこれにも入りません」と言われた。医者が「それまで申請していないのは症状がなかったからだ」と言ったのです。水俣病を認定できるのは熊本、鹿児島、新潟、国の4つの認定審査会だけで、普通の医師ではできないのです。96年に正実さんが棄却されたのは医者の判断です。今の審査会の認定する水俣病はごく一部の水俣病となってきています。有機水銀が脳にどうはたらいているかはほとんどわかっていません。水俣病は神経がやられるので両側性、片側だけなら脳梗塞とされています。

 緒方:幼少の時、よだれがひどく、普通はよだれで病院に連れて行こうとは考えられないですが、交通不便でも連れて行かれたほどです。垂れ流し状態だったのです。でもだんだんよくなっていきました。「治らない」というのは正確かどうか?

 最首:回復してくることもあるのです。体毛の異常はどうですか?

 緒方:なんでこんなこと言わなあかんのかな? わかってもらうために言います。腋毛、眉毛が生えてきません。眉毛は「みっともない」と言われ、365日描いています。国立水俣病研究センターに調べてほしいと申し出ましたが、こんな症状は1件もないとされました。しかし、ネコの実験ではほとんどの体毛が抜け落ちました。見た目で水俣病を判断してしまうから50年も解決できないのです。体毛が有機水銀のせいとは言いませんが、認定された私の中で起きていることです。水俣病を解明していくために必要な研究だと思います。

 最首:建具屋さんということで手先の細かい仕事をしていらっしゃいます。

 緒方:小さい時から物を作ることに興味がありました。中学卒業後、20歳近くまで漁師をしていましたが、交通事故でできなくなりました。障子、ドア、襖を作る木工に弟子入りして10年修行して30歳で独立しました。努力、苦労は並大抵ではありませんでした。毎日仕事していると、針を刺しても痛くない位の時と、調子のいい時があります。砥石で小指を一緒に研いでしまい、血を見てやっと気づくこともあります。有機水銀さえなければ優れた技術を持てたかもな、と思うこともあります。口で書く人がどれだけ努力したかを思えば、毎日努力していれば不可能なことはないんだと思います。

 最首:医学は白か黒か、割り切りです。内部では「正実さんのような水俣病もある」と言っています。症状に波があるんだろうということも言っています。どうしてこんな医学なのかといえば、行政がそうお願いしたからですが、それを認める医学って何でしょうか? 4つの認定審査会は2004年10月の関西訴訟の最高裁判決後、4つ全部休止しました。今年の3月10日に2年7か月ぶりに審査会が開かれ、15日に認定の報せを受けたのです。

 正実さんの「県知事も人間だった」という言葉に「それはおかしいんじゃないか」という声もあります。「非人間の公人だけではなく、人間の知事もいる」というと「甘い!」という人もいます。人間が顔を出す時もあり得るのですが、そうそう出さないのでみんな苦しむのです。

 緒方:人間は正直に素直に生きなければならない、ひとりの人間の力はそれしかない、そうやって訴えてきました。県行政も素直に正直に返してくれるようになりました。普通の近所のおばさんのように返してくれます。県知事は「10年間苦しみ続けてきた事実を認めます。全責任は私にある。許してください」と電話で謝りました。やっと私の訴えが届いた、「聞いてくれてありがとう」という気持、感謝の気持に変わり、行政を許すきっかけになりました。

 これが正直な気持です。ウソをつくと今後生きて行けないと思うので正直に言おうと思いました。言ったら「県に感謝するなんて!」と非難されました。ゴマをすろうという気持ちはなかった。水俣病の本質を考えると言える言葉ではありませんが、けど、中には「ありがとう」もあります。10年前、何があっても許すものか」でしたが、ことと次第によって人間は変わっていくのです。

 最首:語りにくいことも話していただいた貴重な時間でした。ありがとうございました。
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by lumokurago | 2007-09-25 11:20 | JANJAN記事

鈴木邦男さん「困難に戯れよ」

次は本間康二さんのHPの掲示板よりの転載です。(ここにJANJANで途中になった本間さんとの往復書簡の続きが少しあります)。
話題の元はこちら、鈴木邦男さんの「困難に戯れよ」
*****

ちょっと古くなった「困難に戯れる」についてです。遅くなってごめんなさい。

「生長の家」というと中味を全然知らないくせに、偏見のかたまりで「右翼!」と蔑んでいました。ごめんなさい。知らないものに偏見を持つのはいけないですね。つくづく思いました。まともなんでびっくりしました!

私もこの歳まで生きていると、いろいろな「困難」がそれなりにですがありました。「困難」といっても相対的にはたいしたものではなく、私にとってのみ「絶対的」なものですが・・・。私が今こうしてあるのはそれらの「困難」を曲がりなりにも乗り越えてきたからなのですが、「戯れる」っていい言葉だなあと思います。
「少し上から自分を見る。『おっ、たじろいでいるな』『おいおい、ビビっているじゃないか』と、自分を客観的に見る。」(カッコ内・鈴木邦男さんの言葉を引用)

これ、よくわかります。それと私は「困難」に陥る度に「悲しみこそを生きる糧にしよう。楽しいから生きるではなく、悲しいからこそ生きる」「物事を逆説的に見る」視点はないものかと常に考えていました。(このことについては私のブログにやがて出てくる予定です)。
最近の例で言えば・・・大好きな叔父が肺結核と心不全と狭心症であるにもかかわらず、入院していた病院から勝手に退院し、私が行くと言えば「来なくていい」の一点張り、「入院してください」と言ったら電話を切ってしまいました。ものすごく心配です。でも、こうも考えられます。「ひとりでやれるからこそ退院したんだ。そこまで覚悟してるんだ。そういう叔父はすてきだ」って。ものは考えようですね。

そして私は鈴木邦男さんのファンになってしまいました。
*****

追記:鈴木さんはこないだの参院選で上原公子さんを応援したんですよ。右左なくわかる人にはわかるのだ!
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by lumokurago | 2007-09-24 13:35 | 未分類

都民ら245名が「改定教育基本法は憲法違反」として提訴(本人訴訟)

JANJAN花形記者のひらのゆきこさんが今回も記事を書いてくださいました。ひらのさん、どうもありがとうございました。

都民ら245名が「改定教育基本法は憲法違反」として提訴(本人訴訟

 9月21日、東京都の住民ら245名が、昨年12月に成立した改定教育基本法は憲法違反であるとして、東京地裁に提訴しました。次いで、午後3時から司法記者クラブで原告団による記者会見が行われました。

 最初に、原告団より、訴状の説明と、「主権実現の裁判としての意義」についての主張があったあと、記者との質疑応答となりました。

訴状の説明

 「本日、私たちが東京地裁に提訴した訴状は、06年に改正された教育基本法の内容の違憲性、違法性、を問うというものです。1947年に制定された教育基本法は准憲法であり、日本国憲法と一体をなす性格をもっています。近代立憲主義にあって、国家権力をしばるのが日本国憲法。教育基本法にも同じ性格があります。

 明治憲法と教育勅語の反省から生まれた教育基本法は、あるべき筋と、あってはならない筋を示しています。あるべき筋とは、教育を受ける権利や男女共学など。あってはならない筋というのは、政治活動の禁止、宗教活動の禁止などです。改定教育基本法は日本国憲法と整合性がとれないが、自民との新憲法草案と整合性がある、との問題意識を持っています。

 憲法第13条(個人の尊重)、第26条(教育を受ける権利)、第19条(思想・良心の自由)・20条(信教の自由)を侵しています。国家権力をしばる准憲法だった教育基本法第10条の「不当な支配に服することなく」は、教育の自由を謳っています。しかし、改定教育基本法は立法趣旨と逆になっている。教育が時の国家権力の政治的名意思に左右されずに、自主的・自律的に行われることを保障する教育基本法の本質が変えられてしまったのです。

 憲法との不整合だけでなく、子どもの権利条約との不整合があります。第28条(教育の権利)や第29条(教育の目的)に違反し、画一的な愛国心の押し付けや、郷土を愛する態度があるか否かを問題にしている。昨今の日の丸・君が代の問題とも関係しています。

 次に、成立過程において違法性があります。やらせタウンミーティングでは、やらせ質問15回、内容指定発言依頼29回、内容を指定していない発言依頼105回、25回のタウンミーティングで、のべ65人に、謝礼5,000円を支払っていたことがタウンミーティング調査委員会の最終報告書で明らかになりました。関係者が処分されており、安倍首相も給料の一部を返還しています。それはとりもなおさず、やらせをしていた人たちが違法だということを認めていることを示しています。

 違法であるということを自ら認めていながら、それをごり押し、成立した法律の正当性を主張しても認めることはできません。憲法81条が保障している違憲立法審査権を用いて、最高裁は憲法違反の法律ができたかを問わなければならない。そのことを市民は求めることができると思っています。そのことは、(警察予備隊の例を含め)訴状で詳細に論証しています。

 我々が問題にしているのは、これは違法であるということです。被告らは憲法を守る意志がなく、立憲主義を理解していない。それを黙認してはいけない、と訴えています。教育基本法の改定は、単なる法改正ではなく、憲法の破壊行為である、という結論です。憲法破壊の手段として違法なやらせタウンミーティングを行い、世論を操作して誤誘導したということは、重大な責任が被告たちにあることは明らかであり、憲法第99条に違反しています」

弁護士のいない本人訴訟の裁判

 次に、原告団「ポケットに教育基本法の会」代表から発言がありました。「この裁判は弁護士のいない本人訴訟です。相談する弁護士や、引き受けてもよいという弁護士はたくさんいます。しかし、私たちは市民が自分たちの手で裁判をするということに意義を感じてやっています。裁判を主権実現の手段としてとらえています」と述べ、本訴訟が弁護士のいない本人訴訟であることを明らかにしました。

 さらに、原告の女性から「主権実現の裁判としての意義」について、次のような主張がありました。

主権実現の裁判としての意義

 「私たちは、昨年12月に改定された教育基本法は、違憲で無効であるとして、改定教育基本法の成立に賛成した国会議員に対し、損害賠償を提起しました。改定教育基本法は憲法違反であり、無効であることを確認する違憲確認裁判であり、国会議員に対する損害賠償です。市民が起こす、先例のない裁判です。

 このような訴訟は、主権の実現として必ず行なわなければならないものです。選挙権の行使と裁判による牽制は表裏一体のものです。市民は選挙権を使って自らの意志を体現する代表者を選ぶことができると同時に、その代表者がまちがいを犯したときは、裁判によって暴走する権力に異議を唱えることができます。それが三権分立です。

 選挙権を行使して国会議員を選出しただけでは、主権を本当に行使したとはいえません。選出された国会議員等が憲法を遵守せず(憲法第99条)、違憲の法律を作ったり、その他法律の規定を無視し、国政を信託された者が信託に反する行為をしたとき、我々主権者は国会議員を牽制し、本来の職務を全うしてもらう必要があります。そのために、裁判は不可欠です。

 選挙権の行使と、行使した結果選出された国会議員が期待を裏切り信託関係を壊した場合牽制の裁判をすることは、本来一体となったものです。そのどちらが欠けても充分な主権の行使といえません。本来、民主主義はこうした仕組みによって主権在民の政府が形づくられ、政治への信頼、関心が醸成されていくものと考えます。

 改定教育基本法が決まったときの議会は、郵政民営化が争点と言われた衆院選挙で選ばれた国家議員が多数を占めていました。教育基本法や憲法改正を問う選挙ではなかったのに、数の論理で強行採決をされました。改定教育基本法が議決された日、国会の前には何千人もの市民が集まって反対の声を上げていました。不当な議決に異議を唱え、民意を反映しているとはいえない法案に対し、撤回を求めることができなければ、為政者は選挙を操り、自分たちの好きなように法律を変えることが可能となります。

 一方、日本の裁判は政府や最高裁等、上の方ばかり見ているヒラメ裁判官によって取り仕切られています。裁判官に対する報酬や任地などを政府や最高裁が握っているからです。このようなヒラメ裁判官によって、国や行政機関に関する重要な裁判は、門前払いをするような裁判が行われています。しかし、勝訴の可能性が低いからといって最初から諦めていては為政者の思うツボです。

 また、よく敗訴が先例・判例になるといいますが、日本の裁判は判例法主義ではありません。敗訴が先例になるというのも、裁判を利用させないようにするための為政者の人々に対するマインドコントロールの一方法であることに気づかなければなりません。現在、本訴訟には原告245名、趣旨賛同者22名が集っています。国を愛する態度や家庭教育を規定する改定教育基本法は、自主的・自立的な教育を保障する憲法に違反しています。

 私たちは、憲法第12条にあるように、「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」者として、この訴訟にのぞみます。私たち「ポケットに教育基本法の会」は、憲法違反の法律案を違法に成立させても、簡単に市民はあきらめない。主権在民という憲法の大原則の侵害を決して許さないという、主権者としての意思を表明し、本来の教育基本法を取り戻すための長い道のりの、その第一歩を踏み出します」

質疑応答

質問 訴状は受理されたのか?
答え されました。

質問 担当はどこがやるのか?
答え 民事24部平成19年(ワ)24676号

質問 原告245名について。
答え 日本国籍を有する東京都民103名、東京都以外に住む日本国籍を有する者128名、日本以外に住む日本国籍を有する者2名、韓国籍を有する者11名、ニュージーランド国籍を有する者1名。

質問 原告団は全員「ポケットに教育基本法の会」の会員か?
答え そうです

質問 損害賠償額はいくらか?
答え 2,450円です。1人10円なので、総額2,450円。

質問 どのようなことに対する損害賠償か?
答え 憲法違反の改定教育基本法のやらせタウンミーティングで反対意見を封じ込め、強行採決をしたという民主主義の破壊によって原告たちは精神の苦痛を受けました。その苦痛に対する損害賠償です。被告の加害行為は悪質で、表現によっては万死に値するものであり、通常の損害賠償責任ではなく、懲罰的損害が相当と考えています。本件は国家犯罪であり、人民として許しがたい不法行為です。世界の裁判の概念に従って、懲罰的損害を認めるべきだとしています。

質問 立証はどのようにやっていくのか? 被告らはどのような行為をしたのか?
答え 被告らには責任があります。今回は東京都民が中心となって起こしている裁判なので、東京都選出の与党の特別委員会委員の国会議員と、大臣を訴えています。先ほども申し上げたように、裁判と選挙は表裏一体という考え方です。どうやって立証するのかという質問ですが、やらせタウンミーティングについては、関係者が自ら罪を認めています。

現行憲法を貶める元凶は最高裁か

 最後に、神奈川在住の原告の男性が発言を求めました。男性のお話によると、神奈川でも同趣旨の裁判を近日中に起こすそうです。同様の訴状を出すそうですが、さらに、2つ付け足すことがある、と語りました。1つは、国会審議が憲法違反であるということ。強行採決を行い、政府が説明責任を果たさず、ごまかしばかりやっている。

 2つ目は、裁判所は憲法裁判の役割も担っているはずなのに、52年に最高裁が憲法裁判の使命をもたないと言ったことはおかしい、と述べ、それが長い間続いてきたことは問題である、と批判しました。その上で、三権分立の主要な立場にいる者が、行政が行う違憲的なものを審議するところがないというのはおかしい、と疑問を呈し、最高裁がむしろ現行憲法を貶める元凶になっているのではないか、との認識を示しました。
(ひらのゆきこ)
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by lumokurago | 2007-09-24 12:11 | 教基法違憲訴訟

「もっこ橋」とは?

私は就職してすぐ組合(学童保育分会)の常任委員になり(若いとやらされるのでした)、やがて書記長になり、20代前半で年配の職員のけんかの仲裁などしていました(!)。のどかでしたね。当時はそんなことも組合の仕事だったのです。

書記長の仕事がニュースを作ることでした。書くことの好きな私はニュースに「声の欄」を作り、勝手なことを書いていたのですが、それが高じて「もっこ橋」を作ることになったのです。職場の仲間3人でやっていました。職場の仲間の交流という目的で始めたのですが、そのうち、職場だけでなく、もっと広い友人たちに配るようになりました。そして仲間が一人やめ、二人やめて、結局は私一人になりました。これはやはり「書く」ということはよほど好きでないと継続できないためだと思われます。意見が違ってやめたのではなく、結局書き続けたのは私ひとりだったということになります。(投稿も募集していました)。

「もっこ橋」創刊号です。この頃はガリ版ではなくボールペン原紙になっていたと思います。
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本物はこれです。白馬岳から蓮華温泉に下りる途中にありました。コンクリートの橋に変わってしまったのはいつ頃だったでしょうか?
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by lumokurago | 2007-09-23 17:27 | 昔のミニコミ誌より

自己紹介

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名まえ:渡辺容子
誕生日:1954年3月29日
生まれたところ:福島県伊達郡川俣町(両親の故郷)
育ったところ・東京都港区芝田村町~3歳で東京都杉並区久我山へ(途中少しを抜かし現在に至る)
職業:フリーライター・元杉並区学童クラブ指導員(卒業以来29年間・うち約3年間は休職)
趣味:書くこと、裁判、歩くこと、泳ぐこと
性格:自由奔放な野生児
既往症:変形性股関節症、乳がん、うつ病、重いドライアイ
離婚歴あり
通信作成歴:「BURST」「もっこ橋」「暗川」「ユーカリ」「いちばんすてきな海」など27年に渡る。
著書:「負けるな子どもたちースーパーガキ大将ここにあり」(1989年径書房)
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 いまでも決して古くなっていない本質的なことが書いてありますが、売り切れてしまいました。
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by lumokurago | 2007-09-23 00:09 | プロフィール