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ミャーちゃん 避妊手術

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お医者さんに行く前、バスケットに入れられたミャーちゃんを心配するマロン

ミャーちゃんは妊娠していました。お医者さんが、切り取った卵巣と子宮を見せてくれました。猫の子宮は5センチくらいの紐状で、両端に小さな卵巣がありました。子宮の中に「1匹、2匹、3匹いるよ」とお医者さんが数えました。2ミリくらいの小さな小さな命でした。ミャーちゃん、ごめんね。3匹だけだったら産ませてあげればよかったね。
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by lumokurago | 2009-03-31 21:58 | ねこと鳥 (cats&birds)

追悼 アレン・ネルソンさん

追悼 アレン・ネルソンさん   宜野座映子

 大切な友人、ベトナム戦争従軍元海兵隊員のアレン・ネルソンさんが亡くなった。

 訃報は、26日読谷村で行われた「ベトナムと沖縄~文化と平和の夕べ~」の会場に届いた。会場でアレンへの支援を呼び掛けたところ、参加者の温かい思いが伝わり胸がいっぱいになった直後のことだった。アレンのパートナー、アネッタさんは、「つらい闘病でしたが、最後は安らかで、私が手を握る中、息を引き取った」と知らせてくれた。

 2月に活動を始めた「アレン・ネルソン基金・沖縄の会」には、26日までに130万円余の募金が寄せられた。3月8日にはそのうち70万円をニューヨークの彼の自宅に届けたばかり。多額の募金にアレンは驚き涙した。これは13年間にわたり、身を削って戦争の真実を伝えてくれたアレンへの感謝のしるしなのだ。

 今、私の耳にアレンの声が聞こえる。「僕は決して語ることを止めないよ。だって、戦場に行った仲間は全員死んだんだ。生き残った僕は戦争の悲惨さを話さなければ。もし、一人でも僕に戦争の真実を話してくれていたなら、僕はどんなに貧しくても高校を中退して海兵隊に入ることはしなかった」という声が。

 20年かかって戦争体験による心的外傷後ストレス障害(PTSD)を克服した彼は、アネッタさんとともにベトナムへ謝罪に行った。会場で明らかに米軍が散布した枯葉剤の影響と思われる障がいを患った人々を見た時「涙が止まらなかった」と話してくれた。

 ところが枯葉剤の影響はアレン自身にも及んだのだ。医者はベトナム帰還兵がアレンと同じ種類のがんを発症していると指摘。アレンの命は奪われた。

 戦争は勝者も敗者もなく、ただ苦しみと悲しみだけを生んでいく。そして、その連鎖は今なお続いている。

 アレンはゴーヤーとテビチが大好物になり、サンシンを弾くようになった。この間の全国で講演回数は2000回にも及び、戦争の真実を語り続けた。それを聴いた私は「NO WAR!」を言い続けていこう。アレン、ありがとう。

(沖縄タイムス 2009年3月28日)
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by lumokurago | 2009-03-31 21:49 | 平和

がんと闘わない生き方―乳がん患者として(2)

がんと闘わない生き方―乳がん患者として(2)術前化学療法

 6年後の受診

 1994年に発見した右胸の5ミリのしこりは徐々に大きくなっていました。大きくなっているのだから、これはがんかもしれないと思いましたが、私は受診しませんでした。のんきだと思われるかもしれませんが、がんがそれほど怖くなかったのです。その後読んだ近藤医師の本には「がん検診が寿命を延ばしたという証拠はない。早期発見早期治療で寿命が延びたという証拠はない」と医学論文の統計データをもとに書いてありました。それに乳がんはそれ自体では死に至ることはないとのことです(乳房が生命維持に必要な臓器でないため)。転移が問題になりますが、早期発見早期治療に意味がないということは、がんを放置していると転移するという広く信じられている俗説は間違いということになるではありませんか。(このことについては回を改めて、詳しく書きます)。

 仕事を休んで1日がかりで病院に行くことが億劫ということもあり、私は6年間放置していました。しかし最後の1年間は急速に大きくなっていると感じ(注:がんは細胞が2倍、2倍と分裂して大きくなるので、大きくなればなるほど、急速に大きくなっているように感じる)、2000年3月、仕事が一段落した年度末に受診しました。

 慶応病院は特定機能病院なので紹介状なしで直接行くと「選定療養費」として5250円かかるため、前日に6年前に行った天野クリニックでエコーを撮ってもらい紹介状を書いてもらいました。

 3月22日、近藤医師に診てもらったところ、やはりがんで4×4.5センチになっていました。近藤医師は「前のことを覚えていますよ。ずいぶんゆっくり大きくなったなあ」とおっしゃいました。腋の下のリンパ節にも転移が数個あり、すぐに治療することになって、当時、近藤医師とチームを組んでいた神奈川県にあるO病院の外科医A医師を紹介されました。電話すると「明日来なさい」ということで、予約を取ってくれ、翌日、O病院に行くことになりました。(本で読んでいたので温存のためには遠くの病院に行かなければならないことは知っていました)。

O病院で術前化学療法を選択

 O病院のA医師のところには、温存を求めて日本中から近藤医師を訪ねてきた患者が押し寄せ、ものすごい混み方でした。予約時間はあるものの、守られたことはなく、何時間も待たされることが常でした。患者が診察室を出入りする時間を節約するために、診察室は2つあって、患者はそこで待っており、A医師の方が行ったり来たりするのでした。

 私のがんはかなり大きい方です。A医師はこのままでも温存はできると言いながら、手術の前に化学療法(術前化学療法)をすることを提案してきました。抗がん剤が効いてがんが小さくなれば、切る範囲が狭くなるし、抗がん剤が効くがんかどうかがわかるというのです。(注:当時、一般的には術後、化学療法をしていたので、がんを取ってしまった後であり、抗がん剤が効いたかどうかはわからない。化学療法は、この時点の検査では発見されないが、全身に転移しているかもしれない微細ながん細胞をたたくために行う)。

 私はリンパ節転移のことが気になっていました。A医師はリンパ節を切除すればリンパ浮腫(リンパ液の流れが悪くなって腕が腫れる後遺症)が出る可能性が2割あると言いました。リンパ節を切除すれば、リンパ浮腫にならないように土いじりは禁止、蚊に刺されることにも気を使い、山登りの重いザックを背負うこともできなくなってしまいます。私は、土いじりとアウトドアが大好きなので、がんはともかく、リンパ節を切りたくない思いでいっぱいだったので、A医師にその話をしました。A医師はそれなら抗がん剤が効くかもしれないから、術前化学療法にしようと言い、私も異存はなく、そうすることに決めました。

リンパ節は切らなくていいことに

 あっという間に治療法が決まり、5日後の3月28日には抗がん剤治療が始まりました。私の受けたのはCMF療法といって、3種類の抗がん剤(シクロフォスファミド、メトトレキセート、フルオロウラシル)を使う多剤併用療法でした。抗がん剤は強力で副作用が強いため、副作用の異なる多剤を組み合わせ、それぞれの薬を十分に使えるようにするものです。CMFは乳がんの古典的な標準治療です。2週続けて点滴し、2週空ける、これが1クールです。昔は12クールやっていたのですが、当時は6クールでも同じ成績であることが証明されており、近藤医師たちはもっと少なくてもいいと考え、回数を減らそうとしていました。A医師も術前化学療法は3クールまでしかやらないと言っていましたが、私の都合で入院する日程を延ばしたかったので4クール行いました。もちろん、抗がん剤が効いてがんは小さくなり続けていたことが前提です。(効かなければその時点で化学療法は中止)

 3クールまでにかなり小さくなり、腋の下の転移も小さくなっていましたが、その時点ではA医師はまだリンパ節を切ると言っていました。しかしごね得のプラス1クールで、リンパ節転移は触診で触れなくなったのです。手術の前日、A医師はもう一度触って、「手には触れなくなった。エコーには映っているけど、切らないことにしよう。5クール(術後に行う抗がん剤1クール)で消えるかもしれないし」と言いました。ラッキー! 私は大喜びしました。

抗がん剤の副作用

 さて、気になる抗がん剤の副作用ですが、強力な吐き気止めが出ていたため、数日間むかむかしたり食欲がなくなる程度ですみ、吐いたりはしませんでした。髪の毛も抜けたら抜けたで一生に一度くらいスキンヘッドもいいかもと思っていましたが、ちょっと薄くなったという程度で終わりました。一番大事な白血球の減少ですが、点滴後1週目には2000位に減った時があったものの、次の点滴の時には7000位に戻り、優秀でした。(3000以下だと点滴は中止になる)。

 副作用は人によって全く違い、1回の点滴で髪の毛が全部抜けてしまった人もおり、吐き気に苦しんで死ぬ思いをして1クールで拒否した人、白血球が戻らず、点滴できない人などさまざまでした。

 副作用を抑える薬はどんどん強力になり、抗がん剤治療は患者にとって楽なものになっていますが、近藤医師はそれが逆にこわいと言っています。なぜならば副作用が出れば医師は注意するが、副作用が抑えられれば大丈夫と思って点滴し、突然重篤な副作用が出る可能性があるからだそうです。特に白血球を増やす薬は疑問だとのことです。

標準治療が行われているのはわずか5%

 ところで、この間の生活ですが、治療に入ってから仕事を休んでおり、点滴のたびの副作用も数日で消えたため、合い間にはのんきに旅行し、乳がん関係の本を読みあさっていました。近藤医師の本は読破、それに他の医師の本も図書館にある本はほとんど借りて、比較しました。

 名前を挙げることはしませんが、他の医師の本にはひどい記述が多く、中には科学的根拠(論文や統計データ)を示さずに「がんをさわると転移を助長する」「病院のはしごは危険」「治療が遅れると転移するのでなるべく早く治療を」「(ハルステッド手術を)治療成績の良好な定型手術」「生検でがんが飛び散る危険がある」「無理な温存手術の結果、再発して亡くなる患者さんも増加している」「術後補助療法は経口抗がん剤(注:効かない)」などなど、医学的に誤ったことが堂々と書かれていて驚きました。有名な病院の外科部長さんの本などでこれです。中には現在でも発売されている本もあるので要注意です。

 最近読んだ本によると、国立がんセンター東病院の南博信医師(現神戸大学病院腫瘍内科教授)らが、他の病院から紹介されてきた進行乳がん患者78人について、それまでにどのような治療が行われてきたかを調べたところ、標準的でエヴィデンスに則った治療はわずか5%、標準として許容範囲の治療は38%で、標準からかなり外れた治療が22%、害をもたらす可能性のある治療が23%で、合わせて45%もが「不合格」になったそうです。(「評価不能」が12%))。

 標準からはずれた治療とは、標準治療の抗がん剤を用いず、効果が認められていない経口の抗がん剤を使用している場合(日本で多く使われているので要注意)、害をもたらす治療とはホルモン剤が効かないタイプのがんなのに、ホルモン剤を使っている場合(効果が期待できない上、ホルモン剤の副作用の恐れがある)、がんが小さくならないのに抗がん剤を続けている場合などです。分析にあたった南医師は「標準治療についての情報が一線の医師に伝わっていない。特に乳がんを専門としていない外科医にその傾向があるようだ」とし、医師への教育制度の充実や、学会の治療ガイドラインの普及が急務だと話しているそうです。(『がん治療の常識・非常識』田中秀一著・講談社2008)

 このように日本の病院では標準治療が行われることの方が稀なのですから、患者は医師任せにせず、自分で勉強し、疑問はどんどん質問し、セカンドオピニオンを取り、自分で納得のいく治療を選ぶことが大切です。

【追記】これを『乳がん 後悔しない治療』にまとめたときに以下の注を入れました。

 南医師らは「有効性の確立した治療」という意味で「標準的」「標準治療」ということばを使い、「治療ガイドラインの普及が急務」だとしていますが、近藤誠医師は本書114頁から117頁で述べているように「標準治療」はエヴィデンスの有無には無関係であるとしています。しかし、『がん治療の常識・非常識』で説明されている「標準からはずれた治療」の例を読むと、南医師らが言う「標準治療」はおおむねエヴィデンスにもとづいていると考えられるので、ここに紹介しました。
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by lumokurago | 2009-03-31 12:02 | がんと闘わない生き方

月(ルナ)ちゃん

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熊谷櫻風さんのウサギ、月(ルナ)ちゃんです。櫻風さん、写真どうもありがとう。
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これは猫と同じでかわいかったのでちょっと小さいけど、櫻風さんのブログから勝手にいただきました。
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by lumokurago | 2009-03-30 21:22 | ねこと鳥 (cats&birds)

文科省請願報告(JANJAN記事)

扶桑社と自由社の教科書を目録に載せないよう文科相に請願

私の最後の一言は編集部によって少し削られてしまいましたが、不毛なやりとりの様子は伝わると思います。若い係長が政府の手先となって出世していく様子が目に見えるようです。そういう人しか文科省のお役人にはなりませんよね。まともな人なら病気になってしまいます。

*****
「杉並の不当な教科書採択取り消し裁判の会」など15団体は文科相に対し、扶桑社と自由社が発行を計画している「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書は教科書目録に登載しないよう請願しました。同じ教科書をめぐって両社が著作権を争っており、安定供給できない恐れがあるためです。文科省の担当者は「採択するかどうかは教育委員会の権限」と責任逃れに終始しました。
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 筆者ら「杉並の不当な教科書採択取り消し裁判の会」などのメンバー6名は3月26日、扶桑社と自由社の中学歴史教科書を教科書目録に登載しないよう、文部科学大臣に請願しました。文科省では教科書課企画係長が応対しましたが、子どもを無視した官僚的で無責任な応答に終始していました。
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請願書を渡す「つくる会」と扶桑社の著作権争い

 今年は4年に1度の中学校教科書採択の年です。学習指導要領の改訂に伴う「端境期」ということで、今年採択された教科書は2年間使い、2年後にまた、新学習指導要領に基づく教科書検定と採択が行われます。

 2005年の採択では中学校歴史教科書として、「新しい歴史教科書をつくる会」主導の扶桑社版歴史教科書が、東京都、愛媛県委、滋賀県の各教育委員会で採択され(都立・県立の中高一貫校、特別支援学校で使われている)、市町村教委による採択地区563の中から東京都杉並区と栃木県大田原市の2か所で採択されました。採択率は0.39%です。

 「つくる会」は設立直後から内部対立やメンバーの脱会を繰り返し、とうとう分裂しました。一方、扶桑社は「『つくる会』教科書への教育委員会の評価が低く、内容が右寄りすぎて採択が取れない」として「つくる会」と決別し、教科書発行のための子会社・育鵬社を設立しました。「つくる会」から分かれた八木秀次氏らの「教科書改善の会」と協力して新たに教科書をつくることにしています。しかし端境期に関しては従来の教科書を発行し続けるようです。

 これに対し、「つくる会」は従来とほぼ同様の内容の教科書を自由社から検定申請し、同教科書の著作権は「つくる会」にあるとして扶桑社を相手に提訴して裁判で争っています。逆に扶桑社側は、同教科書は執筆者、監修者、扶桑社の共同著作物であるとし、複製することは許可しないとしています。

請願後の記者会見文科省に請願

 「つくる会」教科書を採択した愛媛県、滋賀県と、大田原市、杉並区の市民団体に大阪の団体が加わり、計15団体が3月26日、連名で塩谷立文部科学大臣に請願を提出しました。

 文科省には義務教育諸学校の教科書用図書を無償で安定供給する義務があります。扶桑社及と自由社は現在著作権をめぐって係争中なので、これらの教科書は仮に採択されても発行できなくなる可能性があります。請願では、文科省は教科書の安定供給を保障する立場から、この2社の教科書を教科書目録に登載しないよう、勧告しました。

 文科省は教科書課の赤間圭祐企画係長と松岡晃代調査係長が対応しました。

文科省との不毛なやりとり(敬称略)

 赤間 検定に合格した教科書で、発行者から「発行します」との届け出があれば目録に登載することになっている。文科省ではねるとかはねないの判断はしない。

 質問 扶桑社版及び自由社版教科書は検定に合格したのか?
 赤間 現在検定作業を行っているので静謐な環境を保つために、どの会社が検定申請したとか、しないとかはお答えできない。

 質問 著作権で争っている状況があるということは加味しないのか?
 赤間 検定は検定基準に則って検定審議会が教科書の内容に不適切なところはないかということを審査している。背景事情とは別の観点である。

 質問 審議会メンバーの名前は公開しないのか?
 赤間 静謐な環境を保つため審査中は行わない。終了後に行う。

 質問 裁判中であることは静謐な環境とははずれているのでは?
 赤間 学習指導要領を踏まえて審査を行っている。

 質問 検定に合格したとしても裁判で発行できなくなった時、文科省としてどう責任をとるのか?
 赤間 出版差し止め判決が出たとしても、判決はすぐ確定しない。確定までの間は採択するなとは言えない。判決が確定した場合、教育委員会で採択変えなどの措置が必要になるだろうが、その教科書が発行されるかどうかまだ不確定要素が残っているので文科省から具体的には申し上げられない。

 質問 不確定要素のある教科書を目録に載せるのはおかしくはないか?
 赤間 文科省としては届け出に従って載せるだけである。

 質問 最高裁で差し止めが確定すれば、安定供給ができなくなるのでは?
 赤間 その時には具体的にどうするかということはまあ、あるかと思う。判決がはっきりしていない間は文科省としてどうこう言えない。採択するのは教育委員会だ。

 質問 教育委員会に丸投げし、文科省は責任を取らないということか?
 赤間 なかなか申し上げにくいが、採択権限は教育委員会である。判決が確定し発行できなくなれば、それは責任者の方でやっていただく。

 質問 それではミートホープ社みたいだ。検査に通って流通し、消費者が食べて偽装がばれても、検査には責任がないみたいに言っている。いつもお役所は被害を受けてから重い腰を上げているが、子どもたちが使うものなので保護者として安心できない。
 赤間 何らかの対応を考えていかなければならないとは思っている。さきほど申し上げたように採択変えになる。

 質問 子どもにとっては自分が今使っている教科書がいきなり変わることになる。怪しいと思っている偽装肉を、怪しいことが確定されるまで食べさせられのか?
 赤間 発行を差し止められるまでは発行者には教科書を発行する権利がある。少なくとも内容については検定に合格しているので、発行を届け出ているものについては、目録に登載する。判決が確定していない状況で、採択するなとは言えない。

 質問 安定供給できなくなることが予測されても、何もしないのか?
 赤間 法律に書かれていれば我々としてもやらなければならないが、検定合格したものは目録に登載することが法律に書かれている。それでやっていくしかない。

 質問 平行線ということで、他の点についてもお聞きします。
 赤間 論点がいくつかあるというのは、教科書の内容についてと発行についてとあるということ。教科書の内容については検定に合格していればよい。今回のお話は、目録に登載すべきでないということなので、今の話でほとんどは話してしまった。法律に基づいて、制度的スキームに基づいて登載するということである。

 質問 安定供給できないと予測できるのに、載せるのはおかしな話ではないか?
 赤間 問題意識は持っている。どちらかの教科書が差し止められるという状態になるのか、それとも原告適格がないなどの理由やそもそも訴えの理由がないということで訴訟が却下され、そのまま発行される可能性もある。あらゆる選択肢の中で注視していく。

 質問 今までにこういう係争中の事例があったか?
 赤間 それはすぐにはお答えできない。

 質問 これが初めての事例なら、法的にどうすべきかを研究し、法律の中に入れることを申し入れる。今までの話では、文科省は教科書の内容的なことだけ審査し、採択は教育委員会に任せるというので、ばかな訴訟をやっているような教科書を採択する教育委員会がおかしいことになる。文科省は教育委員会に対して指導もできないのか。
 赤間 法律の中に検定、登載、採択については制度的スキームとして定めている。法律としては検定そのものについては検定審議会、採択は教育委員会の権限となっている。文科省としての指導はあるが、この教科書を採択してはいけないとは言えない。

 質問 今日話していて一番抜けているのは子どもの視点。供給できないかもしれない教科書を選んだのは、教育委員会のせいだとすることは、文科省の責任放棄である。つまり子どもの立場に立たないということで、あなたは大臣の代わりに出てきているので、大臣失格である。

 そろそろ時間ということで最後に筆者が一言述べました。

自分の子どものこととして、個人の立場に立ってほしい

 文科省の判断は入れられないとおっしゃるが、今まで文科省は教育委員会に対していろいろと指導しています。例えば採択を学校採択にした方がよいとか、先生の意見をもっと聞くようにという指導を出している。今回も供給が不安定で発行されなくなる可能性のある教科書だということは、当然教育委員会に言っていいはずです。

 それをやらないということは、こういう「つくる会」の教科書のような考えが今の日本の中で大きくなってきて、そちらの方に政府とか文科省がどんどん動かされていることの証明なのです。

 あなた方は大臣の代わりだから、このような表面的・形式的な答弁しかしないけれど、個人に返って自分の子どもにとって、どういう教科書がいいのか考えていただきたい。今、日本が戦争のできる国になろうとしている時に、立場的にそういうことしか言えないかもしれないけれど、個人というものを絶対に忘れないで下さい。
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by lumokurago | 2009-03-30 11:37 | 杉並区

ミャーちゃんのにゃんころがり

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こんなちびのミャーちゃん、あさって避妊手術です。かわいそうに。捨てられた翌日、うちに来て、初めは逃げてばかりいたのに、すっかり人懐こくなり、今では知らない人にもなつくようになりました。またトラウマにならなければいいのですが・・・。ま、ネズミ捕りにかかってもわりとすぐに立ち直ったので大丈夫でしょう。
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by lumokurago | 2009-03-30 00:01 | ねこと鳥 (cats&birds)

善福寺川緑地でお花見

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ソメイヨシノはまだ早いです。
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これは早咲きの陽光という品種です。濃いピンクが目立ちます。
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せっかくのきれいな桜の次に意地悪なベンチを載せなければなりません。
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ねじ山がつぶしてある徹底的な意地悪。
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お風呂場の鏡に映したところ。
今日は私の55歳の誕生日でした。忘れていましたが、友人からのメールで思い出しました。「がん友」がお赤飯を炊いてくれました。「あと30年、お母さんの年までは生きてね」ですって。それは無理としてももう少し長生きしなくちゃ、ですね。
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by lumokurago | 2009-03-29 23:51 | 花 ・樹(flowers&trees)

がんと闘わない生き方―乳がん患者として(1)

「がんと闘わない生き方」をJANJANに連載してもらいます。

がんと闘わない生き方―乳がん患者として(1)

 はじめに

 私は2000年に治療した乳がんが転移して、現在治療中です。私は乳がんになったことで、がんをはじめ日本の医療についていろいろ勉強しましたが、それによってそれまで信じていた常識が覆されてしまいました。また、がん体験は自分の人生にとって、とても大きな意味を持つものとなり、人間として成長することもできたと思います。

 私は6年間もがんを放置し、転移を発見してからも、5年間、様子を見ていました。今後どれくらい生きられるかはわかりませんが、現在、まだ症状は出ず、健康に暮らしています。偶然が重なったこともありますが、基本的にはがんに対する知識が、今の元気な状態を保ってくれていると思います。

 私のがんの性質からいえば、結果的に最善に近い経過をたどっていると思えます。私のようなケースはおそらく珍しいと思います。みなさんのがんに対するおそれや偏見を払拭し、日本の医療の現実をお知らせするためにも、体験談を書くことにしましたので、どうぞおつきあい下さい。
 
そもそものはじまり しこりの発見

 1994年の春、購読していた「婦人民主新聞」(現「ふぇみん」)に慶応義塾大学医学部放射線科近藤誠医師の乳がん温存療法の記事が載っていました。日本の乳がん治療は、乳房はもちろんのこと大胸筋までこそげとってしまい(肋骨が見えてしまう)、腋の下のたくさんあるリンパ節を根こそぎ取ってしまう「ハルステッド手術」(後遺症が残る可能性も高い)が広く行われているが、がんの部分だけをくり抜き、放射線をかけておく「乳房温存療法」でも同じ成績であるという内容でした。

 その記事に自己検診のやり方が書いてあったので、早速試してみたところ、右の乳房に何か触れるものがあったのです。「これはがんかも!」と思い、記事に載っていた近藤医師の診察日に慶応病院放射線科を初めて訪れました。(注:現在では乳がん検診のみならず自己検診にも寿命を延ばす医学的な証拠がないことが明らかになっています)。

 慶応病院では検査はすぐにできないので、近藤医師は青山にある天野クリニックに超音波(エコー)検査を依頼し、新しい患者は来たその日のうちに天野クリニックで検査を受け、結果を持って慶応に戻ってくるというやり方をとっています。つまり原則的にその日のうちに診断が下りるということです。がんかどうか心配で一刻も早く結果を知りたい患者にとってのみならず、近藤医師のところに全国から集まってくる患者にとっても、このやり方はありがたいものです。

 私もこの日、天野クリニックに行ってエコーを受け、結果をもらって、戻ってきました。直径がたった5mmだったので、近藤医師は「こんなに小さいの、よく見つけたね」と言い、心配ないが、経過を見て大きくなるようならまた来るようにとおっしゃいました。(ちなみに乳房にできたしこりのほぼ80%は良性です)。

「乳がん治療・あなたの選択- 乳房温存療法のすべて」

 まあ、ひと安心でしたが、病院の売店で近藤医師の本「乳がん治療・あなたの選択- 乳房温存療法のすべて」(三省堂・初版1990)を買って帰りました。この本は婦人民主新聞に書いてあった「ハルステッド手術」と「大胸筋を残す乳房切除術」「温存療法」の成績が同等であることについて、当時は一般にはあまり知られていなかった「無作為比較臨床実験(試験)」の方法から解説し、海外の論文やグラフを引いて、論理的かつ素人にもわかりやすく書かれていました。

 次に、近藤医師と当時チームを組んでいたA医師(外科医)による温存療法のやり方が詳しく書かれており、ハルステッド手術による無残な手術跡と温存療法後のきれいに残った乳房の写真が載っていました。両者の成績が同じであるならば、どちらがよいかは一目瞭然です。

 当時、欧米ではハルステッド手術はすでに絶滅していたそうです。ところが、日本では依然としてハルステッド手術が半数近く行われていたのです。温存療法はすでに世界的な主流になっており、米カリフォルニア州の一地域では温存率がぐんぐん伸びて、1987年には60%に達していました。しかし日本における温存率は1988年でわずか3%。温存療法を行っている病院は大変少なく、それらの病院の温存率も5~30%でした。(特別に温存療法を進めている病院数か所では温存率90%でした)。なぜ日本では温存療法が伸びないのでしょうか?

 この問いに近藤医師は次のように答えています。

 1.医師の無作為比較臨床実験への無理解(因習に結びつく非科学性)
 2.外科医の好みと偏見
 3.日本の医療における全体主義(医者が患者を支配しようとし、他の意見や価値観の存在を許さない)
 4.患者自身の主体性のなさ(例えば、「切った方が安全だ」などと家族に説得されてしまう)。

 そして、医師がろくに説明もせずに、乳房を全部切り取ってしまい、手術後に絶望したり、強引に再建をすすめられ、後遺症に悩まされたりした患者からの相談の手紙が載っており、インフォームド・コンセントが全くなされていない当時の状況が書かれています。近藤医師はこの本の中で何度も、そんな医師からは逃げ出すことを進めています。

 普通、誰でも病気になれば、どこの医者に行っても同じ治療をされると思い込んでいるのではないでしょうか。ところが乳がん治療に関しては(本当はこれだけではありません)、行った病院によって乳房を全部切られてしまったり、残すことができたり、天と地の差があることを知ったのです。それにこの医師の横暴さ。「えーっ、本当なの? 日本の医療ってこんなにひどいの?」と驚くばかりでした。

治療法は自分で決める

 近藤医師はこの乳房温存療法の本の最後に、医療界の全体主義をなくすためには個人主義を尊重すること(個人を大事にすること)だと述べ、個人主義を実現し、精神的に自由で豊かな社会を作るためには、人間が無関心ではいられない、人間にとってかけがえのないものをめぐる闘いを起こすのが近道だとしています。それは環境や医療の問題です。医療の場でなされた意識変革は社会のさまざまな場面での個人主義の徹底を容易にするに違いないから、医師も患者も一人一人が闘わなければならないと述べています。

 そして患者が闘うといっても何もむずかしいことではなく、何にでも疑問を持って医師に質問することであり、自分の身体のことは主体性を持って自分で決めることであると説いているのです。

 乳房温存療法をすすめるこの本はただの乳がんの本ではありませんでした。患者に主体性を持った個人として生きることを求め、医療の改革が社会の改革につながることを見据え、闘うことを提起した本だったのです。

 この本が出版されて約20年、最近の日本における乳房温存療法は50%を超え、ハルステッド手術はほぼなくなりました。近藤医師が声をあげなければ、そして乳がん患者たちが闘わなければ、まだまだ遅れた状態が続いていたことでしょう。

 近藤医師は元参議院議員川田悦子さんが参院選に立候補した時、「ひとりでもできることはある」という言葉を寄せたそうです。ひとりで声をあげ、温存療法を普及させた近藤医師なので、この言葉には重みがあると思います。

 ひとりで始めた闘いは乳がん患者たちの共感を得て広がり、患者グル―プの活動が活発となっていきました。特にイデア・フォーという患者を中心としたグループは温存療法をすすめ、日本の医療を改革する運動を行うことで、近藤医師と車の両輪のように協力し合いながら、乳がん治療を変えていったのです。
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by lumokurago | 2009-03-28 17:53 | がんと闘わない生き方

浦和のお寺

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鍼に行ってきたけど、まだ腰が痛いです。今日ももう寝ます。それにしても北朝鮮のミサイル迎撃、ひどいですね。こうやって戦争を招き寄せるんですね。別に日本に対する攻撃じゃないんだから、憲法違反なのでは?
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by lumokurago | 2009-03-27 21:53 | 花 ・樹(flowers&trees)

文科省デビュー

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無事、着物で文科省デビューしてきました。この年になっても、一度身につけたもの(着付け)は1年ぶりでも覚えているものですね。それに着物好きな母が喜んで、帯を結ぶのを手伝ってくれたため、30分もかからずにできました。それでちゃんと朝ごはんも食べて、余裕たっぷりででかけました。

文科省の若い役人はすでに答弁のやり方を身に付け、30そこそこで文科大臣の代わりを立派に務めました。今日は腰が超痛いので、詳しくはまた。もうお風呂に入って横になります。
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by lumokurago | 2009-03-26 21:54 | 杉並区