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戸塚洋二さんの本で唯一・・・

 共感できた箇所です。

*****以下引用。

 私は、皆さんに心配されて、「一日一日を充実してお過ごしください」と言われるのが、一番困るんですよ。そんなことできるわけない(笑)。言われると、何か新しいことをやらなきゃいけないと思ってしまう。でも、どうしようもないんですね。むしろ、「いままで通りでいってください」と言ってもらったほうが楽なんですけどねえ。

 死を前にした正岡子規が、こんなことを言っているんですよ。「(自分は悟りをこれまで誤解していたが)悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬることかと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」。

 とても有名な言葉のようですが、最近まで私は知りませんでした。平気な顔をして死ぬのもすごいことですが、「平気で生きている」ということもすごい。でも、結局それしかないのかなと思います。

*****ここまで引用。

 スーザン・ソンタグさんも血液のがんで亡くなりましたが、戸塚さんと似てて、1%でも治る可能性があるならと毒性の強い抗がん剤治療に猛進されました。70歳になられていました。一体なぜ? すばらしい知性の持ち主がなぜ? 科学万能を信じているのですね。それこそ信じられない! 人間は自然の一部なのです。人間は絶対に自然には勝てない。不老不死などということはあり得ない。だいたい不老不死を願うこと自体、自然の摂理に反している。人間は傲慢すぎる。
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by lumokurago | 2009-09-30 23:35 | きままながん患者

ノーマさんの記事(上)

ノーマ・フィールドさん講演「いま多喜二を語る意味―新たな戦争と貧困の時代に」(上) 

 暗川の読者の方はすでに読んで下さったかと思いますが、JANJANに掲載されました。ノーマさんにJANJANに載せる承諾をいただいていたので、やはり掲載してもらった方がよかったと思います。ノーマさんの写真もあります。

 昭和天皇の闘病中、本島等元長崎市長が「天皇に戦争責任はあると思います」と発言したことで、本島市長には日本全国から7300通の手紙が寄せられました。紆余曲折の末、径書房から「長崎市長への7300通の手紙」として出版しました。編集には径書房の読者おおぜいがボランティアとして関わり、私も仕事が終わってから毎日、当時水道橋にあった径の事務所まで通ったものです。

 そこにノーマさんがいらしていました。ノーマさんはこの本を元に本島さんに取材してまとめた文章を『天皇の逝く国で』に載せています。『天皇の逝く国で』にはその他、沖縄の国体で日の丸を焼いた知花昌一さん、自衛官合祀違憲訴訟を行った山口の中谷康子さんを取り上げ、天皇制を論じています。すばらしい本で、お勧めです。

*****

 8月8日、東京杉並区で開かれたノーマ・フィールドさん(日本生まれ、シカゴ大学教授:日本文学・日本文化専攻)の講演会でのお話をお伝えします。(上・中・下3回)講演の主催は第9条の会・日本ネットです。

 今日の演題は「いま多喜二を語る意味―新たな戦争と貧困の時代に」ですが、そこに到達するまでにいくつか考えてきたことがあります。タイトルにすると「今こそ主義―希望と怒り」です。主催者から出していただいた質問、なぜ今、小林多喜二を研究する気になったのか、戦争と貧困の時代、憲法9条に関する状況には、最後の方にできる限りお答えしたいと思います。その前に来る話も、私はすべて多喜二と関係があると思っています。多喜二の作品を読んだり、多喜二に関係してきた方たちと話し合うことによって自分が発見したことが至るところにあると思います。多喜二が最後だけに出てくるのではない、ということも念頭に置いていただければと思います。

「広島・長崎とその彼方に」―疎外された「怒り」

 私はシカゴ大学の学生に「広島・長崎とその彼方に」という授業をやっているのですが、「その彼方に」というのは被ばく者というのは世界各地にいるということで、もちろんアメリカにも核実験による被ばく者が多数いるということを強調したいのです。それ以後の劣化ウラン、原発からくる被害などを視野に入れて、「核の時代」というのは我々の時代なんだということを学生たちに意識してほしいのです。

 ある学生がシカゴ大学を卒業してから、マーシャル諸島に行って教員になりました。ご存じのとおりマーシャル諸島の中にビキニ島があります。1954年3月1日、ビキニ島で水爆実験が行われて第五福竜丸が死の灰をあび、杉並の主婦たちが立ち上がって原水爆禁止運動が起こったわけですけれども、3月1日というのはマーシャル諸島でも記念日なのです。

 それについてインターネットで調べていましたら、記念日の名称が変わっているのです。最初はnuclearvictims’ day、核被害者の日、それが次には survivors’ day、サバイバーの日。今はいとも簡単に記念日、 remembers’ day といって、被害者もサバイバーも核も省かれてしまって単なる記念日になっている。卒業生から聞いた話では、アメリカ大使が来てマーシャル諸島の人々の勇気と犠牲とを称える日になっていたのです。ひどい言葉を使っているのですが、彼ら彼女たちが自分たちの身を持って人類の自由のために貢献してきたというのが、マーシャル諸島の被ばく体験の記念の仕方なんです。

 年老いた被ばく者たちは日本とは比べ物にならない安い金額の保障しかなく、たいした医療も受けられずにいます。また、日本の占領期と似通ったところがあるのですが、若者たちがアメリカ文化の魅力に毒されていて、やはり植民地支配的な場所ですから、アメリカ人になれたらいいって、高校生が次々と論文に書いてくるんだそうです。つまり、白人、アメリカ人になりたい、格好いい人たちになりたい、お金のある人たちになりたい、自分たちは離れた島に暮らしていて何の未来もないと。そういった大変疎外された状況らしいです。

 まず一つは第五福竜丸の事件が契機になった杉並の原水禁運動の、その現地がどうなっているかということを意識していただきたい。1946年から58年の間に、67回原爆実験が行われています。もちろん被ばく者は多数いるし、認知されているかどうかも非常にあいまいであるし、ビキニ、ロンゲラップといった島々から避難しなければならなかった人たちは永久に自分たちの島に帰ることができない。生活も完全に破壊された。そしてとうとう記念日からも「核」という言葉がはぎとられ、自分たちの怒りから疎外されているわけです。特に、称えられるわけですから、記念日には。

 犠牲が称えられるというのは日本の構造と非常によく似ているのですが、それは自分たちのとりかえしのつかない損害、それに対して怒ることが疎外されている。マーシャル諸島の人たち全体が疎外されている、そのことを一つ念頭に置いておきたいと思います。

 つまり、運動、特に反戦平和の運動の中で「怒り」というのはどういう役割を果たすのか。怒りには危険なものがあるので、怒っていればいいということではないのですが、怒りの場というのがなくなって、意識されていないような気がします。それはあとで議論したいと思います。

続いている原爆の時代

 もう一つ、たまたまなのですが今朝こんなメールをいただきました。アメリカ人の40代の女性で、日本にも入ってきている有名なアニメ映画のサウンドをやっている人がいるんですが、彼女はここ数年来、自分のお母さん―アメリカの核実験にエンジニアとして参加された女性―についてのドキュメンタリー映画を作っています。

 そのお母さんは長年患っていらっしゃるのですが、自分が核実験に参加したから身体の具合が悪いんだということはずっと否定してきましたし、娘さんにも秘密にしてきたんですね。被ばく者と秘密というのはつきものですが、何十年も秘密にしてきたことが、あるきっかけがあって母と娘の対話が始まりました。

 私がマーシャル諸島のことも知っていると思うけどこういうことなんだよね、というメールを出したら、ビキニのことは自分のドキュメンタリーに盛り込むことにしているということで、被災地から誘導する役を果たしたエンジニアの長い取材をしていて、彼が膀胱がんになって、まだ映画は完成していないけれども、急いで送ったら彼は見ることなく先週亡くなってしまったそうです。

 つまりマーシャル諸島では原爆の時代がもろにまだ続いているのです。日本ではそういうことも考えられていないんじゃないかと思います。チェルノブイリとか劣化ウランに関しては日本の皆さんも活発で、たとえばドイツで劣化ウランに関する世界会議があると日本からの代表が最も数が多いそうで、日本の人たちが最も知識もあって活発に活動されているようですが、特に杉並区とマーシャル諸島との連帯も生まれたらいいなと思っています。

学生と核物理学者の母親の対話

 マーシャル諸島のことをお話しする契機になった卒業生ですが、その男性の学生さんについての話もしたいんです。彼は3歳の時に中国からアメリカに永住した人で、お母さんは核物理学の専門家でシカゴ大学の研究所にいます。これはシカゴにはないのですがマンハッタン計画の拠点です。

 この授業で私はいつも原爆に関して、アメリカの人たちは年齢を問わず全く無知に等しいので、知識を身に付けてほしいのと、もう一つは自分たちの問題としてできるだけ身近にするために誰か対話者を見つけるということを主眼としています。それは第二次大戦の時に生きていた人、原爆投下の記憶を持っている人でなくてもいい、時々そういうおばあちゃんなんかを探してくる人もいますが、誰でもいいから、日常の中で授業に出てくる問題を話してくれる人です。それをみんなに報告して最後にまとめるという宿題が中心なのですが、彼の場合、対話者にお母さんを選んだのです。なぜお母さんかというとお母さんだから話すのに便利だ、もう一つ毛沢東時代の中国で教育を受けた中国人がどういう意見を持っているかがおもしろいだろう、最後に科学の専門家だから確かな知識を得られるだろうという、3つのメリットがあるということで選んだのです。

 彼の報告はすごいものだったのです。お母さんの意見が変わった時とかためらいが感じられた時、必ずお母さんにつきつめてるんですね。なぜそう言うんだと。

 禎子さん(※)のお話ありますよね。千羽鶴の。あれ、確かアメリカの書き手が最初書いたんだと思うのですが、お母さんは中国で小学校4年生の時に禎子さんの話を読んで、ずっと心に残って、日本が鬼であっても原爆はひどすぎるという意見になる。しかし彼女はアメリカに移住して、アメリカ人からしてみれば原爆投下を正当化すべきである。だから正当なのかなと逆戻りしてみる。だけど冷戦時代の中国に育ったのでアメリカも敵であるということで、大変複雑な思いで息子さんと原爆投下について語ったことを息子さんが報告しています。
 ※禎子さん:広島平和記念公園「原爆の子の像」のモデル, 佐々木禎子- Wikipedia (編集部)

 次に劣化ウランについても、彼女は日常的に劣化ウランを扱っているわけなんですね。それに対しては基準などがあって絶対安全なんだと息子に主張している。でも息子は、お母さんは何回か腫瘍ができてるし、どうして無関係だと思うのか、いや絶対無関係だと。もし私の健康状態と実験とが関係あるとしたら、前に勤務していたところがアメリカの生物兵器を作っていたところだから、それが影響しているんじゃないかと、劣化ウランの関係ではないと主張していた。彼女は永住権を得てマイノリティの科学者として、研究所で一番高い地位を占めている方なので、絶対安全だと信じなければ仕事ができない立場に置かれているのです。それが息子さんとの会話を通して、だんだんお母さんも不安になってきたことが伝わってきた。

 広島市の職員でスティーブ・ディーパーさんという、秋葉市長の仕事に協力されている方がたまたま来たので、劣化ウランの危険性について授業で話していただいたんです。その後、学生はお母さんに、今度は本当に科学者から真実を聞きたいと言ったら、お母さんは劣化ウランを使用する場合に、人間に最大に効果を発揮するためにはイラクほどいい地域はないと言ったそうです。つまり風が強い、気温が高い。ですからイラク戦争で劣化ウランの被害は出ているはずだとお母さんが認めたことで、息子さんも聞きたくなかったことを聞いてしまったとなったわけです。

 このようにアメリカの中でもいろんな立場に置かれて、迷いを持ちながら原爆投下とそれ以後の核の時代を生きてる人たちがいるのですが、残念ながら昨日インターネットで読んだある統計では、今の世論調査でも、原爆投下は正しかったというのは61%なんですね。36%が反対で16%がわからないという意見です。マイノリティになると正しかったという人たちが圧倒的に少なくなる。特に黒人は少ない。ヒスパニック系は正しかったというのが44%で、年長者ほど正しかったという人たちは多いです。そういうのは何も変わってないのです。

 もう一つ私の念頭にあるのは、日本におけるオバマ大統領の発言の過剰評価というのは非常に心配なのです。もちろんあった方がいいです。全然否定するつもりはないんですけれど、一方ではマスコミのネタであり、原爆報道の問題であり、もう一方ではアメリカの核の傘への依存を裏返した形ではないのかという気がしないでもないので。オバマさんのプラハ発言をどうやって現実に近づけるか、今は全く現実に近いとは私は思っていません。どうやって近づけるかというのが課題ではないかと思います。

ストックホルム・アピール―朝鮮戦争が起こるからこそ原子兵器禁止を

 それから、杉並が原水禁運動の発祥地ということで、大きな忘れ去られていることがあるんですね。1950年からあった運動でストックホルム・アピールというのがあって、私も近年、それに関わった方に出会って知ったんです。
1950年、つまり、もう冷戦時代でありますし、朝鮮戦争が間近で、というか朝鮮戦争が間近だからこそ、賛同した人たちが多いんですが、ストックホルムで開かれた世界平和擁護者大会常任委員会の決議案で4点あるんです。1950年3月19日です。

1.私たちは人類に対する威嚇と大量殺りくの兵器である原子兵器の絶対禁止を要求します。
2.私たちはこの禁止を保障する厳重な国際管理の確立を要求します。
3.私たちはどんな国であっても、今後、最初に原子兵器を使用する政府は、人類に対して犯罪行為を犯すものであり、その政府は戦争犯罪人として取り扱います。
4.私たちは全世界のすべての良心ある人々に対し、このアピールに署名するよう訴えます。

 以上、4箇条は広島と長崎に原爆を投下し、第二次大戦後の冷戦と核兵器開発競争の主導権を握った米国外交と核による脅迫に対する批判を含むものだった。 ストックホルム・アピールの署名は、朝鮮戦争を背景に世界的に展開し、1953年までに署名数が5億人に達した。主要国では、米国300万、英国120万、仏1500万、伊1700万、東西ドイツ1900万、ソ連1億1551万、インド67万、中国2億2375万など。

 これ、インターネットがない時代ですよ。

 日本においてなぜストックホルム・アピールが語られないかというと、一つはGHQによるものですよね。広島、長崎においても非常に厳しい報道規制がありましたし、署名運動に関わることによってレッドパージされた人たちが数多くいたわけですが、なおかつ署名が645万を超えたんです。どうしてこのストックホルム・アピールが忘れられてしまったかというのが、私の今の謎なんですけど、ご存じの方がいらっしゃったら後で教えてほしいと思います。

 朝鮮戦争が起こるからこそ署名するんだという意識は、北朝鮮がミサイル実験をしたから核を持たなきゃならないという意識と、かなり違った論理なんですよね。どうやったら1950年の意識に戻れるのか、戻って進めるのかというのは課題ではないでしょうか。
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by lumokurago | 2009-09-30 20:35 | JANJAN記事

おかしすぎるぞ! 裁判所アクション 報告

 レイバーネットに写真や動画があります。興味のある方はどうぞ。今は上から3番目です。

 せっかくやったアクション、広く知らせようということで、やはりJANJANにも載せてもらいました

 それにノーマさんの講演録はここに載せておくだけではもったいないと思いなおし、昨日投稿しました。杉並在住のジャーナリスト三宅勝久さんの『自衛隊という密室』の書評も昨日投稿しました。三宅さんは杉並区役所の税金の無駄遣いに対して住民監査請求を次々に起こし、去る17日には住民訴訟を提訴しました。(これもJANJANに書ければよかったんだけど・・・。)

 あまりにひどい話に唖然!!!知らぬは国民(区民)ばかりなり。

 三宅さんのブログ記事はこちらです。
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by lumokurago | 2009-09-29 22:15 | その他裁判関係

大雪山高原沼の紅葉

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 昨日のつづきで、大雪山の麓にある高原沼の紅葉です。私たちは山からここに降りてきたのです。沼は大小40いくつあって、その中のいくつかをめぐることができます。この日は小雨が降っていました。当時は誰もいなかったけど、今ではすっかり観光地化していて、紅葉の時期は人がぞろぞろ歩いているそうです。
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by lumokurago | 2009-09-28 21:35 | 自然 (nature)

眠れない

 「がんは悪くない病気」とかなんとか言いながら、人間であることが生き物としての自然な死を遠ざけているようです。人間であること=なんにでも意味を見出そうとして考え続けること。昔、近藤先生が「人間は自己正当化したいもの。そうでないと生きられないから」とおっしゃっていました。まさにそれですな。

 また背骨が痛いので(+ぎっくり腰と同じ症状)、マヒが出る前に治療を申し出ようかと思っています。が、治療に時間を取られるよりも、少し我慢して来年はあるかどうかわからないこの紅葉の時期を楽しんだ方がいいかとも思うし。でも、痛みがあっては「ムリー」、気力をそがれるばかり、あせるばかりで何もできないと思ったり。

 今、この一瞬も自分自身を殺そうとして自分の一部であるがん細胞が増殖していると思うと不思議です。やはり私は自殺志向だったのかと思ったり(がんができた22歳の時から)、自殺は傲慢だよ、と思ったり・・・。

 この期に及んで、自分がいったい何をしたいのかがわからない。この期に及んでも何かをなさねばと思っているのも人間ならではのこと。

 この美しい地球に偶然生まれた小さなはかない生き物として自然に死んでいきたい。小さな生き物はただ、生まれてきて死ぬだけでいい。何かをなしたいと思うのは人間だけ。

 手塚治虫さんが「人間はもう滅びていい」とおっしゃっていました。
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by lumokurago | 2009-09-28 02:19 | きままながん患者

北海道大雪山忠別沼~白雲岳付近の紅葉

 1986年9月の連休の大雪山南部の紅葉です。写真のサイズが大きいので重いと思います。ごめんなさい。
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旭岳~白雲岳
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白雲岳
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 後ろは忠別沼
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 台風のものすごい風の中、忠別と白雲の避難小屋に3泊しましたが、毎晩妹と2人だけでした。山でも誰にも会いませんでした。雨も降ったのですが、風に雲が吹き飛ばされて虹も見えました。今では中高年登山ブームでツアー客があふれていることでしょう。夏に遭難があったトムラウシの近くです。
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by lumokurago | 2009-09-27 22:12 | 自然 (nature)

クマの悲劇

 先日、乗鞍でクマの悲劇がありました。人間を襲ったからと殺されてしまったのです。襲われた人は気の毒ですが、私は「なにもクマを殺さなくてもいいのに! 悪いのはもともと人間なのに!」と怒っていたところ、松田まゆみさんが記事を書いて下さいました。いつもながらの冷静で丁寧な文章です。私の雑で言いっぱなしで時に感情的な文章に比べ、なんと説得力があるのでしょうか。ぜひお読みください。

乗鞍スカイラインの自然破壊
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by lumokurago | 2009-09-27 17:50 | 自然 (nature)

川柳優秀作品発表

 メールで下の川柳に投票をいただきました。

「裁判官 読まない 聞かない 考えない」
「権力と 財界守る 最低裁」

 当日の優秀作品は以下の通りです。

第8位(7票)・昇進に 不当判決 比例する
        ・護憲より 護身昇進 虚栄心
        ・黒法衣 憲法葬る 喪服かよ

第7位(8票)・都教委の コピペで すます 判決文
        ・憲法を 本当に読んだの 裁判官

第6位(9票)・審理せず 訴訟費用を ぶったくり

第5位(10票)・良心を 捨ててから書く 判決文
         ・裁判員 次ぎにくるのは 総動員

第4位(11票)・裁判官 憲法よりも 空気読み
         
第3位(12票)・権力と 財界守る 最低裁
 
第2位(14票)・裁判官 読まない聞かない 考えない
 
第1位(17票)・裁判官 裁いてやるぞ いつの日か

 この第1位、人権を無視され、憲法をないがしろにされた原告らの恨みが非常によく出ています。私もこれに投票しました! あとの2票は「審理せず 訴訟費用を ぶったくり」(私たちの裁判そのもの)、「裁判官 憲法よりも 空気読み」に投票しました。

 それにしても憲法がこんなに身近に、大切になった今日この頃ですが、10年前(?)には空気(「空気読み」の「空気」とは違う意味です)のような存在だったと思います。

日本国憲法 第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

 私たちには努力が足りなかったことを痛切に反省します。
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by lumokurago | 2009-09-26 20:47 | その他裁判関係

おかしすぎるぞ!裁判所アクション

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 川柳にシール投票しました。
 1位はだんとつ・・・どれだと思いますか? 一人3票だったのですが、私が投票したものの一つが1位になりました。やっぱり!!!当ててみてください。

 裁判官の個人名(似顔絵付き)を出して糾弾したこのアクション、裁判官にとってはいやなものだったのでは?(希望的観測かな)。川柳と歌がすばらしく、ストレス発散しました。ストレス発散だけじゃ意味ないけど、とりあえず、原告らの健康のために必要なので・・・このひどすぎる状況!

 JANJANに記事を書けばいいんだけど、最近のJANJANにはしらけてるし・・・、気力がなくて・・・。

 ノーマさんの記事もここに載せているだけではもったいないから自民党の選挙広告も消えた今、掲載してもらえばいいんだけど、小林多喜二には違和感があるし。
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by lumokurago | 2009-09-25 21:58 | その他裁判関係

私より先に亡くなる人がいるなんて

 今日、高校の児童文化研究部の後輩(ゆきちゃん)から手紙が来て、親友(Yさん)が亡くなったというのです。今年の2月頃、私のがんを理由に同窓会をやろうと話していたのですが、ゆきちゃんがYさんに連絡しても返事がなく、その後、ゆきちゃんはご両親の入院などがあってばたばたしていて、4月になってYさんの実家に電話してみたら、2月9日に亡くなっていたことがわかったとのことです。1月末に受診したら肺がんで手のつけようがない状態で、入院する間もなく、あっという間に亡くなったとのこと。

 なんということでしょう!

 がんの私より先に死なないでよ。あなたの方が若いんだから。大事な人もたくさんいたのでしょうに・・・。まだまだこれからじゃないか。順番が違うよ。

 私は今の今まで、「みんな」が私より先に亡くなることがあるとは想像もしていませんでした。けれども客観的に見れば、それは当然あり得ることだったのです。

 話は変わりますが、近藤誠医師は「ぼくはいつ死んでもいいと思ってきたなあ」と言っています。そのことについて、昔、近藤先生に手紙を書きました。その中から少し引用します。

*****

 『ぼくがすすめるがん治療』は先生の一連の著作の中では新しいものです。この本を半分ほど読んで、先生が人間的にまた哲学的に深まっていらっしゃるなあとしみじみと感じました。対談集の中で先生の理論を“哲学”だと言った方がいらっしゃいましたが、私はそれを読む前からその人とは全く違う意味で、先生のことを哲学的で文学的な方だと感じていました。もちろん多くの人も、また先生ご自身も言っていらっしゃるように先生は第一に“科学的”なのでしょうが、私にとってはそれは大前提、それプラス“哲学的”“文学的”であることが先生の先生らしさだと考えます。

 (後記-この手紙を書きながらこの本を読み進んでいたところ、「現状維持の哲学」という言葉が出てきたので、思わず笑ってしまいました。先生ご自身も「哲学」だと自覚され、この言葉を使って提案されるまでになったのですね)

 “哲学”の中身は先生が“再発・転移”について書かれている部分で非常によくわかります。「再発・転移は原則として治らない。この事実をまっすぐに見つめなければならない」「がんも自分のからだの一部である。がんと闘う心と闘わなければ、おのれの人生をまっとうさせ、燃焼させる機会は得られないだろう」「そこで問われているのは結局、各人の価値観や人生観のようである。いつかは死を迎えるわたしたちみんなにとって、めいめいの価値観や人生観をつむいでいくことが今一番必要とされているはずである」

 これはまさに今の日本で最も欠けているものの一つである“死の教育”だと思います。

 私はがんと診断される前から、本気で「いつ死んでもいい」と思っていました。今でもその気持ちは変わりません。しかし、友だちにこの気持ちを話すと、全員から「とんでもない考えだ。もっと命を大切にしろ。親より先に死ぬなんて親不孝だ。考え直せ」等々総攻撃に遭います。 「いつ死んでもいい」と思うことは別に命を粗末にすることではないので、こんな風な対応が返ってくるのは私の言葉が足りないのかもしれません。

 先生も「いつ死んでもいいなあと思ってきた」とおっしゃっていますね(『「治らないがん」はどうしたらいいのか』P.270メディカルトリビューンブックス1999.11)。

 これを読んだ時「ああ、ここに私と同じように感じている人がいる」ととてもうれしかったです。ここで丸山雅一さんが言っている「死んでもいいやっていう諦めを、どこで自分に言い聞かせるか。ポジティブな意味でね。だからもう自殺してもいいやではなく、ちゃんと死を見つめて」という言葉はとてもよくわかります。ただ、丸山さんも「ポジティブ」と言っていますが、「死んでもいいや」っていうのは“諦め”とはちょっと違うように思うのです。うまく言葉にできませんが、“諦め”ではない。「いつ死んでもいい」、そう思った時、それからあとの人生を意志的に積極的に生きていくという決意ができるといったらいいのかなあ、そんな気が今はしています。

 私はがんと診断された時、「自分は昨日までの世界とは違う世界に生きている」「世の中の普通の人とは違う世界に生きている」と強く感じました。それは今まではいつか死ぬということを知識として知っており、私の場合は「いつ死んでもいい」とまで思っていたにも関わらず、死は日常的には思い出すこともない漠然とした遠いものだったということです。それががんになって“死”が目の前に現れ、「死を見通す世界」に住むようになりました。「死を見通す世界」に住むことは今まで漫然と生きていた時に比べ、数倍密度が濃いように思います。きっと先生はがんにかかっていないけれど、今までの患者さんたちとの関係によって、「死を見通す世界」に住んでいらっしゃるのではないでしょうか? (後略)

*****ここまで2000.8.23付 近藤誠医師への手紙より

 前にも書きましたが、近藤先生は返事が必要な手紙に、受け取ったその日に返事を書いていらっしゃいます。あっという間に返事が来るのです。しかも土日をはさむような場合は速達になっています。それは昔も今も変わりません。きっと、長い間多くのがんの患者さんとつきあってきて、今日という1日がかけがえがないこと、明日はどうなるか全くわからないという感覚が染みついているのでしょう。

 【追記】 後日(2010年)、このことを質問したら、「時間取られるから早く片づけるだけだよ」とおっしゃっていました。じゃあ、なんで速達にするのかな。  2011.11.22記

 とても真似はできないけれど、今度のことでますますこの一時、一時を大切に過ごしたいものだと思いました。

追伸:これも何かのご縁なのですが、近藤先生はゆきちゃんの従兄なのです。(コネは一切使っていません・・・笑)。
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by lumokurago | 2009-09-24 21:31 | Dr.K関連記事