暗川  


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理解不能な科学信奉

  次期ノーベル賞候補と言われていた戸塚洋二さんの「がんと闘った科学者の記録」(立花隆編)、ディヴィッド-リーフ著「死の海を泳いでースーザン-ソンタグ最期の日々」について、同じ科学者或は思想家でありながら、近藤誠さんや網野皓之さん、最首悟さん、石川憲彦さんと比べ、なぜここまで科学信奉と反科学に考え方が分かれるのか、よく考えてみたいと思っていました。

  戸塚洋二さんは転移性大腸がんでしたが、あらゆる抗がん剤を次々に試し、科学者らしくデータをとって、がんの大きさや腫瘍マーカーの値の変化をグラフに表しています。抗がん剤を試すことは彼にとって当然の前提であり、そのことに一瞬の疑いも持ちません。抗がん剤はがんに効くと信じきっており、転移がんも早期発見して抗がん剤治療をすべきという科学信奉の最たるものです。

  それに対して世界中の何千という医学論文を読んできた近藤先生は、白血病、悪性リンパ腫など一部のがんを除き、固形がんには抗がん剤は効かないという結論に達し、がんは早期に発見しても意味がないので無駄であるばかりか、身体への侵襲のひどい治療を避けるためには無症状のうちには発見しない方がよいと主張しています。術後補助療法の抗がん剤やホルモン治療も寿命を縮めるだけであり、また、転移を早期に発見しても意味がないとしています。がんは転移したら治らないので、症状が出てからの対処で十分という考え方なのです(一部のがんを除き抗がん剤は効かない)。

  少し前にNHKで立花隆さんが取材して、がんについて特別番組を放映していました。ご覧になった方も多いと思います。その中で立花さんはアメリカの最新の研究なども取材しながら、がんは将来的にも治るようにはならないだろう、抗がん剤に効き目はない、自分は(たしか)膀胱がんだが、今後転移しても抗がん剤治療は行なわないと結論づけていました。近藤先生の考え方と同じです。

  立花さんは戸塚洋二さんの本の編集者であり、生前、メールをやりとりし、死の直前にはインタビューも行なっていますが、戸塚さんの抗がん剤治療一辺倒に対して、何も意見を述べていません。立花さんが急にNHK番組のような考え方に変わったとも思いにくいので、なぜ戸塚さんに抗がん剤への疑問をひと言も述べなかったのかには非常に疑問があります。もちろん死の直前には言いにくいでしょうが、戸塚さんと立花さんとは以前からの知り合いであったようです。相手が次期ノーベル賞候補の科学者であったので言いにくかったということなのでしょうか?  それにしては誰もが見るNHK番組で抗がん剤治療を否定しています。戸塚さんがあまりにも科学信奉なので言い出せなかったのかもしれませんが、この本では抗がん剤治療について何も言及しておらず、NHK番組で急に否定にまわったので、驚きました。

  (立花さんは神戸の酒鬼薔薇事件ー冤罪ですーでも大きな過ちをしています。検察庁の検事調書をA少年が犯人であるという前提で週刊新潮に公表し、国民全体にA少年が犯人であると印象づけたからです。しかしこの検事調書は非常に問題のあるものでした。この事件が冤罪であることについては松川事件の弁護士であった後藤昌二郎弁護士の著書はじめ何冊もの本が出版されています。いずれ余裕があれば紹介します)。

  ところで、スーザン-ソンタグさんも1%に賭けて(本当は1%もなかったのではないか?)骨髄移植を行ないます。彼女は今後の医学の進歩によって不老不死も夢ではないとまで息子と語っています。彼女は「私は生活の質などに興味はない。自分の命を救うために、あるいは長引かせるために、打てる手はすべて打ってもらいたいーーそれがどんな大博打であっても」というほど、「生」に執着を持っているのですが、私にはまずその気持ちが全く理解できませんでした。彼女がなくなったのは71歳です。30歳や40歳ならともかく(それでも違う考えの人もいることでしょう)、70年も生きてきて、なぜそんなに執着するのか?  

  だいたい人間がみんな不老不死になったら、地球上は人間であふれてしまいます。そうなればますます地球環境は汚染され、破壊され、動物たちは絶滅していくことになります。なぜ人間だけにそんな暴挙が許されるのでしょうか?  人間は自然の一部なのであること、死ぬのが自然なのだということがなぜわからないのでしょうか。

   おそらくこのあたりが科学信奉者と反科学論者の分かれ道なのではないでしょうか。近藤先生も何かの本で地球環境が破壊されていく一方なのに経済成長を止めようとしないことについて否定的意見を述べていました。戸塚洋二さんは科学の進歩によって原子力発電所の事故も防げる、これからは原発を増やしていくべきだと述べていました。しかし、うっかりミスをしない人間はいません。人間が操作している限り、原発の事故はゼロになることはありません。将来、決してミスを犯さないコンピュータが人間なしで原発を操作するようになるのでしょうか?  そのコンピュータは永遠に壊れないのでしょうか?  定期点検をするのも決してミスをしないコンピュータとなるのでしょうか?  そうなった時、人間は何をするのでしょう?

  それとも小さな事故が起こり、数人が犠牲になるのは国民全体のためには仕方がないという考えなのでしょうか?  近藤先生は治らないがん患者を使って抗がん剤の毒性を試す治験の非人間性から、治験はいらない、彼らを犠牲にしてまで抗がん剤を開発する必要はないと言っています。

  というわけで、科学信奉者と反科学論者とはたった1人の人間や動物を大切に思うかどうかの違いではないかとの結論に達しました。水俣病に長年関わってきた最首悟さんが反科学論者であることも納得がいきます。科学の発展で公害はなくせると考えるのか、しかし、その過程で犠牲者が1人でも出るならば、発展はいらないと考えるのか。私は科学がいくら発展しても自然に勝つことはないと思います。科学の発展が人間らしい生活を破壊してきたと感じています。昔に戻ることはできませんが、だから、あまり長生きしたいとは思いません。

  
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by lumokurago | 2010-02-28 20:28 | がんと闘わない生き方

ルール違反

  長らく「ホンマタイムス」をリンク欄に入れてきましたが、はずさせていただくことにしました。 そっとはずすだけにしようか、それともはっきり理由を言うことにしようか迷ったのですが、私の性格上、理由を述べることにしました。

  以前、「電撃」と名乗る人がホンマタイムスコメント欄で、私と何の関係もないちらしを私が作ったものとして批判していました。それに対して本間さんや他の人びとも私が作ったものかどうか確かめもせず、それに同調し、私についてうわさ話のようにいろいろおしゃべりしていました。私にとっては、裏で陰口をたたいているに等しいそれらは読むに耐えないものでした。彼らは私がそれを読むことを予想していなかったのでしょうか?  読んだ時の私の気持ちを考えなかったのでしょうか?  とても不思議です。 

  まじめに批判する気持ちがあるなら、批判というものは本人に直接言うべきものだと思います。裏で陰口のようにうわさ話をするほど卑怯かつ非生産的なことはありません。しかもインタネットのコメント欄は世界中に開かれたものなのです。井戸端会議でうわさ話するのとは違います(それも私は嫌いですが)。

  その後、このブログに嫌がらせコメントが多くなった時も、彼らはホンマタイムスで「電撃」とやりとりし、このブログについてうわさ話をしていました。彼らに悪気はなく、むしろ私を心配してくれているのだということは重々わかっていますが、本人としてはとても嫌な気持ちになりました。しかし、このことについて、そのコメント欄でやりあってもわかりあえるとは思えませんでした。簡単にわかり合えるなら、もともとそんなことはしないからです。そこで私は次のコメントをし、ルール違反であることを指摘しました。

*****

  以前もあることないことうわさしてましたが、本人のいないところで勝手なことをいうのはルール違反で卑怯です。以前は事実誤認もありました。コメントではらちがあかないから黙っていましたが。言いたいことは直接本人に言ってください。みなさんを見損なっていましたし、もう(ブログに)こないでほしいくらいです。今十分な返信もできませんのでお断りしておきます。特に本間さんは私のことをまだ何も知らないのだと伝えておきます。(入院中の病院より)

*****

  しかしその後の本間さんのコメントを読むと、私の言っている意味がわかっていないようです。「みなさんを見損なっていた」というのは、批判があるなら直接言ってくれる人たちで、陰でうわさ話をするような人ではないと思っていたという意味です。また、「電撃」と裏でなあなあのやりとりをするような人だとは思っていませんでした。もちろん彼らが誰とつきあおうが彼らの自由で、私の口だしすべきことではありません。しかし「電撃」は私のブログにさんざん嫌がらせコメントをしたのですから、私の友人であれば、わざわざつきあおうとはしないのではないでしょうか?  ま、この点は「つきあうな」とは言えませんので、裏でつきあっていることを知って嫌な気持ちがしたとだけ言っておきます。(本間さんは自分のブログなのでなんらかの対応をすることは当然であり、その姿勢を責めているわけではありません。他の人について感じたことです)。

  これが私の正直な気持ちです。今後私への批判は直接お願いします。その上で「電撃」とつきあおうがどうしようが、私には関係のないことです。私はコメントを承認制にし、嫌がらせコメントの主とはつきあう気がないことを表明しました。
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by lumokurago | 2010-02-28 14:07 | 嫌がらせコメント

コメントは承認制とします

  残された時間が短いため、おつきあいする方は選ばせていただきます。よってコメントは承認制とします。ベッド上に縛られ、うちに閉じこもる生活なので、友人からのコメントは大歓迎ですので、よろしくお願いします。
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by lumokurago | 2010-02-28 13:08 | コメントされる方へ

打ち込み不能

  今日はお客さんが四人も来てくれました。退院以来です。珍しい生春巻も作って下さいました。「さもありなん」という人間のどうしようもなさについても聞きました。現場で苦労なさっている人にしか聞けないおはなしでした。公表できない話ですみません。話というのは一方から聞いているだけではわからないものだと思いました。みなさま、ありがとうございました。腰が痛くて起きて打ち込むことができませんので、これで。ワープロソフトも昨日がんばりすぎたので、今日は休みです。
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by lumokurago | 2010-02-27 20:26 | きままながん患者

今日のミャーコ

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by lumokurago | 2010-02-27 13:11

県議会が全会一致で県外移設を

  県議会は24日、米軍普天間飛行場の県内移設に反対し、政府に早期閉鎖、返還と国外、県外移設を求める意見書案を全会一致で可決した。県議会が「県外、国外移設」の決議、意見書を可決するのは初めて。県議会が全会一致で普天間飛行場の県内移設に反対するのは1996年7月の「普天間飛行場の全面返還を促進し、基地機能の強化につながる県内移設に反対する決議」以来14年ぶり2度目。

*****

 宜野湾市は23日までに、米軍普天間飛行場の危険性を放置しているとして、国の責任を問うため、提訴を視野に入れた法的な調査を2010年度から実施する方針を決めた。同飛行場の運用実態を国内法や国際法などと照らし合わせ、提訴の可能性を探る。伊波洋一市長は「住民の安全をないがしろにしている提供施設のあり方を問い、基地使用の差止めにつなげたい」としている。
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by lumokurago | 2010-02-26 21:23 | 沖縄タイムス

昔の文章を読んで

  本棚を整理している。いろんな文書を読んでいる。中に職場の分会(組合)のものがあった。児童館、学童クラブは児童館担当3名、学童クラブ担当2名という女性の多い少数職場だった。女性が多いので妊娠も多く、支え合って子どもを産み育てながら働いていたのである。私は勤め始めて2年目に、なり手がいないため断りきれず分会常任委員となり、それからずっと組合活動に従事していた。1983年、行政改革のあおりを受け、私たちの職場にも人員削減の攻撃が来た。児童館担当の1名を減らし、月16日の非常勤職員に代えるというのである。子どもに対しては同じ仕事をしながら、圧倒的に労働条件の悪い非常勤職員を導入し、その後、時間短縮(週休二日制)にも正規職員を休みやすくするため、土曜日に出勤させるなど、あらゆるしわ寄せを押し付けた。

話が前後するが、初めこそ「白紙撤回」を掲げたものの、某自称革新政党の当局への迎合によって、人員削減反対闘争は敗北した。そしてそれまでは分会員一人一人の意見を聞き、方針を出していた分会内部がその政党に所属する(またはシンパ)人間と原則的に闘おうとする人間のせめぎあいの場となり、書記長のポストが選挙となった。その一方が私だった。その時の選挙のビラが出てきた。今読んでも我ながらいいことを書いていると思う。対立候補との思想の深さの差は歴然としている。また、友人が書いてくれた推薦ビラもすばらしい内容で、ありきたりなことしかいていない対立候補の推薦ビラとは性格が全く違っていた。結果は61対32で私が当選した。

それから時短攻撃(職員を増やさずに時短を行なうのは「攻撃」であった)、職員の主体的な研究会の廃止、さらに学童クラブの民間委託と、私たちは追いつめられ、現在は管理が強化され、自由はかけらもなくなり、昔の面影は全くなくなったと言っても過言ではない。

ついでに児童館、学童クラブの仕事が昔と変わった一番大きな点は、昔は保護者と共に子どもを育てる場所であり、保護者は子育ての仲間、同志であったのだが、今は、子どもと保護者は「お客様」であり、職員は「サービス提供者」になりさがったということである。昔は子どもを預けるというだけで、保護者は職員を信頼してくれたが、今は子どもを預けることは「権利」である。子どもがけがをした場合、昔の親は「うちの子が(わんぱくで)悪いんです」と言ったものだが、今では訴訟沙汰になりかねない。ちょっとしたけがですぐにCTである。

「お客様」と「サービス提供者」の間に成り立つ信頼関係は「商品」を媒介にしたものでしかない。児童館、学童クラブの職場での「商品」とはなんだろう? 日常の子どもとの交流など、目に見えないものではなく、行事など目に見えるものになりがちだろう。

話は変わるが、1979年12月から1982年12月まで、職場の仲間3人で「もっこ橋」という通信を作っていた。厳密に言うと、初めは職場を対象に話題も仕事や子どもの話題を中心にしていたのだが、途中で2人の仲間は抜け、私一人でやることになって、対象も職場に限らず、私の友人等に広げていき、今のブログ「暗川」の前身である印刷版暗川に近いものになっていった。

「もっこ橋」の初めの頃は、子どもの話題が多いのだが、行事など目に見えるものではなく、つまり「商品」ではなく、なるべく子どもを管理せず、大人から提供することはせずに子どもの中から出てくるものを大切にして、自由の風の中で、お互いに成長していこうとする姿勢が現れていて懐かしい。「サービス提供者」になり下がった今ではそのような姿勢を持つことは非常にむずかしいし、だいたい誰にも理解されないだろう。

私がドライアイなど、仕事を辞めざるを得ない理由があったとはいえ、未練もなく50歳で仕事を辞めてしまったのには、このことが非常に大きい。

話がいろいろと飛んですみません。このパソコンはマックで、使い方もよくわからないので、ここまで書いたこの文章、なくさないためにブログに載せておきます。今後、当時の文章を載せるかもしれません。興味があればお読み下さい。

  (奥ちゃんへ、これはネット接続を断ち、パソコンをおなかの上に載せてネオオフィスで打ち込みました。楽でした)
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by lumokurago | 2010-02-26 18:46 | 昔のミニコミ誌より

いじめ

   ますのきよしさん発行の「交流256号」「今月の七人七色」よりもうひとつ。15年前から同じことを言っている例として。1995年2月10日発行。

*****

  子どもの「いじめ」について、大人によってさまざまな論議がされている。しかし大人は自分たちのしていること(或はしていないこと)についてどの程度論議しているだろうか。例えば、日本企業が熱帯の森を伐り尽くし、現地の人びとの生活を破壊してしまったことを知り、自分の生活を変えていこうとしている日本人はどれだけいるだろうか。「従軍慰安婦」だった方々が戦後50年近く経って初めて声をあげたことに対し、政府の無責任さを正していこうと考えている人がどれだけいるだろうか。

  日本人がそれらの人たちに対してしていることは大人の「いじめ」であり、これらを棚に上げて子どもの「いじめ」を語ることは決してできないと思う。そしてこの例は大人の「いじめ」の氷山の一角である。

 子どもたちは疲れている。遊び足りていない。他の子と比較され、自分をありのままに認めてもらえていない。自由な時間が余りにも少ない。勉強はますますむずかしくなっている。学校の週5日制はサラリーマンの時短と同じで。平日にしわ寄せがきている。これも「いじめ」ではないか?  

  わたしは20年近く児童館の仕事を続けて来た。年々子どもたちの置かれる状況は過酷になり、そのせいでゆがめられていく様子を見てきて今は「つらいからもう見たくない」と思うほどである。

  子どもたちに自由な時間を!  指導要領を変え、勉強の内容を減らしてほしい。学校は午前中だけにして部活もなくしてほしい。子どもを比較しないで、その子はその子でいいんだと言ってほしい。大事なのはお金ではなく、その人がその人らしく生きることである。そして自分のことばかりではなく、世界の人のことを考えるようになってほしい。


(これだけ打ち込むと腰が痛いよ。そして社会は15年前より加速度的に悪くなっている)
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by lumokurago | 2010-02-26 15:21 | 昔のミニコミ誌より

ミャーコは今日もオネム

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by lumokurago | 2010-02-26 11:24

旅の道連れ  考

  片付けていたところ出てきました。知る人ぞ知る、ますのきよしさんが発行していたミニコミ紙「交流」への投稿です。「今月の七人七色」というコーナーで、この月のテーマは「旅の道連れ  考」。「交流」250号、1994年8月10日発行。

*****

  一人旅もいいけれど、やっぱり仲のよい友だちとの旅が最高と思う。旅の間は時間がある。その時間にゆっくり話ができるから。一人旅でも旅先の人たちと知り合って話すこともあるが、友だちがいればそれも共有できる。でもわたしと同年齢くらいの女だと子どもがいればまだ自由がきかないし、仕事をしていれば休みの都合がなかなか合わない。

  ここ何年かは自閉傾向のある女の子との北海道旅行が多かった。新得共働学舍(「障害」を持つ人とそうでない人が共に暮らしている)に年に一度は行っていたからだ。民宿で夜、パニックを起こして一時間以上も泣き続けたり、忘れ物をすればあの広い北海道で取りに戻らなければならなかったり、ハプニングがいろいろ起こるが楽しかった。うら若い乙女が同行することもあった。普通の感覚からすれば自閉症の彼女を連れた旅は大変で、しかも若い人同士の方が楽しいだろうと思うのに、なぜか彼女は私たちと一緒に来るのだった。

  山では1人で歩いていると、よく男性に声をかけられた。彼はエスコートしてくれるつもりなのだが、逆に道に迷い、結局私が道を見つけたり、戻る判断をしたことが何度もあった。

  海外への団体旅行は何もかもがお膳立てされているので、食事を残さざるを得ないようなことが多くあり、もうたくさんだと思った。同行の日本人が、少数派である私のつきあいの範囲外の人が多く、普段はあまり知る機会のない日本人の姿に驚き、腹が立ったこともある。まあ、それもいい経験ではあったが、どうせ旅をするなら気分がいい方がいい。

  それにしても旅に出られる条件が日本ではあまりになさすぎる。もっと休みを!

  
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by lumokurago | 2010-02-26 09:38 | 昔のミニコミ誌より