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思いやり予算承認または「ソ連脅威論は全くのウソだった」

25日の思いやり予算承認について、東京新聞では2面にたった13行で金額もありませんでしたが、沖縄タイムスは1面トップで扱い、3面に解説記事、27日には社説で取り上げています。

日本はアメリカ軍に守ってもらっているのだから「思いやり予算は仕方ない」のでしょうか?

3月31日に阿佐ヶ谷ロフトAで行われた「三菱重工の正体と自衛隊の本質」で暴かれた真実「ソ連脅威論は全くのウソだった」を「死ぬのはやつらだ」さんが起こしてくれています。なにかと気の合う私たち、また偶然ここで会ってしまったのです。私も起こそうかなと思いつつ、もしかしたらやつらださんが起こしてくれるかもと思っていました。やつらださん、ありがとう。これの前に半田滋さん(防衛省担当の東京新聞記者・この時の出演者の一人)の講演もあったので、起こそうかと思いつつ・・・大変なので、そのままになっています。すごいネタがいっぱいあるんだけど。

記事は、 「冷戦時代のソ連脅威論はまったくのウソであった」【防衛省OB太田述正・元仙台防衛施設局長】

北朝鮮についても、すぐに具体的に示すことができませんが、軍事評論家などが「脅威は全くない。北朝鮮が日本を攻めて何の得があるのか? 攻めてくる可能性はない。」と言っています。脅威もないのにアメリカ軍は必要なのでしょうか?

どっちを信じるかはその人の感性と理性に関わってきますが、森達也さんの言うように、危機を煽り、不安に陥れる報道の方が視聴率が高く、つまり人々は自ら「不安」を求めているのです。不思議ですね。

*****以下沖縄タイムス社説

負担根拠の説明が必要

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by lumokurago | 2008-04-30 21:50 | 沖縄

約10年前に子どもと描いた絵

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いやなことばかりありますので、楽しい絵を見て元気を出しましょう。10年前の絵です。この頃はまだ私が絵を描いていると、一緒に描く子どもがいました。つまり私にも今よりは少しだけ余裕があり、子どももそうだったのです。子どもに余裕があるかどうかは絵や作文が書けるかどうかに如実に現れます。

昔の子どもは上手下手にこだわらず、自分らしい絵を描いていました。今度探してスキャンしてUPしますね。でも、いつの頃からか、子どもの絵はキャラクターの絵ばかりになりました。今は塗り絵でさえ、最後まできれいに塗る子は少ないです。

あーあ、また暗い話になっちゃったか・・・
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by lumokurago | 2008-04-29 23:10 | 子ども・教育

森達也氏語る(光市母子殺害死刑判決)

以下は沖縄タイムス記事です。森達也氏が光市母子殺害死刑判決について語っています。

****

死刑ありきに民意変化

僕は自宅でニュースを見ていた。判決は予想通り死刑。その後はワイドショー。「もっと早く死刑判決を出していれば、本村さんもこれほどにつらい思いはしなかっただろうに」。女性コメンテーターが言う。「本村さんの胸のうちを思うと言葉がないですね」。別のゲストのコメントに、司会者は深くうなずいている。

見ながらふと気がついた。ここには自分という一人称単数の主語がない。スタジオに並ぶ全員の主語に、いつのまにか「本村さん」が憑依している。死刑判決を受けた元少年の存在すらも消えている。

メールのやりとりではあるけれど、本村洋さんとは多少の付き合いがある。聡明で高潔な人だ。死刑制度を推進するかのような立場に自分が置かれていることに、内心では強く葛藤もしている。 

でもほとんどのメディアにおいては、そんな煩悶は、当然のように捨象されている。

昨年の死刑判決総数は46人(共同通信社調べ)。戦後最多数を記録した。

司法は民意に大きな影響を受ける。特に近年はその傾向が強い。転回点になったのは地下鉄サリン事件だ。他者への不安と恐怖を大きく刺激された日本社会は、危機管理意識を激しく高揚させた。帰結として善悪二分化が促進され、厳罰化が加速した。

高揚した危機管理意識は共同体における同調圧力を強化する。特に若い世代の間に、近年「KY(空気が読めない)」なる言葉が流行する背景には、このセキュリティーへの希求が働いている。

街行く人に治安状況について尋ねれば、たぶん10人中9人は「物騒な世の中になってきたねえ」とか「凶悪な事件が増えてきたなあ」などと答えるだろう。民意に背中を押されながら、刑事司法が大きく変わりつつある。

ならば考えねば。本当に治安は悪化しているのだろうか。

実のところ昨年の殺人事件の認知件数は、戦後最低を記録している。最も多かった1954年の三分の一だ。つまり治安は圧倒的に良くなっている。

でも警察はこれを大きくはアナウンスしない。危機をあおる方が視聴率や部数が伸びるメディアも同様だ。

こうして治安悪化の幻想は肥大して、この社会の内枠を少しずつ変えてゆく。

今回の裁判で弁護団が主張する母胎回帰ストーリーに対しては、確かに若干の違和感を僕は抱いている。でも検察が主張する計画的な犯行説に対しては、その違和感はもっと強い。

もしも計画的な犯行なら、自分の家族が暮らす家の近所を標的にするだろうか。就職したばかりの水道設備工事会社のネーム入り制服を着たそのままで犯行に及ぶだろうか。何よりもそれまで女性体験がまったくない少年が、いきなりレイプと殺害とを計画して、さらには遂行できるものなのだろうか。

いずれにせよこれで、死刑判決の基準は大きく転換した。判決の文脈を読めば、永山基準における「死刑はやむをえない」場合が、「死刑を回避する事情を見いだせない」場合に変化した。

つまり前提が、まずは「死刑ありき」に転換している。

その善しあしについては、今はもう触れない。悪いことをしたのだから死刑で当然だ。そう主張する人に対しても言葉はない。今はただ、自分の無力さに吐息をつくばかりだ。

*****ここまで引用。

私は光市母子殺人事件についてはほとんど何も知らないも同然であり、この事件に関するテレビも1回も見たことがありません。しかし森達也氏については氏の感性を信用しており、この記事を読んで、今回の死刑判決の意味を言い当てていると思いました。

私は昔、家裁のお世話になったり、少年院のお世話になったりした子どもの自立の援助をする「自立援助ホーム」で泊まりボランティアをやっていたことがあります。そこで子どもたちと話した経験から、少年法の厳罰化には反対です(少年法はすでに改悪されてしまいました)。彼らと日常的に接したこともない裁判官や大人たちによって今回の判決が出され、これからは18歳1か月でも「死刑ありき」が前提となることに、大人たちの無知と傲慢さを感じ、怒りを禁じえません。

話は変わりますが、学習指導要領の「改訂」に伴い、小学校の授業が週1時間増えました。これも子どもたちに対してまたもやひどい打撃を与えることになります。今でさえほとんどない自由時間がますます減ってしまうからです。

少年事件の裁判や学習指導要領策定に際して、どうして日々子どもたちと接して子どもたちのことが最もよくわかり、改善するためにはどうすればよいかを最もよく知っている現場の職員や教員の意見を聞かないのでしょうか? 裁判所や文科省が聞くはずないけど、国民が声を大にして「現場の意見を聞け」と言えば、少しは聞かざるを得ないのではないでしょうか? 

これは医療の現場においても、介護の現場においても、同じことです。現場を何も知らず、政府が経費削減のために勝手に決めることが国民にとっていいことであるはずがありません。

日本は今、すべての分野で音を立てて崩れ始めています。
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by lumokurago | 2008-04-27 21:33 | 社会(society)

私のコメントが削除されました

「世に倦む日々」というブログが誤った情報に基づいた記事を書いていたので、それを指摘したところ、そのコメントが削除されました。

それは山口県光市の事件に関連する「厳罰化の流れは必然だ - 道徳教育で日本の社会が変わるまで」という記事です。

この記事は「少年犯罪は増えている」「凶悪犯罪は増えている」という前提で書かれていますが、実際にはそれらは昨年の統計で戦後最低でした。(そのことをコメントしました)。

光市の事件については私は何もわからないので、積極的には何も言えませんが、私の信頼する弁護士が被告の弁護団に入っています。(といっても人は誰でも間違えることがあるのでそれだけで、弁護団が正しいと判断できませんが)。

「世に倦む日々」は道徳教育の必要性を主張しています。私はこれに反対します。子どものいじめが大変な状況になっているけれど、それは「道徳教育」では決して解決することはできないからです。子どものいじめが個人の「道徳」のレベル(「人をいじめてはいけない」ということを教えていない)などから来ていると思うのは、この問題を全くわかっていません。

子どものいじめはこのひどい日本社会から来ています。(私は今ほんとに怒っているのです。ある人に怒っている時は書かない方がいいとアドバイスされたのに・・・)
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by lumokurago | 2008-04-26 23:57 | 未分類

東京杉並<夜スペ>和田中PTA廃止に対し、PTA会長経験者らがアピール

東京杉並<夜スペ>和田中PTA廃止に対し、PTA会長経験者らがアピール

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 記者会見に臨むPTA会長経験者ら

 杉並区立和田中学校校長(当時)の藤原和博氏が、「和田中PTAを同校地域本部の一部門とし、PTA協議会(P協)からは脱退、PTA会長は置かない」と事実上のPTA廃止を発表したことに対して、4月22日、杉並区内の公立学校PTA会長経験者らが、杉並区役所で記者会見を行い、PTA本来の役割を確認し、活性化をよびかけるアピール(※後述)を発表しました。よびかけ人は区立小中学校、区内の都立高校のPTA会長経験者15名です。

PTAは学校の補助組織ではない

 アピール文は、まず、PTAは学校の補助組織ではなく、自主的な社会教育団体として活動し、過去には高校増設、栄養士の全校配置などの成果をあげてきたことを述べました。次に今回の藤原氏の決定は、学校から独立した組織であるPTAを単なる学校の「お手伝い」組織に変え、教員との分断をはかり、P協から脱退することで区内のPTAの横のつながりをなくすものであると批判しました。そもそもPTA総会の議決を経ずに校長が独断で決定したことは越権行為であり、認められないとしています。そして、現在のPTAに「役員のなり手がない」などの問題があるとしても、乱暴に廃止すればいいというものではなく、自主的な社会教育活動としてのPTAに求められる役割はますます大きくなっているとしています。

 2002年度に中学校のPTA会長を務めた女性は、PTAは教員と保護者が対等の立場で教育を考えるための組織であり、校長が勝手に廃止を決めたことは民主主義に反する大きな問題だと指摘しました。それから和田中に関するマスコミ報道があまりに一面的だと批判しました。続けて、新聞やテレビが和田中の生徒の顔を露出し、改革だ、挑戦だといって藤原(元)校長を持ち上げ、賞賛する論調が多くみられること、その流れの中で文科省が50億円の予算をつけて、和田中のような地域本部を全国に展開すると宣伝していること、これは進学塾を学校に呼びこんで一部の子に有料で受験指導をしたり、PTAを廃止するという多くの疑問や問題点を含むやり方を安易に容認し全国に広げることになるのではないかと批判しました。

マスコミは和田中モデルを安易に後押しするな

 実際には杉並区の他の学校の保護者や地域から、和田中は派手なパフォーマンスで人気とりをしているが、自分さえよければいいという考え方はかえって地域を壊している、子どもたちの人間関係が心配だ、いずれ自滅するだろうという声をよく聞くそうです。マスコミの皆さんにはもっと地域のいろいろな声を拾う努力をしていただき、和田中モデルの地域本部を全国展開しようという流れを安易に後押しするのではなく、公教育とはどうあるべきかという本質的な問題を掘り下げ、読者に考えさせるような記事を書いていただきたいと要望しました。

 1967年度に東京都で初めて女性のP協会長になった年配の女性は、空襲で全焼した学校の復旧、6.3制による中学校の新設などの教育環境の整備に公費では賄いきれず、体育館建設のために廃品回収などを行ったお話などをされました。

 次の発言者は「地域本部」は行政指導で地域を組織するものだが、PTAは教員と保護者が対等なパートナーとしてやっていくもので、子どもの問題が深刻になっている現在、親と教員、親同士が信頼関係を持って子どもに対応していくことがますます求められおり、今こそPTA活動をもっと活発にしていくよう支援していきたいと述べました。
 
母親たちは“運動”という言葉にアレルギーがある

 また、次の発言者は、PTAが育ててくれたから今の自分があるのであって、PTAがなければ社会的な目も育たなかったと述べました。和田中のPTA廃止のニュースを見た時、PTAでそう決めたのなら、「あの学校はそうなのか」と思っただけだが、校長先生が決めたということを知って、「あの学校はどうなっているのだろう?」と疑問に思ったと述べました。

 それから、このアピール文の中の「高速道路建設反対運動」の「運動」という言葉を見て、自分はよびかけ人になるかどうか迷ったそうです。というのは、今のお母さんたちは「運動」することは過激なのだとマインドコントロールされていて、本当は大事なことなのに偏見の目で見られてしまうからです。でも、先輩たちのお話を聞いて今、この問題について意見を言っていかなければ大変なことになると思い、よびかけ人になったそうです。

 最後によびかけ人の一人が、藤原(元)校長を批判するFAXやメールが何通も来ていると述べ、このような声は多いが、表立って言えないことに大変な問題を感じると藤原氏のやり方に対して危惧を表明しました。
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<資料>
アピール文:「PTA本来の役割を確認し、活性化をよびかけます」

 先頃、区立和田中学校校長(当時)の藤原和博氏がマスコミにむけて突如「和田中PTAを同校地域本部の一部門『現役保護者部会』とする。杉中P協(杉並区立中学校PTA協議会)からは脱退し、PTA会長はおかない」と、事実上のPTA廃止を発表しました。この発表は区内だけでなく全国のPTAに衝撃を与えると同時に、多くの疑問点も指摘されています。

 そこで、私たちは、PTAの意義と役割についてあらためて考えたいと思います。

(杉並のPTAが果たしてきた役割)
 杉並区立各小中学校PTA、および小・中PTA協議会は、どの子にも等しく十分な教育を保障することをめざして活動し、大きな役割を果たしてきました。過去には、高校増設、栄養士の全校配置などの成果をあげ、また、環境を守るための高速道路建設反対運動など学校内にとどまらない活動を繰り広げてきました。

 こうした活動ができたのは、PTAが学校の補助組織ではなく、会員自らが学び「人格識見の向上を図る」(杉並区教育委員会『PTAハンドブック』)自主的な社会教育団体として、発言、行動してきたからです。

 活動の中で会員自身も成長し、PTAからは、町会や商店会、あるいは消費者運動、福祉団体など市民運動の中心で活躍する多くの人材を輩出してきました。杉並区の各分野でPTA活動の経験が生きています。

(校長主導のPTA「改革」でいいのでしょうか?)
 今回の和田中の方針には見過ごせない重大ないくつかの問題があります。具体的には、①学校から独立した組織であるPTAを、単なる学校の「お手伝い」組織に変え、発言の場をなくしてしまう ②PTAを保護者組織に改組することで、PTAのTである教員を排除し、PとTとの関係を分断する ③P協からの脱退で、PTAどうしの横の連携がなくなる という点です。これらは、どれも、PTA活動の根幹を揺るがす問題です。

 そもそも、PTA廃止を校長が独断で決定したことは越権行為です。PTA総会の議決も経ずに、校長が一方的に発表したことは、PTAの民主的運営を根底から覆すものであり認められません。

(PTAのよりいっそうの活性化をよびかけます)
 杉並区は現在、和田中地域本部をモデルとした「学校支援本部」を全区立小中学校に設置することを計画していますが、もし仮に、今後他校でも和田中に追随してPTAを支援本部のなかに組み込んでしまうなら、学校内での保護者と教員の自由で対等な発言の場はなくなり、学校は上からの一方通行となって、活力を失うでしょう。私たちはそれを恐れます。

 現在PTAには「役員のなり手がない」などいろいろな問題があることも事実ですが、他方PTAに求められる役割はますます大きくなっています。したがって、私たち区民は、区立小中学校PTAをもっと充実、発展させるべきであると考えますし、そのために努力したいと思います。

 同時に、杉並区教育委員会に対しては、安易に「PTA廃止」論にのらず、自主的な社会教育活動としてのPTAを尊重し、いっそう支援すること、および、PTAについての区民の理解が深まるよう努めることを要望します。

2008年4月   
よびかけ人(区内公立学校PTA会長経験者) 15名  氏名略

*****ここまで記事

杉並は教育改悪の最先端を行っています。ここで止めなければ全国に広がってしまいますので、私たちの責任は重大です。今まで比較的中立的な記事を書いていた東京新聞さえが「夜スペ」特集記事を連載3回で始めました。それによると大手進学塾SAPIXには他に9校から提携の打診があるそうです。

今まで学校でだけは子どもが企業の利益追求のターゲットからなんとか逃れていたのですが、その枠をはずしてしまえば、子どもは企業の食い物にされるだけです。教育は利益追求や経済効率とは無縁のものです。そこにからめとられてしまえば、教育は死に、子どもはただ利益を生み出すために利用する対象にすぎなくなります。

いい学校に入ること、いい成績をとることが至上命令とされる中、多くの親や校長などが眼を曇らされてしまいました。しかし塾通いして受験の技術を身につけることと、本当の意味で勉強することは全く違います。アメリカの大学教授に聞いた話ですが、修士論文や博士論文の題材について、「先生、何やればいいでしょうか?」と聞いてきた日本人の学生がいたそうです。アメリカの大学に留学するような「優秀」な学生すらそうなのです。

子どもは課題を与えられて四六時中管理され、競争させられ、評価されています。自由な時間はほとんどありません。こういう育てられ方をしていると、自由になった時、何をしていいかわからなくなってしまいます。

もしかして多くの人は無意識に、「自由になることなどどうせないのだ。これから一生、課題をこなしていくだけなのだから、それでいいのだ」と思っているのでしょうか??

自由を求めることなどもうないのでしょうか?

参考
どうなる学校 公立が塾と連携(上) 受験指導で人気回復狙う
(東京新聞記事)

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by lumokurago | 2008-04-26 12:01 | JANJAN記事

今日のニャーちゃん

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おいしそうだな。ペロリ!
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また、写真撮ってるの? いただきます!
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ごちそうさま!

ニャーちゃんが来たので、お皿にカリカリを入れようと窓を開けても、少し下がっただけで、逃げませんでした。慣れてきたのかな?

近所の人がシーザーだと思って連絡をくださったキジトラの猫も、写真は撮れませんが時々来ています。
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by lumokurago | 2008-04-25 21:35 | ねこと鳥 (cats&birds)

野良猫ブログ

すっごくかわいい野良猫ブログを発見しました。
猫好きな方はどうぞ。
http://norakko2.exblog.jp/

よく知ってる人しかリンクしない私ですが、これはリンクしたいなあ。。。。どーしよーかな?
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by lumokurago | 2008-04-24 23:32 | ねこと鳥 (cats&birds)

取材記者が語った「集団自決」の真実と体験者の深い心の傷跡

沖縄タイムス編集委員で「集団自決」の証言を取材してきた謝花直美さんの講演記事です。とても良い内容ですのでぜひお読みください。

 取材記者が語った「集団自決」の真実と体験者の深い心の傷跡と

困難を極めた体験者からの聞き取り

 東京都文京区民センターで4月9日、「大江・岩波沖縄戦裁判勝利!判決報告集会」が開かれました。主催は大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会、大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会(大阪)、沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会(沖縄)です。主催者挨拶(俵義文さん)、裁判報告(弁護団から秋山幹男弁護士、岩波書店から岡本厚さん、支援運動から小牧薫さん)の後、沖縄タイムス社編集委員で、この間「集団自決」の証言の取材をしてきた謝花直美さんの講演がありました。謝花直美さんは沖縄タイムス紙に「命語い(ぬちがたい)」を連載され、「証言 沖縄「集団自決」―慶良間諸島で何が起きたか」(岩波新書)を出版されています。講演は「証言取材を通して見えてきた『集団自決』」という演題で、本には書かれていない貴重な内容でしたので、ご報告します。

〔1年前の今日〕

 「沖縄タイムス」の謝花直美と申します。ちょうど1年前の今日、何をやっていたかというと、渡嘉敷島に渡って吉川嘉勝先生の家にご挨拶に伺い、午後には高齢者センターのデイサービスのおばあさんたちから何とか話を聞けないか、と周辺の方々にお話をしたその日でした。3月31日に教科書検定意見が出て、それから怒涛のような報道が始まり、検定というのをどう伝えるか非常に焦っていた時期でした。取材を始めていたものの証言らしいものは取れておらず、さてこれからどうしようかと考えていたところです。

 2005年5月に自由主義史観研究会が沖縄プロジェクトを立ち上げて、あらゆる出版物から「集団自決」における日本軍の強制を削除するとし、3ヵ月後に「集団自決」訴訟を大阪地裁に提訴、それに対して私たちも報道を続けてきましたが、沖縄の人々に問題の本質、沖縄戦の真実を伝えるためには、「集団自決」のことだけでなく、沖縄戦全体についてどう報道すればよいのか、と考え続けていました。

 教科書検定の問題が起こって、私たちがきっちり問題のあり方を報道していけば、必ずや沖縄の人は分かってくれ、立ち上がってくれるだろうと思いました。それはもちろん新聞だけでできることではなくて、過去の基地闘争とかいろんなことで沖縄の人が立ち上がってきたように、手を携えていけると思っていました。しかしそれまでの間に、特に慶良間諸島の体験者の証言(の取材)については、非常に困難を極めていたのが事実です。私が新聞社に入ったのは沖縄戦の報道に携わりたいということが一番の理由でした。6月23日の慰霊の日に沖縄の新聞は、沖縄戦を通して平和の尊さを考えるということで体験者の方の記事を書くのですが、そういう短期的な、わずか5回から10回の企画のために慶良間諸島の体験者の方に伺ったとしても、私たちは伝えきれないのではないかという思いがありました。それは私だけではなく、私たちの新聞がそれをやったことはなかったように思います。

〔証言者を探して〕

 沖縄戦の取材をする中で、1970年代に県史に掲載された証言について伺うと、その話になると島の人々がサーッと逃げてしまう、「どこどこに集まってね」と言っても全然集まってくれないし、遠巻きにして逃げてしまって全然お話が聞けなかった、ということを聞きました。あるいはチビチリガマでも、高校の歴史の先生が生徒さんと一緒におばあさんたちの体験を聞きたいということで、60年代、かなり早い時期にやろうとした時に、先生のところに3人の遺族の方が来られて、「あなたはいったい何をしようとしているのか」「そういう悲しい思いを伝えることがどんな意味があるのか」「この村の中にトラブルを起こさないでほしい」と言われ、始めることができなかったという話を最近聞きました。そのように「集団自決」の体験を聞くということは、地域の人々がどのような思いで生きているのかということを含めて、どのように大きな傷跡を残しているのかを考えると、私たちはメディアとして、そう簡単に取り組めないと感じていました。

 しかし1年前、教科書検定が問題になった時に、ニュースの発信点というのは那覇であり、文科省のある東京でした。いろんな報道が流れていった中で、有るべきなのに、無かったのが慶良間諸島の方々の声だったと思います。どうやってあの方たちの声を紙面に載せていったらいいのか、過去に県史などで証言されている方はいるのですが、その方たちは高齢化してお亡くなりになっており、新しい証言者を見つけなければいけないという厳しい状況があったのです。

 吉川嘉勝先生については「命語い」で、3回のシリーズに書きました。彼には4月の半ば頃にお会いしましたが、彼もやっぱり最初は、戸惑いつつでした。どうやって吉川先生を探したかと言うと、彼は1回、校長先生をやっている時に新聞に自分の体験を話したことがありましたが、「集団自決」となるとなかなか本音の部分はお話しいただけないことがあったと思います。ご自身も不十分だったとおっしゃっていました。また、1年前に訪ねて行った高齢者センターのおばあさんたちは、一人ひとりがつらい体験をしていて「一人では話せないな、数人でだったら話せるかもしれない」とおっしゃっていました。でも誰かが「そこ(の場所)で、私は娘を亡くしてね」と言いだすと、みんなが「やっぱり」と言って黙ってしまって、私が取材に行ったために、楽しいリクリエーションの場を重苦しい場にしてしまったということがあって、証言してくださる方を探すのも大変でした。
 でも、過去に新聞に話したことがある人などを頼りつつ、だんだんと検定問題が広がっていくにつれて「話していただけませんか」と繰り返しながら証言者を探して、シリーズにまとめていったわけです。

〔軍官民共生共死〕

 沖縄戦とは、旧日本陸軍第32軍が国体護持のために持久戦をやって、捨て石とされた場所で、住民ともども軍と一緒に最後まで戦えという方針で行われた戦争で、それが「軍官民共生共死」という考え方(になっていったの)です。沖縄のすべてが前線と化していく中で、男性は防衛隊員として徴兵され、女性も飛行場建設などに動員され、本当に地上戦が始まると組織されていなかった人たちまでが弾薬運びとかいろんなことをやらされて、死んでいった。それが「軍官民共生共死」という美しい言葉です。

 軍隊が徹底的に支配していた中で、日本兵から「おばさんたちは死んだ方がいいから手榴弾をあげよう」と言われたという証言も(取材中に)出てきました。また、住民には恐怖が植え付けられ、女性なら米軍が来たら強姦され殺される、男性は股裂きにされて戦車に轢き殺されると徹底的に教え込まれ、追い詰められていった。そういう中で「集団自決」が起きたということがあるわけです。

〔語れない「集団自決」〕

 「集団自決」で家族が、親族が、地域の人が大勢亡くなったために、なかなか語ることができない。けれども、私が訪ねて行った北村登美さんという97歳のおばあちゃんは、お隣の人とお茶を飲みながら、検定の結果を話しながら、あまりにもひどいと泣きながら、自分たちはこうだったと話してくれました。ちょうど、おじいさんとおばあさんが3人でお茶を飲みながら「苦しいね」と話しているところに出くわして、その光景を見た時に、ハッと、この人たちは検定がきっかけだったかもしれないけれど、たぶん日常的にお互いの痛みを分かち合っているのだと思いました。なかなか話せる話ではないけれど、一人で黙っているのも苦しいし、話せる部分は地域の人と話し合っているんだな、と思いました。かといって、みんなの前で話せるということではないのですが。

 もう一人、新崎直恒さんという方は教育者だったので、平和教育として話されたのではないかと思っていましたが、とてもできず、孫が戦争当時6歳だった自分と同じ年になった時だけに話したということでした。

 いままでは「集団自決」について語るといっても、そのように地域の小さなグループでのつぶやきであったり、意義を見出していたとしても個人的なものだったというのが「集団自決」の体験者の現状だったと思います。そういう方たちを一人ひとり訪ねて行って証言を聞きましたが、30数人に伺ったのですが、実際に家族に手をかけた方はそこには2人しか入っていません。というのは、やはり一番、語りにくいお立場だからです。ある集団にそういう方がいらっしゃるのですが、私に証言してくれた人は「その方はお子さん2人を亡くした、その方には聞いてくれるな」と言いました。「聞きに行くことはできないよ、自分の話はしてあげるから書きなさい」と。それで、具体的に家族に手をかけた人の話はほとんど聞くことができません。

〔言葉少ない証言〕

 話してくれたお二人というのは、金城重明さんと中村武次郎さんです。中村さんの状況を話しますと、3人家族でお母さんと武次郎さんとお姉さんがいらっしゃいました。慶良間では手榴弾は使われておらず、紐を用いて首をお互いに絞め合うという形で、100人位の住民の中で53人が亡くなってしまいました。武次郎さんたちも米軍が上陸したということで、「集団自決」した人を見て、長い1本の紐にお姉さんが間に入り、武次郎さんとお母さんが両脇になって、首に紐を巻きつけて首を絞めたのです。結局、真ん中にいたお姉さんだけが絶命してしまったのですが、武次郎さんは自分の体験を語ることが歴史を語ることだとずっと語っていらっしゃった方で、元は村議もやっておられ、社会的な意義を感じていらっしゃるのですが、武次郎さんのお話を伺って、録音を後で聞き直してみると、武次郎さんの証言は本当に短いのです。「集団自決」をしたサーバルという場所の話になると、声がうわずっているし、吃音が出ています。言葉がつまって全然出て来なくて、(録音テープを文章に)起こしてみると数行しかないんです。でも彼はそれを言うために、自分のことを前面に押し出して、言葉も失いながら一生懸命言うわけです。その様子を見ていた時、この人たちが心に抱えているものの重さは、語ってくれているんだけど、とても語り切れないのだ、ということを感じました。手をかけた人だけではなくて、「集団自決」で家族や兄弟を亡くした方に「証言をお願いします」と言っても、あまりにもみじめな体験だから語れないということがあって、証言を聞くのはしんどい、大変なことでした。

 一方で、この方々は言葉が少ないけれど、一生懸命に語ってくれたことをどう伝えていけばいいのだろうか、と苦労しました。少ない言葉だと記事にするのが非常に難しいのです。座間味では、いろんな壕でいろんな方が亡くなっているのですが、渡嘉敷の場合、1ヵ所で300何人が手榴弾を使って「自決」しているので、3月28日の午前中の「集団自決」の事実を知るだけなら、(記事は)非常に短いのです。1回で書ける。でも、それをいろんな家族がどうやってそこにたどり着いたのかなどしつこく書いたので、20回くらい書きました。というのは、一人ひとりがこれだけの体験をして、それを戦後ずっと引きずっている、そして語ることができない。そういうことを書かなければ、なかなかこの「集団自決」を理解することができない。あの場所で起きた事実を知るだけでは、なかなか理解できないだろうなというのが、繰り返し繰り返し証言を聞く中で感じたことでした。

 この連載は熊本日日新聞に転載される形で載ったのですが、やはり沖縄的な状況がないということで、同じ体験が繰り返されていると言った人がいるということを聞き、正直な意見だなと思いました。でも、それを一人の体験でわかるとは思えません。いろんなふうに生きていた人たちが当時そこにいただけで、命を手折られたということの意味、それもこんなにたくさん(の人が)ということを示さなければ「集団自決」の本質は伝えられないのではないかなと思って、そういう書き方をしたのです。

〔体験者も変わった〕

 「集団自決」の証言を聞く(読む)ことによって、戦争を知らない人たちがその事実を知るだけではなくて、体験者たちが傷を持っていて語れない中で、地域の中で、家族の中で、苦しみながら生きているということがだんだんと伝わるようになってきて、沖縄戦というものが自分たちの生きている沖縄と別なものではない、地続きにつながっているのだということが獲得されていったように思います。また、体験者が証言者になってくださったことで、変わっていかれたということがあると思います。

 吉川先生は、連載だけでは自分はあまり語れていなかったとおっしゃっていました。県民大会の時にはお姉さんが出ない方がいい、小さな地域ですし、彼は教育委員長をやっているので行政としての立場もあるんじゃないかとすごく心配していらっしゃいました。彼はそこが一番きつかったとおっしゃっていました。でも自分が語らなきゃいけないという思いがあって、決心して語りました。県民大会は生中継が入ったので、お姉さんは家で吉川先生の挨拶を聞いて、ほんとよく話してくれたとおっしゃっていました。吉川先生もその話をしていて、力が抜けたような気がして思わず泣いてしまった、残りの人生は奉仕だと思って、この問題に本気で取り組みたいとおっしゃっていました。

 68歳の人が、戦争を知らない若い世代から「体験を聞かせてください」と言われ、今まで語らなかった体験を語っていくことで、伝えていくことが沖縄にとってとても大事なんだというメッセージを受けて、すごく変わっていかれたと思います。すごいなと思います。1年前には全然おっしゃらなかったことを、県民大会で「事実は厳然としてある。歪曲を許してはならない」とキチッとおっしゃるまでに変わられたわけです。彼の体験に、いろんな人からエールを送られて、彼自身も変わっていったということで、人生の先輩に対して失礼な言い方ですが、吉川先生の生き方はすばらしいなと思いました。

〔今につながる歴史〕

 また、県民大会で高校生が言った「私たちのおじいやおばあがうそをついたというのですか?」というスピーチ、あれに象徴されると思います。戦争体験のない世代が体験を聞くことによって、語り得る人の体験だけじゃなくて、あまりにもつらすぎて語れない人がいること、さらにあの時に亡くなってしまった方は、生きていたら幾つになられるのでしょう。70歳だったり80歳だったり、いまの世の中を謳歌されているはずの方々が、実はいたんだということに気がついたのです。この沖縄、私たちが住んでいる沖縄は63年前に変わったんだ、沖縄戦の後には広大な米軍基地が出来て、施政権が返還されてからは見えにくくなったけれども、本当は沖縄社会というのは何も変わっていないのではないか、若い人たちが沖縄戦と戦争で傷つけられた人たち(の話)から今の沖縄を振り返るようになっていった。これからは、それをどういう風に血肉化して動いていくか、といういろんな課題があると思いますが、「集団自決」問題が裁判、教科書検定に広がっていき、この問題が今の沖縄の若い人たち、そして体験者たちに与えたものは、体験してきた歴史が今の私たちとどうつながっているのかということを獲得していく作業だった、と1年経って思うようになりました。
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by lumokurago | 2008-04-24 20:13 | JANJAN記事

特養のお花の会

父がお世話になった特養でお花の会をしました。いつも感じることですが、若い職員たちのやさしいこと! 新人の男性職員もとってもやさしかったです。結婚するならこういう男性がお勧めです。彼女ら彼らの給料を辞めないですむ位に上げてください!! 介護職員の離職率は今、数字はわからないけど非常に高いのです。暮らせないから・・・
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お花ができて写真を撮っているところ。この方は何にも興味を示さないのに、今日はご自分でお花を活け、そこを写真に撮って・・・「ご家族が喜ぶね!」お花の威力はいつもすごいのです。
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Sさん、眼を開けて! 笑ってね!
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眼を開けて! お花きれいだよ、眼を開けて!
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パチリ!
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by lumokurago | 2008-04-23 21:54 | 父・母・介護

杉並「つくる会」教科書採択に関する住民訴訟控訴審第1回口頭弁論で裁判官を忌避

 JANJAN記事です。この間の経過を知らないJANJAN読者のために地裁からの経過を簡単に書いています。

杉並「つくる会」教科書採択に関する住民訴訟控訴審第1回口頭弁論で裁判官を忌避

 東京都杉並区が05年に「つくる会」歴史教科書を採択して違法支出した公金の返還を求める東京高裁での控訴審で、21日に開かれた初回口頭弁論だけで無理に結審しようとした裁判官に原告は忌避を申し立てました。この裁判は弁護士のいない本人訴訟で、筆者もこの裁判に原告の1人として参加しています。

忌避申し立ては却下

 この裁判は東京地裁で07年6月28日に不当に結審されました(報告記事「杉並・教科書裁判 『忌避!』の声飛び交い、突然の結審」)。その後、原告は「裁判官が公正でない」として3人の裁判官の交代を求める忌避申し立てを行いました。

 忌避理由は、裁判官が原告の求めた証人喚問を全く行わず、準備書面もほとんど検討せず、審理を尽くさないままに結審したことなどです。忌避申し立ては地裁で却下され、東京高裁に即時抗告、最高裁に特別抗告まで行い、最終的には最高裁で却下されました。忌避申し立ての審理中、東京地裁での裁判は止まっていました。

審理不尽の判決

 08年1月10日、東京地裁民事第2部の大門匡裁判長により判決が言い渡されました。大門裁判長は固い表情で主文のみ朗読しましたが、行政裁判にありがちな却下と棄却で、都合20秒ほどで、逃げるように退廷しました。大門裁判長とのお付き合いはこれも含めてたった4回の法廷のみですが、第1回の時より人相が悪くなっていると感じました。裁判官にも隠しきれない良心があるのでしょう。

 判決文は事実誤認、審理不尽、判決の脱漏(原告の出した争点を判断していない)に満ち溢れたものでした。被告の出したたった1通の準備書面(原告側の準備書面は36通)の文言をほんの少しだけ変えただけのものです。準備書面以上に被告に配慮し、弁護する内容でした。

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 小林克己裁判長(真ん中)、綿引万里子裁判官(左)、中村慎裁判官(右)

控訴審第1回口頭弁論

 原告はこれが裁判とは到底認められず、即日、控訴を決意しました。控訴審第1回口頭弁論が4月21日午後、東京高裁で開かれました。裁判官は第5民事部の小林克己(裁判長)、綿引万里子、中村慎氏です。

 小林裁判長は手続き的な確認をした後、「控訴人は口頭での弁論を希望していますね。10分でよろしいですか?」と聞き、控訴人は「もう少し長くなるかもしれません」と答えました。裁判長は「結構です」と答えました。そこで筆者が立って控訴理由の弁論に入りました。

 まず、「つくる会」教科書は誤った歴史観に基づく教科書であると主張しました。自民党右派議員らは、アジア太平洋戦争は「自存自衛の戦争で日本は戦争犯罪を犯していない」とし、教科書から事実を抹殺しようと画策していること、これは教育基本法に違反する政治介入によって検定合格できたものであること、全国の教育委員会はこの教科書に振り向きもしなかったがわずかに2カ所だけ採択されたものであること、公正な方法では採択されないので数々の違法行為の積み重ねの末に採択されたことを述べました。

 原告は、大切な子どもたちを守るためには、裁判に訴える他に手だてがなく、止むに止まれず訴えたと述べました。それなのに地裁の大門匡裁判長らはそれらを全く審理せず、第3回口頭弁論では原告の出した証人喚問要求や進行協議要求に対して「別の機会に検討します」と答えながら、その数分後にいきなり結審し、それは裁判以前に人間として人を欺く行為であったと述べました。

 そして、地裁判決は完全に審理不尽のまま判断されたものなので、控訴審では、証人喚問を行い、真実を究明し、審理を尽くして公正な判断をされるようお願いしました。

 次に別の控訴人が「小学校3年生の子どもを持つ身であり、子どもがこの教科書で学ぶことになることは耐えられない」と述べ、審理不尽のまま出された判決文を読んで裁判所も私たちの思いに応えてくれないのかと絶望し、涙が出たと訴えました。

 そして、具体的な審理不尽、判決の脱漏について指摘し、行政訴訟法第23条2項に基づき釈明処分の申し立てを行いました。これは行政訴訟法の改正によって新しくできた条項です。行政訴訟で情報を得にくく、圧倒的に弱い立場の一般市民・住民に対し、裁判所が命令して行政庁の情報を出させる制度です。

地裁判決の事実誤認を証する新発見の事実

 最後に、3番目の控訴人が新しく発見した事実について下記の内容を述べました。

 教科書採択の折り、杉並区では区民の非暴力の要請行動などに対して過剰な臨時警備を行ったのですが、その警備会社との契約は随意契約で行われました。被告は随意契約で行った理由について「緊急の必要により競争入札に付することができない時」だったと主張しました。

 ところが、控訴審に入って、控訴人らは杉並区契約事務規則を発見しました。この第7条(入札公告)には「一般競争入札の公告は急を要する場合においては、入札日の前日から5日までに短縮することができる」と書かれています。ところが、地裁判決では「次の教育委員会開催が8日後に迫っていたので、地方自治法施行令の規定する随意契約の方法によったことも適法」としています。つまり、8日前ならば一般競争入札の手続きができる事務規則があるのに、それを知らぬままの誤審です。

結審に誘導した裁判長を忌避

 控訴人が弁論を終えると、裁判長は控訴人と少しやり取りした後、被告に「さらに主張、立証の必要がありますか?」と聞きました。被告は新事実にうろたえたため、「反論を用意します」と答えてしまいました。筆者は「初回での結審はせず、次回裁判もあるな」と思いました。

 しかし、裁判長は「被告は答弁書で『従前どおり(審理の必要なしの意)』と答えていますよ。従前どおりでよろしいのではないか」と被告に助け舟。これで被告は「審理は必要ありません」と答えました。裁判長は「進行協議を行います」と言い、3人でドアの向こうに消えました。

 その間に私たちは裁判官を忌避すると決め、次に裁判官がドアを開けたとたんに忌避を申し立てました。今回は裁判長も「これをもって口頭弁論は終了」とは言いだせず、「忌避ですね。では忌避の申し立ての判決が出るまで、審理は中断となります。閉廷します」となりました。

 公正な訴訟指揮を行うならば、被告が「反論を用意します」と答えたのだから、それはいつまでに用意できるかを聞き、日程調整して次回期日を決めるべきでした。そうしないということは、もともと結審と決めていたということです。

 だいたい第1回口頭弁論に被告は欠席しても許されるのに、実際には出席してきたことからも、裁判所から被告に初回結審の知らせがあったことが明らかです。当日提出した新たな事実に被告は動揺し、失言してしまいました。裁判所はその思惑が狂ったので。結審するために被告を誘導したのでした。

 みなさん、いまさらながらですが、裁判所というところはこういうところです。今日も私たちに口頭で弁論する時間を与えましたが、先に結審ありき。弁論は形式的なもので、何の意味もありません。こんなことのために私たちの税金が使われているのです。裁判官の給料は高裁判事なら下っ端でも年収1,600万円だそうです。いつまで我慢しますか?
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by lumokurago | 2008-04-23 13:18 | 杉並教科書裁判