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by lumokurago | 2009-07-31 20:58 | ねこと鳥 (cats&birds)

がんと闘わない生き方(14)近藤誠医師に聞く(上)

がんと闘わない生き方(14)近藤誠医師に聞く(上)
患者にとって意味がある治療とはデータ解釈しなくても分かるもの
 

 6月11日に「JanJanオムニバス」に掲載された「NHKと良心的乳腺外科医が無意味な乳がん検診を推進」の記事のご意見板にいただいた質問について、6月24日、私の診察の際、近藤誠医師(慶応大学病院放射線科講師)にご回答いただきましたので、報告します。「質問」は、いただいた質問を私がまとめたものです。尚、この報告は近藤医師が加筆してくださり、その部分にまた質問を出し、という作業を繰り返し、当初の倍近い量になっています。

質問1:世界ではがん検診は行っているのか? 意味がないなら世界で行わなくなるはずではないか?

近藤:サイエンスと医療、または医学と医療と言ってもいいけど、この2つは違うんだよ。サイエンスというのはファクトとロジック、事実と論理からなっていて、医学もそうだ。つまりデータがあってそれをどう解析するかという話なんだけど、医療というのは、経済的、政治的な考慮、あるいは人々の感情、心理、不安や恐怖、そういうものがないまぜになったものなので、意味がないと思われるものもいっぱい行われている。

 乳がん検診は意味がないというのはデータ的には明らかだけど、欧米で2000年代の最初の頃に、あらためて論争が起こった。それは検診で乳がん死亡が増えるか減るかという論争なんだけど、その時も、検診で総死亡が減らないことは皆が認めていた。でも、検診は続けている。

 これは検診をやっている業者やそれに関わる医者たちがいて、なかにはナショナルポリシーになって、国の成人女性の7割、8割が受けているという国もヨーロッパにはあるわけ。そういうところでは検診は容易になくなることはない。検診というものは拡大されても、減少はしない。だからといって、意味がないものが意味があることにはならない。

質問2:本物のがんと「がんもどき」の中間はないのか? 中間的なものがあるならば、そのがんは早期発見・早期治療に意味があるのではないか?

近藤:これはあり得る。というよりも、今転移のあるがんはよくよく考えてみると、すべて中間的なものだったということになる。つまり1個の細胞ががん細胞になると考えると、その1個の時は明らかに転移はない。それが分裂して行って初めてそこから転移として出てくるものがある。だからそういう微視的な段階まで考えれば、すべての転移がんというのはかつて中間的なものだったのです。

 問題はどの時期に初めて転移するか。で、本物のがんとか「がんもどき」と分けたのは、検診を受けて見つかるぐらいの大きさになった以降に初めて転移するものは、あっても極めて少ないだろうということを言っているわけ。

渡辺:そうすると、この質問をしてきた人の考えるような中間的なものに相当する人は、極めて少ないとしてもあるとしたら、その中間的ながんの人は検診を受ける意味があるのでは? ということですね?

近藤:それはまた、別な議論になる。誰が中間的ながんに当たっているかわからないわけだから、検診を受ける人全体として見なければならない。検診を例えば10万人にやって、その中に1人とか10人とか、そういう中間的ながんの人がいたとしても、10万人全体としてみて意味があるのかないのかという議論になる。

渡辺:そうすると死にたくない人間個人としては、10万人に1人であっても検診を受けて治るっていう期待をしてもいいんですか。

近藤:それは、データからは論理の飛躍がある。可能性としてあるとしても、検診で見つかる大きさになった中間的ながんの存在はデータからは認められていないんだから。

渡辺:そうですね。この点について、質問してきた人に理解してもらうことはとても難しいと思います。

近藤:結局、今ぼくは可能性を話してきたわけで、証明されているかどうかは別問題なんだ。証明されていないことに基づいて医療の現場で何かをするってことは、それはもうきわめて宗教的なことだからね。

渡辺:そうだと思います。そういうことを理解した上で、検診を受けたいという人がいれば、止めることはないけど、政府や医者が推進するというのはやはりおかしなことですね。

近藤:その通り。受けるにしても、自分のお金で受けなければ。

質問3:がんの性質は変わるので、ダブリングタイム(※)も変わるのではないか?
※参照:がんと闘わない生き方(8)がんの自然史からみる早期発見・早期治療の無理

近藤:これは、変わりうるんだ。変わるという場合、一般的には、急にスピードが速くなるということはなくて、むしろ少し遅くなるだろう。がんは大きくなるほど、成長スピードはむしろ鈍る。それはがん細胞の性質が変わるというよりは栄養補給の問題で、大きくなるほど血管新生が追いつかず、栄養補給がうまくいかなくなるので死滅しやすい。だからだんだんスピードが遅くなる可能性はある。

渡辺:この質問をした人は、ダブリングタイムが変わるなら、成長スピードが速くなることもあると想定して、そうすると、転移した時期がもっと後になる(つまり転移する前に検診で発見することがありうる)という意味で言ったと思いますが、むしろスピードが遅くなるのであれば、転移した時期はもっと前だということになりますね。

質問4:30代で乳がんを発症し、以後10数年間、数次にわたる転移を手術し、ついに完治と言える状態になった人がいるが、近藤理論でどう説明するのか?

近藤:近藤理論というのはやめてほしいな。たいしたことを言っているわけじゃないんだから。先人にも同じようなことを言っていた人は何人もいます。
 
 さて、基本的に転移した乳がんというのは完治しないと考えられている。10数年じゃまだ短くて、乳がんというのは30年経っても完治はあるのかと、そういう議論もある。何年たっても、ぽつ、ぽつと転移が出てくる人、それはいる。どんながんでもある。

 これはどこかにデータを出しているけれど(『患者よ、がんと闘うな』P.122)、1805年から1933年にかけて自然経過をみた乳がんのデータがあるが、なにしろ8センチのがんが小さいという時代で、8センチにもなるとだいたい転移していると考えられる。そういう人たちでも10年生きている人が4%いて、最後の一人が死に絶えたのが19年後。だから10年生きたとしても乳がんに関しては治ったということにはならない。

渡辺:乳がんで治癒と言っているものも30年位経ってまた出てくるものもあるし、乳がんでは治癒はむずかしい?

近藤:乳がんでは治癒は定義しない方がいいと思う。

渡辺:じゃあ1期で生存率が90何パーセントとかいうのも本当はわからない?

近藤:いや、1期では日本人でぼくが治療してきたのは10年生存率92%位。こういう人の多くは転移は出てこないよ。

渡辺:じゃあやっぱり「がんもどき」?

近藤:うん。

渡辺:乳がんの場合、どうして30年も経って転移が出ることがあるんですか? ゆっくりがんだから?

近藤:理由は不明。

渡辺:他のがんの場合は、治癒の定義はできるんですか?

近藤:完璧に定義するのは難しいだろう。ただ例外の存在を許すなら、多くのがんでは、再発なく5年生存していれば、一応治ったと考えていいだろう。

渡辺:『抗がん剤のやめ方始め方』を読むと(P.139,140)、先生は臓器転移のある乳がんに対しては抗がん剤に効果はないという結論に達し、術後補助化学療法でも、抗がん剤の延命効果を疑うに至ったとあります。ホルモン剤に関しては副作用が少ないから延命効果はあると考えられますか?

近藤:ホルモン剤に関してはもうちょっとプリミティブなところで効くことがあるなと思える。自分の診ている転移のある人で、あなたのように小さくなったり、もっと効いて消えちゃう人たちがいる。そして、抗がん剤よりはずっと副作用は少ないから、よく効いた人に関しては延命効果があるだろうと考えていいと思っている。だけど転移がない人が飲めば、やはり命を縮めるだろう。その程度には副作用がある。

渡辺:えーっ、だったら、術後補助療法のホルモン剤も先生は否定なさるんですか? 私は飲みませんでしたけど、ホルモンレセプターがあれば標準治療ですよね。

近藤:標準治療というのは、その時代の多くの患者が受けている治療ないし医者の多数派がやっている治療を意味するだけで、学問的に正しいとか、受けることに意味があるとかは保障しないんだ。乳がんの手術法でいえば、乳房のみならず胸筋まで切除するハルステッド手術がかつて100%行われていて、絶対の標準治療だったけど、現在は滅んで、乳房温存療法が主流になっている。

 問題とすべきは、その治療法を基礎づけるデータとロジック。術後補助療法のホルモン剤に関しては、数万人分のくじ引き試験(ランダム化比較試験)結果を解析した論文があって、それを見ると、リンパ節転移があるような人は、使わない場合と使った場合の生存曲線が開いている。しかし、使ったグループの生存曲線も下落し続けているから、治癒はしていないと考えられる。

 また、その論文のデータには、数千人の日本人患者でのくじ引き試験結果も含まれているので、それを拾って数えてみたら、日本人では使っても使わなくても生存率は変わらなかった。こういう事実は、日本の乳がん治療の専門家は公言しないから、患者や一般公衆は知らずに終わるわけだ。もっともそのデータは、1年から2年程度飲ませた試験のものだから、日本人患者にもっと長期間飲ませてみたらどうなるかについてはデータはない。

 そこで理論的に考えてみると、たとえば臓器転移がある人が10%程度含まれている患者グループでは、転移のない90%の人たちは、ホルモン剤を飲むことによって副作用を被り、多少とも命を縮めるだろう。他方、残りの10%の人の中には、延命効果を得る人がいるかもしれない。しかしそれも治るわけではないし、100%全体としてみると、90%の人に生じる縮命効果の方の影響が大きいのではないか。こうしたことから、臓器転移の可能性が低いと思われる患者には、たとえば1期とか2期の初めの人たちには、「飲まないほうがいいんじゃない」と言っている。これに対し、はっきり臓器転移がある人には「飲んだら」と言う。微妙なのが、転移確率が40%とか50%とかの場合で、ホルモン剤で延命効果が得られるようにも思えるし、他方、はっきり転移が生じてから飲むのと比べ、手術直後からだとより長く飲むことになるから、副作用による縮命効果がより大きくなるようにも思えるし、判断は難しい。結局今は、いろいろ説明したあとで、患者の選択にゆだねている。

渡辺:そうすると、スイスのザンクトガレンとかで行われている、コンセンサス会議の結果を無視することになりませんか。

近藤:そうだね。無視することになる。しかしコンセンサス(意見の一致)って、どういう意味があるんだろう。乳がんの治療の正否ないし当否は、本来データと理論によって判定されるべきであって、意見の一致は必要ない。こういうデータがあるから、こういう治療法が正しいと考えられる、と説明すればいいだけだよね。

 かつて、根拠にもとづく医療(エビデンス・ベイスド・メディスン)が提唱されたとき、くじ引き試験をすれば、治療法の根拠は得られる、と単純に考えられていた。しかし、実際には、同じテーマで行われた幾つものくじ引き試験結果がまちまちだったり、矛盾したりすることが頻繁に経験される。それらのデータからは、患者は指針を直接読み取ることはできないし、一般の医者たちも読み取れない。それで専門家が集まって、幾つもの試験結果を解釈した結果を、コンセンサスと称して提示することにしたわけだ。ところが解釈というものは、解釈者の主観次第で、いくらでも変わりうる。それなのに、データからは直接読み取りにくい結論に、全員ないし大多数が合意すること自体に無理がある。また専門家というのは、治療を行う専門家だから、治療しなくてもいいという結論は出しにくいし、それ以上に、自分たちの患者を増やしたいという気持ちも強い。それで、どの治療に関しても、意味があるというコンセンサスばかりになる。その点、建築談合と大差はないんだよ。だけど医学の衣をかぶっているから、一般人は科学的な議論かと勘違いする。

 専門家って、カラスをサギとまでは言わないけれど、灰色のハトを白バトだ、平和のシンボルだ、的なことは平気で言うものなんだ。だから医者から、これがコンセンサスだと言われたら、眉に唾したほうがいい。言い換えれば、解釈が必要なデータを根拠とした治療は、患者にとっては実は意味がなくて有害である推定が働くと思っていたほうが安全だろう。繰り返しになるかもしれないけど、患者にとって本当に意味がある治療は、データを解釈するまでもなく分かるものです。

渡辺:くじ引き試験の結果はまちまちで矛盾があり、それをどう解釈するかという問題があり、さらに専門家が治療することを前提にコンセンサスを出している。つまり根拠そのものもあやふやだし、医者も人間である以上、判断にはバイアスがかかってしまうのですね。患者も医療に期待していますし、治療しないということに普通は耐えられない。だから「根拠にもとづく医療」とか「世界標準治療」と聞くと、科学的に正しい治療なんだと信じてしまいます。でも本当は怪しいものなんですね。

 先生は術後補助療法のホルモン剤も「自分で決めて」とおっしゃいますが、言いかえれば、本当に意味がある治療なら、文句なしに勧められるけど、どちらを選んでも大差ないから、そう言えるわけですよね。

近藤:まあ、そういうことだ。

質問5:乳がんの腋の下のリンパ節転移は遠隔転移には含まれないが、他のがんのリンパ節転移は?

近藤:遠隔転移には含まれない。乳がんも他のがんも基本的には同じ。リンパ節転移があっても生存率がゼロになるということはない。他のがんでもリンパ節だけに転移がとどまっていることはあるけれども、一般的にどういうがんでも、リンパ節転移が1個でもあれば生存率はある程度落ちる。

 それから遠くのリンパ節に飛んだ場合は、これはほぼ遠隔転移とイコールで、これも変わらない。だから女性で言えば子宮がんで骨盤の中にリンパ節転移がある場合は、遠隔転移とイコールとは考えないけども、鎖骨上窩に出てきた時は、遠隔転移と考える。

渡辺:胃がんとかの場合もリンパ節転移にとどまるものもある? それは先生の考えでは「がんもどき」に入る?

近藤:リンパ節にとどまって遠隔転移がないものは「がんもどき」と考えるんだよ。でも、リンパ節にとどまっているかどうかは数年経ってみないとわからない。

 胃がんに関しては、手術範囲を変えたくじ引き試験がいくつかあって、乳がんと全く同じ結果が出ている。胃袋を取ると一定程度リンパ節が取れちゃうが、それ以上にもっと広くリンパ節を取るか取らないかで生存率に差が出るかどうか、そういうスタディを組んで、オランダ、イギリス、日本でやったんだけど、全く変わらなかった。

近藤:2、3こっちから話してあげよう。データがないのに、いろんな観念が広まっている。最近のことで言えば、日本人で若年性乳がんが増えているというのは、これは全くと言っていいほど、増えていないだろう。『余命1ヶ月の花嫁』などの見すぎなんじゃないかと思う。

 まずあまりに少なすぎてデータにならないということもあって、はっきりしたデータがない。ぼくが今まで数千人診てきた中で、24歳以下は3人ほど。それから日本の一番確実な統計だと思われるのは、亡くなった人の統計だけど、人口動態統計というのが毎年厚生労働省から発表されている。それで見ても24歳以下の乳がん死亡は毎年ゼロか、10万人あたり0.1とかいうレベルでずっと推移していて変わらない。それから30歳とか35歳以下も増えていない。

 もう一つは、もっと根本的な話になるけど、医療と宗教とは、類似点が非常に多い。たとえば、現在の我々の感覚からいうと、信じている人は別として、神や仏の話っていうのは根拠がないというふうに考えてしまうだろう。

 しかし、中世の時代はどうだったか。その時代には、実世界と別に宗教世界があるわけではなくて、現実世界そのものが宗教の世界ではなかったか。だからみんな神様を信じてるというより、それは実在。天国も地獄も実在。彼らにとってはね。太陽は地球の周りを回ってる。これが事実、ファクトと考えられていたのね。それ以外の可能性は、彼らには考えられなかっただろう。

 でも、今の我々から見ると、太陽が地球の周りを回ってるって、それは嘘だということになる。その時代に、例えばコペルニクスやガリレオが何を考えたかというと、彼らは事物を観察して、データとロジックから、これはどうも違うと言っただけなのでは。その時彼らには、神やキリスト教を否定する気は全然なかったんじゃないかと思う。ところが、その時のキリスト教教会にとっては、自分たちが否定されたように感じた。

 ぼくががん検診に意味がないということもそれに似てるんだよ。みんなにとっては、検診が人の命を救うというのは、これはもう信念というより、事実と思っているかも知れないね。ぼくは単に、そういうデータはありませんよ、と指摘しただけなの。だけど、医療の宗教性に気がついている人は、近藤が言っていることは近藤教だと。

渡辺:そうそう。私も新興宗教だと言われたんです。

近藤:ぼくは多くの専門家からもそう言われたもの。だからそういう人たちは医療の持つ宗教性に気がついているんだ、実は。そういうことだとぼくは思うよ。ただ、論理構造としては、現行の医療体制の方が宗教的なんだね。ぼくは単にデータとロジックを示したにすぎないから。

渡辺:よくわかります。でも質問をしてきた人のように、そのデータとロジックを認めない人というのは、たぶん、この話を聞いてもそれでもやはり、検診を受けて早期発見・早期治療すれば治るがんもあるんだと信じることをやめないと思います。

 それはなぜか、よくよく考えてみたのですが、検診に意味はないと言われると、助かる可能性をひとつ否定されたような気がするのではないでしょうか。先生が「臓器転移した乳がんは治らない」と言ったために、先生のことを人非人のように言う人が多かったけれど、それも同じで、現代社会では「死」がタブーになっていると言ってもいいと思います。人間は誰もが必ず死ぬものなのに、死を触れたくないものとして死の話題を遠ざけています。すみません。この話は長くなるので、別のところでまたさせてください。

 ところで、医師不足は本当なんですか?

近藤:医師不足は、大部分分布の問題だろう。たとえば、人口100万位のある市に、心臓外科を持つ病院が5つ6つあったりする。こんなに必要ない。一つの病院でいい。そうすれば心臓外科医が余るから他の診療科に回ればいい。この問題は大きい。あと、開業医が多すぎる。

渡辺:じゃあ産婦人科とか小児科が少ないっていうのは他からまわってもらえばいいってこと?

近藤:欧米、先進国ではたいてい各分野の専門家になれる人数を制限してる。大学を卒業して、そのうち何人が眼科に行くとか、何科に行くとか。日本にはそれが一切ないからね。その問題を解決しないで医者の数を増やしたところで、結局今まで過剰なところがもっと過剰になるだけ。

渡辺:医者の過労死も問題になっているし、この間看護師さんも25歳くらいで亡くなったけど?

近藤:それは今言った問題の裏返しで、少ないところは少ない。そういう所は不足しているのは明らかだけど、だからといって医者の総数を増やしたところで、そういう所はなかなか増えないということ。

渡辺:偏りがあるってことですね。新型インフルエンザはどうですか?

近藤:この騒ぎはナンセンス。普通のインフルエンザというより、もっと弱毒性かもしれないんだよ。弱毒性のものほど気づかれにくいから、いずれ全員がひくようになる。アメリカでは、新型インフルエンザと診断された数の百倍前後の患者がいると推計していた。繰り返すけど、いずれ全員がひくわけだから、対策なんてとりようがない。これまでの大騒ぎは結局、対策やってるぞって言いたいWHOと日本の厚労省の役人たちとそれに乗じて儲けたいメーカーと、それからなにか責任取らされるんじゃないかと恐れている医者たちの、科学的でない思惑が一致した結果なんだよ。

 新型インフルエンザのワクチンも不要。今回の流行では、年齢の上の人がほとんど感染しないのは、昔似たような型のインフルエンザに罹っていて、そのときできた免疫が今も有効だからと考えられている。90年前に感染した人も免疫が残っているという。このように、自然に感染したインフルエンザに対する免疫は半永久的。これに対し、ワクチンで作られた免疫は1年限りだから毎年打っているわけだ。だから未感染の人は、元気なうちに感染者を探し出してウイルスをもらうというのも、一つの選択肢になると考えている。また通常行われている毎年冬のワクチン接種も、同じ理由で無意味だし、有害です。
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by lumokurago | 2009-07-30 14:11 | がんと闘わない生き方

股関節がすり減っていました

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 整形外科の外来があった懐しい女子医大1号館に行ってみたら、外来はすべて新しい「外来総合センター」に統合されていました。(1号館は保存してほしいです)。

 着いたのが10時過ぎだったのに、11時半には診察を終わりました。今日は特別すいていたのでしょうか?

 レントゲンの結果、手術した股関節がすり減っているということでした。私が「手術から50年位経ったら人工股関節にすると言われた」と言ったら、若い医師は「股関節の手術はぎりぎりまでやらないので、今はリハビリです」と言って、リハビリのやり方を教えてくれました。それから、がんの転移の可能性も否定はできないから、造影剤を入れてMRIをやるようにと言いました。私が断ったら、「でも、早めにやった方がいいですよ」と言うので、近藤先生の名前を出してみたら、知らないとのことでした。うーん、医師にこそ勉強してほしいですね。(友人がラジオで聞いた話では、病院勤務医は忙しくて勉強する暇などないそうです)。

 というわけで、冬からの腰痛は股関節をかばっていたせいだと思いますが、骨転移の可能性が完全に消えたというわけではありません。今度骨の検査をしてもらうことにします。

 女子医大で股関節を手術していただいて、30年間、元気に歩き、山登りもスキーもしてこれたので、本当に感謝です。いよいよ本格的に海に転向します。 
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by lumokurago | 2009-07-30 14:03 | 転移がんの治療(無治療)

女子医大に行ってきます

 ご心配をおかけしています。

 股関節の痛みは手術する前(30年前)の痛みに似ているような気がするので、とうとう、手術した女子医大に17年ぶりに行ってきます。執刀医は亡くなっているし、あの頃の医者は誰もいないかも・・・。長時間待たされると思うので、夜スペ裁判被告の準備書面を持って行ってじっくり読みこむつもり。明日会議です。
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by lumokurago | 2009-07-30 08:16 | 転移がんの治療(無治療)

すぎなみオンブズ ありがとうございました

 昨日、すぎなみオンブズの2回目の報告会がありました。先日、東京新聞小川慎一さんの記事でご紹介しましたが、区議会議員48人の政務調査費の領収書を1枚1枚調べるという大変な作業の末、監査委員からまだまだ不十分ですが「一部返還せよ」という命令を引き出したのです。本当に大変な仕事をされたオンブズのみなさんに感謝です。

 残念ながら人間というものはオカネが大好き。議員は税金と知りながら、手を替え、品を替え、自分の懐に入れようとします。去年指摘された品目がだめになれば、別の品目を考えます。本当に姑息でいやらしい。こんなにひどいということはオンブズの働きがあって、初めて明るみに出たのです。

 残念ながら、監視していない限り「悪」はなくなりません。そのままにしておけば、腐っていく一方なのです。この数年でつくづくわかりました。

 みなさん、議員が何かいいことをやっているように思ったら、大間違いです。議会では居眠りをし、議案に賛成して立ち上がるだけ、税金にたかる金の亡者がほとんどなのです。(中には真面目にやっている人もごく少数います。でも全員に認められない政務調査費の使途があります)。

 プロテアさんが詳しく報告して下さっています。
すご~い!すぎなみオンブズの実力
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by lumokurago | 2009-07-29 00:31 | 杉並区

くいしんぼのマロンとあまえんぼのミャーちゃん

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 マロンがニャーニャー鳴くのは「おなかすいた」「ご飯、ご飯」の時だけ。単純なマロン。
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 ミャーちゃんが「ア」「ア」と鳴くのは、「なでてくれ」の時だけ。特に「ベランダや道路に出たいよ。そこでにゃんころがりしたいよ。なでてよ」と言います。こちらもわかりやすい。

 マロンはおなかがいっぱいになれば、満足して毛づくろいを始めます。ミャーちゃんはなかなか満足せず、いつまでも「なでて」「なでて」と言うのが通常。

 2匹とも、いまだに私の後をついてきて、台所に行けば、例の棚の上。パソコンに向かえば、スキャナーの上とベッドの上に陣取っています。
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by lumokurago | 2009-07-28 22:59 | ねこと鳥 (cats&birds)

こんな教科書選んでいいの? ―「つくる会」は独占禁止法違反

 高嶋伸欣さんらの公取への告発をようやく記事にしました。

こんな教科書選んでいいの? ―「つくる会」は独占禁止法違反

こんな教科書選んでいいの? ―「つくる会」は独占禁止法違反
高嶋琉球大学名誉教授ら、「他社教科書を誹謗・中傷」と公取委に申告


渡辺容子2009/07/27

 「新しい歴史教科書をつくる会」(「つくる会」)が他社の教科書の誹謗・中傷を行ったことは独占禁止法に違反するとし、琉球大学名誉教授の高嶋伸欣さんと関西大学の上杉聰さんが7月10日、公正取引委員会に申告しました。2人は同時に文科省に対し、違法行為を許さず、公正な措置を取るよう要請しました。また、高嶋さんは7月14日に杉並区役所を訪れ、区教育委員会庶務課長らに申し入れを行いました。

「つくる会」と扶桑社、自由社は共同事業者である

 高嶋さんらは2001年、2005年に計7回にわたり、「つくる会」が他社の教科書を誹謗・中傷したことが独禁法違反に当たるとし、公取に申告しました。それに対して公取は、発行者である扶桑社ではなく、「つくる会」が主体のものは規制できないとし、独禁法に違反する行為とは認められず、措置は採らないと回答しました。

 当時、「つくる会」は「我々は新しい教科書の発行・出版の発案者であり、その後応援団的組織として活動しているにすぎない」とし、公取もその主張を認めたわけですが、今回「つくる会」自身が全く逆のことを言っていることがわかりました。

 「つくる会」が扶桑社版教科書の出版差し止めを訴えて著作権をめぐって扶桑社と争っている裁判(東京地裁平成20年(ワ)第16289号 書籍出版等差止請求事件)の準備書面(2)で、「つくる会」は自ら、「本件書籍(扶桑社版歴史教科書のこと)の発行は原告らつくる会主導で行われたのであり、つくる会の主導性は教科書採択にまで及んでいたのである」「教科書の執筆・編集については、このように原告らつくる会理事会が最終的に決定権と責任を持っていたのである」と書いています。つまり「つくる会」は『新しい歴史教科書』の扶桑社発行01年初版、05年改訂版当時から事業者そのものまたは共同事業者であったことを認めたのです。

 高嶋さんは「つくる会」が組織的に「二枚舌」を用い、ウソをつき続けていたという点で反道義的、反社会的団体であることが明確になった以上は、関係者はその責任を追及すべきで、見て見ぬふりは許されないと批判しました。

杉並区教育委員会は「つくる会」の違法行為を受け入れなかったか

 上記の通り、「つくる会」は出版社との共同事業者であることが判明したので、独禁法一般指定や文科省初等中等局長通知などで例示されている「他社の教科書の中傷・誹謗」に該当する行為はしてはならないことになります。

 ところが、「つくる会」は今回の採択に当たっても、会報『史』74号(09年5月)で他社教科書の内容を中傷・誹謗する特集記事を掲載しました。さらに、「つくる会」事務局長名による会員向けの要請文を会報に同封し、公立中学校の採択関係者、市長村長、議会議員や私立学校の校長・担当教員と面会してこの会報を手渡し、配布するなどで採択の働きかけをするように具体的に求めています。

 「つくる会」が自由社版の採択において、違法行為をしているのは明らかです。

 次に、扶桑社版についても、現行版が検定合格となり採択が実施された05年に、「つくる会」は会報『史』で同様に他社本を中傷・誹謗していただけでなく、別冊パンフ『大人が知らないこどもの教科書・その1・中学歴史編』『同・その2・中学公民編』(各B5判36ページ)を大量に作成し、同じように採択関係者に配りました。

 採択関係者は「つくる会」がこのような違法行為を行ったことに対して責任を持って対応すべきです。特に05年に扶桑社版を採択した杉並区は、こうした「つくる会」による働きかけを受け、同会幹部や会員の面会申し入れや違反資料類の手渡し、配布に応じていなかったか、点検することが必要です。

 国が購入する教科書を決める教科書採択は公共入札の一種です。このような違反行為を行った業者は、本来、入札から排除されなければならないのです。

出版差し止め訴訟で扶桑社版が発行停止になったら?

 今年度の教科書採択にあたり、「つくる会」は自由社から扶桑社版とほぼ同じ内容の教科書を検定申請し、文科省はそれを合格させました。その結果、代表執筆者が同じで内容もほぼ同じ2冊の教科書が採択の対象になるという異常事態が発生しました。2冊のうち、扶桑社版は出版差し止め訴訟の判決如何によっては発行停止になる事態が予想されます。

 筆者らは、3月26日、著作権で争っており、安定供給できない恐れがある扶桑社と自由社の教科書を教科書目録に登載しないよう文科省に要請しました。文科省担当者は、判決によって発行停止となれば採択替えになるが、採択は教育委員会の権限であり、教育委員会でやっていただくと答えました。

 つまり、文科省は扶桑社版を採択し、生徒が実際に使用中であっても、発行停止となれば採択替えとなり、別の教科書を使うことになると認識しているのです。そうなった場合、生徒も教師も混乱するのは必至だし、中学校教科書は無償制の対象なので、国庫から二重の支出となり、「関係者の責任が問われることになる」と高嶋さんは指摘しました。

 何の問題もない他社の教科書は7社もあります。二枚舌を使って違法行為をくり返し、内紛をくり返すだけでは飽き足らず裁判で著作権を争っているような「つくる会」の教科書を、杉並区教育委員会はわざわざ子どもの教科書として採択するようなことがあるのでしょうか。仮にそのようなことになれば、なぜそのような教科書を採択したのか、説明責任が厳しく問われることになるでしょう。
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by lumokurago | 2009-07-27 23:44 | 杉並区

民主党に思うことと半藤さん

 7月28日で6さいのビーグルさんが、民主党が海賊対策で自衛隊派遣を継続するとしたことについて、次のように書いておられます。

*****

 誰のための「国際貢献」なのでしょう。ソマリアの漁民や日本の一般庶民のためではありません。多国籍企業と、軍需産業、それらにリベートをもらう政治家のためでしょう。ほんとうに嫌な時代になりました。

*****

 ビーグルさんは「国会議員の皆さんには平和憲法を守る義務があるはずです」と民主党にメールを出したそうです。詳しくはこちらをご覧ください。
海賊対策で自衛隊派遣明記-民主政策集

 それから、残念ながら私も次の記事に同意です。国民一人一人が自分の頭で物事を考えない日本で、まともな政治が行われるわけがありません。議員も官僚もものすごく悪く、ろくな人間はいないと思うけれど、それもすべて国民の責任です。
民主党の右傾化と政界再編を予言する

 半藤一利さんが次のように語っています。(毎日新聞2009.7.17夕刊)

 「昭和史は日本人が選択を誤り続けた挙句に世界中に戦争を仕掛け、明治の人がつくった国を滅ぼした失敗の記録です」とし、ミッドウェー海戦でも空中楼閣のような結論を出して惨敗、終戦直前にはソ連の満州侵攻にも無警戒だったと指摘。

*****ここから引用

 「今、起きたら困る」問題に限って、「起きないんじゃないか」と思い、さらには「絶対起きない」と都合のいいように解釈を変えていく。リアリスティックにものを見たがらない傾向は多くの日本人にあるように思います。

 戦前の日本人が「八紘一宇」「無敵皇軍」などのスローガンを書き立てると集団催眠にかかってしまった。同じ方向に一目散に走り出すような熱狂が、国を戦争へと引きずった。日本人は戦後20年くらいは少しは学んで、冷静に考える人が増えたんじゃないかと思っていました。ところが、15年前の松本サリン事件で、これは同じだと。警察もメディアも国民も河野義行さんを犯人扱いした。そして郵政選挙です。多くが小泉さん(純一郎元首相)のプロパガンダに催眠術にかかったようになった。自分の頭で郵政民営化が本当に大事と考えているのかと聞きたくなりました。・・・中略・・・

 戦後日本をどうするかとなって、機軸に置いたのが平和です。戦争を体験した日本人は平和憲法が大好きでした。占領が終わり、鳩山一郎氏や岸信介氏は憲法改正を狙ったが、国民は受け付けなかった。軽武装・通商国家で繁栄を目指したんです。だが、今は繁栄という言葉に昔ほど心が動かない。平和という機軸自体も、軍隊のある「普通の国」になって国際貢献すべきだと言う声が起きて、引っこ抜かれようとしている。

 戦前と似ているんですよ。当時、幻想じみた目標を立てたのは、軍部で日露戦争で苦労した人が死んで、栄光だけを覚えている人が中堅以上になったためです。今も戦争体験のない世代が上にあがってきましたから。でもね、外国から「お前たちの国は何だ、ばかじゃないか」と言われても、平和であり続けたことはやはり、私たちの心棒だったんです。「おれたちの国は60年以上も戦争で人を殺したことがないんだ」と胸を張っていいんですよ。核兵器を持つ国が増え、地球が危なくなっているからこそ、日本は先頭に立って平和を訴えるべきです。

*****ここまで引用。

 そうだそうだと思いながら読みました。
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by lumokurago | 2009-07-26 21:34 | 平和

父島の皆既日食

 父島のガイドよっしーが父島の皆既日食をブログに載せています。漁船で海に出たそうです。うらやましー! よっしーは、2002年、私が母島に2か月ほど滞在した時の、ユースのヘルパーでした。その時、一緒だった若者たちと皆既日食の時には母島で再会しようねと言っていたのですが・・・。そんなに休み取れないよね。

http://blog.livedoor.jp/tabinchu551/archives/52294927.html

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by lumokurago | 2009-07-25 23:03 | 自然 (nature)

トムラウシ(大雪山系)

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白雲岳避難小屋付近のリュウキンカ
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白雲岳(1973年にはこの辺にすばらしいお花畑があったのですが、1984年にはなくなっていました)。
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神遊びの庭
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トムラウシ南沼の夕景
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トムラウシ山頂からの眺め

 中高年ツアー登山で大勢の遭難事故があった北海道大雪山系トムラウシ山には2度登ったことがあります。1回目は19歳の時で女3人で30キロのザックを背負い、富良野岳から旭岳まで80kmを1週間で縦走しました。同じ時期に同じ山に入っていたのは私たちともう1つのパーティー(こちらも女子パーティ)のみでした。

 あの頃は学校のワンゲル部などで基礎的な訓練を受けたパーティしか行かなかったのです。行く人が少ないので、道も整備されておらず、ひどい所ではやぶこぎの連続でした。でもお花畑はすばらしかったです。今ではもうあんなお花畑は残っていないと思います。

 (私は高校のワンゲル部でした。その頃はまだ股関節はなんともありませんでした。生まれつきの形成不全なのですが、まだ症状が出ていなかったのです。症状が出たのは25歳の時で、26歳で手術しました。手術後は山やスキーは止められていましたが、数年後からやっていました)。

 2回目は1984年。30歳の時です。事故のあったツアー登山と登山口は違いますが、ほぼ同じルートでした。妹と2人でテント持参でした。(写真はその時のものです)。
 
 今日、妹とあのツアーは無謀だよねと話しました。時代は全く違い、今では多くの人が行くようになったとはいえ、トムラウシは大雪山系では一番奥まった山です。今でもこの縦走路には避難小屋しかなく、小屋番がいません。小屋に泊まるとしても寝袋と食糧、調理器具は持参しなければなりません。悪天候ならすぐに下山できませんから、当然予備日が必要です。

 私たちはあのツアーが2泊で行ったコースを4泊で途中、寄り道しながら縦走しました。トムラウシから下山した日も下山した地点で泊まっており、登山前日は層雲峡で泊まっているので、全部で6泊です。

 あのツアーではヒサゴ沼避難小屋からトムラウシに登り、その日のうちに下山する計画でしたが、30歳だった私の足でもヒサゴ沼からトムラウシ山頂まで4時間半、トムラウシの下山に5時間かかっています。(私たちは途中、トムラウシ南沼で1泊し、19歳の時に行ってきれいだったお花畑に寄り道しました。そのお花畑もなくなっていました)。

 仮に悪天候でなかったとしても中高年の方々に1日9時間半の行程はきついと思います。私も足が悪くなかったとしても、この年で、またあの山に行けるとは思いません。

 山ではにわかじたてのパーティは最も危ないものとされています。ガイドつきのツアー登山も一人一人がきちんと訓練を受け、山について勉強していればいいと思いますが、たぶん地図も持参していないのではないでしょうか。
 
 山では一番足の弱い人をセカンドにおき、トップは常にその人の体力を見ながらペースを作っていきます。リーダーは最後で全体をみます。バラバラになるなどとんでもないことです。

 自然は時に恐ろしいものです。山に入るものはそれを忘れてはなりません。 
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by lumokurago | 2009-07-25 22:45 | 自然 (nature)